2011年2月16日水曜日

27-8 經脈藥註

27-8 『經脈藥註』
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經脈藥註』(ケ-60)
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27所収
  一部、虫損で難読。
  (跋)
予意一汗一下以經而分一宣一導因經而異
 故寒熱温涼及補瀉引嚮非因經而分之則
 繕生救死之功殆鮮矣是以先詳乎經脉之
 所歴而後以各經主藥附之以三書同異麤
 述其意使初學者分經施治則庶幾不誤焉
 又奇經八脉主藥引嚮先哲已忘言非闕歟
 故是亦推以述大槩然綴學以欲補闕未知
 養生之士爲一具否抑恐爲覆瓿
旹寛文九己酉季壯月初二 雒宜春菴玄醫書

予意(おも)えらく、一汗一下、經を以て而して分つ。一宣一導、經に因りて而して異(こと)にす。
 故に寒熱温涼及び補瀉引嚮、經に因りて之を分つに非ざれば、則ち
 生を繕(おさ)め死を救うの功、殆ど鮮(すく)なし。是(ここ)を以て先ず經脉の
 歴(へ)る所を詳らかにし、而る後に各經の主藥を以て之に附す。三書の同異を以て麤(あら)々
 其の意を述べ、初學者をして經に分かち治を施さしめば、則ち誤らざるに庶幾(ちか)からん。
 又た奇經八脉の主藥引嚮は、先哲已に言を忘れて闕するに非ざる歟(か)。
 故に是れも亦た推して以て大槩を述ぶ。然して學を綴り、以て闕を補わんと欲す。未だ
 養生の士の一具と爲るや否やを知らず。抑(そも)々覆瓿と爲るを恐る。
旹は寛文九己酉季壯月初二 雒の宜春菴玄醫書す

   【注釋】
○汗・下・宣・導:いずれも治法。汗は腠理を開いて、発汗を促進させ、病邪を肌表から汗とともに解する治法。/下は、大便を瀉下することにより、下焦に停留する宿食・瘀血などの実邪を体外に排出する治法。/宣は、邪気を発散し、欝滞を疏通させる治法。/導は、気を特定の経絡に誘導することであろう。 ○寒熱温涼:それぞれ治法。 ○補瀉引嚮:それぞれ治法。嚮は、導く。 ○繕:治める。 ○三書:未詳。本文から推定するに、龔廷賢『万病回春』、楊祟魁『本草真詮』、李中梓『頤生微論』か。 ○麤:「粗」の異体字。 ○先哲:古代の賢人。 ○覆瓿:重んずるほどの価値のない著述。また、自分の著述の謙称。著述などが世間に広まらず、その書物でかめのふたをする。『漢書』揚雄傳「時有好事者載酒肴從游學、而鉅鹿侯芭常從雄居、受其『太玄』、『法言』焉。劉歆亦嘗觀之、謂雄曰、空自苦。今學者有祿利、然尚不能明『易』、又如『玄』何。吾恐後人用覆醬瓿也」。 ○旹:「時」の異体字。 ○寛文九己酉:西暦一六六九年。 ○季:原文は「子」の部分が、「了」となっているが、「季」と判断した。ここでは「年」の意か。 ○壯月:陰暦八月。 ○初二:二日。陰暦では、毎月一日から十日までをみな上に「初」字を冠する。上旬の意。 ○雒:字形および名古屋玄医著『閲甫食物本草』などから推定。雒邑、京都の意。 ○宜春菴玄醫:名古屋玄医(1628~96)。玄医は京都の人で、字は閲甫・富潤、号は丹水子・宜春庵・桐渓。(『日本漢方典籍辞典』)

2011年2月14日月曜日

27-5 意斉流針秘伝

27-5 意斉流針秘伝
          東京国立博物館所蔵『意斉流針秘伝』(二六五〇)
          オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻所収
 「斉」字は、題箋によるのであろう。「齋」と「齊」の草書体が混在する。一部の文字の判読に疑念あり。

意齋流印可状
意齋流之針貴殿連之御執心不淺依
在鍛錬藝右家傳秘法毛頭不淺置令
傳受畢然其補瀉迎隨太極之中此三
ケ之大事御中之故無意之儀(ギ)免与之
處以來執心之仁於有之堅無相極
神文可在御相傳也然免状之儀ニ依
爲家之法度右之三ケ之大事不中
則鍛經數年後御免在間敷者也仍印
可状如件
慶安四年〔卯〕九月吉日
           村上休弥
             重高
           雪礀居士
             宗好

  【訓み下し】
意齋流印可状
意齋流の針、貴殿之に連なり御執心淺からず、依って
藝を鍛錬するに在って、右の家傳の秘法、毛頭置くこと淺からず、
傳受せしめ畢わんぬ、然れば其の補瀉・迎隨・太極の中、此の三
ケの大事、御中の故無き意の儀(ギ)免じて之を与うる
處、以來執心の仁、之れ有るに於いては堅く相極め無く
神文在る可く御相傳するなり。然れば免状の儀に依り、
家の法度と爲す右の三ケの大事、中らずんば
則ち鍛えて數年を經て後も御免在る間敷(まじき)者なり、仍って印
可状、件(くだん)の如し
慶安四年〔卯〕九月吉日
           村上休弥
             重高
           雪礀居士
             宗好

2011年2月12日土曜日

27-3 針治諸虫論圖

27-3針治諸虫論圖
           国会図書館所蔵(す-106)
           オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻所収
 前半、基本的に訓点にしたがう。後半には訓点なし。
 
  (奥書)
右針書雖有世間數
多此云無自余我一
代之雖爲取領後
代在誰歟相續
之式一人之小息
傳可置者也
秘〃努〃不可有他
言申間敷者也猶
不審之事候者重而
可承候也変著最後
之卷一部是也

  【訓み下し】
右、針書(ハリシヨ)、世間に數(ス )多(タ)有りと雖も
此に云う自(ヲノズカ)ら余に無し。我が一
代の取領(シヨリヤウ)爲(タ)りと雖も、後
代、誰歟(カ)在って、相續
の式一人の小息(シヤウソク)
傳え置く可き者なり。
秘〃(ヒスベシヒスベシ)。努〃(ユメユメ)他言有る可からず。
申す間敷者(マジキモノ)なり。猶お
不審の事候らわば、重ねて
承る可き候なり。変著(ヘンヂヤク)最後
の卷(マキ)一部、是(コレ)なり。


  〔継ぎ紙〕
凡當流死蘇者四百一病
平治◆三國無羽針篇
鵲一代鍼外山上伊与守
當住者也 仍如件
      池田左次兵衛
元和二年
 二月吉日
肥後國浪散人
  大津山左兵衛殿

  【訓み下し】
凡そ當流、死を蘇らす者(こと)四百一病、
平治◆の針、三國無羽針篇
鵲一代鍼の外、山上伊与守
當住の者也 仍って件(くだん)の如し
      池田左次兵衛
元和二年
 二月吉日
肥後國浪散人
  大津山左兵衛殿

 【注釋】
○四百一病:仏典に「四百四病」あり。 ○◆:「達」か。 ○三國無羽:三国無双か。 ○篇鵲:扁鵲。 ○伊与守:伊予(伊豫)守。 ○元和二年:一六一六年。 ○肥後:現在の熊本県に相当する地域。 ○浪散人: ○大津山左兵衛:

2011年2月11日金曜日

27-8 經脈藥註

27-8經脈藥註
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經脈藥註』(ケ-60)
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27所収
  一部、虫損で難読。
  (跋)
予意一汗一下以經而分一宣一導因經而異
 故寒熱温涼及補瀉引嚮非因經而分之則
 繕生救死之功殆鮮矣是以先詳乎經脉之
 所歴而後以各經主藥附之以三書同異麤
 述其意使初學者分經施治則庶幾不誤焉
 又奇經八脉主藥引嚮先哲已忘言非闕歟
 故是亦推以述大槩然綴學以欲補闕未知
 養生之士爲一具否抑恐爲覆瓿
旹寛文九己酉季壯月初二 雒宜春菴玄醫書

予意(おも)えらく、一汗一下、經を以て而して分つ。一宣一導、經に因りて而して異(こと)にす。
 故に寒熱温涼及び補瀉引嚮、經に因りて之を分つに非ざれば則ち
 生を繕(おさ)め死を救うの功、殆ど鮮(すくな)し。是(ここ)を以て先ず經脉の
 歴(へ)る所を詳らかにし、而る後に各經の主藥を以て之に附す。三書の同異を以て麤(あら)々
 其の意を述べ、初學者をして經に分かち治を施さしめば、則ち誤たざるに庶幾(ちか)からん。
 又た奇經八脉の主藥引嚮は、先哲已に言を忘れて闕するに非ざる歟(か)。
 故に是れ亦た推して以て大槩を述ぶ。然して學を綴り、以て闕を補わんと欲す。未だ
 養生の士の一具と爲るや否やを知らず。抑(そも)々覆瓿と爲るを恐る。
旹は寛文九己酉季壯月初二 雒宜春菴玄醫書

