2021年6月20日日曜日

解讀『醫家千字文註』000

 序   

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100253551/viewer/5      


醫家千字文註幷序  000


盖聞醫道如林學者未得其萌芽■■如

海學者未得其涓滴世有愚者曰讀方三

年便謂天下無病可治治病三年乃知天

下無方可用誠是逺而難望深而難測之

故也爰有草澤之孤陋嗜藥石於獨學猶

暗精微之道徒馳麤賤之思唯對疾不曉

了譬無目如夜遊然而鑽仰送春有欣永

  一ウラ

日渉獵暎雪未倦稽古肆勒一卷書名曰

千字文凡分乾象坤儀之部次二十一韵

任淺見寡聞之智談二百餘言昔周興之

集千字也蓄儒材兮終一日之功今魯愚

之集千字也披醫書兮摭十全之要乃以

立意為宗不以能文為本

于時永仁元年大呂中旬惟宗時俊撰


  【訓み下し】

醫家千字文幷びに序

蓋し聞くならく、「醫道は林の如し、學者未だ其の萌芽を得ず、(□□は)海の如し、學者未だ其の涓滴を得ず」と。世に愚者有り、曰わく、「方を讀むこと三年なれば、便ち天下に病として治す可きもの無しと謂い、病を治すること三年なれば、乃ち天下に方として用う可きもの無きを知る」と。誠に是れ遠くして望み難く、深くして測り難きの故なり。爰(ここ)に草澤の孤陋有り、藥石を獨學に嗜む。猶お精微の道に暗く、徒らに麤賤の思いを馳す。唯だ疾(やまい)に對して曉了せず、譬うれば目無くして夜遊ぶが如し。然り而して鑽仰して春(とし)を送り、永日

  一ウラ

涉獵するに欣(よろこ)び有り、雪に映(てら)して未だ倦まず。古えを稽(かんが)え肆(ほしいまま)に勒すること一卷、書 名づけて『千字文』と曰う。凡そ乾象坤儀の部に分かち、二十一韵に次し、淺見寡聞の智に任せて、二百餘言を談ず。昔し周興の千字を集むるや、儒材を蓄えて一日の功を終う。今ま魯愚の千字を集むるや、醫書を披(ひら)きて十全の要を摭(ひろ)う。乃ち立意を以て宗と為し、能文を以て本と為さず。

時に永仁元年大呂中旬 惟宗時俊撰す



  【注釋】

醫家千字文幷序

 ○盖:「蓋」の異体字。 ○萌芽:草木初生。開始發芽比喻事物的開始。 ○■■:墨釘。□□は、……。不必要であれば、以下の主語は「醫道」となる。 ○涓滴:一滴一滴的流。水滴。水點,極少的水。比喩極小或極少的事物。 ○世有愚者曰:孫思邈『備急千金要方』卷第一・大醫精誠第二:「世有愚者,讀方三年,便謂天下無病可治;及治病三年,乃知天下無方可用」。初學中醫的人,學了三年就沾沾自喜〔得意満面、ひとりでうぬぼれる〕,以為懂得一些方劑就可以治好天下所有疾病;但是當自己行醫三年之後,才知道天下間疾病太多、太複雜,我們手上的方,遠遠不夠面對這麼多疾病,所以說「無方可用」。 ○天下:泛稱全世界。 ○治:診療。 ○治病:治療疾病,使恢復健康。 ○乃:然後、於是。才、始。卻。竟、居然。 ○方:治病的藥單、配藥的單子。藥方、處方。 ○誠:的確、確實。 ○逺:「遠」の異体字。 ○望:向遠處或高處看。 ○難測:不容易揣測。 ○爰:發語詞,無義。 ○草澤:草野;民間。荒野、窮僻之地。亦指郷野民間。【草澤醫】江湖醫生。 ○孤陋:見聞少,學識淺陋。【獨學孤陋】比喩無人可切磋,學識有限。語本《禮記.學記》:「獨學而無友,則孤陋而寡聞。」【孤陋寡聞】學識淺薄,見聞不廣泛。《抱朴子.外篇.自敘》:「貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不通。」 ○嗜:喜愛、愛好。貪求、貪愛。 ○藥石:藥劑和砭石。泛指藥物。《文選.枚乘.七發》:「今太子之病,可無藥石針刺灸療而已,可以要言妙道說而去也。」 ○獨學:謂自學而無師友指導切磋。 ○精微:精深微妙。精專細緻。 ○徒:白白的、平白。いたずらに。 ○麤:「粗」におなじ。 ○曉了:通曉,明瞭。 ○譬無目如夜遊 ○然而:轉折連詞。用在子句頭,表示雖然有前句所敘述的事情,卻亦有末句所表達的狀況、行為等。 ○鑽仰:深入探求其理而信仰之。深入研求。語本《論語‧子罕》:「仰之彌高,鑽之彌堅」。 ○春:年、歲。 ○欣:悅服、愛戴。喜樂。 ○永日:整天、終日。從早到晚。多日;長久。

  一ウラ

 ○渉獵:粗略的看過而不深入鑽研。謂讀書治學或學習其他技能,但作浮淺的閱覽或探索, 不求深入研究掌握。調査・研究などのために、たくさんの書物や文書を読みあさる。 ○暎雪:暎:「映」の異体字。/晉時孫康家貧,夜晚利用雪光照明讀書。典出《文選.任昉.為蕭揚州薦士表》李善注引《孫氏世錄》。後形容在困苦的環境中勤奮讀書。【映雪囊螢】映雪囊螢形容人在艱困的環境中勤奮讀書。 ○倦:疲憊、懈怠。 ○稽古:考察古事。 ○肆:任意、放縱。陳列、陳設。動詞であれば「つらねて」。 ○勒:刻、寫。 ○書名曰千字文:『續羣書類從』第31輯上(雜部)および『皇漢醫學叢書』第二冊は、「稽古肆勒一卷書(一卷の書に勒し)、名曰千字文」と句切る。7字+5字にしたくない。6字+6字とする。 ○乾象:天象。舊以為天象變化與人事有關。 ○坤儀:大地。晉 劉琨 《答盧諶》詩:「乾象棟傾,坤儀舟覆」。 ○次:依序編排。 ○韵:「韻」の異体字。参考:【次韻】依次用所和詩中的韻作詩。也稱「步韻」。 ○淺見寡聞:見聞狹窄,所知不多。形容見識淺薄。《史記.卷一.五帝本紀.太史公曰》:「非好學深思,心知其意,固難為淺見寡聞道也。」 ○周興:『千字文』の撰者。【千字文】南朝梁周興嗣所撰,傳說是集王羲之字,以一千個不同的單字所寫成,每四字一句,隔句押韻,以便於背誦,是舊時兒童啓蒙時必讀的書。 ○材:資質、能力。有才能的人。 ○魯:愚鈍、笨拙。 ○披:打開、翻開。 ○摭:拾起、摘取。 ○十全:比喩完美無缺憾。比喩很有把握。謂治病十治十愈。 ○立意:確立作品的思想、主題。 ○能文:善於屬文〔連綴字句而成文,指寫文章〕。 ○于時:在此。當時。 ○永仁元年:1293年。 ○大呂:夏曆十二月的別稱。 

