14-1 合類鍼法奇貨 渡邊東伯撰
京大富士川文庫所蔵(コ/二一四)
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合類鍼法奇貨序
竊以醫者乃人之司命匪志士而莫爲針
者亦理之淵微須至人之指教先究其病
源而後攻其道手見巧應針取驗正知玄
裏玄一達妙中之妙誠哉高皇抱疾未痊
李氏刺巨闕而復甦太子暴死越人鍼會
維而復醒秋夫針腰俞而鬼免沉痾王篡
一ウラ
針交俞而妖精立出臂痛甄權刺曲池肩
井而復射躄足華陀針懸鐘環跳而立行以
是通玄指要賦欲治病莫如用針巧運神
氣之妙工開聖理之深外取砭針直蠲邪
而輔正中含水火善回陽而倒陰矣竇漢
卿標幽賦極救之法妙用者針也察歳時
於天道定形氣於予心雖然去聖俞遠此
二オモテ
道漸衰或不得意而散其學或愆其能犯
禁忌庸愚智淺難契於玄言至道淵深得
之者九牛一毛也時思古今遺跡者凡是
後世之師因之廣搜難素之秘文奥義深
考諸家之肘幽妙臆今新撰之號合類鍼
法奇貨不敢以示智明達人焉庶幾啓乎
後學童蒙之心眼者也旹延寳第七己未
二ウラ
二月甲子南京統伯序
【訓み下し】
合類鍼法奇貨の序
竊(ひそ)かに以(おもん)みるに、醫者(は)乃(いま)し人の命を司る。志士(こころざしのひと)に匪ずんば爲すこと莫かれ。針は亦た理の淵微。至人の指教(ゆびのおしえ)を須(もと)めて、先ず其の病の源を究めて、而(しか)る後に其の道を攻め、手に巧みを見(あらわ)し針に應じ驗(しるし)を取る。正に知んぬ、玄裏の玄、一(はじ)めて達す、妙中の妙たることを。誠なるかな。「高皇、疾(やまい)を抱(いだ)いて未だ痊(い)えざるに、李氏、巨闕に刺して、復た甦(よみがえ)り、太子暴(にわ)かに死す、越人、會維に鍼して、復た醒めぬ、秋夫、腰俞に針して、鬼、沉痾を免(まぬか)れ、王篡、
一ウラ
交俞に針して、妖精立ちどころに出づ、臂の痛み、甄權、曲池・肩井に刺して、復た射る、躄足に華陀、懸鐘・環跳に針して、立ちどころに行く」。是(ここ)を以て通玄指要の賦に「病を治(ぢ)せんと欲せば、針を用いるに如(し)くは莫し、巧みに神氣の妙を運らし、工(たく)みに聖理の深きを開き、外、砭針を取りて直ちに邪を蠲(のぞ)き正を輔け、中、水火を含んで善く陽を回(めぐ)らし陰を倒す」と。竇漢卿が標幽の賦に「極(きわ)めて救うの法、妙用の者は針なり、歳時を天道に察し、形氣を予(わ)が心に定む」と云へリ。然りと雖も、聖を去ること俞(ます)ます遠くして此の
二オモテ
道漸く衰え、或いは意(こころ)を得ずして、其の學を散じ、或いは其の能を愆(えら)んで、禁忌を犯し、庸愚智淺、玄言に契し難く、至道の淵深、之を得る者、九牛が一毛なり。時に思う、古今の遺跡は、凡(すべ)て是れ後世の師なり、と。之に因って廣く難素の秘文奥義を搜(さぐ)り、深く諸家の肘幽妙臆を考え、今ま新たに之を撰んで、合類鍼法奇貨と號す。敢えて以て智明達人には示さず。後學童蒙の心眼を啓かんことを庶幾(こいねが)う者なり。旹(とき)に延寳第七己未
二ウラ
二月甲子 南京統伯序す
【注釋】
