1.3 燔鍼劫刺 以知為数 以痛為輸
『霊枢』経筋篇には,十二経筋の病候の下にはみな経筋病の治則治法である「治在燔鍼劫刺,以知為數,以痛為輸〔治は燔鍼もて劫刺するに在り,知るを以て數と為し,痛むを以て輸と為す〕」が述べられている。この経文には「燔鍼劫刺」「以知為數」「以痛為輸」という三つの重要な概念が含まれているが,この三者を一緒に討論し,古今の臨床で筋急と結筋を刺すという特定の背景の下で考察してこそ,経文の本来の意味を追求することが可能となる。
上述した三つの概念の中では,「以痛為輸」が最も簡単で,現代人の解釈で議論も最も少ないようにように思われる。つまり痛みがある部位を刺鍼点とするということである。しかしながら,『霊枢』経筋篇では経筋病の鍼刺治療は「筋が急(ひきつ)る」部位を輸とすることを明言しており,『霊枢』官針篇と『素問』調経論篇でもこの取穴原則を繰り返して述べているし,鍼法による筋痺の治療には「筋が急(ひきつ)る」部位を刺す必要があるだけでなく,『霊枢』経筋は熨法によって筋痺を治療する「以膏熨急頰〔膏を以て急(ひきつ)れる頰を熨す〕」「膏其急者〔其の急(ひきつ)れる者に膏す〕」を同様に強調している。そうであれば,経筋篇の鍼を刺して痺を治療する「以痛為輸」は,繰り返し強調した取穴原則に矛盾することはできない。このことから,「以痛為輸」概念での「痛」字には特定の意味があり,経筋病の診療という特定のコンテキストに置いてのみ,その本来の意味がはっきり現われる可能性があると判断した。
経筋病や筋膜の痛みの診療については,古今東西に経験的な共通認識がある。それは筋が急(ひきつ)る部位で最も痛む点を探し,これを輸刺による治療効果の最適箇所とする。この最も痛む点は,元代の『鍼経摘英集』にいう「正痛」点である。
「正痛〔正しい痛み〕」とはどういう意味か。
清代の『鍼灸易学』には,より詳細な記述がある。
「先治周身疼痛多矣,必病人親指出疼所,即以左大指或食指爪掐之,病人嚙牙咧嘴,驚顫變色,若疼不可忍,即不定穴也,即天應穴也。右手下鍼,疼極必效〔先ず周身の疼痛を治するを多とす(重視する),必ず病人親(みずか)ら指して疼(いた)む所を出だし,即ち左の大指或いは食指を以て爪にて之を掐(お)し,病人 嚙牙咧嘴(歯を食いしばり口をゆがめ)し,驚き顫(ふる)え色を變じ(顔色が変わり),疼み忍ぶ可からざるが若きは,即ち不定の穴なり,即ち天應の穴なり。右手もて鍼を下して,疼み極まれば必ず效あり〕」[2]28。
[2] 李守先.中医名家珍稀典籍校注丛书:针灸易学校注[M],高希言,陈素美,陈亮校注.郑州:河南科学技术出版社,2014.〔卷上・2・認症定穴・扁鵲先生玉龍歌認症定穴治法繼洲楊先生注解。引用文より上に「周身疼痛:痛即穴,名不定」とある。〕
〔王國瑞『扁鵲神應鍼灸玉龍經』身痛に「不定穴:又名天應穴,但疼痛便鍼」とある。また呉崑『鍼方六集』に「天應穴,即『千金方』〈阿是穴〉,『玉龍歌』謂之〈不定穴〉。但痛處,就於左右穴道上,臥針透痛處瀉之,經所謂〈以痛為腧〉是也」とある。〕
ドライニードル療法ではさらにすすんで,「現在のところ,最も信頼できるトリガーポイントの診断基準は,触知可能な緊張筋層内の結節部に激しい圧痛が存在することである」(presence of exquisite tenderness at a nodule in a palpable band)[3]111と指摘している。
