2018年11月2日金曜日

鍼要集

                                 武田杏雨書屋(乾三六五一)
                                『臨床実践鍼灸流儀書集成』六所収

鍼要集叙
鍼砭之來尚矣軒岐以還世不乏人王氏之刺妖
徐氏之愈鬼之類不可枚舉焉而其書浩瀚罕
得三昧者徃々夭於鍼者亦不尠矣大明雲海士
於是乎有餘憾仍尋師而游歷四方遂得補
瀉之法死生之訣而術至閫奧矣朝鮮金德師事
悉得淑其傳也 秀吉公征三韓之役我祖
將監爲長曽我部基親公之兵長也偶擒金德
    ウラ
而來凱旋之後余親炙於金先生有年所余雖
褊陋朝講夕磨畧有悟焉因以盧扁難中所
得於先生者抄寫爲一書僣名曰針要集叙其
始末弁諸首云
              浮雲散人一指叟桑名玄德
              書於壽生菴下

    【訓み下し】
鍼要集叙
鍼砭の來尚(ひさ)し。軒岐より以(この)還(かた)、世(よ)々(よ)人に乏(とも)しからず。王氏が妖を刺し、徐氏が鬼を愈やすの類(たぐい)、枚(こと)々(ごと)く舉ぐ可からず。而(しか)れども其の書浩瀚にして、三昧を得る者罕(まれ)なり。徃々に鍼に夭する者、亦た尠(すく)なからず。大明雲海士、是(ここ)に於いて乎(か)、餘憾有り。仍(よ)って師を尋ねて四方に游歷し、遂に補瀉の法・死生の訣を得て、術 閫奧に至る。朝鮮金德、之に師とし事(つか)えて、悉く其の傳を淑(よく)することを得たり。 秀吉公 三韓を征するの役(えき)、我が祖將監、長曽我部基親公の兵長爲(た)り。偶(たま)々(たま)金德を擒(とりこ)にして
    ウラ
來たる。凱旋の後(のち)、余(よ) 金先生に親炙すること年所有り。余 褊陋なりと雖も、朝(あした)に講(なら)い夕(ゆうべ)に磨いて、畧(ほ)々(ぼ)悟ること有り。因って盧扁が難中に先生に得る所の者を以て、抄寫して一書と爲(す)。僣して名づけて針要集と曰う。其の始末を叙して、諸(これ)を首(はじめ)に弁(こうむ)らしむと云う。
              浮雲散人一指叟桑名玄德、壽生菴下に書す

    【注釋】
鍼要集叙
○鍼砭:鍼と砭石。おそらく「鍼」を二語化したもので、「砭」に積極的な意味はない。 ○之 ○來:「來」の右下には「イ」、左下には「コト」と添え字がある。「らい」「きたること」と、両様に読んだか。 ○尚矣 ○軒岐:軒轅(黄帝)と岐伯。 ○以還:特定の時間からずっと現在まで。以後。以来。 ○世:累代。 ○不 ○乏人:人才に欠ける。 ○王氏之刺妖:王纂は、物の怪(獺)に憑かれた女を一鍼で治した。張杲『医説』巻二・鍼灸「妙鍼獺走」を参照。 ○徐氏之愈鬼:徐熙は、ワラ人形に鍼をして幽霊の腰痛を治した。『医説』巻二・鍼灸「鍼蒭愈鬼」を参照。 ○之類不可枚舉焉而其書 ○浩瀚:非常に数が多い。 ○罕得 ○三昧:奧妙。秘訣。 ○者 ○徃々:「往」の異体字。しばしば。 ○夭:若くして死ぬ。 ○於鍼者亦不尠矣 ○大明雲海士:『臨床実践鍼灸流儀書集成』六は、雲海士流の書を集める。 ○於是乎:「於是」におなじ。順接の接続詞。 ○有 ○餘憾:遺憾。 ○仍尋師而游歷四方遂得補瀉之法死生之訣而術至 ○閫奧:奥深いところ。学問などの精微で深奥のところにあるもの。 ○矣朝鮮金德師事悉得 ○淑:学習して手本とする。 ○其傳也  ○秀吉公征三韓之役:「三韓」は、馬韓・辰韓・弁韓、百済・新羅・高句麗。韓(朝鮮)半島。「役」は、事件、多く戦争を指す。いわゆる文禄(一五九二~一五九三年)・慶長(一五九八年)の役。 ○我祖 ○將監:しょうげん。武家の官位。その官職名を通称としても用いる(百(ひやつ)官(かん)名(な))。 ○爲 ○長曽我部基親公:長宗我部元親(一五三九~一五九九年)。土佐国の戦国大名。 ○之 ○兵長:漢語による表現。兵は、下士官の下。武士の階級をあらわすことばは、各藩により異なるが、下士・足軽あたりか。 ○也偶擒金德
    ウラ
而來凱旋之後余 ○親炙:親しく教育熏陶を受ける。 ○於金先生 ○有 ○年所:年数。多年。 ○余雖 ○褊陋:見識が狭く浅い。 ○朝講夕磨:室町・祖渓徳濬『水拙手簡』與仙英手簡「朝講夕磨、季鍛旬煉」。 ○畧:「略」の異体字。 ○有悟焉因以 ○盧扁難:『難経』。「盧扁」は、扁鵲。盧国に家があったために、盧扁ともいう。 ○中所得於先生者抄寫爲一書 ○僣:「僭」の異体字。謙遜語。本分を弁えず上位のものをおかしまねる。僭越ながら。 ○名曰針要集叙其 ○始末:事情。経緯。 ○弁:前に置く。 ○諸首云
              浮雲散人一指叟桑名玄德書於壽生菴下






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