2015年9月21日月曜日

有と在

神麹斎先生は以前,『太素』での和習(和臭/倭臭/どれが正しいとか訊かないでください)=日本人が書いた漢文のあやまり/写し誤りの一つとして「有」と「在」を論じられました。
正格漢文では,「在」でなければならないところを,『太素』では「有」となっていると。
しかし,その後『鍼灸甲乙経』にも同じ問題があることを発見された。
また,未刊行の,鍼灸古典聚珍『新校正 黃帝三部針灸甲乙経』(おそらく黄龍祥による)でも,そういう誤りが見られるとして,日本人特有の問題ではないという認識にいたったようです。
http://chayu-jiuhou.blogspot.jp/
2015年8月14日 星期五。

参考までに,同様の「有」と「在」について,次の例を挙げておきます。

沈約の『宋書』謝靈運傳:
有晉中興(晋の中興にアリテ/西晋が滅んで,江南の地に東晋が興ると),玄風獨振,為學窮於柱下,博物止乎七篇,馳騁文辭,義單乎此。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko11/bunko11_d0272/bunko11_d0272_0011/bunko11_d0272_0011.pdf
の65コマ左6行目(頭部に「『文選』左作右」とあるところの行)。
・ちなみに「江右:古代指長江下游以西的地區。東晉以後,稱西晉和北朝魏、齊、周統治下的地區為江右 。與“江左”相對而言」。

この冒頭の「有」ですが,『文選』卷50・沈休文(=沈約)宋書謝靈運傳論では「在」になっています。

六臣注本
http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=79276&page=34
4行目。

李善注本
http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=94387&page=111
7行目。

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