2024年6月22日土曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』1.1

  1 概念解析

 概念解析を有意義で,実り多きものにするには,局所と全体の関係をうまく処理し,関連する概念を元々のコンテキストの中に置いて考察してこそ,唯一の解を得ることができ,さらに古今の実践による検証をへてこそ確認することができる。たとえば,経筋病の治則治法の三つの鍵となる概念である「燔鍼劫刺」「知を以て数と為す」「痛を以て輸と為す」は,個々に分析すると多くの異なる解説が可能で,しかもみな理にかなっていて,優劣をつけがたい。また,筋病刺法の始まりとその発展を考察するには,『黄帝内経』(本文で引用する『黄帝内経』はすべて伝世本『素問』『霊枢』を指し,『漢書』芸文志に記載されている『黄帝内経』とは異なる)において刺法の標準を専門に論じている『霊枢』官針篇なしでは済まされない。もしこの篇の性質と体例が理解できなければ,筋痺に関する定番の刺法である「恢刺」と「関刺」の関係を見抜くことはできず,あるいは長期にわたって誤読の二の舞を繰り返して自らさとらず,あるいは際限のない無意味な論争に陥って自ら抜け出すことができない。


 1.1 筋 筋膜(膜筋)

 単に「筋」と言うときは,筋肉とその付着構造全体を指しており,かつ筋肉を包む外膜も含まれる。

 経文〔『素問』皮部論〕に「筋に結絡有り」とあるが,『霊枢』経筋篇に掲載された十二経筋が「結する」ところを調べてみると,筋肉の付着構造であり,これらの構造は現代解剖学では腱/腱膜付着・筋膜・靭帯・関節嚢などに細分されるが,経筋学説では総称して「膜筋」と呼ばれ,「筋」に属する。

 十二経筋の病候を見ると,最も多く出現する病症名は「転筋」(計15回)であるが,「筋急」も7回あり,いずれも筋肉と腱の引きつりである。その中の人体の部位にもとづいて名づけられた「筋」の名称,たとえば「項筋」「膕筋」「腹筋」「頰筋」「頸筋」も筋肉とその付着構造である。残りの病症は筋縦・筋弛・筋痛であり,いずれも筋肉とその付着構造の病症である。

 さらに鍼灸の腧穴の位置および主治に現われる「筋」字を見ると,『黄帝明堂経』の腧穴の位置を示す文には「筋」が19回現われる。その中で腱と解釈されるのが13回,筋肉と解釈されるのが6回である。主治病症に見られる「筋」字は,筋急・筋縮急・転筋・筋攣・筋痛・筋痺であり,『霊枢』経筋に記載される経筋の病候とだいたい同じである。

 特に筋の「膜」を指すときは,「肉肓」「筋膜」「膜筋」(「幕筋」「募筋」とも書かれる)という。楊上善は,「〈幕〉當為〈膜〉,亦幕覆也。膜筋,十二經筋及十二筋之外裹膜分肉者名膜筋也〔〈幕〉は當に〈膜〉に為(つく)るべし,亦た幕は覆(おお)うなり。膜筋は,十二經筋及び十二筋の外の膜分肉を裹(つつ)む者を膜筋と名づくるなり〕」(『太素』卷5・人合)といい,また「膜者,人之皮下、肉上膜肉之筋也〔膜なる者は,人の皮の下,肉の上の膜肉の筋也〕」(『太素』卷25・五藏痿)とも,「肉肓者,皮下、肉上之膜也〔肉肓なる者は,皮の下,肉の上の膜なり〕」(『太素』卷29・脹論)ともいっている。

 『素問』痿論に「肺主身之皮毛,心主身之血脈,肝主身之筋膜〔肺は身の皮毛を主り,心は身の血脈を主り,肝は身の筋膜を主る〕」とあり,林億が引用する全元起の注は「膜者,人皮下、肉上筋膜也〔膜なる者は,人の皮の下,肉の上の筋膜なり〕」とある。また「肝氣熱,則膽泄口苦筋膜乾,筋膜乾則筋急而攣,發為筋痿〔肝氣 熱すれば,則ち膽泄れ口苦く筋膜乾き,筋膜乾けば則ち筋急して攣(ひきつ)り,發して筋痿と為る〕」とあり,楊上善の注は「膜筋乾為攣〔膜筋乾いて攣を為す〕」という。以上の経文にある二つの「筋膜」の用法はともに「膜筋」と同じであることがわかる。

 これらから「筋」は単に「肉」を指すだけでなく,肉を包む外膜も含むし,体をおおう膜だけでなく,内臓の膜も含まれることがわかる。「筋膜」「膜筋」「肉肓」はすべて体の筋の膜を指し,現代解剖学の筋外筋膜,すなわち楊上善の言う「膜肉の筋」である。内臓の筋膜は「肓膜」と呼ばれ,被膜・隔膜・間膜・靭帯などが含まれる。つまり,経筋学説にいう「筋」と,現代解剖学にいう「筋膜」の概念は,完全には一致しない。その最大の相違は,現代医学にいう「筋膜」には筋肉は含まれないが,中国医学では筋肉とそれを包む膜が一体になっていることである。

 唐代の王冰は「筋」の構造と機能を「維結束絡,筋之體也,繻縱卷舒,筋之用也〔維結束絡は,筋の體なり,繻縱卷舒は,筋の用なり〕」〔『素問』五運行大論(67)〕と高い見地から一文でまとめた。筋の体が「維結束絡」であるとは,筋肉とそれに付着する構造の特徴を指しており,筋の用が「繻縱卷舒」であるとは,筋肉の伸縮機能を指している。


黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』0

  【要旨】筋病刺法の起源と発展を整理し,その盛衰の背後にある根源を発掘することには,筋病刺法とその理論である経筋学説を継承し革新するための重要な啓示と参考となる意義がある。コンテキストを分析し,全体を考察し,実践的な検証方法を用いて,「筋」「経筋」「筋急」「結筋」などの筋病刺法および経筋学説の基本概念を解析する。特に現在の学術界で論争が最も大きい経筋病候の治則治法に関わる三つの重要概念「燔鍼劫刺」「知を以て数と為す」「痛を以て輸と為す」について深く考察した。筋病刺法の範疇および主要の刺法の術式を明らかにし,また「燔鍼劫刺」「貫刺法」の起源を重点的に考察し,論争の的となっていた,あるいは長期にわたって無視されてきた「内熱刺法」「貫刺法」「挑刺法」「分刺法」「募刺法」の発展変化を検討した。最後に筋と脈の関係,ドライニードル療法と筋病刺法の相違を分析することからはじめて,経筋学説が将来発展するために早急に解決しなければならない鍵となる問題と問題解決の考え方を検討して,鍼灸学理論を革新するための参考に供する。

 【キーワード】筋病刺法;経筋学説;ドライニードル療法;理論の革新


 筋病刺法の形成と伝承は,経筋学説の盛衰と密接に関連しているので,筋病刺法の始まりと発展を真剣に整理し,その盛衰の背後にある根源を発掘することは,筋病刺法の継承と発揚に対しても,また経筋学説の守正創新に対しても,重要な啓示と参考となる意義がある。

  〔守正創新:正道を厳守しながら,新たなものを創造する。習近平総書記の「新時代の中国の特色ある社会主義」思想の精髄をあらわす言葉のひとつ。堅持することが求められる。なお,他の箇所では「創新」をおおむね「革新」と訳した。〕 


2024年6月7日金曜日

『鍼治大意』=『鍼灸極秘抄』序

  滋賀医科大学図書館河村文庫

  https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/content/K0074/K0074v01s0002.html


河賢治者,為余言,我聞之故

老,德本之治病,不待制齊,刺

輸取絡而濟,恒居多也,余讀

梅花方,而所焉,齊和脈胗,

以至灸灼諄ヽ說之,無良言

以涉乎鍼也,後遇木太仲負

笈詢業於余,觀其所為,鍼術

之巧,屢見奇效,因叩其所

傳,乃探其囊中,取一小冊

視之,則德本鍼家書也,讀之,

取病之法,輸撮其樞要,刺審

其淺深,區病證,著禁數,至

于運手之妙,氣息之應,悉不

遺其秘蘊,其言簡而易記,

約而易行,經云,知其要者,一

言而終,苟非實驗乎,安能拔

粹若此之精者邪,翁之於鍼

術,河生之言,果不誣也,梅花方

之不言及處,瞭然氷釋矣,然此

書累傳之久,錯置亥豕,紛厠不 

一,太仲隨是正之,旁散其餘緒,

猶之披雲霧覩晴天也,何其

愉快哉,今欲上木而與同好共

之,取正於余,書其畧以歸之,

太仲名元貞,陸奥人也,河賢治

信濃人,翁之外戚之裔也,

安永戊戌春

    台州源元凱識


  【訓み下し】

河賢治なる者,余が為に言う。「我れ之を故老に聞けり。〈德本の治病は,齊を制するを待たず,輸を刺し絡を取って濟うこと,恒に多きに居る〉」と。余 『梅花方』を讀み,而して鬨(せめ)ぐ所,齊和脈胗,以て灸灼に至るまで,諄諄として之を說くも,良言 以て鍼に涉ること無し。後に木太仲の笈を負い業を余に詢(と)うに遇う。其の為す所を觀るに,鍼術の巧,屢々奇效を見(あら)わす。因って其の傳うる所を叩(たた)けば,乃ち其の囊(ふくろ)の中を探して,一小冊を取りいだして之を視しむ。則ち德本が鍼家の書なり。之を讀むに,病を取るの法,輸は其の樞要を撮(つま)み,刺は其の淺深を審らかにす。病證を區(わ)け,禁數を著わす。運手の妙,氣息の應に至っては,悉く其の秘蘊を遺(のこ)さず。其の言は簡にして記(おぼ)え易く,約にして行ない易し。經に云う,「其の要を知る者は,一言にして終わる」と。苟(いや)しくも實驗するに非ずんば,安(いず)くんぞ能く此(か)くの若きの精なる者を拔粹せんや。翁の鍼術に於ける,河生の言,果して誣(あざむ)かざるなり。『梅花方』の言い及ばざる處,瞭然として氷釋す。然れども此の書 傳を累(かさ)ぬること久しく,亥豕を錯置して,紛(みだ)れ厠(ま)じること一ならず。太仲 是に隨って之を正し,旁ら其の餘緒を散ずること,猶お之れ雲霧を披(ひら)きて晴天を覩(み)るがごとし。何ぞ其れ愉快ならんや。今ま木に上(のぼ)せて同好と之を共にし,正を余に取らんと欲す。其の略を書して以て之を歸(かえ)す。太仲の名は元貞,陸奥の人なり。河賢治は信濃の人,翁の外戚の裔(すえ)なり。

