2015年9月20日日曜日

規範意識

 以下,むだばなし。

はじめのよねやさんの問題提起にもどりますと,「板」と「版」とどちらが正しいかという発想自体が現代的なもので(あるいは原物・影印本を見る機会が少ないことに由来するのかも知れない),おおざっぱにいえば,むかしのひとには,どちらが正しい,どちからに統一しようというようなことを考えて,それを厳格に守ろうという意識はほとんどなかったと思います。特に原稿の段階では。
(戦前の作家も,略字を使って文章を書いていたと思う。編集者や植字工がそれに対応する正字?に代えたのだと思う。/個人的には,自分が「オナジ」を,「同じ」と漢字で書いたり,「おなじ」とひらがな書きしたり,時々で変わり,一定していないのと同レベルの事柄と,「板・版」に対しては,考えている。)

もちろん,これ(板・版問題)を追求して,大発見があるかも知れないので,よねやさんには研究をつづけてもらいたいです。

呉崑の『シン方六集』のシン字は,鍼と針の両方が混在しています。
序文などでは,意図的に本文とは異なる同意語・字を用いることがあります。たとえば,腧・兪・輸など。
証(證)と症を異なる概念と定義づけたのは,近代の漢方家で,西洋医学との対比のために苦し紛れ?に考え出したことで,版本の世界では,区別して使っているような例を寡聞にして知りません。

突飛な例かも知れませんが,伊藤博文の幼名は,利助で,その後,俊輔(吉田松陰によるという)・春輔と改め,号は春畝というそうです。「りすけ」と「しゅんぽ」では関連性は見いだせませんが,「としすけ」という読みを介在させれば,「利助」と「俊輔」でつながります。さらに「しゅんぽ」を異字で書き表わしています。これって,漢字にこだわりがあったから,いろいろ代えたのでしょうか,それともこだわりがなかったからでしょうか?

伊藤の例に限らず,江戸時代の古文書をみると,同一人物を別の漢字で表記されていることが少なくありません。多くは本人が書いたものではなく,名主などが「一筆啓上」しているので,そういうことになるのかも知れませんが,ともかく,漢字を厳格に使用しようという意識は,名前に限らず乏しかったといえると思います。

同意語を別の漢字で表記するのは,日本の古文書の通例であり,江戸時代のひとは,「よろしく」を「宜敷」が正しいか,「宜舗」が正しいかとか訊かれても,困ったと思います。
「幸せ」と書いたら,「仕合せ」と書くんだとなおしたかも知れませんが。

いささか脱線いたしました。あいすみません。

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