9-1 隧輸通攷 堀元厚・衢昌栢撰
京大富士川文庫所蔵(ス/二一)
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003645
隧輸通考序
北渚子醫而三世者也自少篤信黄岐之
教以講明其書為己任日誦一卷坐而思
思而弗措必通矣思者精通者神了然有
以得乎窅冥昏黙之中矣乃旁搜古今醫
部秘書奥帙罔不津逮淵源所自造詣最 〔所‥「取」か〕
深於是開門授徒者數十年矣弟子著錄
毎歳百餘人其所以教督之具有其法人
一ウラ
成其業以良師稱之北渚子益勉不懈述
作日多皆錄以傳之廼者又著隧輸通考
若干卷請序於余余曰善哉北渚子之有
此述也掲之以經方載之以群説斷之以
己見皂白分矣朱紫別矣醫家未了公案
於是次矣吁此體要之書也其益於後學
也不亦大乎吾尚記昔在少年時與聞諸
老先生道德之餘論盖皆貴經術明性命
二オモテ
之旨有實見識而後著書立言然其朋友
往來雖非其黨不敢拒讀史論文風流敦
厚猶有洛社之古風汩汩四十年旧游論
謝此風遂替才後之徒稱文號稱文章巨
擘學術一變獨醫之學師授傳習百餘年
不諭而朋友切磋猶有古風吾於北渚子
有感也北渚子名某與余曰族其先出于
江湖云
二ウラ
延享元年臘月
南湖堀正修序
【訓み下し】
隧輸通考の序
北渚子は、醫にして三世なる者なり。少(わか)き自り篤く黄岐の教えを信ず。講じて其の書を明らかにするを以て、己が任と為(す)。日々に誦すること一卷、坐して思い、思いて措かざれば必ず通ず。思うこと精、通ずること神なれば、了然として以て窅冥昏黙の中に得る有り。乃ち旁(あまね)く古今の醫部、秘書奥帙を搜して、津(わた)して淵源に逮(いた)らざる罔(な)し。自ら造詣する所、最も深し。是(ここ)に於いて門を開き徒に授くること數十年。弟子、毎歳百餘人を著録す。其の之を教督する所以、具(つぶさ)に其の法有り。人、
一ウラ
其の業を成し、良師を以て之を稱す。北渚子益々勉めて述作を懈らず。日々多く皆な録して以て之を傳う。廼者(さきに)又た隧輸通考若干卷を著し、序を余に請う。余曰く、善きかな、北渚子の此の述有るや。之を掲ぐるに經方を以てし、之を載するに群説を以てし、之を斷ずるに己が見を以てし、皂白分かち、朱紫別つ。醫家未だ了せざる公案、是(ここ)に於いて次(つい)づ。吁(ああ)、此れ體要の書なり。其の後學を益するや、亦た大ならずや。吾れ尚お記す、昔在(むかし)少年の時、與(とも)に諸の老先生の道德の餘論を聞くを。蓋し皆な經術を貴び、性命の旨を明らかにし、
二オモテ
實見識有り。而る後に書を著し言を立つ。然して其の朋友の往來、其の黨に非ずと雖も、敢えて拒まず。史を讀み文を論じ、風流敦厚、猶お洛社の古風有り。汩汩として四十年、舊游の論謝し、此の風、遂に替す。才(わず)かに後の徒、文號と稱し文章の巨擘と稱するも、學術一變す。獨り醫の學のみ、師授傳習すること百餘年にして諭(かわ)らず。而して朋友切磋し、猶お古風有り。吾れ北渚子に感有り。北渚子、名某、余と族と曰う。其の先は江湖に出づと云う。
二ウラ
延享元年臘月
南湖堀正修序す
【注釋】
○隧輸‥滑壽『十四經發揮』自序「空穴經隧」「隧穴」。 ○北渚子‥堀元厚。 ○醫而三世者‥『禮記』曲禮「醫不三世、不服其藥」。代々続く由緒正しい医師の家系に生まれる。 ○黄岐‥黄帝と岐伯。医学。 ○講明‥解釈する。明らかに説明する。 ○己任‥自分の責務、任務。 ○措‥放って置く。やめる。 ○了然‥明白なさま。はっきりしたさま。 ○窅冥昏黙‥「窅」は「窈」に通ず。虚無静寂。『莊子』在宥「至道之精、窈窈冥冥。至道之極、昏昏默默」。 ○旁搜‥広汎に探し求める。 ○秘書‥秘密で重要な書籍。 ○奥帙‥奥義の書籍。「帙」はここでは書籍のことであろう。 ○津逮‥渡し場を渡って向こう岸に到達する。一定の筋道を通って到達することの比喩。 ○造詣‥学業や専門技術などの到達した水準や境地。そこへいたる。 ○著錄‥(弟子の名を)名簿に記載する。 ○教督‥教え導きみはる。 一ウラ ○廼者‥「乃者」に同じ。さきごろ。ちかごろ。 ○皂白‥黒色と白色。是非、正しいことと誤りの比喩。 ○朱紫‥朱は正色で、紫は間色。優劣、善悪、正邪など相対するものの比喩。 ○未了公案‥いまだ解決できないでいる事案。 ○次‥ならぶ。 ○體要‥切実にして簡要。 ○經術‥天下を治める術。経書を主たる研究対象とする学術。 ○性命‥生命。 二オモテ ○實見識‥実地の見聞。卓見。 ○風流‥態度。品格。 ○敦厚‥まごころが厚く親切なさま。 ○洛社‥宋の欧陽修などが洛陽で組織した詩の結社、洛陽耆英会のことか、あるいは京都にあった結社か。「社」は塾・一門のこともいう。 ○汩汩‥滔滔として絶えないさま。盛んなさま。 ○旧游論……‥ひとまず上記の如く訓む。「謝」「替」はともに「入れ替わる」「おとろえる」の意あり。 ○旧游‥昔から交際している友人。 ○文號‥ここでは「文豪」の意か。 ○巨擘‥親指。傑出した人物の比喩。 ○諭‥「渝(かわる)」と解した。 ○族‥親族。 ○先‥祖先。 ○江湖‥民間。 二ウラ ○延享元年‥一七四四年。 ○臘月‥陰暦十二月の異称。 ○南湖堀正(まさ)修(なが)‥一六八四~一七五三。堀正意(杏庵)の子孫。杏庵-立庵(正英)-玄達(蘭阜)-正修(南湖)。家は正超(君燕、景山、曠懷堂)が継ぐ(『京都の医学史』三八六頁、資料篇など)。
隧輸通考の序
北渚子は、醫にして三世なる者なり。
【意訳】北渚子は,医者であり,三代目(由緒正しい家系の出)である。
少(わか)き自り篤く黄岐の教えを信ず。
【意訳】年少の時から黄帝・岐伯による医学をはなはだ信奉していた。
講じて其の書を明らかにするを以て、己が任と為(す)。
【意訳】医学を講説して内容を明らかにすることを自分の任務と考えていた。
日々に誦すること一卷、坐して思い、思いて措かざれば必ず通ず。
【意訳】毎日1巻音読し,坐って思考し,思考をやめなければ,障害が取り除かれてかならず通じるようになる。
思うこと精、通ずること神なれば、了然として以て窅冥昏黙の中に得る有り。
【意訳】くわしく思考し,神明に通ずれば,はっきりと虚無静寂のなかに得るものがある。
乃ち旁(あまね)く古今の醫部、秘書奥帙を搜して、津(わた)して淵源に逮(いた)らざる罔(な)し。
【意訳】そこで広範に古今の医学に属する医書・秘書・奥義書を捜索し,手順を踏んでみなその根本に到達した。
自ら造詣する所、最も深し。
【意訳】自分で到達した学問の境地が最も深い。
是(ここ)に於いて門を開き徒に授くること數十年。
【意訳】そうして,塾を開いて生徒に医学を授けて数十年が経過している。
弟子、毎歳百餘人を著録す。
【意訳】門人録には毎年,弟子として入門した者が百人あまり記載されている。
其の之を教督する所以、具(つぶさ)に其の法有り。
【意訳】教え導くための方法には、詳しい決まりがある。
人、其の業を成し、良師を以て之を稱す。
【意訳】人がその学業を成し遂げるのは,よい師によってそれを助けられるからである。
北渚子益々勉めて述作を懈らず。
【意訳】北渚子はますます励んで,著作に取り組むことを怠らなかった。
日々多く皆な録して以て之を傳う。
【意訳】毎日みな書きとどめて,伝えた。
廼者(さきに)又た隧輸通考若干卷を著し、序を余に請う。
【意訳】先頃,『隧輸通考』数巻を著わして,序文を書くように要請された。
余曰く、善きかな、北渚子の此の述有るや。
【意訳】わたくしは言った。「すばらしいことである。北渚子にこの著述があるのは。
之を掲ぐるに經方を以てし、之を載するに群説を以てし、之を斷ずるに己が見を以てし、皂白分かち、朱紫別つ。
【意訳】まずは経文を掲出し,つぎに諸説を掲載し,その是非を自己の見解によって判断し,白黒をつけ,優劣を定める。
醫家未だ了せざる公案、是(ここ)に於いて次(つい)づ。
【意訳】医者がまだ解決できていなかった問題が,ここに並んでいる。
吁(ああ)、此れ體要の書なり。
【意訳】ああ,本書は内容が適切で要を得ている書物である。
其の後學を益するや、亦た大ならずや。
【意訳】この書が後進の学習者に裨益することは,大きいものがある。
吾れ尚お記す、昔在(むかし)少年の時、與(とも)に諸の老先生の道德の餘論を聞くを。
【意訳】わたくしは,少年時代,一緒に多くの老先生から道徳に関する該博な論を聞いたことを今なお記憶している。