○高皇 李氏‥未詳。一説では、元のフビライと李元(字は善長、フビライの侍医)。また一説では、金王朝の高皇帝と李浩。『標幽賦』「抑又聞高皇抱疾未瘥、李氏刺巨闕而後蘇。太子暴死為厥、越人針維會而復醒。肩井・曲池、甄權刺臂痛而復射。懸鐘・環跳、華佗刺躄足而立行。秋夫針腰俞而鬼免沉痾。王篡針交俞而妖精立出」。 ○太子 越人‥扁鵲傳を参照。 ○甄權‥『舊唐書』列傳 方伎「甄權、許州扶溝人也。嘗以母病、與弟立言專醫方、得其旨趣。隋開皇初、為祕書省正字、後稱疾免。隋魯州刺史庫狄嶔苦風患(『新唐書』作「痺」)、手不得引弓、諸醫莫能療、權謂曰、但將弓箭向垜、一鍼可以射矣。鍼其肩隅一穴、應時即射。權之療疾、多此類也。貞觀十七年、權年一百三歳、太宗幸其家、視其飲食、訪以藥性、因授朝散大夫、賜几杖衣服。其年卒。撰脈經、鍼方、明堂人形圖各一卷」。 ○華佗‥『三國志』魏書・方技・華陀傳注「佗別傳曰、有人病兩脚躄不能行、轝詣佗、佗望見云、己飽針灸服藥矣、不復須看脈。便使解衣、點背數十處、相去或一寸、或五寸、縱邪不相當。言灸此各十壯、灸創愈即行。後灸處夾脊一寸、上下行端直均調、如引繩也」。 ○秋夫 鬼‥『南史』列傳・徐文伯「(徐熙)生子秋夫、彌工其術、仕至射陽令。嘗夜有鬼呻吟、聲甚悽愴、秋夫問何須、答言姓某、家在東陽、患腰痛死。雖為鬼痛猶難忍、請療之。秋夫曰、云何厝法。鬼請為芻人、案孔穴針之。秋夫如言、為灸四處、又針肩井三處、設祭埋之。明日見一人謝恩、忽然不見。當世伏其通靈」。『醫説』鍼灸・鍼蒭愈鬼「徐熙、字秋夫、不知何郡人。時爲射陽少令、善醫方、名聞海内。常夜聞有鬼呻吟聲甚淒苦。秋夫曰、汝是鬼、何所須。答曰、我姓斛、名斯、家在東陽、患腰痛死、雖爲鬼、而疼痛不可忍、聞君善術、願相救濟。秋夫曰、汝是鬼而無形、云何厝治。鬼曰、君但縛蒭爲人、索孔穴鍼之。秋夫如其言、爲鍼腰四處、又鍼肩井三處。設祭而埋之。明日一人來謝曰、蒙君醫療、復爲設祭、病除饑解、感惠實深。忽然不見。當代稱其通靈。長子道度、次子叔嚮、皆精其術焉(唐史)/徐熙、字は秋夫。何れの郡の人かを知らず。時に射陽の少令と爲る。醫方を善くし、名、海内に聞こゆ。常(かつ)(=嘗)て夜に鬼の呻吟する有るを聞く。聲 甚だ淒苦なり。秋夫曰く「汝は是れ鬼なり。何の須(もと)むる所ぞ」と。答えて曰く「我が姓は斛、名は斯。家は東陽に在り。腰痛を患い死せり。鬼と爲ると雖もしかるに疼痛 忍ぶべからず。君の術を善くするを聞く。願くは相い救濟せよ」と。秋夫曰く「汝は是れ鬼にして形無し。治を厝するに云何(いかん)せん」と。鬼曰く「君は但だ蒭を縛りて人を爲(つく)り、孔穴を索(もと)めて之れに鍼せよ」と。秋夫、其の言の如く鍼を腰の四處に爲し、又た肩井の三處に鍼す。祭を設けて之れを埋む。明日、一人來たりて謝して曰く「君の醫療を蒙り、復た爲に祭を設く。病い除かれ、饑え解かれ、惠を感ずること實に深し」と。忽然として見えず。當代、其の通靈を稱す。長子は道度、次子は叔嚮。皆な其の術に精し(『唐史』)」。『南史』では、秋夫は徐熙の子。 ○王篡(王纂) 妖精‥劉穎叔『異苑』卷八「元嘉十八年、廣陵下市縣人張方女道香、送其夫婿北行。日暮、宿祠門下。夜有一物、假作其婿來云、離情難遣、不能便去。道香俄昏惑失常。時有海陵王纂者、能療邪。疑道香被魅、請治之。始下一針、有一獺從女被內走入前港。道香疾便愈」。『醫説』鍼灸・妙鍼獺走「宋人王纂海陵人、少習經方、尤精鍼石、遠近知其盛名。宋元嘉中、縣人張方女日暮宿廣陵廟門下。夜有物、假作其壻來、女因被魅惑而病。纂爲治之。始下一鍼、有獺從女被内走出。病因而愈(劉穎叔異苑)/宋の人、王纂は海陵の人なり。少(わか)きより經方を習い、尤も鍼石に精(くわ)し。遠近、其の盛名を知る。宋の元嘉中、縣人、張方の女(むすめ)、日暮れて廣陵廟の門下に宿る。夜、物有り。假りて其の壻と作(な)り來たる。女、魅惑せらるるに因って病む。纂、爲に之を治す。始めて一鍼を下す。獺有り。女の被内從り走り出づ。病、因って愈ゆ(劉穎叔『異苑』)」。『流注指微賦』にも名がみえる。『扁鵲神應鍼灸玉龍經』注解標幽賦(末尾)によれば、穴名は交兪。