2024年6月22日土曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』1.1

  1 概念解析

 概念解析を有意義で,実り多きものにするには,局所と全体の関係をうまく処理し,関連する概念を元々のコンテキストの中に置いて考察してこそ,唯一の解を得ることができ,さらに古今の実践による検証をへてこそ確認することができる。たとえば,経筋病の治則治法の三つの鍵となる概念である「燔鍼劫刺」「知を以て数と為す」「痛を以て輸と為す」は,個々に分析すると多くの異なる解説が可能で,しかもみな理にかなっていて,優劣をつけがたい。また,筋病刺法の始まりとその発展を考察するには,『黄帝内経』(本文で引用する『黄帝内経』はすべて伝世本『素問』『霊枢』を指し,『漢書』芸文志に記載されている『黄帝内経』とは異なる)において刺法の標準を専門に論じている『霊枢』官針篇なしでは済まされない。もしこの篇の性質と体例が理解できなければ,筋痺に関する定番の刺法である「恢刺」と「関刺」の関係を見抜くことはできず,あるいは長期にわたって誤読の二の舞を繰り返して自らさとらず,あるいは際限のない無意味な論争に陥って自ら抜け出すことができない。


 1.1 筋 筋膜(膜筋)

 単に「筋」と言うときは,筋肉とその付着構造全体を指しており,かつ筋肉を包む外膜も含まれる。

 経文〔『素問』皮部論〕に「筋に結絡有り」とあるが,『霊枢』経筋篇に掲載された十二経筋が「結する」ところを調べてみると,筋肉の付着構造であり,これらの構造は現代解剖学では腱/腱膜付着・筋膜・靭帯・関節嚢などに細分されるが,経筋学説では総称して「膜筋」と呼ばれ,「筋」に属する。

 十二経筋の病候を見ると,最も多く出現する病症名は「転筋」(計15回)であるが,「筋急」も7回あり,いずれも筋肉と腱の引きつりである。その中の人体の部位にもとづいて名づけられた「筋」の名称,たとえば「項筋」「膕筋」「腹筋」「頰筋」「頸筋」も筋肉とその付着構造である。残りの病症は筋縦・筋弛・筋痛であり,いずれも筋肉とその付着構造の病症である。

 さらに鍼灸の腧穴の位置および主治に現われる「筋」字を見ると,『黄帝明堂経』の腧穴の位置を示す文には「筋」が19回現われる。その中で腱と解釈されるのが13回,筋肉と解釈されるのが6回である。主治病症に見られる「筋」字は,筋急・筋縮急・転筋・筋攣・筋痛・筋痺であり,『霊枢』経筋に記載される経筋の病候とだいたい同じである。

 特に筋の「膜」を指すときは,「肉肓」「筋膜」「膜筋」(「幕筋」「募筋」とも書かれる)という。楊上善は,「〈幕〉當為〈膜〉,亦幕覆也。膜筋,十二經筋及十二筋之外裹膜分肉者名膜筋也〔〈幕〉は當に〈膜〉に為(つく)るべし,亦た幕は覆(おお)うなり。膜筋は,十二經筋及び十二筋の外の膜分肉を裹(つつ)む者を膜筋と名づくるなり〕」(『太素』卷5・人合)といい,また「膜者,人之皮下、肉上膜肉之筋也〔膜なる者は,人の皮の下,肉の上の膜肉の筋也〕」(『太素』卷25・五藏痿)とも,「肉肓者,皮下、肉上之膜也〔肉肓なる者は,皮の下,肉の上の膜なり〕」(『太素』卷29・脹論)ともいっている。

 『素問』痿論に「肺主身之皮毛,心主身之血脈,肝主身之筋膜〔肺は身の皮毛を主り,心は身の血脈を主り,肝は身の筋膜を主る〕」とあり,林億が引用する全元起の注は「膜者,人皮下、肉上筋膜也〔膜なる者は,人の皮の下,肉の上の筋膜なり〕」とある。また「肝氣熱,則膽泄口苦筋膜乾,筋膜乾則筋急而攣,發為筋痿〔肝氣 熱すれば,則ち膽泄れ口苦く筋膜乾き,筋膜乾けば則ち筋急して攣(ひきつ)り,發して筋痿と為る〕」とあり,楊上善の注は「膜筋乾為攣〔膜筋乾いて攣を為す〕」という。以上の経文にある二つの「筋膜」の用法はともに「膜筋」と同じであることがわかる。

