2010年10月18日月曜日

1-2 大明琢周鍼法鈔

1-2 大明琢周鍼法鈔
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『大明琢周鍼法鈔』(タ-71)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』1所収

鍼法一軸跋
凡原鍼家之術上古者以石
開破病矣逮黄帝之時臣有
歧伯稱之天師相問難而内
經作初發九鍼説又秦越人
扁鵲深得素問靈樞旨設爲
問荅述八十一難經榮衞度
數尺寸部位陰陽王相藏府
虚實經絡流注鍼刺兪穴悉
該備矣自此以徃天下針刺
旨瞭然矣本朝亦行于世就
  一ウラ
中予師法鵲主翁者文熟醫
熟日夕取諸家説所着經論
發前賢所未發以針刺術救
人民之沉痾無不療故世皆
謂遇長桑君飲以上池水者
可謂竒矣予幸居隣里聞其
風行師之遊門數稔而相承
家傳學所憾只才踈質鈍而
已予甞治疾不膠陳迹予家
有一僕子常鍼所死穴乍殺
鍼所活穴乍甦矣炎皇一日
  二オモテ
七十有毒謂也終得不傳妙
術矣壬辰秋之頃予舊里有
老父常患心積苦則以刀傷
如切一醫針而不効後五月
鍼何穴四肢強直反張不知
人事今予見之曰可活因此
針神穴隨手安矣或問古人
所制禁穴二十二神穴其一
也今針而醫疾何乎予答之
曰淬回論孟子謂悉信書則
不如无書二十二穴有可信
  二ウラ
有不可信不可不詳矣前哲
針禁穴愈疾者不遑勝計也
舉其一二爲凡例如魏花佗
割臆刳腸胃秦張文仲刺腦
戸治頭疼何雖禁穴治疾可
也空黙而去矣自其逮于今
治疾痛如有神矣公之見學
針刺其勤漸久術精微也故
明傳家傳之學因印加而以
授之喜菴云爾
       琢周印

  書き下し
鍼法一軸跋
凡そ鍼家の術を原(たずぬ)るに、上古は石を以て
病を開破す。黄帝の時に逮びて、臣に
歧伯有り。之を天師と稱す。相い問難して内
經作る。初めて九鍼の説を發す。又た秦越人
扁鵲深く素問靈樞の旨(シ)を得たり。設けて
問荅を爲して八十一難經を述ぶ。榮衞の度
數、尺寸の部位、陰陽の王相、藏府の
虚實、經絡の流注、鍼刺の兪穴、悉く
該(か)ね備うかな。此れ自り以徃(このかた)天下に針刺の
旨瞭然たり。本朝にも亦た世に行わる。
  一ウラ
中ん就く、予が師法鵲主翁は、文熟し醫
熟す。日に夕に諸家の説を取りて着(シル)す所の經論は、
前賢の未だ發せざる所を發す。針刺の術を以て
人民の沉痾を救い、療せざること無し。故に世皆な
謂えらく、長桑君に遇いて飲むに上池の水を以てする者か、と。
奇と謂っつ可し。予幸いに隣里に居りて、其の
風を聞きて、行きて之を師とす。門に遊ぶこと數稔にして
家傳の學を相い承く。憾(うれえ)る所は只だ才踈、質鈍のみ。
予嘗て疾を治するに陳迹に膠(ねやか)らず。予が家、
一僕子有り。常に死する所の穴に鍼して、乍(たちま)ちに殺し、
活する所の穴に鍼して、乍ちに甦(よみがえら)す。炎皇一日
  二オモテ
七十有毒の謂(いい)か。終(つい)に不傳の妙
術を得たり。壬辰の秋の頃、予が舊里に
老父有り。常に心積を患う。苦しむときは(則ち)刀傷を以て
切るが如し。一醫針して効あらず。後五月、
何の穴に鍼するや、四肢強直反張して
人事を知らず。今予之を見て曰く、活す可し。此に因りて
神穴に針して、手に隨いて安し。或るひと問う、古人の
制する所の禁穴二十二にして、神穴其の一
なり。今針して疾を醫(いや)す。何(なん)ぞや。予(之に)答えて
曰く、淬回(そかい)論に、孟子の謂(いわ)く悉く書を信ぜば、(則ち)
書无(な)きには如かず、と。二十二穴、信ず可き有り、
  二ウラ
信ず可からざる有り。詳らかにせずんばある可からず。前哲
禁穴に針して疾を愈す者、勝(あ)げて計(かぞ)うるに遑(いとま)あらず。
其の一二を舉げて凡例と爲す。魏・花佗が
臆を割き腸胃を刳し、秦の張文仲が腦
戸に刺して頭疼を治するが如し。何ぞ禁穴と雖も疾を治せば可なり、と。
空しく黙して去る。其れ自り今に逮(およ)びて
疾痛を治するに神有るが如し。公の
針刺を學ぶを見るに、其の勤め漸く久し。術、精微なり。故に
明の傳家傳の學、因りて印加して以て
之を喜菴に授くと爾云(しかいう)。
       琢周印

  【注】
○天師:『素問』上古天真論(01)「廼問於天師」。王冰注「天師、歧伯也。」 ○荅:「答」の異体字。 ○王相:陰陽家は王(旺盛)、相(強壮)、胎(孕育)、没(没落)、死(死亡)、囚(禁錮)、廃(廃棄)、休(休退)の八字と五行、四時、八卦などをたがいに組み合わせて、事物の消長交代をあらわす。五行用事を王とし、王が生ずるものを相として、物がその時を得ることをあらわす。 ○本朝:我が国。ここでは日本。漢語では自分のいる朝代。
  一ウラ
○法鵲主翁: ○日夕:日夜。昼も夜も。 ○着:「著」の異体字。 ○賢:左訓「カシコシ」。 ○沉痾:久しく治らない疾病。重病、宿疾。「沉」は「沈」の異体字。「痾」の左訓「ヤマイ」。 ○長桑君:『史記』扁鵲伝を参照。 ○聞風:うわさを聞く。「風」は、情報。風聞。 ○遊門:遊学。学習する。 ○稔:年。 ○相承:継承する。 ○
家傳學:家の中で代々伝えられている学業。 ○憾:心に不満を感じる。 ○才:才能。 ○踈:疎。疏。拙劣。 ○質:資質。天性。生まれつき。 ○鈍:おろか。愚鈍。 ○甞:「嘗」の異体字。 ○膠:膠着する。拘泥する。送りがな「ラ」。粘(ね)ゆ/ねばる=⇒ネヤカル。 ○陳迹:陳跡。古い前人が遺した事物、成果。 ○甦:蘇醒する。 ○炎皇:炎帝神農。『淮南子』脩務訓に「神農……嘗百草之滋味、水泉之甘苦、令民知所辟就。當此之時、一日而遇七十毒。」とある。また王履『醫經溯洄集』神農嘗百草論の冒頭に「淮南子云、神農嘗百草、一日七十毒」とある。
  二オモテ
○壬辰:天文元年(1532)。文禄元年(1592)。承応元年(1652)。正徳二年(1712)。『大明琢周鍼法一軸』は延宝七年(1679)序刊。 ○心積:胃痙攣のような症状か。 ○五月:意味の上からして「五日」か。 ○強直:かたくこわばる。硬直していうことがきかない。 ○反張:エビぞりになる。 ○不知人事:人事不省。 ○神穴:未詳。下文にある禁穴二十二のうちの一穴であるならば、神闕か。○隨手:ただちに。 ○古人所制禁穴二十二:明・高武『鍼灸聚英発揮』巻七「禁鍼穴歌:禁鍼穴道要先明、腦戸顖會及神庭、絡却玉枕角孫穴、顱顖承泣隨承靈、神道靈臺膻中忌、水分神闕并會陰、横骨氣衝手五里、箕門承筋并青靈、更加臂上三陽絡、二十二穴不可鍼。」 ○醫:送りがな「ス」。「いス」か。いま、「いやす」と読んでおく。 ○淬回論:『醫經溯洄集』のことであろう。その神農嘗百草論に「孟子所謂……」とある。 ○孟子謂:『孟子』盡心下に見える。
  二ウラ
○前哲:前代の賢人。 ○舉:「擧」「挙」の異体字。 ○凡例:書のはじめにあげて内容・主旨・編集体例を説明した文章。 ○魏花佗:『三國志』魏書二十九方技および『後漢書』卷八十二下 方術列傳第七十二下の華佗伝を参照。 ○割臆刳腸胃:『三國志』魏書「病若在腸中、便斷腸湔洗」。/臆:むね。 ○秦張文仲:おそらく、宋・張杲『醫説』鍼灸・鍼愈風眩の「秦鳴鶴爲侍醫。高宗苦風眩、頭重目不能視。武后亦幸災異、逞其志。至是疾甚。召鳴鶴・張文仲診之。鳴鶴曰:風毒上攻、若刺頭出少血、即愈矣。天后自簾中怒曰:此可斬也、天子頭上、豈是試出血處耶。上曰:醫之議病、理不加罪、且吾頭重悶殆不能忍、出血未必不佳。命刺之。鳴鶴刺百會及腦戸、出血。上曰:吾眼明矣。言未畢、后自簾中頂禮拜謝之、曰:此天賜我師也。躬負繒寶、以遺鳴鶴。」中の「秦鳴鶴・張文仲」を「秦張文仲」とした誤りに基づくと思われる。あるいは版本の問題か。新旧『唐書』には、「腦戸」という穴名は見えない。なお『太平御覽』卷七二三・方術部四・醫三、『册府元龜』卷八五九・醫術第二にも同様の文がある。  ○印加:「印可」(もと、仏教、特に禅宗で、師僧が、弟子が法を体得したことを証明・認可すること。のちに芸道などで奥義に達したことを認めて免許をさずけること)の意であろう。 ○喜菴:疋地(匹地)氏。 ○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ、の意味。

