2024年6月30日日曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.2

 3.2 貫刺法

 いわゆる「貫刺法」とは,病巣を直接穿刺し,一回で治らなければ再び刺し,「結」「積」の病巣を解消する。主に癰腫・癥瘕・瘰癧・結絡・結筋などの「結」「積」を特徴とする病症を刺すのに用いられるが,「結」「積」の大きさ・深さ・硬さの違いによって鍼具の大きさと操作の仕方が変わるだけである。『霊枢』経筋での寒熱瘰瘡の頸腫や『霊枢』四時気の癘風の腫への刺法は,みな貫刺法の臨床応用の典型的な例である。唐代の『千金翼方』には瘰癧を貫刺する詳細な操作が掲載されている。

「鍼瘰癧,先拄鍼皮上三十六息,推鍼入內之,追核大小,勿出核,三上三下,乃拔出鍼〔瘰癧を鍼するに,先ず鍼を皮の上に拄(ささ)うること三十六息,鍼を推して之を入れ內(おさ)む,核の大小を追い,核を出だすこと勿かれ,三たび上げ三たび下げて,乃ち鍼を拔き出だす〕」[9]334。

    [9] 孙思邈.千金翼方[M].影印本.北京:人民卫生出版社,1955:334.〔『千金翼方』卷28痔漏第6〕

 『霊枢』経筋篇に「所過而結者皆痛及轉筋〔過ぐる所にして結ぼれる者は皆な痛み及び轉筋す〕」とある。これは「筋急」をもって「結筋」を統括した意味であるので,「結筋」の病巣にもっぱら焦点をあてた例として示された貫刺法ではない。『諸病源候論』はかなり早く「結筋」の項目を記載し,明確に定義をしているが,重点は疾病の診断にあり,治療は導引養生法を掲載しているだけで鍼法を収録していない。伝来する古代の医学書で結筋の病巣について「貫刺」の妙が詳述されているのは,古代朝鮮の医書『腫治指南』(16世紀中葉,任彦国撰)と,この書の学術を継承した許任の『鍼灸経験方』(1644年)である。


    假如臂肘曲急不得張伸,則以手摩擦肘旁內外筋急結聚處;又以大拇指當筋結中重按不動,以鍼剖刺;又按肘內上下連筋二三處筋中結壅貫刺,或手腕筋急結壅處亦刺,並附煮竹筒三四度;或肘紋中結經處當尺澤亦刺,必效〔假如(もし)臂肘曲がり急(ひきつ)り張り伸ばすことを得ざれば,則ち手を以て肘の旁ら內外の筋の急(ひきつ)り結ぼれ聚まる處を摩擦す。又た大拇指を以て筋結の中に當て重く按(お)して動かさず,鍼を以て剖刺す。又た肘內の上下に連なる筋の二三處の筋中の結壅を按し貫刺す,或いは手腕の筋急結壅する處も亦た刺す,並びに煮たる竹筒を附(つ)くること三四度,或いは肘紋の中の結ぼれる經の處,尺澤に當て亦た刺す,必ず效あり〕。(『治腫指南』〔臂肘曲急圖〕)

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    https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya09/ya09_00050/ya09_00050.pdf 18/47コマ目


 これには筋急と結筋を貫刺する法が詳しく述べられ,「筋結」であれ「結経」であれ,「結」が見られれば貫刺法を用いている。『黄帝内経』の貫刺法の適応症についての理解が正確であることがわかる。その発展としては刺した後に煮た缶をあてて寒邪を引き抜いて外に出し,「燔鍼劫刺」を兼ねる意味があり,また筋と脈を同時に治する意味もある。


    手臂筋攣酸痛,專廢食飲不省人事者,醫者以左手大拇指堅按筋結作痛處使不得動移,即以鍼貫刺其筋結處,鋒應於傷筋則痠痛不可忍處,是天應穴也。痛隨鍼,神效,不然則再鍼。凡鍼經絡諸穴,無逾於此法也〔手臂筋攣酸痛,專ら食飲を廢し人事を省みざる者は,醫者 左手の大拇指を以て堅く筋結ぼれて痛みを作(な)す處を按(お)して動き移ることを得ざらしめ,即ち鍼を以て其の筋の結ぼれる處を貫き刺し,鋒 傷(やぶ)れる筋に應ずれば,則ち痠痛 忍ぶ可からざる處,是れ天應の穴なり。痛まば隨って鍼すれば,神效あり,然らざれば則ち再び鍼す。凡そ經絡の諸穴に鍼するに,此の法を逾(こ)ゆること無きなり〕。(『鍼灸經驗方』〔卷中・手臂〕)

    手足筋攣蹇澀以圓利鍼貫刺其筋四、五處後,令人強扶病人病處,伸者屈之,屈者伸之,以差為度,神效〔手足の筋 攣(ひきつ)り蹇し澀るは圓利鍼を以て其の筋の四・五處を貫き刺せる後,人をして強いて病人の病處を扶(ささ)え,伸ぶる者は之を屈し,屈する者は之を伸ばし,差(い)ゆるを以て度と為す,神效あり〕。(『鍼灸經驗方』)

    〔『勉學堂鍼灸集成』卷2・脚膝に見える。和刻本『鍼灸経験方』には見えない。なお『勉学堂鍼灸集成』は『東医宝鑑』『鍼灸経験方』『類経図翼』の三書を編集した本。〕


 前文は,貫刺法の三つの要点を明らかにしている。すなわち,①操作上,押手でしっかり抑えて「結筋」する病巣を固定しなければならない。②鍼尖が触れると患者が痛みに耐えきれなくなる場所を穴とする。③この貫刺法は疼痛証を治療し,「結筋」が見られる場合,治療効果は通常の経穴刺法より優れている。

 後文は,貫刺法による経筋病を治療する補助療法の補足である。すなわち,鍼を刺した後に牽引療法を組み合わせて,治癒することを目途とする。つまり『黄帝内経』にある筋病を治療する「引」法である。

 現在西洋で流行している筋筋膜痛を治療するドライニードル療法によるトリガーポイント鍼治療の操作の要点は,古代の貫刺法による経筋病痛証を治療する操作と軌を一にしていることが容易にわかるので,中国古典鍼灸の「結筋」貫刺法の再発見と言えよう。

 「結筋」貫刺法の現代的発展は主に以下の二つの面に現われている。

 その一,注射針から鍼灸用の鍼へという治療道具の方向転換である。初期には異なる薬物注射剤の処方が多用され,注射針を用いて「筋硬結」の病巣に注射した。西洋のドライニードル療法の前身である,日本の枝川直義の「枝川注射療法」〔*〕や中国の王鶴浜〔**〕の「横紋筋非菌性炎症病源点注射療法」などは,みなこの方法を用いて治療した。その後,注射用の水のみ,薬液なし,あるいは液体を一切注射せず,中実〔薬液を注入する空洞がない〕針だけで刺す方法も有効で,さらに治療効果がよいこともわかり,治療法の名称も「乾針療法」(dry needling)と改められた。しかし「乾針」という言葉が西洋で流行し,注射針の代わりに鍼灸用の鍼が臨床で一般的に用いられるようになるまでには長い時間がかかった[12]。

    [12] 彭增福.肌筋膜疼痛综合征激痛点针刺疗法[M].广州:羊城晚报出版社,2019:3-11.

    〔*〕枝川直義『なおさん枝川注射療法:体壁医学の臨床応用』,カレントテラピー,1990.5

     https://www.jstage.jst.go.jp/article/ryodoraku1968/30/2/30_2_33/_pdf

    枝川直义『枝川注射疗法: 体壁内脏相关论的临床应用』,科学技术出版社, 1989.〕

    〔**〕王鶴浜:毛沢東の主治医をつとめた眼科医(1924~2018年)。『从肌肉来的疾病』(2010年)を著わす。多くの疾病は主に筋肉の非菌性炎症が炎症部位を走行する神経に影響を及ぼし,その神経が支配する臓器や身体部位に疾病を引き起こすと提唱した。

 その二,鍼を刺す点の位置がより正確になり,おおまかに「結筋」の病巣(「筋硬結」「トリガーポイント」)を刺すのではなく,患者の最も痛い点である「ジャンプ徴候」(jump sign)と筋繊維の局所痙攣反応を引き起こす反応点を探索することを強調し,画像装置の助けを借りて,精確な刺鍼を実施する。 

 

2024年6月29日土曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.1

 3 筋病刺法の発展

 本節では,筋刺法の中で論争の的となっているか,長期にわたって見過ごされてきた,以下の五つの法,すなわち,内熱刺法・貫刺法・挑刺法・募刺法・分刺法を重点的に考察する。

 説明する必要があるのは,以上の刺筋病の各方法は,単独で用いることもできるが,それぞれを組み合わせることによって治療効果を高めることもできることである。


 3.1 内熱刺法

 「内熱法」は寒痺を治療する通常の治療法である。「内熱刺法」とは内熱法と鍼刺法を併用するもので,その臨床応用にはつぎの二種類がある。

 その一,内熱法と鍼刺法を段階的に実施する。先に刺した後に熨〔熱罨法〕する。刺した後に必ず熨する。

 『黄帝内経』の熱熨法には「湯熨」と「薬熨」がある。

 その二,内熱法と鍼刺法を一体化した「焠刺」と「燔鍼劫刺」。

 「焠刺」は,まず鍼を焼いて熱さが極まったら素早く刺す。すなわち後世と現代で流行している火鍼法である。しかし「燔鍼劫刺」法については,刺法の標準を専門に論じた『霊枢』官針には掲載がなく,その他の篇にも具体的な操作の模範は示されていない。ただ『素問』調経論は「燔鍼劫刺」と「焠鍼薬熨」を独立したものとして扱っていて,それぞれ「筋に在る病」と「骨に在る病」という異なる病症の治療に用いていることから見れば,両者の操作は異なるはずである。この二つの刺法の相違について,明代の『素問』の注家である呉崑は『内経素問呉注』〔調経論〕の中で,「燔鍼者,內鍼之後,以火燔之暖耳,不必赤也;此言焠鍼者,用火先赤其鍼而後刺,不但暖也,此治寒痹之在骨者也〔燔鍼なる者は,鍼を內(い)るるの後,火を以て之を燔(あぶ)りて暖むるのみ,必ずしも赤くせざるなり。此の焠鍼と言う者は,火を用いて先ず其の鍼を赤くして而(しか)る後に刺す,但だ暖かきのみにあらざるなり,此れ寒痹の骨に在るを治する者なり〕」[11]と述べているが,同時代の『黄帝内経』の注家である張介賓の注解も呉崑注と観点は同じである。

    [11] 吴崑.内经素问吴注[M].山东中医学院中医文献研究室点校. 济南:山东科学技术出版社,1984:243. 

