(1)「楊上、字は善」なる者は楊上善と同一人物でありうる。唐代人の名字には、後世の人を大いに困惑させる現象がある。例えば、2文字の名は常に1字が省かれて1文字の名で呼ばれる、名と字(あざな)が混在する、子孫の名が父祖の名と同じであるなどである。2文字の名でありながら、また1文字の名であり、1文字の字(あざな)とするのも、唐代人の名字の不思議な現象のひとつだろう。たとえば、『房山石經題記彙編』の咸亨五年龐懷伯等造像記の中には、「維大唐咸亨五年五月八日龐懷伯」とあるが、同書にはまた故上柱國龐府君金剛經頌〔賛美文〕があって、そこには「公の諱は懷、字は伯」という[2]。つまり造像記の中で、この人はみずからを龐懷伯と名乗っているが、世俗的な墓誌銘に非常に似ている後人が彼の死後に書いたこの頌には、意外にも「諱は懷、字は伯」とある。楊氏が書を著わした時、「楊上善」と自署し、後人がその墓誌を撰したときに「諱は上、字は善」としたのは、これとまったく同じである。当然のことながら、古代には同姓同名のひとは非常に多く、同姓同名の別人がいても不思議ではない。この楊上が楊上善であるかどうかは、主に以下に述べられている彼の生涯の事跡が楊上善と一致しているかどうかをみなければならない。
[2]北京图书馆金石组.房山石经题记汇编[M].北京:书目文献出版社,1987.3,4.
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