2026年8月20日木曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集5-6 兪穴捷徑

 5-6 兪穴捷徑  小坂元祐撰

    京大富士川文庫所蔵(ユ/一)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005526

 

兪穴捷徑序

盖人身三百六十五穴定之以尺寸求之以肉 〔盖‥「蓋」の異体〕

郄骨間脉動是自易易者爾然而甲乙以降諸

家紛綸無有確説矧肥瘠修短其異如面一痏

之鍼一丸之艾生命之所繫為其學不亦難乎

龜山醫員小坂元祐受業於家君之門覃思研

精殆二十年矣頃者倣于天聖之舊式手製偶

人點誌兪穴且著斯編以並行焉盖其用志也

  一ウラ

勤矣一鍼一艾先熟斯編然後施之必無孔穴

乖錯之患耶刈繁而就簡自難而入易寔蒙士

之捷徑也元祐為人忠實誠愨同人推稱長者

寛政癸丑冬十二月

    法眼侍醫兼醫學教諭丹波元簡廉夫譔

      〔印形白字「廉/夫」、「元簡/印」〕


  【訓み下し】

兪穴捷徑の序

蓋し人身三百六十五穴、之を定むるに尺寸を以てし、之を求むるに肉郄骨間脉動を以てす。是れ自ら易易たる者のみ。然り而して甲乙以降の諸家、紛綸として確説有ること無し。矧(いわ)んや肥瘠修短、其の異なること面の如し。一痏の鍼、一丸の艾、生命の繫(か)かる所、其の學を為すに亦た難からずや。龜山醫員小坂元祐、業を家君の門に受け、覃思研精すること、殆ど二十年。頃者(このごろ)、天聖の舊式に倣い、手ずから偶人を製(つく)り、兪穴を點誌す。且つ斯の編を著し、以て並びて行わる。蓋し其の志を用いるや、

  一ウラ

勤めたり。一鍼一艾、先ず斯の編に熟し、然る後に之を施さば、必ず孔穴乖錯の患(うれ)い無からんか。繁を刈りて簡に就かば、難き自りして易きに入る。寔(まこと)に蒙士の捷徑なり。元祐の為人(ひととなり)、忠實誠愨にして、同人、長者に推稱すると云う。

寛政癸丑 冬十二月

    法眼侍醫兼醫學教諭 丹波元簡廉夫譔す


 【注釋】 

 ○盖‥「蓋」の異体。 ○郄‥郤。また「隙」に通ず。 ○易易‥非常に容易なさま。 ○然而‥逆接の接続詞。 ○甲乙‥『鍼灸甲乙經』。二五六年前後なる。もと十卷。のち十二卷。卷三と卷七以降に孔穴に関する論述あり。 ○紛綸‥多く入り乱れたさま。 ○確説‥確実な説。 ○肥瘠‥太っているのと痩せているのと。 ○修短‥(身長の)長いのと短いのと。 ○面‥顔。容貌。 ○痏‥鍼を刺した傷あと。鍼を刺す回数をあらわす助数詞。 ○丸‥ここでは艾を数える助数詞。 ○生命之所繫‥5-1鍼學發矇訓の注を参照。 ○龜山‥丹波亀山藩。 ○醫員‥医療にたずさわる役目の者。藩医。 ○小坂元祐‥名は營昇。号は牛淵。『經穴籑要』自序では「小阪」につくる。 ○家君‥自分の父親。元簡の父、元悳(もとのり)。 ○覃思研精‥深く思考し、綿密に研究する。 ○頃者‥近ごろ。 ○天聖之舊式‥宋の王惟一は天聖五(一〇二三)年、鍼灸銅人を鋳造した。 ○手‥みずからの手で直接に。 ○偶人‥土や木などを材料として製造した人形。デク。鍼灸銅人。 ○點誌‥点を付けて記す。『事物紀原』卷七・伎術醫卜部・明堂「今醫家記鍼灸之穴、為偶人、點誌其處」。張杲『醫説』鍼灸にも引かれる。 ○用志‥用心。心をひとつにして物事にむかう。 一ウラ ○熟‥習熟する。十分になれる。 ○乖錯‥背き誤る。 ○患‥憂い。心配。 ○寔‥「實」に通ず。 ○蒙士‥浅学無知の士。 ○捷徑‥近道。 ○為人‥性格。他人に対する態度。 ○忠實‥忠誠篤実。 ○誠愨‥真誠。誠朴。 ○同人‥同業者。ここでは医者。鍼立て。 ○推稱‥推奨称賛する。 ○長者‥学問徳行にすぐれたひと。 ○寛政癸丑‥寛政五(一七九三)年。 ○法眼‥法印に次ぐ地位。 ○侍醫‥奥医師。御匙となるのは、寛政十一年。 ○醫學教諭‥医学館教諭。教諭は館主を補佐する次官。(重立(おもだつ))世話役。 ○丹波元簡‥多紀元簡(もとやす)。丹波康頼の子孫。一七五五~一八一〇。廉夫は字。号は桂山、櫟窓。 ○譔‥著述。「撰」に通ず。