   【注釋】
○汗・下・宣・導:いずれも治法。汗は腠理を開いて、発汗を促進させ、病邪を肌表から汗とともに解する治法。/下は、大便を瀉下することにより、下焦に停留する宿食・瘀血などの実邪を体外に排出する治法。/宣は、邪気を発散し、欝滞を疏通させる治法。/導は、気を特定の経絡に誘導することであろう。 ○寒熱温涼:それぞれ治法。 ○補瀉引嚮:それぞれ治法。嚮は、導く。 ○繕:治める。 ○三書:未詳。本文から推定するに、龔廷賢『万病回春』、楊祟魁『本草真詮』、李中梓『頤生微論』か。 ○麤:「粗」の異体字。 ○先哲:古代の賢人。 ○覆瓿:重んずるほどの価値のない著述。また、自分の著述の謙称。著述などが世間に広まらず、その書物でかめのふたをする。『漢書』揚雄傳「時有好事者載酒肴從游學、而鉅鹿侯芭常從雄居、受其『太玄』、『法言』焉。劉歆亦嘗觀之、謂雄曰、空自苦。今學者有祿利、然尚不能明『易』、又如『玄』何。吾恐後人用覆醬瓿也」。 ○旹:「時」の異体字。 ○寛文九己酉:西暦一六六九年。 ○壯月:陰暦八月。 ○初二:二日。陰暦では、毎月一日から十日までをみな上に「初」字を冠する。上旬の意。 ○雒:字形および名古屋玄医著『閲甫食物本草』などから推定。雒邑、京都の意。 ○宜春菴玄醫:名古屋玄医(1628~96)。玄医は京都の人で、字は閲甫・富潤、号は丹水子・宜春庵・桐渓。(『日本漢方典籍辞典』)

2011年2月10日木曜日

27-2 管蠡草灸診抄

27-2管蠡草灸診抄
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『管蠡草灸診抄』(カ-300)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻
  ◆は、字形不明。

   (序)
竊尋疾醫之源神農甞百草以救万民之疾由是本屮
之學興黄帝問岐伯以察百病之素於此針灸之術始扁
鵲述難經以著經絡之行尓來診脉之妙分誠三世之用
心道之高大如天德之廣遠同地最三世之經所以載道
德而之後世加之累代名醫所編集至大明鼇峰道軒
訂古來傳寫之誤於日域哲醫所用之書精微要妙而粲
然矣然及愚昧之徒求而難知仍舉本草針灸診脉之端
◆而準先所綴管蠡備急方管蠡屮灸診抄尓云。

  【訓み下し】 (基本的に訓点にしたがってよむ)

竊(ひそ)かに疾醫の源を尋ぬるに、神農、百草を嘗めて、以て万民の疾を救う。是に由りて本草
の學興る。黄帝、岐伯に問い、以て百病の素を察す。此に於いて針灸の術始まる。扁
鵲、難經を述べ、以て經絡の行(めぐ)りを著す。爾來、診脉の妙分かつ。誠に三世の用
心、道の高大なること、天の如し。德の廣遠なること地に同じ。最も三世の經、道德を載せ、後世に之かしむ所以なり。加之(しかのみならず)累代の名醫編集する所、大明に至り、鼇峰の道軒、
古來傳寫の誤りを訂し、日域に於いて哲醫用いる所の書、精微要妙にして、粲
然たり。然れども愚昧の徒に及んでは、求むれども知り難し。仍りて本草針灸診脉の端◆を擧げ、
先に綴る所の管蠡備急方に準じて、管蠡草灸診抄と云う爾(のみ)。

  【注釋】
○疾醫:『周禮』天官に「疾醫」あり。 ○神農:伝説上、上古の帝王。はじめて農具をつくり、民に五穀を植えることを教え、農業を振興した。百草をなめて、はじめて方書をつくり、民の疾病を治療した。そのため農業、製薬の創始者とされる。 ○黄帝:上古の帝王、軒轅氏の称号。神農氏に取って代わり、天下の主となる。 ○屮:「草」「艸」の異体字。 ○岐伯:黄帝の臣。 ○扁鵲:春秋戦国時代の名医。姓は秦、名は越人。『史記』扁鵲倉公列傳を参照。 ○難經:秦越人の著書とされる。 ○爾來:その時から。 ○三世の經:『禮記』曲禮「醫不三世、不服其藥」。疏「説云、三世者、一曰黄帝針灸、二曰神農本草、三曰素女脉訣」。 ○累代:歴代。 ○鼇峰道軒:熊宗立(約1415年~1487年)。一名は均、字は道軒、自ら勿聴子と号す。建陽(福建省建陽県)のひと。鼇峰は鼇山ともいい、広東省龍川県にあり、宋代に鼇峰書院が創建された。熊宗立はここで講義および医業をしていた。『名方類證醫書大全』『勿聽子俗解八十一難經』が有名。 ○日域:太陽の出るところ。日本。 ○粲然:鮮明、はっきりしたさま。 ○◆:一字読めず。

2011年2月9日水曜日

異体字字典

『太素』の研究家に対しては,釈迦に説法ですが……
まず,異体字の字典としてリストを挙げますと
杉本つとむ編『異体字研究資料集成
以下の三つを含む
『宋元以来俗字譜』『龍龕手鏡(鑑)』『干祿字書』
そのほか,
『唐宋俗字譜 祖堂集之部』など。
また
を参照ください。
たぶん重複しますが……
「山喜房佛書林」で売っている。
などがありますが,いつも使っているのは,
有賀要延『難字・異体字典』(国書刊行会)
です。
関連書としては,
杉本つとむ『漢字百珍』 『異体字の世界
財前謙 『字体のはなし
この本でふれられている動用字
中国の碑文の俗字を研究した本がいくつかありますが,手元にあるのは,
唐碑俗字録』です。
PDFでもダウンロードできるようです。

2011年2月7日月曜日

27-1 續添要穴集

27-1續添要穴集
         静嘉堂文庫所蔵、丙-1-1
         オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻所収

續添要穴集上
竊以歧伯之爲天師焉悉顯灸穴之治軒
黄之授雷公矣始起明堂之名祖述是雖
遙聖言猶未朽方今及澆季之俗邪惡
之源弥深至暗昧之士攻療之道既疎若非三    ★弥:原文は「方+尓」
年艾火之功者爭蠲五神蔚氣之患乎
爰舊有要穴之抄不知誰家之撰予任
愚管之所窺粗補遺漏之所闕目曰續
添要穴集分爲兩卷常置此書於左右
可施此灸於貴賤縱不足靜淵之謀普將
翼貧野之病兾達大慈之懇府永及餘
慶於累門于時正安己亥無射甲辰散位
惟宗朝臣時俊撰

  【訓み下し】
續添要穴集上
竊(ひそ)かに以(おも)んみるに、歧伯の天師と爲りて、悉く灸穴の治を顯(あき)らかにし、軒
黄の雷公に授けて、始めて明堂の名起こる。祖述是れ
遙かなりと雖も、聖言猶お未だ朽ちず。方今、澆季の俗に及びては、邪惡
の源、弥(いよ)いよ深く、暗昧の士に至りては、攻療の道、既に疎なり。若し三
年の艾火の功に非(あら)ざれば、爭(いか)でか五神の蔚氣の患いを蠲(のぞ)かんや。
爰(ここ)に舊く要穴の抄有り。誰(た)が家の撰なるかを知らず。予、
愚管の窺う所に任せて、粗(あら)あら遺漏の闕(か)くる所を補い、目(なづ)けて續
添要穴集と曰い、分かちて兩卷と爲す。常に此の書を左右に置きて、
此の灸を貴賤に施す可し。
 縱(たと)い靜淵の謀(はかりごと)に足らずとも、普(あまね)く貧野の病を將(やしな)い翼(たす)け、
/縱(たと)い靜淵の謀(はかりごと)、普(あまね)く貧野の病を將(やしな)い翼(たす)くるに足らずとも、
 兾(こいねが)わくは大慈の懇府に達し、永く餘
慶を累門に及ぼさんことを。時に正安己亥、無射甲辰、散位
惟宗朝臣時俊撰す。

