2026年8月13日木曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集3-3 鍼科發揮

 3-3 鍼科發揮  柳川靖泉撰 

    京大富士川文庫所蔵(ホ/八一)

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005045


鍼科發揮自序

庖犠畫八卦而隂陽之道著矣神農嘗百草而毒藥

之品眀矣軒轅制九鍼而補瀉之法備矣故讀太易

而以通變化之妙讀本草而以處眼𩚵之方讀内經

而以究鍼刺之奥嗚呼微三墳之書則後世之醫者

皆服左袵而言侏離矣聖人之德澤其大哉吾先考

方圓齋之鍼法也悉祖述素難而憲章諸家經濟之

功頗多矣自號臨淵子曾謂用鍼之道以氣為主夫

如輪扁之説齊桓淂之心而應手不疾不徐有數存

其間言是傳授之心法也能以調其邪正和其剛柔

  一ウラ

導其血氣為要矣不佞行有餘力之日詳類遺法宏

採約求釐而為編命曰鍼科發揮以使門弟子熟讀

而知其階梯也

旹維元禄戊辰冬十月日 毉官 柳川清泉識


  【訓み下し】

鍼科發揮の自序

庖犧(ふつき)、八卦を畫(えが)きて陰陽の道著(あらわ)る。神農、百草を嘗めて毒藥の品明らかなり。軒轅、九鍼を制して補瀉の法備わる。故に太易を讀みて以て變化の妙に通じ、本草を讀みて以て眼(服)餌の方を處し、内經を讀みて以て鍼刺の奥を究む。嗚呼(ああ)、三墳の書微(な)かりせば、則ち後世の醫者、皆な左袵に服して、言、侏離せん。聖人の德澤、其れ大なるかな。吾が先考、方圓齋の鍼法なるや、悉く素難を祖述して諸家を憲章し、經濟の功頗る多し。自ら臨淵子と號す。曾て謂えらく、用鍼の道は氣を以て主と為(す)、と。夫れ輪扁の齊の桓に説くが如し。之を心に得て手に應じ、疾ならず徐ならざるは、數の其の間に存する有り。是れ傳授の心法を言うなり。能く其の邪正を調え、其の剛柔を和し、

  一ウラ

其の血氣を導くを以て要と為(す)。不佞行い餘力有るの日、詳らかに遺法を類し、宏く採り約して求め、釐(おさ)めて編を為し、命(な)づけて鍼科發揮と曰う。以て門弟子をして熟讀して其の階梯を知らしむるなり。