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押韻について:

深く検討したわけではないが、印象を書いておく。

序に「次二十一韵」、本文の最後「管窺次韻、綿聯作吟」の注に「起於平聲東韻、至于侵韻、每韻六字、至二十一韻矣」とある。

・東韻6+冬韻6+侵韻1+支韻11+魚韻6+虞韻6+灰韻6+真韻6+元韻6+寒韻6+先韻6+蕭韻6+肴韻6+豪韻6+歌韻6+麻韻6+覃韻6+陽韻6+庚韻6+尤韻6+侵韻6=21韻。


二句末の字は東冬(侵)支魚虞灰真元寒先蕭肴豪歌麻覃陽庚尤侵の21韻。みな平声。


「倉廩充盈閭里弘罙〔深の異体字〕(侵韻・平)」。ここだけ他字と韻を踏まない。


全体で実際は1008字ある。末尾の「管窺次韻、綿聯作吟。」は千字文には数えないのだろう。

全体で二度使われている文字が一つある。「包」字。

073「十全欲施八能叵包」と080「洗浴包損博奕眼勞」。後者は「胞」の誤りか?


2021年6月19日土曜日

解讀『醫家千字文註』 はじめに

     【底本】京都大学附属図書館富士川文庫(請求記号:イ/91)。対応箇所の検索参照の便を考えて、新日本古典籍総合データベースへのリンクを附した。京大本には一部虫損箇所があるので、確認のため早稲田大学図書館所蔵本(請求記号:ヤ09 00890)、国会図書館所蔵本(特1-628)も利用した。『續羣書類從』第31輯 上 (雜部)も参照した。

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000909

    https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya09/ya09_00890/ya09_00890.pdf

                    https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2535945   

    

    【翻字】

    ・なるべく原文に近いフォントを使う。点は刊本にしたがう。なお原文の行末で点を省略してある箇所もあるかも知れない。注の末尾には点があったりなかったりするが、ここには点を打った。踊り字(〻)は「々」にかえた。

    ・作業は、インターネットで参照できる『中醫笈成』のデータを校正する形でおこなった。『中醫笈成』の底本は、『皇漢醫學叢書』第二冊、1936年上海世界書局刊行本である。

https://jicheng.tw/tcm/book/%E9%86%AB%E5%AE%B6%E5%8D%83%E5%AD%97%E6%96%87/index.html

    (國家圖書館掃描本 皇漢醫學叢書 Part1/2)

     表示されるまで時間がかかる

          https://taiwanebook.ncl.edu.tw/zh-tw/book/NTL-9900015274/reader

                                      

    二句ごとに仮に番号を振った。001~126。序を000とした。

  

    【訓み下し】

    【訓み下し】を読んで、【注釋】を参照しなくても、内容がなるべく理解できるようなものにしたい。したがって一般的な書き下し文よりも和語が多くなり、一般的な訓にはこだわらないであろう。ときには、漢字のルビも使うかも知れない。

    ・押韻する四字の二句は、そのまま音読するものと思われるが、参考までに【訓み下し】をつけた。

    ・もとの点には必ずしもしたがわない。

    ・書名の「大素經」と「太素經」、人名の「楊上善」と「揚上善」など、表記が一定していないものは一般的なものに統一する。

    ・原本では複数の字体がつかわれているが、基本的に繁体字か日本の旧字体とする。・常用漢字体も一部使用する。

    ・異体字の例:内・內。說・説。眞・真。畧・略。槩・概。横・橫。黄・黃。胷・胸。莭・節。将・將。苐・第。聦・聰。聴・聽。満・滿。曽・曾。静・靜。卧・臥。讃・讚。悪(西+心)・惡。甞・嘗。絶・絕。恒・恆。蔵・藏。髪・髮。輙・輒。晋・晉。㑹・會。従・從。决・決。来・來。逺・遠。娱・娛・娯。髙・高。覧・覽。熈・熙。恠・怪。黒・黑。寳・寶。劔・劍。刄・刃。暦・曆。歴・歷。懐・懷。竒・奇。蟇・蟆。峯・峰。経・經。廵・巡。栁・柳。遥・遙。甦・蘓・蘇。潜・潛。祕・秘。鋭・銳。拋・抛。叙・敘。荅・答。溉・漑。乆・久。沉・沈。禄・祿。

    「公」を部品とするものは「㕣」の形の文字があれば、かえる。兌。

    

    ・異体字と考えられる漢字でも、「針」と「鍼」、「乃」と「廼」、「絡」と「胳」、「麤」と「麁」(=粗)など字形がかなり異なるものの中にはそのままにしたものもある。

   

    ・基本的に引用文で構成されているので、わかりやすいように引用部分を「」で括った。そのため、曰わく、……と、ではなく、曰わく、「」。として、最後の「、と」を省略したところもある。

    ・引用されている文献と比較し、文字を補った方が意味が判りやすくなる、語調がととのうと思われるところは、一部〔〕に入れて文字を補った。誤字と思われるところはその文字の後に、正しいと思われる文字を【】に入れた。

    

    【注釋】

    ・引用文献の出典を捜索し、あわせて語句の意味をしらべる。おもに漢語の辞書による。辞書が引用する例文も理解を助けるために貼り付けているところもあるが、原典チェックはしていない。標点符号は引用元のままのところが多いが、一部改変した。

    ・簡体字の注は繁体字に置換した。

    ・繁体字の一部を、フォントとの兼ね合いで常用漢字にあらためたところがある。

    

    すべてのインターネット・リソース等の提供者ならびに先行する研究者に深甚なる感謝の意を表します。


辻本裕成 『医家千字文註』の基礎的研究/南山大学日本文化学科論集. 南山大学日本文化学科論集 (9), 19-36, 2009-03.