    〔『類經』卷14-20「焠鍼藥熨」注:「病在骨者其氣深,故必焠鍼刺之,及用辛熱之藥熨而散之。○按:上節言燔鍼者,蓋納鍼之後,以火燔之使暖也,此言焠鍼者,用火先赤其鍼而後刺之,不但暖也,寒毒固結,非此不可。但病有淺深,故聖人用分微甚耳。焠刺義見鍼刺類五〔卷19-5〕」。〕

 この二種類の内熱刺法の臨床応用原則については,『霊枢』寿夭剛柔に具体的な例がある。「刺寒痹內熱奈何?伯高答曰:刺布衣者,以火焠之。刺大人者,以藥熨之〔寒痹を刺して熱を內(い)るるは奈何(いかん)?伯高答えて曰わく:布衣を刺す者は,火を以て之を焠(や)く。大人を刺す者は,藥を以て之を熨す〕」。このことから,焠刺法は刺激強度が高く,一般庶民に適しているが,熨法や鍼を刺した後に火を用いて熨する方法は強度が低く,高官貴人に適していることがわかる。

 後世においても二つに分かれて発展した。一つは火鍼法であり,もう一つは温鍼法である。

 温鍼法は艾火で鍼柄を焼き,鍼体からの伝導を利用して「熱をして中に入れしめる」,熨法と鍼法を融合一体化したもので,『黄帝内経』にある内熱刺法を改良したものと見なすことができ,陰寒証に広く用いられる。現代の宣蟄人教授〔1923年~〕は温鍼法の鍼具を比較的太い銀鍼に変更して熱の伝導性能を強め,「密集型圧痛点銀鍼療法」を創始して椎管外の軟部組織損傷性の疼痛を治療し,痛痺を治療する専用の鍼法とした。これは古代の温鍼法を継承し革新したものである。近年流行している内熱鍼法の「熱凝固高周波療法」も,密集型銀鍼療法を基礎として,鍼具と加熱の方法を改良し,鍼尖から鍼体までを定温で加熱できる鍼具を採用し,加熱温度を制御可能にして,安全性と患者のコンプライアンスを高めた。

    〔高周波熱凝固(RF):高周波熱凝固とは針先から高周波電流を流し,米粒程度の範囲を80℃程度の熱で凝固して痛みの信号を遮断するもの。〕

    https://kompas.hosp.keio.ac.jp/contents/000032.html

    〔局所麻酔薬による神経ブロックと同様に、神経の近くに針を刺して処置を行います。針の先端から高周波の電磁波により熱を発生させ、神経を構成しているタンパク質の一部を凝固して、神経の働きを長期間抑える方法です。局所麻酔薬で一時的に神経を麻痺させる一般的なブロックと違い、この方法では、遮断された神経が再生するまで効果が持続します。〕

    〔患者のコンプライアンス:患者が医療従事者の指示通りに治療を受けること。/→アドヒアランス〕

 古代の寒痺を治療する薬熨法は,現在では各種の電熱薬熨器具に取って代わられることが多く,伝統的な薬熨機能を実現した基礎の上にマッサージの機能も兼ねており,使用がより便利で温度が制御でき,刺激量も調整可能で,熨と引を一体化した複合療法であり,古代の筋痺を治療する熨法と引法を組み合わせたイノベーションとみなすことができる。

 

2024年6月28日金曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.4

  2.4 理・法ともに浮沈す


 経筋学説は『黄帝内経』で形成され,同書の刺法の標準を専門に論じた『霊枢』官針篇には系統だった経筋病についての定番の刺法が記載されている。これは経筋学説とそれに関連する筋病の刺法が当時広く盛んに用いられていた状況を反映している。

 しかしながら,理論の表現に深刻な欠陥がいくつか存在し,それを時を移さず効果的に補うことができなかったために,鍼灸の発展史に大きな貢献をした経筋学説と,鍼灸の臨床に広く応用されていた筋病刺法は,いずれも唐・宋の際に谷底に落ちてしまった[7]69。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 このような背景の下で,宋・金・元以降,人々は円鍼の操作方法がわからなくなってしまい,鍼の世界からなくなるのは遅かれ早かれ時間の問題にすぎなかった。明中期に大きな影響力を持っていた『古今医統大全』は円鍼を「今ま按摩家 之を用ゆ」[10]と明言していて,『黄帝内経』時代に痺を治療するための優れた器具が廃れたことを記録している。すなわち,痺証を治療するのに最も特色ある分刺法の専用鍼具である円鍼は,遅くとも明中期にはすでに按摩の道具に転落していた。このような状況下では,たとえ分刺法の重大な意義に気づくひとがいて,それを復活させようとしても,どうすることもできなかった。

    [10] 徐春甫编集.古今医统大全 上册[M].崔仲平,王耀廷主校.北京:人民卫生出版社,1991:449.

    〔『古今醫統大全』卷7・鍼灸直指・九鍼圖:「員鍼(其身員,鋒如卵形,長一寸六分。肉分氣滿,宜此。今按摩家用之。)」〕

 前述したように,経筋学説は筋病の診断と治療に信頼性のある明瞭な座標を提供し,これに導かれて,鍼師は効率的な診察と正確な治療をおこなうことができた。しかしこの航海図が失われてしまい,筋を診,筋を調えることは,「若觀海望洋,茫無定見〔海を觀て望洋とするが若く,茫として定見無し/はてしない大海原を見て圧倒されるように,茫漠として見当が付かず自分の確固たる見解がもてない〕」〔『景岳全書』傳忠錄上・論治篇〕という状態になってしまった。

 振り返ってみれば,理論を構築し,標準規範となる基礎が不足していたことが,経筋学説と筋刺法が衰退した重要な内在的要素であることを見つけるのは難しくない。

 経筋学説は経脈学説をひな型として構築されたが,理論の体系化の面では経脈学説には遠く及ばず,診脈法と刺脈法の形成とは大きな差異があり,診筋法にいたっては『黄帝内経』において専門的な論述さえなく,全体の治則治法である「燔鍼劫刺,以知為數,以痛為輸」については明確な説明も臨床応用の模範も示されていない。今日に至ってもこの筋刺法の正確な応用にとってきわめて重要な経文の解釈には,依然として大きな見解の相違が存在している。

2024年6月27日木曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.3

  2.3 筋刺の源


 筋病刺法の中で鍼が病所にいたる直接刺法である「燔鍼劫刺」と「貫刺法」は,癰疽に対する刺法と継承関係にある。


 刺法の標準を専門に論じている『霊枢』官針は,もともと砭石で癰疽を刺す法則だったものを,鍼を刺して病を治療する一般的な総則に変換して篇の冒頭に置いていることからも,鍼灸による癰疽治療経験がより早く発達し,しかも最初に技術の標準化の段階に入り,後の刺法に共通する基準制定の基礎となったことが容易に見いだせる[7]235。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 筋病の「筋急」「結筋」は外形的には癰と疽に類似している――筋急は癰に,結筋は疽に似ているため,筋病の刺法は癰腫を刺す法から移植・変化したものが多い。『霊枢』官針に記載されている定番の刺法には,癰疽を刺す法から換骨奪胎した痕跡をとどめているものもいくつかあり,その変遷過程を考察できる刺法さえある。


    贊刺者,直入直出,數發鍼而淺之出血,是謂治癰腫也〔贊刺なる者は,直(なお)く入れ直く出だし,數おおく鍼を發して之を淺くして血を出だす,是れを癰腫を治すと謂うなり〕。(『靈樞』官針)

    輸刺者,直入直出,稀發鍼而深之,以治氣盛而熱者也〔輸刺なる者は,直く入れ直く出だし,稀(すく)なく鍼を發して之を深くし,以て氣盛んにして熱ある者を治するなり〕。(『靈樞』官針)

    

 「賛刺」について,「是れを癰腫を治すと謂うなり」と明言しており,この定番の刺法が直接,癰腫を刺す法から移植されたことがわかる。また「輸刺」の操作は,「賛刺」の操作と互いに対応していて,前者は鍼数を少なく深く刺し,後者は鍼数を多くして浅く刺す。癰疽の病変部位の特徴はまさに癰は「浅く」,疽は「深い」。「賛刺」が癰を刺す法から出ていることを知っていれば,「輸刺」が疽を刺す法から出ていることが推測できる。『黄帝内経』から有力な関連する証拠を見つけることができる。「輸刺」の適応証は「氣盛んにして熱ある者」であり,これは『素問』病能論にいう癰疽の鍼刺治療原則中の癰疽を刺す原則「夫癰氣之息者,宜以鍼開除去之,夫氣盛血聚者,宜石而瀉之〔夫(そ)れ癰氣の息する者は,宜しく鍼を以て開き之を除き去るべし,夫れ氣盛んにして血聚まる者は,宜しく石して之を瀉すべし〕」と継承関係にある。また『霊枢』癰疽に「發於腋下赤堅者,名曰米疽,治之以砭石,欲細而長,疎砭之〔腋下に發して赤く堅き者は,名づけて米疽と曰う,之を治するに砭石を以てし,細くして長からんことを欲し,疎に之を砭す〕」とある。砭石の「細くして長い」者を取ることは深く刺すことを意味し,「疎に之を砭す」は輸刺法の操作,「稀(すく)なく鍼を発する」と意味と同じであるが,前者の操作道具は「砭」であり,後者は「鍼」であることの相違にすぎない。前述したように,『霊枢』官針篇に掲載された刺法の道具は「鍼」ではあるが,篇の冒頭にある刺法原則の総論は,早い時期の砭石による癰疽治療の法則に由来する。これは刺法が砭法から進化して来た有力な証拠である。

