2018年11月17日土曜日

鍼術秘要

                                              『臨床実践鍼灸流儀書集成』十所収

 鍼術秘要序
 小森家者千歳之舊家而世〻奉
 仕
天朝任典藥頭子孫相繼任其官
 鼻祖阿直王
應仁帝之朝歸化其子志挐直被
 封丹波國賜姓阪上其裔康頼
 朝臣通醫術極奧旨始補典藥
 頭次補針博士改坂上姓賜丹
 波宿称其子侍從重明朝臣其
    ウラ
 子忠明朝臣家聲益振其子雅
 朙朝臣
白河帝之朝任正四位上醫道絕
 倫顯赫乎一時震盪乎四方其
 孫從三位典藥頭頼豐卿賜越
 前國小森改姓小森吾國方技
 祖宗而天下之醫生不經小森
 家之試課不許執匙海内之士
 民欲業醫者必入小森家之門
 加賀之人阪井梅軒者好醫來
  二オモテ
 學于京師入小森家之門螢雪
 之功學大進自年若熟考自昔
 藥與針雙行中古針術癈衰吾
 成興癈復古之功日夜研究針
 書錬磨其術小森家所傳針有
 立刺横刺之法梅軒思之立刺
 痛強横刺痛輕雖然療治功驗
 無差別痛輕人之所悦於是錬
 磨横刺遂得玄妙遠遼傳承請
 療治者日居月諸不絕諸請針
  二ウラ
 者無病不愈典藥頭頼愛朝臣
 善梅軒針術大熟於師家其功
 不眇(・)欲梓其所著針書梅軒大   〔耳+少〕
 喜請序予〻以舊友之故不能固
 辭綴揖巓末授焉
慶應紀元乙丑年甤賓日
    平安  山口盖世撰
              三瓶養書

    【訓み下し】
 鍼術秘要序
小森家は、千歳の舊家にして、世々 天朝に奉仕し、典藥頭を任(にな)う。子孫相い繼いで其の官を任う。鼻祖阿直王は、應仁帝の朝に歸化す。其の子 志挐直、丹波國に封ぜられ、姓 阪上を賜う。其の裔 康頼朝臣 醫術に通じ、奧旨を極む。始め典藥頭に補され、次に針博士に補さる。坂上姓を改めて、丹波宿称〔禰〕を賜う。其の子 侍從 重明朝臣、其の
    ウラ
子 忠明朝臣、家聲益々振う。其の子 雅明朝臣、白河帝の朝、正四位上に任ぜらる。醫道絕倫にして、一時に顯赫し、四方に震盪す。其の孫 從三位典藥頭 頼豐卿、越前國の小森を賜わり、姓を小森に改たむ。吾が國の方技の祖宗にして、天下の醫生、小森家の試課を經ずして、匙を執るを許されず。海内の士民、醫を業とせんと欲する者は、必ず小森家の門に入る。加賀の人、阪井梅軒なる者、醫を好み、來たりて
  二オモテ
京師に學び、小森家の門に入る。螢雪の功、學大いに進み、年若き自り自昔(むかし)は藥と針と雙(なら)び行なわれ、中古に針術癈衰するを熟考す。吾れ癈を興こし古を復すの功を成さんと、日夜 針書を研究し、其の術を錬磨す。小森家に傳わる所の針に、立刺・横刺の法有り。梅軒 之を思うに、立刺は痛み強く、横刺は痛み輕し。然りと雖も、療治の功驗に差別無し。痛み輕きは、人の悦ぶ所なり。是(ここ)に於いて、横刺を錬磨し、遂に玄妙遠遼の傳承を得たり。療治を請う者、日居月諸 諸(これ)に絕えず。針を請う
  二ウラ
者、病として愈えざる無し。典藥頭頼愛朝臣、梅軒の針術大いに熟し、師家に於いて其の功眇(すく)なからざるを善(よみ)し、其の著わす所の針書を梓せんと欲す。梅軒大いに喜びて序を予に請う。予 舊友の故を以て、固(もと)より辭すること能わず。巓末を綴揖して、焉(これ)を授く。
慶應紀元乙丑年甤賓日
    平安  山口盖世撰
              三瓶養書