安永戊戌の春

    台州 源の元凱識(しる)す


  【注釋】

 ○河賢治:下文を参照。 ○故老:老人。特に、昔の事や故実に通じている老人。 ○德本:長田(永田)德本。[1513?~1630?]戦国時代から江戸初期の医者。三河の人といわれる。号、知足斎。各地を流浪したが、比較的長く甲斐の武田信虎に仕えた。著「医之弁」など。デジタル大辞泉。/戦国末・江戸初期の医者。長田とも書く。号知足斎・乾堂。通称甲斐の徳本。三河国(愛知県)の人といわれる。本草学にすぐれ、武田氏の侍医。武田氏滅亡後は市井医となり治療にあたった。著「医之弁」など。生没年不詳。精選版 日本国語大辞典。  ○齊:調配、調製。同「劑」。分量、劑量。通「劑」。 ○輸:輸穴。 ○絡:經絡。 ○濟:救助。如:「救濟」。 ○居多:占多數。 ○梅花方:『(知足斎)梅花無尽蔵』。 ○鬨:繁盛。許多人在一起喧鬧。爭鬥、爭戰。判読に自信なし。 ○齊和:指作料、藥物等的劑量。使食物的滋味調和適口。《漢書‧藝文志》:「度箴石湯火所施,調百藥齊和之所宜」。 ○脈胗:脈診。 ○灸灼:燒灼。指灸療。 ○諄ヽ:諄諄。誠懇忠謹的樣子。叮嚀告諭,教誨不倦的樣子。 ○良言:善言,有益於人的話。 ○木太仲:木村(木邨)太仲。本書の選者。 ○負笈:背著書箱。比喻出外求學。指游學外地。郷里を出て,よその土地へ勉学に赴く。 ○詢:查問、徵求意見。 ○叩:詢問、請問。問いただす。 ○囊:口袋、袋子。 ○輸:輸穴。腧穴。 ○撮:摘錄。【撮要】摘取要點。 ○樞要:關鍵。綱領。指中心、沖要之地。物事の最も大切な所。 ○區:分別。 ○禁數:秘術か。/禁:禁咒術 [sorcery]。『史記』扁鵲倉公列傳:「我有禁方」。祕密的醫方。/數:技藝。 ○運手:動手;揮手。 ○氣息:呼吸;呼吸出入之氣。 ○秘蘊:物事の奥底。学問・技芸などの秘訣。奥義。 ○言簡:言辭簡練。/簡:單純不繁瑣的。如:「簡明」。 ○記:將事物印象留在腦海中。 ○約:簡要、精練。要約。 ○經云:『靈樞經』九針十二原。『素問』六元正紀大論・至真要大論。 ○苟非:若非,假如不是。如果不合。 ○實驗:實地的試驗。實際的效驗。 ○拔粹:拔萃。猶精選。書物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと。また、そのもの。 ○若此:如此,這樣。 ○翁:永田(長田)德本。 ○不誣:不假、不欺騙。不妄。 ○言及:話がある事柄までふれること。 ○瞭然:清楚、明瞭。明白。はっきりしていて疑いのないさま。明白であるさま。【一目瞭然】看一眼就能完全清楚。 ○氷釋:冰釋。像冰溶解消散,不留痕跡。比喻嫌隙、懷疑、誤會等完全消失。/原謂冰溶化消失。後用以喻指渙散或離散。氷がとけるように消えうせること。氷解。 ○累:堆積、集聚。屢次、連續。 ○錯置:鋪列安置。雜然羅列。處置;安排。/錯,通「措」。安置。おく。 ○亥豕:字形が似ているための誤り。語本《呂氏春秋.慎行論.察傳》:「有讀《史記》者曰:『晉師三豕涉河』,子夏曰:『非也,是己亥也。夫己與三相似,豕與亥相似。』」後指因文字的形體相近而致傳抄或刊刻錯誤。【魯魚亥豕】魯魚,語本《抱朴子.內篇.遐覽》:「書三寫,魚成魯,帝成虎。」亥豕、魯魚皆指因文字形似而致傳寫或刊刻錯誤。 ○紛:擾亂、打擾。眾多。雜亂[confused;disorderly]。 ○厠:「廁」の異体字。雜也。間雜、置身。 ○不一:不相同、不一致。一通りでない。尋常一様でない。あれやこれや。さまざまに。 ○隨:跟從、順從。 ○是:對、正確。 ○旁:邊側的。別的、其他的。 ○散:分離。分布、撒出。分開、解體。 ○餘緒:次要的部分。 ○披雲霧覩晴天:撥開雲霧看見青天。比喻除去障礙,得見光明。 比喻人的神情清朗。南朝宋.劉義慶《世說新語.賞譽》:「衛伯玉為尚書令,見樂廣與中朝名士談議,奇之曰:『自昔諸人沒已來,常恐微言將絕。今乃復聞斯言於君矣!』命子弟造之曰:『此人,人之水鏡也,見之若披雲霧睹青天。』」/披雲霧:撥開雲霧。/披:打開、翻開。分散、散開。/覩:「睹」の異体字。看見。 ○上木:書物を印刷するため版木に彫ること。また、書物を出版すること。上梓。 ○同好:志趣相同的人。趣味や好みが同じであること。また、その人。 ○取正:用作典範。 ○畧:「略」の異体字。 ○陸奥:むつ。みちのく。旧国名の一。磐城(いわき)・岩代(いわしろ)・陸前・陸中・陸奥(むつ)の五か国の古称。現在の青森・岩手・宮城・福島の各県と秋田県の一部にあたる。自序によれば,木邨太仲(名は元貞)は福島のひと。朝鮮国の医官である金德邦が甲斐の国の長田德本に授け,その後,田中知新に授けられた。木邨は京都に遊学中に大坂の原泰庵先生から学んだ。 ○信濃:しなの。旧国名の一。東山道に属し、大半が現在の長野県にあたる。 ○外戚:母方の親類。 ○裔:後代子孫。血筋の末。 ○安永戊戌:安永七年(1778)。 ○台州源元凱:荻野元凱。没年:文化3.4.20(1806.6.6)生年:元文2.10.27(1737.11.19)江戸中期の医者。西洋の刺絡法を導入し実践した御典医。字は子原,左中,在中,号は台州。元凱は名。加賀国(石川県)金沢で生まれ,京都の奥村良筑から古方派の医学を学んだ。明和1(1764)年良筑が主張する吐法を詳しく説明した『吐法編』を著す。6年後には山脇東門が唱導した西洋刺絡について書いた『刺絡篇』を発表し,医名を高めた。朝廷からも認められ,39歳のときに滝口詰所の役に任ぜられる。寛政6(1794)年皇子を診察し典薬大允に昇進した。4年後幕府から召されて医学館の教授となり,瘟疫論を講じたが,間もなく辞して帰京する。西洋医学をも採り入れようとする元凱は漢方医学しか容認しない医学館の教育に嫌気がさしたと思われる。再び朝廷に仕えて皇子の病気を診察し,その功で尚薬となった。文化2(1805)年河内守に任ぜられ,翌年京都で没した。人体解剖を率先して行い解剖史にも名を残しているが,解剖書は残していない。著書には他に『麻疹編』『瘟疫余論』がある。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』,杉立義一『京の医史跡探訪』朝日日本歴史人物事典 (蔵方宏昌)。 ○識:通「誌」「志」。記也。


  https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/content/K0074/K0074v01s0005.html


 (滕晁明 叙)

凡物博則多才皆宜而及

其臨機事煩易惑約則精

一必中而至其應變技窮

受敗物無兼美誰昔然博

而能約是其難哉余郷木

子慎覃精於鍼灸嘗試術

於平安數年所經驗亦多

矣本為所傳之書今修以

其書緣飾以己意錄為一

小冊公之世病症悉列輸

穴明備便於懷袖易於檢

閱可謂約而不貴博矣若

夫其所受授有淵源最為

可珍寶詳于台州先生序

中茲不復贅于安永戊戌

題於平安

   東奧  滕晁明


  【訓み下し】

凡そ物 博ければ則ち多才にして皆な宜し。而れども其の機に臨むに及んでは,事 煩にして惑い易し。約なれば則ち精一にして必ず中たる。而れども其の變に應ずるに至っては,技 窮まって敗を受く。物に兼美 無し。誰(こ)れ昔より然り。博くして能く約なるは、是れ其れ難きかな。余が郷の木子慎 鍼灸に覃精し,嘗て術を平安に試みること數年,經驗する所も亦た多し。本より傳うる所の書を為(つく)るに,今ま修むるに其の書を以てし,緣飾するに己が意を以てす。錄して一小冊を為(つく)り,之を世に公(おおやけ)にす。病症 悉く列(つら)なり,輸穴 明らかに備わる。懷袖するに便あり,檢閱するに易し。約にして博きを貴ばずと謂っつ可し。夫れ其の受授する所に淵源有り,最も珍寶とす可しと為すが若きは,台州先生の序中に詳らかにして,茲(ここ)に復た贅せず。安永戊戌に平安に題す。

   東奧  滕晁明


  【注釋】

 ○博:多、豐富。 ○多才:本指富有才能。謂富於才智。 ○臨機:面對情況,掌握事機。謂面臨變化的機會和情勢。 ○精一:精粹專一。 ○應變:應付〔処理.対処〕事變。 ○兼美:猶言完善,樣樣擅長。 〇誰昔:疇昔;從前。誰,發語詞。 ○木子慎:木邨太仲のことであろう。 ○覃精:謂潛心。深入鑽研。【研深覃精】研究學問精深獨到。/覃:延及、蔓延。深。 ○平安:平安京。京都。 ○其書:德本の書。 ○緣飾:敷衍して文飾を施す。『漢書』公孫弘卜式兒寬傳:「緣飾以儒術」。師古曰:「緣飾者,譬之於衣,加純緣者」。 ○懷袖:猶懷抱。猶懷藏。/懷:胸前、胸部。存有、抱著。包圍。/袖:把東西藏在袖子裡。 ○檢閱:查看。 ○淵源:事物的本原、師承。 ○珍寶:珠玉寶石等珍貴寶物的總稱。泛指有價值的物品。 ○東奧:東の奥、陸奥国(奥州)の東、といった意味と推定され、現在の青森県を指す意味で用いられることのある語。 ○滕晁明:未詳。印形に「朝明」「子光」とある。『医方随意録』の撰者(東京大学総合図書館,V11:860。自筆本)。この『黴瘡集成方 附論』45/69コマ目には,「滕晁明旦卿 輯」とある。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100273253/7?ln=ja

〈形〉「醫方随意録」「黴瘡集成方附論」は「台州園」・「口舌神秘方」は「文海堂藏」と柱にある罫紙を使用。


      自序(句読点・ひらがな・濁点・ルビは原文になく,入力者が補ったもの。かなの繰り返し記号・踊り字〔〳〵〕は,カタカナにした。合字は「トモ」,「ヿ」は「コト」のように表記した。)

斯一卷ハ,昔慶長年間,甲斐ノ國ノ良醫,長田德

本ト云ふ人(梅花無盡藏ノ作者也),朝鮮國ノ醫官,金德邦

ト云ふ人ヨリ授かリシ術ナリ。其の後,田中知新ニサヅケテ

ヨリ傳はり來たリテ,其の家々ニ秘シテ傳へルニ,口受ヲ以テシ,或いハ

其の門ニ入るとイヘドモ,切り紙ヲ以テ授けテ,全備スル人稀ナ

リ。吾れ京師遊學ノ頃,術ヲ大坂ノ原泰庵先生ニ學ビテ

兩端ヲ叩ク。其の後,毎々試みるニ寔(まこと)に死ヲ活(いか)すことシバシバナリ。予思

フニ金も山ニ藏(かく)シ,珠モ淵ニ沈メ置くハ,何ノ益カアラン。矧(い)はんヤ醫

術ハ天下ノ民命ニカカルモノナリ。是れヲ家ニ朽サンコト醫

ヲ業トスル者ニ非らズト。此の故ニ傳受口訣ノ條々一事

モ遺(のこ)さず書きアラハシテ,世ニ公(おおやけ)にする者ナリ。能く此の書ニ心

ヲヒソメバ,簡ニシテ得ル處 大ナルベシ。世ノ術ニ志ス人々此の

法ヲ以テ弘ク世ニ施サバ,予ガ本懷ナリ。

    陸奥福島  木邨太仲元貞書


  【注釋】

  ○田中知新:田中智新(知箴、休意)『鍼灸五蘊抄』は,田中智新(生没年不詳)の著した鍼灸書を中村元道(生没年不詳)が編集したもの。智新は京の出身で,若年より鍼灸術に志して,同郷の鍼家・松沢氏に入門し,十五年にわたって見聞した術を筆記し,「五蘊抄」と命名した。詳しくは,『臨床鍼灸古典全書』第1巻所収の篠原孝市先生の解説を参照。○心ヲヒソメ:潛心。心靜而專注。專心。物事に心を集中して没入する。ひたすら集中する。一心に行なう。


 ○原泰庵については, 

窪田 頌先生の「楠葉村南組中井家捜索余滴:京都の医師・原洲庵とその一族」を参照。

https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/442183/5ebba8c6823f8fb2d568f4f57dd301b0?frame_id=920209


2024年5月11日土曜日

黄龍祥『兪穴論』6

  参考文献

[1] 李宝金,孟醒,武晓冬,等.”经外奇穴”概念演变与术语规范化问题探讨[J].针刺研究,2020,45(9):746-750.

