2010年9月14日火曜日

『難経集注』

竹内実『新版 中国の思想』(日本放送協会,1999年1月初版),96~97ページに,図を載せ,「図はいずれも『難経集注』からとった。古代の名医・扁鵲の著と称される医学書『難経』の註釈である。散佚していたのを,明代に集めたものという」とある。
この説明にある『難経集注』は「散佚していたのを,明代に集めたもの」というのは,正しいのでしょうか? また,この説の根拠はどこにあるのでしょうか?

2010年8月18日水曜日

考えすぎ

峰潔(大村藩士,文久二年に上海へ渡航)の『清国上海見聞録』(『幕末明治中国見聞録集成』第11巻所収)に次のような一節がある。

豹ノ一班(ママ)ヲ見テ其ノ全体ヲ見サレハ固ヨリ其美ヲ知ルコト能ハス。然レトモ名医ハ一手ノ脉ヲ察シテ心腹ノ病ヲ知ル。抑清国ノ病ハ特ニ腹心ニアルノミナラス,面目ニアラワレ,四躰ニアフレ,一指一膚モ痛マサル所ナキナリ。……

大清帝国の末期を目の当たりにして,上海という帝国の一部を見て全体の状態を表現するのに,脈診をたとえとしている。

こういう文章を目にすると,ついコンテキストを忘れて,ここでの「膚」は「はだ」のことではなく,「夫」「扶」とも表記されて,指四本の幅のことで,『備急千金要方』に出ていたのだろうか,などと,思考がどんどん横道にそれて行ってしまう。

冷静に読み直せば,「一本の指,一片の皮膚」という意味であるはずなのだが,いろいろなバイアスが交錯して,素直に読み進めない。

2010年8月16日月曜日

简明汉英黄帝内经词典

简明汉英黄帝内经词典
人民衛生出版社

値段が記載されていないし、ネットの他の書店では見つからないので、これから発売なのかも知れません。


「詞典」が「辞典」となっていますが、内容からして、以下がその序文でしょう。

梅德明教授序《汉英<黄帝内经>辞典》


李鼎教授によれば「近万条」の詞語があるそうです(雑誌『中医薬文化』2010年第4期)。

編者の李照国教授には、中医基本名词术语英译国际标准化研究という著書もあります。

2010年8月14日土曜日

荻生徂徠が老中の死期を的中させた話

曲直瀬道三が,旅の途中,新井(新居)宿の人々の脈を診て,災害(山崩れ)を予見した話は,『鍼道秘訣集』で有名だが,以下は,徂徠が老中の死期を語ったエピソード。

徂徠は,松平保山(柳沢吉保の引退後の号)に,江島生島事件に厳しい裁定を下した月番老中,秋元喬知(たかとも)但馬守について,次のように語ったという。

但馬守は,将軍四代にも渡って政を執り行い,名人と呼ばれていたが,「この年九月は秋元侯にハ御死去可被成候,そのわけハ久しくあやまちなき御政事になれ給ひたる御事なれば,此度の評定さばき大造(たいそう)過たる事ハ,必ず御後悔可有候,さりなから,夏のうちハ陽分に候得バ,人の気も淋しからぬ時なれば,さして御病気も出まじく候,九月ハ粛殺の頃なれバ,此時に至りて数拾年の勤方も出,此度の御後悔も出会て,御病気づかれ候ハヽ゛,御平愈あるまじく」と。

徂徠は,大奥での事件に関しては,『周礼』を持ち出して,「宮中の官女の姦犯の罪を聞さバき候にハ,もの静なる物かげにて密に糺明するもの」とし,「そのうへ女の科は天下へ懸りたる謀叛がましき事ハ先ツまれなり」としている。

さて,これを聞いた保山は「うらや算〔占い,易者〕にてはあるまじとて御笑」になったが,「果してその九月御死去あり」と。
 吉田豊著『大奥激震録』(柏書房)に影印される,錦洞館旭岱子著『墨海山筆』巻十五より

2010年8月11日水曜日

三木栄博士が紹介した詩句

崔光守博士がホジュン(許浚)に向けたという詩句
(『伝統鍼灸』第37巻第1号から孫引き)

不患人不敬
唯患身不修
不患家不昌
唯患徳不積
不患人不信
唯患心不誠

おそらく、次のような意味であろう。

人の敬わざるを患(うれ)えず    他人(ひと)から尊敬されないことは気にしなかった
唯だ身の修めざるを患うるのみ   ただ身を修めていないことをのみ問題にした
家の昌(さか)えざるを患えず    家が豊かにならないことは気にしなかった
唯だ徳の積まざるを患うるのみ   ただ徳を積んでいないことをのみ問題とした
人の信ぜざるを患えず        他人(ひと)から信頼されないことは気にしなかった
唯だ心の誠ならざるを患うるのみ  ただ誠心誠意でないことをのみ問題とした

崔光守博士の念頭には、『論語』学而にある「子曰:不患人之不己知,患不知人也。」があったのかもしれない。
ただ,韻を踏んでいるようには見えないので,「詩句」と言えるかどうかも,疑問ではある。

