2024年6月27日木曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.3

  2.3 筋刺の源


 筋病刺法の中で鍼が病所にいたる直接刺法である「燔鍼劫刺」と「貫刺法」は,癰疽に対する刺法と継承関係にある。


 刺法の標準を専門に論じている『霊枢』官針は,もともと砭石で癰疽を刺す法則だったものを,鍼を刺して病を治療する一般的な総則に変換して篇の冒頭に置いていることからも,鍼灸による癰疽治療経験がより早く発達し,しかも最初に技術の標準化の段階に入り,後の刺法に共通する基準制定の基礎となったことが容易に見いだせる[7]235。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 筋病の「筋急」「結筋」は外形的には癰と疽に類似している――筋急は癰に,結筋は疽に似ているため,筋病の刺法は癰腫を刺す法から移植・変化したものが多い。『霊枢』官針に記載されている定番の刺法には,癰疽を刺す法から換骨奪胎した痕跡をとどめているものもいくつかあり,その変遷過程を考察できる刺法さえある。


    贊刺者,直入直出,數發鍼而淺之出血,是謂治癰腫也〔贊刺なる者は,直(なお)く入れ直く出だし,數おおく鍼を發して之を淺くして血を出だす,是れを癰腫を治すと謂うなり〕。(『靈樞』官針)

    輸刺者,直入直出,稀發鍼而深之,以治氣盛而熱者也〔輸刺なる者は,直く入れ直く出だし,稀(すく)なく鍼を發して之を深くし,以て氣盛んにして熱ある者を治するなり〕。(『靈樞』官針)

    

 「賛刺」について,「是れを癰腫を治すと謂うなり」と明言しており,この定番の刺法が直接,癰腫を刺す法から移植されたことがわかる。また「輸刺」の操作は,「賛刺」の操作と互いに対応していて,前者は鍼数を少なく深く刺し,後者は鍼数を多くして浅く刺す。癰疽の病変部位の特徴はまさに癰は「浅く」,疽は「深い」。「賛刺」が癰を刺す法から出ていることを知っていれば,「輸刺」が疽を刺す法から出ていることが推測できる。『黄帝内経』から有力な関連する証拠を見つけることができる。「輸刺」の適応証は「氣盛んにして熱ある者」であり,これは『素問』病能論にいう癰疽の鍼刺治療原則中の癰疽を刺す原則「夫癰氣之息者,宜以鍼開除去之,夫氣盛血聚者,宜石而瀉之〔夫(そ)れ癰氣の息する者は,宜しく鍼を以て開き之を除き去るべし,夫れ氣盛んにして血聚まる者は,宜しく石して之を瀉すべし〕」と継承関係にある。また『霊枢』癰疽に「發於腋下赤堅者,名曰米疽,治之以砭石,欲細而長,疎砭之〔腋下に發して赤く堅き者は,名づけて米疽と曰う,之を治するに砭石を以てし,細くして長からんことを欲し,疎に之を砭す〕」とある。砭石の「細くして長い」者を取ることは深く刺すことを意味し,「疎に之を砭す」は輸刺法の操作,「稀(すく)なく鍼を発する」と意味と同じであるが,前者の操作道具は「砭」であり,後者は「鍼」であることの相違にすぎない。前述したように,『霊枢』官針篇に掲載された刺法の道具は「鍼」ではあるが,篇の冒頭にある刺法原則の総論は,早い時期の砭石による癰疽治療の法則に由来する。これは刺法が砭法から進化して来た有力な証拠である。

 「結筋」のシンボル的な刺法である貫刺法は癰腫を刺す法を源とするだけでなく,「筋急」を刺すシンボル的な刺法である燔鍼劫刺の「内熱刺法」もまず癰疽の治療に用いられた。


    微按其癰,視氣所行,先淺刺其傍,稍內益深,還而刺之,毋過三行,察其沈浮,以為深淺。已刺必熨,令熱入中,日使熱內,邪氣益衰,大癰乃潰〔微(わず)かに其の癰を按(お)し,氣の行く所を視,先ず淺く其の傍らを刺し,稍(や)や內(い)れて深さを益し,還(かえ)りて之を刺し,三行を過ぐること毋(な)かれ,其の沈浮を察し,以て深淺を為す。已に刺せば必ず熨し,熱をして中に入らしめ,日々に熱をして內らしむれば,邪氣益々衰え,大癰乃ち潰(つい)ゆ〕。(『靈樞』上膈)

    

 この刺法の「還りて之を刺す」は,癰腫を刺す貫刺法であり,『霊枢』官針に記載された定番の刺法の中の癰腫を刺す「賛刺」法の操作と継承関係にあるだけでなく,痛痺を刺す「報刺」法の操作も「鍼を出だして復た之を刺す」ことを強調していて,いずれも明らかな「貫刺法」の特徴を持っている。

 経文はまた「已に刺せば必ず熨し,熱をして中に入らしむる」ことを強調している。もし病変の位置が深ければ,鍼による伝導は「熱を中に入れる」有効な経路となる。これが後世の「温鍼法」の応用に啓示を与えたことは間違いない。

 後世の燔鍼法の臨床応用例を見てみると,主に癰腫を含む各種の腫あるいは積に用いられ,腫の大きさに応じて異なる鍼を選択して焼鍼法がなされた。唐以前では痺証と小さな積には大員利鍼が用いられた[8]。古代朝鮮において経筋病である「結筋」を鍼刺する貫刺法をはっきりと広範に応用した最も早いものは,癰腫治療の専門書である『治腫指南』に見られる。

    [8] 丹波康赖撰.高文柱校注,医心方[M]. 北京:华夏出版社,1996:69.