[2] 黄龙祥.中国针灸学术史大纲[M].北京:华夏出版社,2001:496-497.

[3] 黄龙祥.经脉理论还原与重构大纲[M].北京:人民卫生出版社,2016:40-41.

[4] 陈志坚.诸子集成[M].北京:北京燕山出版社,2008:127.

[5] 滑寿.难经本义[M].傅贞亮,张崇孝点校.北京:人民卫生出版社,1995:88.

[6] 郭效宗.针灸有效点理论与临床[M].北京:人民卫生出版社,1995:21.

[7] 张志聪.黄帝内经素问集注[M].王宏利,吕凌校注.北京:中国医药科技出版社,2014:192.

[8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

[9] Williams PL,杨琳,高英茂.格氏解剖学[M].沈阳:辽宁教育出版社,1999.

[10] 刘斌,尤海燕,李玉华.谿谷结构的现代解剖学印证[J].北京中医药大学学报,2016,39(8):639-642.

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[12] 陈太羲.固有筋膜以上的穴树图[J].南京中医学院学报,1989,5(4):51-52.

[13] 李鼎.针灸学释难 增订本[M].上海:上海中医药大学出版社,1998:33.

[14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

[15] 黄龙祥,黄幼民.针灸腧穴通考《中华针灸穴典》研究[M].北京:人民卫生出版社:2011:957-961.

[16] 黄龙祥.新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022:292-299.

 

黄龍祥『兪穴論』5

   結び

 兪穴は固定的な位置にあるかないかにより,「経兪」と「奇兪」の二つに大きく分けることができる。その中で奇兪には主に「病所」と「病応」の二種類が含まれる。経兪はまた「脈会」の大きさ深さの違いによって脈兪・気穴・骨空・募兪の四種類に分けることができる。経兪の発見と広範な応用は経絡学説と兪穴学が誕生した揺籃であり,鍼灸を「学」と称しうる前提でもある。

 「脈会」の意義の発見は,鍼灸学を脈を刺すことを主とするものから脈兪を刺すことを主とするものへの重大な転換を促した。現代の兪穴研究には,マクロな実体からミクロな実体へという新たな飛躍が必要である。兪穴の機が「脈会」にある以上,穴中の機を刺すことは血管から離れることはできない。たとえ刺して神経にあたったとしても,鍼尖が最も触れる可能性が高いのは血管周囲神経であり,その次は血管に伴走する神経である。異なる種類の経兪を刺して具体的にどのように脈にしたがって「機」に触れるかについては,経兪の位置と鍼感および得気の指標と経兪の具体的な主治病症に基づいて判定する必要がある。「脈会」にはまだ多くの未知の謎があって,探求発見が待たれる。兪穴の立体構造を明らかにし,より一般的な言葉ではっきりと説明し,中医師・西洋医いずれもみなが理解してこそ,鍼灸の有効性と兪穴作用の特異性を知る実験研究に意義をもたせ,明確な研究の結論を得ることができるし,鍼灸兪穴研究にハイテク技術を導入することにも成功の可能性がある。

 兪穴は鍼灸の標的であり,標的に中身がなく明らかでなければ,鍼灸は的がないのに矢を放つようなもので,評価のしようがない。要するに,鍼灸学で気血を調和のとれた状態にするという総目標は兪穴の定着発展に依存しなければならず,根本から鍼灸の道をはっきり説明し,そして中・西医がみなはっきり理解できるようにするには,まず兪穴の構造と機能をはっきり説明しなければならない。兪穴の構造を明らかにするには,またしっかりとした人体形態学の成果に支えられていなければならない。中国の鍼灸従事者は初心を忘れず,鍼灸学の「人形を論理する」という虚実一体の理念に基づいて,鍼灸学の発展需要を満たす虚と実をともに重視しながら,虚空構造の「人体空間構造解剖学」を特に重んじ,実質構造の研究を特に重んずる現代解剖学と最も大きい互いに恩恵を受け相補う関係を形成するよう努力しなければならない。


2024年5月10日金曜日

黄龍祥『兪穴論』4.3

  4.3 人形を論理し,其の穴を信に然りとす

 本論の最初に置いた経文に戻る。

 余聞上古聖人,論理人形,列別藏府,端絡經脈,會通六合,各從其經;氣穴所發,各有處名;溪谷屬骨,皆有所起;分部逆從,各有條理,四時陰陽,盡有經紀,外內之應,皆有表裏,其信然乎?〔余聞くならく,上古の聖人は,人形を論理するに,藏府を列別し,經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う。氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り。分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有り,其れ信(まこと)に然るか?〕(『素問』陰陽応象大論)

 「人形を論理する」とは人体形態学を論ずることである。初めに「藏府を列別する」ことを論ずるのは,臓腑が血気の源であるためである。「經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う」のは,脈が血気の府であり,また各種の経兪構造の中核であるためでもある。「氣穴の發する所」以下は,みな気穴の構造と機能を論じている。「氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り」については,兪穴を専門に論じている『素問』気穴論篇に詳しく論じられており,かつ前後呼応している。「分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有り」については,それぞれ〔『霊枢』〕四時気と〔『素問』〕四時刺逆従論に展開され,「合人形於陰陽四時〔人形を陰陽四時に合す〕」〔『素問』八正神明論〕,「四時之氣,各有所在,灸刺之道,得氣穴為寶〔四時の氣は,各々在る所有り,灸刺の道は,氣穴を得るを寶と為す〕」〔『靈樞』四時氣。「寶」は『太素』『甲乙経』による〕,「四變之動,脈與之上下,以春應中規,夏應中矩,秋應中衡,冬應中權〔四變の動に,脈も之と與(とも)に上下し,以て春の應は規に中(あ)たり,夏の應は矩に中たり,秋の應は衡に中たり,冬の應は權に中たる〕」〔『素問』脈要精微論〕という命題が提出されている。「気穴」を最優先としているのは,それが脈の会であり,気血を調節する最も重要な場所であるからである。

 このことから,鍼灸学に向けたこの人体形態学の枠組みの核心は兪穴であり,鍼灸学の気血を調節して調和の取れた状態にするという総目標は兪穴の定着発展による必要があることが容易に分かる。

 兪穴は鍼灸学が立脚する基礎であることを知っているのだから,今日,根本から鍼灸の道をはっきり説明し,中西医すべてが理解できるようにするには,まず兪穴の構造と機能を明瞭に述べなければならない。しかし兪穴の構造を明瞭に講ずるには,しっかりとした人体形態学の成果という支えが必須である。これは『黄帝内経』の著者が「人形を論理する」ことを重視し,兪穴を核心とする人体形態学の基本的な考え方を構成している理由でもある。

 これまで鍼灸従事者は(筆者を含めて)このことも認識していたが,現代解剖学がすでに持っているナレッジベース〔知識ベース〕から兪穴の構造と機能研究の難題を解くための既成の答えや完全なデータを見つけることができると,長い間にわたって期待を抱きつづけてきた。

 兪穴の機という微細な構造を考察する際には,現代解剖学がすでに持っている成果を参考にすることが必要であるが,鍼灸従事者として以下のような冷静な認識も同時に持つ必要がある。

 その一,現代解剖学と鍼灸学では人形を論理する観察の視点が異なる。鍼灸学が最も注目する人体の構造は往々にして現代解剖学研究の空白地帯にある。たとえば現代医学は神経の「会」,すなわち節・叢・根・幹を重視することが多く,長期にわたって鍼灸学では特殊な意義を有する血管の「会」の構造を無視し,大動脈の分岐または湾曲部の特殊な調節構造をいくつか発見しただけで,全身の動脈または動静脈の分岐部の構造に対して全面的で掘り下げた観察をおこなうことができず,ましてや血管の分岐部がもつ疾病の診療における特殊な価値を捉えることはできなかった。病理状態において血管に特殊な形態および色調の変化が発生して形成される「血絡」「血脈」「結絡」などは鍼灸診療にとって非常に重要な意義があるが,これらの構造,特にその重要な機能は今でも現代医学の観察視野の外にある。このほか,鍼灸学は実体間の虚空構造,特に体の最大の虚空,すなわち分肉の間,および体内の二つの最大の膜,すなわち横隔膜と肓膜(腸間膜に相当)の機能に対して掘り下げて探索をおこなったが,この二つの人体の内外を結ぶ重要な地帯を現代解剖学の光はまだ照していない。このことからわかるように,鍼灸学がめざす人体形態学と外科学がめざす人体形態学とは,両者の視点が異なっていても,互いに補い合って互いに恩恵を受けることができるのである。

 その二,全体論の考え方〔ホリスティックな視点〕と集合論から研究する伝統を欠いているため,現代解剖学で観察された構造も一つの知識全体に統合できないことが多い。たとえば,穿通枝血管の研究は血管が穿通する点を観察するだけ,穿通枝神経の研究は神経の穿通する点を観察するだけで,血管と神経の穿通部位の完全で本当の有様はずっと提示できていない。血管を支配する神経の研究は遠心性神経〔運動神経〕のデータしかなく,非常に重要な求心性神経〔感覚神経〕の経路はいまだに不明である。このことから容易に見て取れることは,これらの鍼灸における兪穴構造と作用機序の研究などの最も必要な形態学による支えが,往々にして現代解剖学研究の盲点であることである。

 以上の認識を踏まえて,鍼灸従事者はこれまでの「待つ」と「頼る」という怠惰な思想を捨て,鍼灸学の「人形を論理する」虚実一体の理念に基づいて,鍼灸学の発展の要求を満たす,虚実と虚空構造に重点を置いた「人体空間構造解剖学」の構築に努め,実質構造研究に重点を置いた現代解剖学と相互に恩恵を受け補い合う関係を最大限に構築し,それによって未来の医学の創建において中国鍼灸従事者としてのしかるべき貢献をしなければならない[16]

  [16] 黄龙祥.新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022:292-299.

 人形を論理し,その穴が信頼できて立証性があるという目標を真に実現するには,将来の研究はまず以下の問題について深く検討し,明確に答える必要がある。

 その一,構造と機能の研究において,異なる種類の経兪が「脈会」する場所の微細構造を探索し,鍼灸治療効果と直接関連する主構造は何かを分析する。病理状態において,奇兪である「血絡」「結絡」と正常血管の構造にはどのような実質的な変化があるのか。その変化にはどのような法則があるのか。その二,兪穴の主治の面で,同一兪穴の異なる脈会と同一脈会の異なる点の主治の違いを分析する。古人はいくつかの兪穴,特に大兪要穴には多重の「脈会」が存在し,あるいは同一の「脈会」には異なる標的器官に対する複数の点の位置,すなわち「機」が存在していることを発見したが,歴代の兪穴専門書の主治病症に関する表現は,極めて限られた穴の下に異なるレベルの脈会に鍼刺することによって治療する病症が異なることを明記している以外は,ほとんどみな異なる位置の点や異なる刺法に基づく主治病症を区別せずに一緒に羅列している。いま古人のこれらの兪穴治療経験を繰り返し評価するためには,まずこれらの極めて重要でありながら古人によって省略された鍼刺した位置の点と刺法に関する情報を補完することが必須である。その三,鍼で兪穴を刺す際の規範化された操作において,脈会をどのように正確に識別するのか。病症の異なる部位に基づき,異なるレベルの脈会と脈会にある異なる位置の点をどのように選択するのか。脈会を刺して機に触れるには,どのように操作すれば兪穴の治療作用をよりよく体現できるのか。この点では,兪穴に鍼を刺すことは神経注射よりも要求が高い。神経注射は目標の神経点に接触するか近寄るだけでよいからである。

