2024年10月26日土曜日

  扁鵲医籍考 04.3

   2. 扁鵲医学の特徴に基づく判定


 たとえば,扁鵲医学の蔵象学説の特徴に基づいて,伝世本『内経』中には胃を蔵とし,胃を太陰に属させるものや,「陽明」は三陽であって心に属させるものがあるが,これは扁鵲医籍に由来するのみならず,その初期の伝本の旧態を保存している,と我々は判定を下すことができる。

 言い換えれば,伝世本『内経』中のある篇や段落が現わしている理論と実践の特徴が,扁鵲医学の特徴とよく一致したり,そのものずばりであるなら,たとえ他に確定的な傍証がなかろうと,その源が扁鵲医学にあると認定できる。逆に,伝世文献に一文あるいは一段落に「扁鵲曰」とあったとしても,扁鵲医学の全体的な特徴と合わず,さらには矛盾するならば,他の確実な証拠が見つからない限り,それを扁鵲医書の佚文と確定することはできない。

 以上の種々の方法を巧妙に総合的に応用することによって識別された伝世本『内経』の基本構成の中にある扁鵲医学の成分はかなり見るべきものがあるし,異なる時期,異なる伝本間の扁鵲学術の変遷の軌跡も見ることができる。

 しかしながら,特に注意すべきことは,伝世本『内経』が採用した扁鵲医学は,量的には『脈経』を上回っているものの,質的には『脈経』には遠く及ばないことであり,程度の異なる改編が多くある。特にこのような改編は,時に計画的であり,目的があって,新しい理論的な枠組みの中に扁鵲医学という素材を盛り込んでいるような印象を与える。言い換えれば,伝世本『内経』の編者が「扁鵲医籍」という古い酒を扱う際に,単にラベルを変えたり,包装を変えたりするだけでなく,時には瓶自体さえも変えてしまっている。以下に伝世本の『霊枢』五十営篇を例に具体的に分析する。


     黃帝曰:余願聞五十營奈何?岐伯答曰……故人一呼,脈再動,氣行三寸,一吸,脈亦再動,氣行三寸,呼吸定息,氣行六寸。十息氣行六尺,日行二分。二百七十息,氣行十六丈二尺,氣行交通于中,一周于身,下水二刻,日行二十五分。五百四十息,氣行再周于身,下水四刻,日行四十分。二千七百息,氣行十周于身,下水二十刻,日行五宿二十分。一萬三千五百息,氣行五十營于身,水下百刻,日行二十八宿,漏水皆盡,脈終矣。所謂交通者,並行一數也,故五十營備,得盡天地之壽矣,凡行八百一十丈也(『靈樞』五十營)。


 廖育群氏が指摘したように,この篇はすべて扁鵲医籍に由来する(原文は『脈経』巻四診損至脈第五に見られる)が,篇の冒頭には「黄帝」と「岐伯」の問答が冠されている。

 しかし特に注意すべきは,この文章には二つの意味深長な改変があることである。一つは,扁鵲の原文「十二辰」を「二十八宿」に改めたことである――この改変には全く正当な理由がなく,むりやりにこのあとに「二十八脈」を登場させための道を開くためのものである。もう一つは、「五十度」を「五十営」に改めたことである――これは,このあとに「営気」を登場させるために張られた伏線である。この二つの改変は,血脈理論という大変革の合図を示しており,この変革を経て生まれた,環の端無きが如き〔終わることなく循環する〕血脈運行学説やそれから派生した「営衛学説」が,当時の新しい理論の規範となり,絶対的主導的地位を獲得した。

 五十営篇のこの文章には,二つの意味深長な改変以外に,「二百七十息,氣行十六丈二尺」という実質のある追加された文もある。これも重要な情報を示している。『霊枢』脈度にある「脈度」は測定により出されたものではなく,計算づくで出されたものである。計算の基礎は二つの規定された「数」である。一つは脈が一周する長さ「十六丈二尺」であり,もう一つは脈の総数「二十八」であり,天道の「二十八宿」に応じている。要するに,脈の全体数と脈の全体の長さがこの二つの数に合うように工夫されている。つまり,不足するものは補われ,余分なものは取り除かれている。

 このほか,『霊枢』根結が論じている「五十営」の文も同様に扁鵲の脈書から改編されたものである――扁鵲の原文「五十投」★を「五十営」に改めた。

    ★五十投:『脈經』卷4・診脈動止投數疏數死期年月第6および『備急千金要方』卷28・診脈動止投數疏數死期年月第13:「脈來五十投而不止者,五臟皆受氣,即無病也」。

 ここで問わざるを得ないのは,なぜ『霊枢』の編者が「営」という字にこれほどまでに執着し,原文の本来の意味を破壊することさえ厭わなかったのかということであるが,『霊枢』第十六篇「営気」の全文がこの問題に対する答えである。つまり,このような終始循環する血脈運行理論を構築するためには「営気」という重要な概念が必要である。そして,この時になってはじめて営気篇の前の五十営篇,営気篇の後の脈度・営衛生会などの篇が,すべて営気篇のための布石であると理解できる。

 この点を見破ることができないと,これらの数篇を真に理解することはできず,営気が一周循環するのになぜ「二十八脈」が必要なのか,この二十八脈の長さ「十六丈二尺」がどこから来たのかを理解することはできない。

 したがって,伝世本『内経』という新しい理論枠組みを構築するために「裁断」された扁鵲医籍の例には十分な警戒が必要で,特に慎重に他の伝世文献に引用された関連文を参照して,比較判別する必要がある。

 正確に言えば,伝世本『内経』は少数の専門篇以外,多くの篇章は「合編」の方式で編纂されている。――扁鵲の説を主体として,他の学派の説で補充したものもあれば,他の学派の理論を主体として,扁鵲の説で補充したものもある。つまり,後に王叔和が編纂した『脈経』の例と同様に,一つの篇に収められた素材は異なる時期や異なる学派から取られたものである。ただし,王叔和は原文により忠実であり,故意に文字を改変することはなかった。これが両者の最大の違いである。

2024年10月25日金曜日

  扁鵲医籍考 04.2

   1. 確定した扁鵲佚文による判定


     黃帝問扁鵲曰……虛者實之,補虛瀉實,神歸其室,補實瀉虛,神捨其墟,衆邪並進,大命不居(『千金翼方』卷二十五 色脈〔・診氣色法第一〕)。

     瀉虛補實,神去其室,致邪失正,真不可定,粗之所敗,謂之夭命。補虛瀉實,神歸其室,久塞其空,謂之良工(『靈樞』脹論)。

    

 『千金翼方』という確かな証拠を利用して,『霊枢』脹論のこの文章も扁鵲医籍に由来することが確認できる。また,上記の二つの文の内容は同じでも表現が異なることから,両者は扁鵲医書の異なる伝本から引用されたか,または一方が原書の原文を直接引用し,もう一方が原書の原文を改編したのかもしれない。


     夫癰疽之生,膿血之成也,不從天下,不從地出,積微之所生也。故聖人自治於未有形也;愚者遭其已成也(『靈樞』玉版)。

     扁鵲攻於腠理,絕邪氣故癰疽不得成形。聖人從事於未然,故亂原無由生。是以砭石藏而不施,法令設而不用。斷已然,鑿己發者,凡人也。治末〔一本は「未」に作る〕形,睹未萌者,君子也(『鹽鐵論』大論)。


 『塩鉄論』の確かな標識〔=扁鵲〕を利用すれば,玉版篇のこの文章がたとえ扁鵲医書の原文を直接収録したものではないとしても,扁鵲医学の学術思想を伝承していることは間違いと判断できる。さらに他の証拠が参照できれば,より確かな判断を下すことができる。


     其腹大脹,四末清,脫形,泄甚,是一逆也;腹脹便血,其脈大,時絕,是二逆也;咳溲血,形肉脫,脈搏,是三逆也;嘔血,胸滿引背,脈小而疾,是四逆也;咳嘔腹脹,且飧泄,其脈絕,是五逆也。如是者,不及一時而死矣。工不察此者而刺之,是謂逆治(『靈樞』玉版)。

     診人心腹積聚……其脈大,腹大脹,四肢逆冷,其人脈形長者,死。腹脹滿,便血,脈大時絕,極下血,脈小疾者,死……咳而嘔,腹脹且泄,其脈弦急欲絕者,死(『脈經』卷四·診百病死生訣第七)。


 『脈経』に引用された扁鵲の死生を決する診法という確かな証拠を加えると,玉版篇の主体となる部分が扁鵲医書から採られたものであると安心して判定できる。

 確定した扁鵲の佚文に基づくことにより,『内経』が伝承した扁鵲医籍を判定できるだけでなく,それと同時にその引用方法についても考察できる。前述したように,『素問』五蔵生成篇の主体となる部分は扁鵲医籍から採られたものである。以下に五蔵生成篇の最後の二段の文章を引用してみる。


     赤脈之至也,喘而堅,診曰有積氣在中,時害於食,名曰心痹,得之外疾,思慮而心虛,故邪從之。白脈之至也,喘而浮,上虛下實,驚,有積氣在胸中,喘而虛,名曰肺痹,寒熱,得之醉而使內也。青脈之至也,長而左右彈,有積氣在心下支胠,名曰肝痹,得之寒濕,與疝同法,腰痛足清頭痛。黃脈之至也,大而虛,有積氣在腹中,有厥氣,名曰厥疝,女子同法,得之疾使四肢汗出當風。黑脈之至也,上堅而大,有積氣在小腹與陰,名曰腎痹,得之沐浴清水而臥。

     凡相五色之奇脈,面黃目青,面黃目赤,面黃目白,面黃目黑者,皆不死也。面青目赤,面赤目白,面青目黑,面黑目白,面赤目青,皆死也。

                           ――『素問』五藏生成


 ここでの脈診と色診はみな五色と関連しており,倉公が伝授された「五色診病」とすこぶる合致している。また,第一段の文章の形式構造と内容の大意は,みな『史記』扁鵲倉公列伝に引用されている「脈法曰」や『脈経』巻六の五蔵脈とよく対応しているが,文字にはかなりの改変が見られ,扁鵲の脈書の原文を直接録したものではないか,少なくとも初期の伝本から録したものではないようである。しかし,第二段の文章は『脈経』に収録されている「扁鵲華佗察声色要訣」と完全に一致しており,同一伝本から収録され,かつ原文を直接収録したものである。関連する文は,『千金要方』『千金翼方』に引用されている異なる伝本の扁鵲医籍にも見られる。


2024年10月24日木曜日

  扁鵲医籍考 04.1

   (四)『素問』『霊枢』

  

 伝世本『黄帝内経』は扁鵲の医学論文を大量に採用している。『史記』扁鵲倉公列伝という確定された「座標」をもととして,それに『脈経』や『千金要方』『千金翼方』の引用文に関する最新の発見を加えることで,伝世本『内経』の基本構成に含まれる扁鵲医学という構成要素について,より正確な判断が可能となる。以下,『素問』刺瘧から説き起こす。


     足太陽之瘧,令人腰痛頭重,寒從背起,先寒後熱,熇熇暍暍然。熱止汗出,難已,刺郄中出血。足少陽之瘧,令人身體解㑊,寒不甚,熱不甚,惡見人,見人心惕惕然,熱多汗出甚,刺足少陽。足陽明之瘧,令人先寒,洒淅洒淅,寒甚久乃熱,熱去汗出,喜見日月光火氣乃快然,刺足陽明跗上。足太陰之瘧,令人不樂,好大息,不嗜食,多寒熱汗出,病至則善嘔,嘔已乃衰,即取之。足少陰之瘧,令人嘔吐甚,多寒熱,熱多寒少,欲閉戶牖而處,其病難已。足厥陰之瘧,令人腰痛少腹滿,小便不利如癃狀,非癃也,數便,意恐懼氣不足,腹中悒悒,刺足厥陰。