蓋し皆な經術を貴び、性命の旨を明らかにし、實見識有り。
【意訳】思うに,みな天下を治める術を尊んで,生命についての道理を明らかにし,卓見があった。
而る後に書を著し言を立つ。
【意訳】そうしてはじめて著書を著わし説を述べた。
然して其の朋友の往來、其の黨に非ずと雖も、敢えて拒まず。
【意訳】そして同じ志をもつ友人の交際については,流派が異なっても,拒絶するようなことはなかった。
史を讀み文を論じ、風流敦厚、猶お洛社の古風有り。
【意訳】歴史書や文学書を読んで議論し,品格があり親切で,洛陽の結社のような質朴なおおらかさが残っていた。
汩汩として四十年、舊游の論謝し、此の風、遂に替す。
【意訳】それからずっと四十年たって,古くからの友人と交わって論じ合う風習は衰え,ついに廃れてしまった。
才(わず)かに後の徒、文號と稱し文章の巨擘と稱するも、學術一變す。
【意訳】わずかに後の学徒も,文号(文豪?)と言ったり,文章の傑物などと称したりしているが,学術は様変わりした。
獨り醫の學のみ、師授傳習すること百餘年にして諭(かわ)らず。
【意訳】だが医学だけは,師匠から弟子への伝承形態は,百年たっても変わっていない。
而して朋友切磋し、猶お古風有り。
【意訳】同じ医学を志す友人たちが切磋琢磨していて,いまなお昔の趣を残している。
吾れ北渚子に感有り。
【意訳】わたくしは,北渚子に共感するものがある。
北渚子、名某、余と族と曰う。
【意訳】北渚子の名は,某,わたくしの同族(同姓)である。
其の先は江湖に出づと云う。
【意訳】先代は,庶民出身である。
延享元年臘月
【意訳】延享元年(1744)十二月
南湖堀正修序す
【意訳】堀正修(南湖)序を記す
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自叙
吾友甫山一日謂予曰經輸之於人也大
矣湯液之報使針砭之迎隨灸焫之補瀉一
取法於此爲醫不究之則擿埴冥行不致
顚躓者未之有也歴代説者徃徃因循含
糊遂無歸一之論於是共繙翻群籍切磋
屢屢三經寒暑未脱藁忽得立伯先生所
著經脉發揮者閲之趣同意合實得我心
ウラ
之所同然者也亦足以爲基址矣唯勉博
考未有折衷爲可憾而已遂輯衆説斷以
臆見名曰隧輸通考僭踰雖無所遁或爲
初學之楷梯亦未可知也謾叙其説敢證
於暗合冥投不蹈襲勦説立伯先生云爾
延享甲子孟秋北渚堀元厚序于京洛烏
巷對井居
男元昌貞明謹冩
【訓み下し】
自叙
吾が友甫山、一日予に謂いて曰く「經輸の人に於けるや大なり。湯液の報使、針砭の迎隨、灸焫の補瀉は、一に法を此に取る。醫と爲りて之を究めざれば、則ち擿埴冥行して、顚躓を致さざる者、未だ之れ有らざるなり。歴代の説く者は、往往にして因循含糊し、遂に一に歸するの論無し」と。是(ここ)に於いて共に群籍を繙翻し、切磋すること屢屢(しばしば)にして、三たび寒暑を經て、未だ藁を脱せず。忽ち立伯先生著す所の經脉發揮なる者を得たり。之を閲すれば趣同じく意合し、實に我が心
ウラ
の同じく然る所の者を得るなり。亦た以て基址と為(す)るに足れり。唯だ勉めて博く考うれば、未だ折衷有らず。爲めに憾む可きのみ。遂に衆説を輯め、斷ずるに臆見を以し、名づけて隧輸通考と曰う。僭踰ながら、遁(かく)るる所無しと雖も、或いは初學の楷梯と爲すも、亦た未だ知る可からざるなり。謾(みだ)りに其の説を叙(の)べ、敢えて證す。暗合冥投に於いて、立伯先生を蹈襲勦説せずと云爾(しかいう)。
延享甲子孟秋 北渚堀元厚 京洛の烏巷對井居に序す
男元昌貞明謹んで冩す
【注釋】
○甫山‥湖南(琵琶湖の南)のひと、衢昌栢。本書の共撰者。 ○經輸‥ここでは腧穴。 ○湯液之報使‥引經報使。ある種の薬物が他の薬物の力を病変部や、ある経脈に導く作用。 ○針砭之迎隨‥針先を経脈の流れに逆らう方向(迎)へ刺すことと、流れに沿う方向(隨)へ刺すこと。 ○灸焫之補瀉‥施灸して元気をおぎなうことと邪気を除くこと。 ○擿埴冥行‥夜、道を歩くときに杖で地面を確かめる。学問研究をする時、その手順を知らず、暗中模索することの比喩。擿‥もとめる。さぐる。埴‥土地。 ○顚躓‥ころぶ。つまづく。 ○因循‥古くからの習わしに従って改めないこと。 ○含糊‥言葉がはっきりしない。物事が徹底されず、あやふやなさま。 ○繙翻‥書物を読む。書物をひもとく。頁をめくる。 ○群‥多数の。 ○切磋‥骨角玉石などを切り磨いて器物を作る。互いに比較し研究討論することの比喩。 ○三經寒暑‥三年経った。寒暑‥冬と夏のふたつの季節。歳月。 ○脱藁‥脱稿。原稿を完成する。 ○立伯先生‥饗庭東庵。元和七(一六二一)~延宝元(一六七三)。江戸前期の医学者。立伯(りゆうはく)と称した。京都の人。曲直瀬玄朔の門人。のち幕府医官として仕えた林(玄伯)家の祖・林市之進(敬經)と学を交え、中国医学の基本典籍『素問』『靈樞』『難經』を講究し広めた。運気学説(保健・医療暦学)にはとりわけ造詣が深かった。編著書に『重校補註素問玄機原病式』『黄帝秘傳經脈發揮』『素問標註諸言草稿』『醫學授幼鈔』がある。その学派は後世別派あるいは素霊派と称され、門派からは味岡三伯、淺井周伯、井原道閲、小野朔庵、岡本一抱、堀杏庵らの優秀な学医が輩出、江戸中期の医学の担い手となった(『朝日日本歴史人物事典』小曾戸洋)。 ○經脉發揮‥『(黄帝秘傳)經脈發揮』。七卷。一六六〇年ごろ初版。万治(一六五八~六〇)頃の木活字を用いた印本があり、中国では『北京大学図書館蔵善本医書』(一九八七)、日本では『古典全書』に影印収録されている。さらに万治木活字版に返り点・送り仮名を付して覆刻(かぶせぼり)した寛文八(一六六八)年の整版本もある(『典籍辞典』)。 ウラ ○心之所同然者也‥『孟子』告子上「心之所同然者何也。謂理也、義也」。 ○基址‥建築物の基礎。事物の根本。 ○折衷‥太過と不及を調和させて、理に合うようにさせる。 ○憾‥心中に満足できない感覚。 ○臆見‥個人の主観的な見解。 ○僭踰‥「僭越」に同じ。〔言動が〕自分の身分や力をわきまえず、出過ぎていること。謙遜語。 ○遁‥のがれる。かくれる。さける。あざむく。 ○楷梯‥「階梯」に同じ。階段。転じて、学問や芸術を学ぶ初めの段階。初歩。入門。手引。 ○謾‥「漫」に通ず。軽率に。そぞろに。 ○暗合冥投‥思いがけなく一致すること。偶然の一致。 ○蹈襲‥前の人のやり方などをそのまま受け継いで行う。 ○勦説‥他人の説を剽窃して自己の説のごとくする。 ○云爾‥語末助詞。のみ。 ○延享甲子‥延享元年。一七四四年。 ○孟秋‥旧暦七月。 ○北渚堀元厚‥(一六八六~一七五四)。元厚は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしよ)。味岡(あじおか)三伯(さんぱく)・小川(おがわ)朔庵(さくあん)に学び、医名を馳せた。ほかに『灸焫(きゆうぜつ)要覽(ようらん)』享保九(一七二四)年刊、『醫學須知』(一七五〇刊)、『醫案啓蒙』(刊本)をはじめ多くの著書があり、とりわけ日本鍼灸学の形成に寄与した。子の元昌(げんしよう)もその学を継いだ(『典籍辞典』)。 ○京洛‥京都。 ○烏巷‥烏丸か。 ○男‥むすこ。 ○元昌貞明‥一七二五~一七五二年。元昌は字。貞明は名。号は洄瀾。
自叙
吾が友甫山、一日予に謂いて曰く
【意訳】わたくしの友人である甫山(衢昌栢)がある日,わたくしに次のように言った。
「經輸の人に於けるや大なり。
【意訳】「経絡経穴は,人体にとって大切なものである。
湯液の報使、針砭の迎隨、灸焫の補瀉は、一に法を此に取る。
【意訳】湯液治療における引経報使(薬物を特定の経脈に導く作用),鍼刺での迎随,施灸による補瀉は,もっぱら経絡経穴を基準としている。
醫と爲りて之を究めざれば、則ち擿埴冥行して、顚躓を致さざる者、未だ之れ有らざるなり。
【意訳】医者となって経絡経穴を深く研究しなければ,闇夜を歩くときに杖で地面を確かめられないと,みな躓き転んでしまうのと同じで,闇雲に学ぼうとしてもよい学習成果は得られない。
歴代の説く者は、往往にして因循含糊し、遂に一に歸するの論無し」と。
【意訳】古くからこれを解説する人は,しばしば因習にしたがってあいまいなままで,最終的に筋の通った一つの結論を示していない」。
是(ここ)に於いて共に群籍を繙翻し、切磋すること屢屢(しばしば)にして、三たび寒暑を經て、未だ藁を脱せず。