 以下は、和読する。フリガナは原文にしたがう。フリガナがひらがなになっているものは、和読者の推定による。適宜、句読点を打つ。

琢周針法抄跋
此の書は、琢周が針法とばかり、思う
べからず。何(イヅ)れの流(リウ)にも用ゆべし。何
れの流とは、打針(ウチハリ)管(クダ)針捻(ヒ子リ)針などの
類なり。それには鎚(ツチ)を用い、或いは管(クタ)を
用い、或いはひねりさす。琢周が傳には、
唯(タヽ)何(ナニ)となく、按手(ヲシテ)を輕々(カルカル)としてさ
し入る計(ハカリ)なり。此の針法の妙は、内經に
曰く、藏病は治し難く、府病は治し易し、と。此の要
を悟っての故に藏の經穴は五穴に過(スキ)ず、
專ら府の經穴を用ゆ。但し陰症を陽分
へ引出して治する則(とき)は、治(チシ)易(ヤスシ)。是れ此の針
法の妙なり。上古は、九針とて九種の
針を用ゆ。上古の人は、形体(ケイテイ)剛強(カウキヤウ)なる
が故なり。今代(コンタイ)の人は然不(シカラス)。故に專
  一ウラ
ら微(ヒ)針を用いるなり。琢周は其(ソノ)九針の
中の員利針(エンリシン)を用ゆ。員利針は尖(トカ)り
毫(ケフ)の如く員(マトカ)に且つ利(トシ)。中身少(スコ)し大にして、長
さ一寸六分、陰陽(インヤウ)を調(トヽノ)え暴痺飛經
走氣を去ると云う。此の針に專ら鉄(テツ)を用ゆ。
腹中にてきれたるとき消しやすき故
なり。琢周 本朝へ來たること、慶長年
中なり。彼が門人と成る者、紀(キ)州熊野(クマノ)の住
雲(ウン)州松江(マツエ)の住、是なり。然して琢周、痢病(リヒヤウ)を
患(ウレヒ)て程なく死す。故に 日域(シチイキ)に名を發不(ハツセス)。
此の針法を用いるに、其の効(シルシ)、神(シン)の如し。故に此の書秘(ヒ)して
他(タ)に傳不(ツタエス)。度々(ドヽ)板(ハン)に開(ヒラカ)ん事を望(ノソミ)て剞劂(キケツ)氏下(クタル)
といえども難(カタ)く秘して猶(ナヲ)出さ不(ス)。予今思うに醫(イ)は
仁道なり。板に開いて此の針法を用いば、天下の
民を救(スクハ)ん。然らば大なる功ならんとなり。

  【注】
○内經曰:『難経』五十四難。 ○員利針は:以下の説明は、徐春甫『古今医統大全』卷七・鍼灸直指・九鍼図によると思われる。そうであれば、「暴痺を去り、飛經走氣す」と読むべきではないか。「飛經走氣」に関しては、金鍼賦などを参照。經氣をめぐらす刺法。 ○日域:じちいき。日本の異名。 ○剞劂氏:刻工。広くは印刷出版業者。書商。

2010年10月16日土曜日

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臨床鍼灸古典全書 1-1 大明琢周鍼法一軸

1-1『大明琢周鍼法一軸』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『大明琢周鍼法一軸』(シ・六二一)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』1所収
  原文にあるフリガナを出来る限り利用した。その際は、カタカナで表記し、訓読者が補ったものはひらがなで表記する。

鍼法一軸序
夫爲醫之道徃昔襍之為十
三科近世鍼之一科����以
其術多鳴世者或因賀山成
定之傳有祖靈樞者或汲御
園意齋之流有不繇經絡者
是皆雖有裨醫療之功未聞
直面命中華之醫發明其秘
者慶長年中 皇明鍼醫琢
周繫纜於長崎津專以此術
起不治之病蓋八九于十也
  一ウラ
津之有司甚以爲竒依是四
隣州之士農輿疾到其門者
不爲少矣雲陽住醫匹地喜
菴杳慕其術越山航海會周
於長崎竟探蘊奥茹英華詳
審精密集爲一家之書秘而
不出戸庭故汲其餘流者亦
殆少矣喜菴没後傳于其孫
福田道折折傳播是于雲陽
奇効應驗隨手遂其生者所
州民之識也誠知周之術不
  二オモテ
虚也予與折未得荊識元是
以有同國之故頃日寄一帙
曰冀刊布是洛陽俾海内同
此術吾意夷予顧爲其書文
字甚簡而專釣其要且兪穴
病名之口傳皆以和語住之
附其後於捄療調攝之道知
不能無小補也儻夫讀之手
之有得其要領者豈羨琢周
皷舞耶於是喜折之慈仁不
得辭沮表一言塞其求云爾
  二ウラ
于時延寳第七在歳巳未陽
復之月丙午之日
 洛下之住
醫官法橋杉立氏道允序