2021/06/19現在、未読。

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『醫家千字文註』:小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』:惟宗時俊(これむねときとし)(生没年不詳、鎌倉時代)の著になる医学入門書。全一巻。永仁元(一二九三)年の成立。原本は幕末に焼失したが、天保年間(一八三〇~四四)に刊本となり流布した。医家にとって必要な学識を『千字文』の形式で四言二句の要訣とし、さらに注をつけて解説したもの。鎌倉時代の代表的医書の一つ。注には『黄帝内経太素』『黄帝内経明堂』『八十一難経』『千金方』『新修本草』などの旧渡来中国医書を引用する一方で、『素問』(新校正注本)『外台秘要方(げだいひようほう)』『活人書』『本事方』『千金翼方』『選奇方』『証類本草』などの新渡来の宋版医書もいちはやく活用されている。


2021年5月31日月曜日

李建民『扁鵲別脉――反思中国早期医学的歴史』社会科学文献出版社,2020年

 借用日本学者米谷和輝的単語”脉書X”④,老官山医書及模型也是十二脉”X”。


④〔日〕米谷和輝:≪〈素問〉脉解篇の立ち位置――脉書Xと十二脉消長卦≫,≪季刊內經≫No.208,2017,第4~16頁。

なお,075頁には,宮川浩也「倉公の活躍年代について」,『内経』107号(1998)が引用されている。

2021年5月15日土曜日

張樹剣『中国鍼灸思想史論』から 第七章 鍼灸の「辨証論治」についての討論 抄訳

 1.  張樹剣:問題提起。

(前略)方薬治療とはまったく異なる鍼灸臨床に,辨証論治という元来内科医のためにカスタマイズされた理論体系は適用できるのか?さらに問えば,辨証論治は学術理論上,西洋医学と対等に振る舞うためにでっち上げられたモデルではないのか?(後略)

2. 黄龍祥:鍼灸は方薬診療モデルという足に合わない靴を履いてすでに50数年を歩んできた。十数年前,わたしは公開の場所で上に述べた鍼灸の診療理論と実践がはなはだしくちぐはぐな状態になっていることを明確に指摘したが,学術界であれ,そのリーダーであれ,ほとんど理解されず,同意するひとさえいなかった。

 (著者コメント略。)

3. 趙京生:鍼灸辨証が議論され疑問視される価値のある問題になった理由,その原因を突き詰めれば,現代において踏襲されている中医内科の辨証の規則,それが過度に強調され,「唯一の臨床モデル」として感じられるようにさえなったことと直接関連するが,根本的には鍼灸診治の思考方法やその特徴がよく理解されていないからである。

 (著者コメント略。)

4. 張建斌:辨証論治を強調することは,鍼灸臨床も例外ではない。問題の鍵は,鍼灸臨床の辨証論治のモデルと体系は,つまるところどのような特徴と特色があるかということである。

 (著者コメント略。)

5. 張効霞:「辨証分型」のモデルを用いて中医臨床の標準,規範,指南およびその鍼灸辨証取穴のやり方を制定するのは,木に登って魚を探すようなもの〔縁木求魚〕,南に行きたいのに北に向かって車を走らせるようなもの〔南轅北轍〕で,方法と目的が相反するものではないか。

 著者コメント:中華人民共和国成立以来,「辨証論治」はずっと中国医学の最も特色を具備した学術の精髄であり,一つの原則と規範として中医臨床実践の全過程をほとんど支配している。しかし現在の学界が理解し認識するところでは,「辨証論治」の概念は実際には根本的に存在しないものであり,一個人が捏造した「奇形児」である。

 まず,西洋医学が中国に伝来する以前,古代の医家の中国医学が疾病を治療する方法の体系について,「脈因証治」「辨証施治」「診病施治」「症因脈治」「見症施治」「辨証施治」などのたくみで該博な用語をつかって概括しようとこころみた。しかしそのいかなる呼称であろうとも,一致した認識には達しなかった。西洋医学が徐々に東方に進入して以降,思考のうえで中国医学と西洋医学という異なる体系に違いを比較するとともに,一般民衆は「西洋医学は標を治し,中国医学は本を治す」と考え,学術界は「中国医学は辨証を重視し,西洋医学が識病〔病気を識別する〕を重視する」と考えた。しかし中華人民共和国成立以前まではずっと,「辨証論(施)治」が中医臨床における疾病治療の主要な手段あるいは方法であるというスローガンや主張を明確に提出するひとはだれもいなかった。

 つぎに,中華人民共和国の中医政策が確立し履行されはじめた当初,できるだけ早く「中国医学は科学ではない」という偏見を根本から払拭するために,ひとびとはそれ以前には重視されなかった「辨証論(施)治」を中国医学の基本診療手順,西洋医学と区別する学術的特徴の要約とし,中医政策が履行されるにともない,中医学界で迅速につたわり広まった。簡略に言えば,「辨証論治」が正式に提出されたのは1955年,今から60年しかたっておらず,「辨証論治」が中医の特色と優位性であるとする見解が提出されたのは,1974年であり,今から40数年前である。

 かさねて,伝統中国医学においては,「証」とは病人が自分で感じるさまざまな症状を指し,「候」とは医者が診察して得られるさまざまな異常な徴候を指す。中国医学では歴史上,証・候・症とこれから派生した証候・症候・病候・病症・病徴・病状・徴候・症状などは,すべて代替して使用できる同義語であり,これらの間には本質的相違はない。しかし中医学界では長期にわたり,本来症状と徴候を指す「証」を,疾病の本質,根本として鍵となる「病機」といっしょくたに論じてきて,中国医学を正しい発展の軌道から逸脱させ,かつ軌道からどんどん離れてさせた。

