1. 聯繋する脈の主な,あるいは唯一と言える働きは,二つの遠く離れた関連部位を聯繋することである。気血を運行する必要もないし,決まった数や固定された道にも拘束されない。「経数の脈」が確立する以前は,それらの数は随時増やすことができたし,路線も随時改めることができた。その性格は,関連部位とそれが相互に関係することを示す概略的な線である。聯繋する脈の最も典型的な例は,「経別」――気・血・営・衛がなく,いわゆる「通」「不通」もない――であり,単にめぐって聯繋する働きをし,その循行する路線の確定も,「視て見る可く,捫(なで)て得る可し」【『素問』挙痛論(39)】という制限を受けず,みな血脈の形態と機能とはあきらかに異なる。
2. 古典経脈理論を研究して遭遇する第一の際だった問題は,同じ術語が異なるコンテキストにおいて,多種多様の概念をあらわすことができるということである。たとえば,「脈」についていえば,「聯繋の脈」と「気血の脈」の意味がある。聯繋する脈の枠組みにおいては,「脈」は,直接の,確定した,通常の聯繋をあらわすし,「絡」は,間接の,不確定の,臨時の関連をあらわす。「経数」の概念がでてきた後では,あらゆる経数に入らない脈はすべて「絡」に入れられる。血脈理論の枠組みにおいては,脈の大きなものが「経」であって,脈の小さなものが「絡」である。これから分かるように,「経脈」という語は,異なる理論の枠組みの中では,まったく異なった概念内容をあらわしている。
3. 経数の脈は,「十一」「十二」であれ,「二十八」であれ,結局のところきわめて限定された数であるうえに,陰陽学説の「支柱」となるという制限を受けている。体表には大きな「経脈進入禁止」の区域があるので,十数本の脈を用いるのみでは人体の複雑な生理の連係と千変万化する病変を解釈することは,ほとんど不可能であり,経脈学説がいろいろな学説があるなかで突出し,迅速にその解釈域をひろげ,理論上の絶対的な指導的地位を獲得できた鍵は,「絡」という概念を導入したことにある。どの経脈でも解釈できないところは,「絡」によってみな一貫して理解することができる。いかなる解釈が必要とされる遠隔部の関連も,「絡」によってみな自在に対応できる。「絡」には,「脈」を聯繋する働きがあるが,いかなるルートを聯繋する理論の支柱が必要である時であっても,いかなる「脈」に関する種々の制限がない。陰陽の法則の「支柱」となるという制限もなければ,脈口の「座標」という位置づけも必要なく,あらゆるところに至ることができる。【経脈には進入できない禁止区域がある。陰陽の法則の規定を受けるので,体表をめぐる陽脈は,内臓に入ることはできない。体幹内をめぐる陰脈は体表に出ることはできない。このため,陽脈が表から入って内臓に属そうとし,陰脈が腹の内から腹の表面に出る必要があるときは,みな「絡」を通してのみ実現可能である。古代人の見方では,「絡」はどこにでも至ることができて,陰陽の法則の制限を受けない。】
4. 経脈の重点は「出る」ところにある。この「出る」ところをつなぐ方式や前後の順序などは重要ではない。たとえば,手の太陽脈では,重要なのは手の外側・肩・眼のあいだの関係であって,その中間のルートは,「前面から面部をへて眼に至」ろうが,「後面から頭部に上って目に至」ろうが,古代人の見方では,その意味はまったく同じものである。その全体的な意味は,何カ所かの部位の間に診療上の関連が存在しているをひとびとに知らせることにあるのである。現代の実験研究者がもしこの点をはっきりと認識できなければ,古代人が同一の脈を異なる方式で表現したものを二本の異なる脈とみなし,実験室においてしつこく異なる実体構造をさがしもとめることになり,あらゆる努力は徒労におわる。
5. 古代人は脈を診て脈を刺すという診療実践を通して,「鍼灸の遠隔診療作用」を発見し,「聯繋する脈」を通して「作用の仕組み」を論述した。換言すれば,いわゆる「聯繋する脈」の真意は,ツボの遠隔治療作用ルートに関する一種の概略,一種の仮説,一種の理論解釈である。これは,古代人が以前のあらゆる哲学的解釈に満足できずに提出した新たな解釈である。ただ気血の脈と源を同じくして生まれたので,気血の脈の構造と機能がその上に重ねられているため,その本来の面目が次第におおわれて,識別しがたくなった。