【意訳】こういうわけで,二人でたくさんの書籍をひもとき,たびたび切磋琢磨して,三年の年月をへたが,原稿を書き終えることができなかった。
忽ち立伯先生著す所の經脉發揮なる者を得たり。
【意訳】そうこうしているうちに,立伯(饗庭東庵)先生の『経脈発揮』という書籍を手に入れた。
之を閲すれば趣同じく意合し、實に我が心の同じく然る所の者を得るなり。
【意訳】これを閲読したところ,われわれと趣旨は同じで意図も合致し,まことに意気投合するものが得られた。
亦た以て基址と為(す)るに足れり。
【意訳】また土台にするのに十分である。
唯だ勉めて博く考うれば、未だ折衷有らず。
【意訳】ただし広範に考察してみると,異なる意見の良い点をまとめた,適切な結論を得ていないところがある。
爲めに憾む可きのみ。
【意訳】そのことは残念に思うばかりである。
遂に衆説を輯め、斷ずるに臆見を以し、名づけて隧輸通考と曰う。
【意訳】そこで多数の説を収集して,個人的主観的な見解によって判断し,書名を『隧輸通考』と名付けた。
僭踰ながら、遁(かく)るる/遁(あざむ)く/所無しと雖も、或いは初學の楷梯と爲すも、亦た未だ知る可からざるなり。
【意訳】僭越ながら,逃げ隠れる/だます/ところはないとしても,初学者の入門書になるとは思ったが,結果はわからない。
謾(みだ)りに其の説を叙(の)べ、敢えて證す。
【意訳】いたずらに我々の説を述べて,あえて論証した。
暗合冥投に於いて、立伯先生を蹈襲勦説せずと云爾(しかいう)。
【意訳】立伯(饗庭東庵)先生の説と期せずして一致した箇所もあるが,先生の説を踏襲したり剽窃したわけではない。
延享甲子孟秋 北渚堀元厚 京洛の烏巷對井居に序す
【意訳】延享元年(1744)七月,堀元厚(北渚) 京都の烏丸の茅屋にて序を書き記す
男元昌貞明謹んで冩す
【意訳】息子である元昌(貞明)が謹んで筆写した
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隧輸通考跋
病其人之急乎攻而達之而操藥以修焉
者是古之道也盖人之經窬血脉摩頂放
踵靡弗處而在焉是以灼知其肯綮而後
始可以攻而達之也已自非攻而達之乃
藥亦何所見其瞑眩之效哉亦唯攻之與
達與藥三者相須而十全之功斯可復許
乎至後世乃以攻與達為粗而少效唯藥
一ウラ 12
之爲上焉特坐其不哳于經窬血脉也周 〔哳‥「晰」の誤りか〕
時訖六國黄帝隂陽之書世多有焉類皆
依託黄帝以神其道者爾班史之言固是
徴也夫醫盖出於隂陽家其書原人經窬
血脉隂陽表裏以起百病死生之本而度
鍼艾藥餌之所施其論盡精微故術亦十
全周官置師其有所試於是乎其際緩和
越人相踵輩出非後世所能及也迨漢興
二オモテ 13
大收編籍而劉向李柱國與校方技醫經
亦往往乎出漢志之載可以概見今所見
存黄帝内經乃古之遺已世或高明自喜
者自以方技惡其居下流遂廢古醫經而
擯隂陽之説縁飾儒術以重其言雖論隲
若以美然如其技術晻昧何北渚屈君以
醫學教授於洛顓門有赫赫名方來生徒
横經游從戸外屨不許其幾両君編讀古
二ウラ 14
醫經其經窬血脉隂陽表裏固未甞不詳
究其説而前脩論辨亦彼善於此則有之
故檻于彼而別于此揚搉有茲輯錄成冊
題曰隧輸通考顧君稽古之力其厪至矣
頃屬需余一言余雖素闇醫理而以君與
余雅游且同族誼不可峻拒故略道其後
世鮮能知經窬輙妄攻而達之所以與古
舛馳不能攻十全者云爾
三オモテ 15
延享乙丑春三月平安屈正超撰
【訓み下し】
隧輸通考の跋
病は其れ人の急か。攻めて之を達し、而して藥を操って以て焉(これ)を修むる者は、是れ古(いにしえ)の道なり。蓋し人の經窬血脉は、頂を摩(す)りて踵に放(いた)るまで處として在らざるは靡し。是(ここ)を以て灼として其の肯綮を知り、而る後に始めて以て攻めて之を達す可きのみ。攻めて之を達するに非ざる自りは、乃ち藥も亦た何れの所に其の瞑眩の效を見るや。亦た唯だ之を攻むると達すると藥との三者は、相い須(ま)ってのみ、而して十全の功、斯れ復た許す可きか。後世に至って乃ち攻と達とを以て粗にして效少なしと為(し)、唯だ之を藥するをのみ
一ウラ