  兪穴の主治とそれに関連する刺法は分けることができない総体であり,刺法から離れて兪穴の主治を語ることには意味がない,あるいは明確な意味はない。もし異なる操作条件の下でまとめられた兪穴の主治をみな区別せずに羅列して,それを同一の条件で主治の特異性を検証しようとするのなら,それは舟に刻して剣を求める〔川の流れの中で剣を落とし,落としたところの船べりに刻み目を付けてその地点をあとで探そうとする〕のと同じである。このような状況で鍼刺の治療効果や治療効果の確定性を検証するのは,なんの成果も上がらない無駄な努力でしかない。


2024年5月9日木曜日

黄龍祥『兪穴論』4.2

 4.2 審らかに其の兪を守り,常を知って変に達する

〔『靈樞』海論(33):「審守其俞,而調其虛實,無犯其害,順者得復,逆者必敗」。「常を知って変に達する」ことは,中国医学弁証思考の基本的特徴とされる。〕


 後世の「経穴」「経外奇穴」という兪穴分類と比較すれば,『黄帝内経』の「経兪」「奇兪」という二分法の方がより有意義であり,その刺法と治則が継承関係にある,有機的な全体像を構成している。刺法は,大きく二つ,「経刺」(『素問』繆刺篇の用法)と「繆刺」に分けられる。経刺法の取穴は経兪を主とするが,奇兪である「血絡」と「結絡」は繆刺法で常用される刺灸箇所である。この刺灸部位を二つに分ける法は『史記』扁鵲倉公列伝にすでに先例があるが,今日に至るまで,民間に由来する鍼挑〔挫刺〕療法は,このような鍼灸部位の二分法――その鍼挑点は「固定鍼挑点」と「非固定鍼挑点」の二種類に分けられる――を伝承している。

 経兪はさらに脈兪・気穴・募兪・骨空という異なる種類に分けられたが,その主要な意義は以下のとおりである。その一,刺法がより精確になった。異なる経兪の脈会タイプに基づき異なった機に触れる方法を採用することによって,効率がより高くなった。一穴でありながら多種類の経兪タイプを併せ持つ大兪要穴については,種類によってそれぞれ肉肓を刺す,脈を刺す,骨空を刺す,肓膜を刺すという異なる機に触れる法則を採用することによって,焦点がより絞れるようになった。その二,漢代以前の鍼灸文献にある鍼灸処方と鍼灸の治療原則・方法を正確に解読するのに役立つ。『黄帝内経』などの初期文献に掲載されている鍼灸処方の中には,「輸」の本来の意味を押さえないかぎり,全体的な読解ができない兪穴が少なくない。たとえば,『霊枢』厥病に「頭痛不可取於輸者,有所擊墮,惡血在于內〔頭痛 輸を取る可からざる者は,擊墮する所有って,惡血 內に在ればなり〕」とあるが,この処方が用いられる場面は,血瘀が脈を阻んでいる状態であり,遠く離れた本兪を取っても,その鍼の効果を遠くまで達することができない。したがってその近くの穴を取るべきであって,本兪を取るべきではない〔厥病篇の下文「不可遠取也/遠くに取る可からざるなり」〕。つまり,この処方の「輸」を「穴」や「気穴」に交換することはできないのである[14]128-130。その三,鍼灸の兪穴概念を他の医学体系の関連概念と比較研究する際にもより焦点が絞られる。たとえば,現代医学の「皮穿支」構造と鍼灸学の「気穴」概念を比較すると,両者の相関度は非常に高い。しかし,皮穿支を一概に経兪全体と対照させると,両者の相関性は曖昧になり,有意義で明確な結論が得られず,果てることのない無意味な論争を引き起こすだけである。

  [14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.〔輸は,運輸であり,遠くに達することができるが,穴は近くの治療に用いる。気穴は,気が出入聚会する穴である。〕

 経兪の常態と動態を研究する意義は以下のとおりである。その一,疾病の診察に用いられる。いわゆる「是動則病〔是れ動ずれば則ち病む〕」であり,経脈と臓腑の病を診て,病の在る所を知る。その二,よく見られる病の「動」穴が分布する法則を総括することは,臨床における選穴処方において治療効果を高めるのに便利であるだけでなく,経兪と奇兪の関係の理解を深めるのにも役立つ。経兪の分布には法則性があるだけでなく,病気の状態における「動」穴の分布にも法則性があることに二千年以上前の鍼灸師はすでに気づいており,長期にわたる鍼灸診療活動においてよく見られる病気の高い頻度の「動」穴の分布法則を絶えず総括した。例えば伝世本『黄帝内経』には癲癇・熱病・寒熱病などに高い頻度であらわれる「動」穴の分布する法則が記載されているが,その中でも特に『霊枢』癲狂に記載されたデータはより欠けることなくそろっている。これらの高い頻度であらわれる「動」穴のほとんどが経兪,特に脈兪の中に帰することから,次のような判断が得られる。「動」穴はすべてが経兪のみに由来するわけではないが,高い頻度であらわれる「動」穴が経兪に見られる確率は奇兪よりはるかに大きい。刺灸をほどこす場所の主体は,脈から奇兪へ,さらに経兪へと変わっていったのは,鍼灸学自身の発展法則によって決定づけられたものである。その三,常を知って変に達する。常態は兪穴が存在する基礎であり,常態から逸脱すれば,動態も存在する前提を失ってしまう。兪穴の動態を強調しすぎて常態を顧みないことは,本末転倒に異ならない。まさに脈を診るには必ず先ず正常な状態の「平脈」を定めて,病を診る根拠とする。いわゆる「必先知經脈,然後知病脈〔必ず先ず經(つね)の脈を知り,然る後に病の脈を知るべし〕」〔『素問』三部九候論〕である。「診・療一体」の観念に基づいて,経兪の研究も必ず先ずその常態を知って,その後に動態を知るべきである。だからこそ,『黄帝内経』は兪穴を論じた成果を,金蘭の室に蔵して,署して「氣穴所在〔氣穴の在る所〕」〔『素問』気穴論〕と曰った兪穴は,生理的状態で固定的な位置にある経兪だけである。

 鍼灸に限らず,現代医学でも同じである。神経ブロック療法では,病理状態で出現する痛点も神経ブロックの標的の一つではあるが,生理的状態に存在し,かつ固定的な位置を持つ神経根・神経幹・神経叢へのブロック,および脊髄と脳深部への電気刺激を主体としている。関連する基礎研究はなおさらそうである。病理状態で出現する,固定的な位置を持たない痛点を主体とし,ひいては痛点の作用のみを強調するようになれば,神経ブロック学と神経調節学はすべて存在の基礎を失うことになる。

 

2024年5月8日水曜日

黄龍祥『兪穴論』4.1

  4 討論

 4.1 「会する所を問うこと無かれ」と「尽く其の会を知る」

 鍼で孫絡を刺すのに「会する所を問うこと無かれ」とは,『黄帝内経』で兪穴を専門に論じた気穴論が提出した命題の一つである。この篇は「各々処の名が有る」〔『素問』陰陽応象大論:「氣穴所發各有處名」〕経兪である「気穴」をもっぱら論じている。しかし気穴の孫絡に論がおよぶと,一転して次のようにいう。「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,以溢奇邪,以通榮衛,榮衛稽留,衛散榮溢,氣竭血著,外為發熱,內為少氣,疾瀉無怠,以通榮衛,見而瀉之,無問所會〔孫絡三百六十五穴の會,亦た以て一歲に應ず,以て奇邪を溢し,以て榮衛を通ず,榮衛 稽留し,衛散じ榮溢れ,氣竭き血著(つ)けば,外は發熱を為し,內は少氣を為し,疾かに瀉して怠ること無く,以て榮衛を通ぜよ,見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」。文の冒頭では「穴の会」を強調しながら,文末ではまた「会する所を問うこと無かれ」という。実に難解である。

 同じように,作者は篇末において,「帝乃辟左右而起,再拜曰:今日發蒙解惑,藏之金匱,不敢復出。乃藏之金蘭之室,署曰氣穴所在〔帝 乃ち左右を辟(さ)けて起ち,再拜して曰わく:『今日 蒙を發(ひら)き惑いを解き,之を金匱に藏して,敢えて復た出ださず。乃ち之を金蘭の室に藏し,署して氣穴の在る所と曰う』〕」と主旨を示して全篇を結んだあとに,また次の一文を加えている。「岐伯曰:孫絡之脈別經者,其血盛而當瀉者,亦三百六十五脈,並注於絡,傳注十二絡脈,非獨十四絡脈也,內解瀉於中者十脈〔岐伯曰わく:『孫絡の脈は經に別るる者,其の血盛んにして當に瀉すべき者は,亦た三百六十五脈,並びに絡に注ぎ,傳えて十二絡脈に注ぐは,獨り十四絡脈のみに非ざるなり,內解して中に瀉する者 十脈あり〕」。このような扱いははさらに理解しがたいように思え,巻末のこの文は錯簡ではないかという人もいる。実は前文と接続していないように見えるこの文は,原作者が丹念に設計した注記であり,本篇の前文と呼応するだけでなく,全体の理論的枠組みの中にある鍼灸治則に結びつけるために張られた重要な伏線であり,その深意は少なくとも三つある。

 その一,「繆刺」を支持する。『素問』気穴論の「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,以溢奇邪……〔孫絡三百六十五穴の會,亦た以て一歲に應ず,以て奇邪を溢し,……〕」を,三部九候論の「其病者在奇邪,奇邪之脈則繆刺之〔其の病む者 奇邪に在れば,奇邪の脈は則ち之を繆刺す〕」と対にして読めば,「奇邪の脈」とは「孫絡」を指し,その「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」孫絡は,まさに繆刺法が常用する鍼刺部位,いわゆる「因視其皮部有血絡者盡取之,此繆刺之數也〔因って其の皮部を視て血絡有る者は盡く之を取る,此れ繆刺の數なり〕」〔繆刺論〕である。経兪は経刺法に対応し,「孫絡血」「血絡」「結絡」は繆刺法に対応する。両者の奇正は互いに合致し,鍼灸で病気を治療するにはどちらも欠かすことができない。これが明らかになってはじめて気穴論の作者がいう「見而瀉之,無問所會〔見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」の深い意味を本当に理解することができる。

 その二、歴史を伝承する。「病は血脈に在り」は,鍼灸の唯一の適応症であったし,脈も最初の鍼灸対象箇所となった。老官山漢墓から出土した鍼処方集『刺数』ではすでに経兪は主要な地位を確立していたが,長期にわたって固定した位置と名称のない「血絡」「結絡」類の奇兪は経兪と並行しておこなわれていた。『素問』三部九候論にいたっても経兪を主体としたものとは大きく異なる鍼灸診療の情景が記録されている。「經病者治其經,孫絡病者治其孫絡血,血病身有痛者治其經絡。其病者在奇邪,奇邪之脈則繆刺之。留瘦不移,節而刺之。上實下虛,切而從之,索其結絡脈,刺出其血,以見通之〔經病は其の經を治し,孫絡病は其の孫絡の血を治す,血病んで身に痛み有る者は其の經絡を治す。其の病む者 奇邪に在れば,奇邪の脈は則ち之を繆刺す。留瘦して移らざるは,節して之を刺す。上實して下虛するは,切して之に從い,其の結ぼれる絡脈を索(もと)めて,刺して其の血を出だし,以て見て之を通ぜしむ/『鍼灸甲乙経』「以見通之」作「以通其氣」〕」。刺脈刺絡療法が盛んであった時期には,「孫絡の血」と「結ぼれた絡脈」が鍼治療の主役であったことが容易に見てとれる。