 「結筋」のシンボル的な刺法である貫刺法は癰腫を刺す法を源とするだけでなく,「筋急」を刺すシンボル的な刺法である燔鍼劫刺の「内熱刺法」もまず癰疽の治療に用いられた。


    微按其癰,視氣所行,先淺刺其傍,稍內益深,還而刺之,毋過三行,察其沈浮,以為深淺。已刺必熨,令熱入中,日使熱內,邪氣益衰,大癰乃潰〔微(わず)かに其の癰を按(お)し,氣の行く所を視,先ず淺く其の傍らを刺し,稍(や)や內(い)れて深さを益し,還(かえ)りて之を刺し,三行を過ぐること毋(な)かれ,其の沈浮を察し,以て深淺を為す。已に刺せば必ず熨し,熱をして中に入らしめ,日々に熱をして內らしむれば,邪氣益々衰え,大癰乃ち潰(つい)ゆ〕。(『靈樞』上膈)

    

 この刺法の「還りて之を刺す」は,癰腫を刺す貫刺法であり,『霊枢』官針に記載された定番の刺法の中の癰腫を刺す「賛刺」法の操作と継承関係にあるだけでなく,痛痺を刺す「報刺」法の操作も「鍼を出だして復た之を刺す」ことを強調していて,いずれも明らかな「貫刺法」の特徴を持っている。

 経文はまた「已に刺せば必ず熨し,熱をして中に入らしむる」ことを強調している。もし病変の位置が深ければ,鍼による伝導は「熱を中に入れる」有効な経路となる。これが後世の「温鍼法」の応用に啓示を与えたことは間違いない。

 後世の燔鍼法の臨床応用例を見てみると,主に癰腫を含む各種の腫あるいは積に用いられ,腫の大きさに応じて異なる鍼を選択して焼鍼法がなされた。唐以前では痺証と小さな積には大員利鍼が用いられた[8]。古代朝鮮において経筋病である「結筋」を鍼刺する貫刺法をはっきりと広範に応用した最も早いものは,癰腫治療の専門書である『治腫指南』に見られる。

    [8] 丹波康赖撰.高文柱校注,医心方[M]. 北京:华夏出版社,1996:69.

    〔『醫心方』卷2・鍼例第5:「燔鍼法。董暹曰:凡燒鍼之法,不可直用炭火燒,針澀傷人也。……燔大癥積用三隅針。破癕腫皆用䤵鍼,量腫大小之宜也。小積及寒疝諸痹及風,皆用大員利鍼如筳也,亦量肥瘦大小之宜。皆燒鍼過熱紫色為佳,深淺量病大小至病為度。

    『治腫指南』 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/en/item/rb00004092

    https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00050/index.html〕


 『霊枢』経筋篇のいくつかの治則刺法は,その源が腫を治療する原理にあることを察知できなければ,意味するところがわからないし,ましてや臨床上の正確な運用などなおさら無理である。たとえば,手太陽経筋病の治則治法は,「其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕」であり,類似する経文は『霊枢』四時気篇にも見え,「癘風者,素(索)刺其腫上,已刺,以銳鍼鍼其處,按出其惡氣,腫盡乃止〔癘風なる者は,素(索(もと))めて其の腫の上を刺し,已に刺せば,銳鍼を以て其の處に鍼し,按(お)して其の惡氣を出だし,腫れ盡くれば乃ち止む〕」という。後世の注釈者は,避けて注をつけないか,あるいは無理やり注をつけて理解不能に陥っている。

 二つの経文の主治と刺法は類似していて,いずれも癰腫を治療するための常用方法である「兌」法に由来する。『千金翼方』には「兌疽膏方」の作り方とその臨床応用が詳細に記載されている。その方法:腐爛したものを除いて新しい組織を生じさせる薬を膏の中に細かく刻んで入れ,弱火で煎じてペースト状にして,尖った形にしたり,綿などを用いて尖った形をつくったり,さらに薬膏を尖らせて塗ったりして,病の深さに合わせて瘡の口に挿入する。その頭の尖った形の薬膏を「兌」といい,瘡の口に挿入する操作を「兌之〔之を兌す〕」といった[9]281。伝存する医書,『備急千金要方』『外台秘要方』『医心方』などには,なおこのような瘡癰を治療する「兌」法の応用が多く見られる。

    [9] 孙思邈.千金翼方[M].影印本.北京:人民卫生出版社,1955:281.

    〔『千金翼方』卷23:「兌疽膏方……右七味,切,內膏中微火煎參沸。內松脂耗令相得,以綿布絞去滓,以膏著綿絮兌頭尖作兌兌之,隨病深淺兌之,膿自出,食惡肉盡即生好肉,瘡淺者勿兌,著瘡中日參,惡肉盡止〔右の七味を切り砕き,膏の中に入れ,弱火で煎じて三たび沸騰させ,さらに松脂を入れて継続して煎じ,膏と脂が溶け合うようにした後,綿布でカスを絞り取り,綿布を薬膏に浸して綿布の尖端をとがらせて疽の中に入れ,疽の深さに応じて突き入れると,膿が自然に流れ出て,悪い肉が出尽くすとよい肉が生じる,瘡が浅いものは瘡の中に入れる必要はない,毎日三回,瘡の中に着けると,悪い肉はなくなる〕」。〕


 『霊枢』経筋にいう「其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕」および『霊枢』四時気にいう「已刺,以銳鍼鍼其處〔已に刺せば,銳鍼を以て其の處に鍼す〕」という刺法は,いずれも癰腫を治療する「兌」法の意を模倣したもので,鍼を出して復(ふたた)び之を刺し,「腫盡乃止〔腫れ盡くれば乃ち止む〕」のである。伝世本『霊枢』は「復而兌之」を「復而鋭之」に改めたため,全体を読んでも理解できないようになった。大いなる誤りである。

 このほか,「結筋」の性質は「結絡」と類似しているため,「結筋」を刺す貫刺法は「結絡」を刺す解結刺法にも起源に関連がある。結絡と結脈を刺すには,「必ず其の結の上を刺す」〔『霊枢』経脈〕ので,結筋も「其の結の上を刺す」べきであり,筋がはなはだ急(ひきつ)っているものは,結がなくとも,「急いで之を取る」〔『霊枢』経脈〕べきである。現代では,経筋病の刺法に関する著書や論文の多くは,結筋の病巣を寛解する貫刺法を直接に「解結」法と称している。

2024年6月26日水曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.2

  2.2 筋刺の法


 筋痺に専門に用いられる刺法であれ,痺証に広く用いられる刺法の規範であれ,『黄帝内経』においては,刺法の規範はみな『霊枢』官針に系統的に論述されているので,筋病の刺法を研究するには,まず官針篇を通読しなければならない。

 特に指摘しなければならないのは,『黄帝内経』の作者が『霊枢』官針篇を編集した時に,当時伝存していた漢以前の刺法の起源と発展を鑑別することを怠り,別の時期のものや異なる医家がまとめた刺法の基準を編集した際,同じ刺法にもかかわらず,別のものとして異なる術語によって分類したことである。たとえば,篇末には五種類の刺法が掲載されているが,それ以前の定番の刺法と重複しており,刺法の名称が異なるだけである。いわゆる「半刺」は九変刺の「毛刺」であり,「豹文刺」は九変刺の「経刺」「絡刺」であり,「関刺」は十二節刺の「恢刺」であり,「合刺」(伝世本『霊枢』は誤って「合谷刺」に作る。いま『太素』に従って「合刺」とする)は九変刺の「分刺」であり,「輸刺」は十二節刺の「短刺」「輸刺」である [7]254-256。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.〔『大綱』255~256頁に表8「≪官針篇≫刺法の理論および技術帰属」がある。〕

 『霊枢』官針篇の性質を明らかにし,篇に記載された各刺法基準の関係を整理した。その中で筋病を刺す定番の刺法は以下の通りであることが確認できる。

   (1) 焠刺。これは寒痺治療でひろく用いられる刺法である。『霊枢』経筋篇では寒が原因の筋の急(ひきつ)りによる筋痺の治療に専用される刺法として用いられる。「燔鍼劫刺」といい,内熱刺法に属する。

 (2)報刺。報刺は,「刺痛無常處也,上下行者,直內無拔鍼,以左手隨病所按之,乃出鍼,復刺之也〔痛みに常の處無きを刺すなり,上下に行く者は,直に內(い)れて鍼を拔くこと無く,左手を以て病所に隨って之を按(お)し,乃ち鍼を出だし,復た之を刺すなり〕」。これは,分刺法の臨床応用の一つの術式とみなすこともできる。「凡痹往來行無常處者,在分肉間痛而刺之〔凡そ痹の往來して行くこと常の處無き者,分肉の間に在って痛まば而(すなわ)ち之を刺す〕」(『素問』繆刺論)。

 (3)恢刺。「関刺」ともいう。筋痺専用の刺法であり,挑刺〔挫刺〕法の類に属す。

 (4)分刺。痺証で広く用いられる刺法であり,当然ながら筋痺も治療する。『黄帝内経』刺法の基準で,臨床応用篇である『素問』長刺節論は鍼で筋痺を治療するが,まさに「分肉の間を刺す」。

 『黄帝内経』でいう「筋」とは,筋肉とその付着構造(腱/腱膜付着・筋膜・靭帯・関節嚢など)を指すことが知られているので,分肉の間(深筋膜と浅筋膜の分)を刺す「分刺」法は,間違いなく「筋刺」の類に属する。

 『霊枢』官針篇で皮と肉の間で操作される多くの刺法は,実のところ分刺法から少し変化したものであるので,広義の「分刺」と見なせる。たとえば,分肉の間に少し浅めに斜刺することを「浮刺」といい,肌が急(ひきつ)り寒(ひ)える者を治す。より浅いものは「直鍼刺」といい,寒気の浅い者を治す。分刺に左右に向けて刺すのを加えたものを「合刺」といい,肌痺を刺す。分刺に複数の鍼刺を加えたもの,二本の鍼のものを「傍鍼刺」,三本の鍼のものを「斉刺」,四本の鍼のものを「揚刺」(また「陽刺」とも)といい,痺の大小・新旧の違いに応じる。