     肺瘧者,令人心寒,寒甚熱,熱間善驚,如有所見者,刺手太陰陽明。心瘧者,令人煩心甚,欲得清水,反寒多,不甚熱,刺手少陰。肝瘧者,令人色蒼蒼然,太息,其狀若死者,刺足厥陰見血。脾瘧者,令人寒,腹中痛,熱則腸中鳴,鳴已汗出,刺足太陰。腎瘧者,令人洒洒然,腰脊痛宛轉,大便難,目眴眴然,手足寒,刺足太陽少陰。胃瘧者,令人且病也,善飢而不能食,食而支滿腹大,刺足陽明太陰橫脈出血。

     瘧發身方熱,刺跗上動脈,開其空,出其血,立寒。瘧方欲寒,刺手陽明太陰、足陽明太陰。瘧脈滿大,急刺背俞,用中鍼旁伍膚俞各一,適肥瘦出其血也。瘧脈小實,急灸脛少陰,刺指井。瘧脈滿大,急刺背俞,用五俞背俞各一,適行至於血也。瘧脈緩大虛,便宜用藥,不宜用鍼…… 

                      ――『素問』刺瘧


 以上の『素問』刺瘧篇における五蔵および胃の瘧病の症状に関する記述は,『千金要方』の五蔵の脈論と,巻十の対応する方薬の主治症にそれぞれ見られる。紙幅を節約するため,以下では「肝瘧」のみを例として取り上げ,『千金要方』の異なる伝本の異なる巻からの引用文を抄録する。


     襄公問扁鵲曰……肝病為瘧者,其人色蒼蒼然,氣息喘悶,戰掉然狀如死人(方在傷寒下卷中)(『新雕孫真人千金方』卷十一)。

     與梅丸治肝邪熱為瘧,令人顏色蒼蒼,氣息喘悶,戰掉狀如死者(『千金要方』卷十・傷寒下)。

     肝病為瘧者,令人色蒼蒼然,太息,其狀若死者,烏梅丸主之(方在第十卷中)(『千金要方』卷十一〔・肝臟〕)。

     肝病為瘧者,令人色蒼蒼然,氣息喘悶,戰掉,狀如死者(『諸病源候論』卷十一・瘧病候》)。


 説明しなければならない点が二つある。第一に,上記の『千金要方』に引用された扁鵲の文は『刪繁方』から孫引きされたものである。『刪繁方』には論説と処方がある。そのため,孫思邈はそれぞれ巻十一の「肝臓脈論」と巻十の「傷寒方の下」に分けて重複して収録している。一方,『諸病源候論』には方薬が一切収録されていないため,病候の下にのみこの条文を収録し,出典を示していない。

 第二に,宋臣が『千金要方』を校訂した際,巻十一の「肝瘧」の病候については『素問』刺瘧に基づいて改編された。そのため,宋人が校勘した医籍に由来する扁鵲医籍の佚文を考察する際には,宋人による改編の可能性に注意し,このような後人による改編によってもたらされた歪みを取り除く方法を模索する必要がある。

 上記の扁鵲が五臓および胃瘧を論じた佚文を見つけたことで,我々は『素問』刺瘧の著作権が扁鵲学派に帰属すると推断できる。さらに調査を進めると,この篇に反映されている診療の特徴,たとえば鍼刺の道具や鍼刺の部位とその命名・刺法・蔵象学説などが,みな扁鵲医学の典型的な特徴と逐一合致していることが確認され,これによってこの判断が裏づけられた。

 この発見の重要な意義は,単に『素問』刺瘧篇の校訂に貴重な他校文献を提供するだけでなく,さらに重要なことは,経脈の「是動」病,特に足陽明脈の「是動」病に対する全く新しい理解をもたらすことであり,また,経脈学説と扁鵲医学の「血縁」関係に対する重要な傍証を提供したことである。

 『霊枢』の「五十営」*や『素問』の「大奇論」が扁鵲医書を丸ごと採用したものである**との説を唱えた学者がすでにいたが,筆者の最近の研究によって,『霊枢』五色と,『素問』の玉版〔論〕要篇と刺瘧篇,および全元起本『素問』巻六の「四時刺逆従論」(王冰注本『素問』四時刺逆従論の第一節「厥陰有余」から「筋急目痛」までの一段の文字に相当する)も全て扁鵲に由来することが明らかになった。

    *廖育群. 重构秦汉医学图像 [M]. 上海:上海交通大学出版社,2012:176. 

    **廖育群. 岐黄医道 [M]. 沈阳:辽宁教育出版社,1991:66. 


 このほか,『霊枢』の根結・癲狂・寒熱病・論疾診尺,『素問』の金匱真言論・五蔵生成・移精変気論・湯液醪醴論・脈要精微論・玉機真蔵論・三部九候論・厥論,および三篇の別論――陰陽別論・五蔵別論・経脈別論――は,いずれも非常にはっきりとした扁鵲医学の特徴を帯びていて,しかも全段の文が『史記』扁鵲倉公列伝と『脈経』『千金翼方』が引用した扁鵲の文にすでに見られる。このことから,伝世本『素問』『霊枢』のこれらの十五篇は,すべてではないとしても,少なくとも主体となる部分は,扁鵲医書から収録したことがわかる。

 特に指摘しなければならないのは,『素問』*の「著至教論」「示従容論」「疏五過論」「徴四失論」「陰陽類論」「方盛衰論」「解精微論」の七篇が『史記』扁鵲倉公列伝に頻出する脈診の用語と関連書名があり,これが扁鵲医学と密接な関係があることをみな示していることである。

    * 正確に言えば,ここでは〔王冰・宋臣による〕改編を経ていない六朝時代の全元起本『素問』を基準とすべきである。


     雷公曰:臣請誦『脈經』上下篇甚衆多矣,別異比類,猶未能以十全,又安足以明之(『素問』示從容論)。

     診病不審,是謂失常,謹守此治,專經相明,『上經』・『下經』,『揆度』『陰陽』,『奇恒』五中,決以明堂,審於終始,可以橫行(『素問』疏五過論)。

     聖人之術,為萬民式,論裁志意,必有法則,循經守數,按循醫事……守數據治,無失俞理,能行此術,終身不殆(『素問』疏五過論)。


 『史記』の太史公自序では,扁鵲医学の特徴を「守數精明〔數を守ること精明〕」と表現している。今日でもなお『史記』扁鵲倉公列伝と『脈経』に引用されている扁鵲方脈から,その「定量化診療」の鮮明な特徴を感じ取ることができる。そして『疏五過論』に用いられている「循經守數〔經に循い數を守る〕」「守數據治〔數を守り治に據(よ)る〕」は,太史公の表現と軌を一にしていながら,さらに明確な言葉が使われており,これが「聖人の術」であると強調されている。これも倉公の表現と合致して,扁鵲医学に精通していなければこのような本質に触れるまとめをすることは不可能である。

 この七篇が『素問』において特別なところはまだある。それは「黄帝と雷公の問答」の形式で記述されている点である。さらに『霊枢』における「黄帝と雷公の問答」の形式で記述された経脈・禁服・五色篇と関連付けると,後の二篇が隣接していて,第十篇である経脈篇が禁服篇の文を明確に引用していることから,三者間の内在的な関連性が現われている。特に五色篇は,学術思想や望色の術が『千金要方』『千金翼方』に引用されている扁鵲の色診と伝承関係にあるだけでなく,五色篇の「黄帝と雷公の問答」の文は,『千金要方』に引用されている「襄公と扁鵲の問答」の伝本をほとんど複製したものである。


     雷公曰:病小愈而卒死者,何以知之?黃帝曰:赤色出兩,大如拇指者,病雖小愈必卒死。黑色出于庭,大如拇指,必不病而卒死(『靈樞』五色)。

     問曰:心病少愈而卒死,何以知之?答曰:赤黑色黯點如博棋,見顏度、年上(在鼻上當兩眼是其分部位也),此必卒死……若年上無應,三年之中病必死矣。(『千金要方』卷十三引「襄公・扁鵲問答」) 

     雷公問曰:病少愈而卒死者,何以知之?黃帝曰:赤色出於兩顴上,大如拇指者,病雖少愈必卒死矣。黑色出於顏貌,大如拇指者,必卒死。顏貌者,面之首也。(顏當兩目下也,貌當兩目上、眉下也。)

     凡天中發黑色,兩顴上發赤色應之者,不出六十日兵死。若年上發赤色應之者,不出三十日死……黑色如拇指在眉上,不出一年暴死。一云三年(『千金翼方』卷二十五・色脈)。

     病人耳目及顴頰赤者,死在五日中。病人黑色出於額,上髮際,下直鼻脊,兩顴上者,亦死在五日中。病人黑氣出天中,下至年上顴上者,死(『脈經』卷五・扁鵲華佗察聲色要訣第四)。

    

 『霊枢』五色篇の「雷公と黄帝の問答」文は,『千金要方』が孫引きした「襄公問扁鵲」伝本の構造と正確に対応しており,かつ後者から改編された痕跡が以上から明らかに見てとれる。

 まず語句からみると,扁鵲の原書の一文を二文に分割し,「赤黑」を「赤」と「黑」に分け,「年上」を「庭」に改めている。――五色篇の冒頭では「庭者,顏也〔庭とは,顏(ひたい)なり〕」と解釈されている。『甲乙経』巻一第十五を調べてみると「黑色出于顏」に作り,『千金翼方』が引用する五色篇の文では「顏貌」に作る。その注によれば,「年上」「庭」「顏貌」の三語の指しているところは近いので,このように文字を変えても原書の本来の意味は失われない。しかし,原書の一文を単純に二文に分割しながらそれに応ずる処置をしなければ,原書の本来の意味から逸脱してしまう。

 『千金要方』が孫引きした「襄公問扁鵲」伝本が示す本来の意味は,赤と黒が顔面と眉間に同時に現われる者は必ず卒死〔急死〕し,一方にのみ現われ,もう一方には応〔反応〕がない場合は,死ぬとはいえ,「三年」の期がある,ということである。――『千金翼方』が基づいた「黄帝問扁鵲」伝本では「一年」に作り,『千金翼方』『脈経』が引用した異なる伝本の扁鵲医籍には継承関係があるが,五色篇の編者による改編を経た後の文は,この意味が全く反映されていない。

 孫思邈は『千金翼方』巻二十五「診気色法第一」を編纂する際に,五色篇のこの条文が扁鵲の文と形は似ているが意味が異なることに気づいたため,両方の文章を掲出したのである。

 五色篇の改編例から,我々はもう一つの別の結論が得られる。『千金要方』が引用した「襄公問扁鵲」伝本は,遅くとも『霊枢』五色篇が編纂された時にはすでに広く伝わっていたということである。

 五色篇に引用された扁鵲の文のもう一つの明らかな改編例は,「以五色命藏,青為肝,赤為心,白為肺,黃為脾,黑為腎」である。扁鵲医学の五臓系統は,肝・心・肺・胃・腎である。学術史研究によれば,蔵象学説において「脾」が「胃」の位置に取って代わるまでには,「脾胃」が共存する過渡期*があった。これには二つの可能性がある。

 第一に,五色篇の編者が当時の新しい理論の枠組みに基づいて引用した扁鵲の脈書の文に調整を加え,当時の主流であった医学理論と矛盾しないようにしたこと。第二に,五色篇の編者が扁鵲医籍の後期の伝本を採用し,その時期には扁鵲医学の蔵象学説がすでに変化していたことである。


  * 黄龙祥.中国针灸学术史大纲 [M]. 北京:华夏出版社,2001:398.