 その三,古今をつなぐ。古い経験を効果的に後世に伝え,遠くまで伝えるには,新しい理論の枠組みの中で適切な位置を見つけ,悠久の歴史を持つ血を刺して脈を通じさせる方法と新しく勃興した毫鍼で補瀉して経を調える方法との間を結ぶ論理的支点を探さなければならない。新旧の鍼法がぶつかり合う中で,古人は毫鍼による補瀉で血気の虚実を調えるには,血脈が滞りなく流れるという前提の下ではじめて実現することを認識するようになった。つまり「絡を刺して脈を通じさせる方法」は「毫鍼で補瀉して経を調える方法」を効果的に実施するための必要条件である。この認識は『黄帝内経』の中でさらに優先度の最も高い治則形式として高らかに提示された。「凡治病,必先去其血[脈],乃去其所苦,伺之所欲,然後瀉有餘,補不足〔凡そ病を治するに,必ず先ず其の血[脈]を去り,乃ち其の苦しむ所を去り,之が欲する所を伺い,然る後に有餘を瀉し,不足を補え〕」〔『素問』血気形志〕,「實則瀉之,虛則補之。必先去其血脈而後調之,無問其病,以平為期〔實すれば則ち之を瀉し,虛すれば則ち之を補う。必ず先ず其の血脈を去って而る後に之を調え,其の病を問うこと無く,平を以て期と為せ〕」〔『素問』三部九候論〕。これが『黄帝内経』の著者が探し出した,古今の鍼法を一体としてつなぐ論理の支点であり,気穴論の末尾に追加された注記は,この第一治則を定着発展させるための布石であった。

 気穴論の著者が孫絡の血について「見而瀉之,無問所會〔見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」と言った時,ちょうど以下のような情報が伝わってきた。当時において,「脈会」の重要性はすでに周知のことであり,これ以上強調する必要もなく,もし「気血が留居」〔『霊枢』衛気失常〕することによって,孫絡の「血が盛んにして起」こり,まさに急いでこれを去るべき者でなければ,みなすべて審らかに「脈会」を守って,その虚実を調えなければならない。それゆえ『霊枢』官能は「用鍼之理,必知形氣之所在,左右上下,陰陽表裏,血氣多少,行之逆順,出入之合(北宋の『銅人腧穴鍼灸図経』が引用する古い伝本『霊枢経』は「出入之合」を「出入之會」に作り,九針十二原の「營其逆順出入之會」と一致する),明於經隧,左右支絡,盡知其會〔用鍼の理は,必ず形氣の所在,左右上下,陰陽表裏,血氣多少,行の逆順,出入の合(會)を知る,……經隧を明らかにし,左右の支絡は,盡く其の會を知る〕」といい,脈会の重要性が十分認識されていたことを示している。

 刺灸箇所は「其の会を問うこと無かれ」から「尽く其の会を知る」にいたり,実際に脈を刺すことを主とするものから脈兪を刺すことを主とするものへの転換過程を経たが,この歴史的転換を生みだした最大の推進力は「脈会」の意義の発見からもたらされた。

 「脈会」の発見は多くの要素に影響されている可能性があるが,最も直接的で最も長く続き,最も主となる影響は,脈診することで得られた啓発と「診・療一体」観念の導きによるものである。

 脈を診,絡を診る部位がたえず増えるにともない,古人は脈を診,絡を診る部位のほとんどすべてが経脈と絡脈の分岐するところと交会するところ,すなわち「脈会」にあることに気づいた。

 分肉の間を伏行する経脈に比べて,浅く表面にある絡脈の分岐点は観察されやすく,しかも絡を診る部位は我々がよく知っている十五大絡に限らず,多くの小さな絡脈分岐点も常に絡を診る部位である。『黄帝内経』の中でかなり広く応用される諸絡の会である「魚際」以外にも,他の小絡の会も絡を診るのに用いられる。たとえば,耳の後ろに鶏足状に走行する絡脈には二つの分岐点がある。ここは小児の熱性痙攣を診療するために最も重要で,最もよく使われる脈位であり,「癇驚脈」や「驚脈」とも呼ばれている。この脈は今日でも一定の範囲で小児の熱性痙攣の診察に用いられている[15]

  [15] 黄龙祥,黄幼民.针灸腧穴通考《中华针灸穴典》研究[M].北京:人民卫生出版社:2011:957-961. 〔下冊。手三陽三焦経穴・瘈脈の部分にあたる〕

 「診・療一体」の理念に基づき、これらの診を脈,絡を診るための「脈口」は,疾病を治療する「脈兪」「絡兪」に一変した。たとえば,寸口の脈は「太淵」「経渠」という二つの重要な脈兪に発展したし,小児の高熱痙攣を診察する耳後の絡脈も小児の高熱痙攣を治療する最も重要な二つの絡兪「瘈脈」「顱息」となった。この時,人々は自覚的に,かつ意図的に浅または深,大または小の脈会から新しい兪穴を発見し,さらに「脈会」が分布する基本的な法則を探ることができた。これによって,中国鍼灸が理論を構築する上における三つの飛躍の道を開いた。血気を生命の基礎とし,その血脈を見て寒熱痛痺を知り,脈を刺し絡を刺してその経脈を通じさせることによって多くの病を治す。鍼灸学理論の体系化という第一次構築を完成した。これが第一の飛躍である。気血を調和させることを鍼灸の本とし,脈の盛衰をもって血気の有余不足を診断し,微鍼をもちいてその経脈を通じさせ,その血気を調え,その逆順出入の会を営し〔『霊枢』九針十二原〕,脈を刺し絡を刺して経脈を通じさせることから脈兪脈会を刺すことによって血気を調えることへと転換し,そして両者が互いに補完し合う臨床応用の法則を確立した。これが第二の飛躍である。脈会が「節の交」に分布する総法則を発見し,脈会からすすめて肉会・筋会・骨会を類推し,さらに体幹部の脈会から体内の脈会である臓腑の募・原の発見にいたり,異なるタイプの経兪系統を形づくり,それと同時に疾病の状態であらわれる頻度の高い動兪の分布法則をまとめ,それによって臨床における選穴処方をより効果的に導く。これが第三の飛躍である。

 もし「脈会」の鍼灸診療における重大な意義の発見,ひいては脈兪・気穴・骨空・臓腑の募原などの「各々処の名が有る」〔『素問』陰陽応象大論〕経兪の発見がなかったならば,兪穴を「学」とすることができないのみならず,鍼灸も「学」とすることは難しい。鍼灸学の発展における「脈会」概念の大きな意義は、どれほど高く評価されても過言ではないと言えよう。

 「脈会」は兪穴が兪である理由の根本であり,鍼灸学が自立するための根本でもあるので,知るべきことは尽く知っておかなければならない。

 「尽く知る」とは,どういうことか。〔『靈樞』小針解:「盡知鍼意也」。『靈樞』刺節真邪「盡知調陰陽,補寫有餘不足,相傾移也」。〕

 その一,兪に諸会のある者はその会するところをすべからく知っておかなければならない。大兪要穴は往々にして一つの穴が数種類あるいは多層の「脈会」を兼ねている。たとえば任脈の気海穴の浅層は小脈の会であり,深層は大脈の会である。また古人が最初に発見した二つの内臓の原のうちの一つである肓の原は,一穴で気穴と脈兪と募原という三種類の経兪タイプを兼ねている。尽く穴中の諸会を知っていれば,臨床で穴を刺すときに治療する病症の違いによって異なるレベルの脈会の中で機に触れ気を得ることができる。その二,大兪要穴は多様な脈会を兼ねることができるだけでなく,同じ脈会の中にも異なる標的となる区域の「機」がある可能性があり,臨床をおこなう時には主病の異なる部位に基づいて,標的となる器官の「機」の位置に鍼感が至るように入念に探して,兪穴主治の適格性と鍼の効果の確実性を高めなければならない。たとえば,八髎穴は膀胱・尿道・直腸・肛門・生殖器官などの骨盤底内臓および腰脚部の病症を治療できるが,鍼を刺す時に病変部位に基づいて,脈会の中で正確に適切な機を探し,鍼感が標的器官へ伝わるようにコントロールできてはじめて顕著で安定した治療効果を得ることができる。その三,尽くその会を知るには,その「会」を実証しなければならない。信頼の上に証拠があってこそ,『黄帝内経』の「人形を論理する」枠組みは,はじめて堅固な基礎があることになる。これ以外に,古人が発見していない脈会をできるだけ発見するべきである。瘈脈と顱息を例に挙げれば,古人はその表面の浅い絡脈の会しか発見していないが,現代解剖学の最新成果に基づけば,この二穴の下にはそれぞれ一つの皮膚穿通枝がある。これを知っていれば,臨床時にこの層にある脈会の適切な主治病症と鍼刺方法を自覚的に試験し,古い穴による新しい使用という革新が実現できる。

 兪穴の立体構造を明らかにし,尽くその会を知り,正確に操作して,臨床の効果,特に治療効果の確定性を高める以外に,さらに重要な考慮事項がある。その一,鍼灸の有効性と兪穴作用の特異性実験研究の質と科学性の向上に役立つ。その二,人工知能の効果的な導入に役立つ。たとえば,人工知能と仮想ナビゲーション技術が,超音波誘導下の兪穴の位置を定めるための補助システムと鍼灸ロボットの研究開発などに連携して応用する。これらのすべての構想が定着発展するかどうかは,みな兪穴の立体構造を明らかにできるかどうかにかかっている。


2024年5月7日火曜日

黄龍祥『兪穴論』3.3

  3.3 「会」を知り,「機」を知る

 兪穴の「機」は脈会にあり,穴中の機を刺すにはその脈会の所在をまず知らなければならない。

 脈には大きさと深さの違いがある。その「会」の浅いものは容易に得られ,深いところは分かりにくい。古人は深さ・大きさ・数量が異なる「脈会」の所在をどのように探ったのだろうか。

 漢代の『太平経』には,当時の鍼師が深部の「脈会」を探索するための一般的な方法が記載されている。「灸刺者,所以調安三百六十脈,通陰陽之氣而除害者也……三百六十脈,各有可睹,取其行事,常所長而治訣者以記之,十十中者是也,不中者皆非也,集衆行事,愈者以為經書,則所治無不解訣者矣。天道制脈,或外或內,不可盡得而知之也,所治處十十治訣,即是其脈會處也〔灸刺なる者は,三百六十脈を調え安んじ,陰陽の氣を通じて害を除く所以(ゆえん)の者なり……三百六十脈,各々睹(み)て,其の行事を取る可き有り,常に長じて治する所の訣なる者は以て之を記(しる)す,十に十中(あ)たる者は是なり,中(あ)たらざる者は皆な非なり,衆(おお)くの行事を集め,愈ゆる者は以て經書を為(つく)り,則ち治する所 訣を解さざる者無し。天道は脈を制し,或いは外 或いは內,盡(ことごと)くは得て之を知る可からざるなり,治する所の處 十に十治する訣は,即ち是れ其の脈の會する處なり〕」。いわゆる「十に十中(あ)たる」「十に十治する訣」とは,当時の鍼と薬の効果の三段階評価で最高級(二級は「十中九」、三級は「十中八」)を指す。この文から,当時の鍼師は「脈会」の所在が「盡(ことごと)くは得て之を知る可からざる〔全部を知ることはできない〕」ことをすでに知っていて,その知るのが難しい内部にある「脈会」については何千何万回にものぼる鍼刺試験で確認し,それらの鍼刺の治療効果が最も良い場所を「脈会」と定めなければならなかったことが分かる。このような方法で一つ一つ脈兪が発見され,伝承されてきた。これは愚鈍に見える方法ではあるが,各種の経兪にもみな適用される方法である。