上と爲(す)。特(た)だ坐(ようや)く其れ經窬血脉に晰(あき)らかならざるのみなり。周の時、六國訖(ま)で黄帝陰陽の書、世に多く有り。類皆な黄帝に依託し、以て其の道を神とする者のみ。班史の言、固(まこと)に是の徴なり。夫れ醫は蓋し隂陽家に出づ。其の書、人の經窬血脉隂陽表裏を原(たず)ね、以て百病死生の本を起こし、而して鍼艾藥餌の施す所を度す。其の論、精微を盡くす。故に術も亦た十全なり。周官、師を置く。其れ試みる所有り。是(ここ)に於いて其の際、緩、和、越人相い踵して輩出す。後世の能く及ぶ所に非ざるなり。漢興るに迨(およ)び、
二オモテ
大いに編籍を收め、劉向、李柱國與(とも)に方技の醫經を校す。亦た往往乎として漢志の載に出で、以て概見す可し。今ま見存する所の黄帝内經は、乃ち古(いにしえ)の遺のみ。世或いは高明にして自ら喜ぶ者は、自ら方技の其の下流に居るを惡むを以て、遂に古醫經を廢して、陰陽の説を擯(しりぞ)け、儒術に縁飾して、以て其の言を重んず。論隲(さだ)まりて以て美なるが若しと雖も、然れども其の技術晻昧なるが如きは何ぞや。北渚屈君、醫學を以て、洛に教授し、顓門として赫赫たる名有り。方來、生徒、經を横たえ游從するも、戸外の屨(くつ)は其の幾(ねが)いを許されず。兩君、古
二ウラ
醫經を編讀し、其の經窬、血脉、陰陽、表裏、固(まこと)に未だ嘗て詳しく其の説を究めずんばあらざればなり。而して前脩の論辨も亦た彼、此れより善きは、則ち之れ有り。故に彼を檻して此れに別ち、揚搉して茲に有り。輯錄して册を成す。題して隧輸通考と曰う。顧みるに君が稽古の力、其れ厪(つと)めて至れり。頃おい屬して余に一言を需(もと)む。余は素より醫理に闇(くら)しと雖も、而して君と余とは、雅(つね)に游び、且つ同族なるを以て、誼として峻拒す可からず。故に略(ほ)ぼ其の後世に能く經窬を知ること鮮(すく)なく、輙ち妄りに攻めて之を達し、古と舛馳して十全を攻(おさ)むる能わざる所以の者を道(い)う云爾(のみ)。
三オモテ
延享乙丑 春三月 平安屈正超撰す
【注釋】
○急‥危急の事。 ○攻・達‥灸と鍼。『左傳』成公十年傳「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之……醫至曰、疾不可為也、在肓之上膏之下、攻之不可、達之不及、藥不至焉、不可為也」。注「緩、醫名。為猶治也。達、針」。宋・林堯叟『音註全文春秋括例始末左傳句讀直解』「攻、熨灸也、言不可以火攻。達、針也、言不可以針達。至於用意藥、又不至焉。言疾不可治也」。 ○經窬‥經穴。 ○摩頂放踵‥頭頂部から踵まで全身。また、全身傷だらけになる。身を捨てて世を救うのに、労苦を厭わないことの比喩。『孟子』盡心上「墨子兼愛、摩頂放踵、利天下為之」。 ○灼‥明白に。はっきりと。 ○肯綮‥骨と筋肉の結合部位。物事の重要なところ。 ○也已‥確定や肯定の気持ちを強く表す。 ○瞑眩‥服薬後に生ずる眩暈。『書經』説命「若藥弗瞑眩、厥疾弗瘳/若し藥、瞑眩せざれば、厥の疾瘳えず」。『孟子』滕文公上「書曰、若藥不瞑眩、厥疾不瘳」。 ○相須‥相互に依存して。互いに配合して。 ○可復許乎‥『孟子』公孫丑章句上「夫子當路於齊、管仲晏子之功、可復許乎/先生がこの齊で政治を取られれば、あの管仲・晏嬰にも匹敵する功績が期待できるということですか」。許‥期待する。 一ウラ ○坐‥次第に。 ○哳‥啁哳。繁く砕ける音の形容。「晰」字の誤りとしておく。 ○周‥王朝名。周朝。 ○訖‥「迄」に通ず。 ○六國‥戦国時代の函谷関より東にあった楚、齊、燕、韓、趙、魏の六大国か。 ○黄帝隂陽之書‥『漢書』藝文志「黄帝陰陽二十五卷。黄帝諸子論陰陽二十五卷」。その他、「黄帝」「陰陽」を書名に冠するもの多し。 ○班史‥班固(『漢書』)と司馬遷(『史記』)。 ○隂陽家‥『漢書』藝文志が九流の一つとする戦国時代に陰陽五行説を提唱した一学派。鄒衍を代表的人物とする。 ○原人經窬……‥『漢書』藝文志「醫經者、原人血脈經落骨髓陰陽表裏、以起百病之本、死生之分、而用度箴石湯火所施、調百藥齊和之所宜」。 ○周官‥「周禮」。『周禮』卷一 天官冢宰「醫師上士二人……」。卷五「醫師掌醫之政令、聚毒藥以共醫事……十全為上」。 ○緩‥『左傳』成公十年を参照。 ○和‥『左傳』昭公元年を参照。 ○越人‥秦越人。扁鵲。 ○相踵‥継続して。次々に。 ○輩出‥連続して出現する。 二オモテ ○編籍‥書籍。『漢書』藝文志「漢興、改秦之敗、大收篇籍」。 ○劉向‥前七七~前六年。字子政、本名更生、漢の沛県の人。高祖の弟、楚元王劉交の第四代孫。成帝の時、改名して向という。光祿大夫に任ぜられ、経伝諸子詩賦などの書籍を校閲し、『別録』を撰す。 ○李柱國‥漢代の医家。成帝の時、御医に任ぜられ、医経、経方の校訂に参与した。 ○方技醫經‥『漢書』藝文志を参照。 ○見存‥現存。 ○縁飾‥修飾する。 ○晻昧‥暗い。 ○屈君‥「屈」は「堀」の修姓(中国風称呼)。 ○洛‥京都。 ○顓門‥学術や技能に秀でること。専門。 ○赫赫‥顕著なさま。 ○方來‥近来。 ○横經‥経籍を横にならべる。業を受ける。学習する。 ○游從‥相従ってともに遊ぶ。交遊する。先輩と互いに行き来する。 ○戸外屨不許其幾‥入門希望者の多いことをいうか。11-2 刺絡編の注を参照。 ○両君‥堀元厚と衢昌栢。 二ウラ ○前脩‥前修。前代の徳を修めた賢士。 ○彼善於此‥『孟子』盡心下「春秋無義戰。彼善於此、則有之矣」。 ○檻‥おりに閉じ込める。枠に入れる。 ○揚搉‥大要をあげる。要約して論述する。 ○稽古之力‥古いことを研究して得られる優れたところ。 ○厪‥「廑」の異体。「勤」に通ず。 ○頃‥近ごろ。 ○屬‥「囑」に同じ。 ○雅游‥つねに交際往来する。 ○誼‥よしみ。 ○舛馳‥道に背いてはせる。 ○攻‥治療する。 三オモテ ○延享乙丑‥延享二(一七四五)年。 ○平安‥京都。 ○屈正超‥堀正超(一六八八~一七五七)。字は君燕、号は景山、家号は曠懷堂。俗称は禎助。安藝淺野氏の儒官で、後世派の医家。京都姉小路室町に居あり。
隧輸通考の跋
病は其れ人の急か。
【意訳】やまいは,人間にとって重要なものか。
攻めて之を達し、而して藥を操って以て焉(これ)を修むる者は、是れ古(いにしえ)の道なり。
【意訳】鍼灸をおこない,薬物を使用して,習得する医術は,古くからの方法である。
蓋し人の經窬血脉は、頂を摩(す)りて踵に放(いた)るまで處として在らざるは靡し。
【意訳】思うに,ひとの経穴・血脈は,頭頂から足の裏にいたるまで全身あらゆるところにある。
是(ここ)を以て灼として其の肯綮を知り、而る後に始めて以て攻めて之を達す可きのみ。
【意訳】このため,明らかにその重要点を知ってはじめて,鍼灸をすることができる。
攻めて之を達するに非ざる自りは、乃ち藥も亦た何れの所に其の瞑眩の效を見るや。
【意訳】もし鍼灸でだめならば,薬もどこで瞑眩の結果としての効果が見られるだろうか。
亦た唯だ之を攻むると達すると藥との三者は、相い須(ま)ってのみ、而して十全の功、斯れ復た許す可きか。
【意訳】灸と鍼と薬の三者は,相互に協力し合って,はじめて十分な効果を期待できるのではなかろうか。
後世に至って乃ち攻と達とを以て粗にして效少なしと為(し)、唯だ之を藥するをのみ上と爲(す)。
【意訳】後世になると,灸と鍼とを粗雑で効果が少ないものとみなし,薬物療法だけを優れたものとみなした。
特(た)だ坐(ようや)く其れ經窬血脉に晰(あき)らかならざるのみなり。
特(た)だ其れ經窬血脉に晰(あき)らかならざるに坐(よ)るなり。
【意訳】単にその理由は経穴・血脈のことがはっきりしないためである。
周の時、六國訖(ま)で黄帝陰陽の書、世に多く有り。類皆な黄帝に依託し、以て其の道を神とする者のみ。
【意訳】周代から六国の時代まで,黄帝陰陽の書籍がたくさん存在した。そのたぐいは,みな黄帝に仮託して,その学説を神聖化するものである。
班史の言、固(まこと)に是の徴なり。
【意訳】『漢書』や『史記』にあることばは,まさにその証拠である。
夫れ醫は蓋し隂陽家に出づ。
【意訳】そもそも医は,陰陽家から出ている。
其の書、人の經窬血脉隂陽表裏を原(たず)ね、以て百病死生の本を起こし、而して鍼艾藥餌の施す所を度す。
【意訳】その書籍は,人体の経穴・血脈・陰陽・表裏の根源を探究し,さまざまな病気や生き死にの根本を明確にし,鍼・灸・薬・食餌療法の適切な運用をはかっている。