 

 さらに他のさまざまな証拠を総合することによって,深く隠された重大な謎を明らかにすることができた。たとえば,伝世本『内経』に見られる「雷公と黄帝の問答」篇の「雷公」を「襄公」に,「黄帝」を「扁鵲」に改めると,その奥に潜んでいる扁鵲医籍の輪郭の大筋が浮かび上がる。

 また,以下の方法によって伝世本『内経』からさらに多くの扁鵲医籍のテキストや学術思想を識別することができる。


2024年10月23日水曜日

  扁鵲医籍考 03

   (三)孫思邈『千金翼方』


 『千金翼方』〔巻25〕色脈には大量に扁鵲の脈書の文が収録されており,その大部分は『脈経』からの孫引きである。しかし,第一篇の「診気色法第一」に引用された「扁鵲曰」の長い文章は,『脈経』の引用とは同一の伝本を出自とするものではなく,『刪繁方』からの孫引きとも思えないので,扁鵲医学の研究において非常に高い文献としての価値があり,『脈経』と『内経』に引用された扁鵲医籍の佚文と相互に証拠とし合い、解釈し合うことで,いくつかの難問を解決する上で重要な役割を果たすことができる。


       扁鵲云:病人本色青,欲如青玉之澤,有光潤者佳,面色不欲如青藍之色。若面白目青是謂亂常,以飲酒過多當風,邪風入肺絡於膽,膽氣妄洩,故令目青。雖云天救,不可復生矣。

      病人本色赤,欲如雞冠之澤,有光潤者佳,面色不欲赤如赭土。若面赤目白,憂恚思慮,心氣內索,面色反好,急求棺槨,不過十日死。

      病人本色黃,欲如牛黃之澤,有光潤者佳,面色不欲黃如竈中黃土。若面青目黃者,五日死。病人著床,心痛氣短,脾竭內傷,百日復愈,欲起徬徨,因坐於地,其亡倚床。能治此者,是謂神良。

      病人本色白,欲如璧玉之澤,有光潤者佳,面色不欲白如堊。若面白目黑無復生理也。此謂酣飲過度,榮華已去,血脈已盡。雖遇歧伯,無如之何。

      病人本色黑,欲如重漆之澤,有光潤者佳,面色不欲黑如炭。若面黑目白,八日死,腎氣內傷也。

      病人色青如翠羽者生,青如草滋者死。

      赤如雞冠者生,赤如壞血者死。

      黃如蟹腹者生,黃如枳實者死。

     白如豕膏者生,白如枯骨者死。

      黑如烏羽者生,黑如炲煤者死。

      凡相五色,面黃目青,面黃目赤,面黃目白,面黃目黑,皆不死。

      病人目無精光及齒黑者,不治。  

      病人面失精光,如土色,不飲食者,四日死。

      病人及健人面色忽如馬肝,望之如青,近之如黑,必卒死。

      扁鵲曰:察病氣色,有赤白青黑四氣,不問大小,在人年上者,病也,惟黃氣得愈。年上在鼻上兩目間。如下黑氣細如繩在四墓發及兩顴骨上者,死。或冬三月遠期至壬癸日,逢年衰者不可理,病者死。四墓當兩眉坐直上至髮際,左為父墓,右為母墓,從口吻下極頤名為下墓,於此四墓上觀四時氣。

      春見青氣節盡,死。

      夏見赤氣節盡,死。

      夏秋見白氣節盡,死。

      春見白氣至秋,死。

      夏見白氣,暴死,黑氣至冬,死。

      秋見赤氣節盡,死,冬至後甲子日,死。

      冬見赤氣,暴死,見黃氣至長夏,死。

      ……

      黃帝問扁鵲曰:人久有病,何以別生死,願聞其要。對曰:按明堂察色,有十部之氣,知在何部,察四時五行王相,觀其勝負之變色,入門戶為兇,不入為吉。白色見衝眉上者,肺有病,入闕庭者,夏死。黃色見鼻上者,脾有病,入口者,春夏死。青色見人中者,肝有病,入目者,秋死。黑色見顴上者,腎有病,入耳者,六月死。赤色見頤者,心有病,入口者冬死。所謂門戶者:闕庭,肺門戶;目,肝門戶;耳,腎門戶;口,心脾門戶。若有色氣入者,皆死。黃帝曰:善。

      問曰:病而輒死,甚可傷也,寧可拯乎?對曰:藏實則府虛,府實則藏虛。以明堂視面色,以針寫調之,百病即愈。鼻孔呼吸,氣有出入,出為陽,入為陰;陽為府,陰為藏;陽為衛,陰為榮。故曰:人一日一夜一萬三千五百息,脈行五十周於其身,漏下二刻,榮衛之氣行度亦周身也。

      夫面青者虛,虛者實之,補虛寫實,神歸其室,補實寫虛,神舍〔元版作「捨」〕其墟,衆邪並進,大命不居。黃帝日:善。

      五實(未見)

      六虛者,皮虛則熱,脈虛則驚,肉虛則重,骨虛則痛,腸虛則洩溏,髓虛則墯。

                      ――『千金翼方』卷二十五・色脈

 以上に引用した「扁鵲曰わく」の文の多くは,『脈経』と『霊枢』五色に対応する条文を見つけることができるが,明らかに出自を異にする伝本によるものである。たとえば,最初の引用文は,『脈経』『千金要方』に引用された扁鵲医籍に三つの対応文を見つけることができる:


 病人面黃目青者,九日必死,是謂亂經。飲酒當風,邪入胃經,膽氣妄洩,目則為青,雖有天救,不可復生(『脈經』卷五・扁鵲華佗察聲色要訣第四と『千金要方』卷二十八・扁鵲華佗察聲色要訣第十)。

(扁鵲曰:)面白目青,是謂亂經。飲酒當風,風入肺經,膽氣妄洩,目則為青,雖有天救,不可復生(『千金要方』卷十七・肺藏脈論)。


  これから『脈経』巻五と『千金要方』巻二十八は同一の伝本から引用されているが,『千金翼方』と『千金要方』巻十七は異なる伝本から引用されていることが,明らかに見てとれる。この条文に関して言えば,後者の伝本の方が扁鵲の原書の旧態に近い。調べたところ,以上の三書はすべて扁鵲の文「病人面黃目青者,不死」を引用しているが,『脈経』と『千金要方』巻二十八ではこの条文を引用しながら,「病人面黃目青者,九日必死」ともあり,明らかに誤りがある。


 特に注意すべきは,上記の『千金翼方』に引用された扁鵲医籍には「黃帝問扁鵲曰」という文が明確に記されていて,前にみた『千金要方』が『刪繁方』から孫引きした扁鵲の五色診における「襄公問扁鵲曰」とは明らかに異なることである。古い書籍が伝承される過程で変遷するパターンからすると,問答にあらわれる姓名が異なることは,伝本を鑑別する重要な情報の一つとなることがしばしばである。さらに,『史記』扁鵲倉公列伝にある「黃帝扁鵲之脈書」という文言に関連づけると,倉公が伝授された書も「黃帝問扁鵲曰」という問答方式であった可能性が高い。ここまで来れば,扁鵲医籍には少なくとも二つの異なる伝本があったことがわかる。

 次に,異なる伝本の変遷と年代の前後についてもさらに検討する。

 『千金翼方』に引用された扁鵲医籍について,特筆すべきは以下の二点である。

 第一に,扁鵲医学には「六絶」「六極」*の学説があることが知られているが,『千金翼方』の引用文には「六虚」**も現われる。これにより六体の「虚」「極」「絶」という三つの深さが異なる発展段階が完全に揃ったことになる。そのうえ,「六虚」に含まれる「皮」「脈」「肉」「骨」「腸」「髄」は,『史記』扁鵲倉公列伝で扁鵲が言及した疾病が伝変する順序***と正確に対応している。異なる点は,「六虚」説では「骨髄」を二つに分けていることで,これは「六」という数を意図的に合わせようとしたように見える。

    *『備急千金要方』卷十九・補腎第八:「六極者,一曰氣極,二曰血極,三曰筋極,四曰骨極,五曰髓極,六曰精極」。

    **『千金翼方』卷第二十五 色脈・診氣色法第一:「六虛者,皮虛則熱,脈虛則驚,肉虛則重,骨虛則痛,腸虛則泄溏,髓虛則惰」。

    ***『史記』扁鵲倉公列傳:「疾之居腠理也,湯熨之所及也;在血脈,鍼石之所及也;其在腸胃,酒醪之所及也;其在骨髓,雖司命無柰之何」。

    

 第二に,「虛を補い實を瀉す」という治療原則が明確に言及されている。この治療原則については,早くは張家山から出土した漢簡『脈書』に関連する記述が見られるが,『霊枢』経脈から伝承された「盛則瀉之,虛則補之,不盛不虛,以經取之」という名言の著作権が扁鵲学派に帰属することは,これまで認識されてこなかった。

 『千金翼方』巻二十五の第一篇「診気色法」の構成を見ると,『霊枢』五色や仲景書から引用された数条を除き,すべて扁鵲医籍から収録されている。さらに,下文においてこの篇に引用された『五色』の文も確実に扁鵲医籍に由来することを論証するが,これによって,五色診は扁鵲医学の「特許」であるという基本的な判断が得られる。


2024年10月22日火曜日

  扁鵲医籍考 02

   (二)謝士泰『刪繁方』

    

  図15 范行準輯本『刪繁方』

〔「巻1 序例・薬品・傷寒」の部分。略す。/南北朝・謝士泰 撰『刪繁方』,范行準輯佚,全漢三國六朝唐宋方書輯稿,中醫古籍出版社,2019年〕

    

 扁鵲の脈書の佚文を研究する上でかけがえのない価値を持つもう一つの文献は,六朝時代の謝士泰による『刪繁方』(図15を参照)である。この書は失われたが,唐代の『千金要方』『外台秘要方』,特に前者がこの書の内容を大量に引用している。初歩的調査によれば,『千金要方』に引用されている大量の扁鵲医書の佚文は,『脈経』からの孫引きを除き,その他は『刪繁方』から孫引きしたものである。後者は扁鵲の脈学を理解するための重要な情報を提供しており,これらの情報を利用することで,これまで我々が扁鵲の脈学を研究する中で遭遇した困惑の多くが容易に解決されるようになった。たとえば,扁鵲の診断の特技である「望色」「聴声」「写形」については,『史記』扁鵲倉公列伝に見られるが,『脈経』巻五に収められた「扁鵲脈法」にも「相病之法,視色聽聲,觀病之所在〔病を相(み)るの法は,色を視て聲を聽き,病の在る所を觀る〕」と明言されている。しかしながら,その診断方法がどのように操作され,どのように応用されるかは誰も知らず,伝説となってしまった。一方,『千金要方』は扁鵲医学における五臓の「色を望み」「声を聴き」「形を写す」ことに関するきわめて詳細な記述を『刪繁方』から引用している。引用された五篇の文章構造は同じであり,引用文の注記には詳細・簡略という違いが見られるが,一篇全体の文章から直接抜粋したものであることがわかる(図16を参照)。


図16 『千金要方』が孫引きした『刪繁方』〔図,省略。正しくは,「『新彫孫真人千金方』が孫引きした『刪繁方』」,である〕


 以下は,宋人の校改を経ていない『新彫孫真人千金方』巻十一「肝蔵脈論」が引用する第一篇〔『備急千金要方』巻11・肝蔵脈論第一〕の関連文である。


襄公問扁鵲曰:吾欲不脈,察其音,觀其聲,知其病生死,可得聞乎?答曰:乃道大要,師所不傳,黃帝貴之,過於金玉。入門見病,觀其色、聞其聲呼吸,則知往來出入,吉兇之相。角音人者,肝聲也,其聲呼,其音琴,其志怒,其經足厥陰。逆足少陽則榮衛不通,陰陽反祚,陰氣外傷,陽氣內擊,擊則瘧,瘧則卒然喑啞不聲,此為厲風入肝,踞坐不得,面目青黑,四肢緩弱,遺矢便利,甚則不可治,大者旬月之內(方在治風毒方下卷)。又呼而哭,哭而反吟,此為金克木,陰擊陽,陰氣起而陽氣伏,伏則實,實則熱,熱則喘,喘則逆,逆則悶,悶則恐畏,目視不明,語聲切急,謬說有人,此為邪熱傷肝,甚則不可治。〔襄公 扁鵲に問うて曰わく:吾れ脈せずして,其の音を察し,其の聲を觀て,其の病の生死を知らんと欲す,聞く得可きか?答えて曰わく:乃ち大要を道(おさ)め,師の傳えざる所,黃帝 之を貴ぶこと,金玉に過ぎたり。門に入って病を見,其の色を觀、其の聲呼吸を聞かば,則ち往來出入,吉兇の相を知る。角音の人は,肝の聲なり,其の聲は呼,其の音は琴,其の志は怒,其の經は足厥陰。足少陽を逆すれば則ち榮衛通ぜず,陰陽反祚し,陰氣 外に傷(やぶ)れ,陽氣 內に擊(せ)む,擊むれば則ち瘧す,瘧すれば則ち卒然として喑啞して聲せず,此れを厲風 肝に入ると為す,踞坐すること得ず,面目青黑く,四肢緩弱し,遺矢便利し,甚だしければ則ち治す可からず,大なる者は旬月の內なり(方は治風毒方下卷に在り)。又た呼して哭し,哭して反して吟す,此れを金 木に克つと為す,陰 陽を擊(せ)む,陰氣起って陽氣伏す,伏せば則ち實す,實すれば則ち熱す,熱すれば則ち喘ぐ,喘げば則ち逆す,逆すれば則ち悶ゆ,悶えれば則ち恐畏し,目視 明らかならず,語聲 切急し,謬說 人に有り,此れを邪熱 肝を傷(やぶ)ると為す,甚だしければ則ち治す可からず。〕