 このほか,『黄帝内経』は目で見て手で触る簡単な方法で脈を察し穴を探る方法も採用している。いわゆる「視而可見,捫而可得〔視て見る可し,捫(な)でて得(う)可し〕」〔『素問』挙痛論〕というのが,これである。たとえば,当時の鍼術の最高水準の一つとみなされる,耳鳴りと難聴を治療する定石的な刺法である「発蒙法」での脈会を探り機に触れる法は,「刺此者,必於日中,刺其聽宮,中其眸子,聲聞於耳,此其輸也〔此れを刺す者は,必ず日中に於いてし,其の聽宮を刺し,其の眸子に中たらば,聲 耳に聞こゆ,此れ其の輸なり〕」〔『霊枢』刺節真邪〕である。これは目標に鍼を刺した直後の鍼の効果反応を機に命中したかどうかを判断する指標としている。『広雅』釈親には「珠子謂之眸〔珠子 之を眸と謂う〕」と記載されていることから,『黄帝内経』にいう「眸子」とは,『黄帝明堂経』にある聴宮穴の位置に記載されている「耳中珠子,大如赤小豆〔耳中の珠子,大なること赤小豆の如し〕」のことであることがわかる。筆者はかつて裸眼で視力の良い鍼灸師に十分な日光の下で,鼓膜に問題のない被験者を観察するよう実際に指導したことがあり,確かに赤小豆より少し小さい白い「珠子」,すなわち鼓膜臍を見ることができた。今日の鍼灸師で裸眼視力がよく,そのうえ手先が器用で動作の安定性が高い者は,二千年以上前の古人の原始的な方法を用いて,当時のきわめて巧妙な鍼術をおこなうことができる。今日の鍼はより細くなっていて,古人よりも広い空間を見ることができるため,鍼を操作する難度は低下しているかもしれない。

 古人が脈会を探索する具体的な操作方法はほとんど伝わっていないが,少なくとも一部の脈会の探索過程は今日も簡単な方法で再現できる。たとえば,肓の原である「気海」は,臍下一寸半にあり,その脈会は腹内に深く隠れている。『グレイ解剖学』[9]1919の測定データによると,成人が仰向けになったとき,腹大動脈の分岐は臍下約2cmに位置し,まさに気海穴に相当する。二千年以上前,古人は超音波装置を持っていなかったが,どのようにして腹腔の奥にある「伏衝の脈」(腹大動脈)が臍下一寸ほどで左右に分岐していることを知り,それを「肓の原」と呼んだのだろうか。筆者は「視而可見,捫而可得〔視て見る可し,捫(な)でて得可し〕」という方法を用いて古人の発見過程を再現し,標準体型の成人は仰臥位の時,触診を通じて腹大動脈の分岐点が臍下一寸前後であることを確認することができた。痩せ気味の被験者であれば,以下の血管圧迫試験を用いてさらに確認することもできる。臍のやや左下または右下で明らかな脈動に触れることができ,母指の垂直圧で脈動が消えるまで圧迫して20〜30秒保持した後,突然手を緩めると,被験者は圧迫された側の下肢に急速に熱気が流れるのを感じる。この圧迫点のやや内側の上方が,すなわち腹大動脈の分岐点である。また筆者の観察では,臍下の灸では,痩せ気味の被験者の方が腹大動脈拍動がより顕著であり,視覚によって観察できる。

 このように,二千年以上前の古人が腹内に深く隠れている「脈会」を発見したことは,決して神秘でも,不可思議でもないことがわかる。他の募穴の脈会を探る法で,輯佚した例は以下の通りである。

 二千年以上前とはいえ,古人は独特な観点と論証論理によって,兪穴の構造と機能の探索の中で多くの非常に価値のある発見をした。しかし率直に言って,先進的な観察設備と方法を欠いており,主に裸眼と素手で探していたので,古人も兪穴の「脈会」をいくつか見落としていたはずで,探す難度が最も低い絡兪の中にあっても古人の見落としを見つけることができる。たとえば,古人は小児の耳の後ろに鶏足のように走る絡脈が二つに分岐している(成人ではこの絡は目立たない)のを発見して,二つの絡兪である「瘈脈」と「顱息」を確定した。しかし現代解剖学はこの二穴の下に古人が見つけなかった二つの「脈会」,すなわち二つの皮穿枝を発見した。二千年以上前の古人が見つけなかっただけでなく,漢代以降の医学家もみな,あらたに見つけられなかったものである。

 古今の鍼灸師が兪穴脈会を探す上で,以下のような二つの状況が存在する。その一,二千年以上前に素手と裸眼で自然光の下で難度の高い機に触れる方法がおこなわれたが,今日の鍼灸師は適切な設備の助けをかりることによって,難度を大幅に下げることができる。たとえば,『黄帝内経』時代を代表する高難度の鍼術である「発蒙」は,今ではLEDランプを装備した採耳ピンセットを少し改造するだけで古人には望むべくもない鍼術を成し遂げることができる。鼓膜穿刺の経験が豊富な耳鼻咽喉科医であれば,専門の設備が用意されれば,操作はさらに容易になる。その二,二千年以上前に古人が熟練して応用した機に触れる法は,後世および今日の鍼灸師には極めて掌握しにくい。たとえば,常用穴である八髎は,医療画像学の助けを借りても,何千何万回の実践訓練を経なければ,思いのままに「関」を過ぎることは難しく,ましてや「関」にしたがって「機」に触れることなど,言うまでもない。

 前節の「脈会の微」では,現代解剖学の成果と結び合わせて,異なるタイプの経兪の「脈会」を詳細に解析し,鍼灸治療家が穴を刺して機に触れることと,兪穴の構造に関する実験研究のための,よりはっきりした「ターゲット」を提供した。しかし,鍼灸師が認識しなければならないのは,「脈会」の構造をしてさえいれば,どの部分を刺しても古典鍼灸における上工による「機を知り」「機を守る」という要求を達成できるわけではないということである。たとえば,現代解剖学の知識にもとづけば,血管は神経と伴走することが多く,伴走する神経も「脈会」を構成する要素の一つなのかどうか。もしそうなら,どの神経部分が主なのか。穴を刺して機に触れるには脈会中の異なる構造にどのようにすれば正確に刺せるのか。

 まず,兪穴の機が「脈会」にある以上,穴に刺して機に中(あ)てるには,血管から離れることはできないという基本的な判断を明確にする必要がある。神経を刺すとしても,鍼の尖端が最も触れる可能性が高いのは血管周囲の神経であるはずあり,その次は血管とそれに伴走する神経である。具体的に異なる種類の経兪を刺す場合,どのように脈にしたがって機に触れるかは,以下の三つの面から判定することができる。

 第一,各種の兪穴の位置。脈兪・気穴・募穴・骨空という四種類の経兪の中で,内臓の募穴と原穴は内臓神経叢と節が密集して分布するところであり,もし神経を刺してあたるとすれば自律神経(腸神経系を含む)である。表在の絡兪は,その脈が視認でき,鍼刺時に虚実にもとづいて,刺絡して血を出したり,脈を摩でて気を導いたりする。活性化されるのは主に血管内皮細胞と血管壁および外膜から分泌される血管活性物質,それに血管周囲神経である。気穴,たとえば古典鍼灸の刺法によって最も触れる可能性のある神経は血管周囲神経であり,その次は血管と伴走する皮神経である。

 骨空および深部の脈兪は,脈と伴走する神経成分が複雑であり,どのように正確に機に触れるかは,以下の第二・第三点と合わせて判定しなければならない。

 第二,得気の指標と鍼感の描写。得気には二つある。邪気を得ることと穀気を得ることであるが,鍼の刺入で求めるのは穀気を得ることで,穀気が至れば止める。「邪氣來也緊而疾,穀氣來也徐而和〔邪氣來たるや緊にして疾,穀氣來たるや徐にして和〕」〔『霊枢』終始〕である。鍼で体幹の神経幹を刺すことによる,はげしく患者が耐えられないほどの感電したような鍼感は,「穀気」とはみなされず,「邪気」[13] と呼ばれたことが分かる。「穀気が至る」ことを判定するには二つの指標がある。その一,鍼下温度の変化,たとえば「鍼下熱す」「鍼下寒(ひ)ゆ」〔『素問』針解〕。その二,脈の和,すなわち脈が実であれば「瀉せば則ち虚を益し」,脈が虚であれば「補せば則ち実を益す」〔『霊枢』終始〕である。

  [13] 李鼎.针灸学释难 增订本[M].上海:上海中医药大学出版社,1998:33.〔浅野周訳『鍼灸学釈難』(源草社)では,17頁。〕

 鍼下の寒熱と脈象の虚実の変化は主に血管の伸展収縮によって引き起こされる。血管の伸展収縮の神経機序はどんなに複雑でも,常に自律神経による調節を主な機序としている。これから分かることは,「脈会」を刺して神経に中(あ)たったとしても,古人が主に求めていたのは自律神経の調節であるので,「息を調え」「神を治める」ことを強調して,これを助けたことである。体性感覚と運動神経を刺激する効果を追求すのであれば,まったくこれ以上のことは必要ない。

 しかし,現代鍼灸の臨床実践により,体性〔somatic〕神経に適切な刺激を与えることは肢体の感覚と運動障害,特に経筋病に対して明らかな治療作用があることが示されている。『黄帝内経』には体性神経誘導について記載言及したものに『霊枢』経筋篇にあり,古今の鍼刺経験が一致していることを物語っている。

 鍼感に基づいて古人が穴を刺して「機」に触れる方法の輯佚に成功した例がある。腹部募穴の「機」を刺す技法は早期に失われてたが,宋代に許氏がこの法を輯佚し,その一部の佚文は元代の『鍼経摘英集』に掲載されたが,元代以降は再び失われた。明代,朝鮮の太医許任は,『鍼経摘英集』に記載された宋代の許氏の募穴を刺す鍼感に基づいて,一回の試験で最終的に腹部募穴脈会の「機」に触れる法の輯佚に成功した[14]

  [14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

  〔訳注:[14]の第4章の第7節の四、募刺法を参照。宋代の許氏とは,許希のことで,『神應鍼灸要訣』1巻を撰した(佚)。その佚文が朱肱の『活人書』に引用されている。例:卷2:「期門穴:在乳直下筋骨近腹處是也。凡婦人病,法當鍼期門,不用行子午法,恐纏臟膜引氣上,但下鍼令病患吸五吸,停鍼良久,徐徐出鍼。此是平瀉法也。凡鍼期門,必瀉勿補。可肥人二寸,瘦人寸半深」。

  『鍼灸經驗方』については,[14]の186頁を参照。

  『鍼灸經驗方』卷中・鍼中脘穴手法:「方書云:中脘穴鍼入八分,然而凡人之外皮內胞,各有淺深,銘念操心,納鍼皮膚,初似堅固,徐徐納鍼,已過皮膚,鍼鋒如陷空中,至其內胞,忽覺似固,病人亦致微動,然後停鍼,留十呼,徐徐出鍼(注:凡諸穴之鍼,則或間一日行鍼,而中脘則每間七八日而行鍼。鍼後雖頻數食之,慎勿能食,不爾則有害)。」〕

  https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003421  82/164コマ目

 第三に,具体的な兪穴の主治病症に基づく。先にのべた八髎穴を例とすれば,その脈会と脈に伴走する神経には内臓神経があり,また体性神経がある。筆者と他の人の鍼刺実践経験はすべて鍼尖が仙骨前孔付近にいたり,体性神経に触れる確率が決して低くないことを示しているが,『黄帝明堂経』に記載されている八髎穴の主治のほとんどすべては,骨盤内臓器の病気であることから,古人が八髎穴を刺すときには,鍼尖の方向と深さを自覚的に制御して,血管周囲神経や血管に伴走する自律神経に中(あ)てていたことを示している。もちろん,八髎穴を刺して足腰の痛みを治すなら,体性神経を適切に鍼刺することもできないくないが,より操作しやすい兪穴を選択することが十分に可能であり,このように操作難易度が高い八髎穴を選択する必要はない。

 穴を刺して「機」に触れる法を多く見つければ見つけるほど,それが正確であればあるほど,兪穴構造研究のブレイクスルーに役立つと,ある程度いうことができる。異なるタイプの兪穴には異なる「関」と「機」の構造がある。絡兪は表面で浅いところにあり,その鍼刺の標的は明らかである。もしくは「関」と「機」はほとんど一体であるため,関の位置が定まりさえすれば,機に触れる方法は比較的簡単である。

 気穴の「機」の位置は固定しており,すべて分肉の間にあるので,機に触れる方法にはしたがうべき法則がある。すなわち気穴を刺すには肉肓に中(あ)てる必要があり,また肓を過ぎて肉に中(あ)てないことによりはじめて「機」に命中し,気を得ることができる。かつまた『黄帝内経』では,「機」に命中した判定指標は「穀気至る」であり,すなわち脈が和平になるとも説明している。

