2018年11月4日日曜日

廣狹神倶集・理穴集

廣狹神倶集・理穴集
          『臨床実践鍼灸流儀書集成』六所収

  京都大学附属図書館富士川文庫所蔵『廣狹神倶集』『理穴集』合綴本(コ・一四五)

  廣狹神倶集
        長生菴一指叟了味
夫治病之鍼穴雖多功之至速撰出今此卷乘鍼之
數少治之法又廣故名廣狹神倶集

    【訓み下し】
        長生菴一指叟了味
夫(そ)れ治病の鍼穴多しと雖も、功の至って速(すみやか)なるをば撰び出だし、今ま此の卷に乘す。鍼の數少にして、之を治する法は、又た廣し。故に廣狹神倶集と名づく。

    【注釋】
○長生菴一指叟了味:土佐の武士、桑名將監の別名。生没年未詳。雲海士流。長野仁・高岡裕「小児鍼の起源について」、日本医史学雑誌、第五十六巻第三号、三九八頁を参照。 ○夫治病之鍼穴雖多功之至速撰出今此卷乘鍼之數少治之法又廣故名廣狹神倶集:刊本『新撰廣狹神倶集』(一八一九年序、石坂宗哲注):「それやまひを治(ぢ)する針(しん)穴(けつ)おほしといへども、効(かう)のいたつてすみやかなるを撰(ゑら)みいだし、いまこの卷(まき)にのす。針(しん)數(すう)すくなうして、治(ち)はう又ひろし。かるがゆへになづけて、くわうけう神(しん)倶(ぐ)集とがうす」。

             神倶集終
 右之一卷代筆之故令辨覽加朱闂了
慶長十七曆      長生菴了味在判
        七月三日

    【訓み下し】
 右の一卷、之を代筆す。故に辨覽せしめて朱闂を加え了(お)わんぬ。
慶長十七曆七月三日      長生菴了味在判
       

    【注釋】
○右之一 ○卷:原文は「局」の「口」を「﹅」にした字形をしているが、「卷」の異体字。 ○代筆之故令辨覽加 ○朱闂:「闂」は「巷」の異体字。「卷」の下に「一」の一画があるので、「圈」の誤字か異体字であろう。「朱圏」は、朱墨による圏点(﹅などのしるし)。 ○了 ○慶長十七曆:一六一二年。 ○七月三日 長生菴了味 ○在判:古文書の写しなどで、原本のほうにはここに花(か)押(おう)が書かれているということを示す語。ありはん。
       
  理穴集
 (跋)
        〔読みやすさを優先させ、原文のカタカナをひらがなにする。難解なところは、そのままカタカナで表記する。濁点・句読点を打つ。一部、振り仮名(推定)を振る。旧漢字で統一する。改行は、原文との照合の便を優先して、原文にしたがう。〕
       
       
        『臨床実践鍼灸流儀書集成』六の一一五頁
       
右此一卷、凡九十四穴之明察たり。御望(のぞみ)にまかせ、此を
和(やわらげ)て大和(やまと)語に成す。寔(まことに)周身之針穴三百六十餘穴
之内にして、印(しるし)深く、功之速(すみやかなる)所を案知して、理穴
集と號し、今也(や)異國に是を用(もちゆ)といへども、未(いまだ)我朝に
渡して、此書之有(ある)ことを不知(しらざり)しに、先之王辰之朝鮮
國騷屑之砌(みぎり)、予 君 長宗我部土佐之侍從、
テルラタウに亂入、某(それがし)もまた幕(ばつ)下(かに)有(あり)、或月疲馬に鞭
うち、松林に分(わけ)入(いり)、東西に馳走して、サルミトモをかり出(いだ)
す。其時之生捕(いけどり)數拾人も、内に由(よし)有(ある)上官一人あり。太刀
長刀之いきをひに恐れ不問(とわざる)に、我は朝鮮之名醫なり
    ウラ
と云。一侍、其旨を我に告(つぐ)。予則(すなわち)是を乞請(こいうけ)て
一命を扶(たす)く。後に尋(たずね)見(みれ)ば、金得拜と名を呼(よぶ)。不偽(いつわらず)、
誠に朝國之良醫たり。其年之孟秋に、一葉之
舟に身を奇(よせ)、火陽土佐之國に渡着す。某、同郷に
在之、風之朝(あした)月之夕(ゆうべに)行(ゆき)、以(もつて)是を師とし、醫工に奧
儀をとひ、行(おこない) 余力有(ある)時は、以(もつて)文を學(まなべ)の古き言葉に本(もと)
付(づい)て、あら〳〵鍼刺之旨を曉(あきら)む。漸(ようやく)にして其粗を得、
旦(あした)に口ずさみ、暮(くれ)に是を語る。風聲 是を不隱(かくさず)、世に又是
をうたふ。去(さる)に依(よつ)て、はからず一士之吹舉ありて、林鐘
之初(はじめつ)かた、名尊屋に參伺し、同中旬に、雲海士 補
  二オモテ
瀉・保神に至(いたる)迄、こと〴〵く備(そなわる)。貴盧了(りようし)、能(よく)此穴を
心に治(おさめ)、能(よく)此深意を手にふれて、痛所に鍼錐をく
ださば、病として不愈(いえざる)事あらじ。穴(あな)賢(かしこ)、々々。
慶長十七曆七月五日
          長生菴了味在判