  【注釋】
○歧伯:岐伯。黄帝の臣。 ○天師:岐伯。『素問』上古天真論「黄帝……廼問於天師曰……岐伯對曰」。 ○軒黄:軒轅の丘に生まれたので、軒轅氏という。土徳により、黄帝という。 ○雷公:黄帝の臣。 ○明堂:天子がまつりごとを行う場所。医学では経穴に関する用語。 ○祖述:古人の行為などを信奉し、それにならう。 ○方今:当今。現在。 ○澆季:道徳や風俗が誠実でなくなった末世。澆、浅薄。季、末期。 ○三年艾:『孟子』離婁上「今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也」。 ○暗昧:愚昧。おろかな。 ○攻療:治療。 ○既:非常に。はなはだ。 ○爭:如何。反語。 ○蠲:清潔にする。除く。 ○五神:五蔵の神。五蔵。『老子』「谷神不神」。河上公注「神、謂五藏之神。肝藏魂、肺藏魄、心藏神、腎藏精、脾藏志。五藏盡傷、則五神去矣」。 ○蔚氣:病気。『淮南子』俶真訓「血脈無鬱滯、五藏無蔚氣」。高誘注「蔚、病也」。  ○爰:発語の辞。無義。於是。 ○抄:写本。抜き書き。注釈書。 ○愚管:愚かな考え。謙遜語。 ○粗:大ざっぱな。粗雑な。 ○目:呼ぶ。題目を付ける。 ○左右:近辺。手近。 ○貴賤:富貴のものと、卑賎なもの。あらゆるひと。 ○靜淵:心静かで考えが深い。『史記』卷一・五帝本紀:「靜淵以有謀、疏通而知事」。 ○謀:策略。考え。 ○將:養う。たすける。 ○貧野:貧しき在野のひとか。 ○兾:「冀」の異体字。 ○大慈:釈尊の一切の衆生を愛するこころ。慈悲深いこころ。大慈大悲。 ○懇府:『吾妻鏡』「奥州において、泰衡管領の精舎を覧しめ、当寺花構の懇府を企てらる」。/「懇」は「まごころ」。「府」は「あつまるところ、場所、役所」。仏のまごころのことか。/あるいは「府」は「俯」に通じて「ひれふして」の意で、「大慈の懇(まごころ)に達し、府して」と訓むか。 ○餘慶:先祖の善行の報いとして、子孫におよぶ徳沢。『易經』坤卦「積善之家、必有餘慶」。 ○累門:家族。家門。 ○正安己亥:正安元(一二九九)年。 ○無射:十二律の一つ。六つの陽律の第六律。陰暦の九月。 ○散位:律令制で、位階だけで官職のないこと。また、その人。 ○惟宗時俊:惟宗氏は鎌倉時代の宮廷医。時俊は惟宗良俊(よしとし)の子で典頭権助従四位下。『医家千字文註』『医談抄』の著もある(『日本漢方典籍辞典』)。 ○朝臣:あそみ、あそん。天武天皇の時代(七世紀ごろ)に制定された八階級の姓(カバネ)の第二位。のちに、五位以上の人の姓(セイ)または名の下につける敬称。

2011年2月5日土曜日

26-4 鍼灸經驗方

26-4鍼灸經驗方
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『鍼灸経験方』(シ-491)
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』26所収

〔〕内は不読の可能性あり。[]内は文義から補った。
 (序1) 
 一オモテ
朝鮮鍼灸經驗方序
鍼灸經驗方朝鮮國名醫許任之所
著而其國首相金氏命以鏤梓布之
于四方使國人識鍼灸之要所以助
仁濟之道之書也予少時曾遊學於
朝鮮称習之餘間接醫人數聽説鍼
灸爲醫家之要又行見鍼灸醫病其
效最捷就扣其所用之方法則壹是
  一ウラ
皆因許氏經驗方學以然者也而覽
其所著要而不煩簡而無遺所謂撮
百家之要闢千古之秘者也冝哉有
夫學之者各達其術能至其妙獨以
朝鮮呼為鍼刺之最素有聲于中華
實不誣矣夫國之有彦猶山有良木
也國以彦光山以材名美哉金許二
氏以良相醫無缺救濟古人云不為
  二オモテ
良相願為良醫今顧他所為各一出
於古人所欲而長以為仁人醫國之
鑑也而其所救活終是幾億兆哉吁
嗟德孰加焉今茲以予所韞之許氏
經驗方投之于剞劂氏散之于四方
与好生諸君子共之可見金許二賢
之美遐溢异域令名不与草木朽遺
澤与天地之等壽虖術可不盡乎有覽
  二ウラ
之人日將月就能達其要能窮其妙
不汲〃於衒徇只孜〃於救濟則殆
幾於志士仁人之用心云爾
享保十年歳在乙巳暮春三月山川
淳菴書

  【訓み下し】
  一オモテ
朝鮮鍼灸經驗方序
鍼灸經驗方は、朝鮮國の名醫許任の著す所にして、
而して其の國の首相金氏命じて、以て梓に鏤(ちりば)め、〔之を〕
四方に布して、國人をして鍼灸の要を識(し)らしめ、
仁濟の道を助くる所以(ゆえん)の書なり。予、少(わか)かりし時、曾(かつ)て學に
朝鮮に遊ぶ。稱習の餘、間々(まま)醫人に接して、數々(しばしば)鍼灸は
醫家の要爲(た)ることを説(と)くことを聽く。又行々(ゆくゆく)鍼灸の病を醫して其の
效(しる)し最も捷となるを見る。就いて其の用(もちい)る所の方法を扣(たた)くときは、〔則ち〕壹に是れ
  一ウラ
皆な許氏の經驗方に因って學んで以て然る者なり。而して其の著す所を覽(み)るに、
要にして煩(わずらわ)しからず、簡にして遺(のこ)すこと無し。所謂(いわゆ)る
百家の要を撮り、千古の秘を闢(ひら)く者なり。宜(むべ)なるかな、
夫(か)の之を學ぶこと有る者。各々其の術に達し、能く其の妙に至り、獨り
朝鮮を以て、呼んで鍼刺の最と爲(す)ること、素より中華に聲(な)有ること、
實に誣(し)いず。夫(そ)れ國の彦有るは、猶お山に良木有るがごとし。
國は彦を以て光り、山は材を以て名あり。美なるかな。金・許の二
氏、良相醫を以て救濟に缺くこと無し。古人の云わく、
  二オモテ
良相爲(た)らずんば、願わくは良醫爲らんと。今ま他の爲(す)る所を顧るに、各々一つに
古人の欲する所に出でて、而して長く以て仁人醫國の鑑と爲(な)る。
而して其の救活する所、終(つい)に是れ幾(いく)億兆ぞや。吁嗟(ああ)、
德、孰(たれ)か焉(これ)に加えん。今ま茲(ここ)に予が韞(おさ)む所の許氏の
經驗方を以て、之を剞劂氏に投じ、之を四方に散じて、
好生の諸君子と之を共にす。見(みつ)つ可し、金・許二賢の
美、遐(とお)く異域に溢れ、令名、草木と〔與(とも)に〕朽ちず、遺
澤、天地と壽(ひさ)しきことを等しくすることを。虖(ああ)、術、盡くさざる可けんや。
  二ウラ
之を覽(み)ること有るの人、日に將(すす)み月々に就(な)って、能(よ)く其の要に達し、能く其の妙を窮め、
衒徇に汲汲たらず、只だ救濟に孜孜たるときは、〔則ち〕殆(ほと)んど
志士仁人の心を用いるに幾(ちか)からんと爾(しか)云う。
享保十年、歳、乙巳に在り、暮春三月、山川
淳菴書す。


  【注釋】
○行:やがて。ほどなく。 ○扣:質問する。教えを請う。
  一ウラ
○金許二氏:金氏については、次の序の注を参照。許は、撰者許任。 ○聲:名声。 ○彦:才学・徳行が他に抜きんでたひと。
  二オモテ
○不爲良相、願爲良醫:宋・呉曾『能改齋漫録』卷十三・文正公願爲良醫。宋代の名儒、范仲淹のことば。「相」は宰相。 ○醫國:国をいやす。 ○剞劂氏:印刷工。出版者。剞劂は、彫刻用の曲刀。 ○好生:生命を愛惜する美徳を持つ。 ○异:「異」の異体字。 ○遺澤:後世にのこされた恩恵・徳沢。
  二ウラ
○日將月就:精進をかさねて、やまないこと。毎日進歩して、毎月成就する。『詩經』周頌・敬之:「維予小子、不聰敬止。日就月將、學有緝熙于光明」。 ○汲汲:ひたすらつとめるさま。うそいつわりがあるさま。 ○衒徇:てらう、みせびらかすこと。 ○孜孜:つとめて怠らないさま。 ○志士仁人:理想を抱くひとと道徳仁心を持つひと。『論語』衛靈公:「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁」。 ○享保十年:一七二五年。 ○山川淳菴:摂津大坂のひと。