 骨は大きさや厚さが異なり,その空孔の深さや大きさも決まっていないが,骨空類の兪穴の「関」の位置は明確であり,正確に「関」に入れさえすれば,「機」を探す道から簡単に逸脱することはない。

 兪穴の「機」で最も探しにくいのは脈兪と内臓の募および原である。募と原は深くは内臓の膜にいたるし,人体の最も深いところにある大脈会は,探索の難易度が非常に大きく,「機」に触れる法に求められる水準も高く,古今この術を身につけている人は少ない。

 脈会を探り穴を刺し機に触れる基本原則は,以下のとおり。脈兪を刺して脈に中(あ)て「機」を探す。絡兪を刺し絡に中(あ)て血を出す(分岐点に取る)。気穴を刺して肉肓に中(あ)て「機」を探す。髎穴の骨孔中を刺して「機」を探す。募穴を刺して肓膜脈会に中(あ)て「機」を探す。

黄龍祥『兪穴論』3.2

   3.2「脈会」の微

 上文において神経ブロック療法の体表位置と目標点位置を用いて,鍼灸兪穴の外の「関」と内の「機」の立体構造を説明したが,よく知られているように,神経ブロックの目標神経点はその位置がどれほど小さく隠れていても,注射針がどれほど触れにくいとしても,目標点の位置は明確であり,経験不足のために実際の操作時に何度試みても命中しない可能性はあるとしても,その存在を疑う余地はなく,練習を続けさえすれば,また神経刺激装置や超音波ガイドの助けを借りることによって,命中率と安全性を高めることもできる。

 鍼灸従事者について言えば,「機」はどこにあるのか。経典に「機之動,不離其空,空中之機,清靜而微〔機の動は,其の空を離れず,空中の機は,清靜にして微〕」〔『霊枢』九針十二原〕とあり,兪穴の中核をなすものが「脈会」であることを知っていれば,兪穴の機は脈会から離れないことを知っている。では,「脈会」にも確かな構造があり,探索し考察することが可能だろうか。答えはイエスであり,なおかつ伝世文献には「脈会」を探る一般的な方法といくつかの特殊な方法が明記されている。

 先進的な解剖学的方法と技術の支えを得る以前,古人は人形を論理して「脈会」の中に識別できたのは「脈」だけであり,脈とは異なる索状や繊維様構造を見ても,識別できないため,「脈」の類に一括して分類されていた。まさに陳太羲先生が述べたように,『黄帝内経』にある「脈」「経脈」は一つの集合概念であり,現代解剖学における「神経血管束」に相当する[8]

    [8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

 古人の「脈会」の機能に対する認識,および「脈会」を刺して命中した後の鍼感と鍼の効果の記述に基づき,現代の人体解剖学で知られている構造と照らし合わせることによって,今では異なるタイプの兪穴乃至同じ兪穴の異なるレベルの「脈会」は,その微細な構造が同じとは限らないことが分かる。

 (1)骨空構造

 現代解剖学の枠組みでは,骨孔は血管神経束が出入りする孔であり,異なる骨孔に出入りする血管神経の詳細もほぼ明らかになっている。したがって,既知の現代解剖学の知識によって,かなりの程度まで骨空に出入する「脈会」の微細な構造を確認することが可能である。以下に例をあげて説明する。

 例1:『素問』骨空論は髄海の骨空〔骨のあな〕の一つについて,「髓空在腦後三分,在顱際銳骨之下〔髓空は腦後三分に在り,顱際の銳骨の下に在り〕」といい,王冰は「是謂風府,通腦中也〔是れを風府と謂い,腦中に通ずるなり〕」と注している。この「顱際の鋭骨」とは,現代解剖学術語でいう「後頭隆起」のことであり,その下はまさに髄空である「大後頭孔」に当たるので,王冰の注解は完全に正しい。『霊枢』海論もこの点を確認し,髄海に出入りする骨空「風府」の脈会が「筋骨血氣之精」をなして,「而與脉并為系,上屬於腦後,出於項中〔而して脈と幷して系と為り,上って腦後に屬し,項中に出づ〕」〔『霊枢』大惑論〕ることを具体的に記述している。ここでは脈とたがいに「幷」するものとして「筋骨血気の精」もあることを明確に指摘している。

 では,脳髄の骨空である風府穴に出入りする「脈」は,具体的にどの脈の交会であり,脈と「幷」行する構造には,またどのようなものがあるのだろうか。

 現代解剖学の代表作である『グレイ解剖学』[9]によれば,この骨空に出入りする脈には次のものがあることが知られる。椎骨動脈,この脈は後頭骨の大孔に入る所で1~2の分枝を出す。後外側に後脊髄動脈があり,前正中に前脊髄動脈がある。椎骨内静脈叢はここに密集した静脈網を形成する。動脈に随伴する神経には副神経脊髄枝と交感神経叢があり,ここで延髄が脊髄に接続し,脊髄根は椎骨動脈の後方で大後頭孔に入る。

  [9] Williams PL,杨琳,高英茂.格氏解剖学[M].沈阳:辽宁教育出版社,1999.

 例2:『黄帝明堂経』に記載された尻の骨空八髎穴がある体表の位置は明確である。すなわち,ちょうど左右四つの後仙骨孔の体表陥凹部である。その「機」には深さの異なる層があり,深層の「機」は対応する前仙骨孔にある。主な証拠は二つある。『黄帝明堂経』では八髎穴を刺す深さは二~三寸であり,この深さでは鍼尖の位置は明らかに仙骨前孔付近に達している。『グレイ解剖学』によれば,仙骨前孔付近の血管には仙骨中の血管と仙骨外の血管がある。血管に随伴する神経には交感神経幹があり,仙骨前孔の内側または前方には四つまたは五つの互いに接続する交感神経節があり,仙骨神経と尾骨神経の腹側枝からなる仙骨神経叢と尾骨神経叢がある。

 (2)気穴の構造

 『黄帝内経』の中で最も明瞭かつ最も完全な経兪の構造は「気穴」である。その構造には以下のいくつかの特徴がある。その一,肉会である「渓」「谷」のところに多く分布する。その体表の特徴は陥凹として表現されることが多い。これが気穴の「関」である。その二,気穴の「脈会」の位置は動くことはなく,分肉の間の「肉肓」にある。鍼尖が肉肓に触れなければ「機」に命中せず,「穀気」を得ることができない。穀気を得ればそこで止める。肓を過ぎて肉に中(あ)たってもいけないし,達しなくてもいけない。肉肓のところに出る「脈会」を精確に刺さなければならない。その三,会合する脈の大きさもはっきりしていて,脈の中で三番目の「孫脈」である。その四,体表に位置する「関」から肉肓の「機」までの間には「遊鍼の居」という間隙がある。鍼はその間隙に沿って「関」から肉肓まで進み,巷を遊行するがごとく滞り阻まれることはない。

〔『靈樞』脹論:「此言陷於肉肓,而中氣穴者也。不中氣穴,則氣內閉,鍼不陷肓,則氣不行,上越中肉,則衛氣相亂,陰陽相逐」。〕

 近ごろ,中国医学と西洋医学の専門家[8,10-11]から次のような指摘がなされている。現代解剖学の血管体構築ユニットにおける皮穿支(近年、国内では「皮穿支」概念を引用する際に多くの発展伸展があり,本論は2012年の「中国穿支皮瓣的名词术语与临床应用原则共识(暂定稿)/中国の穿通枝皮弁(perforator flap)の名詞術語と臨床応用原則の共通認識(暫定稿)」の定義を採用する。すなわち皮穿支とは源血管から発せられ,深筋膜を通して皮下組織と皮膚を支配する血管を指す)は,上述の二千年以上前に古典鍼灸学で記述された「気穴」の構造特徴とみな一致する。たとえば,皮穿支は,皮と肉の分の深筋膜のところに穿刺し,その位置は気穴の「脈会」点の位置と同じである。穿通枝血管の管径は平均1mm以下で,気穴構造のうちの「孫脈」と同じレベルである。直接する皮穿支は多く深筋膜の「渓」と「谷」に沿って皮表へ延伸し,気穴構造の「渓」「谷」概念と一致する。用語さえも驚くほど一致する。

    [8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

    [10] 刘斌,尤海燕,李玉华.谿谷结构的现代解剖学印证[J].北京中医药大学学报,2016,39(8):639-642.

    [11] Zhi Wei D, Yu S, Yongqiang Z.Perforators,the underlying anatomy of acupuncture points[J].Altern Ther Health Med, 2016,22(3):25-30.

    〔穿通枝皮弁とは近年,再建外科領域に新たに登場した皮弁の総称であり,筋肉を穿通し皮膚に至る血管それ自体を皮弁の栄養血管として挙上される皮弁である。多くの場合,これらの皮弁は微小血管吻合による遊離組織移植として欠損の再建に用いられるほか,有茎移植も可能である.

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsma1939/65/4/65_4_289/_pdf/-char/ja

    https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8435948/〕

 特に指摘しなければならないのは,兪穴の「穴樹」構造を最初に提出した陳太羲先生[12]から,ここ数年の国内の顕微骨科〔マイクロサージャリー〕医のより厳密な論証まで,みな皮穿枝構造を経兪の構造全体と比較しているが,その分析から以下のことが確認できる。皮穿枝構造が兪穴の構造と一対一に対応できるのは経兪中の「気穴」だけであり,脈兪・絡兪・募穴・骨空類の経兪,特に後ろの三つの経兪の構造とは大きく異なる。完全かつ厳密に表現すれば,皮穿刺枝は気穴論篇に述べられている「孫絡」に相当し,気穴に会する孫絡を含むだけでなく,穴会ではない孫絡も含み,皮穿枝が筋穿刺深筋膜に出る部位は気穴の底の構造に相当する。

    [12] 陈太羲.固有筋膜以上的穴树图[J].南京中医学院学报,1989,5(4):51-52.

 (3) 原穴と募穴の構造

 その「脈会」の多くは,二層あるいは二層以上をなしているが,これまで研究者はその表層の「脈会」に多く注目して,より重要な深層の「脈会」,すなわち血気が臓腑に出入りする「脈会」に注意を払わなかった。漢代の鍼灸兪穴経典『黄帝明堂経』に記載された349穴の中で,最も鍼を深く刺す兪穴は腹部の募穴と仙骨部の八髎穴であり,多くは二~三寸(環跳穴に対する深さの二~三倍)であり,臓腑の原穴と募穴に刺せば,この深さでは鍼尖は明らかに腹膜または内臓の被膜・隔膜・腸間膜および内臓付近の大血管に達して触れることになる。現代解剖学の実験により,密集して分布する内臓神経叢または節は,それを囲む大血管の主要な分枝に沿って延び,内臓の被膜・隔膜・腸間膜にも豊富な自律神経(腸管神経系を含む)が分布していることが明らかになった。かつまた後世における内臓の募穴を深く刺したときの鍼感とその効果も典型的な自律神経調節効果として表現される。このことから,内臓の募穴・原穴の「脈会」構造には自律神経成分が含まれていることがわかる。たとえば,「肓の原」である気海(別名は脖胦,または下肓)は臍下一寸半にあり,その「脈会」は脊椎内を伏行し,「十二経の海」と呼ばれる衝脈にある。『グレイ解剖学』によれば,臍下2cmに腹大動脈の分岐点があり,上下腹神経叢が分布し,この叢には三つの主要な源がある。すなわち腹大動脈神経叢(交感神経と副交感神経)・腰内臓神経(交感神経)・骨盤内臓神経(副交感神経)である。

