2018年11月1日木曜日

鍼治或問

                              九州大学図書館所蔵(シ・四六四)        
                              臨床実践鍼灸流儀書集成4所収          

鍼治或問序
伏惟人身有神志氣血
肉而具全體也資生之
者腎之元陽也謂之先
天長羪之者胃之和陽
也謂之後天榮衛脉液
所其化也攝於生羪者
虗無恬憺也聖人以下
飲食不節情欲偏倚不
    ウラ
能以恬憺矣故五者或
有餘或不足有餘爲實
不足爲虗倶是邪病也
所以毉道之由起也治
之術者鍼灸藥之三者
而已矣原夫藥者元毒
艸也氣味入胃而通五
藏以驅邪復正也一味
不的則却殘毒也矣灸
    二オモテ
者元熱火也灼氣通肉
而達四末以順氣行陽
也些箇不應則忽蓄熱
也矣鍼者元無氣味也
從外而徹內冩有餘補
不足其瀉者開塞之謂
經云奪其來者也其補
者導陽之謂經云送其
從者也迎隨又在于補
  二ウラ
瀉之中也更不殘於毒
味亦不蓄於熱氣而邪
退正復則固鍼平和於
灸藥者也哉雖然刺法
參差淺深爲二遠近違
志則壅塞而絕陽也矣
是以徃古來今倭漢毉
師明于灸藥者多而聖
于刺鍼者鮮矣實非心
    三オモテ
業妙手則豈可得於起
癈愈痼乎哉于茲在矢
野氏白成者博聞篤實
且學醫道精于藥劑專
神于鍼術自試施人年
已尚矣解於殘疾顛連
不可勝記也猶一旦不
能拔其病根者授諸刺
法而令人〃自治之所
  三ウラ
以遊其門者亦若干家
其能業皆從心德出焉
其刺法皆從內經來焉
世之執刺鍼者不可同
日而語也竊以難會得
者心理也況於心業哉
故世人於其術發疑抱
惑者頗多毎遇其人或
得難問而辨之或受責
  四オモテ
談而論之精詣無遺終
書小册命曰鍼治或問
一開卷則累日憤惛炳
乎若日朗渙乎若氷釋
誠不刊之法言也因請
彫刻公于同志閲此書
而信其術尋其人而得
其刺則宿塊凝塞快然
開通和陽充滿神志氣
  四ウラ
血復其元矣榮衛脈液
遂其行矣全形體盡天
壽必矣大利于弟子世
人之解惑云爾旹貞享
乙丑五月朔旦武陽庸
毉無求子笠原道順謹


    【訓み下し】
鍼治或問序
伏して惟(おも)んみれば人身 神・志・氣・血・肉有って、全體を具す。之を資(たす)けて生ずる者は腎の元陽なり。之を先天と謂う。之を長羪する者は胃の和陽なり。之を後天と謂う。榮衛脉液、其の化する所なり。生羪を攝(と)る者は虗無恬憺なり。聖人以下は、飲食節ならず、情欲偏倚して、
    ウラ
以て恬憺なること能わず。故に五の者或るいは有餘し、或るいは不足す。有餘を實と爲し、不足を虗と爲す。倶に是れ邪病なり。毉道の由って起こる所以(ゆえん)なり。之を治する術は、鍼・灸・藥の三つの者のみ。原(たず)ぬるに夫(そ)れ藥は元(もと)毒艸なり。氣味 胃に入(い)りて五藏に通じ、以て邪を驅り正を復す。一味も的せざるときは、(則ち)却って毒を殘す。灸は、
    二オモテ
元(もと)熱火なり。灼氣 肉に通じて四末に達し、以て氣順し陽を行(めぐ)る。些箇(かごと)も應ぜざるときは、(則ち)忽ち熱を蓄う。鍼は元(もと)氣味無し。外從(よ)りして內に徹し、有餘を冩し、不足を補う。其の瀉とは、塞を開くの謂。經に其の來を奪うと云う者なり。其の補とは、陽を導くの謂。經に其の從を送ると云う者なり。迎・隨又た
  二ウラ
補瀉の中に在り。更に毒味を殘さず、亦た熱氣を蓄えずして、邪退き正復す。(則ち)固(まこと)に鍼は灸藥より平和なる者か。然りと雖も、刺法參差して、淺深 二と爲り、遠近 志を違(たが)えば、(則ち)塞を壅して陽を絕す。是(ここ)を以て徃古來今倭・漢毉師、灸藥に明なる者は多くして、刺鍼に聖なる者は鮮(すく)なし。實に
    三オモテ
心業妙手に非ずんば、(則ち)豈に癈を起こし痼を愈やすことを得(う)可(べ)けんや。茲に矢野の氏白成という者在り。博聞篤實にして、且つ醫道を學び、藥劑に精しく、專ら鍼術に神なり。自(みずか)ら試み人に施すこと年已に尚(ひさ)し。殘疾顛連を解くこと、勝(あ)げて記(しる)す可からず。猶お一旦に其の病根を拔くこと能わざる者のごとき、諸(これ)に刺法を授けて、人々をして自(みずか)ら之を治せしむ。
  三ウラ
所以(このゆえ)に其の門に遊ぶ者亦た若干家、其の能業 皆な心德從(よ)り出でて、其の刺法 皆な內經從り來たる。世の刺鍼を執る者と、日を同じくして語る可からず。竊(ひそ)かに以(おも)んみれば、會得し難き者は、心理なり。況んや心業に於いてをや。故に世人 其の術に於いて疑を發し惑を抱(いだ)く者、頗る多し。其の人に遇う毎に、或るいは難問を得て之を辨し、或るいは責
  四オモテ
談を受けて之を論じ、精詣遺(のこ)すこと無し。終(つい)に小册に書して命づけて鍼治或問と曰う。一たび卷を開けば、(則ち)累日の憤惛、炳乎として日の若(ごと)く朗(あき)らかに、渙乎として氷の若く釋(と)く。誠に不刊の法言なり。因って請いて彫刻し、同志に公(おおやけ)にす。此の書を閲(み)て、其の術を信じ、其の人を尋ねて、其の刺を得れば、(則ち)宿塊凝塞、快然として開通し、和陽充滿して、神・志・氣・
  四ウラ
血、其の元に復し、榮・衛・脈・液、其の行を遂げん。形體を全うし、天壽を盡(つ)くさんこと必せり。大いに弟子・世人の解惑に利ありと云(いう)爾(のみ)。旹(とき)に貞享乙丑五月朔旦 武陽の庸毉無求子笠原道順謹んで叙す。

