「鍼用語標準化に関する第二回WHO地域ワーキング・グループ会議(Ⅱ)」
日本経穴委員会
によると、
-------------------------------------------
頸百労
部位 天柱と大杼を結んだ線上で、第三、第四頸椎棘突起間の高さ
主治 結核性リンパ節炎、咳嗽、百日咳、項背痛
文献 鍼灸資生経
-------------------------------------------
しかし、『鍼灸資生経』を調べてみても「頸百労」は無い。
あるのは「百労」穴のみである。部位の表記も無い。
『資生経』以外の文献を調査しても無い。
どなたか分かる人がいたら教えて下さい。
分かる範囲で調査したものを提示しておきます。
「百労」(頸百労ではない)の調査結果
『鍼灸資生経』第七
南宋‧嘉定12年王執中
1220年
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100252604/viewer/265
『鍼灸資生経』第七
○産後餘疾(産前)
期門、治産後餘疾、(銅見心痛)
千云、主産餘疾、食飲〔*飲を補う〕不下、賁豚上下、傷食腹満、
伏兎、療婦人八部諸疾、(明)
婦人産後渾身疼、針百労穴、遇痛処即針、避筋骨及禁穴、(許)
明下云、産後未満百日、不宜灸、
産後血暈、寒熱往来、或血搶心、悪疾也、予閲食料本草、見有用鹿角焼為末、酒調服、日夜数服験者、偶家有婦人患此、令服此、神効、因教他人婦服皆験、但以産後未可飲酒、以童子小便調服爾、(最忌服利薬)
明下云、凡懐孕、不論月数、不宜灸、
銅云、昔宋太子善医術、出苑遇一妊婦、太子診曰女、令徐文伯診、曰、一男一女、針之、瀉三陰交、補合谷、応針而落、果如文伯言、故妊娠不可刺、
------------------------------
『扁鵲神應鍼灸玉龍經』
元・王国端
1329年
○盗汗
満身発熱病為虚、盗汗淋漓却損躯、
穴在百労椎骨上、金針下著疾根除、
百労、在背第一椎骨尖上、
針三分、灸二七壮、瀉之、
応肺腧穴、
五種瘧疾、間使(寒補熱瀉)、未愈者、百労
------------------------------
『鍼灸大全』
徐鳳
明‧正統4年
1439年
心瘧令人心内怔忡、
神門二穴、心兪二穴、百労一穴(即大椎穴)
大杼一名百労
------------------------------
『神応経』
陳会
1425年
○婦人部
婦人経事正行、与男子交、日漸羸瘦、寒熱往来、精血相競、
百労 腎兪 風門 中極 気海 三陰交、
若以前証作虚労治者、非也、
------------------------------
『類経図翼』
張介賓
1624年
○大椎(一名百労)
在第一椎上陥者中、一曰平肩、
手足三陽督脈之会、
刺五分、留五呼、灸五壮、一云以年為壮、
大椎為骨会、骨病者可灸之、
主治、五労七傷乏力、風労食気、痎瘧久不愈、肺脹脇満、嘔吐上気、背膊拘急、項頚強不得回顧、
一云、能瀉胸中之熱及諸熱気、若灸寒熱之法、先大椎、次長強、以年為壮数、
一云、治身痛寒熱風気痛、
一云、治衄血不止、灸二三十壮、断根不発、
千金云、凡瘧有不可瘥者、従未発前灸大椎至発時満百壮、無不瘥、
又云、諸煩熱時気温病、灸大椎百壮、刺三分瀉之、
又、治気短不語、灸随年壮、
又、治頚癭、灸百壮、及大椎両辺相去各一寸半少垂下、各三十壮、
玉龍賦云、百労止虚汗、
神農経云、治小児急慢驚風、
竇太師治諸虚寒熱灸此、
捷径云、治熱不至肩、
時伝以此治百病、
-------------------------------
『経穴彙解』
原南陽
1803年
○背中行自第一椎、下行至尾骶骨、凡十四穴、
○大椎(素問)
一名百労(類経)
第一椎上、陥者中、(甲乙)
宛宛中、(資生)
按、甲乙経、脱「上」字、今拠千金諸書、補之、
明堂作「下」非、
霊枢、本事方、聖済、「椎」作「顀」、同義、
千金翼曰、第一椎名「大杼」、無所不主、侠左右、一寸半、或一寸二分、此文有倒置、
入門、大全作「大杼」、蓋受其誤、
「椎骨」又名「杼骨」、後人遂混称「大椎」為「大杼」、大全等、「大杼一名百労」、不可従焉、
類経曰、一云平肩、説己見、
傷寒論曰、大椎第一間蓋指陶道、
0 件のコメント:
コメントを投稿