3 臓腑背兪経脈関係の選択
上述した文献では兪募穴がつねに一緒に取り上げられていて,体幹部にある腧穴には共通性があることを示している。募穴であれ背兪穴であれ,みな対応する臓腑(形臓)に隣接し,近接部位を主治とする腧穴であり,腧穴がある場所は臓腑に基づいており,経脈に基づいているのではないので,多くの穴は対応する臓腑の経脈上にはない。すなわち兪募穴の経脈帰属は,経脈と臓腑の対応関係に一致しないことが多い。この腧穴帰経は,経脈と臓腑との関係の命題〔提示〕に,理論的欠陥をもたらし,臨床の指針としての経脈理論の価値を弱めることになる。たとえば臓腑病に対する原穴と背兪穴を取穴する治法の説明は,一般に兪原配穴〔訳注〕の観点からなされ[10],経脈の観点からなされることは少ない。四肢は体幹にある臓腑から遠く離れた部位にあり,五兪穴を代表とする肘膝関節以下の穴が所属する経脈は,みなそれぞれ対応する臓腑に直接つながっていて,臓腑と特定の関係がある。言い換えれば,経脈と臓腑との関係の命題〔提示〕は,おもに四肢部の経脈と腧穴の関連理論に体現される。
[10] 王宛彭,纪青山. 谈脏腑背俞穴[J]. 山东中医学院学报,1988,12(1):12-13.
〔兪原配穴:背兪穴と原穴の配穴。 “合募配穴治疗腑病”与“俞原配穴治疗脏病”
http://www.360doc.com/content/15/1002/07/7499176_502791454.shtml などを参照。〕
鍼灸理論の発展過程をみれば,手足の経脈が最初に出現し,四肢の穴で内臓の病を治療し,方法としては遠隔病位取穴であり,四肢はこのような経脈理論認識を形成する基礎となる部分である。このような鍼灸治療経験から昇華された経脈理論は,四肢に基づいている。類穴〔訳注〕の中で大多数を占めるのは四肢にある穴であり,かなり早い時期の鍼灸の実践と理論上のこのような偏った特徴を反映している。しかし体幹にある穴は内臓病を主治し,方法としては近部取穴であり,所在する部位の多くは対応する臓腑の位置に相当し,前者とは基礎が異なる。四肢にある経脈の循行分布で(つながりを)説明する場合は,つじつまを合わせるのは困難である。したがって,腧穴と臓腑との関係に関する経脈理論の構築は,四肢穴の内容は相対的に完備しているが,体幹穴の内容にはかなり問題が多い。
〔類穴:特定穴ともいう。十四経穴の中で,いくつかの特殊な性質と作用を有する腧穴を他と組み合わせたもの。類穴の組み合わせ方には,主に以下の2つがある。1. 腧穴と五臓六腑に密接な関係(生理・病理・診断・治療などを含む)があるもの。例:背兪穴・募穴・原穴・下合穴。2. 腧穴と経脈・気血などに密接な関係があるもの。例:五兪穴・郄穴・交会穴・絡穴・八脈交会穴。〕
『内経』にある体幹穴に関する理論のいくつか,たとえば経脈標本や四街〔訳注〕などは,上述した背景の中で形成されたもので,経脈循行や腧穴分類とは異なる形式で表わされており,まさに上述した特徴を反映していて,腧穴主治の法則に符合し,理論構築において完璧な学術的価値を有する。とりわけ経脈標本が示した背兪と陰経のつながり,ひいては体幹穴と四肢穴の(経脈の)関係は,唐代の孫思邈にいたるまでずっと重視されていて,なおかつ内容的にも形式的にも発展があった。今日に到っても,現実的に理論的な意義をそなえている。しかしながら,臓腑背兪を足の太陽経に帰属させる形式が宋代官修の『銅人腧穴鍼灸図経』に取り入れられて正統となって以後,経脈標本のような理論とそれを発展させた内容は,正統外の「その他」の形式とされ,その影響は今日におよんでいる。その上,腧穴とそれに対応する経脈の関係については,後世次第に両者間の具体的な連係路として認識するのが習慣となった。特にそれは『十四経発揮』の大きな影響を受けた,経脈が体表をめぐって本経の腧穴をつなぐ形式である。腧穴主治と経脈のつながりの観点からみれば,十四経脈の多くは胸腹部をめぐり,かつ半数以上の募穴は複数の経脈の会となっている。背腰部には足の太陽経と督脈しかないので,対比すれば,臓腑背兪の経脈とのつながりは,もっとも乏しいと言える。『千金翼方』に代表される臓腑背兪と十二経脈の関係は,より合理的であるものの,経脈の「循行」によっては,つながりが示されない。このことが現代人がこの理論とその意義についての認識に影響を与えているのかもしれない。では,臓腑背兪と経脈との関係は,どのように示せばよいのか。現在の足の太陽経に帰属しているが変わらない情況の下では,経脈標本理論を基礎とし,『千金翼方』の形式を採用し,楊上善のいう背兪と対応する内臓間の絡脈のつながりと結びつけて,臓腑背兪と十二経脈との対応関係を説明するのには,価値がある。
〔四街:上文原注[3]の下にある訳注「気街」を参照。頭・胸・腹・脛部にある四気街。『霊枢』動輸(62):「四街者,氣之径路也。故絡絶則径通,四末解則氣従合,相輸如環〔四街なる者は,気の径路なり。故に絡絶ゆれば則ち径通じ,四末解くれば則ち気従い合し,相輸すること環の如し〕」。〕
経脈標本などは,経脈と腧穴の理論が初期の発展段階における活発な思考と正確な方法であることをはっきり示しており,後世の理論認識上の硬直化とは対照的でもある。現代人にとって,背兪穴が経脈とどのような関係にあるかは,既存の理論をいかに選択するかにかなりの程度かかっており,言うまでもなく認識の問題を解決することが前提であることは,容易に理解できる。臓腑背兪と十二経脈とのつながりには,かなりの堅固な実践の基礎と理論の構築がなされている。その意義を具体化し発揮するためには,学術的価値を発掘し回復させ,その科学的で合理的な要素を継承発展させることが求められる。理論が臨床を指導するというの実際の要求からはじまり,臓腑背兪とそれぞれ対応する経脈とのつながりを確立し,適切な理論形式と理論体系中の位置構造〔組み合わせと配置〕を与え,現代鍼灸理論をたえず改善してこそ,臨床に対する指導性を高めることができる。
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