書き下し
鍼法一軸序
夫レ醫の道爲(タ)ること、徃昔(ムカシ)之を襍(まじえ)て十
三科と爲す。近世鍼の一科、往往に
其の術を以て世に鳴る者多し。或いは賀山の成
定が傳に因って、靈樞を祖とする者有り。或いは御(ミ)
園(ソノ)意齋が流を汲みて、經絡に繇(ヨラ)ざる者有り。
是れ醫療を裨(タス)くるの功有りと雖も、未だ
直ちに中華の醫に面命して其の秘を發明する
者を聞かず。慶長年中 皇明鍼醫琢
周、纜(ともづな)を長崎の津に繫ぎ、專ら此の術を以て
不治の病を起こすこと、蓋し十に八九(なり)。
  一ウラ
津の有司甚だ以て奇なりと爲す。是れに依って四
隣州の士農、疾に輿(コシ)して其の門に到る者、
少しと爲さず。雲陽の住醫、匹地喜
菴、杳(ハルカ)に其の術を慕って、山を越(コ)え、海に航(わた)りして、周に
長崎に會す。竟に蘊奥を探り、英華を茹(くら)う。詳
審精密、集めて一家の書と爲し、秘して
戸庭を出ださず。故に其の餘流を汲む者も亦た
殆んど少なり。喜菴没して後ち、其の孫、
福田道折に傳う。折、是れを雲陽に傳播して、
奇効應驗、手に隨って其の生を遂ぐる者、
州民の識(し)る所なり。誠に知んぬ、周が術
  二オモテ
虚ならざるを。予、折と未だ荊識を得ざれども、元と是れ
同國の故有るを以て、頃日、一帙を寄せて
曰く、冀くは是れを洛陽に刊布して、海内をして
此の術を同うせしめば、吾が意、夷(たい)らかならん。予、其の書爲ることを顧るに、文
字甚だ簡にして專ら其の要を釣る。且つ兪穴
病名の口傳、皆な和語を以て之を住して
其の後に附く。捄療調攝の道に於いて、知んぬ
小補無きこと能わざることを。儻(も)し夫れ之を讀み
之を手にして、其の要領を得る者有らば、豈に琢周が
鼓舞を羨ましからんや。是(ここ)に於いて折が慈仁を喜びて、
辭沮することを得ず、一言を表して其の求めを塞ぐと爾(しか)云う。
  二ウラ
于時延寳第七在歳巳未陽
復之月丙午之日
 洛下之住
醫官法橋杉立氏道允序

【注】襍:「雜」の異体字。ここでは「集」と同意。 ○徃:「往」の異体字。 ○����:B領域。「之繞+山+王」。「��」(之繞+山+主)も、「往」の異体字。『大漢和辞典』38955。『説文解字』「迋、往也。从辵王聲。」 ○繇:原文は「揺」の旁を二つ並べてある。 ○賀山成定:藤木成定(元成)。後陽成・後水尾両帝につかえ、駿河流の祖。一五五七~一六三五。鍼博士。(『日本腹診の源流』長野仁先生解説) ○御園意齋:松岡意斎(一五五七~一六一六)。名は常心、通称は源吾。打鍼術中興の祖。正親町・後陽成天皇に仕えた鍼博士。(同上) ○面命:『詩經』大雅・抑:「匪面命之、言提其耳。」対面して告げる。人に懇切丁寧に教えることの形容。 ○發明:知られていなかった事を明らかにする。 ○慶長年中:一五九六~一六二三。 ○皇明:「大明」と同じ。「皇」は、美称。 ○琢周: 
  一ウラ
○有司:役人。 ○爲竒:並外れた人と思う。「竒」は、「奇」の異体字。 ○四隣州:四方隣国。 ○輿疾:「輿病」ともいう。病の体を車に乗せる。 ○雲陽:出雲(島根県東部)。 ○匹地喜菴: ○茹:食べる。咀嚼する。 ○英華:精華。 ○詳審:周到かつ詳細。 ○精密:厳密かつ精緻。 ○福田道折: ○奇効應驗:驚くほど優れた効果をあらわす。 ○隨手:すぐさま。たちどころに。 ○遂生:養生する。 
  二オモテ
○荊識:唐・李白『與韓荊州書』:「生不用封萬戶侯,但願一識韓荊州。何令人之景慕一至於此耶。」に基づく。後に初対面、あるいは平素から敬慕していた人をいう。尊敬語。 ○帙:書画を包むもの。函。量詞。 ○刊布:刊行。刊刻発行。 ○洛陽:洛京。みやこ。 ○海内:天下。四海の内。 ○夷:平安。 ○住:とどめる。 ○捄:援助する。すくう。「救」に通ず。 ○調攝:調養。 ○皷舞:「皷」は「鼓」の異体字。 ○慈仁:慈善仁愛。 ○辭沮:やめる。 
  二ウラ
○延寳第七在歳巳未:一六七九年。 ○陽復之月:旧暦十一月。 ○丙午之日: ○洛下:都下。 ○法橋:法印・法眼に次ぐ地位。 ○杉立氏道允:


大明琢周針法鈔序
夫人生於地懸命於天天地合
氣命之曰人天地是人陰陽
也陰陽又氣血也氣血偏勝
則乃生於諸疾外六淫傷外
經絡内七情傷内藏府其治
在醫之用心醫家之法術不
越鍼灸藥湯液之範也就中
針刺之理經脉爲始營其所
行知度量内刺五臟外刺六
腑審察衞氣是爲治百病母
  一ウラ
其功大矣哉世既暮而以下
雖鍼道衰於今有大明琢周
得針法妙術而至 本朝纜
水馬於西南之岸間也于時
雲陽城之住醫疋地氏喜菴
素善鍼術故從國命而欲受
彼針法而見琢周爲學習親
灸有日然後周袖一軸來授
喜菴曰吾於針術之業刻志
懈無暫枕久鵲寥寥而眠如
玉弓入窓而異人忽然來授
  二オモテ
此一軸而曰用汝此針法則
越人如起死乎必勿疑而去
矣然後從彼試用之無不應
故人皆爲是竒今汝授之亦
勿疑直用此鍼法者即爲 
日域無雙名鍼乎倩以此一
軸緫針穴一百有五穴終也
至其病論則无錯諸書也其
間穴名異耳按夫秘唯有用
與不用誰知其是非乎尚欲
旁取孔穴者懵然而如雲中
  二ウラ
飛鳥費矢也何其中乎今世
殆用鍼法者不達正學或又
受師不卒妄作離術人民爲
之所窮矣愚思此針法雖穴
數少不待試而百發百中是
即方貴經驗謂也予幸出疋
地氏之末葉傳於此鍼法奥
義故不愧草莽學採註其梗
槩也蓋欲令門人或易悟而
已恐在誤乎學者再詳焉于
時 延寳七年巳未桂月中旬
雲陽城住 福田氏道折謹
自序


