2018年11月10日土曜日

扁鵲眞流鍼書

                     西尾市立図書館岩瀬文庫所蔵『鍼灸之書』(一三五函六三号)
                    『臨床実践鍼灸流儀書集成』九所収 

    (識語 六九頁)
今此扁鵲眞流書者從大唐渡實管云者
依得玅針懇望以爲傳授竟然則以五
鍼平愈五臟疾叓更以非私儀竊以上
古三皇之代初神農氏從作靈樞經以來
雖多諸醫針術无逾秦越人王扁鵲之傳
又於本朝奈良都聖武御宇自天平之比至
于今雖有家々鍼書數多慥説稀也故予
拾加俗解難經之井滎兪經合陰募陽兪
旨參考鍼灸捷經之祖以明堂經上下記穴
    ウラ
法無疑難樣以銅人形具明之爲殘乎世
雖然後明良醫刪誤有取摘者猶是可矣

    【訓み下し】
今ま此の扁鵲眞流書なる者は、大唐從(よ)り渡れる實管と云う者、玅針を得るに依りて、懇望して以て傳授を爲す。竟然として則ち五鍼を以て五臟の疾を平愈す。事更に以て私儀に非ず。竊(ひそ)かに以(おも)んみるに、上古三皇の代、初めて神農氏 靈樞經を作りし從り以來、諸醫の針術多しと雖も、秦越人王扁鵲の傳を逾(こ)ゆること无(な)し。又た本朝奈良の都に於いて、聖武御宇 天平の比(ころ)自(よ)り、今に至るまで家々の鍼書數多(あまた)有りと雖も、慥(たし)かなる説は稀なり。故に予 俗解難經の井滎兪經合・陰募・陽兪の旨を拾い加え、鍼灸捷經の祖を參考し、明堂經上下を以て
    ウラ
穴法を記す。疑難無き樣、銅人形を以て具(つぶ)さに之を明らかにす。世に殘さんが爲なり。然りと雖も後の明良なる醫 誤りを刪(けず)り、取りて摘む者有らば、猶お是れ可なり。

    【注釋】
今此扁鵲眞流書者 ○從大唐渡實管云者:本書の異本、『扁鵲(「真」ではなく)新流鍼書』(杏雨書屋蔵)の跋文は、「奥州九部住人、越齋壽閑ト云者」につくる。 ○依得 ○玅:「妙」におなじ。 ○針 ○懇望:(わたしが)ひたすら願い望む。熱心に希望する。/『扁鵲新流鍼書』は、「應望(望みに応じ)」につくる。 ○以爲傳授 ○竟然:思いがけず。意外にも。意味がとりにくいが、「思いがけないほどの治療効果が得られて」と解しておく。 ○則以五鍼平愈五臟疾 ○叓更:「叓」は「事」の異体字。ことさらに。とりたてて。わざわざ。 ○以非 ○私儀:「わたくしぎ」(自称)ではなく、「私議」(自分勝手な意見)と解しておく。 ○竊:「窃」におなじ。謙遜語。 ○以:かんがえる。 ○上古 ○三皇:三人の帝王。誰を指すかは諸説あり。ここでは、伏羲・神農・黄帝としておく。 ○之代初神農氏從作靈樞經 ○以來:このかた。 ○雖多諸醫針術 ○无:「無」におなじ。 ○逾秦越人 ○王:扁鵲は、宋代に「神應侯」に封じらた(宋・江少虞『皇朝類苑』卷四十七・占相醫藥、『宋史』卷四百四十二列傳第二百一・文苑四)が、「王」は不詳。 ○扁鵲之傳又於本朝奈良都 ○聖武:在位七二四~七四九年。 ○御宇:天子の治世の期間。御(み)代(よ)。 ○自 ○天平:七二九~七四九年。 ○之比至于今雖有家々鍼書數多慥説稀也故予拾加 ○俗解難經:明の熊宗立『勿聽子俗解八十一難經』。 ○之井滎兪經合陰募陽兪旨 ○參考 ○鍼灸捷經之祖:『俗解難經』のことか。 ○以 ○明堂經上下:『太平聖惠方』卷九十九・一百を指すか。『鍼灸資生經』の引用文を指すか。
    ウラ
 ○記穴法:『扁鵲新流鍼書』跋文では、下記のように【訓み下し】たが、今回はよみかたをかえた。 ○無疑難樣以銅人形具明之爲殘乎世雖然後明良醫刪誤有取摘者猶是可矣

