京都府立総合資料館所蔵/『臨床実践鍼灸流儀書集成』八所収
巻物。一軸。照合の便のため、『流儀書集成』の該当頁を示す。原文は、漢文総ルビ。繁雑になるため、ルビは一部にとどめた。全文において訓点の一部が省略されている可能性もあるが、ひとまずなるべく原文に附された訓点(返り点・ルビ)にそって、訓み下した。
無分鍼法鈔之序
夫人生於地懸命於天天地合
氣命之曰人人能應四時者天
地爲之父母知萬物者謂之天
子天地人陰陽也陰陽又氣血
也氣血偏勝則生於諸疾外傷
六淫皮毛經絡七情内傷藏府
其治療有醫之工攻補之間其
三三三下
法術不越鍼灸湯液之範也就
中鍼刺理經脉爲始營其所行
知度量審察衛氣是爲治百病
之母其功大哉粤有無分者毎
憾民命之夭於醫者不少矣是
以欲救病腦多日於鍼治理苦
志鑽研而遂得鍼刺妙是則本
朝之鍼術百世之宗師也聞説
無分不知何國人有肥前國長
崎而至泉州堺津纜水馬於岸
間長國禪寺來宿于時攝州御
三三四上
薗邑何某聞之而雖隔片雲不
移時日帶身蓑笠不俟雨雪晴
間趣彼地頃天正三年乙亥 臘月
晦日曉至一鞭寺門而始見分
翁而願鍼法術欲受傳於是翁
妻觀旅客堪龍淵利器容㒵於
道厚情無比物感其志切而授
一軸曰益努力爲日域無雙名
鍼乎吾於此業而多日無間斷
磪肝膽徹工夫練心志試用之
莫不應故衆皆爲此奇今悉汝
三三四下
授與自是何某行此術矣名譽
溢四海顧旃達 天朝被叙鍼
博士矣倩以此一軸總而鍼穴
僅三十有六穴終也至其病論
則先錯諸書也按夫秘唯用與
不用誰知其然否乎尚欲旁取
孔安者憎然而如雲中飛鳥發
矢也何其中之乎今也殆用鍼
法者受于師不卒妄作離術民
三三五上
命爲之所窮矣愚意此鍼法雖
穴數少不俟試而百發百中是
則方貴經驗意也不佞幸附驥
尾傳於此鍼法之奧義故不愧
草芥學採註其梗槩也葢欲令
門人之易曉而已恐在誤矣學
者再詳焉繩愆糾謬于時
【訓み下し】
無分鍼法鈔の序
夫(そ)れ人は地に生(む)まれ、命(めい)を天に懸ける。天地 氣を合す。(之れを)命じて人と曰う。人能く應ず四時は、天地 之が父母爲(た)り。萬(ばん)物(もつ)を知る者、之れ天子(と)謂う。天地人、陰陽なり。陰陽、又た氣血なり。氣血偏(かた)々(かた)勝つ則(とき)は、諸疾生ず。外傷・六(りく)淫・皮毛・經絡・七情・内傷・藏府、其の治療 醫の工有り。攻補の間、其の
三三三下
法術、鍼灸湯液の範(のり)を越さず。中(なか)ん就(つ)けて鍼刺は、經脉を理(おさ)め始め爲(た)り。營其の行く所、度量知る。審(つまび)らかに衛氣を察(うかが)い、是れ治と爲(す)。百病の母、其の功大いなる(哉)。粤(ここ)に無分というひとも有り。毎(つね)に民命の醫に夭(を)憾(うれ)い、少なからず。是(これ)を以て救わん(と)欲す。病腦多日於いて鍼治の理に、志苦しめ、鑽研して遂に鍼刺の妙を得たり。是れ則ち本(もと)朝(ちよう)の鍼術、百世(せ)の宗師也。聞(きく)説(ならく)、無分 何(いず)れの國(くに)人(ひと)ということ(を)知らず。肥前國(くに)長崎(に)有り、泉州堺津(に)至り、水馬を岸間(に)纜(つな)ぎ、長國禪寺に來たって宿す。時に于(ここ)に攝州御(み)
三三四上
