(二)謝士泰『刪繁方』
図15 范行準輯本『刪繁方』
〔「巻1 序例・薬品・傷寒」の部分。略す。/南北朝・謝士泰 撰『刪繁方』,范行準輯佚,全漢三國六朝唐宋方書輯稿,中醫古籍出版社,2019年〕
扁鵲の脈書の佚文を研究する上でかけがえのない価値を持つもう一つの文献は,六朝時代の謝士泰による『刪繁方』(図15を参照)である。この書は失われたが,唐代の『千金要方』『外台秘要方』,特に前者がこの書の内容を大量に引用している。初歩的調査によれば,『千金要方』に引用されている大量の扁鵲医書の佚文は,『脈経』からの孫引きを除き,その他は『刪繁方』から孫引きしたものである。後者は扁鵲の脈学を理解するための重要な情報を提供しており,これらの情報を利用することで,これまで我々が扁鵲の脈学を研究する中で遭遇した困惑の多くが容易に解決されるようになった。たとえば,扁鵲の診断の特技である「望色」「聴声」「写形」については,『史記』扁鵲倉公列伝に見られるが,『脈経』巻五に収められた「扁鵲脈法」にも「相病之法,視色聽聲,觀病之所在〔病を相(み)るの法は,色を視て聲を聽き,病の在る所を觀る〕」と明言されている。しかしながら,その診断方法がどのように操作され,どのように応用されるかは誰も知らず,伝説となってしまった。一方,『千金要方』は扁鵲医学における五臓の「色を望み」「声を聴き」「形を写す」ことに関するきわめて詳細な記述を『刪繁方』から引用している。引用された五篇の文章構造は同じであり,引用文の注記には詳細・簡略という違いが見られるが,一篇全体の文章から直接抜粋したものであることがわかる(図16を参照)。
図16 『千金要方』が孫引きした『刪繁方』〔図,省略。正しくは,「『新彫孫真人千金方』が孫引きした『刪繁方』」,である〕
以下は,宋人の校改を経ていない『新彫孫真人千金方』巻十一「肝蔵脈論」が引用する第一篇〔『備急千金要方』巻11・肝蔵脈論第一〕の関連文である。
襄公問扁鵲曰:吾欲不脈,察其音,觀其聲,知其病生死,可得聞乎?答曰:乃道大要,師所不傳,黃帝貴之,過於金玉。入門見病,觀其色、聞其聲呼吸,則知往來出入,吉兇之相。角音人者,肝聲也,其聲呼,其音琴,其志怒,其經足厥陰。逆足少陽則榮衛不通,陰陽反祚,陰氣外傷,陽氣內擊,擊則瘧,瘧則卒然喑啞不聲,此為厲風入肝,踞坐不得,面目青黑,四肢緩弱,遺矢便利,甚則不可治,大者旬月之內(方在治風毒方下卷)。又呼而哭,哭而反吟,此為金克木,陰擊陽,陰氣起而陽氣伏,伏則實,實則熱,熱則喘,喘則逆,逆則悶,悶則恐畏,目視不明,語聲切急,謬說有人,此為邪熱傷肝,甚則不可治。〔襄公 扁鵲に問うて曰わく:吾れ脈せずして,其の音を察し,其の聲を觀て,其の病の生死を知らんと欲す,聞く得可きか?答えて曰わく:乃ち大要を道(おさ)め,師の傳えざる所,黃帝 之を貴ぶこと,金玉に過ぎたり。門に入って病を見,其の色を觀、其の聲呼吸を聞かば,則ち往來出入,吉兇の相を知る。角音の人は,肝の聲なり,其の聲は呼,其の音は琴,其の志は怒,其の經は足厥陰。足少陽を逆すれば則ち榮衛通ぜず,陰陽反祚し,陰氣 外に傷(やぶ)れ,陽氣 內に擊(せ)む,擊むれば則ち瘧す,瘧すれば則ち卒然として喑啞して聲せず,此れを厲風 肝に入ると為す,踞坐すること得ず,面目青黑く,四肢緩弱し,遺矢便利し,甚だしければ則ち治す可からず,大なる者は旬月の內なり(方は治風毒方下卷に在り)。