2026年8月6日木曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集1-2 大明琢周鍼法鈔

                       琢周〔伝〕福田道折〔編〕 京大富士川文庫所蔵(タ/七一)

                                https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00004025 45/50コマ目

鍼法一軸跋

凡原鍼家之術上古者以石

開破病矣逮黄帝之時臣有

歧伯稱之天師相問難而内

經作初發九鍼説又秦越人

扁鵲深得素問靈樞旨設爲

問荅述八十一難經榮衞度   〔荅‥「答」の異体〕

數尺寸部位陰陽王相藏府

虚實經絡流注鍼刺兪穴悉

該備矣自此以徃天下針刺

旨瞭然矣本朝亦行于世就

  一ウラ

中予師法鵲主翁者文熟醫

熟日夕取諸家説所着經論   〔着‥「著」の異体〕

發前賢所未發以針刺術救

人民之沉痾無不療故世皆   〔沉‥「沈」の異体〕

謂遇長桑君飲以上池水者

可謂竒矣予幸居隣里聞其

風行師之遊門數稔而相承

家傳學所憾只才踈質鈍而

已予甞治疾不膠陳迹予家   〔甞‥「嘗」の異体〕

有一僕子常鍼所死穴乍殺

鍼所活穴乍甦矣炎皇一日   〔甦‥「蘇」の異体〕

  二オモテ

七十有毒謂也終得不傳妙

術矣壬辰秋之頃予舊里有

老父常患心積苦則以刀傷

如切一醫針而不効後五月

鍼何穴四肢強直反張不知

人事今予見之曰可活因此

針神穴隨手安矣或問古人

所制禁穴二十二神穴其一

也今針而醫疾何乎予答之

曰淬回論孟子謂悉信書則

不如无書二十二穴有可信

  二ウラ

有不可信不可不詳矣前哲

針禁穴愈疾者不遑勝計也

舉其一二爲凡例如魏花佗   〔舉‥「擧」の異体〕

割臆刳腸胃秦張文仲刺腦

戸治頭疼何雖禁穴治疾可

也空黙而去矣自其逮于今

治疾痛如有神矣公之見學

針刺其勤漸久術精微也故

明傳家傳之學因印加而以

授之喜菴云爾

       琢周印


  【訓み下し】

鍼法一軸の跋

凡そ鍼家の術を原(たず)ぬるに、上古は石を以て病を開破す。黄帝の時に逮(およ)びて、臣に歧伯有り。之を天師と稱す。相い問難して内經作る。初めて九鍼の説を發す。又た秦越人扁鵲深く素問靈樞の旨(シ)を得たり。設けて問答を爲して八十一難經を述ぶ。榮衞の度數、尺寸の部位、陰陽の王相、藏府の虚實、經絡の流注、鍼刺の兪穴、悉く該(か)ね備うかな。此れ自り以往(このかた)天下に針刺の旨、瞭然たり。本朝にも亦た世に行わる。

  一ウラ

中ん就く、予が師、法鵲主翁は、文熟し醫熟す。日に夕に諸家の説を取りて著(シル)す所の經論は、前賢の未だ發せざる所を發す。針刺の術を以て人民の沈痾を救い、療せざること無し。故に世皆な謂えらく、長桑君に遇いて飲むに上池の水を以てする者か、と。奇と謂(いい)つ可し。予幸いに隣里に居りて、其の風を聞きて、行きて之を師とす。門に遊ぶこと數稔にして家傳の學を相い承(う)く。憾(うれ)うる所は只だ才踈、質鈍のみ。予嘗て疾を治するに陳迹に膠(かかわ)らず。予が家、一僕子有り。常に死する所の穴に鍼して、乍(たちま)ちに殺し、活する所の穴に鍼して、乍ちに甦(よみがえ)らす。炎皇一日