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兪穴捷徑の序

蓋し人身三百六十五穴、之を定むるに尺寸を以てし、之を求むるに肉郄骨間脉動を以てす。

 【意訳】おおよそ人体には,365の穴があり,その位置を定めるには,何尺何寸という寸法を用い,それを求める場所は,筋肉のすき間・関節・脈の拍動部である。

   ○『素問』氣穴論:「余聞氣穴三百六十五,以應一歲。‥‥凡三百六十五穴,鍼之所由行也。‥‥谿谷三百六十五穴會」。『素問』氣府論:「手足諸魚際脈氣所發者,凡三百六十五穴也」。

是れ自ら易易たる者のみ。

 【意訳】これらは当然非常に容易に確定できるものである。

然り而して甲乙以降の諸家、紛綸として確説有ること無し。

 【意訳】しかしながら『鍼灸甲乙経』以降の医学家では,取穴の説明が多く入り乱れて定説がない。

矧(いわ)んや肥瘠修短、其の異なること面の如し。

 【意訳】ましてや人間には,太った人もやせた人もいるし,背が高い人も背が低い人もいる。それがさまざま異なっていることは,人相が異なっているのと同じである。

一痏の鍼、一丸の艾、生命の繫(か)かる所、其の學を為すに亦た難からずや。

 【意訳】一本の鍼,一つまみのもぐさであっても,生命にかかわるものであり,その穴を学ぶことはなんと難しいことではないか。

龜山醫員小坂元祐、業を家君の門に受け、覃思研精すること、殆ど二十年。

 【意訳】(丹波)亀山藩の藩医である小坂元祐は,わが父(多紀元悳)に入門して,医学を綿密に研究するようになってもう二十年になろうとしている。

頃者(このごろ)、天聖の舊式に倣い、手ずから偶人を製(つく)り、兪穴を點誌す。

 【意訳】最近,宋の天聖年間に鋳造された銅人形にならって,みずから人形を制作し,ツボを書き記した。

且つ斯の編を著し、以て並びて行なわる。

 【意訳】かつまたそれを書物に著わして,両者が世に通行している。

蓋し其の志を用いるや、勤めたり。

 【意訳】思うに,その学問に対して力を尽くしてはげんでいる。

一鍼一艾、先ず斯の編に熟し、然る後に之を施さば、必ず孔穴乖錯の患(うれ)い無からんか。

 【意訳】一本の鍼,一握りのもぐさも,まずこの書物に習熟して,その後に施術するならば,きっとツボの位置を取り違えているのではないか,という心配もなくなるのではなかろうか。