 これらから「筋」は単に「肉」を指すだけでなく,肉を包む外膜も含むし,体をおおう膜だけでなく,内臓の膜も含まれることがわかる。「筋膜」「膜筋」「肉肓」はすべて体の筋の膜を指し,現代解剖学の筋外筋膜,すなわち楊上善の言う「膜肉の筋」である。内臓の筋膜は「肓膜」と呼ばれ,被膜・隔膜・間膜・靭帯などが含まれる。つまり,経筋学説にいう「筋」と,現代解剖学にいう「筋膜」の概念は,完全には一致しない。その最大の相違は,現代医学にいう「筋膜」には筋肉は含まれないが,中国医学では筋肉とそれを包む膜が一体になっていることである。

 唐代の王冰は「筋」の構造と機能を「維結束絡,筋之體也,繻縱卷舒,筋之用也〔維結束絡は,筋の體なり,繻縱卷舒は,筋の用なり〕」〔『素問』五運行大論(67)〕と高い見地から一文でまとめた。筋の体が「維結束絡」であるとは,筋肉とそれに付着する構造の特徴を指しており,筋の用が「繻縱卷舒」であるとは,筋肉の伸縮機能を指している。


黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』0

  【要旨】筋病刺法の起源と発展を整理し,その盛衰の背後にある根源を発掘することには,筋病刺法とその理論である経筋学説を継承し革新するための重要な啓示と参考となる意義がある。コンテキストを分析し,全体を考察し,実践的な検証方法を用いて,「筋」「経筋」「筋急」「結筋」などの筋病刺法および経筋学説の基本概念を解析する。特に現在の学術界で論争が最も大きい経筋病候の治則治法に関わる三つの重要概念「燔鍼劫刺」「知を以て数と為す」「痛を以て輸と為す」について深く考察した。筋病刺法の範疇および主要の刺法の術式を明らかにし,また「燔鍼劫刺」「貫刺法」の起源を重点的に考察し,論争の的となっていた,あるいは長期にわたって無視されてきた「内熱刺法」「貫刺法」「挑刺法」「分刺法」「募刺法」の発展変化を検討した。最後に筋と脈の関係,ドライニードル療法と筋病刺法の相違を分析することからはじめて,経筋学説が将来発展するために早急に解決しなければならない鍵となる問題と問題解決の考え方を検討して,鍼灸学理論を革新するための参考に供する。

 【キーワード】筋病刺法;経筋学説;ドライニードル療法;理論の革新


 筋病刺法の形成と伝承は,経筋学説の盛衰と密接に関連しているので,筋病刺法の始まりと発展を真剣に整理し,その盛衰の背後にある根源を発掘することは,筋病刺法の継承と発揚に対しても,また経筋学説の守正創新に対しても,重要な啓示と参考となる意義がある。

  〔守正創新:正道を厳守しながら,新たなものを創造する。習近平総書記の「新時代の中国の特色ある社会主義」思想の精髄をあらわす言葉のひとつ。堅持することが求められる。なお,他の箇所では「創新」をおおむね「革新」と訳した。〕 


2024年6月7日金曜日

『鍼治大意』=『鍼灸極秘抄』序

  滋賀医科大学図書館河村文庫

  https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/content/K0074/K0074v01s0002.html


