2016年8月17日水曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第一篇 理論体系:還元と解釈  第2章 脈と絡——「経脈」理論の術語 結語:脈を解く まとめ

1. 聯繋する脈の主な,あるいは唯一と言える働きは,二つの遠く離れた関連部位を聯繋することである。気血を運行する必要もないし,決まった数や固定された道にも拘束されない。「経数の脈」が確立する以前は,それらの数は随時増やすことができたし,路線も随時改めることができた。その性格は,関連部位とそれが相互に関係することを示す概略的な線である。聯繋する脈の最も典型的な例は,「経別」――気・血・営・衛がなく,いわゆる「通」「不通」もない――であり,単にめぐって聯繋する働きをし,その循行する路線の確定も,「視て見る可く,捫(なで)て得る可し」【『素問』挙痛論(39)】という制限を受けず,みな血脈の形態と機能とはあきらかに異なる。
2. 古典経脈理論を研究して遭遇する第一の際だった問題は,同じ術語が異なるコンテキストにおいて,多種多様の概念をあらわすことができるということである。たとえば,「脈」についていえば,「聯繋の脈」と「気血の脈」の意味がある。聯繋する脈の枠組みにおいては,「脈」は,直接の,確定した,通常の聯繋をあらわすし,「絡」は,間接の,不確定の,臨時の関連をあらわす。「経数」の概念がでてきた後では,あらゆる経数に入らない脈はすべて「絡」に入れられる。血脈理論の枠組みにおいては,脈の大きなものが「経」であって,脈の小さなものが「絡」である。これから分かるように,「経脈」という語は,異なる理論の枠組みの中では,まったく異なった概念内容をあらわしている。
3. 経数の脈は,「十一」「十二」であれ,「二十八」であれ,結局のところきわめて限定された数であるうえに,陰陽学説の「支柱」となるという制限を受けている。体表には大きな「経脈進入禁止」の区域があるので,十数本の脈を用いるのみでは人体の複雑な生理の連係と千変万化する病変を解釈することは,ほとんど不可能であり,経脈学説がいろいろな学説があるなかで突出し,迅速にその解釈域をひろげ,理論上の絶対的な指導的地位を獲得できた鍵は,「絡」という概念を導入したことにある。どの経脈でも解釈できないところは,「絡」によってみな一貫して理解することができる。いかなる解釈が必要とされる遠隔部の関連も,「絡」によってみな自在に対応できる。「絡」には,「脈」を聯繋する働きがあるが,いかなるルートを聯繋する理論の支柱が必要である時であっても,いかなる「脈」に関する種々の制限がない。陰陽の法則の「支柱」となるという制限もなければ,脈口の「座標」という位置づけも必要なく,あらゆるところに至ることができる。【経脈には進入できない禁止区域がある。陰陽の法則の規定を受けるので,体表をめぐる陽脈は,内臓に入ることはできない。体幹内をめぐる陰脈は体表に出ることはできない。このため,陽脈が表から入って内臓に属そうとし,陰脈が腹の内から腹の表面に出る必要があるときは,みな「絡」を通してのみ実現可能である。古代人の見方では,「絡」はどこにでも至ることができて,陰陽の法則の制限を受けない。】
4. 経脈の重点は「出る」ところにある。この「出る」ところをつなぐ方式や前後の順序などは重要ではない。たとえば,手の太陽脈では,重要なのは手の外側・肩・眼のあいだの関係であって,その中間のルートは,「前面から面部をへて眼に至」ろうが,「後面から頭部に上って目に至」ろうが,古代人の見方では,その意味はまったく同じものである。その全体的な意味は,何カ所かの部位の間に診療上の関連が存在しているをひとびとに知らせることにあるのである。現代の実験研究者がもしこの点をはっきりと認識できなければ,古代人が同一の脈を異なる方式で表現したものを二本の異なる脈とみなし,実験室においてしつこく異なる実体構造をさがしもとめることになり,あらゆる努力は徒労におわる。
5. 古代人は脈を診て脈を刺すという診療実践を通して,「鍼灸の遠隔診療作用」を発見し,「聯繋する脈」を通して「作用の仕組み」を論述した。換言すれば,いわゆる「聯繋する脈」の真意は,ツボの遠隔治療作用ルートに関する一種の概略,一種の仮説,一種の理論解釈である。これは,古代人が以前のあらゆる哲学的解釈に満足できずに提出した新たな解釈である。ただ気血の脈と源を同じくして生まれたので,気血の脈の構造と機能がその上に重ねられているため,その本来の面目が次第におおわれて,識別しがたくなった。
6. 早期のツボは,それが経穴であれ奇穴であれ,遠隔治療作用を有するのであれば,その診療作用はみな「脈」を通して実現する。単穴での遠隔診治作用についての理論的説明は,聯繋する脈を構築するのがおもな目的であり,その構築方式は簡単である。つまり,その循行路線はツボのあるところに起こり,そのツボの主治が及ぶところに終わる。伝世文献では,陰蹻脈は陰蹻穴(照海)に起こり,このツボが作用する部位――目に終わる。同様に陽蹻脈は陽蹻穴(申脈)に起こり,このツボが作用する部位――目に終わる。絡脈と絡穴の関係については一層一目瞭然である。
7. だれでもみな,そのひと本人あるいは他人の診療経験によって,いかなる「脈」あるいは「絡」でも増やすことができる。つまり,この経験を当時すでにあった常規の脈では解釈できないものに用いるだけである。すべてのこれらの脈は,まさに聯繋する脈であって,「経脈」成立以前に存在した方式であり,「脈」と「絡」は解釈の必要性に応じて生まれたものである。診療経験は,どこに向かい通じてどこに至るかを指摘し,解釈はどこに至り,脈絡は通じてどこに至るのかを求める。これは,古代人の見方ではすこしも神秘的なことではない。

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