繁を刈りて簡に就かば、難き自りして易きに入る。

 【意訳】繁雑な部分を削除して簡潔なものにしたので,難しいところから容易なところに入れる。

   ○自難而入易:『墨子』親士:「是故君子自難而易彼,衆人自易而難彼」。

寔(まこと)に蒙士の捷徑なり。

 【意訳】実に初心者にとっての近道である。

元祐の為人(ひととなり)、忠實誠愨にして、同人、長者に推稱すると云う。

 【意訳】小坂元祐は,忠誠心が厚い人柄の持ち主である。医療の同業者や学問にすぐれたひとにも推奨したい。

寛政癸丑 冬十二月

 【意訳】寛政五年(1793)冬十二月,

    法眼侍醫兼醫學教諭 丹波元簡廉夫譔す

 【意訳】法眼・御殿医,並びに医学館の教諭(重立(おもだつ)世話役)である丹波氏多紀元簡(もとやす)廉夫が著わした


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自序

素問曰脉之在人身其數十二以應十二經水

兪穴三百六十五以配一歳之數其論尚矣夫

經絡之説素靈昉之皇甫謐孫思邈王燾之輩

施及元明諸家特滑壽十四經發揮專行于世

取經挨穴之徒取繩墨于此遂以為萬世不易

之法也然兪穴之數脱者十有一穴[雙行注‥足太陽膀胱經眉冲督兪氣海

兪關元兪足少陰經廉泉足少陽膽經風市足厥陰肝經急脉督脉中樞印堂鼻交頞中任脉齗碁]今參考諸書  

  二ウラ

補發揮所脱漏之穴然後氣府論所謂氣穴三

百六十五之數始得全矣於是手自製作銅人

施經記穴以與同僚諸君及一二同志且附以

小冊子名曰兪穴捷徑雖未得入其室庶幾乎

得之門是予所志也以為序

寛政癸丑秋      小坂元祐識

  〔印形白字「高印/惟◇」、黒字「德/甫」〕


  【訓み下し】

自序

素問に曰く、脉の人身に在る、其の數十二、以て十二經水に應ず、兪穴三百六十五、以て一歳の數に配す、と。其の論尚(たつと)し。夫れ經絡の説、素靈、之を昉(あき)らかにして、皇甫謐・孫思邈・王燾の輩施(ほどこ)して元明諸家に及ぶ。特に滑壽が十四經發揮、專ら世に行わる。取經挨穴の徒、繩墨を此に取る。遂に以て萬世不易の法と為るなり。然れども兪穴の數、脱する者十有一穴〔雙行注‥足太陽膀胱經の眉冲・督兪・氣海兪・關元兪、足少陰經の廉泉、足少陽膽經の風市、足厥陰肝經の急脉、督脉の中樞・印堂・鼻交頞中、任脉の齗碁〕今ま諸書を參考し、

  二ウラ

發揮、脱漏する所の穴を補い、然して後、氣府論に所謂(いわゆる)氣穴三百六十五の數、始めて全きことを得。是(ここ)に於いて手自(てずか)ら銅人を製作して經を施し穴を記して、以て同僚の諸君及び一二の同志に與う。且つ附するに小册子を以てす。名づけて兪穴捷徑と曰う。未だ其の室に入ることを得ずと雖も、之れが門を得るに庶幾(ちか)からん。是れ予が志す所なり。以て序と為(す)。

寛政癸丑 秋      小坂元祐識(しる)す


 【注釋】 

 ○素問曰‥出所未詳。 ○脉之在人身其數十二以應十二經水‥『靈樞』陰陽清濁「余聞十二經脉、以應十二經水者」。 ○兪穴三百六十五以配一歳之數‥『素問』氣穴論「余聞氣穴三百六十五、以應一歳」。 ○皇甫謐‥魏晋間の著名な医家。二一五~二八二年。原名は靜。字は士安。号は玄晏先生。『鍼灸甲乙經』を撰す。 ○孫思邈‥五四一? ~六八二年? 唐代の医者、道士。『千金方』を撰す。 ○王燾‥六七〇~七五五年。唐代の著明な医家。『外臺秘要方』を撰す。 ○滑壽‥元代の医家。字は伯仁。晩号は攖寧生。『診家樞要』『難經本義』などを撰す。 ○十四經發揮‥滑壽の撰。三卷。一三四一年成書。元・忽泰必列(烈)が撰した『金蘭循經』に注釈と補充を加えた。 ○挨穴‥取穴に同じ。多紀元悳『廣惠濟急方』手三里の取穴法「此(この)穴(けつ)を挨(とる)には……」。馬玄臺『靈樞註證發微』經脈篇・肺經・分寸歌の末尾に「挨穴」という語がみえる。多紀氏が主宰した躋寿館(医学館)での講座名も「取經挨穴」であった。 ○繩墨‥大工が直線を引くための道具。すみなわ。のちに法度、規矩の比喩。 ○萬世不易‥永く時間が経過しても変わらない。百世不易。 ○足太陽膀胱經眉冲‥眉衝。本書十表を参照。 ○督兪‥本書十一丁表を参照。 ○氣海兪‥本書十一丁裏を参照。 ○關元兪‥本書十二丁表を参照。 ○足少陰經廉泉‥本書十七丁裏を参照。 ○足少陽膽經風市‥本書二十二表を参照。 ○足厥陰肝經急脉‥本書二十四丁裏を参照。 ○督脉中樞‥本書二十五丁裏を参照。 ○印堂‥本書二十七丁表を参照。 ○鼻交頞中‥本書二十七丁表を参照。 ○任脉齗碁‥本書二十九丁表を参照。 二ウラ ○氣府論所謂氣穴三百六十五之數‥『素問』氣府論末に「凡三百六十五穴也」とあるが、「氣穴」の語は見えない。先に引用したように氣穴論に「余聞氣穴三百六十五、以應一歳」とある。 ○手自‥みずから。 ○銅人‥鍼灸学習用の人体経穴模型。北宋の王惟一が銅製の経穴人形を鋳造した。 ○未得入其室‥『論語』先進「由也升堂矣、未入於室也」。学問が十分には深いところまでは達していないことの比喩。