旹(とき) 維(こ)れ元禄戊辰 冬十月日 毉官 柳川清泉識(しる)す


 【注釋】

 ○庖犠‥庖犧。伝説上の古代の帝王。三皇のひとり。はじめて八卦を画き、書契を造る。犧牲を養い庖廚に充てたので、「庖犧」と称する。「伏羲」にもつくる。 ○八卦‥『易經』中の八つの基本となる卦。伏羲氏が作ったとされる。陰と陽の二爻の組み合わせにより成り、三爻で卦を成し、宇宙の構造と物事の変化を象徴する。 ○神農‥伝説上の古代の帝王。三皇のひとり。農業を振興し、百草をなめ、方書をつくり、製薬の創始者とされたので「神農」と称される。 ○眀‥「明」の異体。 ○軒轅‥黄帝の号。三皇のひとり。神農氏に取って代わり、天下の主となる。伏羲→神農→黄帝。 ○制九鍼‥『帝王世紀』などは伏羲が九鍼を制したとするなど、諸説あり。『備急千金要方』序「伏羲氏作、因之而畫八卦、立庖廚、滋味既興、瘵萌起。大聖神農氏憫黎元之多疾、遂嘗百藥以救療之、猶未盡善。黄帝受命、創制九針、與方士岐伯、雷公之倫、備論經脈、旁通問難、詳究義理、以為經論、故後世可得根據而暢焉」。 ○太易‥大易。『周易』の別名。 ○本草‥『(神農)本草經』。 ○眼𩚵‥「𩚵」は「餌」の異体。「眼餌」、未詳。「眼」は「服」の誤字か。「服餌」は丹薬を服用すること。ひろくは薬物を服用すること。 ○方‥方剤。 ○内經‥『黄帝内經』。 ○奥‥奥義。深奥。 ○三墳之書‥伏羲、神農、黄帝の書。漢・孔安國『書經』序「伏羲、神農、黄帝之書、謂之三墳、言大道也」。 ○左袵‥左衽に同じ。衣服の前襟(おくみ)を左前にする。古代の夷狄の服装の特色。異族と同化することの隠喩。 ○侏離‥蠻夷のことば。韓愈『與孟尚書書』「向無孟氏、則皆服左袵而言侏離矣」。 ○德澤‥徳恵恩沢。 ○先考‥今は亡き父。敬語。 ○方圓齋‥柳川靖泉の父。『素問』八正神明論「冩必用方……補必用員(圓)」。 ○祖述‥先人の説を受けつぎ、それをもとにして多少補いながら、研究を進める(学説を述べる)。 ○素難‥『素問』『難經』。 ○憲章‥手本として明らかにする。『禮記』中庸「仲尼祖述堯舜、憲章文武」。 ○經濟‥經世濟民(国をおさめ、人民の生活を豊かにする)。 ○臨淵‥如深淵(深淵に臨むが如し)。行為が慎重であることのたとえ。『素問』寶命全形論「深淺在志、遠近若一、如臨深淵、手如握虎、神無營於衆物」。 ○輪扁‥春秋時代、斉のひと。車輪作りの名人。『莊子』天道「桓公讀書於堂上、輪扁斲輪於堂下、釋椎鑿而上、問桓公曰、敢問公之所讀者何言邪。公曰、聖人之言也。曰、聖人在乎。公曰、已死矣。曰、然則君之所讀者、古人之糟魄已夫。桓公曰、寡人讀書、輪人安得議乎。有説則可、无説則死。輪扁曰、臣也、以臣之事觀之。斲輪、徐則甘而不固、疾則苦而不入。不徐不疾、得之於手而應於心、口不能言、有數存焉於其間。臣不能以喩臣之子、臣之子亦不能受之於臣、是以行年七十而老斲輪。古之人與其不可傳也死矣、然則君之所讀者、古人之糟魄已矣。/桓公、書を堂上に讀む。輪扁、輪を堂下に斲る。椎鑿を釋きて上り、桓公に問いて曰く、敢えて問う、公の讀む所は何の言と爲すや、と。公の曰く、聖人の言なり、と。曰く、聖人在りや、と。公の曰く、已に死せり、と。曰く、然らば則ち君の讀む所は、古人の糟魄なるのみ、と。桓公曰く、寡人の書を讀むに、輪人安くんぞ議するを得んや。説有らば則ち可なり、説无くんば則ち死せん、と。輪扁曰く、臣や、臣の事を以て之を觀るに、輪を斲るに、徐なれば則ち甘くして固からず。疾なれば則ち苦にして入らず。徐ならず疾ならざるは、之を手に得て心に應じ、口に言う能わず。數の其の間に存する有り、臣以て臣の子に喩すこと能わず。臣の子も亦た之を臣より受くること能わず。是を以て行年七十にして老いて輪を斲る。古えの人と其の傳う可からざるものとは死せり。然らば則ち君の讀む所は、古人の糟魄なるのみ、と」。「得之於手而應於心」。福永光司訳「その微妙な秘訣は、ただただ手ごたえでとらえ、心にうなずくだけです」。遠藤哲夫・市川安司訳「手練の中に会得する」、「得之於手」の語釈「腕で覚える」。余説「技術の習得は知識によるものでなく、体験こそ唯一の方法だという」(新釈漢文大系)。 ○齊桓‥春秋時代の齊国の桓公。 ○淂‥「得」の異体。 ○數‥術。法則。 ○心法‥仏教、特に禅宗の用語で、言語・文字によらず弟子に伝授される仏法。儒学では、心を伝え性を養う方法。また伝授される重要な方法。『中庸章句』「此篇乃孔門傳授心法」。 一ウラ ○不佞‥不才。自己を謙遜していう。 ○宏‥原文はウ冠に「尤」。異体。 ○門弟子‥門弟と同じ。『論語』泰伯「曾子有疾、召門弟子曰……」。 ○階梯‥はしご。より高い段階に達するための手引き。 ○旹‥「時」の異体。 ○元禄戊辰‥元禄元(一六八八)年。 ○柳川清泉‥「『良医名鑑』[一七一三刊]によれば、柳川靖泉は、山脇玄心[一五九七~一六七八]の門人で、大准后御医として法橋に叙せられている(本書卷頭では法眼)」(『臨床実践鍼灸流儀書集成』卷二、解説)。京都のひと。

  