  二オモテ

七十有毒の謂(いい)か。終(つい)に不傳の妙術を得たり。壬辰の秋の頃、予が舊里に老父有り。常に心積を患う。苦しむときは〔則ち〕刀傷を以て切るが如し。一醫、針して效あらず。後五月、何の穴に鍼するや、四肢強直反張して人事を知らず。今ま予、之を見て曰く「活す可し」。此に因って神穴に針して、手に隨いて安し。或るひと問う、「古人の制する所の禁穴二十二にして、神穴其の一なり。今ま針して疾を醫(いや)す。何(なん)ぞや」。予〔之に〕答えて曰く「『淬回(そかい)論』に、孟子の謂(いわ)く、悉く書を信ぜば、〔則ち〕書无(な)きには如(し)かず、と。二十二穴、信ず可き有り、

  二ウラ

信ず可からざる有り。詳らかにせずんばある可からず。前哲禁穴に針して疾を愈す者、勝(あ)げて計(かぞ)うるに遑(いとま)あらず。其の一二を舉げて凡例と爲(す)。魏の花佗が臆を割き腸胃を刳し、秦の張文仲が腦戸に刺して頭疼を治するが如し。何ぞ禁穴と雖も疾を治せば可なり」。空しく黙して去る。其れ自り今に逮(およ)びて疾痛を治するに神有るが如し。公の針刺を學ぶを見るに、其の勤め漸く久し。術、精微なり。故に明の傳、家傳の學、因って印加して以て之を喜菴に授くと爾云(しかいう)

       琢周印


【注釋】 ○天師‥『素問』上古天真論「廼問於天師」。王冰注「天師、歧伯也」。 ○荅‥「答」の異体。 ○王相‥陰陽家は王(旺盛)、相(強壮)、胎(孕育)、没(没落)、死(死亡)、囚(禁錮)、廃(廃棄)、休(休退)の八字と五行、四時、八卦などをたがいに組み合わせて、事物の消長交代をあらわす。五行用事を王とし、王が生ずるものを相として、物がその時を得ることをあらわす。 ○本朝‥我が国。日本。 一ウラ ○法鵲主翁‥ ○日夕‥日夜。昼も夜も。 ○着‥「著」の異体。 ○賢‥左訓「カシコシ」。 ○沉痾‥久しく治らない疾病。重病、宿疾。「沉」は「沈」の異体。「痾」の左訓「ヤマイ」。 ○長桑君‥扁鵲の師。『史記索隱』「隱者、葢神人」。扁鵲傳「(長桑君)乃出其懷中藥予扁鵲。飮是以上池之水、三十日、當知物」。 ○可謂‥「謂」に「ツ」の添え仮名あり。 ○聞風‥うわさを聞く。「風」は、情報。風聞。 ○遊門‥遊学。入門してまなぶ。 ○稔‥年。 ○相承‥継承する。 ○家傳學‥家の中で代々伝えられている学業。 ○憾‥心に不満を感じる。添え仮名「ル」。 ○才‥才能。 ○踈‥疎。疏。拙劣。 ○質‥資質。天性。生まれつき。 ○鈍‥おろか。愚鈍。 ○膠‥膠着する。拘泥する。添え仮名「ラ」。15-2兪穴便覽にある振り仮名により訓んだ。 ○陳迹‥陳跡。古い前人が遺した事物、成果。 ○僕子‥童僕。 ○甦‥「蘇」の異体。蘇醒する。 ○炎皇‥炎帝神農。『淮南子』脩務訓「神農……嘗百草之滋味、水泉之甘苦、令民知所辟就。當此之時、一日而遇七十毒」。王履『醫經溯洄集』神農嘗百草論「淮南子云、神農嘗百草、一日七十毒」。 二オモテ ○壬辰‥承応元(一六五二)年か。『大明琢周鍼法一軸』は延宝七(一六七九)年序刊。 ○心積‥胃痙攣のような症状か。 ○五月‥あるいは「五日」の誤りか。 ○反張‥本書卷上・一ウラ「角弓反張 角弓ハ面ヲウツムキタヲレ、反張ハアヲノヒテタヲル、皆癲疾ナリ」。 ○不知人事‥人事不省。 ○神穴‥未詳。下文にいう「禁穴二十二」(本書では具体的には言及されない)のうちの一穴であるならば、神闕か。本書の任脈には神闕の記載がない。本書の督脈に「神當穴(神庭)」があり、「針ヲイムトイヘトモ琢周口傳アリ……」とある。 ○隨手‥ただちに。 ○古人所制禁穴二十二‥明・高武『鍼灸聚英發揮』卷七・禁鍼穴歌「禁鍼穴道要先明、腦戸顖會及神庭、絡却玉枕角孫穴、顱顖承泣隨承靈、神道靈臺膻中忌、水分神闕并會陰、横骨氣衝手五里、箕門承筋并青靈、更加臂上三陽絡、二十二穴不可鍼」。 

