2.4 理・法ともに浮沈す
経筋学説は『黄帝内経』で形成され,同書の刺法の標準を専門に論じた『霊枢』官針篇には系統だった経筋病についての定番の刺法が記載されている。これは経筋学説とそれに関連する筋病の刺法が当時広く盛んに用いられていた状況を反映している。
しかしながら,理論の表現に深刻な欠陥がいくつか存在し,それを時を移さず効果的に補うことができなかったために,鍼灸の発展史に大きな貢献をした経筋学説と,鍼灸の臨床に広く応用されていた筋病刺法は,いずれも唐・宋の際に谷底に落ちてしまった[7]69。
[7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.
このような背景の下で,宋・金・元以降,人々は円鍼の操作方法がわからなくなってしまい,鍼の世界からなくなるのは遅かれ早かれ時間の問題にすぎなかった。明中期に大きな影響力を持っていた『古今医統大全』は円鍼を「今ま按摩家 之を用ゆ」[10]と明言していて,『黄帝内経』時代に痺を治療するための優れた器具が廃れたことを記録している。すなわち,痺証を治療するのに最も特色ある分刺法の専用鍼具である円鍼は,遅くとも明中期にはすでに按摩の道具に転落していた。このような状況下では,たとえ分刺法の重大な意義に気づくひとがいて,それを復活させようとしても,どうすることもできなかった。
[10] 徐春甫编集.古今医统大全 上册[M].崔仲平,王耀廷主校.北京:人民卫生出版社,1991:449.
〔『古今醫統大全』卷7・鍼灸直指・九鍼圖:「員鍼(其身員,鋒如卵形,長一寸六分。肉分氣滿,宜此。今按摩家用之。)」〕
前述したように,経筋学説は筋病の診断と治療に信頼性のある明瞭な座標を提供し,これに導かれて,鍼師は効率的な診察と正確な治療をおこなうことができた。しかしこの航海図が失われてしまい,筋を診,筋を調えることは,「若觀海望洋,茫無定見〔海を觀て望洋とするが若く,茫として定見無し/はてしない大海原を見て圧倒されるように,茫漠として見当が付かず自分の確固たる見解がもてない〕」〔『景岳全書』傳忠錄上・論治篇〕という状態になってしまった。
振り返ってみれば,理論を構築し,標準規範となる基礎が不足していたことが,経筋学説と筋刺法が衰退した重要な内在的要素であることを見つけるのは難しくない。
経筋学説は経脈学説をひな型として構築されたが,理論の体系化の面では経脈学説には遠く及ばず,診脈法と刺脈法の形成とは大きな差異があり,診筋法にいたっては『黄帝内経』において専門的な論述さえなく,全体の治則治法である「燔鍼劫刺,以知為數,以痛為輸」については明確な説明も臨床応用の模範も示されていない。今日に至ってもこの筋刺法の正確な応用にとってきわめて重要な経文の解釈には,依然として大きな見解の相違が存在している。
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