 最後に,ひとびとは当然のことながら「辨証論治」はゆたかに変化に富む方法であるべきであると認識し,みずから「六経辨証」「三焦辨証」「衛気営血辨証」「病因辨証」「臓腑辨証」「経絡辨証」などたくさんの「辨証方法」を「創立」し,「辨病と辨証を結合」した新理論を「創造」し,ひとつの病をいくつかの型に分ける,いわゆる「辨証分型」の新方式を「発明」し,中医臨床教科書や学術論文の基本的枠組みとして普及し応用したいと思った。それから今日にいたるまで,中医学界は依然としてこのような「辨証分型」方式をたえず制定し,中医臨床の標準,規範,指南として発布している。しかし中国医学は,世界には二人の完全に同一のひとは存在しないし,まして完全に同一の病に罹患するなどありえないと考えている。その上,中医はこれまでずっと時に応じ,地に応じ,人に応じて適切な措置を講じる〔因地・因時・因人制宜〕という原則を強調してきたし,西洋医学での同じ病は,異なる病人の体では,中医のあらゆる病機のタイプが出現し,あらゆる中医の方剤を加減すれば治癒可能であるとも言える。逆に言えば,中国医学の一方剤は,西洋医学のあらゆる疾病を治療でき,病人が呈する病機と方剤の主治病機がぴったり合いさえすれば,そのまま応用できる。この点から見ていくと,「辨証分型」方式を用いて制定した臨床の標準,規範と指南および鍼灸辨証取穴のやり方は,縁木求魚,南轅北轍ではないか。

2021年4月6日火曜日

覆刻仿宋本『黃帝內經素問』丹波元堅序

 京都大学附属図書館富士川文庫所蔵(ソ/75) 重広補註黄帝内経素問 24巻校訛

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002950#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=-13826%2C-233%2C34130%2C4784

国立公文書館内閣文庫 (300-0141)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000099640&ID=M2016091414190658069&TYPE=&NO=


聖經不宜有譌誤是以漢唐有

石經之設所以示學者爲楷範

焉在吾醫經一字之差動關生

命則最不宜有譌誤倘使轉輾

舛錯失眞彌甚則其誣往哲陷

來學貽害黎庶者果爲何如也

  一ウラ

醫官久志本子寶篤行好學君

子也平生感奕世寵祿之渥常

施良藥以拯窮氓又嘅醫經絶

少善本以爲素問之於吾道猶

典謩訓誥焉幸有明代覆刻宋

槧在殆係林億等校正之眞而

  二オモテ

其本凡數通時或有轉譌今宜

擇原刊最佳者翻雕以𠊳學者

庶足以報渥恩之涓埃遂命精

工附之櫻版功既竣屬元堅以

序葢醫道之陵夷也尚矣寛政

  二ウラ

官始建庠校教導子弟自時厥

後人才矞興駸駸乎無愧于古

但醫經往往行俗刻罕有佳本

學者歉焉今子寶乃有此盛擧

其所以示學者爲楷範將與漢

唐石經比軌況於醫經之關生

  三オモテ

命而爲濟衆之鴻益則子寶今

日之功其豈在鄭覃周墀輩下

也耶於是乎書

安政二年歲在旃蒙單閼涂月

甲辰江戸侍醫尚藥兼醫學教

諭法印丹波元堅謹撰


  【訓み下し】

聖經 宜しく譌誤有るべからず。是(ここ)を以て漢唐に石經の設け有り。學ぶ者に示して楷範と爲す所以(ゆえん)なり。吾が醫經に在っては、一字の差、動(ややもす)れば生命に關わる。則ち最も宜しく譌誤有るべからず。倘(も)し轉輾舛錯して、眞を失うこと彌々(いよいよ)甚だしきときは、則ち其れ往哲を誣(あざ)むき來學を陷らしめ、害を黎庶に貽(のこ)す者(こと)、果して何如(いかに)爲(せ)んや。

  一ウラ

醫官久志本子寶、篤行好學の君子なり。平生 奕世の寵祿の渥(あつ)きを感じ、常に良藥を施して、以て窮氓を拯(すく)う。又た醫經の絶えて善本少なきを嘅(なげ)き、以爲(おもえ)らく素問の吾が道に於いては、猶お典謩訓誥なり。幸いに明代の覆刻宋槧在る有り。殆ど林億等校正の眞に係る。而して

  二オモテ

其の本(ほん)凡そ數通り、時に或るいは轉譌有り。今ま宜しく原刊の最も佳き者を擇び、翻雕して以て學ぶ者に便(よろ)しくす。庶(こいねが)わくは以て渥き恩に報ゆるの涓埃に足らんことを。遂に精工に命じて、之を櫻の版に附す。功既に竣(お)わる。元堅に屬するに序を以てす。蓋し醫道の陵夷するや尚(ひさ)し。寛政の初め

  二ウラ

官始めて庠校を建て、子弟を教導す。時(これ)自(よ)り厥(そ)の後、人才矞(あふ)れ興り、駸駸乎として古えに愧づること無し。但だ醫經は往往にして俗刻行なわれ、佳本有ること罕(まれ)なり。學ぶ者歉(あきた)らず。今ま子寶乃ち此の盛舉有り。其の學ぶ者に示して楷範と爲す所以なり。將に漢唐の石經と比べ軌(よ)らんとす。況んや醫經の生命に關わるに於いてをや。

  三オモテ

而して衆を濟うの鴻益を爲すときは、則ち子寶が今日の功、其れ豈に鄭覃・周墀が輩の下に在るならんや。是(ここ)に於いてか書す。安政二年、歲は旃蒙單閼に在り、涂月甲辰、江戸侍醫尚藥兼醫學教諭法印 丹波元堅謹んで撰す