6. 早期のツボは,それが経穴であれ奇穴であれ,遠隔治療作用を有するのであれば,その診療作用はみな「脈」を通して実現する。単穴での遠隔診治作用についての理論的説明は,聯繋する脈を構築するのがおもな目的であり,その構築方式は簡単である。つまり,その循行路線はツボのあるところに起こり,そのツボの主治が及ぶところに終わる。伝世文献では,陰蹻脈は陰蹻穴(照海)に起こり,このツボが作用する部位――目に終わる。同様に陽蹻脈は陽蹻穴(申脈)に起こり,このツボが作用する部位――目に終わる。絡脈と絡穴の関係については一層一目瞭然である。
7. だれでもみな,そのひと本人あるいは他人の診療経験によって,いかなる「脈」あるいは「絡」でも増やすことができる。つまり,この経験を当時すでにあった常規の脈では解釈できないものに用いるだけである。すべてのこれらの脈は,まさに聯繋する脈であって,「経脈」成立以前に存在した方式であり,「脈」と「絡」は解釈の必要性に応じて生まれたものである。診療経験は,どこに向かい通じてどこに至るかを指摘し,解釈はどこに至り,脈絡は通じてどこに至るのかを求める。これは,古代人の見方ではすこしも神秘的なことではない。
2016年8月17日水曜日
2016年8月16日火曜日
黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第一篇 理論体系:還元と解釈 第1章 経脈・絡脈と営・衛——古代の血脈理論の新概念 まとめ
1. 「経脈」とは,もともと古代人が構築した血脈循環という核心的概念である。血脈の大きなものを「経脈」と命名した。いわゆる「経脈」「絡脈」「孫脈」(毛脈)は,脈の大きさの分類であり,「血脈運行潮汐論」の産物である。しかし「十二経脈」での「経脈」とは,常の脈を指し,「経数の脈」の略称である。同じ術語がまったく異なる意義を持っていて,人々の思考にきわめて大きな混乱をもたらした。後代の人,とりわけ現代人は,しばしば識別できず,血脈理論と経脈理論の異なる「経脈」概念を混淆している。誤って「血を行らす」ことを血脈の作用とみなし,「血気を行らす」「気を行らす」ことを経脈の作用に帰属させている。これにより,血脈以外に「経脈」という実体構造の根本となるよりどころを求めて,根本的な誤りを犯している。
2. 『内経』では「経脈」という語は全部で82回あらわれるが,「十二」「二十八」を伴ってはじめて「経数の脈」として理解できる。その他の状況,特に「経脈」が「絡脈」「孫脈」を伴うときは,みな血脈理論の枠組みの下での血脈の分類を示す術語である。「経数の脈」という概念が形成される以前では,「経脈」はみな血脈を指したが,「聯繋する脈」をいうときは,往々にして単に「脈」あるいは「絡」というだけであった。このほか,脈診を論じるときに使われる「経脈」は,「常脈」,つまり正常な脈象をあらわす。また動詞としても用いられ,「脈を診る」という意味をあらわす。婦人の病症を論じるときの「経脈」は,つねに婦人の月経の脈を指している。「経脈」という用語が持つ多義性は,現代人が古典文献を正確に理解するうえで,きわめて大きな障碍となった。
3. 経絡と気血以外に,さらに「営衛」を設定したのは,気血の循環に理論的支柱を提供するためである。「衛」は循環する気であり,一般的な血気ではなく,気血の循環を構築し,気血の定速運行を保証する不可欠の概念である。『内経』の「営衛」の論を通覧すれば,ひとつの明らかな特徴——「周(めぐ)りて復た始まる」「環の端無きが如し」——がわかる。もし「営衛」の循環という特定の意味を除いてしまったら,その機能は実際のところ,「血気」と異なるところがなくなる。
2. 『内経』では「経脈」という語は全部で82回あらわれるが,「十二」「二十八」を伴ってはじめて「経数の脈」として理解できる。その他の状況,特に「経脈」が「絡脈」「孫脈」を伴うときは,みな血脈理論の枠組みの下での血脈の分類を示す術語である。「経数の脈」という概念が形成される以前では,「経脈」はみな血脈を指したが,「聯繋する脈」をいうときは,往々にして単に「脈」あるいは「絡」というだけであった。このほか,脈診を論じるときに使われる「経脈」は,「常脈」,つまり正常な脈象をあらわす。また動詞としても用いられ,「脈を診る」という意味をあらわす。婦人の病症を論じるときの「経脈」は,つねに婦人の月経の脈を指している。「経脈」という用語が持つ多義性は,現代人が古典文献を正確に理解するうえで,きわめて大きな障碍となった。
