郭玉診手 文摯見心 郭玉は手を診(み) 文摯は心を見る (郭玉・文摯)
范曄後漢書郭玉者廣漢雒人也和帝時
爲太醫丞多有效應帝竒之仍試令嬖臣
美手腕者與女手雜處帷中使玉各診一
手問所疾苦玉曰左隂右陽脉有男女狀
若異人臣疑其故帝歎息稱善
【訓み下し】002-1
范曄の『後漢書』:郭玉なる者は,廣漢雒の人なり。和帝の時の太醫丞爲(た)り/和帝の時に太醫丞と爲(な)る。效應有ること多く,帝 之を奇とす。仍(よ)って試みに嬖臣の美(うるわ)しき手腕の者をして女手〔『後漢書』は「女子」〕と帷(とばり)の中に雜(まじ)え處(お)らしめ,玉をして各々一手を診(み)て,疾(や)み苦しむ所を問わしむ。玉曰わく,「左は陰にして右は陽,脉に男女有り,狀(かたち) 異なれる人の若(ごと)し。臣 其の故を疑う」。帝 歎息して善を稱(たた)う/善しと稱す。
【注釋】002-1
○范曄:(西元398~445)字蔚宗。南朝宋順陽(今河南省淅川縣東南)人。善屬文,能隸書,曉音律。始為尚書吏部郎,左遷宣城太守,不得志。後與魯國孔熙先謀逆,伏誅。著有《後漢書》,為四史之一。 ○後漢書:書名。紀及列傳為南朝宋范曄所撰,志則為南朝梁劉昭取晉司馬彪《續漢書》所補。一二○卷,分本紀十、志三十、列傳八十。范書一出,超越眾家後漢史書,而與《史記》、《漢書》、《三國志》合稱為「前四史」。其中,〈文苑傳〉的別立,開創了史書重視文學活動的良好先例。 ○郭玉:東漢針灸學家。字通直。廣漢新都(今屬四川)人。少時從師程高,為涪翁再傳弟子。和帝時(公元89-105年)任太醫丞。精研方術,尤長針灸。提出貴人療疾有「四難」,即自作主張,不服從醫囑;自身攝生不謹慎;筋骨不強壯,不能使藥;養尊處優,好逸惡勞。 ○廣漢:漢置。治梓潼。卽今四川梓潼縣治。後漢徙治雒。即今四川廣漢縣。晉徙廣漢郡治廣漢。在今四川遂寧縣東北。尋還後漢舊治。北周廢。 ○和帝:(西元79~105)姓劉名肇。在位十七年(88~105)。東漢章帝之子。 ○太醫丞:太醫丞,官名。秦、西漢太醫令副貳,少府、太常皆置。東漢唯少府置。/太醫是中國、朝鮮古代替皇家服務的醫生。御醫是太醫的一種,但一般太醫服務的範圍較廣,御醫只替宮廷的人看病。秦代有太醫令一職,《史記·扁鵲倉公列傳》記載,西漢已有太醫之職。郭玉精通醫術,漢和帝時擔任太醫丞。太醫是御醫、吏目、院士、醫生等的集合名詞,御醫是太醫中的第一等級。/丞:輔佐、輔助。 ○效應:效驗。成效。 ○竒:「奇」の異体字。特別、不尋常。善、美好。 ○嬖臣:受到寵幸的近臣。 ○女手:『後漢書』作「女子」。 ○雜處:混雜而居;共處。 ○疾苦:因病引起痛苦;患病的痛苦。 ○隂:「陰」の異体字。 ○脉:「脈」の異体字。 ○異人:他人、別人。 ○臣:古人對君、父或一般人的自謙之詞。 ○歎息:嘆氣。嘆美;贊嘆。讚歎。 ○稱:讚頌、讚譽。
○『後漢書』方術列傳下:郭玉者,廣漢雒人〔按:『集解』引惠棟說,謂『華陽國志』云新都人。/『後漢書』卷48:「翟酺字子超,廣漢雒人也」の注:「雒屬廣漢郡,漳山雒水所出,南入湔,故城在今雒縣南。湔音子田反」。〕也。初,有老父不知何出,常漁釣於涪水,因號涪翁。乞食人閒,見有疾者,時下針石,輒應時而效,乃著針經、診脈法傳於世。弟子程高尋求積年,翁乃授之。高亦隱跡不仕。玉少師事高,學方診六微之技,陰陽隱側之術。和帝時,為太醫丞,多有效應。帝奇之,仍試令嬖臣美手腕者與女子雜處帷中,使玉各診一手,問所疾苦。玉曰:「左陽右陰,脈有男女,狀若異人。臣疑其故。」帝歎息稱善。
○『醫說』卷一・三皇歷代名醫・郭玉:「郭玉,太醫丞,廣漢人也。和帝試玉之診,使嬖臣美手者,與宮人雜處帷中,令玉診之。玉曰:左陽右陰,非一女之脈也。帝甚奇之(『後漢書』)」。
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識典古籍*******************************************************
范曄《後漢書》:郭玉者,廣漢雒人也。和帝時,爲太醫丞,多有效應。帝奇之,仍試令嬖臣美手腕者與女手雜處帷中,使玉各診一手,問所疾苦。
【AI譯文】
郭玉,是广汉郡雒县人。和帝时,为太医丞,多有效应。文帝感到他很奇特,便让一个宠爱的臣子和一个女子将手腕藏在帷帐中,让淳于意隔着帷帐给他们各切脉,询问他们所患的疾病和痛苦。玉说:‘左边属阴右边属阳,脉象有男女之分,样子就像不同的人。’我怀疑其中的缘故。皇帝叹息着称赞他说得好。
【AI 1】郭玉(かくぎょく)は、広漢郡雒県の出身である。和帝の時代に太医丞(宮廷医師の補佐官)として仕え、その治療は多くの効果を上げた。 文帝は彼の才能を不思議に思い、ある寵臣と女性の腕を帷(とばり)の中に隠させ、淳于意に帷越しに脈を診させて、それぞれの病や痛みについて尋ねさせた。 郭玉は「左は陰に属し、右は陽に属する。脈には男女の違いがあり、まるで異なる人のようだ」と言い、その結果に疑問を抱いた。 皇帝は彼の言葉に感嘆し、称賛した。
【AI 2】郭玉(かくぎょく)は広漢郡雒県の人である。和帝の時代、太医丞(たいいじょう)を務め、多くの効果を上げていた。文帝は彼のことを非常に不思議な人物だと感じ、寵愛する臣下とある女性に、帷帳(いちょう:カーテンのような仕切り)の中に手首を隠させ、郭玉にその帷帳越しに脈を診させて、彼らがどのような病気や苦痛を抱えているのかを尋ねた。すると郭玉はこう言った。「左は陰に属し、右は陽に属します。脈には男女の違いがあり、それぞれまったく別の人物のように感じられます。私はこれに何か理由があるのではないかと疑っています。」皇帝はその言葉に感心し、嘆息して称賛した。
★【AI 2】のコメント:文中の「淳于意」は原文では「玉」(郭玉)であるため、文脈から見て名前の誤りと思われ、訂正して訳しました(「淳于意」は別の時代の名医)。
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