[3] David G, Simons MD, Janet G, et al. 肌筋膜疼痛与功能障碍:激痛点手册 第一卷 上半身[M].赵冲,田阳春主译.2版,北京:人民军医出版社,2014.〔Myofascial Pain and Dysfunction: The Trigger Point Manual, Vol. 1 /『トリガーポイントマニュアル : 筋膜痛と機能障害』第1巻,川原群大 監訳,エンタプライズ,1994〕
『黄帝内経』筋病の挑刺〔挫刺〕法を伝承する民間の鍼挑療法は,挑筋法をもちいて筋急痛証を治療するが,鍼挑点の選択においては同様に筋の急(ひきつ)りの最も激しく,最も痛む点を選択することを強調する。
以上の共通認識に『黄帝内経』経筋病の取穴原則を合わせると,「以痛為輸」概念にある二つの重要な点を確定することができる。その一,筋が急(ひきつ)る所で押して得られる最も痛む点であって,一般的な意味での疼痛ではない。筋の急(ひきつ)りが複数箇所あれば,その攣急が最もひどい場所で最も痛む点を探すべきである。その二,ただ「痛い」だけで,筋の急(ひきつ)りがなければその輸ではない。
「以痛為輸」,すなわち元代の『鍼経摘英集』は「正痛」する部位を輸とし,清代の『鍼灸易学』は「極痛」する部位を輸とする。鍼尖がある点に触れると患者は耐えがたい痛みを感じるが,鍼尖がこの点からすこし離れると痛みが大幅に減るのであれば,この鍼尖が触れて痛みの耐えがたい点が輸である。
「以知為數」をどのように理解するか。
『黄帝内経』全巻を通して調べてみて,「知」を数と為し,度と為すのは,『黄帝内経』の作者が常用する表現方式であることが明らかになった。例:
氣在于頭者,取之天柱、大杼;不知,取足太陽滎輸〔氣 頭に在る者は,之を天柱・大杼に取る。知らざれば,足太陽滎輸に取る〕。(『靈樞』五亂)
審按其道以予之,徐往徐來以去之,其小如麥者,一刺知,三刺而已〔審らかに其の道を按じて以て之を予(あた)えよ,徐ろに往き徐ろに來たり以て之を去る,其の小なること麥の如き者は,一たび刺して知り,三たび刺して已(い)ゆ〕。(『靈樞』寒熱)
先其發時如食頃而刺之,一刺則衰,二刺則知,三刺則已〔其の發する時に先だつこと食頃の如くにして之を刺す,一たび刺せば則ち衰え,二たび刺せば則ち知り,三たび刺せば則ち已ゆ〕。(『素問』刺瘧論〔篇〕)
治之以雞矢醴,一劑知,二劑已〔之を治すに雞矢醴を以てし,一劑にて知り,二劑にて已ゆ〕。(『素問』腹中論)
飲以半夏湯一劑……飲汁一小杯,日三稍益,以知為度〔飲ましむるに半夏湯一劑を以てし……汁を飲むこと一小杯,日々三たび稍(ようや)く益(ま)して,知るを以て度と為す〕。(『靈樞』邪客)
古典医学家の中では,明初の楼英の解釈が『霊枢』経筋篇の「以知為数」の本来の意味に最も近い。すなわち,「以知為數,以痛為輸者,言經筋病用燔鍼之法,但以知覺所鍼之病應效為度數〔「知るを以て數と為し,痛むを以て輸と為す」とは,經筋病に燔鍼の法を用い,但だ鍼する所の病の應效を知覺するを以て度數と為すを言うのみ〕」である。
〔楼英『醫學綱目』卷14・肝膽部・筋の注の全文:「以知為數,以痛為輸者,言經筋病用燔鍼之法,但以知覺所鍼之病應效為度數,非如取經脈法有幾呼幾吸幾度之定數也。但隨筋之痛處為輸穴,亦非如取經脈法有滎俞經合之定穴也」。〕
何を「知覺所鍼之病應效為度數〔鍼する所の病の應效を知覺するを度數と為す〕」とするのか。
清代の『鍼灸易学』は「下鍼,疼極必效〔鍼を下して,疼(いた)み極まれば必ず效あり〕」[2]28という。つまり鍼をして最も痛む点に触れれば,鍼には「必ず効果がある」。