3. 経絡と気血以外に,さらに「営衛」を設定したのは,気血の循環に理論的支柱を提供するためである。「衛」は循環する気であり,一般的な血気ではなく,気血の循環を構築し,気血の定速運行を保証する不可欠の概念である。『内経』の「営衛」の論を通覧すれば,ひとつの明らかな特徴——「周(めぐ)りて復た始まる」「環の端無きが如し」——がわかる。もし「営衛」の循環という特定の意味を除いてしまったら,その機能は実際のところ,「血気」と異なるところがなくなる。
2016年8月15日月曜日
黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第一篇 第4章 「経脈連環」——聯繋する脈がつなぐ血脈の環 【訳注:経脈連環は,『霊枢』経脈篇に相応する部分の,『太素』での篇名】
結語 連結をほどく
木型隠喩【血脈学説を水型隠喩と著者は称する】にもとづいて構築された聯繋する脈についての理論仮説,すなわち経脈学説は,その循行方向は必然的に下から上へ——根本から末梢へである。これは経脈学説立論の根本であり,経脈学説を識別する「IDコード」である。しかし十二経脈がつながれて周(めぐ)って復た始まる環となったのちは,経脈の「標本」には,立脚点がなくなった。換言すれば,経脈学説の「根」が引っこ抜かれたのである。経脈篇の編者は十一の「鏈環【チェーン・リング】」で構築された「経脈連環」の中にまた環をつなぐことによって,「十二脈連環」と「十四脈連環」というふたつの環をふくめ,かつ「十二脈連環」の中にさらに複雑な「側枝循環」——「経別」と「絡脈」という「側枝」を隠し入れるという,複雑な理論体系を現実に構築した。
現代人の古典経脈理論に対する理解と評価に,当初から今日までつねにきわめて大きな不一致が存在し,攻撃者が情け容赦なくその理論を地獄に突き落とし,崇拝者がそれを雲の上に祭り上げるのはなぜかといえば,論争している双方が経脈の真の姿をはっきりと見きわめることができなったことが一切の原因である。長きにわたって経脈の真の姿を識別するひとがいなかったのは,おもに世に伝わる経脈理論が別の異なる理論——血脈理論の中に整理再編されていたためである。二人の美女の写真が一枚の写真に合成され,あるひとにはA女に見え,あるひとはB女だと考えていたが,ある日突然,これが合成写真だとあるひとが気づき,謎がやっと解け,あらゆる論争が理性的に終結したようなものである。
まとめ
1. 「経脈連環」が構築されたのは,扁鵲医学中の血脈理論が漢代に「気血循環」学説を提出して,「気血運行潮汐説」の理論より優位に立とうとしたためである。そのためには,「ルートを循行する」という理論の失われた環【ミッシング・リンク】を補わなければならなかった。これが「経脈連環」が誕生した大きな背景である。
2. 「経脈連環」が手の太陰に始まるのは,当時の人々が「胸中宗気説」を気血運行の動力源として選択したためである。気血は胃で生成されて肺に行くので,十二経脈の循行は手の太陰肺の脈に始まる。手の太陰脈がはじめに大きく折り返して,「胃口に循環する」必要があるのも,胃が気血の生化の源であるという意義が突出しているからである。
3. 「経脈連環」に十二経別が組み入れられたのは,陽経と六腑のつながりを実現し,それによって十二経脈と五臓六腑の間に,欠落のない「属絡」聯繋を構築するためである。
4. 「二十八連環」が最終的には構築されなかったのは,最終的に確定した二十八脈は,三陰三陽の十二脈に任脈・督脈・陰蹻・陽蹻を加えると,脈の総数は三十となり,「二十八」を超えてしまい,経数に合わないためである。しかし当時の学術的背景ではこの難問を解決するすべがなかったので,二十八脈の循行はついに構築できず,ひとつの「理想の脈」となり,「経脈」の名があるのみである。ひとびとが「経脈」を読むときは,経数の脈の角度から,多くは暗黙的に「十二経脈」と理解するのであって,「二十八脈」ではない。【第一篇第1章第4節:「天人相応」の観念の影響下にあって,古代人は人体の脈を天地の数に合わせた。いわゆる「上は星宿に応じ,下は経数に応ず」(『霊枢』癰疽(81))である。まず天には「十二月」があり,人は「十二脈」をもって応じた。後にまた天には「二十八宿」があり,人は「二十八脈」をもって応じた。この時,「十二」と「二十八」は「経数」とみなされ,経数内の脈を「経脈」と称し,いわゆる「数に当たる者を経と為し,其の数に当たらざる者を絡と為すなり」(『霊枢』脈度(17))である。】