    〔禁穴二十二:『鍼灸大全』禁鍼穴歌:「禁鍼穴道要先明,腦戶顖會及神庭。絡卻玉枕角孫穴,顱顖承泣隨承靈。神道靈臺膻中忌,水分神闕並會陰。橫骨氣衝手五里,箕門承筋及青靈。更加臂上三陽絡,二十二穴不可鍼。……」。『鍼灸聚英』と『古今医統大全』の禁鍼穴歌:「及」を「幷」に作る以外は,同文。〕

  ○醫‥添え仮名「ス」。「いス」か。いま、「いやす」と訓んでおく。 ○淬回論‥『醫經溯洄集』神農嘗百草論に「孟子所謂……」とある。 ○孟子謂‥『孟子』盡心下に見える。 二ウラ ○前哲‥前代の賢人。 ○舉‥「擧」「挙」の異体。 ○凡例‥書のはじめにあげて内容・主旨・編集体例を説明した文章。 ○魏花佗‥『三國志』魏書 方技および『後漢書』方術列傳下の華佗傳を参照。 ○割臆刳腸胃‥『後漢書』華陀傳「因刳破腹背、抽割積聚。若在腸胃、則斷截湔洗」。臆‥むね。 ○秦張文仲‥おそらく、宋・張杲『醫説』鍼灸・鍼愈風眩の「秦鳴鶴爲侍醫。高宗苦風眩、頭重目不能視。武后亦幸災異、逞其志。至是疾甚。召鳴鶴・張文仲診之。鳴鶴曰、風毒上攻、若刺頭出少血、即愈矣。天后自簾中怒曰、此可斬也、天子頭上、豈是試出血處耶。上曰、醫之議病、理不加罪、且吾頭重悶殆不能忍、出血未必不佳。命刺之。鳴鶴刺百會及腦戸、出血。上曰、吾眼明矣。言未畢、后自簾中頂禮拜謝之、曰、此天賜我師也。躬負繒寶、以遺鳴鶴」中の「秦鳴鶴・張文仲」を「秦張文仲」とした誤りに基づくと思われる。あるいは版本の問題か。新旧の『唐書』には、「腦戸」という穴名は見えない。なお『太平御覽』卷七二三・方術部四・醫三、『册府元龜』卷八五九・醫術第二にも同様の文がある。  ○印加‥印可。もと、仏教、特に禅宗で、師僧が、弟子が法を体得したことを証明・認可すること。のちに芸道などで奥義に達したことを認めて免許をさずけること。 ○喜菴‥疋地(匹地)氏。 ○云爾‥語末の助詞。かくのごときのみ、の意味。

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鍼法一軸の跋

【意訳】『鍼法一軸』の跋文

凡そ鍼家の術を原(たず)ぬるに、上古は石を以て病を開破す。

【意訳】鍼術の源流をさかのぼると,上古の時代では砭石を使用して病のある箇所を切開した。

黄帝の時に逮(およ)びて、臣に歧伯有り。

【意訳】それから黄帝が治めた時代になると,その家臣に岐伯というひとがいた。

之を天師と稱す。

【意訳】(『素問』上古天真論によれば)岐伯のことを天師と言った。

相い問難して内經作る。

【意訳】その黄帝と岐伯が互いに問答をして『黄帝内経』を作った。

初めて九鍼の説を發す。

【意訳】ここに初めて九種類の鍼という説が起こった。

又た秦越人扁鵲深く素問靈樞の旨(シ)を得たり。

【意訳】また秦越人扁鵲が『素問』『霊枢』の奥旨を習得した。

設けて問答を爲して八十一難經を述ぶ。

【意訳】そして問答を設定して,『黄帝八十一難経』を述作した。

榮衞の度數、尺寸の部位、陰陽の王相、藏府の虚實、經絡の流注、鍼刺の兪穴、悉く該(か)ね備うかな。

【意訳】『難経』には,衛気と営気が体内を巡る回数,脈診をおこなうときと寸関尺の位置,陰陽の王と相(旺盛・強壮)など,臓腑の虚と実,経脈・絡脈の流れ,鍼を刺すツボなど,すべて完備している。