『古今醫統大全』卷一 歴世聖賢名医姓氏「王纂。海陵人、習覽經方、尤工針石、遠近知其名、所療多效。初、嘉祐中有女人被妖惑、纂爲針、妖狐即從女衾中逃鼠、女病遂愈」。 ○標幽賦極‥「極」、原文は手偏の「亟」に作る。『標幽賦』は「拯」に作る。 ○云ヘリ‥添え仮名。 二オモテ ○愆‥振り仮名「ヱランテ」。 ○廣搜難素之秘文奥義、深考諸家之肘幽妙臆‥『鍼灸聚英』所収「流注指微賦」には「廣搜難素之秘密文辭、深考諸家之肘凾妙臆」とある。「難素」は『難經』と『素問』。 ○延寳第七己未‥一六七九年。 二ウラ 南京統伯‥未詳。書末に「南京 渡邊東伯秀富 撰」とある。「南京」は「南都」と同じで奈良か。「統伯」は「東伯」の別表記か。
【参考】
『標幽賦』「拯救之法、妙用者針。察歳時於天道、定形氣於予心」。
『通玄指要賦』「必欲治病、莫如用針。巧運神機之妙、工開聖理之深。外取砭針、能蠲邪而扶正。中含水火、善回陽而倒陰。原夫絡別支殊、經交錯綜。或溝池谿谷以岐異、或山海丘陵而隙共。斯流派以難揆、在條綱而有統。理繁而昧、縱補瀉以何功。法捷而明、曰迎隨而得用」。
合類鍼法奇貨の序
竊(ひそ)かに以(おもん)みるに、醫者(は)乃(いま)し人の命を司る。
【意訳】私見によれば,医師こそが人命をつかさどるものなのである。
志士(こころざしのひと)に匪ずんば爲すこと莫かれ。
【意訳】志があるひとでなければ,医療行為をしてはいけない。
針は亦た理の淵微。
【意訳】鍼のことわりは,また深く微妙なものである。
至人の指教(ゆびのおしえ)を須(もと)めて、先ず其の病の源を究めて、而(しか)る後に其の道を攻め、手に巧みを見(あらわ)し針に應じ驗(しるし)を取る。
【意訳】達人の指導を求めて,まず病の源を究明する。その上で医道に専念して従事し,手に巧みな技術を備えて,鍼をほどこせばすぐさま効果が得られるようにする。
正に知んぬ、玄裏の玄、一(はじ)めて達す、妙中の妙たることを。
【意訳】そうすることで,深淵中の深淵にはじめて達し,神業の中の神業であることが,まさに知ることができる。
誠なるかな。
【意訳】いかにも確かなことである。
「高皇、疾(やまい)を抱(いだ)いて未だ痊(い)えざるに、李氏、巨闕に刺して、復た甦(よみがえ)り、
【意訳】「高皇が病を患って治らなかったとき,李氏が巨闕の穴に鍼を刺すと病から恢復した。
太子暴(にわ)かに死す、越人、會維に鍼して、復た醒めぬ、
【意訳】虢の世継ぎが意識不明に陥ったとき,秦越人が会維(維会)の穴に鍼を施すと,ふたたび意識を取り戻した。
秋夫、腰俞に針して、鬼、沉痾を免(まぬか)れ、
【意訳】徐秋夫が腰兪の穴に鍼をすると,幽霊は長患いから解放された。
王篡、交俞に針して、妖精立ちどころに出づ、
【意訳】王簒が交兪に鍼をすると,妖怪はすぐさま取り憑いた女を離れて布団の中から出て逃げ出した。
臂の痛み、甄權、曲池・肩井に刺して、復た射る、
【意訳】上肢の痛みのために弓を引けなかった人に,甄権が曲池と肩井の穴に鍼を刺すと,以前のように弓矢を射ることができるようになった。
躄足に華陀、懸鐘・環跳に針して、立ちどころに行く」。
【意訳】足に障害があって歩けなかった人に,華佗が懸鍾と環跳の穴に鍼すると,すぐさま歩けるようになった。」
是(ここ)を以て通玄指要の賦に「病を治(ぢ)せんと欲せば、針を用いるに如(し)くは莫し、巧みに神氣の妙を運らし、工(たく)みに聖理の深きを開き、外、砭針を取りて直ちに邪を蠲(のぞ)き正を輔け、中、水火を含んで善く陽を回(めぐ)らし陰を倒す」と。