河賢治者,為余言,我聞之故

老,德本之治病,不待制齊,刺

輸取絡而濟,恒居多也,余讀

梅花方,而所焉,齊和脈胗,

以至灸灼諄ヽ說之,無良言

以涉乎鍼也,後遇木太仲負

笈詢業於余,觀其所為,鍼術

之巧,屢見奇效,因叩其所

傳,乃探其囊中,取一小冊

視之,則德本鍼家書也,讀之,

取病之法,輸撮其樞要,刺審

其淺深,區病證,著禁數,至

于運手之妙,氣息之應,悉不

遺其秘蘊,其言簡而易記,

約而易行,經云,知其要者,一

言而終,苟非實驗乎,安能拔

粹若此之精者邪,翁之於鍼

術,河生之言,果不誣也,梅花方

之不言及處,瞭然氷釋矣,然此

書累傳之久,錯置亥豕,紛厠不 

一,太仲隨是正之,旁散其餘緒,

猶之披雲霧覩晴天也,何其

愉快哉,今欲上木而與同好共

之,取正於余,書其畧以歸之,

太仲名元貞,陸奥人也,河賢治

信濃人,翁之外戚之裔也,

安永戊戌春

    台州源元凱識


  【訓み下し】

河賢治なる者,余が為に言う。「我れ之を故老に聞けり。〈德本の治病は,齊を制するを待たず,輸を刺し絡を取って濟うこと,恒に多きに居る〉」と。余 『梅花方』を讀み,而して鬨(せめ)ぐ所,齊和脈胗,以て灸灼に至るまで,諄諄として之を說くも,良言 以て鍼に涉ること無し。後に木太仲の笈を負い業を余に詢(と)うに遇う。其の為す所を觀るに,鍼術の巧,屢々奇效を見(あら)わす。因って其の傳うる所を叩(たた)けば,乃ち其の囊(ふくろ)の中を探して,一小冊を取りいだして之を視しむ。則ち德本が鍼家の書なり。之を讀むに,病を取るの法,輸は其の樞要を撮(つま)み,刺は其の淺深を審らかにす。病證を區(わ)け,禁數を著わす。運手の妙,氣息の應に至っては,悉く其の秘蘊を遺(のこ)さず。其の言は簡にして記(おぼ)え易く,約にして行ない易し。經に云う,「其の要を知る者は,一言にして終わる」と。苟(いや)しくも實驗するに非ずんば,安(いず)くんぞ能く此(か)くの若きの精なる者を拔粹せんや。翁の鍼術に於ける,河生の言,果して誣(あざむ)かざるなり。『梅花方』の言い及ばざる處,瞭然として氷釋す。然れども此の書 傳を累(かさ)ぬること久しく,亥豕を錯置して,紛(みだ)れ厠(ま)じること一ならず。太仲 是に隨って之を正し,旁ら其の餘緒を散ずること,猶お之れ雲霧を披(ひら)きて晴天を覩(み)るがごとし。何ぞ其れ愉快ならんや。今ま木に上(のぼ)せて同好と之を共にし,正を余に取らんと欲す。其の略を書して以て之を歸(かえ)す。太仲の名は元貞,陸奥の人なり。河賢治は信濃の人,翁の外戚の裔(すえ)なり。