此れ自り以往(このかた)天下に針刺の旨、瞭然たり。

【意訳】それ以来,全世界に鍼治療の内容が明らかになった。

本朝にも亦た世に行わる。

【意訳】日本においても,一般に行われるようになった。/この跋文は琢周が書いたことになっているので,外国人が日本のことを「本朝」と表現することには,違和感あり。

中ん就く、予が師、法鵲主翁は、文熟し醫熟す。

【意訳】その中で,わたくしの師匠である法鵲主翁は,学問にも医術にも優れていた。

日に夕に諸家の説を取りて著(シル)す所の經論は、前賢の未だ發せざる所を發す。

【意訳】日夜,多くの医家の学説を取り入れて著わした経典に関する所論は,前代の賢者でも明らかにすることができなかった内容を明らかにした。

針刺の術を以て人民の沈痾を救い、療せざること無し。

【意訳】鍼術によって人々を難病・重病から救い,あらゆる病を治療した。

故に世皆な謂えらく、長桑君に遇いて飲むに上池の水を以てする者か、と。

【意訳】そのため,世間の人はみな,かれを「扁鵲に禁方を伝授した長桑君に出会って,扁鵲と同じように上池の水を飲んで,五臓の癥結まで見通せるようになった人か」と思った。

奇と謂(いい)つ可し。

【意訳】素晴らしいとしか言い様がない。

予幸いに隣里に居りて、其の風を聞きて、行きて之を師とす。

【意訳】私は幸運にも近いところに住んでいたので,そのうわさを耳にして,訪ねていって弟子入りした。

門に遊ぶこと數稔にして家傳の學を相い承(う)く。

【意訳】入門してから数年学んだのち,先生の家伝の医学を継承した。

憾(うれ)うる所は只だ才踈、質鈍のみ。

【意訳】遺憾に思うことは,自分に才能がとぼしく,愚鈍であることだけである。

予嘗て疾を治するに陳迹に膠(かかわ)らず。

【意訳】わたしは常に(嘗=常)疾病を治療するときに,過去の治療成果に拘泥することはなかった。

予が家、一僕子有り。

【意訳】我が家に,召使い(奴隷)の少年が一人いた。

常に死する所の穴に鍼して、乍(たちま)ちに殺し、活する所の穴に鍼して、乍ちに甦(よみがえ)らす。

【意訳】その家僮にそこに鍼をしたら死ぬと言われている穴に鍼をして,瞬時に人事不省に陥らせ,生き返らせることができると言われている穴に鍼をして,瞬時に蘇生させた。

炎皇一日七十有毒の謂(いい)か。

【意訳】これは,神農が人民のために,多数の草木を味見して,体に有益なものと有毒のものを調べて,一日に70回も毒に当たったというのと同じ意味合いだろうか。

終(つい)に不傳の妙術を得たり。

【意訳】とうとう,伝え習えないような秘術を習得した。

壬辰の秋の頃、予が舊里に老父有り。

【意訳】承応元年(1652)?の秋頃,私の郷里にお年を召した方がいらした(老父=老人に対する尊称)。

常に心積を患う。

【意訳】いつも心積を患っていた。

    (心積:病名。五積之一。因其積自臍上至心下,伏而不動,其大如臂,狀如屋舍棟樑,故名。《難經.五十六難》:「心之積,名曰伏梁。起臍上,大如臂,上至心下,久不愈,令人病煩心。」)

