2016年8月26日金曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』 第二篇 理論の再構築:構造から内容へ 引言 経脈学説はどのように説明するのか――事を明らかにして理を求める

第1節 「理論」は処方の解説のごとし,「事実」は処方のごとし

 いわゆる「手の太陰肺経」とは,手の太陰五輸穴がもつ肺病を治す作用メカニズムに対して古代人が提出した一種の仮説である。簡単に言えば,「本輸の主治の及ぶ所は,則ち経脈循行の至る所である」。

第2節 事実には確かな証拠があるが,理論には定まった形はない

 ここで特に注意してほしいのは,異なる時期,異なる学派が構築した経脈学説には異なる特徴があるが,たとえ同一学派の経脈学説であったとしても異なる発展段階にあっては異なる特色が表現される。われわれが今日熟知しているのは,標準化処理をへた経脈理論の定型テキスト,経脈理論にもとづいたフォーマットにすぎない。

 もし今日の経脈理論に対する実験研究が,相変わらず古代人が同様の関連の法則から出した異なる経脈解釈である一本一本の異なる循行線に固執し,実験室でこれらのたえず更新されつづけた定まった形のない線に対して,対応する実体構造を意固地に探せば,おそらくは古代人にさえみな笑われるであろう。

 「有線」と「無線」,古代人が伝えた意味は,まったく同じである。しかし,なぜこのような異なる表現の仕方は,現代人の理解に大きな相違を生じさせたのだろうか。

 理論の束縛がなければ,経験は伝承しがたいこともある。まさに酒瓶がなければ,酒はとうになくなっているようなものである。一旦経験が継承できれば,なすべきことはそれを緩めることで,瓶の蓋を開けて瓶の中にある酒を注ぎだし,そうした後で新たな時代に科学技術の発展した新たな高みに立ち,新品の酒を重視して酒を鑑定し,経験が構築する新たな理論の容れ物とする。

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