  【注釋】

 ○聖經:聖賢所著的經典。指儒家奉為典範的著作。 ○譌誤:錯誤。多指文字、記載方面。/譌:「訛」の異体字。 ○是以:因此。所以,表示因果的連詞。 ○漢:朝代名。(西元前206~220)由漢高祖劉邦滅秦,並打敗項羽所創立。至漢獻帝建安二十五年,被曹丕篡位而亡,共歷時四百年之久。因其間曾被王莽篡奪,後劉秀又將王莽消滅,重建漢室,故史稱漢光武帝劉秀以前為「前漢」,以後為「後漢」。 ○唐:朝代名。(西元618~906)李淵代隋,國號唐,二十帝,二百八十九年。唐朝建都長安,與漢朝並稱為中國歷史上最富強的盛世。當時文化優越,版圖遼闊,聲威遠播,對鄰近諸國,有深遠的影響。 ○石經:石刻的經書。始於漢平帝元始元年(西元1),此後歷代都有石經,如熹平石經、正始石經、開成石經等。今可考見其文字者,以熹平石經為最早。/刻在石上的儒家經典。漢平帝元始元年王莽命甄豐摹古文《易》、《書》、《詩》、《左傳》於石,此為石經之始。漢代以後其文字至今尚可考見者,有:(1)漢靈帝熹平四年(公元175年)蔡邕用隸書寫成的“熹平石經”,(2)三國魏齊王(曹芳)正始(公元240-248年)中用古文、篆、隸三體刻石的“正始石經”,亦稱“三體石經”。(3)唐文宗開成二年(公元837年)用楷書刻石的“唐開成石經”。參閱清顧炎武《石經考》、清萬斯同《石經考》、近人張國淦《歷代石經考》。 ○設:建立、制訂。 ○所以:原故、理由。 ○學者:求學的人。做學問的人。 ○楷範:典範, 模範。 ○焉:語氣詞,置句末:(1)表示肯定。相當於「也」、「矣」。 ○醫經:中醫學理論的經典著作。有關中醫學術方面的著作。 ○動:副詞。每每、往往。動不動,常常。しばしば。 ○關:牽涉、連繫。 ○倘使:假如;如果。 ○轉輾:循環反覆;反反覆覆。經過許多人的手或經過許多地方。 ○舛錯:差錯,不正確。錯誤。 ○失眞:與真相不合。失去本意或本來面目。 ○彌:更加。 ○誣:陷害、毀謗。欺騙、矇騙。 ○往哲:先哲;前賢。 ○陷:設計害人。 ○來學:後來的學者。後世的學者。 ○貽害:遺留禍害。使受損害。 ○黎庶:黎民。百姓、民眾。 ○果:確實、的確。 ○何如:如何、怎麼樣。 

  一ウラ

○久志本子寶:久志本(度会)常珍(つねよし)。久志本常孝『神宮医方史』を参照。 ○篤行:行為淳厚, 純正踏實。《史記‧樗里子甘茂列傳論》:「雖非篤行之君子,然亦戰國之策士也」。確實履行。切實履行;專心實行。《禮記.儒行》:「篤行而不倦,幽居而不淫」。 ○好學:喜歡學習。《論語.公冶長》:「敏而好學,不恥下問,是以謂之文也。」【篤志好學】專一心志,勤於學問。 ○君子:泛指才德出眾的人。 ○平生:平素;往常。 ○奕世:累代。代代。/奕:積累的。 〇寵祿:榮寵與祿位。給予寵幸和富貴。 ○渥:深重、濃厚。  ○拯:援救、救助。 〇窮氓:窮民。貧窮的人。指鰥、寡、孤、獨等無依無靠的人。泛指貧苦百姓。/氓:古代稱庶民為「氓」。《詩經.衛風.氓》:「氓之蚩蚩,抱布貿絲。」漢.鄭玄.箋:「氓,民也。」 ○嘅:古同「慨」,嘆息。 ○絶少:極少。 ○善本:珍貴優異的古代圖書刻本或寫本。/版本學稱最理想的本子。一般包括:一、時代最早或較早的本子。二、精印本。三、精鈔本。四、手稿、寫卷。五、名家精校的本子。六、海內外孤本。 ○素問:書名。唐王冰輯《黃帝內經素問》,再增補〈天元紀大論〉,重新編次、作注,二十四卷,為醫家必讀的一部書。 ○典謩訓誥:《尚書》中《堯典》、《大禹謨》、《湯誥》、《伊訓》等篇的並稱。/書經中的〈堯典〉、〈大禹謨〉、〈伊訓〉、〈湯誥〉等,都是古聖賢相誥誡的言論。《書序》:「典謨訓誥誓命之文,凡百篇」。/謩:「謨」の異体字。  ○覆刻:書物などの以前に出版したものを新しく版を作り直し、もとのとおりに刊行すること。 ○宋槧:宋版。/槧:古時記事寫字用的木板。古書的版本。 ○林億:北宋醫學家,官階五品,精醫術。任朝散大夫、光祿卿直秘閣。林億為宋仁宗朝樞密使高若訥之次婿;他曾有詩作保存於世。北宋嘉祐二年(1057年)政府設立校正醫書局,與掌禹錫、蘇頌等校定《嘉祐補註神農本草》二十卷。又於神宗熙寧年間(1068-1077年)與高保衡、孫兆等共同完成《素問》、《靈樞》、《難經》、《傷寒論》、《金匱要略》、《脈經》、《諸病源候論》、《千金要方》、《千金翼方》、《外臺秘要》等唐以前醫書校訂刊印,為保存古代醫學文獻和促進醫藥傳播作出貢獻。其治學嚴謹,如校《素問》,採數十家之長,端本尋支,溯流清源,改錯六千余字,增注兩千餘條。

  二オモテ

○翻雕:翻刻, 翻印。 ○𠊳:「便」の異体字。適宜、合宜。有利於。 ○庶:表示希望發生或出現某事,進行推測;但願,或許。相近、差不多。 ○足以:足夠作某件事。完全可以;夠得上。 ○渥恩:深厚的恩惠。深厚的恩澤。 ○涓埃:細流與微塵。細流輕塵。比喻微末、微小。 ○精:品質優良。佳、最好。 ○工:有專門技術或從事勞動生產的人。 ○櫻:ヤマザクラ。 ○版:木片。板。 ○功:事情、工作。成就、事業。 ○竣:完畢。 ○屬:託付。同「囑」。 ○元堅:小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』:多紀元堅(たきもとかた)。(1795~1857)元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本(ぜんぽん)医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎(しぶえちゅうさい)、森立之(もりたつゆき)、小島宝素(こじまほうそ)らの考証医学者を育てた。 ○葢:「蓋」の異体字。 ○陵夷:漸趨於衰微。由盛到衰。衰頹,衰落。 ○尚:久遠。古遠。 ○寛政:1789年1月25日~。 