苦しむときは〔則ち〕刀傷を以て切るが如し。

【意訳】苦しいときは,刀で身を切られるように激しい痛みを感じた

一醫、針して效あらず。

【意訳】ある医者が鍼治療をしたが,効果がなかった。

後五月、何の穴に鍼するや、四肢強直反張して人事を知らず。

【意訳】それから五ヶ月ほどたち,その医者がどのツボに鍼を刺したのだろうか,手足が硬直し,海老反りのようになって,意識を失った。

今ま予、之を見て曰く「活(いか)す可し」。此に因って神穴に針して、手に隨いて安し。

【意訳】そこで私はこの状態をみて,「蘇生させることができる」といった。そこで神穴に鍼を刺すと,すぐさま安泰な状態になった。

    〔神穴:未詳。本書にはこの穴なし。なお,似た名前では「神当穴(前髪際入五分)」がある。〕

或るひと問う、「古人の制する所の禁穴二十二にして、神穴其の一なり。今ま針して疾を醫(いや)す。何(なん)ぞや」。

【意訳】ある人の質問:「古人が制定した禁穴は二十二個であって,神穴はその一つである。ところがいま,そこに鍼をして病を治した。どういうことか?」

    〔禁穴二十二:『鍼灸大全』禁鍼穴歌:「禁鍼穴道要先明,腦戶顖會及神庭。絡卻玉枕角孫穴,顱顖承泣隨承靈。神道靈臺膻中忌,水分神闕並會陰。橫骨氣衝手五里,箕門承筋及青靈。更加臂上三陽絡,二十二穴不可鍼。……」。『鍼灸聚英』と『古今医統大全』の禁鍼穴歌:「及」を「幷」に作る以外は,同文。〕

予〔之に〕答えて曰く

【意訳】私のこれに対する回答:

「『淬回(そかい)論』に、孟子の謂(いわ)く、悉く書を信ぜば、〔則ち〕書无(な)きには如(し)かず、と。

【意訳】「王履(1332--1391)『医経溯洄集』神農嘗百草論に,〈孟子は,書物に書いてあることすべてを無批判にそのまま本当だと思って信用するのであれば,書物などないほうがましである/読まない方が良い〉と『孟子』尽心下の言葉を引用している。

二十二穴、信ず可き有り、信ず可からざる有り。

【意訳】そういうわけで,二十二穴の中には,信用できる穴もあれば,信用できない穴もある。

詳らかにせずんばある可からず。

【意訳】詳細に是非とも検討すべきである。

前哲 禁穴に針して疾を愈す者、勝(あ)げて計(かぞ)うるに遑(いとま)あらず。

【意訳】昔の優れたひとで,禁穴に鍼をして病を癒やしたひとは,数え切れないほどいる。

其の一二を舉げて凡例と爲(す)。

【意訳】その例をひとりふたり挙げて,全体の代表とする。

魏の花佗が臆を割き腸胃を刳し、秦の張文仲が腦戸に刺して頭疼を治するが如し。

【意訳】たとえば,三国魏の華佗が胸部や腸胃を切開したり,秦の張文仲(唐の秦鳴鶴)が脳戸穴(禁鍼穴)に刺して,皇帝の頭痛を治したようなものである。

    〔『後漢書』方術列傳下:「若疾發結於內,針藥所不能及者,乃令先以酒服麻沸散,既醉無所覺,因刳破腹背,抽割積聚。若在腸胃,則斷截湔洗,除去疾穢,既而縫合,傅以神膏,四五日創愈,一月之閒皆平復」。『三國志』方技傳:「若病結積在內,針藥所不能及,當須刳割者,便飲其麻沸散,須臾便如醉死無所知,因破取。病若在腸中,便斷腸湔洗,縫腹膏摩,四五日差,不痛,人亦不自寤,一月之間,即平復矣」〕