明代の『鍼灸経験方』は,「貫刺其筋結處,鋒應於傷筋則痠痛不可忍處,是天應穴也。隨痛隨鍼,神效〔其の筋結する處を貫き刺し,鋒 傷(そこな)われる筋に應ずれば則ち痠痛して忍ぶ可からざる處,是れ天應穴なり。隨って痛まば隨って鍼すれば(痛むところにすぐ鍼をすれば),神效あり〕」[4]という。
[4] 许任著.崔为,南征主编,针灸经验方:校勘注释[M].长春:吉林科学技术出版社,2015:47.〔卷中・手臂:「手臂筋攣酸痛專廢食飲不省人事者」注。〕
現代の『肌筋膜疼痛与功能障碍:激痛点手册第一卷上半身』〔『筋膜痛と機能障害:トリガーポイントマニュアル』第1巻・上半身〕に,「十分に刺激を受けると,筋線維の局部痙攣反応(local twitch response,LTR)が誘発される」「圧痛点注射(trigger point injections)を行う前に,まず触診で正確に圧痛点を特定し,さらに注射針により誘発される痛みと局所の痙攣反応に基づいて正確に針を刺入する精確な位置を確定する」[3]87。つまり,局部痙攣反応を引き出すことによって治療効果を判定し,針が正確にMTrpsに刺さったかどうかの判断基準とする。Hong[5]は,これらのLTRが励起されると,ドライニードルが最も効果的であると考えている。MTrPsドライニードルでLTRを誘発するためには,繰り返し穿刺し,なおかつ針を刺入する深さと刺激の量,力の加減を調整する必要がある。
[5] Hong CZ.Lidocaine injection versus dry needling to myofascial trigger point. The importance of the local twitch response[J]. Am J Phys Med Rehabil,1994,73(4):256-263.
筋急と結筋の最も痛む点に正確に鍼を刺し入れ,患者が痛みを堪えきれなくなるのと同時に,局所痙攣反応が起こる,この痛みが堪えきれない痛点が,すなわち正しい輸である。この患者が「痛み忍ぶべからず」という感覚と医者の鍼の下の筋肉が痙攣する鍼感が「知」であり,「知」があれば治療効果が最もよいので,これを以て度と為す。
刺して筋が急(ひきつ)る箇所の最も痛む点に命中させて,患者が痛くて我慢できなくても強(し)いて刺す法が「劫刺」である。「燔鍼劫刺」法の「燔鍼」は先に鍼を刺してから鍼を焼くべきであると推察できる。もし先に鍼を燔(や)くと,焼かれた鍼を肉体に刺し入れれば,急速に鍼尖が冷えて渋ってしまい,速く繰り返し上下させる操作をおこなって,患者が痛みに耐えられない筋肉痙攣反応を引き出すのにはかえって不利である。
「燔鍼劫刺」についての諸家の解釈を振り返ってみると,呉魯輝の解釈が最も経文の本来の意味に近い。つまり,宣蟄人教授が創設した密集型銀鍼刺法は,多数の太い銀鍼を用いて,病変した軟部組織が付着した箇所の骨面に小さい振幅で搗(つ)き刺しし,酸・脹・重・麻などの強い鍼感を引き出し,刺した後に鍼柄頭でもぐさを燃やして加熱することで,患者の耐え難い感覚を引き起こすことができると考えられる。これがすなわち「燔鍼劫刺」の意味である[6]。
[6] 吴鲁辉.燔针劫刺之我见[J],江苏中医药,2011,43(3):78.
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