    【注釋】
○王辰:「王」は「壬」の誤字。文禄元年(壬辰)。いわゆる文禄の役。 ○騷屑:擾乱不安。 ○長宗我部土佐之侍從:土佐の戦国大名、長宗我部元親(一五三九~一五九九年)。官位が「土佐守」で「侍従」だったために、「土佐侍従」の通称あり。 ○テルラタウ:全羅道(전라도/チョウルラド)であろう。 韓半島南西部。 ○幕下:家来。手下。 ○月疲:岩瀬本によれば、「日瘦」。或る日、瘦馬に……。 ○松林:岩瀬本「林林」。こちらの方がよさそう。 ○馳走:奔走。走り回る。 ○サルミトモ:未詳。「さる」は、さける、よける。「みども」であれば、身共。通常は、自称で「われ」の意であるが、ここでは(逃げ回る)「人間たち・人々」か。岩瀬本は「馳走シテサノミトモ」につくる。/大浦慈觀先生によれば、「サルミ」は朝鮮語で人間のことを意味する「サラム」がなまった言葉で、当時日本軍が朝鮮人を呼称した言葉。 ○生捕數拾人も:あるいは「数拾人を生け捕るも」とよむか。 ○由有:由緒がある。奥ゆかしく風情がある。 ○朝國:岩瀬本「胡國」。 ○孟秋:初秋。 陰暦の七月。/大浦先生:1592年7月。この年7月初旬、全羅道侵攻を企てる小早川隆景らの軍勢が朝鮮政府軍および高敬命らの義兵と大激戦を演じた「錦山(熊峙・梨峙)の戦い」があり、小早川軍の全州侵攻は頓挫した。 ○葉:水面に浮かぶ木の葉にたとえ、おもに小舟を数えるときに用いる。
    ウラ
○不偽:うそでなく。 ○火陽:太陽。土佐のことか。岩瀬本に、この語なし。 ○渡着:「着」の上から、「差」と書き直しているのかもしれない。「差」であれば、「わたしつかわす」(渡航させた)。 ○風之朝月之夕:よい時候と美しい景色を「花朝月夕」という。ここでは風が吹く朝から月が明るくなる夕方まで、という意味であろう。 ○醫工:金得拜。 ○行余力有時は以文を學:『論語』學而「行有餘力、則以學文」。 ○あらあら:概略。一通り。 ○風聲:声望。評判。 ○うたふ:ほめたたえる。称賛する。 ○去に依て:そういうわけで。 ○はからず:おもいがけず。 ○吹舉:「推挙」におなじ。 ○林鐘:陰暦の六月。 ○初かた:「はじめつかた」。初めのころ。 ○名尊屋:相手の家を敬って言っているのであろう。おそらく「尊家・尊宅・尊堂・貴家」におなじ。岩瀬本「名古屋」。/大浦慈觀先生の説:名護屋のことか。佐賀県北西部鎮西町の地名で、豊臣秀吉が朝鮮出兵の兵站基地として築城した。一五九一年に加藤清正をはじめとする九州諸大名により石垣が築かれ、数ヶ月で主要殿舎が完成。周辺には諸国大名の陣屋が築かれ、城下は総構えを施し、町屋が建ち並んだ。 ○參伺:うかがう。参上する。 ○貴盧:岩瀬本にしたがい、「盧」は「慮」の誤字と解す。「貴慮」は、相手を敬っていう、思慮の敬語。お考え。あなたがこの穴についてよくよく考え理解し、……。 ○了:さとる、理解する。「ついに」かもしれない。 ○心に治:岩瀬本「心ニ納」。 ○穴賢:書状の終わりにおく挨拶語。恐れ多いことです。 


        『臨床実践鍼灸流儀書集成』六の一一九頁
       
夫以至鍼製有九所以應陽九之數鍼義有五
所以合五行之用也古人用砭石後人伐(代カ)用九鍼其
體則金也長短小大名(各カ)隨所宜其勁直象木
也川原雍塞可決江河血氣凝滯者可疏
經絡其流通象水也將欲行鍼者先摸其
穴含鍼口然後刺之藉我陽氣資彼虛
寒其氣温象火也入鍼然按出鍼而捫按鎮
其氣道捫閉其氣門塡補土也諸如此類
皆鍼家之要所不可不知者也