安永戊戌の春

    台州 源の元凱識(しる)す


  【注釋】

 ○河賢治:下文を参照。 ○故老:老人。特に、昔の事や故実に通じている老人。 ○德本:長田(永田)德本。[1513?~1630?]戦国時代から江戸初期の医者。三河の人といわれる。号、知足斎。各地を流浪したが、比較的長く甲斐の武田信虎に仕えた。著「医之弁」など。デジタル大辞泉。/戦国末・江戸初期の医者。長田とも書く。号知足斎・乾堂。通称甲斐の徳本。三河国(愛知県)の人といわれる。本草学にすぐれ、武田氏の侍医。武田氏滅亡後は市井医となり治療にあたった。著「医之弁」など。生没年不詳。精選版 日本国語大辞典。  ○齊:調配、調製。同「劑」。分量、劑量。通「劑」。 ○輸:輸穴。 ○絡:經絡。 ○濟:救助。如:「救濟」。 ○居多:占多數。 ○梅花方:『(知足斎)梅花無尽蔵』。 ○鬨:繁盛。許多人在一起喧鬧。爭鬥、爭戰。判読に自信なし。 ○齊和:指作料、藥物等的劑量。使食物的滋味調和適口。《漢書‧藝文志》:「度箴石湯火所施,調百藥齊和之所宜」。 ○脈胗:脈診。 ○灸灼:燒灼。指灸療。 ○諄ヽ:諄諄。誠懇忠謹的樣子。叮嚀告諭,教誨不倦的樣子。 ○良言:善言,有益於人的話。 ○木太仲:木村(木邨)太仲。本書の選者。 ○負笈:背著書箱。比喻出外求學。指游學外地。郷里を出て,よその土地へ勉学に赴く。 ○詢:查問、徵求意見。 ○叩:詢問、請問。問いただす。 ○囊:口袋、袋子。 ○輸:輸穴。腧穴。 ○撮:摘錄。【撮要】摘取要點。 ○樞要:關鍵。綱領。指中心、沖要之地。物事の最も大切な所。 ○區:分別。 ○禁數:秘術か。/禁:禁咒術 [sorcery]。『史記』扁鵲倉公列傳:「我有禁方」。祕密的醫方。/數:技藝。 ○運手:動手;揮手。 ○氣息:呼吸;呼吸出入之氣。 ○秘蘊:物事の奥底。学問・技芸などの秘訣。奥義。 ○言簡:言辭簡練。/簡:單純不繁瑣的。如:「簡明」。 ○記:將事物印象留在腦海中。 ○約:簡要、精練。要約。 ○經云:『靈樞經』九針十二原。『素問』六元正紀大論・至真要大論。 ○苟非:若非,假如不是。如果不合。 ○實驗:實地的試驗。實際的效驗。 ○拔粹:拔萃。猶精選。書物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと。また、そのもの。 ○若此:如此,這樣。 ○翁:永田(長田)德本。 ○不誣:不假、不欺騙。不妄。 ○言及:話がある事柄までふれること。 ○瞭然:清楚、明瞭。明白。はっきりしていて疑いのないさま。明白であるさま。【一目瞭然】看一眼就能完全清楚。 ○氷釋:冰釋。像冰溶解消散,不留痕跡。比喻嫌隙、懷疑、誤會等完全消失。/原謂冰溶化消失。後用以喻指渙散或離散。氷がとけるように消えうせること。氷解。 ○累:堆積、集聚。屢次、連續。 ○錯置:鋪列安置。雜然羅列。處置;安排。/錯,通「措」。安置。おく。 ○亥豕:字形が似ているための誤り。語本《呂氏春秋.慎行論.察傳》:「有讀《史記》者曰:『晉師三豕涉河』,子夏曰:『非也,是己亥也。夫己與三相似,豕與亥相似。』」後指因文字的形體相近而致傳抄或刊刻錯誤。【魯魚亥豕】魯魚,語本《抱朴子.內篇.遐覽》:「書三寫,魚成魯,帝成虎。」亥豕、魯魚皆指因文字形似而致傳寫或刊刻錯誤。 ○紛:擾亂、打擾。眾多。雜亂[confused;disorderly]。 ○厠:「廁」の異体字。雜也。間雜、置身。 ○不一:不相同、不一致。一通りでない。尋常一様でない。あれやこれや。さまざまに。 ○隨:跟從、順從。 ○是:對、正確。 ○旁:邊側的。別的、其他的。 ○散:分離。分布、撒出。分開、解體。 ○餘緒:次要的部分。 ○披雲霧覩晴天:撥開雲霧看見青天。比喻除去障礙,得見光明。 比喻人的神情清朗。南朝宋.劉義慶《世說新語.賞譽》:「衛伯玉為尚書令,見樂廣與中朝名士談議,奇之曰:『自昔諸人沒已來,常恐微言將絕。今乃復聞斯言於君矣!』命子弟造之曰:『此人,人之水鏡也,見之若披雲霧睹青天。』」/披雲霧:撥開雲霧。/披:打開、翻開。分散、散開。/覩:「睹」の異体字。看見。 ○上木:書物を印刷するため版木に彫ること。また、書物を出版すること。上梓。 ○同好:志趣相同的人。趣味や好みが同じであること。また、その人。 ○取正:用作典範。 ○畧:「略」の異体字。 ○陸奥:むつ。みちのく。旧国名の一。磐城(いわき)・岩代(いわしろ)・陸前・陸中・陸奥(むつ)の五か国の古称。現在の青森・岩手・宮城・福島の各県と秋田県の一部にあたる。自序によれば,木邨太仲(名は元貞)は福島のひと。朝鮮国の医官である金德邦が甲斐の国の長田德本に授け,その後,田中知新に授けられた。木邨は京都に遊学中に大坂の原泰庵先生から学んだ。 ○信濃:しなの。旧国名の一。東山道に属し、大半が現在の長野県にあたる。 ○外戚:母方の親類。 ○裔:後代子孫。血筋の末。 ○安永戊戌:安永七年(1778)。 ○台州源元凱:荻野元凱。没年:文化3.4.20(1806.6.6)生年:元文2.10.27(1737.11.19)江戸中期の医者。西洋の刺絡法を導入し実践した御典医。字は子原,左中,在中,号は台州。元凱は名。加賀国(石川県)金沢で生まれ,京都の奥村良筑から古方派の医学を学んだ。明和1(1764)年良筑が主張する吐法を詳しく説明した『吐法編』を著す。6年後には山脇東門が唱導した西洋刺絡について書いた『刺絡篇』を発表し,医名を高めた。朝廷からも認められ,39歳のときに滝口詰所の役に任ぜられる。寛政6(1794)年皇子を診察し典薬大允に昇進した。4年後幕府から召されて医学館の教授となり,瘟疫論を講じたが,間もなく辞して帰京する。西洋医学をも採り入れようとする元凱は漢方医学しか容認しない医学館の教育に嫌気がさしたと思われる。再び朝廷に仕えて皇子の病気を診察し,その功で尚薬となった。文化2(1805)年河内守に任ぜられ,翌年京都で没した。人体解剖を率先して行い解剖史にも名を残しているが,解剖書は残していない。著書には他に『麻疹編』『瘟疫余論』がある。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』,杉立義一『京の医史跡探訪』朝日日本歴史人物事典 (蔵方宏昌)。 ○識:通「誌」「志」。記也。