 現在の学界の観点に従うならば,筋の外を刺す「恢刺」(「関刺」)を筋刺のシンボル的な刺法とすれば,皮と肉の分の広義の「分刺」法も筋病刺法に帰属させることができる。

 (5)輸刺。経脈の五輸穴と絡兪を刺す。筋と脈とは密接に関連しているため,脈の虚実に基づいて脈兪を調整することも筋病を治療する重要な方法である。まさに経筋篇において楊上善が注してつぎのように言うとおりである。「『明堂』依穴療筋病者,此乃依脈引筋氣也〔『明堂』の穴に依って筋を療する者,此れ乃ち脈に依って筋氣を引くなり〕」(『太素』卷13・經筋)。

  『黄帝明堂経』には,多くの筋急・筋縮急・転筋・筋攣・筋痛・筋痺を主治する経穴が記載されている。手足の太陽経が治する筋病の要穴(表1)から分かるように,経穴が主る病症は『霊枢』経筋篇の経筋病候と合致するし,筋病を治する経穴部位は,関連する経筋が「結」する所とも合致する。つまり,「筋急」と筋の「結」との関係は,「応穴」と「経穴」の関係のようなものである。ただ刺法上は「筋急」が経穴上にあるかどうかにかかわらず,「経刺」法ではなく,すべて「筋刺」法を採用しなければならない。


            表1 『黄帝明堂経』 手足の太陽経が治する筋病の要穴の例

 https://blog.sciencenet.cn/blog-279293-1422856.html を参照。

 (6)募刺法。攣急する内臓の肓膜を刺してもよいし,必要に応じて臓腑の募を刺してもよい。筆者はこのような内臓の肓膜と募穴を刺す刺法を「募刺法」と名づけた[7]180-181。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 以上の六種類の筋病刺法のほかに,『霊枢』経筋には,「其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕」という腫を刺す刺法にも言及しているが,後世の結絡や結筋を刺す「貫刺法」は,この刺法と相承関係にある。

 以上,七種類の筋刺法には,臨床応用上それぞれの症状に応じた適宜の使い分けがある。



黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.1

  2 筋病刺法概説


 『霊枢』経筋篇における十二経筋病候の下では,すべて「痺」で総括される。すなわち経筋病は筋痺に帰属することができるため,楊上善は,「十二經筋感寒濕風三種之氣,所生諸病皆曰筋痹〔十二經筋 寒・濕・風の三種の氣に感じ,生ずる所の諸病を皆な筋痹と曰う〕」(『太素』巻13・経筋)という。筋痺も痺に属するので,経筋病の刺法は実際には筋痺に対する専用刺法と痺証を刺すのに広く用いられる刺法を含む。主なものには内熱刺法・貫刺法・挑刺〔挫刺〕法・募刺法・兪穴刺法・分刺法と,その延長線上にある刺法とがある。

 これらの刺法と筋病の診療理論は有機的なつながりのある全体を構成し,発展の過程で繁栄と衰退をともにする特徴を示した。


 2.1 筋刺の理


 『黄帝内経』で筋刺の理についての論議は『霊枢』経筋篇に集中していて,十二本の経筋の起こる所・結ぶ所・止まる所の走行分布を詳しく記述し,あわせて経筋の機能および経筋の病候〔疾病の徴候症状〕・病因病機〔疾病の発生原因とその機序〕・治則治法〔治療原則と治療法〕を論述している。これが現在言うところの「経筋学説」である。

 十二経筋が「結ぼれる」ところは,筋を診る部位であり,筋病を刺すところでもあるので,筋の「結ぼれる」部位を知ることは,筋病の診断と治療のいずれにもきわめて重要である。

 十二本の「結ぶ」点による経線を明示したつながりがあって,「筋」は古人の目には孤立した一つ一つの「筋」ではなく,一つのまとまりであり,この全体の各部に現われる各種の症状は,いずれも病変した筋の「筋急」「結筋」によるものであり,筋急を解除すればすべての病症は解消できる。

 十二経筋の病候は,主に筋の急(ひきつ)りによる筋に沿った部位の疼痛と機能障害(運動機能障害を主とする),およびいくつかの内部筋膜の攣急によって引き起こされる内臓の病症である。

 経筋病の病因病機および発病の特徴については,『霊枢』経筋篇に,「經筋之病,寒則反折筋急,熱則筋弛縱不收,陰痿不用。陽急則反折,陰急則俯不伸〔經筋の病,寒(ひ)ゆば則ち反折して筋急(ひきつ)り,熱すれば則ち筋 弛縱して收まらず,陰痿して用いられず。陽急(ひきつ)れば則ち反折し,陰急(ひきつ)れば則ち俯して伸びず〕」という総論がある。

 筋病の病因には寒と熱があり,その病は筋の引き攣りと緩みという異なるタイプとして表現されているが,『霊枢』経筋篇で論じられている経筋病候は,寒に中(あ)たって筋が急(ひきつ)る病候を主とし,しかも躯体の筋の急る病症を主とする。これはかなりの程度,当時の筋病診療の水準をあらわしているか,あるいは当時の鍼による筋病治療の応用が反映されているといえよう。

 寒邪によって引き起こされる筋の急(ひきつ)りの具体的な病機については,『素問』気穴論に,「積寒留舍,榮衛不居,卷肉縮筋,肋肘不得伸,內為骨痹,外為不仁,命曰不足,大寒留於溪谷也〔積寒 留舍すれば,榮衛 居らず,肉を卷き筋を縮め,肋肘 伸ばすことを得ず,內に骨痹と為り,外に不仁と為る,命(な)づけて不足と曰う,大寒 溪谷に留まればなり〕」とある。つまり大寒が分肉渓谷の間に留まり,気血がその間を行くことができず,筋が急(ひきつ)るようになるということで,これは痺証の全般的な病因病機と相い通じる。


    風寒濕氣客於外分肉之間,迫切而為沫,沫得寒則聚,聚則排分肉而分裂也,分裂則痛〔風寒濕氣 外の分肉の間に客し,迫切して沫と為る,沫 寒を得れば則ち聚まり,聚まれば則ち分肉を排して分裂するなり,分裂すれば則ち痛む〕。(『靈樞』周痺)

    寒留於分肉之間,聚沫則為痛〔寒 分肉の間に留まり,沫を聚めれば則ち痛みを為す〕。(『靈樞』五癃津液別)

    

 まさにこの痺証の全般的な病機に基づいて,分肉の間を刺す「分刺」法が痺証を治療する一般的な刺法となり,筋病刺法の中でも筋外の分間を刺す多くの定番となる刺法に発展した。

 治則〔治療の原則〕は病因病機〔疾病の発生原因とその機序〕から出て,治法〔治療法〕は治則から出る。筋病の病因病機は寒に中(あ)たって筋が急(ひきつ)ることであるのが知られているので,その全般的な治則治法は,以下のごとくである。すなわち,刺寒痹者內熱,熨而通之,引而行之,治在燔鍼劫刺,以知為數,以痛為輸〔寒痹を刺す者は熱を內(い)れ(『霊枢』寿夭剛柔),熨して之を通じ,引いて之を行かしめ(『霊枢』周痺),治は燔鍼もて劫刺するに在り,知るを以て數と為し,痛むを以て輸と為す〕である。

 この全般的な治則治法については,『黄帝内経』の他篇でもあちこちで論述されている。


    病生於筋,治之以熨引〔病 筋に生ずれば,之を治するに熨引を以てす〕。(『靈樞』九針論)

    病在筋,調之筋,燔鍼劫刺其下及與急者〔病 筋に在れば,之を筋に調え,燔鍼もて其の下及び急(ひきつ)る者とを劫刺す〕。(『太素』卷24・虛實所生)

    焠刺者,刺燔鍼則取痹也〔焠刺なる者は,燔鍼を刺して則ち痹を取るなり〕。(『靈樞』官針)


 これらの一貫した経文から明らかに分かることは,「熨」「燔鍼」による内熱法と「引」法は,痺証を治療する通常の治法であり,あるいは標準的な治法と称されるということである。鍼灸によって痺を治療することを専門に論じている『霊枢』周痺は,「衆痺」の鍼刺治療の原則を論じて,「熨而通之,其瘛堅,轉引而行之〔熨して之を通じ,其の瘛堅は,轉引して之を行かしむ〕」という。これは,「病生於筋,治之以熨引〔病 筋に生ずれば,之を治するに熨引を以てす〕」という治則をさらにすすめた解釈である。『霊枢』寿夭剛柔は,薬熨法による寒痺の治療を論じて,「以熨寒痹所刺之處,令熱入至於病所,寒復炙巾以熨之,三十遍而止。汗出,以巾拭身,亦三十遍而止。起步內中,無見風。每刺必熨,如此病已矣,此所謂內熱也〔以て寒痹の刺す所の處を熨し,熱をして入れて病所に至らしむ,寒(ひ)ゆれば復た巾(きれ)を炙(あぶ)って以て之を熨し,三十遍にして止む。汗出づれば,巾を以て身を拭(ぬぐ)い,亦た三十遍して止む。起(た)って內中を步み,風に見(あ)うこと無かれ。刺す每に必ず熨す,此(か)くの如くすれば病已(い)えん,此れ所謂(いわゆる)內熱(熱を內=納れる)なり〕」という。これは「内熱」法の注解である。

 上述した治則と古典鍼灸の「診-療一体」の理念に基づいて,『霊枢』経筋篇は「筋の急(ひきつ)り」を診察して経筋の病を知り,経筋の病候はすべて筋が急る部位を「燔鍼劫刺」によって治療すれば,筋が柔らかくなり気が順調に流れて効果がある。さらにマッサージやストレッチを組み合わせると,治療効果はより安定する。

 臨床に用いるには,また病により人により,以下の具体的な治療原則も必要である。

 (1)刺布衣者,以火焠之。刺大人者,以藥熨之〔布衣を刺す者は,火を以て之を焠(や)く。大人を刺す者は,藥を以て之を熨す〕。(『靈樞』壽天剛柔)

 (2)焠刺者,刺寒急也,熱則筋縱不收,無用燔鍼〔焠刺なる者は,寒急を刺すなり,熱あれば則ち筋縱(ゆる)んで收まらず,燔鍼を用いること無かれ〕。(『靈樞』經筋)