    

 又云:若脣色雖青,面(而)眼不應可治。肝病為瘧者,其人面色蒼蒼然,氣息喘悶,戰掉然狀如死人(方在傷寒下卷中)。若人本來少作悲恚,忽爾嗔怒者,反常、乍寬乍急,言未竟以手向眼,如有所思,若不即病,禍即至矣,此肝聲之證也。其人若虛,則為寒風所傷;若實,則為熱氣所損。陽則瀉之,陰則補之。〔又た云う:若(も)し脣色 青しと雖も,(而れども)眼應ぜざれば治す可し。肝病んで瘧を為す者は,其の人面色 蒼蒼然として,氣息喘悶し,戰掉然として狀(すがた) 死人の如し(方は傷寒下卷中に在り)。若し人本來少(わか)くして悲恚を作(な)し,忽爾として嗔怒する者は,常に反し、乍(たちま)ち寬乍ち急し,言未だ竟(お)えずして手を以て眼に向け,思う所有るが如し,若し即(ただ)ちに病ざれば,禍即ちに至る,此れ肝聲の證なり。其の人若し虛せば,則ち寒風の傷る所と為る。若し實せば,則ち熱氣の損する所と為る。陽は則ち之を瀉し,陰は則ち之を補う。〕

    

凡人分部陷起者,必有病生。膽少陽為肝之部,而藏氣通於內外,部亦隨而應之。沈濁為內,浮清為外,若色從外走內者,病從外生,部處起;若色從內出外者,病從內生,部處陷。內病前治陰後治陽,外病前治陽後治陰。陽主外,陰主內,凡人死生休否,則臟神前變形於外,人肝前病,目則為之無色,若肝前死,目則為之脫精,若天中等分,墓色應之,必死不治。看應增損斟酌賒促,賒則不出四百日內,促則不延旬月之間,肝病少愈而卒死。何以知之?曰:青白色如拇指大黡點見顏頰上,此必卒死。肝絕八日死,何以知之?面青目赤,但欲伏眠,視而不見人,汗出如水不止(一曰二日死)。面黑目青者不死,青如草滋死,吉兇之色在於分部。順順而見,青白入目必病,不出其年,若年上不應,三年之中,禍必應也〔凡そ人の分部 陷起する者は,必ず病の生ずること有り。膽少陽は肝の部為(た)り,而して藏氣は內外に通ず,部も亦た隨って之に應ず。沈濁を內と為し,浮清を外と為す,若(も)し色 外從(よ)り內に走る者は,病 外從(よ)り生じ,部處 起こる。若し色 內從(よ)り外に出づる者は,病 內從(よ)り生じ,部處 陷る。內の病は前(さき)に陰を治し後に陽を治す,外の病は前に陽を治し後に陰を治す。陽は外を主り,陰は內を主る,凡そ人の死生休否は,則ち臟神前(さき)に變じて外に形(あら)わる,人の肝前(さき)に病めば,目は則ち之が為に色無し,若し肝前(さき)に死せば,目は則ち之が為に精を脫す,若し天中等分なれば,墓色 之に應ず,必ず死せば治せず。看て應(まさ)に增損して賒促を斟酌すべし,賒(とお)ければ則ち四百日の內を出でず,促(ちか)ければ則ち旬月の間に延びず,肝病んで少しく愈えて卒(にわ)かに死す。何を以て之を知る?曰わく:青白き色の拇指大の如き黡〔=黶(ほくろ・あざ)〕點 顏頰の上に見(あら)わるれば,此れ必ず卒かに死す。肝絕ゆれば八日にして死するは,何を以て之を知る?面(おもて)青く目赤し,但だ伏して眠(ねむ)り,視れども人に見(あ)わざらんと欲し,汗出づること水の如く止まらざるは(一曰二日にて死す)。面黑く目青き者は死せず,青きこと草滋の如きは死す,吉兇の色は分部に在り。順順として見(あら)われ,青白 目に入れば必ず病み,其の年を出でず,若し年上って應ぜざれば,三年の中,禍い必ず應ずるなり〕*。

 

  * この段落のテキストは,『新雕孫真人千金方』では欠けているので,宋校本『千金要方』から補録した。

 上述した三つ段落と形式構造が完全に同じテキストは,『千金要方』の巻十一「肝蔵脈論」篇,巻十三「心蔵脈論」篇,巻十五「脾蔵脈論」篇,巻十七「肺蔵脈論」篇,巻十九「腎蔵脈論」篇にも現われるが,「襄公問扁鵲曰」は最初の引用時にのみ現われ,他の四つの蔵脈論の引用文には「問曰」「答曰」または「扁鵲曰」とだけ記されている。これは,この五篇の文が扁鵲の脈書の中で一つのまとまったものであり,「襄公問扁鵲曰」は篇の冒頭にのみ現われ,他の各段落では繰り返されてないことを示している。孫思邈が各篇に切り取って引用したときも元のままで切り貼りしたので,引用した姓名は繰り返されて出されなかったのである。

 以下,この一連の引用文だけで扁鵲の脈書の佚文研究において,どのような難題が解決できるかを見てみよう。

 第一に,『脈経』〔巻4〕診五臓六腑気絶証候第三と相互に証拠とし校勘する。

 第二に,『脈経』〔巻5〕扁鵲華佗察声色要訣第四と相互に証拠とし校勘し,両者がそれぞれ異なる伝本の扁鵲の脈書から引用されていることが確定できる。

 第三に,『霊枢』五色と相互に証拠として解釈する。たとえば「五色之見也,各出其色部。部骨陷者,必不免於病矣〔五色の見(あら)わるるや,各々其の色部に出づ。部骨の陷る者は,必ず病を免れず〕」、「沈濁為內,浮澤為外〔沈濁を內と為し,浮澤を外と為す〕」などの珍しい言い方と用語は,いずれも上述の扁鵲医学書の佚文を利用して正しい理解を得ることができる。それと同時に判断できるのは,少なくとも『霊枢』五色篇の一部の内容が『千金要方』に引用された「襄公問扁鵲曰」と同じ伝本の扁鵲医書を基に改編されたものであるということである。例は下文で詳しく述べる。

 第四に,伝世本『内経』中に異なる形式で伝承された扁鵲医籍を判定するための重要な傍証を提供する。

 第五に,『千金翼方』巻二十五・診気色法第一と相互に啓発するところがある。

 このように,時には一つの重要な証拠を発見し,それを他の証拠とつなぎ合わせることで,明確な方向性と完全な意味を持つ証拠の連鎖を形成することができる。それによって,これまでに収集された扁鵲医書の佚文の断片を正しく繋ぎ合わせて,比較的完全な画面を形成することができる。これによって,以前『霊枢』五色を読んで抱いていた様々な疑問がみな氷解するだけでなく,同時に『霊枢』五色がたとえ倉公が当時伝授された『五色』の全文を収録したものではないとしても,少なくともこの篇を主体として改編されたものであるとさらに確信するようになった。考証は下文を参照。


2024年10月21日月曜日

  扁鵲医籍考 01

  黄龍祥『鍼灸典籍考』北京科学技術出版社,2017年より

  若干,改行を増やした。*は原注。〔〕内と★は訳者による。


 「扁鵲医籍」とは,時代を異にする扁鵲医学の伝承者が編纂した医学書のまとまりを指す。すなわち一つの流派の書ではあるが,一人が著わした書ではなく,ましてや扁鵲本人が自ら編纂した医学書ではない。

  筆者の現在の研究によれば,扁鵲学派の宗師は秦越人――扁鵲である。その影響を受けた伝承者には,漢代の淳于意と華佗,六朝の謝士泰がいるが,扁鵲の医籍を伝え広めるのに顕著な貢献をした人物は晋代の王叔和である。

 「扁鵲医籍」には脈書・方書・薬論・明堂の四種類が含まれる。その中で「明堂」類医籍の出現は比較的遅い。以上の四種類の扁鵲医籍の原書はみな後代に伝わらなかった。しかし分量にばらつきがあるが,それぞれ佚文が残っている。倉公が当時伝授された扁鵲の『脈書』上下経 (篇) の主要な内容は王叔和の『脈経』に輯録され,また伝世本『黄帝内経』に異なる形式で伝承された。その晩期の伝本の内容の一部は『難経』に伝存する。『五色診』は『脈経』と六朝の謝士泰『刪繁方』に「襄公問扁鵲」として,『千金翼方』では「黄帝問扁鵲」として引用されており,また『霊枢」五色に伝承されている。「薬論」の一部は『素問』湯液醪醴論と『刪繁方』に伝承されている。やや晩出の「明堂」の佚文の主なものは,『刪繁方』と『医心方』に見られる。

 本篇では重点的に鍼灸と密接な関係にある「脈書」と「明堂」類の佚文を考察する。


    一 扁鵲の脈書

    

 扁鵲の脈書には,脈診(脈論・脈診法・五色診・脈症・脈死候・病症の鍼灸治療)と経脈(循行と病候)が含まれ,『漢書」芸文志・方技略の「医経」類の内容に相当する。言い換えれば,劉向による「医経」に関する定義は,まさに漢以前に伝えられた扁鵲の脈書の基本的な内容を概括したものある。

   筆者が調査したところ,扁鵲の脈書を直接引用した医籍には『脈経』『刪繁方』『千金翼方』『霊枢』『素問』『難経』がある。


  (一)扁鵲の『脈法』から王叔和の『脈経』へ


 陽慶が倉公に伝え与えた扁鵲の医籍については,『史記」扁鵲倉公列伝の多くの箇所に言及がある。〔以下のアラビア数字は便宜上訳者が補った。〕


    1. 慶年七十餘,無子,使意盡去其故方,更悉以禁方予之,傳黃帝扁鵲之脈書,五色診病,知人死生,決嫌疑,定可治,及藥論,甚精。受之三年,為人治病,決死生多驗〔慶 年七十餘,子無し,意をして盡く其の故(ふる)き方を去らしめ,更に悉く禁方を以て之に予(あた)う,黃帝扁鵲之脈書を傳え,五色もて病を診,人の死生を知り,嫌疑を決し,治す可きを定む,及び藥論も,甚だ精(くわ)し。之を受くること三年,人の為に病を治し,死生を決するに驗多し〕。