書き下し
大明琢周針法鈔序
夫(そ)れ人は地に生じて、命を天に懸く。天地、氣を合して
之を命(なづ)けて人と曰う。天地は是れ人の陰陽なり。
陰陽は又た氣血なり。氣血偏勝すれば、
則乃(すなわ)ち諸疾を生ず。外六淫は外
經絡を傷(やぶ)り、内七情は内藏府を傷(やぶ)る。其の治は
醫の用心に在り。醫家の法術は
鍼灸藥湯液の範(のり)を越えず。中(なか)ん就(づ)く
針刺の理は經脉を始めと爲す。其の
行く所を營(めぐ)らし、度量を知り、内、五臟を刺し、外、六
腑を刺し、審らかに衞氣を察するは、是れ百病を治する母爲(た)り。
  一ウラ
其の功大なるかな。世既に暮れしより以下(このかた)、
鍼道衰うと雖も、今に於いて大明琢周というもの有り。
針法の妙術を得て、 本朝に至り、
水馬を西南の岸間に纜(つな)ぐ。時に
雲陽城の住醫、疋地氏喜菴、
素(もと)より鍼術を善くす。故に國命に從って
彼が針法を受けんと欲し、琢周に見(まみ)え、學習の爲に親
炙すること日有り。然して後、周、一軸を袖にし、來たって
喜菴に授けて曰く、吾れ針術の業に於いて、志を刻み
懈(おこた)ること暫くも無し。久鵲を枕とし、寥寥として眠る。
玉弓、窓に入るが如く、異人忽然として來たり、
  二オモテ
此の一軸を授けて曰く、汝、此の針法を用いば、則ち
越人が死を起こすが如きなり。必ず疑うこと勿れといいて去んぬ。
然して後、彼れに從って試みに之を用いるに、應ぜざるということ無し。
故に人皆な是れを奇なりと爲す。今ま汝に之を授く。亦た
疑うこと勿れ。直ちに此の鍼法を用いば、即ち 
日域無雙の名鍼と爲さん、と。倩(つら)つら以(おもん)みるに、此の一
軸總(すべ)て針穴一百有五穴に終る。
其の病論に至っては、則ち諸書に錯(あやま)ること无(な)し。其の
間だに穴名異なるのみ。按ずるに夫(そ)れ秘は唯だ用と
不用とに有り。誰かの其の是非を知らんや。尚(も)し
旁(あまね)く孔穴を取らんと欲する者は、懵然として雲中の
  二ウラ
飛鳥に矢を費(ついや)すが如し。何んぞ其れ中(あた)らんや。今世
殆ど鍼法を用いる者は、正學に達せず、或いは又た
師に受くること卒(おわ)らず、妄りに離術を作(な)し、人民
之が爲に窮せらる。愚思えらく、此の針法、穴
數少しと雖も、試を待たず、百たび發して百たび中る、是れ
即ち方は、經驗を貴ぶ謂(いい)なり。予、幸いに疋
地氏が末葉を出で、此の鍼法の奥
義を傳う。故に草莽の學を愧じず、採(と)って其の梗
概を註す。蓋し門人をして或いは悟り易からしめんと欲するのみ。
恐くは誤ること在らん。學者再び焉(これ)を詳らかにせよ。于
時 延寳七年巳未桂月中旬
雲陽城の住 福田氏道折謹んで
自序す


【註】  一ウラ
○水馬:船。特に軽快なものをいう。 ○西南之岸間:ここでは長崎。 ○雲陽:出雲。 ○疋地氏喜菴: ○親灸:意味からして、「親炙」。親しく接して感化を受ける。直接教授される。 ○有日:長い間。 ○然後:その後。 ○袖:袖に入れる。 ○刻志:心を一つにする。熱心に志す。篤志。 ○枕久鵲:未詳。 ○寥寥:孤独なさま。 ○玉弓:新月。 
  二オモテ
○越人如起死:『史記』扁鵲伝を参照。 ○無不:すべて。 ○應:実証する。効き目をあらわす。 ○竒:「奇」の異体字。形容詞の意動用法。不思議だと思う。優れていると考える。 ○日域:日の照らす域内、天が下。日本。 ○無雙:並ぶ者がない。もっとも卓越した。「日域無雙」は日下無雙(京都に二人といない、傑出した人物)と同じか。天下無雙。 ○倩:「つらつら」。日本語用法。よくよく見たり考えたりするさま。 ○緫:「總」の異体字。合計。 ○一百有五穴:百五穴。 ○无:「無」の異体字。 ○旁:ひろく。普遍的に。 ○懵然:曖昧模糊としたさま。はっきりしないさま。 
  二ウラ
○正學:正道に合致した学問。 ○離術:正道から離脱した施術。『素問』徴四失論(78)「受師不卒、妄作雜術」。「雜」、一本作「離」。 ○愚:謙遜語。自称。 ○謂:意味。 ○疋地氏: ○末葉:後世の子孫。 ○草莽:田野。民間。 ○梗槩:概要。「槩」は「概」の異体字。 ○延寳七年巳未:一六七九年。 ○桂月:桂花が盛んに開花する時期。陰暦八月。 ○福田氏道折:

2010年10月9日土曜日

澤庵宗彭自筆『刺針要致』一巻(巻物)