2010年7月15日木曜日

徐文伯

『鍼灸資生經』卷一・足太陰脾經左右二十二穴の三陰交に:
昔宋太子善醫術,出苑逢一妊婦,太子診曰女。令徐文伯診,曰一男一女。鍼之,瀉三陰交,補合谷,應鍼而落,果如文伯言。故妊娠不可刺。
これだけだと,徐文伯が腕前をひけらかすために,不仁の行いをしたと読まれかねない。
ところが,『南史』卷三十二・列傳第二十二には:
宋後廢帝出樂遊苑門,逢一婦人有娠,帝亦善診,診之曰:「此腹是女也。」問文伯,曰:「腹有兩子,一男一女,男左邊,青黑,形小於女。」帝性急,便欲使剖。文伯惻然曰:「若刀斧恐其變異,請針之立落。」便寫足太陰,補手陽明,胎便應針而落。兩兒相續出,如其言。
これだって,もうちょっと何とかできなかったのかと思われそうだけど,南朝宋の後廢帝・劉昱というのは,とんでもない暴君で,本紀において「天性好殺,一日無事,輒慘慘不樂」とまで書かれています。まあ,限界だったんでしょう。
もっとも『通玄指要賦』では,「文伯瀉死胎於陰交,應針而殞」になっています。これだと死んだ胎児が腹中に留まっているのを処理したという印象ですよね。体裁良く整えられています。

2010年7月11日日曜日

膏肓 BL43の取穴法

清 呉亦鼎『神灸經綸』[卷之二 十二经脉起止] 膀胱經六十三穴分寸

膏肓:
從魄戶下行第四椎下五椎上,此穴居中,去脊中各三寸半,正坐曲脊取之。
『千金翼』云:先令病患正坐曲脊,伸兩手,以臂著膝,前令正直,手大指與膝頭齊,以物支肘,勿令臂動,乃從胛骨上角摸索至胛骨下頭,其間當有四肋三間,依胛骨之際相去骨際如容側指許,按其中一間空處,自覺牽引肩中是其穴也。左右各灸至百壯,或三五百壯,多至千壯,當氣下襲襲然如流水之降,若停痰宿疾亦必下也,若病患已困不能正坐,當令側臥,挽上臂令前,索孔穴灸之。
又取法,以右手搭左肩上,中指稍所不及處是穴,左取亦然 。

ちなみに『千金翼方』卷第二十七 肝病第一
膏肓兪兩穴主無病不療方
先令病人正坐曲脊,伸兩手,以臂著膝前令正直,手大指與膝頭齊,以物支肘,勿令臂得動也,從甲骨上角莫索至甲骨下頭,其間當有四肋三間,灸中間依甲骨之裏去甲骨容側指許,摩��〔=月+呂〕去表肋間空處,按之自覺牽引肩中,灸兩甲内各一處至六百壯,多至千壯,數百壯當氣下,礱礱然如流水當有所下,若停淡宿疾亦必下也。此灸無所不治,主諸羸弱瘦損虚勞,夢中失精,上氣欬逆,及狂惑妄誤,皆有大驗。若病人已困不能正坐,當令側臥,挽上臂令前索孔穴灸之。求穴大較,以右手從左肩上住指頭表所不及者是也,左手亦然,及以前法灸。若不能久正坐,伸兩臂者,亦可伏衣襆上伸兩臂,令人挽兩甲骨使相遠,不爾甲骨覆,穴不可得也。所伏衣樸當令大小有常,不爾則前却失其穴也。此穴灸訖後,令人陽氣盛,當消息自養令得平復。其穴近第五椎相準望求索。

2010年7月7日水曜日

東漢鍼灸陶人

1993年、四川省綿陽市で発掘された「経脈漆木製人形」は、たぶん有名だが、河南省南陽にある、張仲景を祀った医聖祠を修復した際,発見された「東漢鍼灸陶人」は話題にのぼることもすくない,と思うので紹介する。

高さ24cm、胸の巾は7cm。陶製で、ミロのビーナスを彷彿とさせる。
体幹部に、陽明胃経にも見える点が縦にならんでいる。
国家一級文物(国宝)。
『中国美術全集』にも収載される。
レプリカは、中国歴史博物館に陳列してあるらしいので,こちらでご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。上から13番目の「东汉 针灸陶人」。

2010年7月6日火曜日

中国のネット辞書・論文

中国には,「本库收录近 4000 余部工具书、1500万词条。」
というようなすごいネット辞書が,限定的ではあるが,すぐ利用できる。
中国工具书网络出版总库

たとえば,楊上善について,あらましを知りたいと思えば,
「楊上善」と入力するだけ。簡体字を入力する必要はない。

楊上善に関連する論文を探したければ,
グーグル学術捜索
などがある。

こちらは,漢字変換道具で,変換してもらったほうがいいかも知れない。

靈蘭之室 茶餘酒後に出ている「楊上善生平考据新証」も,
「杨上善 张固也」のキーワードを入れて,たどっていけば,
その初めの1ページ分は読める。

Google学术搜索に「杨上善 张固也」を入力 〔搜索〕をクリック
=⇒ 「杨上善生平考据新证」をクリック
=⇒ 〔在线阅读〕をクリック

ものによっては,無料で全文が読めるものもあるが,
だいたいはビジネスになっている。

2010年7月5日月曜日

凌雲の子孫

凌雲から十一代目のひとが凌奐(日本の文字では9画。中国の文字では7画)。字は曉五(1822-1893年)。このひとが鍼灸に限らず,有名らしい。

魏稼『針灸流派概論』(人民衛生出版社,2010年5月)13頁と94頁に,「道光二十九年,他(凌雲)的十三代孫凌奐」とあるが,上文に「光緒年間,傳十三代」とあるから,「十三代孫」は「十一代孫」の誤りだと思う。

また『浙北医学史略』という本には,次のような記載があるそうです(何時希『中国歴代医家伝録』引)。
孫,宣(號は雙湖)。
七世孫,宸世,字は蘭亭,康煕年間。
八世孫,應發,字は南臣。
九世孫,玉樵。
十世孫,邦從。
十一世孫,振華。
十二世孫,小圃。
十三世孫,鞠廷。
十四世孫,文潮、文濤、文湛。