    【注釋】
 小森家者千歳之舊家而 ○世〻:代々。 ○奉仕  ○天朝:朝廷。 ○任 ○典藥頭:くすりのかみ。典薬寮の長官。 ○子孫相繼任其官 ○鼻祖 ○阿直王:応神天皇のとき、百済王から使わされた阿直岐(あちき)は、阿直氏の祖とされる。「阿智王」とも書く。 ○應仁帝:応神天皇のことであろう。第十五代天皇。母は神功皇后。仁徳天皇の父。 ○之朝歸化其子 ○志挐直:しぬのあたえ。 ○被封丹波國賜姓阪上其裔 ○康頼:九一二年~九九五年。平安時代の医家。従五位上。医博士・鍼博士・丹波介。九八二年に『医心方』を撰述。 ○朝臣:あそん。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説:「あそみ」ともいう。古代の姓 (かばね) の一つ。八色 (やくさ) の姓 (六八四制定) の第二位。皇別氏族の有力者に与えられたが,のちには有力氏族がこれを称した。平安時代には最高の姓となった。やがて単に身分を表わす言葉となり、特別の由緒ある氏以外は、すべて朝臣を称するようになった。 ○通醫術極奧旨始 ○補:空いた職位につけられる。 ○典藥頭次補針博士改坂上姓賜丹波宿 ○称:称=稱。「禰」。「宿禰」は、行政官を表す称号。朝臣に次ぐ。 ○其子侍從 ○重明:また重雅とも。 ○朝臣其
    ウラ
子 ○忠明: 朝臣家聲益振其子雅 ○朙:「明」の異体字。「雅明」は、雅忠(一〇二一~一〇八八)と同一人か。 ○朝臣  ○白河帝之朝:第七二代天皇(在位:一〇七三年~一〇八七年)。 ○任正四位上醫道 ○絶倫:並外れていて、比較しようがない。 ○顯赫:名声が明らか。権勢が盛大で顕著。 ○乎 ○一時:そのとき。当時。 ○震盪:ゆるがす。ふりうごかす。  ○乎 ○四方:東・南・西・北、四つの方向。天下、いたるところ。 ○其孫從三位典藥頭 ○頼豐:季益の次、頼秀の前。 ○卿、賜越前國小森、改姓小森、吾國方技 ○祖宗:始祖。 ○而天下之醫生不經小森家之 ○試課:考査。試験。 ○不許執 ○匙:液体や粉末をすくうスプーン。特に医者が薬を調合するために使う道具。 ○海内:全国。 ○之 ○士民:人民。士大夫と一般人。 ○欲業醫者、必入小森家之門 ○加賀:いま石川県南部。 ○之人 ○阪井梅軒: ○者好醫來
  二オモテ
學于京師入小森家之門 ○螢雪:刻苦勉励する。苦労して勉學にはげむ。晋代の車胤は(貧しくて照明用の油が買えず)夏には蛍を数十匹かごに入れて照明として読書した。孫康は冬には窓辺の雪の光をたよりに読書して勉学にはげんだ。 ○之 ○功:てがら。成果。 ○學大進、自年若熟考 ○自昔:かつて。むかし。 ○藥與針雙行、中古針術 ○癈:「廢」の異体字。 ○衰、吾成興癈復古之功、日夜研究針書、錬磨其術、小森家所傳針有立刺横刺之法、梅軒思之、立刺痛強、横刺痛輕、雖然療治 ○功驗:効果。 ○無 ○差別:区別。違い。 ○痛輕人之所悦、於是錬磨横刺、遂得玄妙遠遼傳承、請療治者 ○日居月諸:居と諸は語気助詞。太陽と月。日よ月よ。月日が過ぎ去ること。ここでは、毎日毎月の意か。 ○不絶諸請針
  二ウラ
 者、無病不愈、典藥頭 ○頼愛朝臣: 善梅軒針術大熟於 ○師家:先生の家。 ○其功 不 ○眇:かすか。小さい。原文は〔耳+少〕に書かれている。「目」が「耳」のように書かれることは少なくない。 ○欲 ○梓:出版する。 ○其所著針書梅軒大喜請序予〻以舊友之故不能固辭 ○綴揖:「揖」は、「輯」に通ず。「綴輯」は、つづり合わせて編輯する。 ○巓末:「顛末」におなじ。事の最初から最後までの事情。 ○授焉 ○慶應 ○紀元:元年。 ○乙丑年:一八六五年。 ○甤賓:「蕤賓」におなじ。陰暦の五月。 ○日 ○平安:京都。 ○山口盖世:印影によれば、名はおそらく、重民。「盖」は、「蓋」の異体字。 ○撰 ○三瓶養:大阪の書家。名は養、号は浩斎。『詠草のかきかた』を撰す。 ○書


