(4)楊上と楊上善は、いずれも弘文館直学士である。墓誌は、「楊上が解褐〔平民から仕官〕して弘文館学士に除せられた」というが、「学士」ではなく「直学士」とすべきだと疑う。唐代の官制では、弘文館はみな他の官と兼任であり、五品以上は学士であり、六品以下を直学士という。五品以上は高級官僚であり、唐代では「具員〔1〕」という。楊上が道士あるいは隠士から、直接学士に除せられるのは不可能で、直学士とすべきである。楊上は出仕した後、長期にわたって六品官を務めたことから見ると、その解褐して除せられたのは直学士とすべきで、学士ではない。楊上善にも弘文館学士に任ぜられた記載があるが、同じく直学士とすべきである。詳しくは、以下の(6)を参照。
〔1〕具員:百度百科:五品以上官及京常參官的名冊。唐制,六品以下官皆由吏部註擬,五品以上官則由君相選授。自貞觀以後,除拜五品以上官,中書門下必立簿記其課績、歷任、官諱等,以供遷轉依憑。開元四年(公元716年),員外郎及御史等京常參官亦改由君相任命,故其名亦列入具員簿中。安史亂後,其制久廢。德宗、憲宗時復置。五代後唐因之。
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