    2. 慶有古先道遺傳黃帝扁鵲之脈書,五色診病,知人生死,決嫌疑,定可治,及藥論書,甚精。……臣意即避席再拜謁,受其脈書上下經、五色診、奇咳術、揆度、陰陽外變、藥論、石神、接陰陽禁書,受讀解驗之,可一年所。明歲即驗之,有驗,然尚未精也。要事之三年所,即嘗已為人治,診病決死生,有驗,精良。〔慶に古先の道有り,黃帝扁鵲の脈書を遺(のこ)し傳う,五色もて病を診,人の生死を知り,嫌疑を決し,治す可きを定む,及び藥論の書,甚だ精(くわ)し。……臣意 即ち席を避けて再拜して謁し,其の脈書上下經・五色診・奇咳術・揆度・陰陽外變・藥論・石神・接陰陽禁書を受く,之を受讀解驗すること,可(ほぼ)一年所(ばかり)。明歲即ち之を驗するに,驗有り,然れども尚お未だ精ならざるなり。要(おおむ)ね之に事うること三年所(ばかり),即ち嘗みに已(もっ)て人の為に治し,病を診て死生を決するに,驗有って,精良なり。〕

    3. 臨菑召里唐安來學,臣意教以五診、上下經脈,奇咳,四時應陰陽重,未成,除為齊王侍醫〔臨菑の召里の唐安來たり學ぶに,臣意 教うるに五診、上下經脈を以てし,奇咳,四時の陰陽の重するに應ずるも,未だ成らざるに,除せられて齊王の侍醫と為る〕。

   4. 菑川王時遣太倉馬長馮信正方,臣意教以案法逆順,論藥法,定五味及和齊湯法。高永侯家丞杜信,喜脈,來學,臣意教以上下經脈、五診,二歲餘〔菑川王 時に太倉馬長馮信をして方を正さしむるに,臣意 教うるに法の逆順を案じ,藥法を論ずるを以て,五味及び和齊の湯法を定む。高永侯の家丞の杜信,脈を喜(この)み,來たりて學ぶに,臣意 教うるに上下經脈、五診を以てすること,二歲餘〕。

    

  読んでみてすぐ気がつくが,以上の各条の扁鵲医籍の書について,二箇所で言及された陽慶が伝えた書は統一されていて,いずれも「黄帝扁鵲脈書」「五色診病」「薬論」の三種類であり,かつ原文による前の二種類の書物の内容の簡単な記述から,それが診法の書であることがわかる。第2条にある倉公が伝授されたものは,師である陽慶が伝えた書とは明らかに異なるし,「奇咳術」「揆度」「陰陽」「外変」「石神」「接陰陽禁書」の六つが多い。

 同じ文章の中で,同じ書の記述にこれほど大きな相違があるのは,文章の前後に詳細と簡略という違いがあるのかもしれない。もう一つのより大きな可能性は,この扁鵲医籍にはもともと書名がないか,あるいはその多くに書名がないことである。ここに列挙された名前はみなその内容に基づいて臨時に作成されたもので,暫定的な題名の中には,「大題」,つまり書名もあれば,「小題」,つまり篇名もあり,あるいは「大題」のみを挙げて「小題」を挙げないので,同じ書であるのに異なる名前となったり,前後で詳細だったり簡略だったりしてかなり差が大きくなっている。以上の各条で言及されている二種類の本――「脈書(上下経)」と「五色診」は,書名を指している可能性が高いが,「奇咳術」「揆度」などの多くの部分は篇名である可能性がある。倉公が引き合いに出して多く使用しているのは「脈法曰」であるが,一箇所「脈法奇咳曰」というところもある。この「奇咳」は「脈法(書)」のある篇の篇名である可能性が高いことを示している。

 以上のすべての書名の異なる表現の中で,最も誤解されやすいのは、「脈書」「脈書上下経」「上下経脈」である。今の人が持っている中国医学辞典には,「経脈」という言葉は一つの意味区分,つまり「十二本の循行する脈」があるだけである(実は,倉公の時代には,「経脈」=十二本の脈という意味区分はまだ誕生していなかった)。そこで人々は以上の三つの異なる表現を見て,つぎのように反応する。第一の反応,というか唯一かもしれない反応は,「上下経脈」と「脈書上下経」が同じ書ではありえない,というものである。しかし,以上の第3条の倉公がいう「上下経脈」の前は「五診」であり,後ろは「奇咳」であり,それが前の〔第2〕条で挙げた三書のうち二書は同じで,隣り合う一書が異なるというのは,明らかに話が通じない。これにはより多く,より強力な証拠がある。『史記』扁鵲倉公列伝におけるこれらの扁鵲医籍に関する異なる表現は,伝世本『素問』第75〜81の「雷公問黄帝」七篇にも見える。この七篇は扁鵲医籍と密接に関連している。以下で具体的に検討する。


雷公曰:臣請誦「脈脛上下篇」甚衆多矣,別異比類,猶未能以十全,又安足以明之……吾問子窈冥,子言「上下篇」以對,何也?夫脾虛浮似肺,腎小浮似脾,肝急沈散似腎,此皆工之所時亂也〔雷公曰わく:臣請う「脈脛上下篇」を誦すること甚だ衆多なり,異を別かち類を比ぶるは,猶お未だ以て十全なること能わず,又た安(いず)くんぞ以て之を明らかにするに足らん……吾れ子に窈冥を問う,子の「上下篇」を言いて以て對(こた)うるは,何ぞや?夫れ脾の虛浮は肺に似,腎の小浮は脾に似,肝の急沈散は腎に似る,此れ皆な工の時に亂るる所なり〕。(『素問』示從容論)

    

診病不審,是謂失常,謹守此治,與經相明,「上經」「下經」,揆度陰陽,奇恒五中,決以明堂,審於終始,可以橫行〔病を診るに審らかならず,是れを失常と謂う,謹んで此の治を守れば,經と與(とも)に相い明らかなり,「上經」「下經」,揆度陰陽,奇恒五中,決するに明堂を以てし,終始を審らかにして,以て橫行す可し〕。(『素問』疏五過論)

    

黃帝……而問雷公曰:陰陽之類,經脈之道,五中所主,何藏最貴?雷公對曰:春甲乙青,中主肝,治七十二日,是脈之主時,臣以其藏最貴。帝曰:却念「上下經」陰陽、從容,子所言貴,最其下也……雷公曰:臣悉盡意,受傳「經脈」,頌得從容之道,以合「從容」,不知陰陽,不知雌雄。帝曰:三陽為父,二陽為衛,一陽為紀。三陰為母,二陰為雌,一陰為獨使〔黃帝……而して雷公に問いて曰わく:陰陽の類,經脈の道,五中の主る所,何れの藏か最も貴き?雷公對えて曰わく:春は甲乙にして青,中は肝を主り,七十二日を治す,是れ脈の主る時,臣 其の藏を以て最も貴しとす,と。帝曰わく:却(かえ)って「上下經」陰陽・從容を念(おも)うに,子の貴しと言う所は,最も其の下なり,と。……雷公曰わく:臣悉く意を盡くし,「經脈」を受け傳え,從容の道を頌し得て,以て「從容」に合するも,陰陽を知らず,雌雄を知らず,と。帝曰わく:三陽は父為(た)り,二陽は衛為り,一陽は紀為り。三陰は母為り,二陰は雌為り,一陰は獨使為り,と〕。(『素問』陰陽類論)

    

是以少氣之厥,令人妄夢,其極至迷。三陽絕,三陰微,是為少氣。是以肺氣虛則使人夢見白物,見人斬血藉藉,得其時則夢見兵戰。腎氣虛則使人夢見舟船溺人,得其時則夢伏水中,若有畏恐。肝氣虛則夢見菌香生草,得其時則夢伏樹下不敢起。心氣虛則夢救火陽物,得其時則夢燔灼。脾氣虛則夢飲食不足,得其時則夢築垣蓋屋。此皆五藏氣虛,陽氣有餘,陰氣不足,合之五診,調之陰陽,以在「經脈」〔是こを以て少氣の厥は,人をして妄りに夢みしめ,其の極みは迷いに至る。三陽絕し,三陰微,是れを少氣と為す。是こを以て肺氣虛すれば則ち人をして夢に白物を見しめ,人をして斬血藉藉たるを見しめ,其の時を得れば則ち夢に兵戰を見る。腎氣虛すれば則ち人をして夢に舟船の溺人を見しめ,其の時を得れば則ち夢に水中に伏して,畏恐有るが若(ごと)し。肝氣虛すれば則ち夢に菌香生草を見しめ,其の時を得れば則ち夢に樹下に伏して敢えて起たず。心氣虛すれば則ち救火陽物を夢み,其の時を得れば則ち燔灼を夢む。脾氣虛すれば則ち飲食不足を夢み,其の時を得れば則ち垣を築き屋を蓋うを夢む。此れ皆な五藏の氣虛し,陽氣有餘し,陰氣不足す,之を五診に合わせ,之を陰陽に調うるは,以て「經脈」に在り〕。(『素問』方盛衰論)

    

 倉公が受けとった書の中の「五色診」「奇咳術」「揆度」「陰陽」は,すでに『疏五過論』『方盛衰論』に見られ,その「脈書上下経」は「脈経上下篇」に対応することは間違いない。しかし後者は『素問』では,「上下篇」「上下経」「上経」「下経」にいう「経脈」(特に第3条の「経脈」)はまた「上下経」と同じ意味として互いに置き換えることができ,明らかに同じ書名である。つまり倉公の「上下経脈」「脈書上下経」に対応し,それが論じているのはみな脈診であり,十二経脈ではなく,『史記』扁鵲倉公列伝で述べられている「知人死生,決嫌疑,定可治〔人の死生を知り,嫌疑を決し,定めて治す可し〕」と完全に対応する*。


      *たとえば,『素問』示従容論は,『脈経』の上下篇によって脈法の「別異比類」のことをいい,あわせて「脾虛浮似肺,腎小浮似脾,肝急沈散似腎」を例として挙げている。これに対して倉公は文帝からの問いに「別異比類」の手順を具体的に解釈している。最後の方盛衰論の条文では,『経脈』によって三陰三陽脈の「絶」と「微」を夢によって診断している。この文は『千金要方』では「扁鵲曰」として引用されている。この条文中の「腎気虚」の文については,『脈経』〔巻2〕平三関陰陽二十四気脈第一にも見られるので,これが扁鵲の脈法を出典としていることは,さらに疑いない。


 扁鵲医籍を集録した伝世本『素問』の七篇に引用された書名と引用された内容の概略から,以下のことを証明することができる。すなわち,『史記』扁鵲倉公列伝で言及されている「脈書」「脈書上下経」「上下経脈」は同一書についての異なる呼び名である。三者が同一書を指しているからこそ,倉公もその「診籍」において,概括して「脈法曰」としてその文章を引き合いに出しているのである。

 「黄帝扁鵲之脈書」について,これは扁鵲の脈書であって,黄帝の脈書と扁鵲の脈書の二種類ではないことは,李伯聡氏によってすでに論証されている*。「黄帝扁鵲之脈書」と題されているのは,この伝本にはもともと書名がなく,書中に「黄帝・扁鵲」の問答のことばがあることに基づいて書名を擬して,それによって引用しやすくしたためである。筆者は下文においてこの伝本について具体的に検討する。

    * 李伯聪. 扁鹊和扁鹊学派研究 [M]. 西安:陕西科学技术出版社,1990:186.