  (序2)
  三オモテ
鍼灸經驗方序
此方即許太醫任之所著者也
和扁以後以醫名者世不乏人
亦各有述而其方古其訣秘自
老師或病其難曉況委巷晩出
之輩乎許太醫素稱神術平生
  三ウラ
所救活指不勝屈間多起死之
效名聲動一世刺家之流推以
爲宗今此方文乃其得乎耳存
乎心而試諸手者也微者顯之
煩者約之訛者正之凡疾病之
源委治療之要妙一開卷而便
  四オモテ
瞭然於目前可謂簡而易略而
詳矣夫按証收效莫良於藥餌
而牛溲馬勃非素畜則難辨金
石丹砂在僻郷而何獲況一服
打疉有不可期者耶鍼焫則不
然其具易備其效甚速而其方
  四ウラ
尤爲指南之捷徑苟得是方隨
証治之則是家家戸戸皆得遇
其神手也其所濟活庸可量哉
是宜與世共之以廣其傳不可
以時詘而有所靳也今首台北
渚金相國都提内局不佞適忝
  五オモテ
在下風遂將此方屬諸湖南觀
察使睦公性善而刊行之亦所
以體
聖上康濟萬姓之至意也後之
觀風者宜有以繼之歳甲申四
月内毉院提調資憲大夫議政
  五ウラ
府右參賛兼知 經筵春秋館
事五衛都捴府都捴管李景奭
謹跋
  【訓み下し】
  三オモテ
鍼灸經驗方序
此の方は、即ち許太醫任の著す所の者なり。
和扁以後、醫を以て名ある者、世々、人に乏しからず。
亦た各々述ぶること有り。而(しかれ)ども其の方、古(いにしえ)より其の訣、秘せり。
老師自(よ)りも或いは其の曉し難きを病む。況んや委巷晩出の
輩(やから)をや。許太醫、素(もと)より神術と稱す。平生
  三ウラ
救活する所、指(ゆび)勝(あ)げて屈(かが)めず。間々起死の效(しる)し多し。
名聲、一世を動かす。刺家の流、推して以て
宗と爲す。今ま此の方の文は、乃ち其の耳に得て、
心に存し、而して諸(これ)を手に試みる者なり。微なる者は之を顯(あらわ)し、
煩(わずら)わしき者は之を約にし、訛(あやま)る者は之を正し、凡そ疾病の
源委、治療の要妙、一たび卷を開きて、而して便ち
  四オモテ
目前に瞭然たり。謂(いつ)つ可し、簡にして而して易、略にして而して
詳(つまび)らかなり、と。夫れ証を按じて效(しる)しを收むるは、藥餌より良なるは莫し。
而して牛溲馬勃、素より畜(たくわ)ゆるに非れば、〔則ち〕辨じ難し。金
石丹砂、僻郷に在って、而も何ぞ獲ん。況んや一服
打疉して、期す可からざる者有るをや。鍼焫は則ち
然らず。其の具、備え易く、其の效し甚だ速なり。而して其の方
  四ウラ
尤も指南の捷徑爲(た)り。苟(いやしく)も是の方を得て、証に隨って
之を治するときは、〔則ち〕是れ家家戸戸、皆な
其の神手に遇うことを得るなり。其の濟活する所、庸(も)って量る可けんや。
是れ宜しく世と之を共にして、以て其の傳を廣くすべくして、
時を以て詘して而して靳(おし)む所有る可からず。今の首台、北
渚の金相國都提内局は、不佞適(たま)々忝(かたじけな)く
  五オモテ
下風に在り。遂に此の方を將(も)って諸(これ)を湖南の觀
察使睦公性善に屬して、而して之を刊行す。亦た
聖上、萬姓を康濟するの至意を體する所以なり。後の
風を觀ん者、宜しく以て之を繼ぐこと有るべし。歳の甲申四
月、内毉院提調、資憲大夫、議政
  五ウラ
府右參賛、兼知 經筵春秋館
事、五衛都捴府都捴管、李景奭
謹みて跋す。

  【注釋】
  三オモテ
○和扁:戦国時代秦の名医である医和(『春秋左氏伝』昭公元年)と扁鵲(『史記』扁鵲倉公伝)。 ○委巷:曲がった町村の小道。ひろく民間を指す。引伸して卑俗の意。 ○平生:生平、一生。 
  三ウラ
○指不勝屈:指を屈してすべてを数え切れない。 ○起死:起死回生。 ○源委:物事の本末。始まりから終わりまで。 
  四オモテ
○牛溲馬勃:牛溲は、車前草。水腫や腹脹の治療に用いられる。馬勃は菌類で、止血薬として用いられる。牛溲馬勃は卑賎なもののたとえ。唐・韓愈『進學解』:「玉札丹砂、赤箭青芝、牛溲馬勃、敗鼓之皮、倶收並蓄、待用無遺者、醫師之良也」。 ○金石:鉱物薬。丹薬。 ○丹砂:水銀と硫黄の天然化合物。 ○打疉:収拾。処置。 ○焫:もやす。ここでは灸。
  四ウラ
○指南:問題を解決したり、物事を行うための最もよい方途。 ○捷徑:近道。 ○詘:抑える。口ごもる。 ○首台:首臺。首相。 ○金:金瑬(1571-1648)〔김、 류〕キム・ユ か? 北渚は号。字は冠玉。本貫は順天。諡号は文忠。官職は文衡、即ち大提学。 ○不佞:不才。謙遜の辞。わたくし。 ○相國:議政府の領議政・左議政・右議政。
  五オモテ
○下風:下位にいることの比喩。配下。 ○湖南:全羅道の別名。 ○觀察使:国王に直属し、道内の守令(郡県などの長官)の監察や、勧農・救恤・登用試験・収税・軍事・裁判などの業務を担当。 ○睦性善:一六四四年六月~一六四五年六月まで全羅道観察使を務める(李羲権著『朝鮮後期地方統治行政研究』(集文堂)の附録別表1による)。 ○屬:付託する。「嘱」に同じ。 ○聖上:天子に対する尊称。 ○萬姓:百姓。人民。大衆。 ○康濟:民衆をやすらかにすくう。 ○至意:きわめて深く厚い誠、こころもち。 ○體:実行する。 ○觀風:民情を観察して、施政の得失を理解する。『禮記』王制「命大師陳詩以觀民風」。/機会を観察して臨機応変に対処する。『易經』觀卦・六三「觀我生進退」。孔穎達正義:「故時可則進、時不可則退、觀風相幾、未失其道」。  ○歳甲申:仁祖二十二年(1644)。 ○内毉院:国王のために使う薬に関する業務を担当する官庁。 ○提調:従一品。正一品は都提調。 ○資憲大夫:東西班階・宗親階・儀賓階の役職。正二品。宗親階では承憲大夫。儀賓階では通憲大夫。 ○議政府:内閣。百官を統率し、庶政を公平にし、善悪を治め、国を経理する行政府の最高機関。官職は、国家政策の決定権を持つ、正一品の領議政、左議政、右議政を設け、その下に従一品の左、右賛成、正二品の左、右参賛などの司録が設けられている。
  五ウラ
○右參賛:議政府の役職。正二品。 ○經筵:帝王が経書を聴講するのにかかわる官庁であろう。経書を講読して、論評し、研究する任務を管掌する。他の官司の官員が兼任するが、すべて文官を任用する。ただし、領事、参賛官は文官でなくとも兼任できる。官職は、正一品の領事(議政が兼任)、正二品の知事、従二品の同知事、正三品の参賛官(承旨と副提学が兼任)などがある。 ○春秋館:政事に関する記録を担当する官庁。現在の政治を記録する任務を担当する。すべて文官を任用し、他の官司の官員が兼任する。官職は、正一品の領事(領議政が兼任)、従一品の監事(左、右議政が兼任)、正二品の知事などがある。 ○事:経筵庁・春秋館の知事。 ○五衛都捴府都捴管:五衛都摠府は五衛(義興衛・龍驤衛・虎賁衛・忠佐衛・忠武衛)の軍務を総轄する官庁。李氏朝鮮後期では、五衛制はすたれ、名目のみの官庁。 ○李景奭:1595(宣祖二十八)~1671(顕宗十二)。朝鮮中期の文臣。本貫は全州。字は尚輔、号は白軒・雙溪。王族徳泉君李厚生の六代孫で同中枢府事李惟侃の子である。金長生の門人。/1613年(光海君五)進士となり、1617年増広別試に及第したが、翌年仁穆大妃の廃妃上疏に加担せず削籍されてしまった。/1623年仁祖反正後、謁聖文科に乙科で及第、承文院副正字などに登用され翌年には注書・待教を歴任、1626年(仁祖四)文科重試に壮元で合格したのち賜暇読書をした。丙子胡乱で清に降伏すると、副提学として王命を背くことができず、屈辱的な三田渡碑の碑文を書いた。1637年芸文館と弘文館の大提学を兼任、吏曹判書を経て、1641年貳師となって清に赴き昭顕世子を輔弼した。この時平安道に明の船が往来した顛末を事実通りに明らかにしろという清の命令に背いたとして清により官職への登用を禁止された。1644年復職、大司憲・吏曹判書を歴任し、1645年右議政に昇って翌年に謝恩使として清に赴いた。ついで左議政を経て、1649年(孝宗即位年)領議政に昇った。/この年金自點の密告で孝宗の北伐計画が清に知られ追及されると、自ら責任をとることを請い、清により義州白馬山城に監禁された。1651年(孝宗2)に釈放されたが、清の圧力で登用されず、1653年ようやく領中枢府事に任命され、1659年領敦寧府事となりその年に耆老所に入った。1668年(顕宗9)几杖を下賜された。/生涯『小学」と『論語』を鑑として修養し、老年には『近思録』と朱子諸書を耽読した。文章と書に特に優れており、彼の詩文は経学を根本としたものが主流をなしていた。/彼の政治的生涯は十七世紀の初期・中期に該当する仁祖・孝宗・顕宗の三代五十年にわたり、時局の裏表に絡みついた難局を直接主管した名相であったが、宋時烈など名分を重んじる人物により三田渡碑文作成のような現実的姿勢が非難されることもあった。彼自身が止揚しようとした意図とは違い晩年には次第に党争の中に深く巻き込まれていき、死後には激しい論難の対象になることもあった。/著書には『白軒集』など遺集五十巻余が刊行され、趙絅・趙翼らとともに『長陵誌状』を編纂した。書には三田渡碑文があり、この他左相李廷龜碑文・吏判李明漢碑・知敦寧鄭廣成碑文などがある。/謚号は文忠で、南原の方山書院に祭享された。
・以上、李氏朝鮮に関する注については、朴永圭『朝鮮王朝実録』(尹淑姫、神田聡訳、新潮社、一九九七年)付録を引用(数字などの表記を若干かえた)し、また
(大河の釣り人 http://www.geocities.co.jp/nkks437758/index.html)
kaikenさんに教えを請うた。

