2016年8月3日水曜日

原穴診

原穴診は可能かについて,そもそも例えば太白あたりには脈動なんて無いじゃないかと言われたけど,なんでだか忘れたけど,たぶん見るからに「愁憂而不解」という感じの女性だったから,太白穴に触れてみたら,異常な,なんと表現すれば良いのか,とにかく長くは触れていたくない異常な感じが有った。あれも原穴診の内じゃ無いか。自分の患者じゃ無くて,偉い先生の臨床を見学していたときだから,わたし自身は何もしてないが,例えば鍉鍼か何かで,あの異常な感覚を解消できれば,「愁憂而不解」も好転するのではあるまいか。

5 件のコメント:

  1. 九針十二原篇に、「五藏有疾,當取之十二原」と言い、「五藏有疾也,應出十二原」と言う以上は、原穴診は有ったはず。
    ところが、原穴すべてに脈動が有るわけではない、という意見も有る。
    これに折り合いをつけようとすれば:
    原穴診は必ずしも脈動を診るわけではないというのが一つ。
    もとの原穴は現在通行の原穴とは、必ずしも一致しないのかもというのが一つ。
    そして脈動なんて無いという原穴にも、深刻な状況では搏動が生じるのかも知れないというのが一つ。

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  2. そもそも太白にだって微細な脈動は触れると思う。

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  3.  九針十二原篇は「応出十二原」とあり、つづいて「覩其応、而知五藏之害矣」とあり、反応が原穴に出ると言っています。反応には、圧痛、硬結、陥下などあり、拍動もその一つであります。
     したがって、太白穴に拍動が無くとも、問題ないのでは?


    、「動出十二原」とあるなら、かならずしも拍動だけで無いでしょう。

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  4. だからそう言っていたつもりです。

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  5. 経脈篇の是動則病を,手足の本の方に在るポイントが動じているときには以下のような病である,と訓んでます。そして両者を繋ぐものが必要だから,経脈というものを仮設する。そして,陰経脈の標の方に在るもの(こと)を五臓として整理する。本のポイントは原穴ということになる。この考えのほとんどは,黄龍祥さんの説明からの示唆です。どこかからは,私の妄想かも知れない。まあ,その辺は置いといて,黄龍祥さんは「これ動ずるときは則ち病む」の「動」を脈動と言っているように思う。(だから,背輸と五臓を繋ぐものは経脈とは言えない?背輸には脈動が無いから?)黄さんの論文を読み間違えているだろうか。そもそも,「動」はやはり「うごく」なのだろうか。何か,変わったことが起こっている,でも良いのだろうか。

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