 古書店売り立て目録写真から判読してみた。
1 粤有業刺針人、其名曰悦、予自初秌中浣、患瘧疾、
2 及仲秌、病漸退、若猶餘熱留裡薫蒸。則禀其火於
3 皮裏膜外、塞元氣之途、為頑痰、為瘕癖、異證
4 交出、則當難治、故使悦刺針穴、而除滯開塞、流通
5 氣、悦云一日語曰、我雖深不窮針、聊有其旨、當聞
6 真毉未言之、俗毉多曰、針則氣力衰、不宜病人矣、
7 我未知針而氣力衰者、夫人病者、邪氣勝而正
8 氣負、蓋針者却邪氣、生元氣者也、豈謂針而
9 氣力衰乎、我窺見俗毉所云之意旨、只針有忍痛之
10 労、是以曰、針則氣力衰、聊非明針經、以謂之、誠是俗
11 説也、不足信而已、雖然、世人所能信者、俗説也、所不能
12 信者、至言也、無益論之、蓋針無痛之性、痛
13 不痛者、依刺者之能不能、若得妙手、何取忍痛之労
14 乎、能刺者、不傷肉、而能中病、抑針其來尚矣、寧以一人
15 不能、永弃万世之針法乎、世間称毉者、不治病、而殺人者
16 多、雖然、寧以一人俗毉、弃万世之毉道乎、予聞之曰、
17 誠哉斯言、針有忍痛之労者、刺者之不能也、匪啻
18 針、於藥亦然也、依毉之好悪、藥之殺人、又過針、若逢好手、
19 則針藥共治病、逢悪手、則針藥共殺人者也、何獨
20 於針論其害乎、郢斤削堊而不侵鼻端之肉、庖丁解
21 牛而及肯綮、於針豈異乎、時有座客曰、曽聞針有
  写真2段目
1 針經、宜補之義、誰不知之、客曰、針生元氣之義、如何、
2 悦曰、刺有餘而除病、則元氣得途順、不是生元
3 氣乎、假令如人自東過西、中途有姧賊碍之、人不能
4 過、有傍觀者、追退彼姧賊、則人安而過、當知過途
5 人、是正氣也、碍之姧賊者、是邪氣也、追退彼姧賊
6 者、是針也、君不見耶、針有四法、其一曰、迎随、是針
7 有補有瀉之證也、何謂偏無補乎、予曰、我儂雖
8 非毉、以多病為保養、閑暇之日、時〃把毉家之
9 書、讀而知針藥不相去、古所謂毉者必通三世之書矣、
10 以此語見、則何偏取藥而捨針乎、所謂三世書者、黄帝
11 針灸經、神農本草、岐伯脉訣也、脉設察証、本草辨
12 藥、針灸祛疾、非是三者、不足言醫、以此意見、則針是
13 醫家之要具也、今呼施藥者、曰醫師、而呼刺針者、不曰毉
14 師、寔可笑哉、藥治云、灸治云、針治云、豈治病者非醫乎、
15 為醫師謗針、如武士謗兵刀、國有姧賊、則用兵刀、人有疾病、
16 則用針藥、假令藥者如智仁、針者如兵、表智仁、裏兵
17 則剛柔備、而國豈不治乎、表薬裏針、強弱兼而疾寧
18 不愈乎、凡人之經十二、各經有五穴、曰井栄兪經合、是也、五而十
19 二、則六十穴也、是針之要穴也、針灸穴、一身三百六十穴、其所
20 針之要穴六十穴、又其要者二十四穴也、腑病、依各經、刺其經之
21 兪、臓病、依各經、刺其經之合、是十二兪、十二合、并二十四穴
22 是也、兪是各經之本原也、故又名原穴、某經有病、則刺
23 其經之原穴、而治之、某經實者瀉之、虚者補之、
24 素問曰、〔瀉〕必用方、補必用圓、客曰、方圓之義、如何、
25 予曰、方者、氣方盛之方字也、是見氣方盛迎
26 之刺、而抜氣之實、故曰、瀉用方、圓者行也、移也、行不宣
27 之氣、移未復之脉也、行不宣、移未復而済之、是
28 扶助虚氣、而補之也、迎随之義也、假令足三
29 陽經、從頭至足、以刺針人指、摩上經脉、而針鋩
30 向於上、逆經脉之進、而刺之、抜其實、是迎而奪義
31 也、又以刺人指、摩下經、而針鋩向下、随經脉後、刺
32 其虚氣、是随而済之義也、虚而脉滯不移、故随
33 後刺而令脉移、令氣宣也、假令如牛労而車不移、
34 人随後推其輪、而戮力於牛、以移車也、是随之義也
35 經脉自子至午、自午至子、陰陽上下之分可考矣、今也
36 舉其麁而已、猶此深思惟針者、奪實済虚、以調經脉者也、
37 經脉??……(この行、写真に写るのは右端二、三割のみ)
写真3段目
1 数十日、針損藏府、膿潰而死者、見一兩人、世間幾人如此乎、
2 諸經脉皆在外、針入裏、無其用、依其穴、針入二分、或二分半、三
3 分、各有分、故往昔周身三百六十穴、針亦有三百六十本、而
4 刺其經、以某針、夫針刺者、能知之、容易不可深刺、而不損
5 為損、不傷生傷、抑悦之所刺之針者、本邦針家之祖、
6 無分之末流也、病在頭、亦於腹刺、在脚亦於腹刺、一身之病都
7 於腹刺、其刺有次序、諸病先刺臍下一穴、是腎間動氣、
8 十二經根本也、刺之以刧元氣、而後據散針法、不拘經穴、刺
9 邪之所在、開元氣巡途、而令通、則氣順、〃〃則痰順、〃
10 〃則熱散、〃〃則風内消、況又氣順則血活、〃〃潤生、〃〃則精
11 液生、〃〃則神内立、盖針之成功如此、客曰、古人以刺満身
12 不為好、以兪原為好、以刺腹、不為好、以刺四肢、為妙手、是只恐
13 中藏府也、今悦云刺腹、其義難辨、予曰、縱刺兪原、亦刺
14 四肢、不得意、則不可也、雖刺腹、得意而刺、則可也、古人禁刺腹
15 之意者、其在針深入損藏府也、所謂中臓腑、則不立死、
16 則為害、非者是也、悦之所刺、針鋩止皮裏膜外、而不入藏
17 府、入藏府、則針無功、其故如何、四氣外感之熱、七情内傷
18 之火薫蒸、而肓膜乾枯、膜外如長夏濕熱、汗多、而垢之積身、
19 又如竈上之煤、又如寒嚴而霜之浮木葉、況又乾枯如皷皮、
20 急張故、膜沈而着裏、押藏府、絶元氣之途、當此時、氣留
21 滯而起諸病、悦之所刺、以針鋩、投膜外、使之柔和、則氣之
22 途開、〃〃則血亦順、血順、膜得潤、彌柔也、故病無所滯、人多
23 刺針、無此趣、針入藏府、為傷、悦之所刺、如今予陳、雖刺腹、
24 有何所恐乎、客曰、見内經云、熇〃熱、渾〃脉、漉〃汗、大労、大飢、
25 大渇、新飽、大驚等、皆無刺、又形氣不足、病氣不足、此陽
26 陰皆不足也、不可刺之、〔刺之則〕重竭其氣、老者絶滅、壯者
27 不復矣、予曰、悦之所刺之針、不管内經件之語、刺經脉之
28 針者、抜奪脉中之氣、故皆恐之、悦之所刺者、除經脉之
29 処、刺柔膜之一德也、扁鵲之抓膜之儀、幾之而已、或人
30 言焉

31  元和五年九月書于病床上  桑宿宗彭


 読み下し (原文には送りがな、返り点がついてそれにできるだけ従うが、写真が不鮮明 で不明なところあり、一部推定による。)
1 粤(ここ)に針を刺すを業とする人有り。其の名を悦と曰ふ。予、初秌中浣自り、瘧疾を患い、
2 仲秌に及んで、病漸く退くも、猶お餘熱、裡(うち)に留まりて薫蒸するが若く、則ち其の火を
3 皮裏膜外に禀け、元氣の途を塞ぎ、頑痰を為し、瘕癖を為し、異證
4 交ごも出で、則ち治し難きに當る。故に悦をして針穴に刺して、而して滯を除き塞を開き、通
5 氣を流さしむ。悦云う、一日語りて曰く、我れ深く針を窮めずと雖も、聊か其の旨有り。當に聞く、
6 真毉は未だ之を言はず、俗毉多く曰く、針するときは氣力衰ふ、病人に宜しからずと。
7 我れ未だ針して氣力衰ふる者を知らず。夫(そ)れ人病むは、邪氣勝って正
8 氣負く。蓋し針は邪氣を却け、元氣を生ずる者なり。豈に針して
9 氣力衰ふると謂はんや。我れ俗毉の云ふ所の意旨を窺ひ見るに、只だ針は忍痛の
10 労有り。是(ここ)を以て、針するときは氣力衰ふと曰ふ。聊か針經を明めて、以て之を謂ふに非ず。誠に是れ俗
11 説なり。信ずるに足らざるのみ。然りと雖も、世人の能く信ずる所の者は、俗説なり。能く
12 信ぜざる所の者は、至言なり。之を論ずるに益無し。蓋し針に痛の性無し。痛
13 不痛は、刺す者の能不能に依らん。若し妙手を得ば、何ぞ忍痛の労を取らん
14 や。能く刺す者は、肉を傷(やぶ)らずして能く病に中(あ)たる。抑(そも)そも針其の來たるや尚(ひさ)しいかな。寧ろ一人の
15 不能を以て、永く万世の針法を弃(す)てんや。世間の毉を称する者、病を治せずして、人を殺す者
16 多し。然りと雖も、寧ろ一人の俗毉を以て、万世の毉道を弃てんや。予、之を聞きて曰く、
17 誠なるかな斯の言。針に忍痛の労有るは、刺す者の不能なり。啻に
18 針のみに匪ず、藥に於いて亦た然らんや。毉の好悪に依りて、藥の人を殺す、又た針に過ぎん。若し好手に逢ふときは、
19 針藥共に病を治す。悪手に逢ふときは、針藥共に人を殺す者なり。何ぞ獨り
20 針に於いて其の害を論ぜんや。郢斤、堊を削って鼻端の肉を侵さず。庖丁、
21 牛を解いて肯綮に及ぶ。針に於いて豈に異ならんや。時に座客有り。曰く、曽て聞く針に/有り……