  (序3)
  六オモテ
鍼灸經驗方序
經曰邪之所湊其氣必虚何則凡人
疾病皆由於飲食失節酒食過度風
寒暑濕乘虚鑠入經絡榮衞不行故
也治之之法專在於明知其部分必
以鍼灸補虚瀉實各調其氣血也觀
其部分之色多青則痛多黒則風痺
多白則寒多黄赤則熱風濕寒熱皆
  六ウラ
現於五色而寒多則筋攣骨痛熱多
則筋緩骨消惡寒而身寒者冷也惡
寒而身熱者熱也且頭無冷痛腹無
熱痛凡痛善行數變者風也痛在一
處而皮膚赤熱者膿兆也或有皮膚
外浮而不痒不痛者痰也頭目眩暈
者痰挾風也痰入心竅則精神昏迷
言語錯亂脾胃不和則不能飲食中
  七オモテ
風則亦言語蹇澁痰厥則亦頭痛嘔
吐大槩諸痛痒瘡瘍皆屬心諸風掉
眩皆屬肝諸濕腫滿皆屬脾諸咳氣
喘皆屬肺諸筋骨痛皆屬腎諸節皆
屬膽此固醫家之大綱察病之捷逕
而亦愚平生所用要訣也凡人手足
各有三陽三陰脉合爲十二經手之
三陰從臟走之手手之三陽從手走
  七ウラ
至頭足之三陽從頭下走至足足之
三陽從足上走入腹脉絡傳注周流
不息故經脉者通陰陽以榮於一身
者也其始從中焦注手太陰陽明陽
明注足陽明太陰太陰注手少陰太
陽太陽走足太陽少陰少陰注手心
主厥陰少陽少陽注足少陽厥陰厥
陰復還注手太陰其氣常以平朝爲
  八オモテ
紀晝二十五度夜二十五度與漏水
下百刻爲配晝夜流行與天同度終
而復始行於筋骨膚腠之間比之水
行谿谷如或有物碍滯則水不能行
必待開疏而後乃能流行也觀其証
勢隨時應變疏其滯通其塞須方大
禹開川導水之義乃可却病經曰醫
者意也或若膠滯不知變化則不可
  八ウラ
與論病論病尚且不可況望其能治
乎必得之於心應之於手運意轉換
各隨其經從陽引陰從陰引陽左之
右右之左以鍼以灸則必有其效矣
經曰能與人規矩不能與人巧若論
陰陽則背爲陽腹爲陰左爲陽右爲
陰外爲陽内爲陰女子反是背爲陰
腹爲陽左爲陰右爲陽外爲陰内爲
  九オモテ
陽也臨病將治必察部分經絡井滎
兪經合及臟腑募原會之穴診其動
脉搓捻催氣然後行其先陽後陰補
瀉迎隨之法則其驗若響應矣所謂
補者當刺五分之穴則鍼入二分停
少時次入二分又停少時次入一分
令患人吸而出鍼即以手按住鍼孔
保其眞氣是所謂補也瀉者當刺五
  九ウラ
分之穴則入鍼五分停少時出鍼二
分又停少時出鍼二分又停少時令
患人呼而出鍼引其邪氣迎而奪之
是所謂瀉也灸亦有補瀉之法艾火
至肉以待自滅謂補也艾火不得自
滅旋即掃卻謂瀉也自古用手之法
非不詳盡後人未達其意徒務量穴
之分寸不曉動脉之應手不取對病
  十オモテ
要穴而亂刺諸經未祛病源徒泄眞
氣此正古人所謂廣絡原野冀獲一
兎其可得乎愚以不敏少爲親病從
事醫家積久用功粗知門戸及今衰
老仍恐正法之不傳乃將平素聞見
粗加編次先著察病之要并論轉換
之機發明補瀉之法校正取之訛又
著雜論若干且記試效要穴及當藥
合爲一卷非敢自擬於古人著述只
爲一生苦心不忍自棄覽者若能加
之意則庶於急活命或有少補云爾
河陽許任識

  【訓み下し】
  六オモテ
鍼灸經驗方序
經に曰く、邪の湊(あつ)まる所、其の氣必ず虚す、と。何んとなれば則ち凡そ人の
疾病は皆な飲食、節を失し、酒食、度に過ぎ、風
寒暑濕、虚に乘じて鑠(しみ)て經絡に入るに由って、榮衞行(めぐ)らざる故なり。
之を治する〔の〕法、專ら明らかに其の部分を知り、必ず
鍼灸を以て、虚を補い、實を瀉し、各々其の氣血を調うるに在り。
其の部分の色を觀るに、青多きときは〔則ち〕痛み、黒多きときは〔則ち〕風痺し、
白多きときは〔則ち〕寒し、黄赤多きときは〔則ち〕熱し、風濕寒熱皆な
  六ウラ
五色に現る。而して寒多きときは〔則ち〕筋攣骨痛し、熱多きときは
〔則ち〕筋緩骨消す。惡寒して而して身寒する者は冷(ひえ)なり。惡
寒して而して身熱する者は熱なり。且つ頭に冷痛無く、腹に
熱痛無し。凡そ痛み善く行き、數(しば)々變ずる者は風なり。痛み
一處に在って、而して皮膚赤く熱する者は膿の兆(きざし)なり。或いは皮膚
外に浮くこと有って、而して痒からず痛からざる者は痰なり。頭目眩暈する
者は痰、風を挾むなり。痰、心竅に入るときは〔則ち〕精神昏迷し、
言語錯亂す。脾胃和せざるときは〔則ち〕飲食すること能わず。中
  七オモテ
風は〔則ち〕亦た言語、蹇澁し、痰厥も則ち亦た頭痛、嘔
吐す。大概諸の痛痒瘡瘍は、皆な心に屬し、諸風掉
眩は、皆な肝に屬し、諸濕腫滿は、皆な脾に屬し、諸咳氣
喘は、皆な肺に屬し、諸の筋骨痛は、皆な腎に屬し、諸節[痛]は、皆な
膽に屬す。此れ固(まこと)に醫家の大綱、察病の捷逕なり。
而して亦た愚が平生用いる所の要訣なり。凡そ人の手足、
各々三陽三陰の脉有り。合して十二經と爲す。手の
三陰は、臟從り走って手に之き、手の三陽は、手從り走って
  七ウラ
頭に至り、足の三陽は、頭從り下り走って足に至り、足の
三陽は、足從り上り走って腹に入る。脉絡傳注し、周流して
息(やす)まず。故に經脉は、陰陽に通じて以て一身に榮する
者なり。其の始め、中焦從り手の太陰陽明に注ぎ、陽
明は足の陽明太陰に注ぎ、太陰は手の少陰太
陽に注ぎ、太陽は足の太陽少陰に走り、少陰は手の心
主厥陰少陽に注ぎ、少陽は足の少陽厥陰に注ぎ、厥
陰は復た還(かえ)って手の太陰に注ぐ。其の氣、常に平朝を以て
  八オモテ
紀と爲す。晝(ひる)、二十五度、夜、二十五度、漏水の
下ること百刻と〔與(とも)に〕配と爲す。晝夜流行して天と度を同じうし、終って
而して復た始まり、筋骨膚腠の間に行く。之を水の
谿谷に行くに比す。如(も)し或いは物有って碍(さ)え滯らすときは〔則ち〕水、行くこと能わず、
必ず開疏を待って、而して後に乃ち能く流行す。其の証勢を觀(み)、
時に隨い、變に應じて、其の滯を疏し、其の塞を通ず。須(すべか)らく大
禹の川を開き、水を導くの義に法(のつと)るべし。乃ち病を却く可し。經に曰く、醫は
意なり、と。或いは若(も)し膠滯して變化を知らざるときは〔則ち〕與(とも)に病を論ず可からず。
  八ウラ
病を論ずるとも、尚お且つ不可なり。況(いわ)んや其の能く治するを望まんや。
必ず之を心に得て、之を手に應ず。運意轉換、
各々其の經に隨い、陽從り陰に引き、陰從り陽に引き、左は右に之き、
右は左に之き、以て鍼し、以て灸するときは〔則ち〕必ず其の效(しるし)有り。
經に曰く、能く人に規矩を與(あた)うれども、人に巧を與うること能わず、と。若し
陰陽を論ずるときは〔則ち〕背は陽爲(た)り、腹は陰爲り。左は陽爲り、右は陰爲り。
外は陽爲り、内は陰爲り。女子は是れに反す。背は陰爲り、
腹は陽爲り。左は陰爲り、右は陽爲り。外は陰爲り、内は陽爲り。
  九オモテ
病に臨んで將に治せんとせば、必ず部分經絡、井滎
兪經合、及び臟腑募原會の穴を察し、其の動脉を診し、
搓捻して氣を催し、然して後、其の先陽後陰、補瀉迎隨の法を行うときは〔則ち〕
其の驗(しるし)、響の應ずるが若(ごと)し。所謂る
補とは、五分を刺すの穴に當たって、則ち鍼入るること二分、停(とど)むること
少しく時あって、次に入るること二分、又た停むること少しく時あって、次に入るること一分、
患人をして吸せしめて、而して鍼を出だし、即ち手を以て鍼孔を按住し、
其の眞氣を保す。是れ所謂る補なり。瀉は、五分を刺すの穴に當たって、
  九ウラ
〔則ち〕鍼を入るること五分、停むること少しく時して、鍼を出すこと二
分、又た停むること少しく時して、鍼を出だすこと二分、又た停むること少しく時して、
患人をして呼せしめて、而して鍼を出だし、其の邪氣を引き、迎えて而して之を奪う。
是れ所謂る瀉なり。灸も亦た補瀉の法有り。艾火、
肉に至って以て自ら滅(きゆ)るを待つを補と謂う。艾火、自ら滅(きゆ)ること得せしめず、
旋(かえ)って即ち掃卻するを瀉と謂う。古(いにしえ)自り手を用いるの法、
詳らかに盡さざるに非ず。後人未だ其の意に達せず。徒(いたず)らに穴を量るの
分寸を務めて、動脉の手に應ずるを曉(さと)らず、病に對する要穴を取らずして、
  十オモテ
而して諸經を亂刺し、未だ病源を祛(さ)らず、徒(いたず)らに眞氣を泄す。
此れ正に古人の所謂る廣く原野を絡(まと)って、一兎を獲んことを冀(こいねが)う。
其れ得可(うべ)けんや。愚、不敏を以て少(わか)くして親病の爲に
醫家に從事し、久しきを積みて功を用う。粗(あら)々門戸を知る。今に及んで衰
老せり。仍って正法の傳わらざらんことを恐る。乃ち平素の聞見を將(も)って、
粗(あら)々編次を加え、先きに察病の要を著し、并びに轉換の機を論じ、
補瀉の法を發明し、之れが訛(あやま)りを取ることを校正し、又た
雜論若干(そくばく)を著し、且つ試效の要穴及び當藥を記して、
合して一卷と爲す。敢(あえ)て自(みずか)ら古人の著述に擬するに非ず。只だ
一生の苦心、自ら棄つるに忍びざるが爲なり。覽ん者、若(も)し能く
之が意を加ふるときは〔則ち〕庶(ねがわ)くは急に命を活するに於いて、或いは少なき補い有らんと、爾(しか)か云う。
河陽の許任識(しる)す。