  https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/content/K0074/K0074v01s0005.html


 (滕晁明 叙)

凡物博則多才皆宜而及

其臨機事煩易惑約則精

一必中而至其應變技窮

受敗物無兼美誰昔然博

而能約是其難哉余郷木

子慎覃精於鍼灸嘗試術

於平安數年所經驗亦多

矣本為所傳之書今修以

其書緣飾以己意錄為一

小冊公之世病症悉列輸

穴明備便於懷袖易於檢

閱可謂約而不貴博矣若

夫其所受授有淵源最為

可珍寶詳于台州先生序

中茲不復贅于安永戊戌

題於平安

   東奧  滕晁明


  【訓み下し】

凡そ物 博ければ則ち多才にして皆な宜し。而れども其の機に臨むに及んでは,事 煩にして惑い易し。約なれば則ち精一にして必ず中たる。而れども其の變に應ずるに至っては,技 窮まって敗を受く。物に兼美 無し。誰(こ)れ昔より然り。博くして能く約なるは、是れ其れ難きかな。余が郷の木子慎 鍼灸に覃精し,嘗て術を平安に試みること數年,經驗する所も亦た多し。本より傳うる所の書を為(つく)るに,今ま修むるに其の書を以てし,緣飾するに己が意を以てす。錄して一小冊を為(つく)り,之を世に公(おおやけ)にす。病症 悉く列(つら)なり,輸穴 明らかに備わる。懷袖するに便あり,檢閱するに易し。約にして博きを貴ばずと謂っつ可し。夫れ其の受授する所に淵源有り,最も珍寶とす可しと為すが若きは,台州先生の序中に詳らかにして,茲(ここ)に復た贅せず。安永戊戌に平安に題す。