  写真2段目(一段目の次に連続していないであろう)
1 針經に……補の義に宜し、誰か之を知らざるや。客曰く、針して元氣を生ずるの義、如何。
2 悦曰く、有餘を刺して病を除けば、則ち元氣、途を得て順(めぐ)る。是れ元
3 氣を生ずることならずや。假令(たとえ)ば人、東自り西過ぎるが如し。中途に姧賊有りて之を碍(さまた)げ、人
4 過る能わず。傍觀の者有り、彼の姧賊を追退するときは、人安んじて過ぐ。當に知るべし、途を過る
5 人は、是れ正氣なり。之を碍ぐる姧賊は、是れ邪氣なり。彼の姧賊を追退する
6 者は、是れ針なり。君見ずや。針に四法有り。其の一に迎随と曰ふ。是れ針に
7 補有り瀉有るの證なり。何ぞ偏(ひと)へに補無しと謂はんや。予が曰く、我儂(われ)、
8 毉に非ずと雖も、多病なるを以て保養を為す。閑暇の日、時々毉家の
9 書を把(と)り、讀みて針藥相去らざることを知る。古(いにしへ)に所謂(いはゆる)毉は必ず三世の書に通ずと。
10 此の語を以て見るとき(則)は何ぞ偏へに藥を取りて針を捨てんや。所謂三世書といふ者は、黄帝
11 針灸經、神農本草、岐伯脉訣也。脉設〔訣の誤字か〕は証を察し、本草は
12 藥を辨じ、針灸は疾を祛(のぞ)く。是の三の者に非ざれば、醫を言ふに足らず。此の意を以て見るとき(則)は、針は是れ
13 醫家の要具なり。今、藥を施す者(ひと)を呼んで、醫師と曰って、針を刺す者(ひと)を呼んで、毉
14 師と曰はず。寔に笑ふ可きかな。藥治と云ひ、灸治と云ひ、針治と云ひ、豈に病を治す者(もの)、醫に非ざらんや。
15 醫師と為(し)て針を謗るは、武士の兵刀を謗るが如し。國に姧賊有るとき(則)は、兵刀を用ゐ、人に疾病有るとき(則)は、
16 針藥を用ゆ。假令(たとへ)ば藥は智仁の如し。針は兵の如し。智仁を表とし、兵を裏とするとき(則)は、
17 剛柔備りて、國、豈に治まらざらんや。薬を表とし針を裏とせば、強弱兼ねて疾寧ろ
18 愈ゑざらんや。凡そ人の經十二、各經、五穴有り。井栄兪經合と曰ふ。是れなり。五にして十
19 二なるとき(則)は、六十穴なり。是れ針の要穴なり。針灸穴、一身に三百六十穴。其れ
20 針する所の要穴六十穴なり。又た其の要なる者、二十四穴なり。腑の病には、各經に依りて、其の經の
21 兪を刺し、臓の病には、各經に依りて、其の經の合を刺す。是れ十二兪、十二合、并せて二十四穴、
22 是れなり。兪は是れ各經の本原なり。故に又た原穴とも名づく。某(そこ)の經に病有るとき(則)は、
23 其の經の原穴を刺して、之を治す。某(そこ)の經、實すれば之を瀉し、虚すれば之を補ふ。
24 素問曰く、瀉には必ず方を用ゆ。補には必ず圓を用ゆ。客曰く、方圓の義、如何(いかん)。
25 予曰く、方とは、氣の方(まさ)に盛んならんの方の字なり。是れ氣の方に盛んならんを見て、
26 之を迎へて刺して、氣の實を抜く。故に曰く、瀉には方を用ゆなり、圓には行なり、移なり、宣(の)びざる
27 の氣を行(めぐ)らし、未だ復せざるの脉を移すなり。宣びざるを行(めぐ)らし、未だ復せざるを移して之を済(すく)ふ。是れ
28 虚氣を扶助して、之を補ふなり。迎随の義なり。假令ば足三
29 陽の經、頭從り足に至る。針を刺す人の指を以て、經脉を摩(す)り上げて、針鋩を
30 上を向けて、經脉の進みに逆ひて、之を刺して、其の實を抜く。是れ迎へて奪ふの義なり。
31 又た刺す人の指を以て、經を摩り下(くだ)して、針鋩を下に向け、經脉の後に随ひて、
32 其の虚氣を刺す。是れ随ひて之を済の義なり。虚して脉滯りて移らず。故に
33 後に随ひて刺して脉をして移さしめ、氣をして宣べしむるなり。假令ば牛、労して車移らざるを、
34 人、後に随ひて其の輪を推(お)して、力を牛に戮(あは)せて、以て車を移すが如きなり。是れ随の義なり。
35 經脉は子自り午に至り、午自り子に至る。陰陽上下の分、考ふ可し。今や
36 其の麁を舉ぐるのみ。猶ほ此れ深く思惟せば、針は、實を奪ひ虚を済ひて、以て經脉を調ふる者ならん。
37 經脉??……(この行、写真に写るのは右端二、三割のみ)

写真3段目
1 数十日、針、藏府を損じて、膿潰して死する者、一兩人を見る。世間幾人、此の如きか。
2 諸經脉は皆な外に在り。針、裏に入れば、其の用無し。其の穴に依りて、針入るること二分、或いは二分半、三
3 分、各おの分有り。故に往昔は周身三百六十穴、針亦た三百六十本有りて、
4 其の經を刺すに、某針を以てす。夫れ刺を針す者、能く之を知れ。容易にして深く刺して、不損に
5 損を為し、不傷に傷を生(な)す可からず。抑(そもそ)も悦が刺す所の針は、本邦針家の祖、
6 無分の末流なり。病、頭に在るも、亦た腹に於いて刺し、脚に在るも亦た腹に於いて刺す。一身の病都(すべ)て
7 腹に於いて刺す。其の刺に次序有り。諸病、先づ臍下の一穴を刺す。是れ腎間の動氣にして、
8 十二經の根本なり。之を刺して以て元氣を刧(おびやか)して、後に散針の法に據りて、經穴に拘らず、
9 邪の所在に刺して、元氣の巡途を開きて、通ぜしむるとき(則)は、氣順(めぐ)る。氣順るとき(則)は、痰順る。痰
10 順るとき(則)は、熱散ず。熱散ずるとき(則)は、風、内に消ず。況んや又た氣順るとき(則)は血活す。血活するときは潤い生ず。潤い生ずるとき(則)は、精
11 液生ず。精液生ずるとき(則)は、神、内に立つ。盖し針の功を成すこと此の如し。客曰く、古人、満身に刺すを以て
12 好しと為さず。兪原を以て好しと為す。腹を刺すを以て、好しと為さず。四肢を刺すを以て、妙手と為す。是れ只だ
13 藏府を中(やぶ)(中(あた))らんことを恐るるならん。今ま悦云ふ、腹に刺すと。其の義、辨じ難し。予曰く、縱(たと)ひ兪原に刺し、亦た
14 四肢に刺すも、意を得ざるとき(則)は、不可なり。腹に刺すと雖も、意を得て刺すとき(則)は、可なり。古人、腹を刺すを禁ずる
15 の意は、其れ針深く入りて藏府を損するに在るなり。所謂(いはゆる)臓腑を中るとき(則)は、立ちどころに死せざるも、
16 害を為す。非なる者は是(ゼ)なり。悦が刺す所は、針鋩、皮裏膜外に止まりて、藏
17 府に入れず。藏府に入るとき(則)は、針に功無し。其の故如何(いかん)となれば、四氣外感の熱、七情内傷
18 の火薫蒸して、肓膜乾枯し、膜外、長夏の濕熱に汗多くして、垢の身に積むが如し。
19 又た竈(かまど)の上の煤の如し。又た寒嚴にして霜の木葉に浮くが如し。況んや又た乾枯すれば皷皮の如く、
20 急張するが故に、膜沈みて裏に着きて、藏府を押さへ、元氣の途を絶つ。此の時に當たりて、氣留
21 滯して諸病を起こす。悦が刺す所は、針鋩を以て、膜外に投じ、之をして柔和ならしめんとき(則)は、氣の
22 途開く。途開くとき(則)は、血も亦た順(めぐ)る。血順るときは、膜、潤いを得て、彌いよ柔らかなり。故に病滯る所無し。人多くは
23 針を刺して、此の趣無し。針、藏府に入りて、傷を為す。悦が刺す所は、今ま予が陳ふるが如し。腹を刺すと雖も、
24 何の恐るる所か有らんや。客曰く、内經を見るに云ふ、熇熇の熱、渾渾の脉、漉漉の汗、大労、大飢、
25 大渇、新飽、大驚等、皆な刺すこと無れ、と。又た形氣不足、病氣不足、此れ陽
26 陰皆な不足なり。之を刺す可からず。〔之を刺すときは〕重ねて其の氣を竭し、老者は絶滅し、壯者は
27 復せず、と。予曰く、悦が刺す所の針は、内經件(くだん)の語に管(か)ねず。經脉を刺すの
28 針は、脉中の氣を抜奪す。故に皆な之を恐る。悦が刺す所は、經脉の
29 処を除き、柔膜を刺すの一德のみ。扁鵲の抓膜の儀、之に幾(ちか)きのみ。或る人
30 焉(これ)を言ふ。