薗(その)邑(むら)何(なに)某(がし)之を聞いて、片雲を隔つ(と)雖も、時日を移さず、身に蓑笠を帶し、雨雪の晴れ間(ま)を俟たず、彼の地(に)趣く。頃は天正三年〔乙(きのと)/亥(い)〕臘月晦(つご)日(もり)、曉(あかつき)、一鞭に寺門に至り、始めて分翁(を)見る。願わくは鍼法の術、受(じゆ)傳(でん)と欲す。是(ここ)に於いて翁が妻(さい) 旅客(を)觀るに、龍淵利器容㒵 道に於いて厚情 物に比すること無く感ずるに堪たり。其の志(こころざし)切にして一軸を授(う)く。曰く益(々)努力(つとめ)て日域の無雙の名鍼(と)爲(す)。吾 此の業に於いて、多日 間斷無く肝膽を磪(くだ)き、工夫を徹す。心志を練り、試み之(を)用いるに應ぜずということ莫し。故に衆皆な此れを奇と爲(す)。今ま悉く汝に
三三四下
授(さず)け與(あた)う。是(ここ)に自り何(なに)某(がし)此の術(を)行ない、名譽 四海に溢る。顧旃 天朝に達す。鍼博士に叙せらる。倩々(つらつら)以(おも)んみれば、此の一軸總て鍼穴僅か三十有六穴に終わるなり。其の病(やまい)論ずるに至って、則ち諸書を錯(まじ)ゆること先(な)し。按ずるに夫れ秘し、唯(ここ)に用ゆると用いざると、誰か其の然ること否や(を)知らん。尚お旁(あまね)く孔安(を)取らんと欲する者、憎然として雲中の飛鳥(に)矢を發す如し。何ぞ其れ中(ちゆう)之や。今也殆ど鍼法(を)用いる者于(かの)師に受く。妄りに卒(お)わらず、離術を作り、民
三三五上
命之(こ)の爲に窮むる所か。愚意此の鍼法、穴數少なしと雖も、俟たず試みて、百發百中、是れ則ち方貴經驗意(こころ)也。不佞幸い驥尾に附けて、此の鍼法の奧義を傳う。故に愧じず、草芥(かい)學 其の梗槩(を)採註(す)。葢(けだ)し門人の曉(さと)し易からしめんと欲するのみ。恐らくは在らん誤りか(誤り在らんか)。學者再び詳らか焉。繩愆糾謬と、時(ここ)に于(いう)。
【注釋】
無分鍼法鈔之序
夫人生於地懸命於天天地合氣命之曰人人能應四時者天地爲之父母:『素問』寳命全形論「夫人生於地、懸命於天、天地合氣、命之曰人。人能應四時者、天地爲之父母。知萬物者、謂之天子」。/参考:人の能く四時に應ずるは、天地 之が父母爲(た)ればなり。 ○知萬物者謂之天子天地人陰陽也陰陽又氣血也氣血 ○偏:かたかた。かたよって。 ○勝則生於諸疾外傷六淫皮毛經絡七情内傷藏府其治療有醫之工攻補之間其
三三三下
法術不越鍼灸湯液之範也就中鍼刺理經脉爲始 ○營其所行:参考:其の行る所を營し、 ○知度量審察衛氣 ○是爲治百病之母:参考:是れを百病を治するの母と爲す。 ○其功大哉:参考に、序文が類似する『大明琢周鍼法一軸』に附された「大明琢周針法鈔序」を引用しておく。「夫人生於地、懸命於天、天地合氣、命之曰人、天地是人陰陽也、陰陽又氣血也、氣血偏勝、則乃生於諸疾、外六淫傷外經絡、内七情傷内藏府、其治在醫之用心、醫家之法術不越鍼灸藥湯液之範也、就中針刺之理經脉爲始、營其所行、知度量、内刺五臟、外刺六腑、審察衞氣、是爲治百病母、其功大矣哉、世既暮而以下、雖鍼道衰、於今有大明琢周、得針法妙術、而至 本朝、纜水馬於西南之岸間也(夫(そ)れ人は地に生じて、命を天に懸く。天地、氣を合して之を命(な)づけて人と曰う。天地は是れ人の陰陽なり。陰陽は又た氣血なり。氣血偏勝すれば、則乃(すなわ)ち諸疾を生ず。外六淫は外經絡を傷(やぶ)り、内七情は内藏府を傷(やぶ)る。