針術秘要序
古者針以療傷寒而有温針燒針由
是觀之雖諸病亦有用針與惜乎後
世終失其術也坂井梅軒今之善鍼
術者也與世醫所爲大有逕庭其施
鍼也先審十四經而後横刺肉絡所
    ウラ
聚是以全針貫經能釋結開欝疾病
自瘥余舊與之交資益甚多於是與
坂井氏謀著其術與所兼用之藥方
鏤版以示同志之徒今夫金玉沈於
深淵莫淂而索焉如使善没者索之
則庶乎可獲也是術也没於數千歳
  二オモテ
之前者今而後復顯於世嗚呼坂井
氏可謂獲淵底之金玉者與
元治元年歳在甲子春三月上澣
                  中村篤識

    【訓み下し】
針術秘要序
古者(いにしえ)針以て傷寒を療し、而して温針・燒針有り。是れ由り之を觀れば、諸病と雖も、亦た針を用いること有るかな。惜しかな、後世終(つい)に其の術を失うなり。坂井梅軒、今の鍼術を善くする者なり。世醫の爲す所と大いに逕庭有り。其の鍼を施すや、先ず十四經を審らかにして、而る後に肉絡の聚まる所を横刺す。
    ウラ
是(ここ)を以て全針 經を貫き、能く結を釋(と)き欝を開き、疾病自(おのずか)ら瘥(い)ゆ。余舊(もと)より之と交わり、益に資すること甚だ多し。是に於いて坂井氏と謀り、其の術と兼ねて用いる所の藥方とを著わし、版に鏤(ちりば)めて、以て同志の徒に示す。今ま夫(そ)れ金玉 深淵に沈みて、(焉(これ)を)得て索(もと)むること莫し。如(も)し善く没(もぐ)る者をして之を索めしめば、則ち獲る可きに庶(ちか)からん。是の術や、數千歳
  二オモテ
の前に没する者、今よりして後(のち)、復た世に顯らかなり。嗚呼(ああ)、坂井氏は淵底の金玉を獲る者と謂(いつ)つ可きかな。
元治元年、歳は甲子に在り、春三月上澣
                  中村篤識(しる)す