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自序

 【意訳】著者による序文

素問に曰く、脉の人身に在る、其の數十二、以て十二經水に應ず、兪穴三百六十五、以て一歳の數に配す、と。

 【意訳】『素問』〔『靈樞』陰陽清濁や『素問』氣穴論〕に次のような記載がある。「人体にある経脈,その数は12であって,十二経水に対応し,ツボ365個は,一年の日数につり合う」。

其の論尚(ひさ)し。

 【意訳】この論は,むかしからのものである。

夫れ經絡の説、素靈、之を昉(あき)らかにして、皇甫謐・孫思邈・王燾の輩施(ほどこ)して元明諸家に及ぶ。

 【意訳】そもそも経絡の説は,『素問』『霊枢』がこれを始めて,皇甫謐・孫思邈・王燾といったひとたちがおこない,元・明の多くの医者におよんでいる。

特に滑壽が十四經發揮、專ら世に行なわる。

 【意訳】その中で,滑寿の『十四経発揮』が特に他を差し置いて世の中に流行している。

取經挨穴の徒、繩墨を此に取る。

 【意訳】経穴を取って治療しているひとたちは,この書を標準としている。

遂に以て萬世不易の法と為るなり。

 【意訳】とうとうあらゆる世代で不変の法則となってしまった。

然れども兪穴の數、脱する者十有一穴。〔雙行注:足太陽膀胱經の眉冲・督兪・氣海兪・關元兪、足少陰經の廉泉、足少陽膽經の風市、足厥陰肝經の急脉、督脉の中樞・印堂・鼻交頞中、任脉の齗碁〕

 【意訳】しかしながらツボの数は(365より)11穴が抜けている。〔(以下の穴である。)足太陽膀胱経の眉衝・督兪・気海兪・関元兪,足少陰(腎)経の廉泉・足少陽胆経の風市,足厥陰肝経の急脈,督脈の中枢・印堂・鼻交頞中,任脈の齗碁(骨空論によれば「齗基」のあやまり)〕

今ま諸書を參考し、發揮、脱漏する所の穴を補い、然して後、氣府論に所謂(いわゆる)氣穴三百六十五の數、始めて全きことを得。

 【意訳】いま多くの本を参考にして,『十四経発揮』が漏らした穴を増補して,その結果,『素問』気府論(59)にいう「気穴三百六十五」〔氣府論:「凡三百六十五穴」〕の数を,こうして初めて補完することができた。