    〔『醫心方』卷2・鍼例第5:「燔鍼法。董暹曰:凡燒鍼之法,不可直用炭火燒,針澀傷人也。……燔大癥積用三隅針。破癕腫皆用䤵鍼,量腫大小之宜也。小積及寒疝諸痹及風,皆用大員利鍼如筳也,亦量肥瘦大小之宜。皆燒鍼過熱紫色為佳,深淺量病大小至病為度。

    『治腫指南』 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/en/item/rb00004092

    https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00050/index.html〕


 『霊枢』経筋篇のいくつかの治則刺法は,その源が腫を治療する原理にあることを察知できなければ,意味するところがわからないし,ましてや臨床上の正確な運用などなおさら無理である。たとえば,手太陽経筋病の治則治法は,「其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕」であり,類似する経文は『霊枢』四時気篇にも見え,「癘風者,素(索)刺其腫上,已刺,以銳鍼鍼其處,按出其惡氣,腫盡乃止〔癘風なる者は,素(索(もと))めて其の腫の上を刺し,已に刺せば,銳鍼を以て其の處に鍼し,按(お)して其の惡氣を出だし,腫れ盡くれば乃ち止む〕」という。後世の注釈者は,避けて注をつけないか,あるいは無理やり注をつけて理解不能に陥っている。

 二つの経文の主治と刺法は類似していて,いずれも癰腫を治療するための常用方法である「兌」法に由来する。『千金翼方』には「兌疽膏方」の作り方とその臨床応用が詳細に記載されている。その方法:腐爛したものを除いて新しい組織を生じさせる薬を膏の中に細かく刻んで入れ,弱火で煎じてペースト状にして,尖った形にしたり,綿などを用いて尖った形をつくったり,さらに薬膏を尖らせて塗ったりして,病の深さに合わせて瘡の口に挿入する。その頭の尖った形の薬膏を「兌」といい,瘡の口に挿入する操作を「兌之〔之を兌す〕」といった[9]281。伝存する医書,『備急千金要方』『外台秘要方』『医心方』などには,なおこのような瘡癰を治療する「兌」法の応用が多く見られる。

    [9] 孙思邈.千金翼方[M].影印本.北京:人民卫生出版社,1955:281.

    〔『千金翼方』卷23:「兌疽膏方……右七味,切,內膏中微火煎參沸。內松脂耗令相得,以綿布絞去滓,以膏著綿絮兌頭尖作兌兌之,隨病深淺兌之,膿自出,食惡肉盡即生好肉,瘡淺者勿兌,著瘡中日參,惡肉盡止〔右の七味を切り砕き,膏の中に入れ,弱火で煎じて三たび沸騰させ,さらに松脂を入れて継続して煎じ,膏と脂が溶け合うようにした後,綿布でカスを絞り取り,綿布を薬膏に浸して綿布の尖端をとがらせて疽の中に入れ,疽の深さに応じて突き入れると,膿が自然に流れ出て,悪い肉が出尽くすとよい肉が生じる,瘡が浅いものは瘡の中に入れる必要はない,毎日三回,瘡の中に着けると,悪い肉はなくなる〕」。〕


 『霊枢』経筋にいう「其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕」および『霊枢』四時気にいう「已刺,以銳鍼鍼其處〔已に刺せば,銳鍼を以て其の處に鍼す〕」という刺法は,いずれも癰腫を治療する「兌」法の意を模倣したもので,鍼を出して復(ふたた)び之を刺し,「腫盡乃止〔腫れ盡くれば乃ち止む〕」のである。伝世本『霊枢』は「復而兌之」を「復而鋭之」に改めたため,全体を読んでも理解できないようになった。大いなる誤りである。

 このほか,「結筋」の性質は「結絡」と類似しているため,「結筋」を刺す貫刺法は「結絡」を刺す解結刺法にも起源に関連がある。結絡と結脈を刺すには,「必ず其の結の上を刺す」〔『霊枢』経脈〕ので,結筋も「其の結の上を刺す」べきであり,筋がはなはだ急(ひきつ)っているものは,結がなくとも,「急いで之を取る」〔『霊枢』経脈〕べきである。現代では,経筋病の刺法に関する著書や論文の多くは,結筋の病巣を寛解する貫刺法を直接に「解結」法と称している。

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