31  元和五年九月書于病床上  桑宿宗彭

【注釋】
○1 粤:文のリズムを整えることば。無義。 ○秌:「秋」の異体字。初秋は旧暦の七月。 ○中浣:中旬。 ○瘧疾:マラリア、腎盂炎など、間歇性の高熱、悪寒戦慄などの症状を呈す。 ○2仲秌:旧暦の八月。 ○若猶:誤読の可能性あり。 ○裡:「裏」の異体字。うち。 ○薫蒸:熱気が溢れて上昇する。 ○禀:「稟」の異体字。 ○6毉:「醫」の異体字。 ○15弃:「棄」の異体字。 ○20郢斤削堊而不侵鼻端之肉:『莊子』徐無鬼:「莊子送葬、過惠子之墓、顧謂從者曰:郢人堊慢其鼻端若蠅翼、使匠石斲之。匠石運斤成風、聽而斲之、盡堊而鼻不傷、郢人立不失容。宋元君聞之、召匠石曰:嘗試為寡人為之。匠石曰:臣則嘗能斲之。雖然、臣之質死久矣。自夫子之死也、吾無以為質矣、吾無與言之矣。」/堊:壁の塗装に使われる白土。 ○庖丁解牛而及肯綮:『莊子』養生主:「庖丁為文惠君解牛、手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音。合於《桑林》之舞、乃中《經首》之會。文惠君曰:譆!善哉!技蓋至此乎?庖丁釋刀對曰:臣之所好者道也、進乎技矣。始臣之解牛之時、所見無非牛者。三年之後、未嘗見全牛也。方今之時、臣以神遇、而不以目視、官知止而神欲行。依乎天理、批大郤、道大窾、因其固然。技經肯綮之未嘗、而況大軱乎!良庖歲更刀、割也、族庖月更刀、折也。今臣之刀十九年矣、所解數千牛矣、而刀刃若新發於硎。彼節者有間、而刀刃者無厚、以無厚入有閒、恢恢乎其於遊刃必有餘地矣、是以十九年而刀刃若新發於硎。雖然、每至於族、吾見其難為、怵然為戒、視為止、行為遲。動刀甚微、謋然已解、如土委地。提刀而立、為之四顧、為之躊躇滿志、善刀而藏之。文惠君曰:善哉!吾聞庖丁之言、得養生焉。」 
  写真2段目
○9所謂毉者必通三世之書:明・宋濂『贈醫師葛某序』:「古之醫師必通于三世之書、所謂三世者、一曰針灸、二曰神農本草、三曰素女脈訣」。『禮記』曲禮/卷五:「醫不三世不服其藥」。孔穎達疏:「又說云、三世者、一曰黃帝針灸、二曰神農本草、三曰素女脈訣」。「岐伯脉訣」は未詳。 ○脉設:「訣」の誤りであろう。 ○18井栄兪經合:『難経』六十八難を参照。 ○20腑病、依各經、刺其經之兪、臓病、依各經、刺其經之合:『素問』欬論(38)「治藏者治其兪、治府者治其合」。 ○22兪是各經之本原也、故又名原穴:六十六難を参照。 ○某經實者瀉之、虚者補之:『素問』厥論(45)「盛則寫之、虚則補之」など。 ○24 素問曰、〔瀉〕必用方、補必用圓:『素問』八正神明論(26)「寫必用方……補必用員」。 ○30 是迎而奪義:『霊枢』九針十二原(01)を参照。 ○是随而済之義:『霊枢』九針十二原(01)を参照。 ○36 麁:「麤」「粗」の異体字。
37 經脉??……(この行、写真に写るのは右端二、三割のみ)
写真3段目
○05 本邦針家之祖、06 無分:「夢分」「無賁」とも。もと禅僧であったという(『鍼道秘訣集』序)。『日本腹診の源流-意仲玄奥の世界-』を参照。腹部に打鍼を行う。 ○07 是腎間動氣、08 十二經根本也:『難経』八難を参照。 ○10潤生:「潤」の上、「則」字を脱するか。 ○12 兪原:兪穴、原穴。四肢の肘・膝より下部にある。 ○13 中藏府:「中」の添え仮名は「ヤフラン」か?「府」の送り仮名は「ヲ」。 ○15 中臓腑、則不立死:『素問』診要経終論(16)「凡刺胸腹者、必避五藏、中心者、環死、中脾者、五日死、中腎者、七日死、中肺者、五日死、中鬲者、皆爲傷中、其病雖愈、不過一歳必死」。 ○17 四氣:四季。 ○外感:風寒暑湿の外から侵入する病。 ○七情:喜、怒、憂、思、悲、恐、驚の七種類の精神状態。 ○内傷:外感と対となる概念。心労、飲食の不摂生などによる病症。 ○18 肓膜:『素問』痺論(43)「衞者、水穀之悍氣也……其氣熏於肓膜、散於胸腹」。王冰注「肓膜、謂五藏之閒鬲中膜也。以其浮盛、故能布散於胸腹之中、空虚之處、熏其肓膜、令氣宣通也。」 ○長夏:『素問』蔵気法時論(22)「脾主長夏」。王冰注「長夏、謂六月也。」 ○19 皷:「鼓」の異体字。 ○20 急張:ぴんと張った状態。 ○24 内經云、熇〃熱、渾〃脉、漉〃汗:『素問』瘧論(35)「無刺熇熇之熱、無刺渾渾之脉、無刺漉漉之汗」。 ○大労、大飢、25 大渇、新飽、大驚:『素問』刺禁論(52)「無刺大勞人、無刺新飽人、無刺大饑人、無刺大渇人、無刺大驚人」。 ○形氣不足……:『霊枢』根結(05)「形氣不足、病氣不足、此陰陽氣倶不足也、不可刺之、刺之則重不足、重不足、則陰陽倶竭、血氣皆盡、五藏空虚、筋骨髓枯、老者絶滅、壯者不復矣」。なお以上の引用元は、明・虞摶『医学正伝』(一五一五年)医学或問(二十三条)と思われる。 ○29 扁鵲之抓膜:『史記』扁鵲伝「因五藏之輸、乃割皮解肌、訣脉結筋、搦髓腦、揲荒爪幕」。 ○儀:「義」と同じ。 ○31  元和五年:一六一九年。 ○桑宿宗彭:沢庵(道号)。桑宿も号のひとつ。/安土桃山~江戸初期の禅僧。名は宗彭(そうほう)。但馬(たじま)国の人。大徳(だいとく)寺宗園(そうえん)に参じ、1605年大徳寺首座となり、堺の南宗(なんしゅう)寺に住す。 (1573-1645) マイペディア。