 以上の二つの治則は,中国医学が持つ鍼灸診療の弁証施治と,人によって最適なことが異なるという特徴を体現している。熱証に燔鍼は使用せず,熱熨と灸法も禁止されている。

 (3)轉筋於陽治其陽,轉筋於陰治其陰,皆卒(焠)刺之〔陽に轉筋すれば其の陽を治し,陰に轉筋すれば其の陰を治し,皆に之を卒(焠)刺す〕。(『靈樞』四時氣)

 (4)轉筋者,立而取之,可令遂已。痿厥者,張而刺之,可令立快也〔轉筋する者は,立たせて之を取り,遂に已(や)ましむ可し。痿厥する者は,張って之を刺し,立ちどころに快からしむ可し〕。(『靈樞』本輸》)

 (5)傷於熱則縱挺不收,治在行水清陰氣〔熱に傷らるれば則ち縱挺して收まらず,治は水を行(めぐ)らせて陰氣を清むるに在り〕。(『靈樞』經筋)

 これは宗筋がゆるむことによる陰挺不収〔子宮脱など〕に対する治則であり,具体的な定番の刺法の規範「去爪(瓜)法」は『霊枢』刺節真邪に見える。

 (6)其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕。(『靈樞』經筋)〔『太素』は「傷而兌之」に作る。〕  

 これは『霊枢』四時気の腫を刺す法と『霊枢』官針の痛痺を刺す「報刺」法とも継承関係があり,後世の「結筋」を刺す貫刺法の操作もこれと同じである。

 (7)在內者熨引飲藥〔內に在る者は熨引して藥を飲ましむ〕。(『靈樞』經筋)

 募刺法は内筋急を治療するための特効刺法であるが,ここでは「熨引して薬を飲ます」とだけ言って,募刺法については言及していない。このことは経筋篇が脱稿されたときには,募刺法はまだ成熟した段階には達しておらず,十分な臨床応用が得られていなかったことを示唆している。

2024年6月24日月曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』1.3

 1.3 燔鍼劫刺 以知為数 以痛為輸


 『霊枢』経筋篇には,十二経筋の病候の下にはみな経筋病の治則治法である「治在燔鍼劫刺,以知為數,以痛為輸〔治は燔鍼もて劫刺するに在り,知るを以て數と為し,痛むを以て輸と為す〕」が述べられている。この経文には「燔鍼劫刺」「以知為數」「以痛為輸」という三つの重要な概念が含まれているが,この三者を一緒に討論し,古今の臨床で筋急と結筋を刺すという特定の背景の下で考察してこそ,経文の本来の意味を追求することが可能となる。

 上述した三つの概念の中では,「以痛為輸」が最も簡単で,現代人の解釈で議論も最も少ないようにように思われる。つまり痛みがある部位を刺鍼点とするということである。しかしながら,『霊枢』経筋篇では経筋病の鍼刺治療は「筋が急(ひきつ)る」部位を輸とすることを明言しており,『霊枢』官針篇と『素問』調経論篇でもこの取穴原則を繰り返して述べているし,鍼法による筋痺の治療には「筋が急(ひきつ)る」部位を刺す必要があるだけでなく,『霊枢』経筋は熨法によって筋痺を治療する「以膏熨急頰〔膏を以て急(ひきつ)れる頰を熨す〕」「膏其急者〔其の急(ひきつ)れる者に膏す〕」を同様に強調している。そうであれば,経筋篇の鍼を刺して痺を治療する「以痛為輸」は,繰り返し強調した取穴原則に矛盾することはできない。このことから,「以痛為輸」概念での「痛」字には特定の意味があり,経筋病の診療という特定のコンテキストに置いてのみ,その本来の意味がはっきり現われる可能性があると判断した。

 経筋病や筋膜の痛みの診療については,古今東西に経験的な共通認識がある。それは筋が急(ひきつ)る部位で最も痛む点を探し,これを輸刺による治療効果の最適箇所とする。この最も痛む点は,元代の『鍼経摘英集』にいう「正痛」点である。

 「正痛〔正しい痛み〕」とはどういう意味か。

 清代の『鍼灸易学』には,より詳細な記述がある。

    「先治周身疼痛多矣,必病人親指出疼所,即以左大指或食指爪掐之,病人嚙牙咧嘴,驚顫變色,若疼不可忍,即不定穴也,即天應穴也。右手下鍼,疼極必效〔先ず周身の疼痛を治するを多とす(重視する),必ず病人親(みずか)ら指して疼(いた)む所を出だし,即ち左の大指或いは食指を以て爪にて之を掐(お)し,病人 嚙牙咧嘴(歯を食いしばり口をゆがめ)し,驚き顫(ふる)え色を變じ(顔色が変わり),疼み忍ぶ可からざるが若きは,即ち不定の穴なり,即ち天應の穴なり。右手もて鍼を下して,疼み極まれば必ず效あり〕」[2]28。

    [2] 李守先.中医名家珍稀典籍校注丛书:针灸易学校注[M],高希言,陈素美,陈亮校注.郑州:河南科学技术出版社,2014.〔卷上・2・認症定穴・扁鵲先生玉龍歌認症定穴治法繼洲楊先生注解。引用文より上に「周身疼痛:痛即穴,名不定」とある。〕

〔王國瑞『扁鵲神應鍼灸玉龍經』身痛に「不定穴:又名天應穴,但疼痛便鍼」とある。また呉崑『鍼方六集』に「天應穴,即『千金方』〈阿是穴〉,『玉龍歌』謂之〈不定穴〉。但痛處,就於左右穴道上,臥針透痛處瀉之,經所謂〈以痛為腧〉是也」とある。〕

 ドライニードル療法ではさらにすすんで,「現在のところ,最も信頼できるトリガーポイントの診断基準は,触知可能な緊張筋層内の結節部に激しい圧痛が存在することである」(presence of exquisite tenderness at a nodule in a palpable band)[3]111と指摘している。

    [3] David G, Simons MD, Janet G, et al. 肌筋膜疼痛与功能障碍:激痛点手册 第一卷 上半身[M].赵冲,田阳春主译.2版,北京:人民军医出版社,2014.〔Myofascial Pain and Dysfunction: The Trigger Point Manual, Vol. 1 /『トリガーポイントマニュアル : 筋膜痛と機能障害』第1巻,川原群大 監訳,エンタプライズ,1994〕

 『黄帝内経』筋病の挑刺〔挫刺〕法を伝承する民間の鍼挑療法は,挑筋法をもちいて筋急痛証を治療するが,鍼挑点の選択においては同様に筋の急(ひきつ)りの最も激しく,最も痛む点を選択することを強調する。

 以上の共通認識に『黄帝内経』経筋病の取穴原則を合わせると,「以痛為輸」概念にある二つの重要な点を確定することができる。その一,筋が急(ひきつ)る所で押して得られる最も痛む点であって,一般的な意味での疼痛ではない。筋の急(ひきつ)りが複数箇所あれば,その攣急が最もひどい場所で最も痛む点を探すべきである。その二,ただ「痛い」だけで,筋の急(ひきつ)りがなければその輸ではない。

 「以痛為輸」,すなわち元代の『鍼経摘英集』は「正痛」する部位を輸とし,清代の『鍼灸易学』は「極痛」する部位を輸とする。鍼尖がある点に触れると患者は耐えがたい痛みを感じるが,鍼尖がこの点からすこし離れると痛みが大幅に減るのであれば,この鍼尖が触れて痛みの耐えがたい点が輸である。

 「以知為數」をどのように理解するか。

 『黄帝内経』全巻を通して調べてみて,「知」を数と為し,度と為すのは,『黄帝内経』の作者が常用する表現方式であることが明らかになった。例:

    氣在于頭者,取之天柱、大杼;不知,取足太陽滎輸〔氣 頭に在る者は,之を天柱・大杼に取る。知らざれば,足太陽滎輸に取る〕。(『靈樞』五亂)

    審按其道以予之,徐往徐來以去之,其小如麥者,一刺知,三刺而已〔審らかに其の道を按じて以て之を予(あた)えよ,徐ろに往き徐ろに來たり以て之を去る,其の小なること麥の如き者は,一たび刺して知り,三たび刺して已(い)ゆ〕。(『靈樞』寒熱)

    先其發時如食頃而刺之,一刺則衰,二刺則知,三刺則已〔其の發する時に先だつこと食頃の如くにして之を刺す,一たび刺せば則ち衰え,二たび刺せば則ち知り,三たび刺せば則ち已ゆ〕。(『素問』刺瘧論〔篇〕)

    治之以雞矢醴,一劑知,二劑已〔之を治すに雞矢醴を以てし,一劑にて知り,二劑にて已ゆ〕。(『素問』腹中論)

    飲以半夏湯一劑……飲汁一小杯,日三稍益,以知為度〔飲ましむるに半夏湯一劑を以てし……汁を飲むこと一小杯,日々三たび稍(ようや)く益(ま)して,知るを以て度と為す〕。(『靈樞』邪客)


 古典医学家の中では,明初の楼英の解釈が『霊枢』経筋篇の「以知為数」の本来の意味に最も近い。すなわち,「以知為數,以痛為輸者,言經筋病用燔鍼之法,但以知覺所鍼之病應效為度數〔「知るを以て數と為し,痛むを以て輸と為す」とは,經筋病に燔鍼の法を用い,但だ鍼する所の病の應效を知覺するを以て度數と為すを言うのみ〕」である。

    〔楼英『醫學綱目』卷14・肝膽部・筋の注の全文:「以知為數,以痛為輸者,言經筋病用燔鍼之法,但以知覺所鍼之病應效為度數,非如取經脈法有幾呼幾吸幾度之定數也。但隨筋之痛處為輸穴,亦非如取經脈法有滎俞經合之定穴也」。〕

 何を「知覺所鍼之病應效為度數〔鍼する所の病の應效を知覺するを度數と為す〕」とするのか。

 清代の『鍼灸易学』は「下鍼,疼極必效〔鍼を下して,疼(いた)み極まれば必ず效あり〕」[2]28という。つまり鍼をして最も痛む点に触れれば,鍼には「必ず効果がある」。

 明代の『鍼灸経験方』は,「貫刺其筋結處,鋒應於傷筋則痠痛不可忍處,是天應穴也。隨痛隨鍼,神效〔其の筋結する處を貫き刺し,鋒 傷(そこな)われる筋に應ずれば則ち痠痛して忍ぶ可からざる處,是れ天應穴なり。隨って痛まば隨って鍼すれば(痛むところにすぐ鍼をすれば),神效あり〕」[4]という。

    [4] 许任著.崔为,南征主编,针灸经验方:校勘注释[M].长春:吉林科学技术出版社,2015:47.〔卷中・手臂:「手臂筋攣酸痛專廢食飲不省人事者」注。〕

 現代の『肌筋膜疼痛与功能障碍:激痛点手册第一卷上半身』〔『筋膜痛と機能障害:トリガーポイントマニュアル』第1巻・上半身〕に,「十分に刺激を受けると,筋線維の局部痙攣反応(local twitch response,LTR)が誘発される」「圧痛点注射(trigger point injections)を行う前に,まず触診で正確に圧痛点を特定し,さらに注射針により誘発される痛みと局所の痙攣反応に基づいて正確に針を刺入する精確な位置を確定する」[3]87。つまり,局部痙攣反応を引き出すことによって治療効果を判定し,針が正確にMTrpsに刺さったかどうかの判断基準とする。Hong[5]は,これらのLTRが励起されると,ドライニードルが最も効果的であると考えている。MTrPsドライニードルでLTRを誘発するためには,繰り返し穿刺し,なおかつ針を刺入する深さと刺激の量,力の加減を調整する必要がある。

    [5] Hong CZ.Lidocaine injection versus dry needling to myofascial trigger point. The importance of the local twitch response[J]. Am J Phys Med Rehabil,1994,73(4):256-263.