    〔南宋・張杲『医説』鍼灸・鍼愈風眩:「秦鳴鶴爲侍醫。高宗苦風眩、頭重目不能視。武后亦幸災異、逞其志。至是疾甚。召鳴鶴・張文仲診之。鳴鶴曰:風毒上攻、若刺頭出少血、即愈矣。天后自簾中怒曰:此可斬也、天子頭上、豈是試出血處耶。上曰:醫之議病、理不加罪、且吾頭重悶殆不能忍、出血未必不佳。命刺之。鳴鶴刺百會及腦戸、出血。上曰:吾眼明矣。言未畢、后自簾中頂禮拜謝之、曰:此天賜我師也。躬負繒寶、以遺鳴鶴。」中の「秦鳴鶴・張文仲」を「秦張文仲」とした誤りに基づくと思われる。」〕

    https://daikei.blogspot.com/2012/01/  『醫説』鍼灸 關聯史料集成 8 鍼愈風眩を参照。

何ぞ禁穴と雖も疾を治(ち)せば可なり」。

【意訳】禁穴であっても,病気を治すことができるのであれば,どうして禁止するいわれがあろうか」。以上のように回答した。

空しく黙して去る。

【意訳】そのひとは,何も言わずに去って行った。

其れ自り今に逮(およ)びて疾痛を治するに神有るが如し。

【意訳】それ以来,今にいたるまで,疾病疼痛を治療すると,信じられないほどの効果が得られた。

公の針刺を學ぶを見るに、其の勤め漸(ようや)く久し。

【意訳】疋地喜庵が鍼術を学習する態度を観察していると,その勤勉さは十分長い時間にわたっている。

術、精微なり。

【意訳】その鍼の技術は,精緻である。

故に明の傳、家傳の學、因って印加して以て之を喜菴に授くと爾云(しかいう)

【意訳】したがって,大明国からの伝承,我が家に伝わっていた学術を印可(武道・芸道などで、極意を得た者に与える許し。免許)して,疋地喜庵に授ける。

       琢周印

【意訳】サイン:琢周(捺印)


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  以下は、漢字カナ交じり文。カタカナをひらがなに変える。振り仮名は原文にしたがう。振り仮名をひらがなで表記した部分は、推定。送りがなを補う。適宜、句読点、濁点を打つ。