   書末に「寛政丁巳(九/一七九七)秋九月蕉亭主人寫」とある。また、識語に「此書卷文係/棕軒謙德君筆遺宜祕藏/也」「癸酉(明治六/一八七三)三月廿七日 森立之」とある。備後福山藩五代藩主、阿部正精(まさきよ)(安永三/一七七四年~文政九/一八二六年)、号は蕉亭、棕軒など。諡は謙德院滿譽清高良節。老中をつとめた。森立之(文化四/一八〇七年~明治十八/一八八五年)、字は立夫。号は養竹、枳園など。江戸末期の考証学者で、福山藩医。

   『(方圓心法)鍼科發揮』は、『臨床実践鍼灸流儀書集成』卷二にも収められる。その解説に、「奈須恒徳の旧蔵にかかることが森立之の明治六年[一八七三]の識語から分かる」とあるが、これは「棕軒謙德」の誤読によるか。

  

  ****************************************

鍼科發揮の自序


庖犧(ふつき)、八卦を畫(えが)きて陰陽の道著(あらわ)る。

【意訳】(三皇のひとりである)庖犠(庖犧・伏羲)がはじめて八卦を画(えが)いた。これによって陰陽の道理があきらかになった。

神農、百草を嘗めて毒藥の品明らかなり。

【意訳】(三皇のひとりである)神農があらゆる植物などを味わって,薬物の種類があきらかになった。

軒轅、九鍼を制して補瀉の法備わる。

【意訳】(三皇のひとりである)軒轅黄帝が九種類の鍼具を作成して,補瀉の手法が完備した。

故に太易を讀みて以て變化の妙に通じ、本草を讀みて以て眼(服)餌の方を處し、内經を讀みて以て鍼刺の奥を究む。

【意訳】よって(陰陽・八卦が述べてある)『易経』を読むことによって万物の微妙な変化に通暁できるようになり,(薬物が述べてある)『本草経』を読むことによって服薬の処方を提供でき,(鍼とその手法が述べてある)『黄帝内経』を読むことによって,鍼刺の奥義を究めることができるようになった。

嗚呼(ああ)、三墳の書微(な)かりせば、則ち後世の醫者、皆な左袵に服して、言、侏離せん。

【意訳】ああ,もしこの三皇の書籍がなかったら,後世の医者は,原始的な低いレベルの医術にとどまっていたであろう。

聖人の德澤、其れ大なるかな。

【意訳】これら聖人の恩恵の,なんと大きいことか。

吾が先考、方圓齋の鍼法なるや、悉く素難を祖述して諸家を憲章し、經濟の功頗る多し。

【意訳】わたくしの亡き父君,方円斎の鍼法は,すべて『素問』と『難経』を継承して,多くの先学を手本としていて,ひとびとを病から救済した功績は非常に多とするものがある。

自ら臨淵子と號す。

【意訳】自分のことを(おそらく『素問』宝命全形論の「如臨深淵」にちなんで)臨淵子と称した。

曾て謂えらく、用鍼の道は氣を以て主と為(し)、夫れ輪扁の齊の桓に説くが如し、

【意訳】以前,つぎのように言われたことがある。「鍼を用いる道は,気を主体とするものであり,車輪作りの名人の輪扁が斉の桓公に(書物は実際には役に立たない,と)言った通りであり,

之を心に得て手に應じ、疾ならず徐ならざるは、數の其の間に存する有り、と。

【意訳】(技は)体得してそれに応じて手が自在に動き,早すぎず,遅すぎず,その間に法則が存在する」と。

是れ傳授の心法を言うなり。

【意訳】これは,口頭や文章によらない弟子への伝授法を言っているのである。

能く其の邪正を調え、其の剛柔を和し、其の血氣を導くを以て要と為(す)。

【意訳】邪気の実,正気の虚を調整し,その剛柔(陰陽)を調和させ,その血気のめぐりをよくすることを治療の要点とする。

不佞行い餘力有るの日、詳らかに遺法を類し、宏く採り約して求め、釐(おさ)めて編を為し、命(な)づけて鍼科發揮と曰う。

【意訳】わたくしは,仕事をしながら,なお力が余っている日に,父君が遺された鍼法などを分類し,また広範囲に関連書を採集して要約し,編集作業をおこなった。そして出来上がった書籍に『鍼科発揮』と名前をつけた。

以て門弟子をして熟讀して其の階梯を知らしむるなり。

【意訳】これによって門人が熟読して,より高い段階に達するための手引きがあることを知らせた。

旹(とき) 維(こ)れ元禄戊辰 冬十月日 毉官 柳川清泉識(しる)す

【意訳】元禄元(1688)年,冬十月 御医 柳川清泉 しるす


0 件のコメント:

コメントを投稿