懲りずに質問します。
現在、岩井氏著『素問疏証』を校正しております。その中で気づいたことなのですが、
『素問攷注』巻一冒頭(ガクエン出版ではP2lL2、オリエントではP5L9双行注)では、出版年代を表す「宋バン」「明バン」などの「バン」として、「板」(該当部分では「元板」)が使われています。しかし現代では「版」を使っているように思えます。
当時の用法としてどちらが正しいかは追求しえないと思います。しかし現代の版本学の用法としては「版」のみが正しいのか、「板」こそが正しいのか、どちらでもよいのか。はたまた「バン」を使うのは間違いで「刊」を使うべきなのか
岩井先生にもメールしましたが、当然お返事がありませんでした。皆様にお教えいただければ幸いです。よろしくお願いいたします
ヨネヤ
『日本古典籍書誌学辞典』版本:
返信削除版(板)を刻(刊も本来同義)し,紙面に印刷して書籍としたもの。板本とも表記する。また,刻本・刊本・印本ともいう。
『中国古籍版刻辞典』(増訂本)版本:
②原称「板本」,古代刻書于板,故名。……在印本書出現之前只称「本」。
以下,印象。
「はんぽんがく」:「版本学」で統一されていると思う。漢語。
「ばん」ではなく,「はん」について:(濁音で読むのは許容範囲かも知れませんが,単独で用いられる場合は,「はん」。「宋版」も「そうはん」。「元版」は濁る。)
中国版本学のひとたちは,今おおむね「版」を使うが,先人が「板」で表記している場合は,それを踏襲することもある。
日本書誌学のひとたちは,板・版,相半ばする。たとえば,中野三敏『書誌学談義 江戸の板本』。
これは,江戸時代の本には,「板」と書いてあることが多いことに起因すると思う。
說文解字:「版,片也。」段玉裁˙注:「凡施於宮室器用者,皆曰版。今字作板。」
なるほど、「版」のみかと思っていたら、意外と今でも「板」を使うのですね。
返信削除岩井先生からも昨日お返事がありましてそこでは、
明刊趙開美本『傷寒論』→板
多紀元堅訓点復刻→版
ということで、『素問攷注』ではむしろ「板」にこだわったのでは?とのことでした
ありがとうございました。
『素問攷注』は、稿本です。スペースの問題もあります。ですから、竹冠を草冠で書いたり、「膀胱」を「旁光」と書いたり、「節」を「卩」と書いたりしているように、省画した文字が多数見られます。「版」より「板」の方が、画数が少ないから、こちらを使った可能性も否定できないと思います。森立之が「板」にこだわっているというには、他の『傷寒論攷注』や『経籍訪古志』などとの比較が必要になるかと思います。
返信削除なお、このことに関心があって、しっかり調べたいのでしたら、『初稿本經籍訪古志』(日本書誌學會編)と現行本との比較もしたほうがよいでしょう。
うろ覚えですが、宋・元は「槧本」、明は「刊本」と表現されているのが多かったと思います。
まあ、「元板」とはいっても、「元板本」とはいわないと思いますが。
むかし,江戸考証学派は,清末の考証学派の忠実な弟子過ぎて,頑なに文字の古形を守ると,揶揄されているのを読んだような気がする。
削除つまり,膀胱じゃ無くて旁光の方が古い書き方だから,それを取る。例えば『素問攷注』霊蘭秘典論の「膀胱者,州都之官,津液藏焉,氣化則能出矣」の下に,『淮南子』説林訓「旁光不升爼」,〈高誘〉注「旁光,胞也」を引いている。これはこのままの「旁光」という字形で,『漢語大詞典』にも載っている。だから,スペースの問題があって,そのように書いたと言うものではない。
森立之は,そんなに生真面目に「旁光」とばかり書いているわけじゃ無い。渋江抽斎はもっと頑なだったと思う。
わたしのいうことは大抵は「思う」で,うろ覚えの印象ばかりなんで,気になる人は調べてみてください。