是(ここ)に於いて手自(てずか)ら銅人を製作して經を施し穴を記して、以て同僚の諸君及び一二の同志に與う。

 【意訳】そこで,みずから銅人形を作って経脈の線を引いて経穴を記して,同僚に当たる何人かの人たちと数人の鍼灸を志すひとに寄贈した。

且つ附するに小册子を以てす。

 【意訳】かつまた,この小冊子を付録とした。

名づけて兪穴捷徑と曰う。

 【意訳】本書は,『腧穴捷径(ツボの近道)』と名づけた。

未だ其の室に入ることを得ずと雖も、之れが門を得るに庶幾(ちか)からん。

 【意訳】いまだ学問の奥深いところまでは入ることはできないとしても,初学者の入門程度にはなるだろう。

是れ予が志す所なり。

 【意訳】これは,わたくしの目指すところである。

以て序と為(す)。

 【意訳】このことを記して序文とする。

寛政癸丑 秋      小坂元祐識(しる)す

 【意訳】寛政五年(1793)秋。 小坂元祐が記す


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邃古聖皇之在上也無物而不被其澤矣而其

所最患者則是民之疾苦也是以身親嘗草木

製鍼灸以普濟衆庶於是乎鍼灸藥之方法出

焉嗟乎夫至哉仁也由是觀之非本草素靈何

以知其本非鍼灸藥何以治其疾故後之諸名

醫皆祖述本草素靈以立論製方若夫醫而不

據本草素靈而通鍼灸藥焉得為醫乎予同僚

  三十ウラ

坂元祐家世業醫弱冠而為方伎之學又且刻

意于鍼灸之術於凡經絡兪穴之書無不該覧

今茲秋參考諸書折衷衆説以為一冊子名曰

兪穴捷徑手自製作銅人布經點穴以授蒙士

其意謂非敢馳名求譽庶幾為初學取經挨穴

之一助而已其可不謂勤且力哉梓成維方忻躍

題鄙言於簡末爾

寛政癸丑秋九月

  三十一オモテ

   西龜山醫員岡田維方順益識

    〔印形黒字「號/◇」「岡方/之印」〕


  【訓み下し】

邃古、聖皇の上に在るや、物として其の澤を被らざる無し。而して其の最も患(うれ)うる所の者は、則ち是れ民の疾苦なり。是(ここ)を以て身親(みずか)ら草木を嘗め、鍼灸を製(つく)り、以て普(あまね)く衆庶を濟(すく)う。是(ここ)に於いて鍼灸藥の方法出づ。嗟乎(ああ)、夫(そ)れ至れるかな、仁や。是れ由り之を觀れば、本草素靈に非ずんば、何を以てか其の本を知らん。鍼灸藥に非ずんば何を以てか其の疾を治せん。故に後の諸名醫、皆な本草素靈を祖述して、以て論を立て方を製(つく)る。若(も)し夫れ醫にして本草素靈に據(よ)りて鍼灸藥に通ぜずんば、焉くんぞ醫為(た)るを得んや。予が同僚

  三十ウラ

坂元祐、家世々醫を業とし、弱冠にして方伎の學を為す。又た且つ意を鍼灸の術に刻し、凡そ經絡兪穴の書に於いて該覽せざる無し。今茲の秋、諸書を參考し、衆説を折衷し、以て一册子を為す。名づけて兪穴捷徑と曰う。手自(てずか)ら銅人を製作し、經を布し穴を點じ、以て蒙士に授く。其の意謂は敢えて名を馳せ譽れを求むるに非ず。初學の取經挨穴の一助を為すを庶幾(こいねが)うのみ。其れ勤め且つ力(つと)むと謂わざる可けんや。梓成る。維方忻躍して鄙言を簡末に題するのみ。

寛政癸丑 秋九月

    三十一オモテ

   西龜山醫員 岡田維方順益識す


 【注釋】 

 ○邃古‥「遂古」に同じ。遠い昔。 ○聖皇‥聖なる帝王。 ○無物而不被其澤‥あらゆるものがその恩沢を蒙る。 ○嘗草木製鍼灸‥『太平御覽』卷七百二十一・方術部二・醫一の引く『帝王世紀』には「伏羲氏……嘗味百藥而制九針」「炎帝神農氏……嘗味草木」「黄帝有熊氏……制九針」「(黄)帝使岐伯嘗味草木」などと見える。 ○衆庶‥人民。民衆。 ○於是乎‥順接の接続詞。 ○本草‥『(神農)本草經』。 ○素靈‥『素問』『靈樞』。 ○祖述‥前人の説や行いに従い倣う。 ○若夫‥文頭に置かれる語気詞。~に関しては。順接・逆接、ともにあり。「夫(か)の~若(ごと)きは」とも訓(よ)む。 三十ウラ ○坂元祐‥小坂元祐。「坂」は片名字(片苗氏)で、尊敬をあらわす。 ○家世‥家の者代々。 ○弱冠‥『禮記』曲禮上「二十曰弱冠」。のち、ひろく男子で二十歳前後をいう。 ○方伎‥「方技」とも書く。占いなども含むが、ここでは医学。『漢書』藝文志・方伎(技)略は「醫經、醫方、房中、神仙(僊)」に関する図書目録。 ○刻意‥意識を集中する。専念する。 ○該覧‥あまねく閲覧する。 ○今茲‥今年。 ○布‥設置する。布設する。 ○點‥示す。つける。 ○意謂‥心中の思うところ。 ○勤‥努力して従事する。韓愈『進學解』「先生之業、可謂勤矣」。 ○力‥力を尽くす。 ○梓成‥出版する。版木ができあがる。 ○忻躍‥「忻」は「欣」に通ず。よろこぶ。欣喜雀躍。喜び極まりないさま。 ○鄙言‥浅薄卑俗なことば。自己の言説に関する謙遜語。 ○簡‥書物。 三十一オモテ ○西龜山‥丹波亀山藩。伊勢亀山藩と区別するため「西」がついているのであろう。 ○岡田維方順益‥