又た呼して哭し,哭して反して吟す,此れを金 木に克つと為す,陰 陽を擊(せ)む,陰氣起って陽氣伏す,伏せば則ち實す,實すれば則ち熱す,熱すれば則ち喘ぐ,喘げば則ち逆す,逆すれば則ち悶ゆ,悶えれば則ち恐畏し,目視 明らかならず,語聲 切急し,謬說 人に有り,此れを邪熱 肝を傷(やぶ)ると為す,甚だしければ則ち治す可からず。〕
又云:若脣色雖青,面(而)眼不應可治。肝病為瘧者,其人面色蒼蒼然,氣息喘悶,戰掉然狀如死人(方在傷寒下卷中)。若人本來少作悲恚,忽爾嗔怒者,反常、乍寬乍急,言未竟以手向眼,如有所思,若不即病,禍即至矣,此肝聲之證也。其人若虛,則為寒風所傷;若實,則為熱氣所損。陽則瀉之,陰則補之。〔又た云う:若(も)し脣色 青しと雖も,(而れども)眼應ぜざれば治す可し。肝病んで瘧を為す者は,其の人面色 蒼蒼然として,氣息喘悶し,戰掉然として狀(すがた) 死人の如し(方は傷寒下卷中に在り)。若し人本來少(わか)くして悲恚を作(な)し,忽爾として嗔怒する者は,常に反し、乍(たちま)ち寬乍ち急し,言未だ竟(お)えずして手を以て眼に向け,思う所有るが如し,若し即(ただ)ちに病ざれば,禍即ちに至る,此れ肝聲の證なり。其の人若し虛せば,則ち寒風の傷る所と為る。若し實せば,則ち熱氣の損する所と為る。陽は則ち之を瀉し,陰は則ち之を補う。〕
凡人分部陷起者,必有病生。膽少陽為肝之部,而藏氣通於內外,部亦隨而應之。沈濁為內,浮清為外,若色從外走內者,病從外生,部處起;若色從內出外者,病從內生,部處陷。內病前治陰後治陽,外病前治陽後治陰。陽主外,陰主內,凡人死生休否,則臟神前變形於外,人肝前病,目則為之無色,若肝前死,目則為之脫精,若天中等分,墓色應之,必死不治。看應增損斟酌賒促,賒則不出四百日內,促則不延旬月之間,肝病少愈而卒死。何以知之?曰:青白色如拇指大黡點見顏頰上,此必卒死。肝絕八日死,何以知之?面青目赤,但欲伏眠,視而不見人,汗出如水不止(一曰二日死)。面黑目青者不死,青如草滋死,吉兇之色在於分部。順順而見,青白入目必病,不出其年,若年上不應,三年之中,禍必應也〔凡そ人の分部 陷起する者は,必ず病の生ずること有り。膽少陽は肝の部為(た)り,而して藏氣は內外に通ず,部も亦た隨って之に應ず。沈濁を內と為し,浮清を外と為す,若(も)し色 外從(よ)り內に走る者は,病 外從(よ)り生じ,部處 起こる。若し色 內從(よ)り外に出づる者は,病 內從(よ)り生じ,部處 陷る。內の病は前(さき)に陰を治し後に陽を治す,外の病は前に陽を治し後に陰を治す。陽は外を主り,陰は內を主る,凡そ人の死生休否は,則ち臟神前(さき)に變じて外に形(あら)わる,人の肝前(さき)に病めば,目は則ち之が為に色無し,若し肝前(さき)に死せば,目は則ち之が為に精を脫す,若し天中等分なれば,墓色 之に應ず,必ず死せば治せず。看て應(まさ)に增損して賒促を斟酌すべし,賒(とお)ければ則ち四百日の內を出でず,促(ちか)ければ則ち旬月の間に延びず,肝病んで少しく愈えて卒(にわ)かに死す。何を以て之を知る?曰わく:青白き色の拇指大の如き黡〔=黶(ほくろ・あざ)〕點 顏頰の上に見(あら)わるれば,此れ必ず卒かに死す。