  二ウラ

 ○官:官府(政府機關) [government]。 ○庠校:古代學校。/庠:古代的學校名稱。《孟子.滕文公上》:「夏曰校,殷曰序,周曰庠,學則三代共之,皆所以明人倫也」。/昌平黌(昌平坂学問所):徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました(斯文会ホームページ)。/『国史大辞典』:江戸幕府の教育施設。正式には学問所。……幕政上、旗本・御家人の子弟を教育する直轄の施設となったのは、寛政二年(1790)より準備され、寛政九年十二月からである。 ○教導:訓誨指導。教育指導。 ○子弟:後生晚輩。泛指年輕後輩。 ○自時厥後:皇甫謐〈三都賦序〉:「自時厥後,綴文之士,不率典言。」『書經』無逸:「自時厥後,立王生則逸」。 ○矞:溢出。 ○駸駸:形容事物日趨進步強大。漸進貌。盛貌。 ○俗刻:坊刻(坊間所刻)。官刻(國家機構による刊行)の反対。 ○佳:『說文解字』「善也」。 ○歉:不滿足。 ○盛擧:偉大的舉動。盛大的活動;美事。/擧:「舉」「挙」の異体字。 ○其所以示學者爲楷範將與漢唐石經 ○比:依照、仿照。 ○軌:遵照、依循。

  三オモテ

○濟衆:救助眾人。《論語‧雍也》:「如有博施於民而能濟眾,何如?可謂仁乎?」 ○鴻:大、盛。通「洪」、「宏」、「弘」。 ○鄭覃:(?-842年),滎陽開封(今河南開封)人,唐朝大臣,封滎陽公。唐文宗年間任宰相,被視為牛李黨爭中李黨的領袖之一。帝以名儒相待,讓他領祭酒銜。請置博士,刊石經於太學。 ○周墀:(793~851年),字德升,本汝南人,祖輩遷居黃岡(今屬湖北)。唐朝中後期宰相、歷史學家、書畫家。周墀工於小篆,見稱一時,字畫頗佳,聯合崔球、張次宗、孔溫業等校讎經籍刊印《開成石經》。萬斯同『石經考』卷下・唐石經:「文宗時、太學勒石經、而鄭覃・周墀等校定九經」。 ○於是乎:表順序承接的連詞。於是、因此。 ○安政二年:(乙卯) ○歲:歲星。木星。 ○旃蒙:十干中乙的別稱。 ○單閼:歲陰名。 卯年的別稱。 ○涂月:陰曆十二月的別稱。11月24日より1856年なので,安政二年(1856)十二月。 ○甲辰:十五日(大寒)。西暦では,1856年1月22日。 

関連資料:

陳名婷、蘇奕彰 「故宮典藏之安政本《素問》源流初探」

https://www.nricm.edu.tw/var/file/0/1000/attach/77/pta_2287_2424345_83473.pdf





2021年2月11日木曜日

張樹剣『中国鍼灸思想史論』から 鍼灸の伝統:歴史と比較の視角   3結論

  中医鍼灸は教科書では一種の形式主義の風格をより多く体現している。ほとんどあらゆる中医がみな中国の伝統鍼灸は『内経』を尊崇することだと公言しているが、『内経』の鍼灸と彼らの思い抱いているものと習ったものが大いに異なるものであることを認識している人は少ない。初期の鍼灸は簡単で実用的なものであり、外科治療のようなものであった。もし本当に『内経』の伝統を継承するのであれば、鍼灸は現代外科の一分野として発展したであろう。

 現在の鍼灸の伝統は、実際上は、宋元時代に構築されたものである。それは医学理論と儒家思想を結合して創造されたひとつの美的理論の枠組みであり、この枠組みは明清時代も引き継がれた。中華民国時代になり、鍼灸研究者は伝統の革新に取り組みはじめた。彼らの著作には、彼らが影響を受けた西洋医学の理論、とりわけ日本の鍼灸書の影響が反映されている。鍼灸はかなりはやくから科学の道をあゆむ機会があったが、20世紀50年代の後期に、政策の影響によって、ふたたび宋元時代の古い道に方向を変えさせられた。それにもかかわらず、現在の鍼灸は実験室であれ臨床であれ、いずれも古い伝統をたえず突き破っている。

 鍼灸の伝統とは、一度できあがってしまったら変わりようのない概念ではなく、社会文化が変われば、たえず改めて考える必要があるものである。つぎのように言ってもよい。あらゆるいわゆる伝統は特定の時代と地域に基づくものであり、その伝統はみな文化の一部である。このような傾向は近代が始まって以来、ますます顕著である。一定程度、鍼灸は国家あるいは組織の発言力をあらわしている。「中医鍼灸」「西洋鍼灸」というように、地域の流派のラベルが貼られている。他のフランス伝統鍼灸に類似した流派もこの「鍼灸戦争」①の分け前を手に入れようとしている。西洋の鍼灸研究者は、中医伝統鍼灸から新しい科学鍼灸あるいは医学鍼灸を分離しようと試みている。彼らからみると、現行の「中医鍼灸」は古代の鍼灸とくらべて全く変化がなく、おくれた非科学的なものである。実際上、この観点そのものは、型にはまったもので、確固たる根拠があるものとはいいがたい。中医鍼灸も現代医学の影響を受けていて、正確な診断と詳細な検査は、西洋鍼灸独自の特徴ではけっしてない。鍼灸は発展過程にある治療と知識体系であると、中国の鍼灸医と学者は明らかにみてはいるが、中には「伝統」鍼灸のヴェールを脱ぎたがらない人もいる。

原注:①「鍼灸戦争」は、米国の学者Bridie Andrews(呉章)が2015年6月5日に復旦大学でおこなった学術講演において提出した概念である。彼女の考えでは、現在の鍼灸が国家の発言力をあらわしていて、その中では中国・日本・韓国などが参与している。

 今まで不変の伝統など存在したことはない。中医の伝統は、世界のその時その場では適用されないし、医学の歴史もひとつの簡単な進歩の過程ではない。ひとつの治療理論がその歴史的な時代にふさわしくない時、それは社会観念のしもべとなる。それぞれの時期における鍼灸理論と実践は、たえず補充され、修正され、変化したが、当然すべての変化が積極的であったわけではけっしてない。鍼刺理論は社会的要素の影響下にあり、単純な技術の問題でなかっただけでなく、技術のルールにだけによっても解釈できなかった。

 最後に、未来の鍼灸はどうなっているだろうか?世界の発展過程において、科学は主流である。したがって医学鍼灸は進歩するであろう。大多数の人々の角度からみれば、中医鍼灸は依然としてもっとも権威ある形式であり、さすがに中国は鍼灸の故郷である。西洋では自然主義がますます盛行し、伝統鍼灸の保守派も存続可能であろう。しかしすべては社会文化そのものによって決定される。想像されることは、古い鍼灸伝統は絶えざる変化の中にあり、新たな伝統もたえず生み出されるだろう、ということである。