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 【意訳】おくがき

邃古、聖皇の上に在るや、物として其の澤を被らざる無し。

 【意訳】遙か昔,聖なる帝王がいらっしゃった時は,あらゆる物にその恩沢が及んだ。

而して其の最も患(うれ)うる所の者は、則ち是れ民の疾苦なり。

 【意訳】その帝王が一番心配したことは,疾病によってもたらされる民衆の苦しみであった。

是(ここ)を以て身親(みずか)ら草木を嘗め、鍼灸を製(つく)り、以て普(あまね)く衆庶を濟(すく)う。

 【意訳】そこで,帝王みずからが草木を味見して薬性をたしかめ,鍼灸という治療の道具を製作して,漏れることなく大衆を病から救済した。

是(ここ)に於いて鍼灸藥の方法出づ。

 【意訳】このようにして鍼・灸・薬という病気に対する方法が生み出された。

嗟乎(ああ)、夫(そ)れ至れるかな、仁や。

 【意訳】ああ,なんと実に偉大な慈しみであろうか。

是れ由り之を觀れば、本草素靈に非ずんば、何を以てか其の本を知らん。

 【意訳】これによって見ると,本草書と『素問』『霊枢』でなければ,どうやってその元となったものを知ることができようか。

鍼灸藥に非ずんば何を以てか其の疾を治せん。

 【意訳】鍼・灸・薬でなければ,どうやって疾病を治療することができようか。

故に後の諸名醫、皆な本草素靈を祖述して、以て論を立て方を製(つく)る。

 【意訳】そのため,後世の多くの名医は,みな本草書と『素問』『霊枢』を継承して学説を述べ,立論して処方をつくった。

若(も)し夫れ醫にして本草素靈に據(よ)りて鍼灸藥に通ぜずんば、焉くんぞ醫為(た)るを得んや。

 【意訳】医学に関しては,本草書と『素問』『霊枢』に基づいて鍼・灸・薬に精通しなければ,どうして医者であることができようか。

予が同僚坂元祐、家世々醫を業とし、弱冠にして方伎の學を為す。

 【意訳】(藩医である)わたくしの同僚である小坂元祐は,代々医学を家業としており,二十歳の年に医学を修めた。(家督を継いだ?)

又た且つ意を鍼灸の術に刻し、凡そ經絡兪穴の書に於いて該覽せざる無し。

 【意訳】その上,鍼灸術に熱意を注ぎ,経絡・兪穴の書物に関しては,あまねく渉猟して目を通していないものはない。

今茲の秋、諸書を參考し、衆説を折衷し、以て一册子を為す。

 【意訳】今年の秋に,多数の鍼灸関連書を参考にして,多くの説の異なった考えの優れたところを取り合わせて,一冊の書籍を編纂した。

名づけて兪穴捷徑と曰う。

 【意訳】名称は『兪穴捷径』という。

手自(てずか)ら銅人を製作し、經を布し穴を點じ、以て蒙士に授く。

 【意訳】(また)銅人形を自作して,経脈の線を引き経穴をしるし,初心者に授与した。

其の意謂は敢えて名を馳せ譽れを求むるに非ず。

 【意訳】その意図するところは名誉を追求することにはない。

初學の取經挨穴の一助を為すを庶幾(こいねが)うのみ。

 【意訳】初学者が人体上で経脈・経穴を取るための助けになることを願ってのことである。

其れ勤め且つ力(つと)むと謂わざる可けんや。

 【意訳】勤勉であると言わざるを得ない。

梓成る。

 【意訳】版木が出来上がって,出版されることになった。

維方忻躍して鄙言を簡末に題するのみ。

 【意訳】わたくし維方は,欣喜雀躍してつまらぬことばをこの書末に書き記す。

寛政癸丑 秋九月

 【意訳】寛政五年(1793年)の秋九月

   西龜山醫員 岡田維方順益識す

 【意訳】(東にある伊勢・亀山藩ではなく)西の丹波・亀山藩医である岡田維方順益 書き記す


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