2016年8月14日日曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第3章 扁鵲医学と脈の離合——診脈から血脈・経脈に至る理論の創設

  【まとめ】
1. 脈診,およびこれらから派生した血脈理論と経脈理論は,すべて扁鵲学派を出自とする。その基本となる思想と診療の経験は,いまなお『脈経』や『素問』などの書物によって伝えられている。
2. 足の陽明胃経の「是動」病が心神病症としてあらわされる理由は,扁鵲脈法では陽明脈が心臓に対応しているためである。足の太陰脾経の病候が胃の症状としてあらわされる理由は,早期の扁鵲医学では太陰は胃に属し,胃は「臓」に属して「腑」には属さないためである。これも扁鵲脈法が胃の脈を診ることを重視するという考え方と対応している。
3. 各伝本【訳注:張家山『脈書』馬王堆『陰陽十一脈』『霊枢』など】の経脈の下にみな脈死候がある理由は,扁鵲脈法が「病の生ずる所を診る」と「死生を決して治す可きを定める」という二項目を含んでいるためである。「是動」病は,扁鵲の標本脈法の「病の生ずる所を知る」という経験の総括である。脈死候は,扁鵲脈法の異なる段階での「死生を決する」経験の総括である。すなわち【『脈書』の】「五死」が反映しているのは,中期の扁鵲脈法中の「脈死候」であるが,【『霊枢』】経脈篇に収録されているものは最晩期の内容である。『陰陽十一脈』の足太陰脈および『陰陽十一脈』と『足臂十一脈』の足厥陰脈の下にある「脈死候」は依然として経験を描写したものであって,理論に昇格する以前の産物であり,早期の扁鵲脈法の内容である。
4. 【ここだけ読んでも理解できないと思われるので省略します。】
5. 扁鵲医学の文献をもっとも欠落なく保存している『脈経』で,診るところの脈・刺すところの脈・聯繋する脈はみなまったく同じ三陰三陽によって命名されているのはなぜか?十二経脈も,十五絡脈中の手足三陰三陽の絡と同様に,ただ一箇所の脈診部=脈口・一穴=経脈穴があるだけなので,それによって三陰三陽の名で,脈口とその対応する穴および経脈名を命名しても識別上の困難を生じることはないからである。
6. 扁鵲医学に宿っていた経脈学説はおもに三段階をへて誕生した。第一段階:手足の脈口部で,ある遠隔部の病を診ることができることを偶然発見した。第二段階:その脈口部でさらに多くの遠隔部の病症を診ることを自覚的にためし,長い時間をかけて繰り返し調べて,その脈口で診られる通常の病症,つまり脈候を確定した。すなわち脈候が確立した。第三段階:種々の異なる学説をもちいて脈候についての解釈をこころみた。すなわち脈解があらわれた。いろいろな「脈解」が次々とあらわれた。突出して主流となる学説はなかったが,古代人は脈候の解釈について哲学の範疇をこえて,経脈学説をもちいてより直接的により実用的な解釈をはじめたのちは,この理論は迅速に広範囲に応用されるようになり,脈候の解釈に用いられるのみならず,五色の関連の解釈にも用いられるようになった。「絡」は経脈学説の中で最も活躍するようになったが,同時に最も不安定な要素である。要するに,解釈の必要に応じて生まれ,解釈の変化にしたがって変わった。【突然「絡」がでてきますが,これも前にある文章を読まないと,わかりづらいと思います。要するに,経脈が固定・確定されると,それと離れたところで発生する病症などを関連した事柄としてあつかい,説明するために,「絡」というツールが(安易に)使い回される,ということだと思います。】
7. 『内経』の中で,「経脈穴」で組み立てられる鍼灸処方の源は扁鵲であり,とりわけ処方には分量を数値化してあきらかにし,鍼具には砭鍼を用いた。

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