2016年8月26日金曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』 第9章 理論構造と科学的概念内容――「鏡」に照らすと「ふるい」にかける

  第2節 概念と仮説
 鍼灸診療の経験がたえず蓄積されるのにつれて発見された人体の遠隔部位間の連係が多くなればなるほど、血脈の直接的なつながりを使って解釈することが難しくなった。こうして一種の純粋に連係機能をあらわす「脈」「絡」という抽象概念が生長してきた。まさにこのような抽象概念を基礎として、手足の三陰脈の四肢の近位端における循行は、体表解剖学で実証された三脈が一つになった実線から発展変化して、はじめて経脈篇での三脈が並行する虚偽の線となることができた。「絡」の一種である「経別」は完全に抽象的な概念であり、その機能は六陽脈とそれに対応する六腑との連係を説明することである。

 デカルトの『第一哲学についての省察』で、神経は血管につきしたがう、中空の管であり、体表から途切れることのない直線のかたちで直接大脳とつながって、感覚を生じているとし、「これらの神経は縄のように足からまっすぐに大脳内にいたる……かならず腿部・臀部・腰部・背部・頸部を通過する」という。
 【『省察』中の図あり】もし中国人が図の注の助けをかりずにこの図をみたら、經脈図にある足の太陽経の図だときっと理解する――体表の循行路線は完全といっていいほど重なっている。

 これからわかるように、いかなる時代の科学理論も、その時代の特徴を深くとどめていいないものはなく、科学者はその身を置くその時代を超越した科学仮説を提出することはできない。

 すでに発見された古典経脈理論中の論理的な弱点や理論と経験的事実のあいだにある矛盾は、当時のメンデレーエフの元素周期律理論とくらべて見ると、多い。これは、理論仮説に人体の「体表―体表―内臓関連律」の本質が反映されていないことを示している。われわれの今日の理論と実験研究の目標は、よりよい仮説を探求し、解釈する力がより強い、論理性のより高い理論を再構築することであって、数千年前に古代人が提出した、今日からみて明らかな弱点のある仮説を証明しようとすることでは、絶対にない。

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