 筋急と結筋の最も痛む点に正確に鍼を刺し入れ,患者が痛みを堪えきれなくなるのと同時に,局所痙攣反応が起こる,この痛みが堪えきれない痛点が,すなわち正しい輸である。この患者が「痛み忍ぶべからず」という感覚と医者の鍼の下の筋肉が痙攣する鍼感が「知」であり,「知」があれば治療効果が最もよいので,これを以て度と為す。

 刺して筋が急(ひきつ)る箇所の最も痛む点に命中させて,患者が痛くて我慢できなくても強(し)いて刺す法が「劫刺」である。「燔鍼劫刺」法の「燔鍼」は先に鍼を刺してから鍼を焼くべきであると推察できる。もし先に鍼を燔(や)くと,焼かれた鍼を肉体に刺し入れれば,急速に鍼尖が冷えて渋ってしまい,速く繰り返し上下させる操作をおこなって,患者が痛みに耐えられない筋肉痙攣反応を引き出すのにはかえって不利である。

 「燔鍼劫刺」についての諸家の解釈を振り返ってみると,呉魯輝の解釈が最も経文の本来の意味に近い。つまり,宣蟄人教授が創設した密集型銀鍼刺法は,多数の太い銀鍼を用いて,病変した軟部組織が付着した箇所の骨面に小さい振幅で搗(つ)き刺しし,酸・脹・重・麻などの強い鍼感を引き出し,刺した後に鍼柄頭でもぐさを燃やして加熱することで,患者の耐え難い感覚を引き起こすことができると考えられる。これがすなわち「燔鍼劫刺」の意味である[6]。


    [6] 吴鲁辉.燔针劫刺之我见[J],江苏中医药,2011,43(3):78.

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2024年6月23日日曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』1.2

  1.2 経筋 筋急 結筋

 筋が「結」するつながりによって,上下縦方向に走行する「筋」が形成する有機的な関係全体を「経筋」という。この大きな筋は『霊枢』経筋に全部で十二本あり,「十二経筋」という。筋と経筋の関係は,あたかも脈と経脈の関係のようである。

 筋急と結筋は,いずれも「筋」の病理的概念である。

 筋急とは,筋が寒邪に中(あ)たって攣急するところを指す。筋急には陽筋急と陰筋急(内[筋]急ともいう)が含まれ,躯体の症状は主に陽筋急によって引き起こされ,内臓の症状は陰筋急によって引き起こされる。『霊枢』経筋の十二経筋病候は主に陽筋急の症状であり,その表現形式には主に「支」「反折」「転筋」「瘛」などが含まれる。

 「筋急」が長い間解消されないとつねに硬結が形成される。これを「結筋」という。おしなべて「結筋」するところの筋が必ず急(ひきつ)ることは,『霊枢』経筋に「所過而結者皆痛及轉筋〔過ぎて結ぼれる所の者は皆な痛み及び轉筋す〕」とある通りである。したがって「筋急」を用いることによって「結筋」を含めることができる。

 隋代の官修医書『諸病源候論』には,「筋急」とは別に,「結筋」という項目があり,以下のような明確な定義がなされている。〔訳注:以下の「……」以前は結筋候ではなく,筋急候の文である。〕

「凡筋中於風熱則弛縱,中於風冷則攣急。十二經筋皆起於手足指,循絡於身也。體虛弱,若中風寒,隨邪所中之筋則攣急,不可屈伸……體虛者,風冷之氣中之,冷氣停積,故結聚,謂之結筋也〔(筋急候:)凡そ筋 風熱に中(あ)たれば則ち弛縱し,風冷に中たれば則ち攣急す。十二經筋 皆な手足の指に起こり,身を循絡するなり。體 虛弱し,若し風寒に中たらば,邪の中たる所の筋に隨い,則ち攣急して,屈伸す可からず……(結筋候:)體 虛する者,風冷の氣 之に中たれば,冷氣 停積す,故に結聚す,之を結筋と謂うなり〕」[1]〔卷22・霍亂病諸候〕。

    [1] 巢元方.南京中医学院校释.诸病源候论校释上册[M],北京:人民卫生出版社,1982:665-666.

 「結筋」を今日の鍼灸従事者は多く「筋結」という。これは一方で古代病症術語の標準化の成果とはつながらず,他方で『黄帝内経』にいう「筋有結〔筋に結ぶ有り/結=連結〕」「筋有結絡〔筋に結び絡する有り〕」は,みな筋の生理的概念であるので,歴史的あるいは論理的な角度から考えても,「結筋」という言葉の厳密で達意であるのには及ばない。よって本論では統一して「結筋」を標準名称とし,「筋結」を筋が急(ひきつ)れて結ぼれる概念としては使用しない。

 現代西洋のドライニードル治療の核心概念である筋膜のトリガーポイント(myofascial trigger points, MTrPs)は,一般的に筋肉の起始・停止部,筋肉筋腱の結合部および腱付着部に分布し,触診すると筋緊張帯(taut band)が触知でき,その中には結節(nodule)がある。このことからトリガーポイント(「触発点」とも訳される)の概念と経筋学説の「筋急」「結筋」の間は一脈通ずることがわかる。

  〔*トリガーポイント:原文は「激痛点」。〕


2024年6月22日土曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』1.1

  1 概念解析

 概念解析を有意義で,実り多きものにするには,局所と全体の関係をうまく処理し,関連する概念を元々のコンテキストの中に置いて考察してこそ,唯一の解を得ることができ,さらに古今の実践による検証をへてこそ確認することができる。たとえば,経筋病の治則治法の三つの鍵となる概念である「燔鍼劫刺」「知るを以て数と為す」「痛むを以て輸と為す」は,個々に分析すると多くの異なる解説が可能で,しかもみな理にかなっていて,優劣をつけがたい。また,筋病刺法の始まりとその発展を考察するには,『黄帝内経』(本文で引用する『黄帝内経』はすべて伝世本『素問』『霊枢』を指し,『漢書』芸文志に記載されている『黄帝内経』とは異なる)において刺法の標準を専門に論じている『霊枢』官針篇なしでは済まされない。もしこの篇の性質と体例が理解できなければ,筋痺に関する定番の刺法である「恢刺」と「関刺」の関係を見抜くことはできず,あるいは長期にわたって誤読の二の舞を繰り返して自らさとらず,あるいは際限のない無意味な論争に陥って自ら抜け出すことができない。


 1.1 筋 筋膜(膜筋)

 単に「筋」と言うときは,筋肉とその付着構造全体を指しており,かつ筋肉を包む外膜も含まれる。

 経文〔『素問』皮部論〕に「筋に結絡有り」とあるが,『霊枢』経筋篇に掲載された十二経筋が「結する」ところを調べてみると,筋肉の付着構造であり,これらの構造は現代解剖学では腱/腱膜付着・筋膜・靭帯・関節嚢などに細分されるが,経筋学説では総称して「膜筋」と呼ばれ,「筋」に属する。

 十二経筋の病候を見ると,最も多く出現する病症名は「転筋」(計15回)であるが,「筋急」も7回あり,いずれも筋肉と腱の引きつりである。その中の人体の部位にもとづいて名づけられた「筋」の名称,たとえば「項筋」「膕筋」「腹筋」「頰筋」「頸筋」も筋肉とその付着構造である。残りの病症は筋縦・筋弛・筋痛であり,いずれも筋肉とその付着構造の病症である。

 さらに鍼灸の腧穴の位置および主治に現われる「筋」字を見ると,『黄帝明堂経』の腧穴の位置を示す文には「筋」が19回現われる。その中で腱と解釈されるのが13回,筋肉と解釈されるのが6回である。主治病症に見られる「筋」字は,筋急・筋縮急・転筋・筋攣・筋痛・筋痺であり,『霊枢』経筋に記載される経筋の病候とだいたい同じである。

 特に筋の「膜」を指すときは,「肉肓」「筋膜」「膜筋」(「幕筋」「募筋」とも書かれる)という。楊上善は,「〈幕〉當為〈膜〉,亦幕覆也。膜筋,十二經筋及十二筋之外裹膜分肉者名膜筋也〔〈幕〉は當に〈膜〉に為(つく)るべし,亦た幕は覆(おお)うなり。膜筋は,十二經筋及び十二筋の外の膜分肉を裹(つつ)む者を膜筋と名づくるなり〕」(『太素』卷5・人合)といい,また「膜者,人之皮下、肉上膜肉之筋也〔膜なる者は,人の皮の下,肉の上の膜肉の筋也〕」(『太素』卷25・五藏痿)とも,「肉肓者,皮下、肉上之膜也〔肉肓なる者は,皮の下,肉の上の膜なり〕」(『太素』卷29・脹論)ともいっている。