 倉公の臨証での脈診であれ,その弟子への教育であれ,いずれもこの扁鵲の「脈書」を極めて重視しており,その行方を探ることも筆者の主要な務めとなる。初期の手がかりは依然として信頼度の高い倉公の「診籍」から探る。


風癉客脬,難於大小溲,溺赤……病得之流汗出㵌。㵌者,去衣而汗晞也……脈法曰「沈之而大堅,浮之而大緊者,病主在腎」〔風癉 脬に客し,大小溲に難く,溺(にょう)赤し……病は之を流汗出㵌に得たり。㵌なる者は,衣を去って汗晞(かわ)くなり……脈法に曰わく「之を沈めて大堅,之を浮べて大緊なる者は,病 主として腎に在り」〕(『史記』扁鵲倉公列傳)。

    

 倉公が述べた片言隻句だけでは,この「扁鵲の脈書」の内容についてかなり確定的な認識を持つことは難しいが,綿密な調査と比較を通じて,筆者は倉公が引用した「脈法」の文と絶妙に一致する条文を王叔和の『脈経』の中に見つけた。


腎脈沈之大而堅,浮之大而緊,苦手足骨腫,厥,而陰不興,腰脊痛,少腹腫,心下有水氣,時脹閉,時泄。得之浴水中,身未乾而合房內,及勞倦發之〔腎脈 之を沈めて大にして堅,之を浮べて大にして緊なるは,手足の骨腫に苦しみ,厥し,而して陰 興らず,腰脊痛み,少腹腫れ,心下に水氣有り,時に脹閉し,時に泄らす。之を水中に浴し,身未だ乾かずして房內に合して得,及び勞倦もて之を發す〕(『脈經』卷六・腎足少陰經病證第九)。


 以上の倉公が引いた「脈法曰」の文は,すべて『脈経』の引用文の中に見られる。すなわち『脈経』のこれらの文の源は,倉公が伝授された『脈法』という書にある。

 筆者は丁寧に比較をおこなったところ,さらに多くの倉公「診籍」中の脈論と極めて一致度の高い対応文を,思いもかけず『脈経』で見つけることができた。


 脈法曰「脈來數疾去難而不一者,病主在心」。周身熱,脈盛者,為重陽。重陽者,逿心主。故煩懣食不下則絡脈有過,絡脈有過則血上出,血上出者死。此悲心所生也,病得之憂也〔脈法に曰わく「脈來たること數疾にして去ること難くして一ならざる者は,病 主として心に在り」。周身熱し,脈盛んなる者は,重陽と為す。重陽なる者は,心主を逿(うご)かす。故に煩懣して食下らざれば則ち絡脈に過有り,絡脈に過有れば則ち血上り出で,血上り出づる者は死す。此れ悲心の生ずる所なり,病 之を憂いに得るなり〕(『史記』扁鵲倉公列傳)。

    

 心脈沈之小而緊,浮之不喘,苦心下聚氣而痛,食不下,喜咽睡,時手足熱,煩滿,時忘不樂,喜太息,得之憂思〔心脈 之を沈めて小にして緊,之を浮べて喘ならざるは,心下に氣を聚めて痛むを苦しみ,食下らず,喜(しば)しば咽睡し,時に手足熱し,煩滿し,時に忘れて樂しまず,喜(しば)しば太息す,之を憂思に得たり〕(『脈經』卷六・心手少陰經病證第三)。

    

心病,煩悶,少氣,大熱,熱上盪心,嘔吐,咳逆,狂語,汗出如珠,身體厥冷。其脈當浮,今反沈濡而滑。其色當赤,而反黑者,此是水之克火,為大逆,十死不治〔心の病は,煩悶し,少氣し,大熱し,熱上って心を盪(うご)かし,嘔吐し,咳逆し,狂語し,汗出づること珠の如く,身體 厥冷す。其の脈 當に浮ぶべきに,今反って沈濡にして滑。其の色 當に赤かるべきに,而も反って黑き者は,此れは是れ水の火を克し,大逆と為す,十死して治せず〕(『脈經』卷六・心手少陰經病證第三)。

    

 第一条の文は,まず脈象と脈症を述べ,さらに「得之」の二字で病因を導き出すのは,まさに『脈法』の典型的な形式である。第二条の文は内容が一致するだけでなく,「逿心主」という特徴的な語句にもぴったりと対応している。ちなみに,ここにある「心主」は心を指していて,決して「心包」と誤解してはならない。かつまた,この条文にある陽明脈候中の「黒」の意味――逆証であって順証ではないこと――を明らかにしている。同時に陽明脈症の典型的な顔色が「赤」であることも指摘している。

  扁鵲の脈書の佚文では,陽明脈象と脈象に関する解釈が,みな心と関係があることもわかった。


 心,南方火也。萬物之所盛,垂枝布葉,皆下曲如鉤,故其脈之來疾去遲〔心は,南方火なり。萬物の盛んなる所,枝を垂れ葉を布き,皆な下って曲がること鉤の如し,故に其の脈の來たること疾く去ること遲し〕(『難經』十五難)〔『難経集注』による〕。

    

陽明之脈,浮大以短,動搖三分。大前小後,狀如科斗,其至跳〔陽明の脈,浮大以て短,動搖すること三分。大なる前 小なる後にして,狀(かたち) 科斗(オタマジャクシ)の如し,其の至ること跳〕(『脈經』卷五・扁鵲陰陽脈法第二)。


  この時我々は初めて倉公の脈法にいう「脈來數疾去難而不一者,病主在心〔脈來たること數疾にして去ること難くして一ならざる者は,病 主として心に在り〕」の意味を理解することができる。

 この考えに沿ってたぐっていくと,また一連のものが引き出せた。


    肝脈沈之而急,浮之亦然,苦脇下痛,有氣支滿,引少腹而痛,時小便難,苦目眩頭痛,腰背痛,足為逆寒,時癃,女人月使不來,時無時有,得之少時,有所墜墮〔肝脈 之を沈めて急,之を浮べても亦た然り,脇下痛を苦しみ,氣の支滿すること有って,少腹に引きつれて痛み,時に小便難く,目眩(めまい)頭痛を苦しみ,腰背痛み,足は逆寒を為し,時に癃し,女人は月使來たらず,時に無く時に有るは,之を少(わか)き時に得,墜墮する所有り〕(『脈經』卷六・肝足厥陰經病證第一)。

    

    脾脈沈之而濡,浮之而虛,苦腹脹,煩滿,胃中有熱,不嗜食,食而不化,大便難,四肢苦痹,時不仁,得之房內。月使不來,來而頻併〔脾脈 之を沈めて濡,之を浮べて虛,腹脹るるを苦しみ,煩滿し,胃中に熱有り,食を嗜まず,食すれば化(こな)れず,大便難く,四肢 痹を苦しみ,時に不仁するは,之を房內に得たり。月使來たらず,來たれば頻りに併す〕(『脈經』卷六・脾足太陰經病證第五)。

    

    肺脈沈之而數,浮之而喘,苦洗洗寒熱,腹滿,腸中熱,小便赤,肩背痛,從腰以上汗出。得之房內,汗出當風〔肺脈 之を沈めて數,之を浮べて喘,洗洗として寒熱を苦しみ,腹滿ち,腸中熱し,小便赤く,肩背痛み,腰從り以上汗出づ。之を房內し,汗出でて風に當たるに得たり〕(『脈經』卷六・肺手太陰經病證第七)。〔「以」一作「已」。〕


 「肝脈」「脾脈」「肺脈」の条文は前述の倉公が引用した「脈法曰」の文の構造様式と完全に一致している。『脈経』の三条の文はすべて同じ本――扁鵲「脈法」から収録されたものである。

 特筆すべきことは,『脈経』のこの条文がみな先ず脈を診て,後に症を述べ,さらに「待之」の二字で病因を導き出す表現形式は,まさに倉公診籍の典型的な「筆法」である。ここから推測することができることは,倉公の『診籍』は扁鵲「脈法」を拠り所とするだけでなく,記述形式も「脈法」の筆法を借用したということである。

 『史記』扁鵲倉公列伝に引用される「脈法」という確定的な手がかりを利用すると,『脈経』にある扁鵲医籍にかかわる多くの遺文を識別することができる。例えば:〔以下,『脈経』の句読点を増やして,不揃いを統一した。〕


    所以知成開方病者,診之,其『脈法』奇咳言曰「藏氣相反者死」。切之,得腎反肺,法曰「三歲死」也〔成開方(人名)の病を知る所以の者は,之を診るに,其の『脈法』奇咳の言に曰わく「藏氣相い反する者は死す」と。之を切して,腎の肺に反するを得たり,法に曰わく「三歲にして死す」と〕(『史記』扁鵲倉公列傳)。

    

    春三月木王,肝脈治當先至;心脈次之;肺脈次之;腎脈次之;此為四時王相順脈也。到六月土王,脾脈當先至,而反不至,反得腎脈,此為腎反脾也,七十日死。何為腎反脾?夏火王,心脈當先至,肺脈次之,而反得腎脈,是謂腎反〔原文「反腎」。影宋本により改む〕脾。期五月・六月,忌丙丁。〔春の三月 木王し,肝脈の治 當に先ず至るべし。心脈 之に次ぐ。肺脈 之に次ぐ。腎脈 之に次ぐ。此れを四時王相の順脈と為すなり。六月に到って土王し,脾脈 當に先ず至るべきに,而れども反って至らず,反って腎脈を得るは,此れを腎 脾に反すると為すなり,七十日にして死す。何を腎 脾に反すと為す?夏は火王して,心脈 當に先ず至り,肺脈 之に次ぐべきに,而れども反って腎脈を得るは,是れを腎の脾に反すと謂う。五月・六月を期して,丙丁を忌む。〕

    

    脾反肝,三十日死。何謂脾反肝?春肝脈當先至,而反不至,脾脈先至,是謂脾反肝。期正月、二月,忌甲乙。〔脾 肝に反すれば,三十日にして死す。何を脾 肝に反すと謂う?春は肝脈 當に先ず至るべきに,反って至らずして,脾脈 先に至る,是れを脾 肝に反すと謂う。正月・二月を期して,甲乙を忌む。〕

    

    腎反肝,三歲死。何為腎反肝?春肝脈當先至,而反不至,腎脈先至,是謂腎反肝也。期七月、八月,忌庚辛。〔腎 肝に反すれば,三歲にして死す。何を腎 肝に反すと為す?春は肝脈 當に先ず至るべきに,反って至らず,腎脈 先ず至る,是れを腎 肝に反すと謂うなり。七月・八月を期し,庚辛を忌む。〕

    

    腎反心,二歲死。何為腎反心?夏心脈當先至,而反不至,腎脈先至,是謂腎反心也。期六月,忌戊己。〔腎 心に反すれば,二歲にして死す。何を腎 心に反すと為す?夏は心脈 當に先ず至るべきに,反って至らず,腎脈 先ず至る,是れを腎 心に反すと謂うなり。六月を期し,戊己を忌む。〕

                                                ――『脈經』卷四・診四時相反脈證第四


 注意を要することは,倉公が引用する『脈法』奇咳は「腎反肺,法曰三歲死」で,『脈経』で対応する文が「腎反肝」となっていて,宋人の校改を経ていない『新雕孫真人千金方』巻二十七・診四時相反脈は「肝反肺」になっていることである。伝写の過程で出てきた異文であろうから,唐代の孫思邈が文末に次のように注記している。「此中不論肺金之氣,疏略未預指南,又推五行亦頗顛倒,待垂〔宋版は「求」に作る〕別錄上〔此の中 肺金の氣を論ぜず,疏略にして未だ指南に預らず,又た五行を推すに亦た頗る顛倒すれども,待垂〔「求」〕別錄上〕」。テキストに乱れがあるとはいえ,『脈経』診四時逆脈証第四は扁鵲の脈書に由来することは疑いなく,かつその原文の篇名は「奇咳」であった可能性が高い。

 つまり,『脈経』に保存されている扁鵲の脈書の内容は,これまで我々が以前考えていたような第五巻の四篇の扁鵲脈法に関する専門篇や,書中に「扁鵲曰」と冠された少量の文に限られるものではない。「扁鵲」の名が記されていない篇章にも,実際には扁鵲の脈書の文章が大量に引用されている。倉公が陽慶から伝えられた扁鵲の医籍は魏晋時代にも伝存していたと断言できる。伝本が異なる可能性はあるものの,王叔和は職務上の便宜からそれを閲覧することができて,その中の色脈診の部分をそのまま『脈経』に収録した。さらには「脈経」という書名さえも,倉公が言及した書名――「脈書上下経」をそのまま借用した可能性が高い。筆者は扁鵲の医籍に関する多くの難題を研究する中で,『脈経』という重要な証拠を十分に活用して,新たな発見と突破口を次々と得た。

