2015年9月18日金曜日

旁光

わたくしの認識では、(『淮南子』説林訓のように)「旁光」という用例があるからこそ、立之は「膀胱」を省画して書いたということです。
例として適切ではないというご指摘でしたら、次のものにかえましょう。

上古天真論(7a)の頭注。翻字本では、

案。所云「内經」今『素』『靈』。

としましたが、より稿本に近づけて表記すると、

案。所云「内経」今『素』『灵』。

となります。
『康煕字典』灵には「《正字通》俗靈字」
とあります。

同じ上古天真論(7a)、翻字は

案。「岐伯」蓋岐是國名。

としましたが、立之は「蓋」を実際には「盖」と書いています。
これも『康煕字典』盖には「《正字通》俗蓋字」
とあります。

これらから、清朝考証学云々と、立之が意識したということではなく、草稿だから、書く手間が少ない、灵・経・盖という字体で書いたと理解しています。その延長線上に「旁光」があると考えたということです。もちろん、神麹斎さんが例として示したところは、『淮南子』なのですから、「膀胱」としてはいけないところです。


※蛇足:当時のパソコンの環境では「灵」字が使えないので、外字作成の手抜きをするために「靈」にかえた、というわけではありません。「靈」ではなく「灵」で表記する必要性を感じなかったため、というか、今もそうかも知れませんが、「靈」は読めても「灵」は知らないひとが多いのでは、と危惧したからです。第一、立之が使い分けているとは、考えられませんでした。翻字本で「灵」字を使ったら、かえって著者の意向に背くことになったのではないでしょうか。
「盖・葢」も「蓋」に統一したのも、そういう意識によるものです。

1 件のコメント:

  1. う~んなんというか,「版より板の方が,画数が少ないから,こちらを使った可能性も否定できない」とは思いません。……というか,少なくと「だけ」とは思いません。
    節を卩と書いたり,靈を灵と書いたり,經を経と書いたり,蓋を盖と書いたり,等を䒭と書いたりしたのが,草稿だから,書く手間が少ないからというのは,多くはそうだろう。灵とか䒭とかは我々は見慣れないけれど,昔の人にはどうということはない。でも,時には資料通りという場合も有るに違いない。
    膀胱と書かずに旁光と書いたのは,スペースの問題が主だとは思いません。たまたま古い例が見つかったから,安心してサボるようになった,という可能性なら有るかも知れない。
    江戸考証学者が,古い書き方を尊重していたから,と言ったのは勇み足だったかも知れない。自信が無いからぼかした書き方で,しめくくりを言い訳にしたんだが。ひょっとすると清末の考証学者に対する揶揄だったのかも知れない。段玉裁の『説文解字注』なんて,第一とか第二の第を,わざわざ弟と書いている。これは主張が有ってやっていることだろうが,まあご苦労さんと思った。森も澁江も,それに違いことをやっていると思ったことは有るはず。(記憶力が……。)
    森立之や渋江抽斎が版本と板本のどちらに書くかは,おおむねもとの資料に拠るのだろう。勿論,こだわらない時には板本と書くことが多かったかも知れないし,その時の気分次第ではわざわざ画数の多い版本と書いたかも知れない。
    「版より板の方が,画数が少ないから,こちらを使った場合も多く有るだろう」なら,あるいはそうかも知れない。

    返信削除