5. 血脈理論と経脈理論という二つの異なる理論は交錯していて,後代の人には経脈理論を正確に理解するには幾重にも重なり合う障壁が設けられているため,実験研究者は何十年にもわたり「経絡とはなにか」を追求せざるをえず,半世紀以上にわたり現代の鍼灸学教材も,今に到ってもなお「経脈」および「経脈学説」に対して,科学的定義を出すことができないでいる。
2016年8月14日日曜日
黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第3章 扁鵲医学と脈の離合——診脈から血脈・経脈に至る理論の創設
【まとめ】
1. 脈診,およびこれらから派生した血脈理論と経脈理論は,すべて扁鵲学派を出自とする。その基本となる思想と診療の経験は,いまなお『脈経』や『素問』などの書物によって伝えられている。
2. 足の陽明胃経の「是動」病が心神病症としてあらわされる理由は,扁鵲脈法では陽明脈が心臓に対応しているためである。足の太陰脾経の病候が胃の症状としてあらわされる理由は,早期の扁鵲医学では太陰は胃に属し,胃は「臓」に属して「腑」には属さないためである。これも扁鵲脈法が胃の脈を診ることを重視するという考え方と対応している。
3. 各伝本【訳注:張家山『脈書』馬王堆『陰陽十一脈』『霊枢』など】の経脈の下にみな脈死候がある理由は,扁鵲脈法が「病の生ずる所を診る」と「死生を決して治す可きを定める」という二項目を含んでいるためである。「是動」病は,扁鵲の標本脈法の「病の生ずる所を知る」という経験の総括である。脈死候は,扁鵲脈法の異なる段階での「死生を決する」経験の総括である。すなわち【『脈書』の】「五死」が反映しているのは,中期の扁鵲脈法中の「脈死候」であるが,【『霊枢』】経脈篇に収録されているものは最晩期の内容である。『陰陽十一脈』の足太陰脈および『陰陽十一脈』と『足臂十一脈』の足厥陰脈の下にある「脈死候」は依然として経験を描写したものであって,理論に昇格する以前の産物であり,早期の扁鵲脈法の内容である。
4. 【ここだけ読んでも理解できないと思われるので省略します。】
5. 扁鵲医学の文献をもっとも欠落なく保存している『脈経』で,診るところの脈・刺すところの脈・聯繋する脈はみなまったく同じ三陰三陽によって命名されているのはなぜか?十二経脈も,十五絡脈中の手足三陰三陽の絡と同様に,ただ一箇所の脈診部=脈口・一穴=経脈穴があるだけなので,それによって三陰三陽の名で,脈口とその対応する穴および経脈名を命名しても識別上の困難を生じることはないからである。
6. 扁鵲医学に宿っていた経脈学説はおもに三段階をへて誕生した。第一段階:手足の脈口部で,ある遠隔部の病を診ることができることを偶然発見した。第二段階:その脈口部でさらに多くの遠隔部の病症を診ることを自覚的にためし,長い時間をかけて繰り返し調べて,その脈口で診られる通常の病症,つまり脈候を確定した。すなわち脈候が確立した。第三段階:種々の異なる学説をもちいて脈候についての解釈をこころみた。すなわち脈解があらわれた。いろいろな「脈解」が次々とあらわれた。突出して主流となる学説はなかったが,古代人は脈候の解釈について哲学の範疇をこえて,経脈学説をもちいてより直接的により実用的な解釈をはじめたのちは,この理論は迅速に広範囲に応用されるようになり,脈候の解釈に用いられるのみならず,五色の関連の解釈にも用いられるようになった。「絡」は経脈学説の中で最も活躍するようになったが,同時に最も不安定な要素である。要するに,解釈の必要に応じて生まれ,解釈の変化にしたがって変わった。【突然「絡」がでてきますが,これも前にある文章を読まないと,わかりづらいと思います。要するに,経脈が固定・確定されると,それと離れたところで発生する病症などを関連した事柄としてあつかい,説明するために,「絡」というツールが(安易に)使い回される,ということだと思います。】