肝絕ゆれば八日にして死するは,何を以て之を知る?面(おもて)青く目赤し,但だ伏して眠(ねむ)り,視れども人に見(あ)わざらんと欲し,汗出づること水の如く止まらざるは(一曰二日にて死す)。面黑く目青き者は死せず,青きこと草滋の如きは死す,吉兇の色は分部に在り。順順として見(あら)われ,青白 目に入れば必ず病み,其の年を出でず,若し年上って應ぜざれば,三年の中,禍い必ず應ずるなり〕*。
* この段落のテキストは,『新雕孫真人千金方』では欠けているので,宋校本『千金要方』から補録した。
上述した三つ段落と形式構造が完全に同じテキストは,『千金要方』の巻十一「肝蔵脈論」篇,巻十三「心蔵脈論」篇,巻十五「脾蔵脈論」篇,巻十七「肺蔵脈論」篇,巻十九「腎蔵脈論」篇にも現われるが,「襄公問扁鵲曰」は最初の引用時にのみ現われ,他の四つの蔵脈論の引用文には「問曰」「答曰」または「扁鵲曰」とだけ記されている。これは,この五篇の文が扁鵲の脈書の中で一つのまとまったものであり,「襄公問扁鵲曰」は篇の冒頭にのみ現われ,他の各段落では繰り返されてないことを示している。孫思邈が各篇に切り取って引用したときも元のままで切り貼りしたので,引用した姓名は繰り返されて出されなかったのである。
以下,この一連の引用文だけで扁鵲の脈書の佚文研究において,どのような難題が解決できるかを見てみよう。
第一に,『脈経』〔巻4〕診五臓六腑気絶証候第三と相互に証拠とし校勘する。
第二に,『脈経』〔巻5〕扁鵲華佗察声色要訣第四と相互に証拠とし校勘し,両者がそれぞれ異なる伝本の扁鵲の脈書から引用されていることが確定できる。
第三に,『霊枢』五色と相互に証拠として解釈する。たとえば「五色之見也,各出其色部。部骨陷者,必不免於病矣〔五色の見(あら)わるるや,各々其の色部に出づ。部骨の陷る者は,必ず病を免れず〕」、「沈濁為內,浮澤為外〔沈濁を內と為し,浮澤を外と為す〕」などの珍しい言い方と用語は,いずれも上述の扁鵲医学書の佚文を利用して正しい理解を得ることができる。それと同時に判断できるのは,少なくとも『霊枢』五色篇の一部の内容が『千金要方』に引用された「襄公問扁鵲曰」と同じ伝本の扁鵲医書を基に改編されたものであるということである。例は下文で詳しく述べる。
第四に,伝世本『内経』中に異なる形式で伝承された扁鵲医籍を判定するための重要な傍証を提供する。
第五に,『千金翼方』巻二十五・診気色法第一と相互に啓発するところがある。
このように,時には一つの重要な証拠を発見し,それを他の証拠とつなぎ合わせることで,明確な方向性と完全な意味を持つ証拠の連鎖を形成することができる。それによって,これまでに収集された扁鵲医書の佚文の断片を正しく繋ぎ合わせて,比較的完全な画面を形成することができる。これによって,以前『霊枢』五色を読んで抱いていた様々な疑問がみな氷解するだけでなく,同時に『霊枢』五色がたとえ倉公が当時伝授された『五色』の全文を収録したものではないとしても,少なくともこの篇を主体として改編されたものであるとさらに確信するようになった。考証は下文を参照。
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