其の治は醫の用心に在り。醫家の法術は鍼灸藥湯液の範(のり)を越えず。中(なか)ん就(づ)く針刺の理は經脉を始めと爲(す)。其の行く所を營(めぐ)らし、度量を知り、内、五臟を刺し、外、六腑を刺し、審らかに衞氣を察するは、是れ百病を治する母爲(た)り。其の功、大なるかな。世既に暮れしより以下(このかた)、鍼道衰うと雖も、今に於いて大明琢周というもの有り。針法の妙術を得て、 本朝に至り、水馬を西南の岸間に纜(つな)ぐ)」。 ○粤有無分者毎 ○憾民命之夭於醫者不少矣:参考:民命の醫に夭するを憾うること少なからず。 ○是以欲救病腦多日於鍼治理苦志鑽研:参考:是(ここ)を以て病を救わんと欲するも、腦〔惱み〕多く日々に鍼治の理に於いて、苦志鑽研して、 ○而遂得鍼刺妙是則本朝之鍼術百世之宗師也聞説無分不知何國人有肥前國長崎而至 ○泉州:和泉国。いま大阪府南西部。 ○堺:いま大阪府堺市。 ○津纜 ○水馬:船。特に軽快なものをいう。 ○於岸間 ○長國禪寺:長野仁先生の説:長國禅寺は、真田家の菩提寺(曹洞宗)の長國寺(長野市松代町)もしくは長谷寺(上田市)か。無分は、長崎→(海路)→堺→(陸路)→信州と遍歴していて、のちの意斎は、堺に無分がいると伝聞して訪ねるも、すでに無分は出立後で、真冬の雪深い信州まで追いかけ、大晦日にやっと出会えた、か。 ○來宿 ○于時:参考:時に。 ○攝州:摂津国。いま大阪府北中部から兵庫県南東部。
三三四上
○御薗邑:摂津国に、橘御園(たちばなのみその)・河邊郡(いま川辺郡)御園荘あり。 ○何某聞之而雖隔 ○片雲:ひとかたまりの雲。少ない雲。距離が離れていることをいうか。 ○不移時日:時を置かず。 ○帶身蓑笠不俟雨雪晴間趣彼地頃 ○天正三年〔乙/亥〕:一五七五年。 ○臘月晦日:陰暦十二月末日。大晦日。 ○曉至 ○一鞭:未詳。馬に乗っていたとは思われない。 ○寺門而始見 ○分翁:「無分翁」とおなじであろう。あるいは「無」字を脱するか。 ○而願鍼法術欲 ○受傳:ルビに「シュテン」。それより小さく「ト」とある。「じゅでん」という読み方と、「うけつたえんと」という読み方の両様を示すか。 ○於是翁妻觀旅客 ○堪:能力があって任にこたえられる。 ○龍淵:宝剣の名称。 ○利器:鋒利な兵器。 ○容㒵:「容貌」におなじ。 ○於道厚情 ○無比:他にくらべようがない。 ○物感其志切而授一軸曰益努力爲 ○日域:太陽が出るところ。日本。 ○無雙名鍼乎吾於此業而多日無間斷 ○磪肝膽:「磪」は、山が高いさま。おそらく「摧」の誤字。「肝胆をくだく」は、懸命になって物事をおこなう。心をつくす。 ○:徹工夫練心志試用之莫不應故衆皆爲此奇今悉汝
三三四下
授與自是何某行此術矣 ○名譽:ルビは「メイホヲ」。 ○溢 ○四海:天下の各所。 ○顧旃:原文は「顧(コセン)旃(タン)」とルビをふる。「旃」に「タン」のルビがあるのは、字を構成する「丹」につられたか。「顧(こ)旃(せん)」は、陶淵明『搜神後記』古冢老狐にみえる呉郡のひと。この序とは関連がなさそうである。ここは「旃(これ)を顧みれば」とよむか。 ○達 ○天朝:朝廷の尊称。 ○被叙鍼博士矣倩以此一軸總而鍼穴僅三十有六穴終也至其病論則先錯:「先」は「ナシ」というルビから「无」の誤字。「錯」のルビ「マシユル」は「交ゆる」で、その終止形は、「まじゆ」。