慶長拾六辛亥 曆 村井四郎右衛門尉
    正月吉辰   之〔花押〕
    長尾太郎左衛門樣
          相傳之畢

    【注釋】
○慶長拾六(辛/亥):一六一一年。

    ※ 参考として、『扁鵲新流鍼書』跋文【訓み下し】をあげる。
      【原文】【注釋】など詳細は、『江戸時代鍼灸文献序跋集』を参照。
    今ま此の扁鵲新流書なる者は、奥州九部の住人、越齋壽閑と云う者、玅針を得るに依りて、望みに應じて以て傳授を為す。竟然として則ち五鍼を以て五臟の病疾を平愈す。事更ら以て私儀に非ず。竊(ひそ)かに以(おも)んみるに漢土三皇の代、初めて神農氏從りて靈樞經を作りて以來、注多く、諸醫の針術、秦越人王扁鵲の傳を逾(こ)ゆること無く、又た本朝、奈良の都に於いて、聖武御宇天平の比(ころ)自り、今に至るまで、家々の鍼書數多(あまた)有りと雖も、慥(たし)かなる説は稀(まれ)なり。故に予 俗解難經の井滎兪經合、陰募陽兪の旨を拾いて加え、鍼灸捷經の祖、明堂經上下を以て參考とし、穴法を記すに疑難無き様に、銅人形を以て、具(つぶ)さに之を明らかにす。世に殘さんが為なり。然りと雖も、後の明良なる醫、誤りを刪り、取りて摘む者有らば、猶お是れ可なり。
    旹(とき)に慶長拾二丁未霜月吉辰


                『臨床実践鍼灸流儀書集成』九(一〇五頁)

眞撰小銅人畧圖之序
夫人身藏府爲濟疾病十二經絡定鍼灸孔
穴數表名處者徃昔漢土聖人之業也或以銅
鑄人象爲五藏六府差別明諸經井滎名銅
人形黄帝作明堂經考病之來去遠近察五
行五邪傳變人生死記穴法故經曰湯藥攻其内
鍼灸治其外則病無逃然後其諸經本朝到
來偶予按之胸中小智而愚故不及拜見多而
察心少雖然纂前聖鍼灸圖經互觀應意明
白而及管見所妙觧誌和之點之爲一集今名
    ウラ
眞撰銅人圖經願猶後世醫可明之亦是爲庸
醫便哉

    【訓み下し】
眞撰小銅人畧圖の序
夫(そ)れ人身藏府 疾病を濟(すく)わんが爲に、十二經絡 鍼灸孔穴の數を定め、名(みよう)處(しよ)を表わすことは、徃昔(そのかみ)漢土聖人の業(しわざ)なり。或るいは銅(あかがね)を以て人象を鑄(い)て、五藏六府の差(しや)別(べつ)を爲し、諸經の井滎を明らめ、銅人形と名づく。黄帝は明堂經を作(さく)して、病の來去・遠近を考え、五行・五邪の傳變、人の生死を察(あき)らめ、穴法を記(しる)す。故に經(きよう)に曰く、湯藥は其の内(うち)を攻め、鍼灸は其の外(ほか)を治す。則ち病逃(のが)るること無し。然して後(のち)、其の諸經 本朝に到來す。偶(たま)々(たま)予が之を按ずるに、胸中小智にして愚なる故、拜見に及ばざること多くして、心に察すること少なし。然りと雖も、前聖鍼灸の圖經を纂(あつ)め、互いに觀て意(こころ)に應じ、明白にして管見に及ぶ所の妙觧(げ)を誌(しる)す。之を和し之を點す。一集と爲して、今ま
    ウラ
眞撰銅人圖經(きよう)と名づく。願わくは猶お後世の醫 之を明らむ可し。亦た是れ庸醫の便りとも爲らんや。

    【注釋】
眞撰小銅人 ○畧:「略」の異体字。 ○圖之序
夫人身藏府爲濟疾病十二經絡定鍼灸孔穴數表名處者 ○徃:「往」の異体字。 ○昔:ルビの「そのかみ」は、その時・往事。 ○漢土聖人之業也或以銅鑄人象爲五藏六府 ○差別:区別。 ○明諸經井滎名銅人形黄帝作明堂經考病之來去遠近察五行五邪傳變人生死記穴法 ○故:本書にはルビなし。武田杏雨書屋(乾三六八八)『新撰小銅人略圖』には「カルカユヘニ(かるがゆえに)」とある。 ○經曰:『備急千金要方』卷第二十九(鍼灸上)・明堂三人圖第一「故經曰、湯藥攻其内、鍼灸攻其外、則病無所逃矣。方知鍼灸之功、過半於湯藥矣」。 ○湯藥攻其内鍼灸治其外則病無逃然後其諸經本朝到來偶予按之胸中 ○小智:浅知恵。浅薄な見識。 ○而愚故不及拜見多而察心少雖然纂前聖鍼灸圖經互觀應意明白而及 ○管見:管を通して見る。見識の狭く浅いことをいう謙遜語。 ○所 ○妙觧:「觧」は「解」の異体字。「妙解」は、仏教語で、正しい理解。 ○誌 ○和之:やわらげる。日本語にする。和訳する。 ○點之:点を打つ。訓点をつける。 ○爲一集今名
    ウラ
眞撰銅人圖經願猶後世醫可明之亦是爲 ○庸醫:技術が劣る医者。 ○便:頼みとするもの。よりどころ。便宜。 ○哉:杏雨書屋本には、この前に「共」字あり。「便り共爲らんや」で、本書とおなじ読みになる。

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