  【注釋】
  六オモテ
○經曰:『素問』評熱病論。 
  六ウラ
○而多寒則筋攣骨痛:『素問』皮部論(56)を参照。 ○凡痛善行:『素問』風論(42)を参照。 
  七オモテ
○大槩諸痛痒瘡瘍:「槩」は「概」の異体字。以下、『素問』至真要大論(74)を参照。 ○諸節皆屬膽:『霊枢』経脈や『察病要訣』などによれば、「節」の下、「痛」を脱するか。 ○愚:わたくし。謙遜語。
  八オモテ
○大禹:夏禹の美称。夏を開国した君主。顓頊の孫、姓は姒氏、禹と号す。洪水を治めて功有り、舜の禅譲を受けて天子となる。 ○醫者意也:『金匱玉函經』卷一・證治總例など。
  八ウラ
○從陽引陰:『素問』陰陽応象大論(05)「故善用鍼者、從陰引陽、從陽引陰、以右治左、以左治右」。 ○經曰:『孟子』盡心下「梓匠輪輿能與人規矩、不能使人巧」。
  九オモテ
○搓捻:ひねる。ねじる。 
  十オモテ
○廣絡原野:『唐書』巻二百四・列傳第一百二十九・方技・甄權「今之人不善為脈、以情度病、多其物以幸有功、譬獵不知兔、廣絡原野、冀一人獲之、術亦疏矣」。 ○門戸:出入りする上で必要な要点。 ○加意:注意する。心に留める。 ○許任:許任(ホ・イム)は、李氏朝鮮時代の医者。本貫は陽川。鍼灸に優れ、朝鮮最高の鍼医との評がある。許浚と同時代の人であり、医官録(1612年)にともに記録されている。/宣祖末期から光海君、仁祖にわたって王朝に仕えている。/宣祖の時、鍼灸で王を治療して功を立て、東班の位階を受けた。1616年、永平県令に任命され、楊州牧使、富平府使を経て、1622年、南陽府使となった。/著書に『鍼灸経験方』(仁祖二十二年、1644年)、『東医聞見方』などがある。ja.wikipedia.

2011年2月3日木曜日

25-5 引經次第

25-5引經次第
      東京大学附属図書館所蔵V/2137
      オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』25巻所収

 変体かなは、現行のものにかえて表記する。繰り返し記号は、文字にあらためた。読点をつけた。一部、判読に疑念あり。

  一オモテ  119頁
  題言
孔穴の説ハ、針灸の用たりといへとも、素
明素熟するにあらされハ、修事の
際、施用の宜を得へからす、余家高
祖策菴府君より以來、經絡發揮を
説き、偶人に點畫して、此學を講習
せらる、世〃の祖考ますます發明する
處あつて、予祖圖南府君、伯父南溟
府君にいたつて、其精正をつくせり、
  一ウラ  120頁
或ハ偶人をもつて其左右をワかち、左方
ハ專ら發揮の説をもつて點畫し、
右方ハ内經以下の書について發揮
にことにして、可取用者を点せり、大
なるものにハ、十四の大脉を畫し、小な
る者ハ、左右をワかち、右に骨度、左に
奇經八脉を畫せらる、或ハ至要抄
を講して、其是非詳畧を正し、活
人を裸にし、直下に量度按捫して
  二オモテ  121頁
其實を驗せしむ、余幼年罔極の哀に
あふて、面命の訓を承る事をへす、幸
に遺書によつて、家説の槩を知こと((る?))
を得たり、孔穴の學にいたつても、當時
弟子の私説をかり、内經・發揮の標注
によりて、遺意の粗をうかヽふ事を
得たり、寛政八年秋の頃、信州の何
某かもとめによつて、至要抄を講
習す、こヽにおひて偶人に点する
  二ウラ  122頁
の方より、活人に取の法にいたり、家傳
の定説を擇ミあつめて、此一小冊を
なし、一時浩言の徒に授く、初進の
士、この冊をもつて標注と至要抄と
に對照推究せは、孔穴の學、其大槩
を得て、將來の首塗となるへし、夫孔
穴の學ハ内經以上の業にして、◆◆
中の一事に属す、しかるに經に明文
なく、世に異説多けれハ、自求の力
  三オモテ  123頁
をもつて深く經旨をきはめ、皮肉
の分、筋骨の言、滎兪の道、尺寸
の度に明らかなるにあらされハ、
其精詳を致す事あらわす、
今日、此篇を授くるの輩、かならす
此一小冊にとヽまれりとする事
なかれ
 仲冬十五日  正封書
  三ウラ  124頁
此冊、草稿を用ひすして、一七日間に
写し終りぬ、されハ次第錯乱
文義模糊して、解了しかたきもの
おほかるへし、他日閑を得て、點
檢増損一過せハよからん