2010年9月14日火曜日

『難経集注』

竹内実『新版 中国の思想』(日本放送協会,1999年1月初版),96~97ページに,図を載せ,「図はいずれも『難経集注』からとった。古代の名医・扁鵲の著と称される医学書『難経』の註釈である。散佚していたのを,明代に集めたものという」とある。
この説明にある『難経集注』は「散佚していたのを,明代に集めたもの」というのは,正しいのでしょうか? また,この説の根拠はどこにあるのでしょうか?

2010年8月18日水曜日

考えすぎ

峰潔(大村藩士,文久二年に上海へ渡航)の『清国上海見聞録』(『幕末明治中国見聞録集成』第11巻所収)に次のような一節がある。

豹ノ一班(ママ)ヲ見テ其ノ全体ヲ見サレハ固ヨリ其美ヲ知ルコト能ハス。然レトモ名医ハ一手ノ脉ヲ察シテ心腹ノ病ヲ知ル。抑清国ノ病ハ特ニ腹心ニアルノミナラス,面目ニアラワレ,四躰ニアフレ,一指一膚モ痛マサル所ナキナリ。……

大清帝国の末期を目の当たりにして,上海という帝国の一部を見て全体の状態を表現するのに,脈診をたとえとしている。

こういう文章を目にすると,ついコンテキストを忘れて,ここでの「膚」は「はだ」のことではなく,「夫」「扶」とも表記されて,指四本の幅のことで,『備急千金要方』に出ていたのだろうか,などと,思考がどんどん横道にそれて行ってしまう。

冷静に読み直せば,「一本の指,一片の皮膚」という意味であるはずなのだが,いろいろなバイアスが交錯して,素直に読み進めない。

2010年8月16日月曜日

简明汉英黄帝内经词典

简明汉英黄帝内经词典
人民衛生出版社

値段が記載されていないし、ネットの他の書店では見つからないので、これから発売なのかも知れません。


「詞典」が「辞典」となっていますが、内容からして、以下がその序文でしょう。

梅德明教授序《汉英<黄帝内经>辞典》


李鼎教授によれば「近万条」の詞語があるそうです(雑誌『中医薬文化』2010年第4期)。

編者の李照国教授には、中医基本名词术语英译国际标准化研究という著書もあります。

2010年8月14日土曜日

荻生徂徠が老中の死期を的中させた話

曲直瀬道三が,旅の途中,新井(新居)宿の人々の脈を診て,災害(山崩れ)を予見した話は,『鍼道秘訣集』で有名だが,以下は,徂徠が老中の死期を語ったエピソード。

徂徠は,松平保山(柳沢吉保の引退後の号)に,江島生島事件に厳しい裁定を下した月番老中,秋元喬知(たかとも)但馬守について,次のように語ったという。

但馬守は,将軍四代にも渡って政を執り行い,名人と呼ばれていたが,「この年九月は秋元侯にハ御死去可被成候,そのわけハ久しくあやまちなき御政事になれ給ひたる御事なれば,此度の評定さばき大造(たいそう)過たる事ハ,必ず御後悔可有候,さりなから,夏のうちハ陽分に候得バ,人の気も淋しからぬ時なれば,さして御病気も出まじく候,九月ハ粛殺の頃なれバ,此時に至りて数拾年の勤方も出,此度の御後悔も出会て,御病気づかれ候ハヽ゛,御平愈あるまじく」と。

徂徠は,大奥での事件に関しては,『周礼』を持ち出して,「宮中の官女の姦犯の罪を聞さバき候にハ,もの静なる物かげにて密に糺明するもの」とし,「そのうへ女の科は天下へ懸りたる謀叛がましき事ハ先ツまれなり」としている。

さて,これを聞いた保山は「うらや算〔占い,易者〕にてはあるまじとて御笑」になったが,「果してその九月御死去あり」と。
 吉田豊著『大奥激震録』(柏書房)に影印される,錦洞館旭岱子著『墨海山筆』巻十五より

2010年8月11日水曜日

三木栄博士が紹介した詩句

崔光守博士がホジュン(許浚)に向けたという詩句
(『伝統鍼灸』第37巻第1号から孫引き)

不患人不敬
唯患身不修
不患家不昌
唯患徳不積
不患人不信
唯患心不誠

おそらく、次のような意味であろう。

人の敬わざるを患(うれ)えず    他人(ひと)から尊敬されないことは気にしなかった
唯だ身の修めざるを患うるのみ   ただ身を修めていないことをのみ問題にした
家の昌(さか)えざるを患えず    家が豊かにならないことは気にしなかった
唯だ徳の積まざるを患うるのみ   ただ徳を積んでいないことをのみ問題とした
人の信ぜざるを患えず        他人(ひと)から信頼されないことは気にしなかった
唯だ心の誠ならざるを患うるのみ  ただ誠心誠意でないことをのみ問題とした

崔光守博士の念頭には、『論語』学而にある「子曰:不患人之不己知,患不知人也。」があったのかもしれない。
ただ,韻を踏んでいるようには見えないので,「詩句」と言えるかどうかも,疑問ではある。

2010年7月15日木曜日

徐文伯

『鍼灸資生經』卷一・足太陰脾經左右二十二穴の三陰交に:
昔宋太子善醫術,出苑逢一妊婦,太子診曰女。令徐文伯診,曰一男一女。鍼之,瀉三陰交,補合谷,應鍼而落,果如文伯言。故妊娠不可刺。
これだけだと,徐文伯が腕前をひけらかすために,不仁の行いをしたと読まれかねない。
ところが,『南史』卷三十二・列傳第二十二には:
宋後廢帝出樂遊苑門,逢一婦人有娠,帝亦善診,診之曰:「此腹是女也。」問文伯,曰:「腹有兩子,一男一女,男左邊,青黑,形小於女。」帝性急,便欲使剖。文伯惻然曰:「若刀斧恐其變異,請針之立落。」便寫足太陰,補手陽明,胎便應針而落。兩兒相續出,如其言。
これだって,もうちょっと何とかできなかったのかと思われそうだけど,南朝宋の後廢帝・劉昱というのは,とんでもない暴君で,本紀において「天性好殺,一日無事,輒慘慘不樂」とまで書かれています。まあ,限界だったんでしょう。
もっとも『通玄指要賦』では,「文伯瀉死胎於陰交,應針而殞」になっています。これだと死んだ胎児が腹中に留まっているのを処理したという印象ですよね。体裁良く整えられています。