   東奧  滕晁明


  【注釋】

 ○博:多、豐富。 ○多才:本指富有才能。謂富於才智。 ○臨機:面對情況,掌握事機。謂面臨變化的機會和情勢。 ○精一:精粹專一。 ○應變:應付〔処理.対処〕事變。 ○兼美:猶言完善,樣樣擅長。 〇誰昔:疇昔;從前。誰,發語詞。 ○木子慎:木邨太仲のことであろう。 ○覃精:謂潛心。深入鑽研。【研深覃精】研究學問精深獨到。/覃:延及、蔓延。深。 ○平安:平安京。京都。 ○其書:德本の書。 ○緣飾:敷衍して文飾を施す。『漢書』公孫弘卜式兒寬傳:「緣飾以儒術」。師古曰:「緣飾者,譬之於衣,加純緣者」。 ○懷袖:猶懷抱。猶懷藏。/懷:胸前、胸部。存有、抱著。包圍。/袖:把東西藏在袖子裡。 ○檢閱:查看。 ○淵源:事物的本原、師承。 ○珍寶:珠玉寶石等珍貴寶物的總稱。泛指有價值的物品。 ○東奧:東の奥、陸奥国(奥州)の東、といった意味と推定され、現在の青森県を指す意味で用いられることのある語。 ○滕晁明:未詳。印形に「朝明」「子光」とある。『医方随意録』の撰者(東京大学総合図書館,V11:860。自筆本)。この『黴瘡集成方 附論』45/69コマ目には,「滕晁明旦卿 輯」とある。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100273253/7?ln=ja

〈形〉「醫方随意録」「黴瘡集成方附論」は「台州園」・「口舌神秘方」は「文海堂藏」と柱にある罫紙を使用。


      自序(句読点・ひらがな・濁点・ルビは原文になく,入力者が補ったもの。かなの繰り返し記号・踊り字〔〳〵〕は,カタカナにした。合字は「トモ」,「ヿ」は「コト」のように表記した。)

斯一卷ハ,昔慶長年間,甲斐ノ國ノ良醫,長田德

本ト云ふ人(梅花無盡藏ノ作者也),朝鮮國ノ醫官,金德邦

ト云ふ人ヨリ授かリシ術ナリ。其の後,田中知新ニサヅケテ

ヨリ傳はり來たリテ,其の家々ニ秘シテ傳へルニ,口受ヲ以テシ,或いハ

其の門ニ入るとイヘドモ,切り紙ヲ以テ授けテ,全備スル人稀ナ

リ。吾れ京師遊學ノ頃,術ヲ大坂ノ原泰庵先生ニ學ビテ

兩端ヲ叩ク。其の後,毎々試みるニ寔(まこと)に死ヲ活(いか)すことシバシバナリ。予思

フニ金も山ニ藏(かく)シ,珠モ淵ニ沈メ置くハ,何ノ益カアラン。矧(い)はんヤ醫

術ハ天下ノ民命ニカカルモノナリ。是れヲ家ニ朽サンコト醫

ヲ業トスル者ニ非らズト。此の故ニ傳受口訣ノ條々一事

モ遺(のこ)さず書きアラハシテ,世ニ公(おおやけ)にする者ナリ。能く此の書ニ心

ヲヒソメバ,簡ニシテ得ル處 大ナルベシ。世ノ術ニ志ス人々此の

法ヲ以テ弘ク世ニ施サバ,予ガ本懷ナリ。

    陸奥福島  木邨太仲元貞書


  【注釋】

  ○田中知新:田中智新(知箴、休意)『鍼灸五蘊抄』は,田中智新(生没年不詳)の著した鍼灸書を中村元道(生没年不詳)が編集したもの。智新は京の出身で,若年より鍼灸術に志して,同郷の鍼家・松沢氏に入門し,十五年にわたって見聞した術を筆記し,「五蘊抄」と命名した。詳しくは,『臨床鍼灸古典全書』第1巻所収の篠原孝市先生の解説を参照。○心ヲヒソメ:潛心。心靜而專注。專心。物事に心を集中して没入する。ひたすら集中する。一心に行なう。


 ○原泰庵については, 

窪田 頌先生の「楠葉村南組中井家捜索余滴:京都の医師・原洲庵とその一族」を参照。

https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/442183/5ebba8c6823f8fb2d568f4f57dd301b0?frame_id=920209