  【注釋】
  一オモテ
 ○策菴:浅井周伯。名は正純、号は策庵、通称は周伯・周璞。寛永二十年(一六四三)、京都に生まれ、味岡三伯に就いて医学を修めた。近松門左衛門の弟で医学著作家として広く知られた岡本一抱らとともに、その門下の四傑と呼ばれる。寳永二年(一七〇五)没、享年六十三歳、著書には『切紙之辨』、『腹舌之候』、『病機撮要註解』、『霊樞辨鈔』(いずれも写本)などがあり、また元末の葛可久の『十薬神書』を校訂していて、写字台文庫にも収められている。(龍谷大学・古典籍デジタルアーカイブ研究センター) ○偶人:銅人形のようなものか。 ○府君:子孫が先祖に対するときの敬称。 ○經絡發揮:滑壽『十四經絡發揮』。 ○祖考:先祖。 ○圖南:名は政直(まさなお)、字は惟寅(これとら)(維寅とも)、通称頼母(たのも)。/尾張藩医浅井家二代。幼名冬至郎、藤五郎、のちに周北、頼母、諱ははじめ政道、のちに惟寅。図南、幹亭、篤敬斎と号す。父は東軒(通称周廸、諱正仲)、母は三谷氏。浅井家は、近江国浅井郡の出身、京都医家の名門で、傷寒論を重視する古方派に属する漢方医家。父東軒は享保十年十二月、六代藩主継友の招聘に応じて、藩医として四百石の高禄をもって京都より名古屋に迎えられた。この時、図南もこれに従うことを父より命ぜられたが従わず、京都において医学徒の養成に尽くした。(ネット掃苔帳) ○南溟:尾張浅井第三代。名正路[まさみち]。/姓は和気、名は正路、字は由卿、幼名を藤太といひ、後周碩と称す。号は朴山、又南溟、圖南の長子にして、母は平松氏、享保十九年十一月十八日生る。正路、医を以て天朝に仕へ、正六位上・内舎人に至る、是より先、祖父東軒、父圖南、倶に尾張侯の医官となる。之を以て正路亦安永九年三月九日、官を辞して、尾張侯宗睦に仕へ、父の職禄を継ぎ、名を周碩と賜ふ。周碩、脉法に通じ、診脉の祖と称せらる。其尾張に来りしより、医薬大に行はれ、弟子日に進む。未だ幾ならずして、天明元年十月十三日を以て没す、享年四十八。著す所、詣家経験方、内證珍法、方訳脉論等十数巻あり。男正時京都に留りて天朝に仕ふ、因て姪正封を以て祀を奉ぜしむ。徳乗院朴山日冬居士。(ネット掃苔帳)
  一ウラ
○至要抄:岡本一抱(1654~1716)かその門派の著と推定される経脈・経穴学書。全2巻。元禄十二(1699)年刊。『十四経発揮(じゅうしけいはっき)』に準拠した針灸学の入門書。和文。同十六(1703)年刊の続編全3巻もある。(『日本漢方典籍辞典』)
  二オモテ
 ○罔極の哀:窮まりないかなしみ。父母を失ったかなしみ。 ○面命:面命耳提。ひとに対して懇切丁寧に教え戒めるたとえ。 ○標注:注釈。批注。例:『宋史』卷二○三・藝文志二:「三劉漢書標注六卷」。浅井家の著作に「標注」がつくものあり。例:浅井正贇『難経標注』、浅井正封『浅井家標注小刻傷寒論』。 ○遺意:前人の残した意見、意味。 ○寛政八年:一七九六年。
  二ウラ
 ○浩言:正大剛直の言。 ○推究:推論研究。 ○首塗:首途とおなじ。出発(点)。門出。 ○◆◆:この二字読めず。一字目は「平」か? 二字目はおそらく「習」であろう。
  三オモテ
 ○正封:浅井正封(あさいまさよし)(貞庵)[ていあん]。尾張浅井第四代。


2011年2月2日水曜日

25-3 灸驗録

25-3灸驗録
       東京大学附属図書館所蔵『灸驗録』V11/1010
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』25所収

(一)
灸驗録序
田單復齊自火牛始焉周郎破曹
孟德也八十萬鏖于長江一炬火之
為用大矣哉凡陽氣陷下而沈滯難
醫者非艾火則不能奏其効也灸驗
録一卷門人佐藤仲甫所著國字其
文反覆其言以使無聞無識眞人易領
 ウラ
會也其意將為醫門田單周郎可
謂有膽力矣
 文化丙子秋
      樗園杉本良忠温撰

  【訓み下し】
灸驗録序
田單の齊を復するは火牛自り始む。周郎の曹
孟德を破るや、八十萬、長江の一炬に鏖(みなごろし)にさる。火の
用を為すこと大なるかな。凡そ陽氣陷下して沈滯し、
醫(いや)し難き者は、艾火に非ずんば則ち其の效を奏すること能わざるなり。灸驗
録一卷、門人佐藤仲甫の著す所なり。其の
文を國字もてし其の言を反覆し、以て無聞無識の眞人をして領
 ウラ
會すること易からしむるなり。其の意は將に醫門の田單・周郎為(た)らんとす。
膽力有りと謂う可し。
 文化丙子の秋
      樗園杉本良忠温撰

  【注釋】
○田單:臨淄の人。戦国時代、齊の宗室、田一族の遠縁。前284年、燕は樂毅を大將として出兵して齊を破った。田單は安平に逃げ込み、一族を守った。その後、策略を駆使して燕軍を打ち破る。齊の襄王は田單を奉じて安平君とよんだ。『史記』田單列傳を参照。 ○復:回復する。もとの状態に戻す。 ○火牛:田單が行った戰法のひとつ。千を超える牛をあつめ、赤絹の衣に五色の龍を描いて着せ、刃を角にしばりつけ、葦を尾に束ねて縛りつけて油をそそぎ、火をつけた。夜陰に乗じて、牛を城外に放ち、その後ろに齊軍が従い、燕軍を敗走させた。(『史記』田單列傳:田單乃收城中得千餘牛、為絳繒衣、畫以五彩龍文、束兵刃於其角、而灌脂束葦於尾、燒其端。鑿城數十穴、夜縱牛、壯士五千人隨其后。牛尾熱、怒而奔燕軍、燕軍夜大驚。牛尾炬火光明炫燿、燕軍視之皆龍文、所觸盡死傷。五千人因銜枚擊之、而城中鼓譟從之、老弱皆擊銅器為聲、聲動天地。燕軍大駭、敗走。) ○周郎:周瑜(175~210)、字公瑾。廬江舒県(今の安徽廬江西南)の人。後漢末、呉の将軍。傑出した軍事家。二一〇年年赤壁の戦いにおいて曹操軍を撃破して、天下三分の基礎を築いた。呉中のひとはかれをみな周郎とよんだ。『三國志』呉書/卷五十四・周瑜などを参照。 ○曹孟德:曹操(155年~220年)、字孟德。後世、魏の武帝ともよばれた。 ○八十萬:曹操軍の兵数。『三國志』呉書・周瑜傳注「諸人徒見操書、言水歩八十萬」。 ○鏖:激戦して、多数の死者が出る。『三國演義』第四十七回:「赤壁鏖兵用火攻、運籌決策盡皆同」。 ○長江:「大江」「揚子江」ともいう。青海省のタンラ山脈を源とし、上海市の東シナ海河口に至る世界第三位の長さを有する河川。 ○一炬:大火。 ○佐藤仲甫:本書の撰者。 ○國字:和文。漢字かな交じり文。 ○無聞無識:無学の。知識のない。 ○眞人:品行方正なひと。 ○領會:理解。 ○膽力:胆がすわり、物事に動じない気力。勇気。大胆さ。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○樗園杉本良忠温:(1770~1836)忠温の名は良(よう)・良敬(よしたか)、樗園(ちょえん)と号した。官医杉本家の養子となり、六代目を継ぎ、御匙・法印に進み、陽春院(ようしゅんいん)の号を賜って頂点をきわめた。多紀元簡(たきもとやす)没後と多紀元胤(もとつぐ)没後は一時江戸医学館を督(とく)し、文化十三(1816)年には『聖済総録』を、文政十二(1829)年には『千金翼方』を督刊した。(『日本漢方典籍辞典』)


(二)
灸驗録序
余少羸弱手足瘦瘠自視如危歳二十餘
知灸之良於治疾而灸之大者畏熱微而
多者煩人是以投閑數灸腹背手足不問
所也不論穴也數年之後自怪身體肥瘠
異焉至老益勉齒今幾九旬朝午之食不
減耳能聞足能行顧皆灸之所助乎只恨
世人不遍知其効焉夫灸之於治疾也猶
兵之攻撃有火攻也夫兵者弓矢矛戟有
所不及於是乎有火攻之設治疾者亦然
至于草根木皮之所不及非艾灸之妙則
ウラ
不能療也近者 京師艮山後藤氏修庵
香川氏特得其要以廣救一世之人於是
世人頼其功者不少矣藤君美自其 先
人既得其傳 君美亦継其統著灸驗録
今欲壽之梓以公於世請予序之予聞此
擧也不堪喜以此言冠篇首云

 文化丙子秋 荏土井潜仲龍父選

  【訓み下し】
灸驗録序
余少(わか)きより羸弱、手足瘦瘠にして、自ら視ること危きが如し。歳二十餘にして
灸の疾を治するに良きを知る。而れども灸の大なるは、熱を畏る。微にして
多きは人を煩わす。是(ここ)を以て閑を投じて數(しば)しば腹背手足に灸して、
所を問わざるなり。穴を論ぜざるなり。數年の後に、自ら身體の肥瘠異なるを怪しむ。
老ゆるに至りて益ます勉む。齒(よわい)今ま幾(ほとん)ど九旬。朝午の食は減らず。
耳は能く聞こえ、足は能く行(ある)く。顧みれば皆な灸の助くる所か。只だ
世人、遍(あまね)くは其の効を知らざるを恨むのみ。夫(そ)れ灸の疾を治するに於けるや、猶お
兵の攻撃に火攻め有るがごときなり。夫れ兵は、弓矢矛戟の
及ばざる所有り。是(ここ)に於いて、火攻めの設け有り。疾を治する者も亦た然り。
草根木皮の及ばざる所に至りては、艾灸の妙に非ずんば、則ち
ウラ
療する能わざるなり。近ごろ 京師に艮山後藤氏、修庵
香川氏、特に其の要を得て、以て廣く一世の人を救う。是に於いて
世人の其の功に賴む者少なからず。藤君美、其の 先人自り、
既に其の傳を得て、 君美亦た其の統を繼ぎ、灸驗録を著す。
今ま之を梓に壽(たも)ち以て世に公けにせんと欲し、予に之に序せんことを請う。予、此の
擧を聞くや、喜びに堪えず、此の言を以て篇首に冠すと云う。