「交ふ」とおなじ。ませこぜにする。 ○諸書也:参考:大明琢周針法鈔序「彼試用之、無不應、故人皆爲是竒、今汝授之、亦勿疑、直用此鍼法者、即爲日域無雙名鍼乎、倩以此一軸、緫針穴一百有五穴終也、至其病論、則无錯諸書也(彼れに從って試みに之を用いるに、應ぜざるということ無し。故に人皆な是れを奇なりと爲(す)。今ま汝に之を授く。亦た疑うこと勿かれ。直ちに此の鍼法を用いば、即ち 日域無雙の名鍼と爲(せ)ん」と。倩(つら)つら以(おもん)みるに、此の一軸總(すべ)て針穴一百有五穴に終わる。其の病論に至っては、則ち諸書に錯(あやま)ること无(な)し。)」 ○按夫秘唯用與不用誰知其然否乎:参考:大明琢周針法鈔序「按夫秘唯有用與不用、誰知其是非乎(按ずるに夫(そ)れ秘は唯だ用と不用とに有り。誰か其の是非を知らんや)」。 ○尚欲旁取孔安者憎然而如雲中飛鳥發矢也:大明琢周針法鈔序によれば、「安」は「穴」、「憎」は「懵」の誤り。/大明琢周針法鈔序「尚欲旁取孔穴者、懵然而如雲中飛鳥費矢也(尚(も)し旁(あまね)く孔穴を取らんと欲する者は、懵然として雲中の飛鳥に矢を費すが如し)」。「懵然」は、曖昧模糊としたさま。はっきりしないさま。 ○何其中之乎今也殆用鍼法者受于師不卒妄作離術民
三三五上
命爲之所窮矣:大明琢周針法鈔序「何其中乎、今世殆用鍼法者、不達正學、或又受師不卒、妄作離術、人民爲之所窮矣(何んぞ其れ中(あ)たらんや。今世殆ど鍼法を用いる者は、正學に達せず、或いは又た師に受くること卒(お)わらず、妄りに離術を作(な)し、人民、之が爲に窮せらる)」。『素問』徴四失論「受師不卒、妄作雜術」。「雜」、一本作「離」。 ○愚意此鍼法雖穴數少不俟試而百發百中是則方貴經驗意也:大明琢周針法鈔序「愚思此針法、雖穴數少、不待試、而百發百中、是即方貴經驗謂也(愚思えらく、此の針法、穴數少なしと雖も、試を待たず、百たび發して百たび中(あ)たる、是れ即ち方は、經驗を貴ぶ謂(いい)なり)」。 ○不佞幸 ○附驥尾:ハエが駿馬の尾にとまって、遠いところに行く。優れた人物の後にしたがい、その恩恵を被ることの比喩。 ○傳於此鍼法之奧義故不愧 ○草芥:小草。取るに足りないもののたとえ。 ○學採註其梗槩也:大明琢周針法鈔序「予幸出疋地氏之末葉、傳於此鍼法奥義、故不愧草莽學、採註其梗槩也(予、幸いに疋地氏が末葉を出で、此の鍼法の奥義を傳う。故に草莽の學を愧じず、採(と)って其の梗概を註す)」。「草莽」は、田野、民間。 ○葢欲令門人之易曉而已恐 ○在誤矣:返り点を省略しているとすれば、「誤り在らんか」とよむ。 ○學者再詳焉:大明琢周針法鈔序「蓋欲令門人或易悟而已、恐在誤乎、學者再詳焉(蓋し門人をして或いは悟り易からしめんと欲するのみ。恐らくは誤ること在らん。學者再び焉(これ)を詳らかにせよ)」。 ○繩愆糾謬:錯誤や過失をあげてただす。『書經』冏命「繩愆糾謬、格其非心、俾克紹先烈(愆(あやまち)を繩(ただ)し謬(あやま)てるを糾し、其の非心を格〔=革〕して、克(よ)く先の烈を紹(つ)がしめよ)」。 ○于時:一般には「時に」とよむ。大明琢周針法鈔序では、「延寳七年」とつづく。
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