7. 『内経』の中で,「経脈穴」で組み立てられる鍼灸処方の源は扁鵲であり,とりわけ処方には分量を数値化してあきらかにし,鍼具には砭鍼を用いた。
1. 脈診,およびこれらから派生した血脈理論と経脈理論は,すべて扁鵲学派を出自とする。その基本となる思想と診療の経験は,いまなお『脈経』や『素問』などの書物によって伝えられている。
2. 足の陽明胃経の「是動」病が心神病症としてあらわされる理由は,扁鵲脈法では陽明脈が心臓に対応しているためである。足の太陰脾経の病候が胃の症状としてあらわされる理由は,早期の扁鵲医学では太陰は胃に属し,胃は「臓」に属して「腑」には属さないためである。これも扁鵲脈法が胃の脈を診ることを重視するという考え方と対応している。
3. 各伝本【訳注:張家山『脈書』馬王堆『陰陽十一脈』『霊枢』など】の経脈の下にみな脈死候がある理由は,扁鵲脈法が「病の生ずる所を診る」と「死生を決して治す可きを定める」という二項目を含んでいるためである。「是動」病は,扁鵲の標本脈法の「病の生ずる所を知る」という経験の総括である。脈死候は,扁鵲脈法の異なる段階での「死生を決する」経験の総括である。すなわち【『脈書』の】「五死」が反映しているのは,中期の扁鵲脈法中の「脈死候」であるが,【『霊枢』】経脈篇に収録されているものは最晩期の内容である。『陰陽十一脈』の足太陰脈および『陰陽十一脈』と『足臂十一脈』の足厥陰脈の下にある「脈死候」は依然として経験を描写したものであって,理論に昇格する以前の産物であり,早期の扁鵲脈法の内容である。
4. 【ここだけ読んでも理解できないと思われるので省略します。】
5. 扁鵲医学の文献をもっとも欠落なく保存している『脈経』で,診るところの脈・刺すところの脈・聯繋する脈はみなまったく同じ三陰三陽によって命名されているのはなぜか?十二経脈も,十五絡脈中の手足三陰三陽の絡と同様に,ただ一箇所の脈診部=脈口・一穴=経脈穴があるだけなので,それによって三陰三陽の名で,脈口とその対応する穴および経脈名を命名しても識別上の困難を生じることはないからである。
6. 扁鵲医学に宿っていた経脈学説はおもに三段階をへて誕生した。第一段階:手足の脈口部で,ある遠隔部の病を診ることができることを偶然発見した。第二段階:その脈口部でさらに多くの遠隔部の病症を診ることを自覚的にためし,長い時間をかけて繰り返し調べて,その脈口で診られる通常の病症,つまり脈候を確定した。すなわち脈候が確立した。第三段階:種々の異なる学説をもちいて脈候についての解釈をこころみた。すなわち脈解があらわれた。いろいろな「脈解」が次々とあらわれた。突出して主流となる学説はなかったが,古代人は脈候の解釈について哲学の範疇をこえて,経脈学説をもちいてより直接的により実用的な解釈をはじめたのちは,この理論は迅速に広範囲に応用されるようになり,脈候の解釈に用いられるのみならず,五色の関連の解釈にも用いられるようになった。「絡」は経脈学説の中で最も活躍するようになったが,同時に最も不安定な要素である。要するに,解釈の必要に応じて生まれ,解釈の変化にしたがって変わった。【突然「絡」がでてきますが,これも前にある文章を読まないと,わかりづらいと思います。要するに,経脈が固定・確定されると,それと離れたところで発生する病症などを関連した事柄としてあつかい,説明するために,「絡」というツールが(安易に)使い回される,ということだと思います。】
7. 『内経』の中で,「経脈穴」で組み立てられる鍼灸処方の源は扁鵲であり,とりわけ処方には分量を数値化してあきらかにし,鍼具には砭鍼を用いた。
2016年8月10日水曜日
黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』43頁下から2行目
経脈,就注定与其掰不清,……
ここに「掰」という見たこともなかった文字が使われていますが,調べてみると,ここの意味にあわないように思えます。
これは「辨」字の誤字と考えていいでしょうか?