    【訓み下し】
夫(そ)れ以(おも)んみれば鍼の製に至っては九有り、陽九の數に應ずる所以(ゆえん)なり。鍼の義に五有り、五行の用に合する所以なり。古人 砭石を用い、後人代うるに九鍼を用う。其の體は則ち金なり。長短小大、各々宜しき所に隨う。其の勁直は、木に象(かたど)るなり。川原雍塞すれば、江河を決する可し。血氣凝滯する者は、經絡を疏する可し。其の流通は、水に象(かたど)るなり。將(まさ)に鍼を行なわんと欲する者は、先(ま)ず其の穴を摸(さぐ)り、鍼口を含み、然る後に之を刺す。我が陽氣を藉(か)りて彼の虛寒を資(たす)く。其の氣の温は、火に象(かたど)るなり。鍼を入れ、然して按じて鍼を出(い)だして捫按して、其の氣道を鎮め、其の氣門を捫閉す。塡補は土なり。諸々此(かく)の如きの類、皆な鍼家の要所、知らざる可からざる者なり。

    【注釋】
夫以至鍼製有九所以應  ○陽九之數:「陽九」は、術数家や道家の説では、天厄・困苦の意で用いられるが、ここでは、「陽」の数としての「九」という意味であろう。なお原文の訓点にしたがえば「九所有り」「五所有り」とよむ。 ○鍼義有五所以合五行之用也古人用砭石後人 ○伐(代カ):傍記にしたがい、「代」とする。 ○用九鍼其體則金也長短小大 ○名(各カ):傍記にしたがい、「各」とする。 ○隨所宜其 ○勁直:剛強。堅実。 ○象木也川原雍塞可 ○決:詰まりを除いて水流をとおす。 ○江河:長江と黄河。 ○血氣凝滯者可 ○疏:開通する。水流をとおす。 ○經絡其流通象水也將欲行鍼者先 ○摸:さぐる。なでる。 ○其穴含鍼口然後刺之 ○藉:依託する。たのむ。 ○我陽氣 ○資:援助する。 ○彼虛寒其氣温象火也入鍼然按出鍼而 ○捫:なでる。 ○按鎮其氣道捫閉其氣門塡補土也諸如此類皆鍼家之要所不可不知者也


        『臨床実践鍼灸流儀書集成』六の一三二頁

某弱冠之比於洛陽友一隣翁嘗夜來草
屋且以一卷與予曰此是家傳之古書也吾子
學針最宜讀之矣因寫之云云
延寶七年六月廿八日 點養子謹書之  玄子

    【訓み下し】
某(それがし)弱冠の比(ころ)、洛陽に於いて、友一隣翁嘗て夜 草屋に來たりて、且つ一卷を以て予に與えて、曰く、此れは是れ家傳の古書なり。吾子 針を學ぶ。最も宜しく之を讀むべし、と。因って之を寫すと云云。
延寶七年六月廿八日 點養子謹書之  玄子

    【注釋】
○某:我。自称。 ○弱冠:古代の男子は年が二十歳になると冠をかぶった。『禮記』曲禮上「二十曰弱冠」。 ○之 ○比:ころおい。「頃」におなじ。 ○於 ○洛陽:京都。 ○友一隣翁:「友の一隣翁」か。 ○嘗夜來 ○草屋:草葺きの建物。狭く小さいものをいうことが多い。謙遜語であろう。 ○且以一卷與予曰此是家傳之古書也 ○吾子:あなた。親しみや敬愛をこめた言い方。 ○學針最宜讀之矣因寫之 ○云云:文末に置かれる助詞。意味はない。 ○延寶七年:一六七九年。 ○六月廿八日  ○點養子: ○謹書之  玄子


        『臨床実践鍼灸流儀書集成』六の一三七頁
  廣狹神倶集(岩瀬本)
夫疾ヲ治スルノ針多トイヱトモ、功之至速ナルヲ撰出〆
今此卷ニ舉ル也。針穴少シテ病ヲ治ルノ法ハ、又廣シ。故ニ
號〆廣狹神倶集ト云。


        『臨床実践鍼灸流儀書集成』六の一三八頁
  理穴集(岩瀬本)

  慶長十七年七月三日  長生菴 了味
   梅戸與兵衛殿
此集ハ武陵西村永孝公ヨリ
 元禄三[庚/午]年仲秋書寫之
                              元由
             葏蓬軒
 安永六[丁/酉]季秋再寫  光照