【意訳】こういうわけで,『通玄指要の賦』に「病気を治療したいと思ったら,鍼を用いることが最善である。巧妙に神気の精微をめぐらせて,巧妙に聖なることわりの深いところを開いて,外部からは(砭石や)鍼を使ってただちに邪気を取り除いて正気を助けて,内部では水・火を含みながら陽気をめぐらせて陰気を倒す」とある。
竇漢卿が標幽の賦に「極(きわ)めて救うの法、妙用の者は針なり、歳時を天道に察し、形氣を予(わ)が心に定む」と云へリ。
【意訳】竇漢卿の『標幽の賦』にも「極めて(拯(すく)って)救う方法で,不思議な働きをするものは鍼である。歳月を天体の運行で観察し,自分のこころで患者の形気(血気の外から判断できるもの/形体と気質)を判定する」という。
然りと雖も、聖を去ること俞(ます)ます遠くして此の道漸く衰え、或いは意(こころ)を得ずして、其の學を散じ、或いは其の能を愆(えら)んで、禁忌を犯し、庸愚智淺、玄言に契し難く、至道の淵深、之を得る者、九牛が一毛なり。
【意訳】そうとはいえ,聖人の時代を離れることますます久しくなり,医道は次第に衰退し,ある者は,真意を理解できず,その学びを捨ててしまい,ある者は自分の才能を誤解して禁忌を犯す。愚かで智慧があさく,奥深い言葉に適いがたく,最上の道の奥深さを得られる人は,九牛の一毛ほどで極めてまれである。
時に思う、古今の遺跡は、凡(すべ)て是れ後世の師なり、と。
【意訳】いつも思っているが,古今の人々がのこしたものは,みな後世の人たちにとって師となるものである。
之に因って廣く難素の秘文奥義を搜(さぐ)り、深く諸家の肘幽妙臆を考え、今ま新たに之を撰んで、合類鍼法奇貨と號す。
【意訳】このため,『難経』や『素問』に秘められた文章にある奥深い意味を広く探し求め,多くの専門家の妙なる見解を深く考察し,いま新たに編集して,『合類鍼法奇貨』と命名した。
敢えて以て智明達人には示さず。
【意訳】賢明な深く物の道理に通じた人に示す勇気はないが,
後學童蒙の心眼を啓かんことを庶幾(こいねが)う者なり。
【意訳】後学の初心者の心と目を開く助けとなることを願うばかりである。
旹(とき)に延寳第七己未二月甲子 南京統伯序す
【意訳】時は延宝七年つちのとひつじ(1679)二月きのえねの日 南都奈良の統伯 序文をしたためる
★ GoogleAIおよびQwenAIによれば,
延宝7年の「2月」の中に「甲子の日」は1日も存在しません。
干支(甲子など)は60日ごとに巡ってくるため、延宝7年1月28日の次に「甲子」となるのは60日後の延宝7年3月29日(グレゴリオ暦1679年5月9日)となります。
延宝7年にある甲子の日は以下の通り。
延宝7年 正月29日 (西暦1679年3月10日)
延宝7年 3月29日 (西暦1679年5月9日)
延宝7年 5月30日 (西暦1679年7月8日)
延宝7年 8月2日 (西暦1679年9月6日)
延宝7年 10月2日 (西暦1679年11月5日)
延宝7年 12月3日 (西暦1679年12月3日は旧暦、西暦1680年1月4日)
2月1日(3月12日):丙寅(ひのえとら)
2月9日(3月20日):甲戌(きのえいぬ)
2月19日(3月30日):甲申(きのえさる)
2月29日(4月9日):甲午(きのえうま)
2月30日(4月10日):乙未(きのとひつじ)
「二月」が「三月」の誤記である場合(最も有力)
延宝7年の次の「甲子」の日は、旧暦3月29日 です。
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