    【注釋】
古者針以療傷寒、而有温針燒針、由是觀之、雖諸病亦有用針與、惜乎後世終失其術也、坂井梅軒、今之善鍼術者也、與世醫所爲 ○大有逕庭:へだたりが非常に大きい。『莊子』逍遙遊「大有逕庭、不近人情焉」。 ○其施鍼也、先審 ○十四經:十二の正経脈と任脈・督脈。 ○而後横刺肉絡所
    ウラ
聚、是以全針貫經、能釋結開欝、疾病自瘥、余 ○舊:古くから。 ○與之 ○交:交際する。 ○資益:利益(を得る)。 ○甚多、於是與坂井氏謀、著其術與所兼用之藥方 ○鏤版:木板に彫刻して印刷する。出版する。 ○以示同志之徒、今夫 ○金玉:黄金と珠玉。広く珍しい宝をいう。 ○沈於深淵莫 ○淂:「得」の異体字。 ○而 ○索:捜索する。さがす。 ○焉:「これ(代名詞)」と句末に置かれる助詞(「也」「矣」に相当)と両方に解せる。 ○如使 ○善没者:遊泳潜水の得意な者。『列子』説符「白公問曰、若以石投水何如。孔子曰、呉 之善没者能取之」。 ○索之、則 ○庶乎:推量をあらわす。 ○可獲也、是術也、没於數千歳
  二オモテ
之前者今 ○而後:以後。 ○復顯於世、嗚呼坂井氏、可謂獲淵底之金玉者與 ○元治元年:一八六四年。 ○歳:木星。 ○在甲子春三月 ○上澣:上旬。 ○中村篤: ○識


鍼術秘要後叙
針術有即功也與藥
難爲兄難爲弟中古
針術癈衰不行其
道不幸可歎加賀國
之士族梅軒坂井氏
    ウラ
自年若好醫歎針術
之癈衰遠來于京師
入于典藥寮小森君之門
斈醫小森家者海内舊名
家而針有立刺横刺之
術世所行立刺之術而横
  二オモテ
刺之術久癈矣梅軒深
考立刺痛強横刺痛輕
工夫錬磨二十有餘年
其術大熟遂入妙趣請
針者日〻又新門前如市
今也著針書欲傳于
  二ウラ
後世予賞其舉綴後
叙與焉
 慶應紀元乙丑年夷則日

      平安 山口蓋世撰

    【訓み下し】
鍼術秘要後叙
針術に即功有り。藥と與(とも)に兄と爲し難く、弟と爲し難し。中古針術癈衰して行なわれず。其の道の不幸歎く可し。加賀國の士族、梅軒坂井氏
    ウラ
年若き自り醫を好む。針術の癈衰するを歎き、遠く京師に來たり、典藥寮小森君の門に入り、醫を學ぶ。小森家は海内の舊名家なり。針に立刺・横刺の術有り。世に行なう所は立刺の術にして、横
  二オモテ
刺の術は久しく癈(すた)る。梅軒 深く立刺は痛み強く、横刺は痛み輕きを考え、工夫錬磨すること二十有餘年、其の術大いに熟し、遂に妙趣に入る。針を請う者、日々に又た新たなり。門前 市(いち)の如し。今や針書を著わし、
  二ウラ
後世に傳えんと欲す。予 其の舉を賞し、後叙を綴り焉(これ)に與う。
 慶應紀元乙丑年夷則日

      平安 山口蓋世撰

    【注釋】
鍼術秘要後叙
針術有 ○即功:「即効」におなじ。 ○也、與藥難爲兄、難爲弟、中古針術癈衰不行、其道不幸可歎、加賀國之士族、梅軒坂井氏
    ウラ
自年若好醫、歎針術之癈衰、遠來于 ○京師:みやこ。京都。 ○入于典藥寮小森君之門 ○斈:「學」の異体字。 ○醫、小森家者 ○海内:天下。 ○舊名家、而針有立刺横刺之術、世所行立刺之術、而横
  二オモテ
刺之術久癈矣、梅軒深考立刺痛強、横刺痛輕、工夫錬磨二十有餘年、其術大熟遂入 ○妙趣:精微なおもむき。すぐれたおもむき。妙致。 ○請針者 ○日〻又新:『禮記』大學「苟日新、日日新、又日新(苟(まこと)に日に新たにせば、日日に新たに、又た日に新たなり)」。 ○門前如市:門前に人や車馬が群がる。名声を慕い、その家に出入りする人が多いさま。 ○今也著針書欲傳于
  二ウラ
後世、予賞其 ○舉:行為。 ○綴後叙與焉 ○慶應紀元乙丑年:一八六五年。 ○夷則:陰暦七月。 ○日、平安 山口蓋世撰

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