琢周針法抄跋

【意訳】『琢周鍼法抄(解説)』の跋文

此の書者(は)、琢周が針法とばかり思(ヲモ)ふべからず。

【意訳】この書物のことを,単なる琢周の流派の鍼法書と思い込んではいけない。

何(イヅ)れの流(リウ)にも用ゆべし。

【意訳】琢周流に限らず,どの鍼の流派でも用いるべきである。

何れの流とは、打針(ウチハリ)管(クダ)針捻(ヒ子リ)針などの類なり。

【意訳】どの流派とは,打鍼流・管鍼流・撚鍼流などのたぐいをいう。

それには鎚(ツチ)を用ゐ、或いは管(クタ)を用ゐ、或いはひねりさす。

【意訳】それらは,小槌を使ったり,管を使って鍼を刺したり,捻って刺し入れたりする。

琢周が傳には、唯(タヽ)何(ナニ)となく、按手(ヲシテ)を輕々(カルカル)としてさし入る計(ハカリ)なり。

【意訳】琢周流の家伝では,ただ何をするでもなく,押手を軽快にして刺し入れるだけである。

  〔計:ばかり。範囲を限定する意を表す。…だけ。…のみ〕

此の針法の妙は、内經に曰く、藏病は治(ぢ)し難く、府病は治し易し、と。

【意訳】この鍼法の素晴らしいところは,『黄帝内経』に「臓の病は治すのが難しく,腑の病は治しやすい」とある。

  〔『難經』五十四難曰:藏病難治,府病易治,何謂也?〕

此の要を悟っての故に藏の經穴は五穴に過(スキ)ず、專ら府の經穴を用ゆ。

【意訳】この要点をはっきり理解しているため,用いる五臓の経穴は五(兪)穴に過ぎず,主として腑の経穴を用いる。

但し陰症を陽分へ引出して治する則(とき)は、治(チ)し易(ヤスシ)。是れ此の針法の妙なり。

【意訳】ただ,陰の症状を陽の部分に引き出して治療すると,治療がしやすい。これが琢周流鍼法の素晴らしいところである。

  〔『素問』陰陽應象大論(05):「故善用鍼者,從陰引陽,從陽引陰……」〕

上古は、九針とて九種の針を用ゆ。

【意訳】上古の時代には,九鍼といって,9種類の鍼を使用した。

上古の人は、形体(ケイテイ)剛強(カウキヤウ)なるが故なり。

【意訳】上古の人達は,からだが頑強だったからである。

今代(コンタイ)の人は然(シカ)らず。故に專ら微(ヒ)針を用ゐるなり。

【意訳】現代人は,そのように頑強な体ではない。そのためひたすら微鍼を使用するのである。

琢周は其(ソノ)九針の中の員利針(エンリシン)を用ゆ。

【意訳】これに対して,琢周は九鍼の中の一つ,員利鍼を使用する。

員利針は尖(トカ)り毫(ケフ)の如く員(マトカ)に且つ利(トシ)。

【意訳】員利鍼は,尖端が細く尖った毛のようで,丸みを帯びてその上鋭い。

    〔『靈樞』九針十二原(01):「員利鍼者,大如釐,且員且銳,中身微大,以取暴氣」。〕

    〔『古今醫統大全』巻7・鍼灸直指・九鍼図:「員利鍼(尖如毫,且員且利,中身微大,長一寸六分。調陰陽,去暴痹,飛經走氣,今之醫常用之是也。)」〕

中身少(スコ)し大にして、長さ一寸六分、陰陽(インヤウ)を調(トヽノ)え暴痺飛經走氣を去ると云ふ。

【意訳】鍼体の中央が少しばかり大きく,長さは一寸六分である。陰陽を調和し,暴痺を去って,経を飛ばし気を走らす,という。

此の針に專ら鉄(テツ)を用ゆ。

【意訳】この鍼には主として鉄製のものが用いられる。

腹中にてきれたるとき消しやすき故なり。

【意訳】腹部に刺して,折れた場合,溶けてなくなりやすいためである。

琢周 本朝へ來たること、慶長年中なり。

【意訳】琢周が来日したのは,慶長(1596年10月27日~1615年07月13日)年間である。

彼が門人と成る者、紀(キ)州熊野(クマノ)の住、雲(ウン)州松江(マツエ)の住、是なり。

【意訳】琢周の門下生となったのは,紀伊国熊野の住人と出雲国松江の住人がそうである。

然して琢周、痢病(リヒヤウ)を患(ウレヒ)て程なく死す。

【意訳】しかし琢周は,痢疾に感染して,あまり時間がたたないうちに亡くなった。

故に 日域(シチイキ)に名を發(ハツ)せず。此の針法を用ゐるに、其の効(シルシ)、神(シン)の如し。

【意訳】そのために日本全体には名声は広まらなかった。しかし,この鍼法を用いると,その効果は不思議なくらい素晴らしかった。

故に此の書秘(ヒ)して他(タ)に傳(ツタ)えず。

【意訳】そのため,本書は秘匿されて,他人には伝えなかった。

度々(トヽ)板(ハン)に開(ヒラカ)ん事を望(ノソミ)て剞劂(キケツ)氏下(クタル)といへども難(カタ)く秘して猶(ナヲ)出さず。

【意訳】たびたび出版することを希望して,出版業者がやってきたが,きびしく公開を拒んで世に出さなかった。

予今思ふに醫(イ)は仁道なり。

【意訳】私が,今になって考えるに,医道は仁術である。

板に開いて此の針法を用ゐば、天下の民を救(スクハ)ん。

【意訳】出版してこの鍼法が広く用いられるようになれば,天下の病気で苦しんでいる民衆を救うことができよう。

然らば大なる功ならんとなり

【意訳】そうなれば,大きな手柄となるであろう。


 【注釋】

 ○内經曰‥『難經』五十四難。 ○員利針は‥以下の説明は、徐春甫『古今醫統大全』卷七・鍼灸直指・九鍼圖によるか。そうであれば、「暴痺を去り、飛經走氣す」と読むべきか。なお額田文庫所蔵の和刻本『古今醫統大全』の訓点は本書と同じ。「飛經走氣」に関しては、金鍼賦などを参照。經氣をめぐらす刺法。 ○慶長‥一五九六年~一六一五年。 ○日域‥じちいき。日本の異名。 ○剞劂氏‥刻工。広くは印刷出版業者。書商。


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