2021年1月24日日曜日

中国の論文 摘要だけ③

 『黄帝内経』任督二脈循行解析

王燕平1 张维1,2 李宏彦2 1

(1.北京中医大学灸推拿学院 2.中国中医科学院灸研究所)

摘要:『黄帝内経』原文の分析と、透明な魚、ラット、ヒトの経絡のトレース研究の結果をもとに、任脈と督脉の循環を再構築した。 任脈の起点である「胞中」と「中極之下」は同じ場所にあり、その循行路線は腹深枝、背深枝、腹表枝の三つに分かれている。督脉の起点は恥骨上の曲骨穴にあり、その循行は臀脊上枝、頭背下枝、腹面上枝、頭背中枝の四つに分かれている。任脈と督脉は体幹・頭部の前・後部を走行するが、一つは深く、一つは浅く、内外二つの輪を形成しており、前部が任脈、後部が督脉というよく知られた前後分布パターンではない。

キイワード:黄帝内経、任脈、督脉、経脈循行

『中国鍼灸』 2021

 https://chn.oversea.cnki.net/KCMS/detail/detail.aspx?dbcode=CAPJ&dbname=CAPJLAST&filename=ZGZE20201222000&v=XRsQJ45w%25mmd2FRVxNVdWRLTLTMCTUGitWa%25mmd2FQ0GqkRJXRVbBeBBk8ry3NnR4eFLodFeWq

2021年1月23日土曜日

中国の論文 摘要だけ②

 

『黄帝内経』「規矩權衡」の「方圓」と「昇降」の探析

李吉武 唐爱华  王振 李双蕾

(广西中医大学第一附属医院)

摘要:「文化の自信」は、「四つの自信」の中でもより基礎的で、広範で、深厚な自信である。それは、伝統的で優秀な文化を源としており、中国医学は中華文明の宝庫を開く鍵である。聖賢先哲は「天圓地方」思想を以て天地自然を認識した。それは、地は静によって方となり、天は動によって圓となり、動静昇降に規律がある、というものであった。中国古代の天地観、道德観、倫理観、医学観等は哲学的「方圓」観念を体現している。中医哲学思想は一元二氣の「中和」の之道であり、天地陰陽を基準として、「規矩權衡」は変通の道であり、常を知って変に達する。本文は語義学、文化学、そして中医学の角度から『黄帝内経』の「規矩權衡」と「方圓」「昇降」について解説と探索を進めた。中医哲学思想の「規矩權衡」の思弁は、中医学の「天人合一」「天人相」理論の要点であり、中医の生理病理、防治養生、治則治法を教えてくれる。

キイワード:權衡、規矩衡、方圓、昇降、黄帝内経

『医学争鳴』 202006

 https://chn.oversea.cnki.net/KCMS/detail/detail.aspx?dbcode=CJFD&dbname=CJFDAUTO&filename=DSJY202006012&v=T0HylJ%25mmd2F2TMJXK6%25mmd2BpN2BmlTMLBYjHRI1mBM%25mmd2ByXVOqAPNn%25mmd2FqIPC%25mmd2BiPjwnFEBDPk65N

四个自信」は、道路自信、理論自信、制度自信、文化自信の四つで構成される、CCPによるスローガン。


「奇穴」 張樹剣『中国鍼灸思想史論』(社会科学文献出版社、2020年6月)から 

  「穴有奇正策」は、明代の鍼灸家、楊継洲によるよく知られた鍼灸医論であり、そこには奇穴の証候と治療が一部述べられている。同時に、楊氏は『鍼灸大成』のなかに「経外奇穴」の部門をもうけ、経外奇穴35個を掲載している。現在、一般には奇穴と経穴、阿是穴をならべて、十四経に属さずに具体的な位置と名称をもつ穴を経外奇穴という。


  (一)腧穴に元々奇穴と正穴の区別はない

 『内経』には、腧穴をあらわす用語として、節之交・気府・気穴・骨空など多くの種類がある。これらの名称は文字面からみて、へこんでいる・気を蔵するところなど、形やはたらきの意味を持っている。そのうえ、『内経』には鍼を刺す位置を明記するものの明確に命名されていないものが多数ある。名称があったとしても、多くは局部解剖の特徴による命名であり、欠盆・舌下両脈・肩解・髀枢・十指間など、素朴で直感的なものである。それらのいくつかは、そのまま踏襲されている。したがって、『内経』にある腧穴の概念は、具体的な体表の解剖的部位という一般的な意味からはずれたものではない。『素問』気府論には、ある脈は「脈気の発する所」という記載があり、腧穴帰経のひな形と考えることはできるが、全体からいえば、『内経』中の腧穴には帰経はない。兪穴が経に帰属しないということは、いわゆる経穴はない、ということであり、これと対応するいわゆる奇穴もない、ということである。ある観点から、『霊枢』刺節真邪にある「徹衣者、尽刺諸陽之奇輸也」を奇穴の出典とする考えもあるが、明らかに不適当である。

 『黄帝明堂経』『鍼灸甲乙経』は、四肢の部位にある腧穴の帰経からはじめた。この時、兪穴の名称と位置は固定的になりつつあった。宋代の王惟一が編修した『銅人腧穴鍼灸図経』は、この二つの書物を基礎に5穴を増補し354穴として、すべて十二経脈と任督二脈に帰属させた。それに影響されて、後世ではひきつづき踏襲している。そのため、いわゆる腧穴帰経とは、主に『黄帝明堂経』の腧穴帰経を指している。『黄帝明堂経』以外の、宋以前の諸家の著作、たとえば『肘後備急方』『備急千金要方』『千金翼方』に見える腧穴で、『黄帝明堂経』に収録されていない腧穴が、奇穴である。それらの中で、『備急千金要方』には187個の奇穴が掲載され、各種の病証に対する治療篇に散らばって見られる。南宋の王執中は『鍼灸資生経』を編纂した際、民間で用いられていた多くの有効な腧穴を補充し、各篇にそれぞれ入れた。その後、明代の董宿が『奇効良方』を編集し、はじめて専門の論として独立させ、奇穴26個を収載した。明の楊継洲は『鍼灸大成』において、『奇効良方』を基礎として、収集した奇穴を増やし、35穴を掲載し、「経外奇穴」と命名した。これから「奇穴」あるいは「経外奇穴」が腧穴分類の一つとなった。

