2026年8月10日月曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集2-1 扁鵲新流鍼書

 2-1 扁鵲新流鍼書  越齋壽閑撰

    杏雨書屋所蔵(研一七八三)

    『扁鵲新鍼書』(京都大学附属図書館所蔵、七/〇二/へ二、『古典全書』二所収。以下、京大本という)を主な校勘資料とする。判読に自信なき文字多し。

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00019890 扁鵲新流鍼書 不分卷(七/〇二/へ二)

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005009 扁鵲新流鍼書 (ヘ/12)

     


  (跋)

今此扁鵲新流書者奥州九部住人越齋壽閑

ト云者依得玅針應望以為傳授竟然則以五

鍼平愈五臟病疾事更以非私儀𥨱以漢土三皇 〔𥨱‥竊の異体〕

之代初神農氏從作㚑枢經以來注多諸醫   〔㚑‥靈の異体〕

針術无逾秦越人王扁鵲之傳又於本朝奈良

都聖武御宇自天平之比至于今雖有家々

鍼書數多慥説稀也故予拾加俗解難經之

井滎兪經合陰募陽兪旨參考鍼灸捷

經之祖以明堂經上下記穴法無疑難様以銅人

  ウラ

形具明之為殘乎世雖然後明良醫刪誤有取

摘者猶是可矣

旹慶長拾二丁未霜月吉辰   〔この行一字擡頭〕


  【訓み下し】

今ま此の扁鵲新流書なる者は、奥州九部の住人、越齋壽閑と云う者、玅針を得るに依りて、望みに應じて以て傳授を為す。竟然として則ち五鍼を以て五臟の病疾を平愈す。事更ら以て私儀に非ず。竊(ひそ)かに以(おも)んみるに漢土三皇の代、初めて神農氏從りて靈樞經を作りて以來、注多く、諸醫の針術、秦越人王扁鵲の傳を逾(こ)ゆること無く、又た本朝、奈良の都に於いて、聖武御宇天平の比(ころ)自り、今に至るまで、家々の鍼書數多(あまた)有りと雖も、慥(たし)かなる説は稀(まれ)なり。故に予は俗解難經の井滎兪經合、陰募陽兪の旨を拾いて加え、鍼灸捷經の祖、明堂經上下を以て參考とし、穴法を記すに疑難無き様に、銅人

  ウラ

形を以て、具(つぶ)さに之を明らかにす。世に殘さんが為なり。然りと雖も、後の明良なる醫、誤りを删り、取りて摘む者有らば、猶お是れ可なり。

旹(とき)に慶長拾二丁未霜月吉辰


 【注釋】

 ○此‥「比」にも見えるが、意味の上から「此」とした。 ○九部‥「くのへ」と読み、現在の岩手県九戸郡一帯のことか。かつて奥州糠部(ぬかのぶ)郡(青森県東部から岩手県北部)に九部四門(「四門九戸」)の制がしかれていた。 ○越齋壽閑ト云者‥「ト」はほかにカナが見あたらないので漢字で、名前の一部である可能性もあるが、下に「云」字があるので漢文としては不自然に思えるのでカナと解した。越齋壽閑は未詳。 ○玅‥「妙」の異体。 ○應望‥京大本は「懇望」につくる。 ○竟然‥意外にも。 ○私儀‥「私議」。内密に議論する。自分勝手な意見。 ○𥨱‥「竊」の異体。 ○漢土‥からくに。中国。 ○三皇‥中国古代の伝説上の、理想的な三人の君主。伏羲・神農・黄帝、または伏羲・神農・女媧など、諸説あり。 ○神農氏‥上古の帝。農業・製薬などの創始者とされる。九鍼にかかわる説話は各書に見られるが、『靈樞經』に関する伝説は未詳。 ○无‥「無」の異体。 ○秦越人王扁鵲‥春秋戦国時代の名医。姓は秦、名は越人。「王」の読みに自信なし。扁鵲はのちに薬王とも称された。 ○傳‥伝承。(『靈樞』の)注。『難經』。 ○本朝‥日本。 ○聖武‥大宝元(七〇一)年~天平勝宝八(七五六)年。奈良時代の第四十五代天皇。 ○御宇‥(天子などが治めている)御代。治世。神亀元(七二四)年~天平感宝元(七四九)年。 ○慥‥日本語用法。 ○俗解難經‥明の熊宗立『勿聽子俗解八十一難經』。 ○陰募‥募穴。胸腹部にあり、各経脈の陰気の集まるところ。 ○陽兪‥背部兪穴。手少陰の膻中(募穴)と心兪のように、募穴と表裏をなす。 ○捷經‥「捷徑」か。近道。 ○明堂經上下‥『太平聖惠方』卷九十九、一百を指すか。『鍼灸資生經』の引用文を指すか。 ○無疑難様‥京大本は「様」を「經」につくる。それによれば、「疑い無く、難經は、銅人形を以て具さに之を明らかにす」。 ウラ ○為殘乎世‥京大本は「為殘手也」につくる。これによれば「手に殘す為なり」。 ○摘者猶是‥京大本は「摘指且又」につくる。これによれば「取りて指に摘むもの有らば、且つ又た」。 ○旹‥「時」の異体。 ○慶長拾二丁未‥一六〇七年。 ○霜月‥旧暦十一月。 ○吉辰‥良い日。吉日。


