神仙傳干君者因病癩數十年百藥不能
愈忽見市中賣藥公姓帛因往問之公曰
可救以素書二卷授之曰不但愈病而已
當得長年干君再拜授之干君思得其意
內以治身修性外以消災救疾無不愈者
道成仙去
【訓み下し】041-2
『神仙傳』:干君なる者,因(すなわ)ち癩を病むこと數十年,百藥 愈やす能わず。忽ち市中に賣藥公の姓帛なるを見る。因って往きて之を問う。公曰わく,「救う可し」。『素書』二卷を以て之に授く。曰わく,「但だ病を愈やすのみにあらず,當に長年を得べし」。干君 再拜して之を授かる。干君 其の意を得るを思い,內に以て身を治め性を修め,外に以て災いを消し疾を救い,愈えざる者無し。道成り仙去す。
【注釋】
○神仙傳:現伝の『神仙傳』になし。佚文。下記の『三洞珠囊』卷1を参照。 ○干君:于吉のことか。于吉(う きつ、? - 200年)は、中国後漢末期の道士。徐州琅邪郡の出身。『三国志』呉書「孫策伝」注の『江表伝』『志林』『捜神記』に記述がある。 ○因:『三洞珠囊』引ける『神仙傳』になし。於是、從而。就、乃。/あるいは「困(くるしむ)」の誤字か。 ○癩:病名。即麻瘋(病名。由麻瘋桿菌所引起的慢性傳染病,常侵犯皮膚黏膜及末梢神經。可分為結核型與開放型兩種,前者不具傳染性,後者則具傳染性)。/生癬或疥瘡而使毛髮脫落的狀況。 ○百藥:各種藥物。 ○公:對年長或有地位者的尊稱。 ○帛:姓。如漢代有帛敞。 ○素書:古人以白絹作書,故以稱書信。泛指一般道書。書籍。 ○二卷授之:『三洞珠囊』引ける『神仙傳』は,黄石公が張良に兵書を授けた話を彷彿とさせる(黄石公『素書』)。 ○長年:長壽。 ○再拜:拜了又拜,表示恭敬。古代的一種禮節。 ○授:給與、交與。通“受”。接受 [accept]。 ○思:考慮。用於句首,無義。 ○治身:猶修身。 ○修性:養性,涵養性情。 ○消災:免除災禍。消除災禍。 ○救疾:治病;救治病人。 ○無不:沒有不,都是。全是。 ○仙去:成仙而去。
○〔『正統道藏』第42冊,780-78〕『三洞珠囊』卷1・救導品:「『神仙傳』第九云……又云:干君者,北海人也。病癩數十年,百藥不能愈,見市中一賣藥公,姓帛,名和,往問之。公言:「卿病可護。卿審欲得愈者;明日鷄鳴時來會大橋北木蘭樹下,當教卿」。明日鷄鳴,干君往到期處,而帛公已先在焉。怒曰:「不欲愈病耶?而後至何也?」更期明日夜半時。於是干君日入時便到期處,須臾公來。干君曰:「不當如此耶?」乃以素書二卷授干君,誡之曰:「卿得此書,不但愈病而已,當得長生」。干君再拜受書。公又曰:「卿歸更寫此書,使成百五十卷」。干君思得其意,內以治身養性,外以消災救病,無不差愈。在民間三百餘年,道成仙去也」。
識典古籍*******************************************************
《神仙傳》:干君者,因病癩數十年,百藥不能愈。忽見市中賣藥公,姓帛,因往問之,公曰:“可救。”
【AI譯文】
《神仙传》记载:干君这个人,因为患上麻风病达数十年,各种药物都不能将其治愈。忽然看见集市中卖药的帛公,就前去询问他,帛公说:“可以救治。”
【AI 1】『神仙伝』にはこう記されています。「干君という人物は数十年間麻風病を患い、あらゆる薬を試みても治癒しなかった。ある日、市場で薬を売る帛公を見かけ、彼に相談した。帛公は『治すことができる』と告げ、
【AI 2】『神仙伝』によると、干君という人物は、数十年にわたってハンセン病(麻風病)を患い、あらゆる薬を試しても治らなかった。ある日、市場で薬を売っている帛公を見かけ、彼に相談した。帛公は「治すことができる」と言い、
以素書二卷授之,曰:“不但愈病而已,當得長年。”
【AI譯文】
于是把两卷素书交给了他,说:“这书不只是能治好你的病,还能让你长寿。”
【AI 1】二巻の素書を渡し、『この書は単に病を治すだけでなく、長寿をもたらすものだ』と説明した。
【AI 2】2巻の白い巻物を手渡してこう言った。「この書は、あなたの病を治すだけでなく、長寿にも導いてくれる。」
干君再拜授之。
【AI譯文】
干君拜了两次,然后接受了文书。
【AI 1】干君は二度拝礼したのちにその書を受け取った。
【AI 2】干君は二度礼拝してからその文書を受け取った。
干君思得其意,內以治身修性,外以消災救疾,無不愈者,道成仙去。
【AI譯文】
干吉领会了其中的意旨,对内用来调养身心、涵养品性,对外用来消除灾祸、救治疾病,没有不被治愈的,最后他得道成仙离开了。
【AI 1】彼は書の意味を深く理解し、内面では心身を調え、品性を養い、外面では災厄を除き、人々の病を治す手助けをした。その結果、どの病も癒され、ついには道を得て仙人となり、世を去った。」
【AI 2】干君はその内容をよく理解し、内面では心身を養い品性を涵養するために、外面では災厄を除き病を治すために活用した。結果として、どんな病も治らなかったものはなく、最終的に道を得て仙人となり、この世を去った。
★原文の「干君」を【AI譯文】は「干吉」と誤訳している。それを【AI1】では「彼」,【AI2】では「干君」と訳している。おそらくコンテキストから不自然さを読み取って調整しているのであろう。/于吉(?—200年),《後漢書》作「干吉」,東漢道士,琅琊郡(今山東省臨沂市)人,傳說是最早的道教典籍《太平清領書》的作者,由此開創了最早的道教宗派之一太平道,相關經典被納入道藏太平部。于吉建立精舍,為百姓以符水治病,在吳、會等地廣受民眾敬奉。後來孫策以此子妖言惑眾為由殺了他。
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