 これによって、いわゆる奇穴とは、主に『黄帝明堂経』に収録されない腧穴を指す。『黄帝明堂経』は最も重要な腧穴経典とされ、そこに収載されている腧穴が後世の経穴の主体となった。しかし、『黄帝明堂経』一書だけでは、多くの穴を包含するにはほど遠い。経に帰属させた腧穴が経穴となり、経に帰属させられなかった腧穴が奇穴と呼ばれるようになった。ゆえに、腧穴には元々奇も正もないのである。時代を異にする医学家が帰納して次第に奇穴と経穴に分けるようになった。経穴が経脈に帰属するようになり強い系統性ができて、伝承しやすくなったので、腧穴体系の正統が次第に形成された。


  (二)帰経は腧穴の本質に対する理解に影響をおよぼした

 奇穴と経穴は、ともに古代人による身体体表の特定部位についての認識である。それが生じた過程は、長い時間を経ていて、腧穴の研究は、奇穴を避けることはできないし、経穴を経に帰属させるという人為的な腧穴分類がおよぼした腧穴概念に対する影響を軽視することはなおさらできない。したがって、鍼を用いて疾病を治療するのに、元々いわゆる正穴・奇穴はなく、経に帰属させた経穴に固執し、とりわけ天〔人相関の思想〕にのっとって定められた腧穴365という数に執着することは、臨床においては、ともに柔軟性に欠ける。腧穴帰経の過程と経穴の数が固定化に向かったことは、腧穴の本質を理解する上で障害である、ともいえる。

  楊継洲が『鍼灸大成』穴有奇正策において、次のように言った。「夫有針灸,則必有會數法之全,有數法則必有所定之穴,而奇穴者,則又旁通於正穴之外,以隨時療症者也〔夫れ針灸有れば,則ち必ず數法を會するの全有り。數法有れば則ち必ず所定の穴有り。而して奇穴なる者は,則ち又た正穴の外に旁通し,以て時に隨って症を療する者なり/鍼灸があれば、数と法が会合する全体がある〔前文に「法なる者は鍼灸の立つる所の規、而して数なる者は其の法を紀す所以」とある〕。数と法があれば、かならず所定の穴がある。しかし奇穴というものは、正穴以外に広く通じており、その時に応じて治療できるものである。〕」。また次のようにも言った。「此皆迹也,而非所以論於數法奇正之外也。聖人之情,因數以示,而非數之所能拘,因法以顯,而非法之所能泥,用定穴以垂教,而非奇正之所能盡,神而明之,亦存乎其人焉耳。……治法因乎人,不因乎數,變通隨乎症,不隨乎法,定穴主乎心,不主乎奇正之陳迹〔此れ皆な迹なり。而して數法奇正を論ずる所以の外に非ざるなり。聖人の情,數に因って以て示すも,而るに數の能く拘る所に非ず。法に因って以て顯わすも,而るに法の能く泥する所に非ず。定めし穴を用いて以て教えを垂るとも,而るに奇正の能く盡(つ)くす所に非ず。神にして之を明にするは,亦た其の人に存するのみ。……治法は人に因って,數に因らず。變通は症に隨って,法に隨わず。穴を定むるは心を主として,奇正の陳迹を主とせず/これらはみな研究の事跡である。しかしこれは数・法・奇・正を論じた内容の外にあるものではない。聖人の情理は、数の理論によって示されたとはいえ、数の理論で拘束することはできない。法則によって明らかにされたとはいえ、法則に拘泥することはできない。固定した穴を使用して人々に教授するとしても、奇穴と正穴だけですべてを尽くすことはできない。これらに通暁できるかどうかは、みなその人(治療者)にかかっている。……治療法は人(治療者の判断)によるのであって、数の理論にはよらない。情況に応じて柔軟に対処するのであって、一般原則にはしたがわない。治療穴の決定は治療者の認識に基づくのであって、奇穴・正穴という過去の事跡を墨守しない〕」。この言葉は正しい。

2021年1月15日金曜日

中国の論文 摘要だけ①

  中国の学術雑誌に掲載されている論文のうち、我々に関係ありそうな論文を紹介するようなことができないかと、先日某所でお話ししたところ、左合先生に励まされましたので、少しづつやってみようかと思います。

 内経誌への投稿を考えていましたが、ここならハードルが低かろうということで、練習がてら談話室へ少しづつ投稿してみようと思います。

 論文は、中華医史雑誌以外も、ということで、

中国知网 (cnki.net)

 ここで、素問、霊枢、黄帝内経というワードで検索して、関係ありそうな論文をピックアップし、摘要を和訳してみます。


「十二皮部」呼称の探求

李玉仙1 李志道2 2

1.天津中医大学中医学院 2.天津中医大学灸推拿学院

摘要:「十二皮部」は、現在経絡系統の一つとして知られ、また体表の最外層の組織構造―皮膚を形成している。李志道教授は、「十二皮部」という呼称は妥当ではないとしている。「皮部」という単語の語法構造の分析を通じて、それが「皮膚」の含義を正確に表現することはできないと明らかにする。『黄帝内経』の検索を通じ、生理・病理・治療を叙述する際、「皮」の用例が131回、「皮膚」が92回、「皮毛」が30回、「皮部」は全書で3回のみであり、すべて部位を指している。そのため、「十二皮部」という呼称は妥当ではなく、「十二皮膚」あるいは「十二皮」の方が妥当である。皮膚は、外邪への抵抗、病の伝変の防止、診断、疾病の治療に重要な作用を持っている。

キイワード:皮部、皮膚、皮、皮毛、専家経験

『医学争』、202006


摘要:"十二皮部"是目前公经络统组成之一,体表最外层组织结——皮肤。李志道教授认为"十二皮部"称呼并不妥当。通分析皮部一,表明其不能准确表达"皮肤"的含。通过检索《黄帝内,发现在叙述生理病理治疗时使用""131;使用"皮肤"92;使用"皮毛"30;"皮部"书仅3,均指部位。故"十二皮部"个称并不妥当,称之"十二皮肤""十二皮"。皮肤于抵御外邪,防病传变,断、治疾病都有着重要作用。


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