 『素問』痿論に「肺主身之皮毛,心主身之血脈,肝主身之筋膜〔肺は身の皮毛を主り,心は身の血脈を主り,肝は身の筋膜を主る〕」とあり,林億が引用する全元起の注は「膜者,人皮下、肉上筋膜也〔膜なる者は,人の皮の下,肉の上の筋膜なり〕」とある。また「肝氣熱,則膽泄口苦筋膜乾,筋膜乾則筋急而攣,發為筋痿〔肝氣 熱すれば,則ち膽泄れ口苦く筋膜乾き,筋膜乾けば則ち筋急して攣(ひきつ)り,發して筋痿と為る〕」とあり,楊上善の注は「膜筋乾為攣〔膜筋乾いて攣を為す〕」という。以上の経文にある二つの「筋膜」の用法はともに「膜筋」と同じであることがわかる。

 これらから「筋」は単に「肉」を指すだけでなく,肉を包む外膜も含むし,体をおおう膜だけでなく,内臓の膜も含まれることがわかる。「筋膜」「膜筋」「肉肓」はすべて体の筋の膜を指し,現代解剖学の筋外筋膜,すなわち楊上善の言う「膜肉の筋」である。内臓の筋膜は「肓膜」と呼ばれ,被膜・隔膜・間膜・靭帯などが含まれる。つまり,経筋学説にいう「筋」と,現代解剖学にいう「筋膜」の概念は,完全には一致しない。その最大の相違は,現代医学にいう「筋膜」には筋肉は含まれないが,中国医学では筋肉とそれを包む膜が一体になっていることである。

 唐代の王冰は「筋」の構造と機能を「維結束絡,筋之體也,繻縱卷舒,筋之用也〔維結束絡は,筋の體なり,繻縱卷舒は,筋の用なり〕」〔『素問』五運行大論(67)〕と高い見地から一文でまとめた。筋の体が「維結束絡」であるとは,筋肉とそれに付着する構造の特徴を指しており,筋の用が「繻縱卷舒」であるとは,筋肉の伸縮機能を指している。


黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』0

  https://blog.sciencenet.cn/blog-279293-1422856.html

  【要旨】筋病刺法の起源と発展を整理し,その盛衰の背後にある根源を発掘することには,筋病刺法とその理論である経筋学説を継承し革新するための重要な啓示と参考となる意義がある。コンテキストを分析し,全体を考察し,実践的な検証方法を用いて,「筋」「経筋」「筋急」「結筋」などの筋病刺法および経筋学説の基本概念を解析する。特に現在の学術界で論争が最も大きい経筋病候の治則治法に関わる三つの重要概念「燔鍼劫刺」「知るを以て数と為す」「痛むを以て輸と為す」について深く考察した。筋病刺法の範疇および主要の刺法の術式を明らかにし,また「燔鍼劫刺」「貫刺法」の起源を重点的に考察し,論争の的となっていた,あるいは長期にわたって無視されてきた「内熱刺法」「貫刺法」「挑刺法」「分刺法」「募刺法」の発展変化を検討した。最後に筋と脈の関係,ドライニードル療法と筋病刺法の相違を分析することからはじめて,経筋学説が将来発展するために早急に解決しなければならない鍵となる問題と問題解決の考え方を検討して,鍼灸学理論を革新するための参考に供する。

 【キーワード】筋病刺法;経筋学説;ドライニードル療法;理論の革新


 筋病刺法の形成と伝承は,経筋学説の盛衰と密接に関連しているので,筋病刺法の始まりと発展を真剣に整理し,その盛衰の背後にある根源を発掘することは,筋病刺法の継承と発揚に対しても,また経筋学説の守正創新に対しても,重要な啓示と参考となる意義がある。

  〔守正創新:正道を厳守しながら,新たなものを創造する。習近平総書記の「新時代の中国の特色ある社会主義」思想の精髄をあらわす言葉のひとつ。堅持することが求められる。なお,他の箇所では「創新」をおおむね「革新」と訳した。〕 


2024年6月7日金曜日

『鍼治大意』=『鍼灸極秘抄』序

  滋賀医科大学図書館河村文庫

  https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/content/K0074/K0074v01s0002.html


河賢治者,為余言,我聞之故

老,德本之治病,不待制齊,刺

輸取絡而濟,恒居多也,余讀

梅花方,而所焉,齊和脈胗,

以至灸灼諄ヽ說之,無良言

以涉乎鍼也,後遇木太仲負

笈詢業於余,觀其所為,鍼術

之巧,屢見奇效,因叩其所

傳,乃探其囊中,取一小冊

視之,則德本鍼家書也,讀之,

取病之法,輸撮其樞要,刺審

其淺深,區病證,著禁數,至

于運手之妙,氣息之應,悉不

遺其秘蘊,其言簡而易記,

約而易行,經云,知其要者,一

言而終,苟非實驗乎,安能拔

粹若此之精者邪,翁之於鍼

術,河生之言,果不誣也,梅花方

之不言及處,瞭然氷釋矣,然此

書累傳之久,錯置亥豕,紛厠不 

一,太仲隨是正之,旁散其餘緒,

猶之披雲霧覩晴天也,何其

愉快哉,今欲上木而與同好共

之,取正於余,書其畧以歸之,

太仲名元貞,陸奥人也,河賢治

信濃人,翁之外戚之裔也,

安永戊戌春

    台州源元凱識


  【訓み下し】

河賢治なる者,余が為に言う。「我れ之を故老に聞けり。〈德本の治病は,齊を制するを待たず,輸を刺し絡を取って濟うこと,恒に多きに居る〉」と。余 『梅花方』を讀み,而して鬨(せめ)ぐ所,齊和脈胗,以て灸灼に至るまで,諄諄として之を說くも,良言 以て鍼に涉ること無し。後に木太仲の笈を負い業を余に詢(と)うに遇う。其の為す所を觀るに,鍼術の巧,屢々奇效を見(あら)わす。因って其の傳うる所を叩(たた)けば,乃ち其の囊(ふくろ)の中を探して,一小冊を取りいだして之を視しむ。則ち德本が鍼家の書なり。之を讀むに,病を取るの法,輸は其の樞要を撮(つま)み,刺は其の淺深を審らかにす。病證を區(わ)け,禁數を著わす。運手の妙,氣息の應に至っては,悉く其の秘蘊を遺(のこ)さず。其の言は簡にして記(おぼ)え易く,約にして行ない易し。經に云う,「其の要を知る者は,一言にして終わる」と。苟(いや)しくも實驗するに非ずんば,安(いず)くんぞ能く此(か)くの若きの精なる者を拔粹せんや。翁の鍼術に於ける,河生の言,果して誣(あざむ)かざるなり。『梅花方』の言い及ばざる處,瞭然として氷釋す。然れども此の書 傳を累(かさ)ぬること久しく,亥豕を錯置して,紛(みだ)れ厠(ま)じること一ならず。太仲 是に隨って之を正し,旁ら其の餘緒を散ずること,猶お之れ雲霧を披(ひら)きて晴天を覩(み)るがごとし。何ぞ其れ愉快ならんや。今ま木に上(のぼ)せて同好と之を共にし,正を余に取らんと欲す。其の略を書して以て之を歸(かえ)す。太仲の名は元貞,陸奥の人なり。河賢治は信濃の人,翁の外戚の裔(すえ)なり。