ここに「掰」という見たこともなかった文字が使われていますが,調べてみると,ここの意味にあわないように思えます。
これは「辨」字の誤字と考えていいでしょうか?
2016年8月3日水曜日
2016年7月28日木曜日
『鍼灸甲乙経』の日本語全訳本が出版された。
『完訳 鍼灸甲乙経(上・下巻)』。訳されたのは、森ノ宮医療学園の卒業生。
そのまえがきや『甲乙経』序にある「明堂」には、「みんどう」とふりがながふってある。
関西では、「みんどう」と発音するのが、一般的なのかもしれない。
「鍼経」は「しんきょう」。「内経」は「だいきょう」。「伊尹」は「いい」。「四時」も、現代風で「しじ」。
『甲乙経』序「華佗性惡矜技、終以戮死」を「華陀はショーワルで技をほこり……」ではなく、
「あの華陀は技術を誇ることを嫌い、ついには殺されてしまった」と、華陀を善人として訳している。
そのまえがきや『甲乙経』序にある「明堂」には、「みんどう」とふりがながふってある。
関西では、「みんどう」と発音するのが、一般的なのかもしれない。
「鍼経」は「しんきょう」。「内経」は「だいきょう」。「伊尹」は「いい」。「四時」も、現代風で「しじ」。
『甲乙経』序「華佗性惡矜技、終以戮死」を「華陀はショーワルで技をほこり……」ではなく、
「あの華陀は技術を誇ることを嫌い、ついには殺されてしまった」と、華陀を善人として訳している。
黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第一篇第1章
『靈樞』經脈第十:「經脉者.所以能決死生.處百病.調虛實.不可不通.」
この「經脈」は、「診脈」の意味である。「十二經脈」の意味ではない。
なぜなら、この文章は、『素問』三部九候論篇第二十:「人有三部.部有三候.以決死生.以處百病.以調虛實而除邪疾.……此決死生之要.不可不察也」の「不可不察」が「不可不通」に改められたのにすぎない。
なお、脈診によって「死生を決する」というのは、扁鵲医学を示す「タグ」である。
この「經脈」は、「診脈」の意味である。「十二經脈」の意味ではない。
なぜなら、この文章は、『素問』三部九候論篇第二十:「人有三部.部有三候.以決死生.以處百病.以調虛實而除邪疾.……此決死生之要.不可不察也」の「不可不察」が「不可不通」に改められたのにすぎない。
なお、脈診によって「死生を決する」というのは、扁鵲医学を示す「タグ」である。
2016年7月15日金曜日
黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』
日本内経医学会の新年会において黄龍祥先生が予告されていた三部作の第一作、『経脉理論還原与重構大綱』(《经脉理论还原与重构大纲、Discovery and Re-creation of Meridian Theory》)を入手した。
本書は、17章から構成される。
そのうち、第3章(扁鵲医学的特徴、経脈理論与扁鵲脈法的「血縁」)と第17章(扁鵲医籍辨佚与拼接)とは、『季刊 内経』誌に岡田隆先生が翻訳を手がけている論文と基本的に同じ内容である。
目次の一部
https://www.amazon.cn/%E5%9B%BE%E4%B9%A6/dp/B01FPGYDYW
后记:面“璧”十年破皮壳
http://www.360doc.com/content/16/0423/22/31573144_553223469.shtml
http://www.360doc.com/content/16/0604/10/31573144_564936975.shtml
引き続き、『中国古典針灸学大綱』『中国新針灸学大綱』が刊行される予定。
本書は、17章から構成される。
そのうち、第3章(扁鵲医学的特徴、経脈理論与扁鵲脈法的「血縁」)と第17章(扁鵲医籍辨佚与拼接)とは、『季刊 内経』誌に岡田隆先生が翻訳を手がけている論文と基本的に同じ内容である。
目次の一部
https://www.amazon.cn/%E5%9B%BE%E4%B9%A6/dp/B01FPGYDYW
后记:面“璧”十年破皮壳
http://www.360doc.com/content/16/0423/22/31573144_553223469.shtml
http://www.360doc.com/content/16/0604/10/31573144_564936975.shtml
引き続き、『中国古典針灸学大綱』『中国新針灸学大綱』が刊行される予定。
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