 『脈経』の基本構成を繰り返し研究した結果,筆者は以下のような大胆な判断を下した。すなわち,『脈経』の診法部分は扁鵲の脈書を主体とし,他の諸家の関連文を補足として編纂されたものである。以上の具体的な証拠以外に,マクロレベルの証拠もある。『脈経』の自序に,「其の王・阮・傅・戴・呉・葛・呂・張,傳うる所の異同,咸(み)な悉く載錄す」という。脈診を特技としない各家の諸説についてはすべて記載されているのに対して,脈法の宗祖たる「扁鵲」には一言も触れていない。こんなことがまかり通るだろうか。あらためて本文に引用された各家の言葉を見直してみると,新たに編纂された文でさえすべて注がある。これに対して大量に一段まるごと引用されている扁鵲の医書の文にはかえって注がきわめて少ない。一層論理に合わない。これらはみな王叔和が『脈経』の引用出典を注記する規則について強く示唆している。その規則とは,第一に,篇全体が扁鵲の脈書を主体とし,他の諸家の説で補足する場合は,主体部分には注をつけず,補足する文の出典のみを標記する。第二に,篇全体がその他の文献を主体とし,扁鵲の脈書で補足する場合は,「扁鵲曰」という字句を標記する。第三に,その篇の全文が扁鵲の脈書から収録された場合は,篇題に明記される。このような専門篇――たとえば巻五の「扁鵲脈法第三」に,「扁鵲曰」という字句が現われる場合は,引用された扁鵲医籍の原書にもとからあったものであり,王叔和が加えた標注ではない。


 

2024年9月21日土曜日

  『医学綱目』の版本について 03

   (三)清抄本

  図5-4 浙江図書館所蔵清初抄本


 浙江図書館には清初の抄本が所蔵されている。

     https://opac.zjlib.cn/opac/book/3291975?index=4&globalSearchWay=&base=q%3D%25E5%258C%25BB%25E5%25AD%25A6%25E7%25BA%25B2%25E7%259B%25AE%26searchType%3Dstandard%26isFacet%3Dfalse%26view%3Dstandard%26ro%3D10%26sortWay%3Dscore%26sortOrder%3Ddesc%26searchWay0%3Dmarc%26logical0%3DAND%26rows%3D1&isCluster=false&searchKeyword=%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E7%BA%B2%E7%9B%AE

    醫學綱目:三十九卷,首一卷 (明)樓英撰 24册, 清(1644-1911)抄本,没有标签。


   この清初の抄本は,清代の諱をいずれも避けていない。浙江図書館は書写の様式・料紙・字体などから清初の抄本と鑑定している。

 全24冊,39巻,半葉11行,毎行22字,四周単辺,黒口,単黒魚尾で,眉批がある。匡郭の高さ22.2cm,幅14.6cm。銭塘東荘〔いま浙江省杭州市銭塘区臨江街道にある村名〕陳𪓌の書識・目録,本文巻一から巻三十九末の「小児部五硬五軟」まであるが,補遺方と運気部は見当たらない。


  図5-5 浙江省中医薬研究院図書館所蔵清抄本(残)


 浙江省中医薬研究院は清抄本として著録する。巻十五,1冊を存す。半葉の行数は13行,毎行の字数は25字,巻十五の首葉には,四明・曹炳章〔1878~1956。浙江省鄞県のひと。『中国医学大成』の編者〕の蔵書印がある。


  (四)曹灼刻本と建陽刻本の比較挙例

  図5-6 明曹灼刻本:其病有二……其二屬

  図5-7 明建陽刻本:其病有二……其二屬

  図5-8 明・曹灼刻本:「陳無擇治卒喉痹」は第34葉の第6列に,「丹溪治喉痹」は第36葉の第11列にある。

  図5-9 明・建陽刻本:「丹溪治喉痹」は「陳無擇治卒喉痹」の後にあり,曹灼刻本と比較すると2葉の内容を欠く。


  『医学綱目』の版本について 02

   (二)明・嘉靖建陽刻本

 上海図書館の古籍聯合目録および循証平台*によれば,『医学綱目』には「明刻本四十巻,附一巻,目録四巻」があり,中国医学科学院図書館・成都中医薬大学図書館・寧波天一閣博物館・吉林省図書館・広州中医薬大学図書館などの機関に所蔵されている。

    *古籍联合目录及循证平台:中文古籍聯合目錄及循證平臺(Chinese Ancient Books Union Catalogue and Evidence-based Platform)是上海圖書館數字〔デジタル〕人文平臺的一個試驗型項目,目前收錄有1400餘家機構的古籍館藏目錄,其中上海圖書館的古籍館藏、加州柏克萊大學〔カリフォルニア大学バークレー校〕東亞圖書館的中文善本館藏、哈佛〔ハーバード大学〕燕京圖書館的中文善本館藏、澳門〔マカオ〕大學圖書館的中文古籍館藏可在線訪問部分掃描〔スキャン〕影像全文。除此之外,還融合了一些在歷史上有一定影響的官修目錄、史誌目錄、藏書樓目錄、私家目錄和版本目錄等,輔之以人名、地名、印章、避諱字、刻工等額外規範數據,並將結合即將開發完成的內容分析統計、時空及社會關係分析和可視化工具。該項目旨在藉由分佈式雲平臺技術〔分散クラウドプラットフォーム技術〕和關聯語義技術〔連想セマンティック技術〕,實現各館現存古籍珍藏的聯合查詢、規範控制,並提供學者循證版本、考鏡流藏之功用,未來希望更多的圖書館攜手加入,以嘉惠學林、澤被後人。 https://gj.library.sh.cn/index


 2021年に中国中医科学院の黄龍祥教授は「明刊45巻本『医学綱目』の版本とその文献的価値」〔「明刊四十五卷本《医学纲目》的版本及文献价值」,『中華医史雑誌』,2021年5月第51巻第3期〕を発表した。その論文で,この明刻本は明・嘉靖建陽刻本で,曹灼刻本に引けを取らない価値があると鑑定し,学界で大いに注目される重要な版本となった。

 曹灼刻本と比較すると,曹灼刻本にある補遺方・五運六気総論・運気占候補遺序・運気占候補遺十五篇および書末の跋が,建陽刻本にはない。反対に建陽刻本の主体となる章,五運の常・五運の変・六気の常・六気の変の諸篇は,曹灼刻本にはみな見られない。


  図5-2 中国医学科学院図書館蔵明嘉靖建陽刻本

  図5-3 寧波市天一閣博物館蔵明嘉靖建陽刻本


 2021年10月に浙江省中医薬研究院中医文献信息〔=情報〕研究所と楼英の故郷,浙江省杭州市蕭山区楼塔鎮人民政府が共同して奮闘し,黄龍祥教授から無償の学術支援を受けて,学苑出版社から『医学綱目』の明・建陽刻本を影印出版*した。

 *http://www.book001.com/News/Detail?id=511


 それに続いて浙江省中医薬研究院中医文献信息研究所も,国家中医薬管理局の『中華医蔵』編纂プロジェクトの一環として『医学綱目』提要の執筆と影印出版を担当し,杭州図書館所蔵の明・嘉靖四十四年曹灼刻本を〔底本として〕選択して影印出版した。

 これによって,より多くの学者が異なる版本を目にする機会が与えられ,全面的で深く持続的な研究をおこなうことができる。

 以下は『医学綱目』の明・建陽刻本の紹介である。


 1 建陽刻本の版本学的価値。

 明・建陽刻本は,本文41巻,目録4巻。前の39巻は曹灼本と同じく上下双欄で,上欄に批注,下欄に本文が刻される。匡郭の高さ20.8 cm,幅30 cm,半葉12行,毎行26字,四周単辺,白口,単黒魚尾で,天頭に字が刻まれているところもある。版心の下方に刻工の名がある。刻工には「余長清・鄒・余賜・波・詹一・詹四・葉一・陸仲周・朱四・周一本・詹嬭員・余唐八・六一・陸七・余双・張八・余朝・劉五・渓・朱・林四・賜一」があり,「小倉侍医王上準庵図書之記*」などが鈐印がある。

    *東京国立博物館所蔵の多紀元簡『金匱玉函要略輯義』には,「小倉侍医山上準庵図書之記」の朱印があるという。これによれば,「王」は「山」字の誤読であろう。豊前小倉藩の侍医であった山上準庵の旧蔵書であろう。

    https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/QB-7174?locale=ja


 曹灼本40巻,匡郭の高さ19 cm,幅30 cm,半葉13行,毎行22字,左右双辺,単白魚尾。版心下の表(おもて)面には書写した銭世傑・顧檈などの名があり,裏面にはそれを彫刻した柯仁意・夏文徳・袁宏などの名がある。「赤龍館図書記*」「弘前医官渋江氏蔵書記」「森氏」などの鈐印がある。

     *赤龍館:国文学研究資料館館蔵和古書目録データベースによれば,国文研所蔵の『詠茶詩録』に「赤竜館」という蔵書印があるという。/弘前医官渋江氏=渋江抽斎。森氏≒森立之。


 明・建陽刻本が基づいた別本は,曹灼刻本とは文と版式に大きな相違がある。版心には刻工の姓名がある。『中国古籍版刻辞典』『古籍刻工名録』などには,詹嬭員・詹三・劉五などは明代の嘉靖年間,余賜は明代の隆慶年間,余長清・陸仲周・余唐八・葉一・周一本・余双などは明代の万暦年間の刻工として載せられている。高い版本学としての価値があり,学者がさらに研究するための参考とすることができる。


 明・建陽刻本の校正と刊刻は,いずれも曹灼本の綿密さには及ばないし,錯葉〔乱丁〕もある。たとえば中国医学科学院図書館と成都中医薬大学図書館の蔵版は,いずれも第五冊の巻之八の第15・16葉は,第十九冊の巻之三十七の第25・26葉とまったく同じであり,上下の文脈を比べれば,巻八に錯葉があるはずである。

 曹灼本が40巻であるのとは異なり,明・建陽刻本は,本文41巻と目録4巻である。

 明・建陽刻本には目録と本文に齟齬がある。目録〔に記載されているの〕は40巻である。その巻四十は運気部であるが,目録に「運氣部別見運氣類注〔運氣部は別に運氣類注に見ゆ〕」との注記がある。本文は41巻である。しかし本文巻四十の巻頭にある大題は「内経運気類注巻之四十」で,本文巻四十一の巻頭にある大題,「内経運気類注巻之四十一」と同じである。他の39巻はこれと異なり,「医学綱目巻之一」から「医学綱目巻之三十九」である。巻三十九巻の巻頭にある大題と巻三十九巻の末尾にある大題は異なっていて,内容に脱漏があることを疑わせる。

 しかしながら,明・建陽刻本は明代以前の文献を大量に保存しており,重要な文献学的価値がある。


 3 建陽刻本の4巻目録の価値

 明・建陽刻本は総綱*のほかに,4巻の目録**〔目次〕がある。これは楼英の原書の基本構成を鑑定し,全書の構造を確定する最も重要な根拠であり,『医学綱目』を読解を保証するものである。全書本文の上欄にある文字もすべてこの4巻目録から出ており,楼英の批注だけでなく,さらに本書の類目もある。この4巻目録があるからこそ,目録と本文はまた本校***の役割も果たしている。

    *医学総綱 https://www.digital.archives.go.jp/img/4421866 4/98 

    **医学目録 https://www.digital.archives.go.jp/img/4421866 14/98 

    ***本校:校勘の方法の一つ。その書の内部で前後の内容を比較し,異同を見つけて,誤りを知る。陳垣『校勘学釈例』を参照。

    

 たとえば,「大法」「雑方」「運気」「鍼灸上」「鍼灸下」「診」などと多くの小見出しは,これらの類目とタイトルの連結を失うと,『医学綱目』はばらばらの砂のようになってしまう。したがって,この4巻の目録がなければ,『医学綱目』の構造と内容を真に理解することは難しい。


 4 建陽刻本における楼英の医学思想の価値

 明・建陽刻本は楼英本人の学術主張と診療思想をより正しく反映している。明・嘉靖四十四年(1565)に曹灼は友人の邵偉元・劉化卿と分担して校讐し,眉批の一部を削除し,誤りを正し,欠けているところを補い,おおやけに刊行した。