    【注釋】
○慶長十七年:一六一二年。 ○七月三日  長生菴 了味
○梅戸與兵衛: ○殿 此集ハ ○武陵:江戸。 ○西村永孝: ○公ヨリ  
○元禄三[庚/午]年:一六九〇年。 ○仲秋:陰暦八月。 ○書寫之  ○元由:
○葏蓬軒:「葏」は「菁」に通ず。草が茂るさま。  ○ 安永六[丁/酉]:一七七七年。 ○季秋:陰暦九月。再寫  
○光照:「照」は、「煕」かもしれない。岩瀬本もおなじ。


        『臨床実践鍼灸流儀書集成』六の一四〇頁
  理穴集(岩瀬本)跋
        〔読みやすさを優先させ、原文のカタカナをひらがなにする。難解なところは、そのままカタカナで表記する。濁点・句読点を打つ。一部、振り仮名(推定)を振る。旧漢字で統一する。改行は、原文との照合の便を優先して、原文にしたがう。〕

    ウラ   一四〇頁
右此卷、玄德老人の撰(えら)み寄(よせ)らるヽの穴也。凡九十四卷
明療たり。御望にまかせ、是を和らげて、大和言葉にて
書(かき)なし、誠に周身の針穴三百六十餘穴の中にして、驗(しるし)ふか
    二オモテ 一四一頁
く、功のすみやかなる所を案じ知(しり)て、理穴集と號して、今世
異國にも是を用(もちい)るといゑども、いまだ吾(わが) 朝にわたらずして、此(この)
書あることをしらざりしに、先壬尾の朝鮮國驢屬の砌、君長
宗我部土佐侍從、テルラタウに亂入、其も又幕下に有(あり)。
ある日、瘦(やせ)たる馬にむちうち、林林にわけ入(いり)、東西に馳走して、
サノミトモをかり出(いだ)す。其時生捕數十人、其内によしありげ
なる上官一人あり。太刀長刀の勢ひに廻シ、不問(とわざるに)に、我朝鮮
の名醫なりと云。一侍、其旨を我に告(つげ)畢。則(すなわち)是を乞(こい)うけて、
一命助く。後に名を問(とえ)ば、金得許と云。誠に偽(いつわり)なき胡國の
    二ウラ  一四二頁
良醫たり。其年の孟春に一葉に身をよせ、土佐國に渡
着す。某(それがし)同脇に在之、風の朝月の夕行(ゆき)、もて是(これ)を師とし、醫
工の奧儀を問ひぬ。行餘力則以文學、古の言葉に本づく(ママ)
て、あら〳〵針刺の旨を曉(あきら)む。漸(ようやく)にして其粗を得、ニロハニ口ず
さみ、暮サレヲツタル。風聞 是をかくさず、世に又是をうたう。
さるによつて、一大事の吹舉ありて、林鐘のはじめつかた、名古
屋に參着し、同じ中旬に、雲海士 補瀉・保神に至るまで
悉(ことごとく)備(そなわる)。貴慮よく此穴を心に納(おさめ)、深きを手にふれて、痛所
に針をくださば、病として愈(いえ)ざることあらんや。穴(あな)賢(かしこ)、々々。
    三オモテ 一四三頁
                     長生菴
 慶長十七年七月五日              了味
   梅戸與兵衛殿
此書於武陵西村永孝より傳
 元禄三[庚/午]年仲秋書寫之
             葏蓬軒了圓

 安永六[丁/酉]季秋再寫  光照


    【注釋】
○九十四卷:「卷」は「穴」の誤り。 ○壬尾:「尾」は「辰」の誤り。文禄の役。文禄元年は、壬辰。 ○驢屬:未詳。前掲京大富士川本(一一五頁)は、「騷屑」につくる。字形が似ているため、誤写をうたがう。 ○其も:富士川本は、「某も」。 ○廻シ:富士川本は、「恐レ」。 ○金得許:「得」と「德」は通用する。「許」と「拜」は字形が似る。 ○胡國の:「國」字は推定。富士川本「朝國の」。 ○もて:もって(以て)。 ○行餘力則以文學:出典は、『論語』學而「行有餘力、則以學文」。ここは「行ない余力ある則(とき)は、以て文を学べ」とよむか。 ○ニロハニ:「ニ只ニ」「ニ口(くち)ハニ」かもしれない。富士川本の「旦ニ」をとりたい。 ○暮サレヲツタル:富士川本「暮ニ是ヲ語ル」。 ○名古屋:いまの愛知県にある地名とは、無関係であろう。富士川本「名尊屋」。 


        『臨床実践鍼灸流儀書集成』六の一八四頁
  理穴集(京大本 奥書)

右累(数)年深厚の志るるにまか
せて、是をゆづり畢。家傳の書
利にあり。同門の輩にも露
顯する事(コト)なかれ。仍て如件。

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