安永戊戌の春

    台州 源の元凱識(しる)す


  【注釋】

 ○河賢治:下文を参照。 ○故老:老人。特に、昔の事や故実に通じている老人。 ○德本:長田(永田)德本。[1513?~1630?]戦国時代から江戸初期の医者。三河の人といわれる。号、知足斎。各地を流浪したが、比較的長く甲斐の武田信虎に仕えた。著「医之弁」など。デジタル大辞泉。/戦国末・江戸初期の医者。長田とも書く。号知足斎・乾堂。通称甲斐の徳本。三河国(愛知県)の人といわれる。本草学にすぐれ、武田氏の侍医。武田氏滅亡後は市井医となり治療にあたった。著「医之弁」など。生没年不詳。精選版 日本国語大辞典。  ○齊:調配、調製。同「劑」。分量、劑量。通「劑」。 ○輸:輸穴。 ○絡:經絡。 ○濟:救助。如:「救濟」。 ○居多:占多數。 ○梅花方:『(知足斎)梅花無尽蔵』。 ○鬨:繁盛。許多人在一起喧鬧。爭鬥、爭戰。判読に自信なし。 ○齊和:指作料、藥物等的劑量。使食物的滋味調和適口。《漢書‧藝文志》:「度箴石湯火所施,調百藥齊和之所宜」。 ○脈胗:脈診。 ○灸灼:燒灼。指灸療。 ○諄ヽ:諄諄。誠懇忠謹的樣子。叮嚀告諭,教誨不倦的樣子。 ○良言:善言,有益於人的話。 ○木太仲:木村(木邨)太仲。本書の選者。 ○負笈:背著書箱。比喻出外求學。指游學外地。郷里を出て,よその土地へ勉学に赴く。 ○詢:查問、徵求意見。 ○叩:詢問、請問。問いただす。 ○囊:口袋、袋子。 ○輸:輸穴。腧穴。 ○撮:摘錄。【撮要】摘取要點。 ○樞要:關鍵。綱領。指中心、沖要之地。物事の最も大切な所。 ○區:分別。 ○禁數:秘術か。/禁:禁咒術 [sorcery]。『史記』扁鵲倉公列傳:「我有禁方」。祕密的醫方。/數:技藝。 ○運手:動手;揮手。 ○氣息:呼吸;呼吸出入之氣。 ○秘蘊:物事の奥底。学問・技芸などの秘訣。奥義。 ○言簡:言辭簡練。/簡:單純不繁瑣的。如:「簡明」。 ○記:將事物印象留在腦海中。 ○約:簡要、精練。要約。 ○經云:『靈樞經』九針十二原。『素問』六元正紀大論・至真要大論。 ○苟非:若非,假如不是。如果不合。 ○實驗:實地的試驗。實際的效驗。 ○拔粹:拔萃。猶精選。書物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと。また、そのもの。 ○若此:如此,這樣。 ○翁:永田(長田)德本。 ○不誣:不假、不欺騙。不妄。 ○言及:話がある事柄までふれること。 ○瞭然:清楚、明瞭。明白。はっきりしていて疑いのないさま。明白であるさま。【一目瞭然】看一眼就能完全清楚。 ○氷釋:冰釋。像冰溶解消散,不留痕跡。比喻嫌隙、懷疑、誤會等完全消失。/原謂冰溶化消失。後用以喻指渙散或離散。氷がとけるように消えうせること。氷解。 ○累:堆積、集聚。屢次、連續。 ○錯置:鋪列安置。雜然羅列。處置;安排。/錯,通「措」。安置。おく。 ○亥豕:字形が似ているための誤り。語本《呂氏春秋.慎行論.察傳》:「有讀《史記》者曰:『晉師三豕涉河』,子夏曰:『非也,是己亥也。夫己與三相似,豕與亥相似。』」後指因文字的形體相近而致傳抄或刊刻錯誤。【魯魚亥豕】魯魚,語本《抱朴子.內篇.遐覽》:「書三寫,魚成魯,帝成虎。」亥豕、魯魚皆指因文字形似而致傳寫或刊刻錯誤。 ○紛:擾亂、打擾。眾多。雜亂[confused;disorderly]。 ○厠:「廁」の異体字。雜也。間雜、置身。 ○不一:不相同、不一致。一通りでない。尋常一様でない。あれやこれや。さまざまに。 ○隨:跟從、順從。 ○是:對、正確。 ○旁:邊側的。別的、其他的。 ○散:分離。分布、撒出。分開、解體。 ○餘緒:次要的部分。 ○披雲霧覩晴天:撥開雲霧看見青天。比喻除去障礙,得見光明。 比喻人的神情清朗。南朝宋.劉義慶《世說新語.賞譽》:「衛伯玉為尚書令,見樂廣與中朝名士談議,奇之曰:『自昔諸人沒已來,常恐微言將絕。今乃復聞斯言於君矣!』命子弟造之曰:『此人,人之水鏡也,見之若披雲霧睹青天。』」/披雲霧:撥開雲霧。/披:打開、翻開。分散、散開。/覩:「睹」の異体字。看見。 ○上木:書物を印刷するため版木に彫ること。また、書物を出版すること。上梓。 ○同好:志趣相同的人。趣味や好みが同じであること。また、その人。 ○取正:用作典範。 ○畧:「略」の異体字。 ○陸奥:むつ。みちのく。旧国名の一。磐城(いわき)・岩代(いわしろ)・陸前・陸中・陸奥(むつ)の五か国の古称。現在の青森・岩手・宮城・福島の各県と秋田県の一部にあたる。自序によれば,木邨太仲(名は元貞)は福島のひと。朝鮮国の医官である金德邦が甲斐の国の長田德本に授け,その後,田中知新に授けられた。木邨は京都に遊学中に大坂の原泰庵先生から学んだ。 ○信濃:しなの。旧国名の一。東山道に属し、大半が現在の長野県にあたる。 ○外戚:母方の親類。 ○裔:後代子孫。血筋の末。 ○安永戊戌:安永七年(1778)。 ○台州源元凱:荻野元凱。没年:文化3.4.20(1806.6.6)生年:元文2.10.27(1737.11.19)江戸中期の医者。西洋の刺絡法を導入し実践した御典医。字は子原,左中,在中,号は台州。元凱は名。加賀国(石川県)金沢で生まれ,京都の奥村良筑から古方派の医学を学んだ。明和1(1764)年良筑が主張する吐法を詳しく説明した『吐法編』を著す。6年後には山脇東門が唱導した西洋刺絡について書いた『刺絡篇』を発表し,医名を高めた。朝廷からも認められ,39歳のときに滝口詰所の役に任ぜられる。寛政6(1794)年皇子を診察し典薬大允に昇進した。4年後幕府から召されて医学館の教授となり,瘟疫論を講じたが,間もなく辞して帰京する。西洋医学をも採り入れようとする元凱は漢方医学しか容認しない医学館の教育に嫌気がさしたと思われる。再び朝廷に仕えて皇子の病気を診察し,その功で尚薬となった。文化2(1805)年河内守に任ぜられ,翌年京都で没した。人体解剖を率先して行い解剖史にも名を残しているが,解剖書は残していない。著書には他に『麻疹編』『瘟疫余論』がある。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』,杉立義一『京の医史跡探訪』朝日日本歴史人物事典 (蔵方宏昌)。 ○識:通「誌」「志」。記也。


  https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/content/K0074/K0074v01s0005.html


 (滕晁明 叙)

凡物博則多才皆宜而及

其臨機事煩易惑約則精

一必中而至其應變技窮

受敗物無兼美誰昔然博

而能約是其難哉余郷木

子慎覃精於鍼灸嘗試術

於平安數年所經驗亦多

矣本為所傳之書今修以

其書緣飾以己意錄為一

小冊公之世病症悉列輸

穴明備便於懷袖易於檢

閱可謂約而不貴博矣若

夫其所受授有淵源最為

可珍寶詳于台州先生序

中茲不復贅于安永戊戌

題於平安

   東奧  滕晁明


  【訓み下し】

凡そ物 博ければ則ち多才にして皆な宜し。而れども其の機に臨むに及んでは,事 煩にして惑い易し。約なれば則ち精一にして必ず中たる。而れども其の變に應ずるに至っては,技 窮まって敗を受く。物に兼美 無し。誰(こ)れ昔より然り。博くして能く約なるは、是れ其れ難きかな。余が郷の木子慎 鍼灸に覃精し,嘗て術を平安に試みること數年,經驗する所も亦た多し。本より傳うる所の書を為(つく)るに,今ま修むるに其の書を以てし,緣飾するに己が意を以てす。錄して一小冊を為(つく)り,之を世に公(おおやけ)にす。病症 悉く列(つら)なり,輸穴 明らかに備わる。懷袖するに便あり,檢閱するに易し。約にして博きを貴ばずと謂っつ可し。夫れ其の受授する所に淵源有り,最も珍寶とす可しと為すが若きは,台州先生の序中に詳らかにして,茲(ここ)に復た贅せず。安永戊戌に平安に題す。

   東奧  滕晁明


  【注釋】

 ○博:多、豐富。 ○多才:本指富有才能。謂富於才智。 ○臨機:面對情況,掌握事機。謂面臨變化的機會和情勢。 ○精一:精粹專一。 ○應變:應付〔処理.対処〕事變。 ○兼美:猶言完善,樣樣擅長。 〇誰昔:疇昔;從前。誰,發語詞。 ○木子慎:木邨太仲のことであろう。 ○覃精:謂潛心。深入鑽研。【研深覃精】研究學問精深獨到。/覃:延及、蔓延。深。 ○平安:平安京。京都。 ○其書:德本の書。 ○緣飾:敷衍して文飾を施す。『漢書』公孫弘卜式兒寬傳:「緣飾以儒術」。師古曰:「緣飾者,譬之於衣,加純緣者」。 ○懷袖:猶懷抱。猶懷藏。/懷:胸前、胸部。存有、抱著。包圍。/袖:把東西藏在袖子裡。 ○檢閱:查看。 ○淵源:事物的本原、師承。 ○珍寶:珠玉寶石等珍貴寶物的總稱。泛指有價值的物品。 ○東奧:東の奥、陸奥国(奥州)の東、といった意味と推定され、現在の青森県を指す意味で用いられることのある語。 ○滕晁明:未詳。印形に「朝明」「子光」とある。『医方随意録』の撰者(東京大学総合図書館,V11:860。自筆本)。この『黴瘡集成方 附論』45/69コマ目には,「滕晁明旦卿 輯」とある。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100273253/7?ln=ja

〈形〉「醫方随意録」「黴瘡集成方附論」は「台州園」・「口舌神秘方」は「文海堂藏」と柱にある罫紙を使用。


      自序(句読点・ひらがな・濁点・ルビは原文になく,入力者が補ったもの。かなの繰り返し記号・踊り字〔〳〵〕は,カタカナにした。合字は「トモ」,「ヿ」は「コト」のように表記した。)

斯一卷ハ,昔慶長年間,甲斐ノ國ノ良醫,長田德

本ト云ふ人(梅花無盡藏ノ作者也),朝鮮國ノ醫官,金德邦

ト云ふ人ヨリ授かリシ術ナリ。其の後,田中知新ニサヅケテ

ヨリ傳はり來たリテ,其の家々ニ秘シテ傳へルニ,口受ヲ以テシ,或いハ

其の門ニ入るとイヘドモ,切り紙ヲ以テ授けテ,全備スル人稀ナ

リ。吾れ京師遊學ノ頃,術ヲ大坂ノ原泰庵先生ニ學ビテ

兩端ヲ叩ク。其の後,毎々試みるニ寔(まこと)に死ヲ活(いか)すことシバシバナリ。予思

フニ金も山ニ藏(かく)シ,珠モ淵ニ沈メ置くハ,何ノ益カアラン。矧(い)はんヤ醫

術ハ天下ノ民命ニカカルモノナリ。是れヲ家ニ朽サンコト醫

ヲ業トスル者ニ非らズト。此の故ニ傳受口訣ノ條々一事

モ遺(のこ)さず書きアラハシテ,世ニ公(おおやけ)にする者ナリ。能く此の書ニ心

ヲヒソメバ,簡ニシテ得ル處 大ナルベシ。世ノ術ニ志ス人々此の

法ヲ以テ弘ク世ニ施サバ,予ガ本懷ナリ。

    陸奥福島  木邨太仲元貞書


  【注釋】

  ○田中知新:田中智新(知箴、休意)『鍼灸五蘊抄』は,田中智新(生没年不詳)の著した鍼灸書を中村元道(生没年不詳)が編集したもの。智新は京の出身で,若年より鍼灸術に志して,同郷の鍼家・松沢氏に入門し,十五年にわたって見聞した術を筆記し,「五蘊抄」と命名した。詳しくは,『臨床鍼灸古典全書』第1巻所収の篠原孝市先生の解説を参照。○心ヲヒソメ:潛心。心靜而專注。專心。物事に心を集中して没入する。ひたすら集中する。一心に行なう。


 ○原泰庵については, 

窪田 頌先生の「楠葉村南組中井家捜索余滴:京都の医師・原洲庵とその一族」を参照。

https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/442183/5ebba8c6823f8fb2d568f4f57dd301b0?frame_id=920209