 巻一の「朱丹渓相火論」を例にとると,明・建陽刻本には,楼英による多くの批注がある。たとえば,「相火,人之日用燃焚火屬君火,天之龍雷海火屬相火,相火在天,出於龍雷海在人,具於下焦肝腎二部」,「相火皆本於地中陰氣」,「相火無時妄動,則受煎熬而為病,死之漸」,「相火聽命道心而主靜,則陰得養育而為生生之運」などがある。

 これらの文は,曹灼刻本ではいずれも削除されたが,明・建陽刻本ではみな保存されている。このような例はいたるところに見られるので,明・建陽刻本は,我々がさらに研究するに値するものである。


 5 宋元の善本文献を非常の豊富に引用している

 楼氏一族の家学は深く奥行きがあり,専用に排翠楼(後に名を「清燕楼」に改めた)を建て,何代にもわたって収蔵した大量の古籍経典を保存した。とりわけ医学の典籍は,研究・著書・診察・製薬・接客・弟子への伝授に用いられた。

 楼英は三十一歳から排翠楼に隠居をはじめ,収蔵している医書を利用して書物を著わして説を立てた。『医学綱目』は明以前の文献を全部で百種余り引用していて,「内経運気類注」以外の各巻に広く見られる。

 特に隋・唐・五代時代の文献はすでに散佚しているものが多いが,楼氏『医学綱目』はこれらを引用することによってその内容ある程度保存している。また収録した文献が基づいているのは,宋・元代の善本が多いので,金・元の文献を輯校するための宝庫とも言え,極めて高い文献・版本としての価値を有する。

 医学書の校勘にも重要な他校*の資料として用いることができるので,学者のさらなる研究に供することができる。たとえば,黄龍祥教授は『医学綱目』建陽刻本を用いて『鍼灸甲乙経』を校勘した。

    *他校:校勘の方法の一つ。校勘の対象となる書籍以外の書籍と対照して字句の誤りを正すこと。『校勘学釈例』を参照。


 まさに明・建陽本が後世に伝えられたことによって,楼英『医学綱目』が構築した理論がよりよく理解される。『医学綱目』は楼英の最も偉大な作品であり,中国医学理論体系の二度目の系統的再構築を完成し,統一理論体系を基とする鍼方と薬方の知識体系の統合を実現した。本書は,現代的な意義を持つ「中医学」の経典である。

 通行本の多くは曹灼本を底本とするが,明・建陽刻本は曹灼本と明らかに異なる。その貴重な文献と版本学的価値の過小評価には,はなはだしいものがある。とりわけ建陽刻本は『医学綱目』の古態に近いので,楼英の学術思想を復元し研究するための重要な参考価値を持っている。

  『医学綱目』の版本について 01

   (一)明・嘉靖四十四年曹灼刻本


 図5-1 杭州図書館館蔵明嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本


 国家図書館・中国科学院図書館・首都図書館・中国中医科学院図書館・杭州図書館・上海中医薬大学図書館など十以上の図書館が明・嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本を所蔵している。明・嘉靖四十四年曹灼刻本は,本文が40巻,目次が1巻である。巻頭に嘉靖四十四年の曹灼の序と楼英の自序,7つの序例,目録1巻がある。半葉13行,毎行22字,左右双辺,白口,単魚尾,上下双欄,上欄には批注,下欄に本文が刻されている。匡郭の高さは上欄が1.9 cm,下欄が17.2 cm,幅は14.4 cm。

 杭州図書館所蔵本を例としてあげれば,曹灼序・楼英「医学綱目序」・序例・目録,巻一から巻三十九,末に「補遺方」を付す。巻四十には「五運六気総論」「内経運気類注序」「運気占候補遺序」「運気占候補遺」「跋」が収録されている。

 嘉靖四十四年曹灼刻本『医学綱目』の曹灼序に「友人邵君偉元授予以『醫學綱目』四十卷,曰是書出於蕭山婁全善先生【所輯】〔友人邵君偉元,予に授くるに『醫學綱目』四十卷を以てし,是の書は蕭山の婁(=樓)全善先生【輯(あつ)むる所】に出づと曰う/末尾の【所輯】2字は,曹灼序にしたがい訳者が補った〕」とある。

 *内閣文庫本:https://www.digital.archives.go.jp/img/4108698 4/97コマ目

 *龍谷大学本:https://da.library.ryukoku.ac.jp/view/980013/1 3/69コマ目


 曹灼の曹氏一族は沙渓鎮〔いま広東省中山市〕の名門名家であり,祖父の曹昶は東楼公と呼ばれ,松陽県の訓導を務め,父の曹献は明・正徳年間に例貢,南京兵馬指揮を務め,三城を歴て,文林郎の階にのぼった。

 曹灼は,明・嘉靖十年に礼経で京兆に魁〔第一位〕となり,明・嘉靖三十二年〔1553〕に進士,江西撫州の推官を務め,刑部郎に抜擢された。在任中,非常に政治的信望が高く,深く民に愛され,史書には,「律令精熟,政事諳練,鋤豪摘奸,平反冤訟,當官舉決,不避權勢〔律令に精熟し,政事に諳練(熟練)し,豪を鋤(のぞ)き奸を摘み,冤訟を平反し(誤審を覆して冤罪を晴らし),官に當たって舉決し,權勢を避けず〕」と記載されている。清廉潔白で,後世の敬服するところとなった。邵弁(邵偉元)とともに楼英の『医学綱目』40巻,『運気占候遺方』1巻,『補遺方』1巻を合刻して刊行した。隆慶年間〔1567~1572〕に李杲の『古本東垣十書』12種22巻,南宋・張杲の『医説』10巻,周恭の『医説続編』18巻を刊行し,自ら『表学軌範』8巻を編んだ。

 邵弁(1511~1598)は,明・嘉靖年間太倉(いま江蘇省太倉)の人,字は偉元,別の字は希周,玄沙と号した。〔著書に〕『詩序解頤』がある。嘉靖年間に曹灼とともに『医学綱目』40巻を合刻印行した。そのため『医学綱目』曹灼刻本の最後には,「玄沙邵偉元甫跋」がある。ここで特に指摘しておくべきことは,運気部の最後に「因讎校樓氏『醫學綱目』書,覽其後有運氣補註一篇,惜其用意甚勤,而尚遺古人占候之法,是以取諸『內經』之旨,列占候十五篇,命曰『運氣占候補遺』以續樓氏之後云〔樓氏が『醫學綱目』の書を讎校するに因って,其の後を覽るに運氣補註の一篇有り,其の用意甚だ勤にして,尚お古人占候の法を遺すを惜しむ,是こを以て諸(これ)を『內經』の旨に取り,占候十五篇を列ねて,命(な)づけて『運氣占候補遺』と曰い,以て樓氏の後に續くと云う〕」とあることである。これは,曹灼本『医学綱目』に付されている『運気占候補遺』は邵弁が作ったもので,楼英の著作ではないことを示している。

 『医学綱目』の曹灼序に「因與偉元暨劉君化卿,分帙校讐,矢志弗措,有不合者,晝繹夜思,若將通之。凡再逾寒暑,而後就梓,訛者正,缺者補,秩然可觀〔因って偉元暨(およ)び劉君化卿と,帙を分かちて校讐す,志を矢(ちか)って措(お)かず,合わざる者有らば,晝(ひる)に繹(たず)ね夜に思い,將に之を通ぜんとするが若(ごと)し。凡そ再び寒暑を逾(こ)え〔二年ほど経過して〕,而る後に梓に就く,訛(あやま)る者は正し,缺(か)くる者は補い,秩然として觀つ可し〕」とあるが,劉君化卿の生涯については不詳である。


 『医学綱目』の版本について 00

     江淩圳・丁立維主編『楼英中医薬文化』〔中国中医薬出版社,2023〕から『医学綱目』の版本紹介の部分〔064~073頁〕を訳出した。訳出するにあたって,改行を増やした。図は省略した。〔〕内は訳注。*は別に訳注をつけた。


 『医学綱目』は脱稿後,当初は刊行されなかった。明の嘉靖四十四年(1565)になって,明の進士曹灼がこの原稿を入手した。『医学綱目』を絶讃して,「簡而知要,繁而有條〔簡にして要を知り,繁にして條有り〕」と褒め称えたが,本書が世に知られていないことを歎いた。「夫不治刑不知造律者之深意,不治病不知著書者之苦心。先生康濟之心甚盛,而幾於無所用者〔夫れ刑を治めざれば律を造る者の深意を知らず,病を治めざれば書を著わす者の苦心を知らず。先生 康濟(民を安らかにし救う)の心甚だ盛んなれども,用いる所の者無きに幾(ちか)し〕」(『医学綱目』曹灼序)。そこで資金を出して上梓し,「此書二百年來,幾晦而復明,幾廢而復舉,寧不有定數存乎!〔此の書二百年來,幾(ほとん)ど晦くして復た明らか,幾ど廢して復た舉(お)こる,寧(いづ)くんぞ定數(天のよって定められた変えることができない運命)有らずして存せんや!〕」という。

 『中国中医古籍総目』の記載によれば,『医学綱目』の現存する版本の主なものは,明・嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本(曹灼本と略称する)・明刻本・清初抄本および多種の残欠のある抄本などである。他に1937年の上海世界書局の鉛印本がある。

 『医学綱目』で現在伝存する版本には,二つの大きな版本系統がある。一つは伝世本の明嘉靖四十四年曹灼刻本とそれから派生した本で,残欠がない本は全部で40巻,目録が1巻である。もう一つは,黄龍祥教授が鑑定した明嘉靖万暦年間の建陽刻本とその派生本(建陽本と略称する)であり,残欠がない本は全部で41巻,目録が4巻である。二つの版本には内容に若干の相違点があって,それぞれに優れたところ,特色がある。

 曹灼は,生没年不詳で,字は子明,またの字は用晦で,履斎と号した。明・嘉靖年間の太倉(いま江蘇省太倉)の人,明・嘉靖三十二年の進士。江西撫州の推官に任じられ,刑部郎に抜擢された。

 曹灼本の全書は,陰陽臓腑・肝胆・心小腸・脾胃・肺大腸・腎臓膀胱・傷寒・婦人・小児・運気の十部に排列されている。その中で陰陽臓腑部(九巻〔巻1~巻9〕)は,陰陽・表裏・寒熱・虚実・臓腑・察病・診治および鍼灸・調摂・禁忌などが述べられ,総論を構成している。肝胆部(六巻〔巻10~巻15〕)は,中風・癲癇・痙厥などの病証を論述している。心小腸部(五巻〔巻16~巻20〕)は,心痛・胸痛・煩躁・譫妄などの病証を紹介している。脾胃部(五巻〔巻21~巻25〕)は内傷飲食・諸痰・諸痞積などの病証に分けて述べられている。肺大腸部(二巻〔巻26~巻27〕)は,咳嗽・喘急・善悲などが掲載されている。腎膀胱部(二巻〔巻28~巻29〕)は,耳鳴・耳聾・骨病・歯病などの処方薬による治療が述べられている。傷寒部(四巻〔巻30~巻33〕)は傷寒の六経諸証および陽痿・陰毒などの病因証治を主に紹介している。婦人部(二巻〔巻34~巻35〕)と小児部(二巻〔四巻の誤りか。巻36~巻39〕)はそれぞれ婦人と小児の諸病の証治を論述している。運気部(一巻〔巻40〕)は五運六気の内容を述べることを主とする。

 建陽本は目録が四巻である以外にも,最後の運気部も曹灼本とは異なり,巻四十と巻四十一の2巻に分かれているだけでなく,内容も全く異なっている。

 我々の研究によれば,「運気部」は実は楼英が著わした専門書の一つ,『内経運気類注』4巻に由来するはずで,二つの版本はそれぞれその一部を残している可能性がある。そのため内容が異なる。詳細は,本書〔『楼英中医薬文化』〕の第六章『運気類注』に見える。