 文化丙子の秋 荏土、井潜仲龍父選

  【注釋】
○少:年少。若い。 ○羸弱:瘦弱。やせていて虚弱。 ○瘦瘠:やせている。 ○自視:本人から見た自己に対する評価。 ○危:あやうい。病が重い。困難。 ○投閑:投間。ひまを見つける。 ○齒:年齡。 ○旬:十年。 ○午:ひる。 ○兵:武器。戦争。 ○火攻:火を用いて敵人を攻擊する。 ○矛:柄が長く、青銅か鉄製の鋭い刃がある直刺用の武器。ほこ。 ○戟:長い柄の先端に戈をとりつけたもの。 ○於是乎:順接の接続詞。 ○設:設計。設備。 ○草根木皮:草と根、樹皮。湯液。 ○艾灸:モグサによる灸治療。 ○艮山後藤氏:艮山の名は達(とおる)、字は有成(ゆうせい)、俗称左一郎(さいちろう)、別号養庵(ようあん)。わが国古方派の祖とされる人物で、一気留滞説を提唱。百病は一気の留滞によって生じるとし、治療の綱要は順気をもってした。江戸の人で、儒学・医学を学び、二十七歳のとき京都に移って医名を馳せた。多くの門人を育て、香川修庵(かがわしゅうあん)・山脇東洋(やまわきとうよう)らが輩出した。(『日本漢方典籍辞典』) ○修庵香川氏:修庵(秀庵[しゅうあん]とも)は播磨国姫路生まれ。名は修徳(のぶのり)、字は太冲(たいちゅう)。伊藤仁斎(いとうじんさい)の門で古学を修め、また後藤艮山(ごとうこんざん)に医を学ぶ。(『日本漢方典籍辞典』) ○先人:亡父。 ○一世:一代。世の中全体。 ○世人:世間の人。 ○藤君美:佐藤仲甫。字は君美。本書の撰者。 ○統:継続して絶えない体系、関係。正統、伝統、法統など。 ○壽:保存する。 ○梓:彫って印刷に用いる木の板。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○荏土:江戸。 ○井潜仲龍:井上四明。江戸の人。本姓は戸口氏、名は潜、字は仲龍、号を四明・四明狂癡・佩弦園などとと称し、井上蘭台に師事して蘭台の養子となり、詩文に長じて岡山藩池田侯に仕え、備前文学の興隆に努めた儒者である。(大東文化大學文學部《中國學科》中林研究室之中國學的家頁(黄虎洞) 黄虎洞中國文物ギャラリー http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-911.html ) ○父:男子に対する美称。


(三)
灸驗録序
先人大簡先生從平安南洋香川先生勤
學七年究窮其蘊薁善艾灸術帰郷之後
其術大行病客日満于門其起死回生者
不知幾千人矣予自幼常在膝下蒙口授
面命頗得其機要焉先生易簣之後負笈
出于江戸遊樗園杉本先生之門先生視
予如子教誨誘掖殊厚且美予術數稱其
効因大得使先人之業不墮于地下矣後
遊平安在香川先生之塾一本之方術無
所不極又執謁亀溪小林先生從而學焉
  ウラ
先生亦奇此術有藥治無驗者則必令予
治之於此業益大行在平安十年治驗日
多矣千金曰治諸病至於火艾特有奇能
雖鍼湯散皆所不及灸功為其要近世醫
流不識其功驗却以灸為乾耗血精是豈
足以論治疾養生之術哉且俗間不知醫
事者以為餬口之業耆宿大醫亦慙施此
術嗟乎亦可傷哉夫醫道之要在于治療
治療之要無過此術故云醫之大術要中
之要予著灸驗録一由吾一本之灸法而
擴之回狂瀾于既倒則庶幾無俗間輕灸
之患云尓文化丁丑春佐藤仲甫君美述

  【訓み下し】
先人大簡先生、平安の南洋香川先生に從い、勤めて
學ぶこと七年、其の蘊薁を究窮し、艾灸の術を善くし、歸郷の後、
其の術大いに行わる。病客、日々門に満ち、其の起死回生する者
幾千人なるかを知らず。予は幼き自り常に膝下に在り、口授
面命を蒙り、頗る其の機要を得たり。先生、簀を易うるの後、笈を負いて
江戸に出でて、樗園杉本先生の門に遊ぶ。先生の
予を視ること子の如し。教誨誘掖、殊に厚し。且つ予が術を美(よみ)し、數(しば)しば其の
效を稱(たた)う。因りて大いに先人の業をして地下に墮さざらしむるを得たり。後に
平安に遊びて、香川先生の塾に在り。一本の方術、極めざる所無し。
又た謁を亀溪小林先生に執り、從って焉(これ)に學ぶ。
  ウラ
先生も亦た此の術を奇とし、藥治して驗無き者有らば、則ち必ず予をして
之を治せしむ。此(ここ)に於いて業、益々大いに行わる。平安に在ること十年、治驗日々に
多し。千金に曰く、諸病を治するに、火艾に至りては、特に奇能有り、
鍼湯散と雖も、皆な及ばざる所、灸の功、其の要を為す、と。近世の醫
流、其の功驗を識(し)らず。却って灸を以て血精を乾耗すと為す。是れ豈に
以て疾を治し生を養うの術を論ずるに足らんや。且つ俗間、醫
事を知らざる者、以て餬口の業と為す。耆宿大醫も亦た此の
術を施すを慙ず。嗟乎(ああ)、亦た傷(いた)む可けんや。夫れ醫道の要は、治療に在り。
治療の要は、此の術に過ぐるもの無し。故に、醫の大術、要中
の要と云う。予、灸驗録を著す。一に吾が一本の灸法に由り、而して
之を擴(ひろ)ぐ。狂瀾を既倒に回(めぐ)らせば、則ち俗間に灸を輕ろんずる
の患い無からんことを庶幾(こいねが)うと云うのみ。文化丁丑の春、佐藤仲甫君美述

  【注釋】
○先人:今は亡き父。 ○大簡先生:未詳。『鍼灸手引草』(安永二年/一七七三)の著者、大簡室主人のことか。 ○平安:京都。 ○南洋香川先生:江戸中期の儒者。古義学派。姫路生。名は景与、字を主善、別号に紙荘主人。香川修庵・伊藤東涯に学ぶ。修庵の養子となる。安永6年(1777)歿、六十四才。(net.思文閣『美術人名辞典』) ○勤學:努力してまなぶ。 ○究窮:深く研究する。 ○蘊薁:精奧のところ。 ○病客:病人。 ○起死回生:瀕死の病人を治す。医術のすぐれたことの比喩。 ○膝下:父母の近辺。 ○口授:口伝。 ○面命:『詩經』大雅・抑:「匪面命之、言提其耳」。ひとに対して懇切丁寧に教え諭すこと。 ○機要:精義。要旨。 ○簣:「簀」の誤り。「易簣」:臨終。 ○負笈:書箱を背負う。遊学することのたとえ。 ○遊:学問を求める。遊学する。 ○門:学派。 ○視:応対する。扱う。 ○教誨:おしえ、いましめる。 ○誘掖:たすけ、みちびく。 ○厚:多い。濃い。深い。 ○美:ほめる。 ○稱:称賛する。 ○一本之方術:香川修庵は儒医一本論をとなえた。 ○執:えらびとる? ○亀溪小林先生:小林淑。医家。字は子慎。亀溪齋と号す。また順堂ともいう。『平安人物志』文化十年に中川修亭(1773--1850)らとともに見える。 ○奇:優れていると考える。 ○藥治:薬物を用いて治療する。 ○無驗:効果がない。 ○治驗:治療の効験。治療が効を奏したこと。 ○千金曰:『千金翼方』巻十七・中風第一「是以禦風邪以湯藥・針灸・蒸熨、隨用一法、皆能愈疾。至於火艾、特有奇能。雖曰鍼・湯・散、皆所不及。灸為其最要」。 ○醫流:医学流派。 ○乾耗:乾かし消耗させる。 ○血精:精血。人体生命活動に重要な精気と血液。 ○餬口:糊口。ひとに頼って、わずかの粥を得て生活する。なんとか生計を立てる。 ○耆宿:高齢で徳の高いひと。 ○大醫:名医。 ○傷:悲傷。悲しみいたむ。 ○醫之大術:『千金翼方』巻十七・中風第一「學者凡將欲療病、先須灸前諸穴。莫問風與不風、皆先灸之。此之一法、醫之大術、宜深體之。要中之要、無過此術」。 ○回狂瀾于既倒:唐・韓愈『進學解』:「障百川而東之、迴狂瀾於既倒」。崩れかけた大波を、もと来た方へ押し返す。形勢がすっかり悪くなったのを、再びもとに返すたとえ。/狂瀾:大きな波がはげしく押し寄せてくると、押しとどめることができないように、時勢や潮流の衰頽をたとえる。 ○庶幾:希望の語気をあらわす。 ○文化丁丑:文化十三(一八一七)年。