    【注釋】
鍼治或問序
伏惟人身有神志氣血肉而具全體也資生之者腎之元陽也謂之先天長 ○羪:「養」の異体字。「長養」は、そだてやしなう。 ○之者胃之和陽也謂之後天榮衛脉液所其化也攝於生羪者 ○虗:「虛」「虚」の異体字。 ○無 ○恬憺:「恬惔」「恬澹」「恬淡」におなじ。清静淡泊。『莊子』刻意「虛無恬惔、乃合天德」。 ○也聖人以下飲食不節情欲 ○偏倚:かたより。偏向。 ○不
    ウラ
能以恬憺矣故五者或有餘或不足有餘爲實不足爲虗倶是邪病也所以 ○毉:「醫」「医」の異体字。 ○道之由起也治之術者鍼灸藥之三者而已矣原夫藥者元毒 ○艸:「草」の異体字。 ○也氣味入胃而通五藏以驅邪復正也一味不的則却殘毒也矣灸
    二オモテ
者元熱火也灼氣通肉而達 ○四末:四肢。 ○以順氣行陽也 ○些箇:若干。ほんのすこし。 ○不應則忽蓄熱也矣鍼者元無氣味也從外而徹內 ○冩:「寫」「写」の異体字。「瀉」におなじ。 ○有餘補不足其瀉者開塞之謂經云奪其來者也其補者導陽之謂經云送其從者也迎隨又在于補
  二ウラ
瀉之中也更不殘於毒味亦不蓄於熱氣而邪退正復則固鍼平和於灸藥者也哉雖然刺法 ○參差:ばらばら。すれちがう。矛盾。 ○淺深爲二遠近違志則壅塞而絕陽也矣
是以 ○徃:「往」の異体字。 ○古來今:「往古來今」、過去から現在まで。 ○倭漢毉師明于灸藥者多而聖于刺鍼者鮮矣實非
    三オモテ
○心業:こころのわざ、はたらき。 ○妙手:技能がきわめて高いひと。きわめて高い手法。 ○則豈可得於起 ○癈:「廢」の異体字。「起廢」、廃人を立たせる。 ○愈 ○痼:根の深い難治の病。 ○乎哉于茲在 ○矢野氏白成:本文および『鍼治枢要』によれば、姓は橘。 ○者博聞篤實且學醫道精于藥劑專神于鍼術自試施人年已尚矣解於 ○殘疾:疾病。四肢の障碍、欠陥。 ○顛連:非常な苦しみ。宋・張載『西銘』「凡天下疲癃殘疾、惸獨鰥寡、皆吾兄弟之顛連而無告者也」。 ○不可勝記:非常に多くて、一々記載のしようがない。『文選』司馬相如『子虛賦』「充牣其中、不可勝記、禹不能名、禼不能計」。 ○也猶 ○一旦:一日。にわかに。わずかの時間に。 ○不能拔其病根者授諸刺法而令人〃自治之所
  三ウラ
以遊其門者亦若干家其能業皆從 ○心德:人の意識と性情。 ○出焉其刺法皆從 ○內經:『素問』と『霊枢』。 ○來焉世之執刺鍼者 ○不可同日而語:両者の違いは大きいので、同列に論じることはできない。『戰國策』趙策二「夫破人之與破於人也、臣人之與臣於人也、豈可同日而言之哉」。 ○也竊以難會得者心理也況於心業哉故世人於其術發疑抱惑者頗多毎遇其人或得難問而辨之或受責
  四オモテ
談而論之 ○精詣:「精到」におなじ。細密周全。 ○無遺終書小册命曰鍼治或問一開卷則 ○累日:連日。多日。 ○憤惛:あるいは「憤恨」とおなじか。「惛」は、憂い悶えるさま。 ○炳乎:明白。はっきり。光を発するように。 ○若日朗 ○渙乎:突然大いに悟るさま。 ○若 ○氷釋:氷解する。 ○誠 ○不刊:「刊」は、竹簡上に書いてある誤った文字を刀で削る。「不刊之書(典)」は、他人の著作を褒めるときに用いることば。一字も代えられない模範となる書。 ○之 ○法言:法とすべき言葉。格言。 ○也因請彫刻公于同志閲此書而信其術尋其人而得其刺則 ○宿塊:古くからあるかたまり。 ○凝塞:凝集閉塞。 ○快然:うれしい、よろこばしいさま。 ○開通 ○和陽:「和暢」とおなじか。のびやかになる(する)。 ○充滿神志氣
  四ウラ
血復其元矣榮衛脈液遂其行矣全形體盡天壽必矣大利于弟子世人之解惑 ○云爾:語末の助詞。「しかいう」などとも訓む。かくのごときのみ。 ○旹:「時」の異体字。序跋によく用いられる。 ○貞享乙丑:貞享二(一六八五)年。 ○五月 ○朔旦:ついたち。 ○武陽:江戸。 ○庸毉 ○無求子笠原道順: ○謹叙

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