其の論、精微を盡くす。
【意訳】その論述は,精緻で微妙なところまで極め尽くしている。
故に術も亦た十全なり。
【意訳】そのためその技術も完璧である。
周官、師を置く。
【意訳】周で官吏として医師を置いた。
其れ試みる所有り。/其れ試(もち)いる所有り。
【意訳】それが施行されたのである。
是(ここ)に於いて其の際、緩、和、越人相い踵して輩出す。
【意訳】こうして,周代から戦国時代にかけて,医緩・医和・秦越人が相次いで出現した。
後世の能く及ぶ所に非ざるなり。
【意訳】後世の人が太刀打ちできるものではない。
漢興るに迨(およ)び、大いに編籍を收め、劉向、李柱國與(とも)に方技の醫經を校す。
【意訳】漢王朝が勃興すると,書籍の大規模な編纂作業がおこなわれ,劉向や李柱国が一緒に方伎の書である,医学書を校定した。
亦た往往乎として漢志の載に出で、以て概見す可し。
【意訳】それらは,しばしば『漢書』藝文志に掲載されているので,おおよそのことを見ることができる。
今ま見存する所の黄帝内經は、乃ち古(いにしえ)の遺のみ。
【意訳】しかし現存するのは『黄帝内経』のみで,その古代の遺産である。
世或いは高明にして自ら喜ぶ者は、自ら方技の其の下流に居るを惡むを以て、遂に古醫經を廢して、陰陽の説を擯(しりぞ)け、儒術に縁飾して、以て其の言を重んず。
【意訳】今の世の学識に優れて,その才能を誇るひとは,自分の技術を低いものとされるのを嫌い,ついには古い医学経典を捨て,陰陽説を退け,儒学の教えを借りて飾り立て,そちらの方を重視する。
論隲(さだ)まりて以て美なるが若しと雖も、然れども其の技術晻昧なるが如きは何ぞや。
【意訳】その論は,安定していて美しいものの,その技術が暗くはっきりしないのはどうしたものだろうか。
北渚屈君、醫學を以て、洛に教授し、顓門として赫赫たる名有り。
【意訳】堀北渚君は,医学を京都に教授して,専門として輝くほどの名声がある。
方來、生徒、經を横たえ游從するも、戸外の屨(くつ)は其の幾(ねが)いを許されず。
【意訳】ちかごろ,学生が勉学のために遊学してくるが,門下生が多くて入門を許可されない。
兩君、古醫經を編讀し、其の經窬、血脉、陰陽、表裏、固(まこと)に未だ嘗て詳しく其の説を究めずんばあらざればなり。
【意訳】堀君ら両名は,古い医学書をあまねく読み,その経穴・血脈・陰陽・表裏の説について,これほど詳細に探究したものはかつていなかった。/ ○「編」:「徧・遍」として解釈した。
而して前脩の論辨も亦た彼、此れより善きは、則ち之れ有り。
【意訳】そして以前の賢者による議論弁明に関しても,あちらがこちらよりよい場合もある。
故に彼を檻して此れに別ち、揚搉して茲に有り。
【意訳】それで,あちらは枠に入れてこれと区別し,要約して論じてここに置く。
輯錄して册を成す。
【意訳】それらを収録して書籍としてまとめた。
題して隧輸通考と曰う。
【意訳】題名を『隧輸通考』とした。
顧みるに君が稽古の力、其れ厪(つと)めて至れり。
【意訳】よく見てみると,堀君の古典の研究力は,非常に行き届いている。
頃おい屬して余に一言を需(もと)む。
【意訳】ちかごろ,わたくしに短い言葉を書いてくれと求めてきた。
余は素より醫理に闇(くら)しと雖も、而して君と余とは、雅(つね)に游び、且つ同族なるを以て、誼として峻拒す可からず。
【意訳】わたくしは,もともと医学の理論には通じていないが,堀君とわたくしとは以前から交流があり,かつまた同族であるので,道義としても拒むことはできない。
故に略(ほ)ぼ其の後世に能く經窬を知ること鮮(すく)なく、輙ち妄りに攻めて之を達し、古と舛馳して十全を攻(おさ)むる能わざる所以の者を道(い)う云爾(のみ)。
【意訳】そのため,おおよそ後世においては経脈経穴を知る人が少なく,むやみに鍼灸をして,いにしえの道に背いて,十分な治療効果を得られない理由を述べただけである。
延享乙丑 春三月 平安屈正超撰す
【意訳】延享二年(1745)春三月 京都 堀正超 著わす
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