2016年8月18日木曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第一篇 理論体系:還元と解釈 第5章 標本と根結は似て非なるものである——誤解が習い性となれば正解にまさり,最後まで悟らない

  結語:惑いを解く まとめ

1. 脈口は経脈の虚実盛衰を診察する窓口であり,本輸と標輸は経脈病候を治療する「経兪」である。『内経』の時代では,経脈で分類された穴は,本輸と標輸しかなかったし,経脈の循行をあきらかに体現しているのも本輸と標輸の位置であった。その他の穴は,循行路線上には示されることはほとんどなかった。経脈循行の描写は,あいまいなものから具体的なものへの途上にあるが,これは主に本輸と標輸の拡張と増加によるものである。
2. 伝世本『内経』の「本輸」には二つの異なる概念の内容が含まれている。一つは一穴の本輸である「経脈穴」であり,もう一つは五穴の本輸である「五輸穴」である。年代が本輸篇成立以前である『霊枢』『素問』の各篇では早期の「経脈穴」の本輸の概念が用いられ,年代が本輸篇以後の各篇では「五輸穴」の本輸概念が用いられていて,これらが文集としてまとめられているのである。【本輸篇以前のものとしては,『霊枢』五乱(34)・『太素』卷三十・衄血・『素問』通評虚実論(28)が,本文ではあげられている。】
3. 『内経』刺法の規範的専門篇である『霊枢』官針(07)での腧穴に関連する刺法は,みな本輸にあり,臨床では経脈および臓腑病の治療に用いられる。「循経取穴【経に循〔したが〕って穴を取る】」とは,すなわち経脈の病を辨して本輸の穴を取ることである。現代人は,「循経取穴」を「経に循って,宋以後に経に帰属したあらゆる361穴を取る」と理解している。現代人の「循行取穴」についての誤解は,「寧ろ其の穴を失するとも,其の経を失すること勿れ」【標幽賦に対する『鍼灸大成』楊氏注解に見える】という古訓の曲解をもたらし,認識上きわめて大きな混乱を引き起こした。【たとえば照海はもともと陰蹻穴に属していたが,宋以後,足の少陰経に帰属することになった。足の少陰経に循って照海穴を取って目の病を治療するときに,足の少陰経は目に達していないのに,現代人は「循経取穴」をどのように理解し,どのように説明するのか。どのように臨床実践を指導するのか。】
4. 標本は『十一脈』に芽生えた。根結は経脈篇の「経脈連環」の基礎である。「根結説」が構築した手足同名経脈の「根づくことろは対応し,結ぶところは同じか近い」という理論構造は,後の経脈篇が構築した十二の「経脈連環」への道をひらいた。ここに最大の意義がある。伝世本『霊枢』根結(05)には脱簡がなく,それに述べられている「三陰三陽」の根結には,すでに手足の六経がふくまれている。【根結篇には,手足の陽経のみが述べられて,陰経についての記述はない。】
5. 「根溜注入」【根結篇を参照】が反映しているのは,血脈循環理論の内容であり,標本根結の「木型」モデルの意味とはまったく異なる。これは,異なる時代の異なる問題に対する論述である。
6. 早期の経脈命名法には,おもに二種類ある。第一に,「手太陰」「手陽明」「足太陰」「足陽明」のように,「本」を名とするもの。第二に,「歯脈」「耳脈」「肩脈」のように「標」を脈の名とするもの。そのうち,第一の,三陰三陽で命名された経脈名称は,同時に相応ずる脈口と本輸の名称でもある。たとえば,「手太陰」は手から胸にいたる手太陰経脈全体の名称であるが,また手太陰の脈口の名称――寸口脈――でもあり,また早期の手太陰本輸の名称――すなわち脈口のところで,のちの太淵と経渠に相当する場所――でもある。
1. それぞれの脈あるいは絡にはただ一穴のみの段階があった。十一脈あるいは十二脈について言えば,それはすなわち脈口の「経脈穴」である。経脈と対応する十一あるいは十二の絡脈について言えば,これは「別れる所」にある絡穴である。陰蹻と陽蹻の脈について言えば,脈と名前が同じである「陰蹻」「陽蹻」穴である。まさにこれらの穴は,関連する脈あるいは絡が生成し延伸していった方向と路線を決定している。これらは脈あるいは絡が発生し発展していった原点であり,この意味からこれを「原」あるいは「源」穴と称するのは,非常に妥当である。

1 件のコメント:

  1. 訂正:2
     ★年代が本輸篇成立以前である『霊枢』『素問』の各篇では早期の「経脈穴」の本輸の概念が用いられ,年代が本輸篇以後の各篇では「五輸穴」の本輸概念が用いられていて,これらが文集としてまとめられているのである。
    →論文としてまとめられた年代が,本輸篇以前の『霊枢』『素問』各篇では早期の「経脈穴」という本輸の概念が用いられているが,本輸篇以後の各篇では「五輸穴」という本輸の概念が用いられている。

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