****************************************

今ま此の〔ヘ/12は「抑(そもそも)」〕扁鵲新流書なる者は、奥州九部の住人、越齋壽閑と云う者、玅針を得るに依りて、望みに應じて以て傳授を為す。

 【意訳】この『扁鵲新流書』という書物は,奥州九部(くのへ)に住んでいる,越斎寿閑というひとが,精妙な鍼法を取得したことによって,(他のひとの)望みの応じて伝授したものである。

竟然として則ち五鍼を以て五臟の病疾を平愈す。

 【意訳】あろうことか,五鍼によって五臟の疾病を治療することができる。

事更ら以て私儀に非ず。

 【意訳】(この跋を書いているわたくしが思うに,)格別に自分勝手な意見ではない。

竊(ひそ)かに以(おも)んみるに漢土三皇の代、初めて神農氏從りて靈樞經を作りて以來、注多く、諸醫の針術、秦越人王扁鵲の傳を逾(こ)ゆること無く、又た本朝、奈良の都に於いて、聖武御宇天平の比(ころ)自り、今に至るまで、家々の鍼書數多(あまた)有りと雖も、慥(たし)かなる説は稀(まれ)なり。

 【意訳】わたくしが考察してみるに,もろこしの三人の帝の時代,最初に神農が『霊枢経』を作成して以来,注釈も多くつくられたが,多くの医者の鍼術は,秦越人王扁鵲が伝えたものを越えて優れたものはない。また我が国では,奈良の都に聖武天皇がしろしめした天平の時代から現在に至るまで,各流派の鍼書がたくさんあるとはいえ,信頼できる説はほとんどない。

故に予は俗解難經の井滎兪經合、陰募陽兪の旨を拾いて加え、鍼灸捷經の祖、明堂經上下を以て參考とし、穴法を記すに疑難無き様に、銅人形を以て、具(つぶ)さに之を明らかにす。

 【意訳】そこでわたくしは,明・熊宗立の『勿聴子俗解八十一難経』にある,井滎兪経合や腹部の募穴・背部兪穴についての論旨を収集して加え,また鍼灸の近道のおおもとである,『明堂経』上下巻を参考にして,取穴法を記述する上で,疑問・難解なところがないように,銅人形を使って,詳細に説明する。

  *本書には取穴法の記述はないように思えるので,この跋が本書のみに対するものか疑問である。

世に殘さんが為なり。

 【意訳】後世に残して伝えようとするためである。

然りと雖も、後の明良なる醫、誤りを删り、取りて摘む者有らば、猶お是れ可なり。

 【意訳】そういう考えではあるが,後世に優れた医者が現われて,本書の誤りを削除(訂正)し,取るべきところは採用してくれれば,それはそれで結構なことである。

旹(とき)に慶長拾二丁未霜月吉辰

 【意訳】慶長12年(1607)11月吉日

0 件のコメント:

コメントを投稿