 (4)脈兪の構造

 「脈会」には主に二つの種類,大脈の会と諸脈の会がある。以下にそれぞれ論ずる。

 人迎については,『黄帝明堂経』に「一名天五會,在頸大脈動應手,俠結喉傍,以候五藏氣〔一名は天五會,頸の大いなる脈動 手に應じ,結喉を俠む傍らに在り,以て五藏の氣を候う〕」とある。『霊枢』はこの穴を四海の一つ,「気海」の兪とする。大脈の兪であり,治病の要穴であることが分かる。現代解剖学によれば,「人迎」はまさに総頸動脈の分岐部にあたり,特殊な化学と圧力の感覚器があり,外膜には頸動脈洞神経および舌咽神経・迷走神経と交感神経からなる神経叢が支配している。頸動脈鞘内には総頸動脈とそれから分かれた内頸動脈と内頸静脈および迷走神経幹と頸神経ワナがある。現代医学の視野の下では,ここも血行を調節する重要な節点であることが十分にうかがえる。

 しかし,脈兪の複雑性はまた,その作用する強さと範囲が会する所の脈の大小に左右されるだけでなく,会する所の脈の多少と脈会の階層の多少次第でもある。たとえば,寸口の脈に位置する太淵穴は,その会する所の脈は人迎穴より遥かに小さいが,古典鍼灸学ではこれを肺の源,脈の大会,手太陰脈の本としていて,脈診で最もよく使われる部位でもある。古典鍼灸学における「診・療一体」の観念に基づけば,病気を診断する上で重要な意義を持つ脈口は,当然治療上でも非常に重要な脈兪である。

 また魚際穴は,経典に「陰諸絡會於魚際,數脈并注,其氣滑利〔陰の諸絡は魚際に會し,數脈幷(なら)んで注ぎ,其の氣は滑利〕」〔『霊枢』邪客〕とあり,常用される絡の診どころであり,それと同時に重要な治病の絡兪でもある。一脈が注げば兪となることができ,「数脈が幷(なら)んで注」げば,気血は盛大であり,大兪要穴となるが,会する所の脈がみな大きいわけではない。現代解剖学の実験観察によっても,魚際区には血管が豊富な静脈叢があることが確認されている。

 このような諸脈の会である脈兪は,数千年前の実践検査をへてその治療作用がより強く,作用範囲もより広いことが明らかになったが,このような脈兪には他の脈兪にはない気血を調節する構造か,より密度の高い調節する構造があって,それによって普遍性がより高い診察と治療の作用を示しているはずである。

 すでに発見された構造から見ると,脈兪の機にはまだ多くの知られていない探索発見が待たれる謎がある。たとえば,大脈の兪である「人迎」が位置する血管分岐点の内外にあるような複雑で強力な制御構造は,特定部位の動脈が分岐する点だけに存在するのか,それとも各種動脈が分岐する点に普遍的に存在するのか。直径が異なる動脈分岐部の制御構造の種類と数には,どのような異なる法則があるのか。これらの基本的な問題について,目下の現代解剖学にはまだ関連する研究がない。


2024年5月6日月曜日

黄龍祥『兪穴論』3.1

  3 兪穴構造の関機論

 秦代の弩には,矢を放つ部分である「機」の外側に誤発射を防止する「関」という囲みがある。弩機のこの構造を借用して形象化し,古人は兪穴の「外大内小」「外粗内精」構造の特徴と操作の規範を説明した。本論ではこれを「関機論」と称する。

 『黄帝内経』の「関機論」は,兪穴が構造的であることを説明している。筆者は一歩進んで同時代の関連文献を考察し,兪穴のこの構造が探索可能であり,考慮可能であることを証明し,さらに中国の古代の兪穴の構造と現代解剖学で知られている人体の構造を比較し,二千年以上前の中国の古代の兪穴の構造研究は,肉眼による観察と手による探索という原始的な方法を主に採用したのにもかかわらず,現代解剖学では捕捉されていない気血の運行を制御する重要な構造とその機能を見つけていたことに気がついた。


  3.1 「関」にしたがって「機」を探る

 「関」があり,「機」があるとは,兪穴は内に「機」があり,外に「関」がある,口が大きく底が小さい立体構造であることを言っている。「関」は兪穴の体表位置での輪郭に相当し,この範囲内には「気至る」を触発して風が雲を吹きはらうような鍼の効果を得る「空中の機」という点がある。現代人がもっとよく知っている現代医学の神経ブロックの体表位置と目標点の位置関係を用いて,兪穴の「関」と「機」の立体構造を説明すると理解がより容易になるかもしれない。兪穴の「関」は神経ブロック点の体表位置に似ている(正確な位置は必要ない)。「機」は神経ブロック目標神経点――神経幹・神経根・神経叢・神経節などに似ている(正確な位置が必要)。神経ブロックをおこなって目標とする神経点にあたらないか離れた場合は,操作全体の失敗を意味している。

 古典鍼灸でも,「関」の位置が基準に合っていても関を過ぎて機に触れることができなければ,「粗工」 (初級鍼師)のレベルにしか達していない,と考えられている。いわゆる「粗守關,上守機〔粗は關を守り,上は機を守る〕」(『霊枢』九針十二原),「知機道者不可挂以髮,不知機者扣之不發〔機の道を知る者は挂(か)くるに髮を以てす可からず,機を知らざる者は之を扣(たた)くも發せず〕」(『素問』離合真邪論)である。

 経兪を刺すときに「関」にしたがって「機」を探るだけでなく,一部の奇兪を刺す場合も同様である。たとえば経筋病を刺すときは痛みを兪とし,「知るを以て数と為す」必要があり,筋が急する所で最も痛い点を正確に刺してこそ,最適な治療効果を得ることができる。

 〔訳注:著者の論文「筋病刺法的演變與經筋學說的興衰」(『中国針灸』2023年8月第43巻第8期)によれば,『霊枢』経筋にある「以知為數」を,筋急など患部の最も痛む点に鍼を刺し,患者が感じる耐えきれないほどの痛みの知覚と,術者が筋肉に痙攣を知覚する鍼感を「知」といい,この患者と術者の「知」があれば治療効果がもっともよく,これを「數=度」とする,と解している。〕

 残念なことは,『黄帝内経』は兪穴を刺して「機」に触れ気を得ることの重要性を非常に強調していても,どのように「機」に触れるかという方法についての記述は少ないことである。漢代の『黄帝明堂経』以降の兪穴経典にある兪穴の位置に関する記述の多くは体表の「関」の位置についてであって,臨証において穴を刺すには,どのように「関」にしたがって「機」を探したらよいのか。古人が省略したか,あるいは後世に失われた「機」を刺すための詳細を可能な限り取り戻さなければならない。


2024年5月5日日曜日

黄龍祥『兪穴論』2.3

  2.3 節点

 兪穴の多くが「節の交」に分布することを知ったが,それではどの部位の交点が兪穴,特に大兪要穴が密集して分布するところなのか。すなわち「節の交」における鍵となる交点の分布にはどのような法則があるのか。この法則が把握できれば,臨床の選穴処方は「一言にして之を終える」要を得ることができる。

  「脈会」を,脈兪を含めた各種の経兪の中核としているので,論理的に以下のように推測できる。すなわち脈会が多ければ多いほど,気血が盛んである部位であるほど,兪穴が密集して分布し,大兪要穴の所在である可能性もより高くなる。

 では,古典鍼灸学の角度に基づけば,どの部位が気血が最も盛んで脈会が最も多い部位であろうか。気血が分布する量は,関節の大きさおよび機能の複雑さに比例している。その典型的な例は以下の通りである。

 例1:人体で最大の脈は脊裏をめぐる衝脈であり,十二経の海である〔『霊枢』海論〕。脊椎は頭蓋骨と一体であり,人体最大の骨であり,関節と骨空が最も多い骨でもあるので,経典に「腰脊者,身之大關節也〔腰脊は,身の大關節なり〕」〔『霊枢』刺節真邪〕とある。この最大の脈は,最も大きくかつ関節が最も多い骨と密接に関連している。

 例2:人体で関節が最も多く,機能が最も複雑な部位は手足と脊柱であり,これらの部位の血気も最も豊富で,しかも血気が運行する重要な節点である。手足部は陰陽脈の会であり,十二経脈が出るところである。

 例3:骨空が最も多い頭顔面も血気が豊富な部位であり,経典に「十二經脈,三百六十五絡,其血氣皆上於面而走空竅〔十二經脈,三百六十五絡,其の血氣は皆は面に上って空竅に走る〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕とある。

 例4:脈兪,特に大兪は骨間・骨空・骨の会処に多い。

 このほか,中央部の脈は,腹部中央の任脈のように左右の諸脈が交会し,頭頂部・脳後・頸部中央の督脈の兪も左右の諸脈と交会することが多い。人体の最高点と最低点および突出部(指端・足指端・耳・鼻など)の突出した点も諸脈が交会し,気血が充満する場所である。たとえば人体の最も高い点である頭頂部にある「百会」は脳に入る髄空の一つであり,また足太陽・足厥陰・督脈が交会する場所である。最も低い点である足心は陰脈があつまる場所であり,いわゆる「陽氣起於足五指之表,陰脈者集於足下而聚於足心〔陽氣は足の五指の表に起こり,陰脈は足下に集まって足心に聚まる〕」〔『素問』厥論〕である。「手足少陰、太陰、足陽明之絡,此五絡皆會於耳中〔手足の少陰・太陰・足陽明の絡,此の五絡は皆な耳中に會す〕」〔『素問』繆刺論〕,「十二經脈,三百六十五絡,其血氣皆上於面而走空竅,其精陽氣上走於目而為睛,其別氣走於耳而為聽,其宗氣上出於鼻而為臭〔十二經脈,三百六十五絡,其の血氣は皆は面に上って空竅に走り,其の精陽氣は上って目に走って睛と為り,其の別氣は耳に走って聽と為り,其の宗氣は上って鼻に出でて臭と為る〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕

 これらの部位はちょうど現代解剖学が発見した血管が最も多く,かつ血行をコントロールするための鍵となる部位である。たとえば,全身で最も大きな動脈である大動脈は,脊柱の前を走る。頻繁に動く関節とその付近にある動脈には多くの分枝と互いに吻合した血管網がある。四肢の血管の多くは,筋肉と骨格の溝・隙間および関節の屈曲面に分布している。頭頂部の百会穴のところには,左右の後頭動静脈と左右の浅側頭動静脈,および左右の前頭動静脈からなる血管網がある。足心にある湧泉穴には,多数の血管が吻合していて,足底動脈弓とそれに伴走する足底静脈弓を形成している。指(趾)腹と爪床において,動静脈が吻合することによって多くの小構造単位を形成するが,これを血管球〔参考:血管球(glomerulus):腎臓小嚢に包まれた毛細血管。糸球体/グロムス装置(glomus apparatus)・グロームス小体(glomus body)・血管糸球・皮膚糸球〕という。これらの血管球は真皮の深層に位置し,各血管球には 一つかそれ以上の輸入動脈がある。動静脈の吻合は冷えやすい体の末端部(手・足・耳・唇・鼻)に多く見られる。

 これによって,現代解剖学がまとめた血液の運行と調節の幹線道路と鍵となる部位の法則が二千年以上前の鍼灸学の認識と軌を一にすることがわかる。

 気血の分布が最も多い区域は当然ながら「脈会」が最も多い場所であり,気血の運行を調節する鍵となる部位も,兪穴,特に大兪要穴がある場所である可能性が高い。漢代の『黄帝明堂経』が掲載する349個の経兪と明代の官修医学書『奇効良方』が掲載する26個の「奇穴」を系統的に考察したところ,兪穴が密集して分布する場所と大兪要穴の位置は,上述した中西医学の共通認識である血気が豊かな場所と血行調節の鍵となる点の分布法則と完全に一致する。例をあげれば,諸骨節の交と骨の前後両側には兪穴があり,特に大兪要穴が密集して分布する場所で,経脈の本兪と臓腑の原・合は,ほとんどみな関節部に位置する。中央部の衝脈・任脈の浅層は諸脈の会穴であり,深層は多く内臓の募・原であり,大兪要穴の密集して分布する場所でもある。最も高いところ,頭頂部にある百会と最も低いところ,足心にある湧泉は,いずれも大穴である。手足や頭顔面の突出した部分には兪穴が密に分布する。たとえば,素髎・兌端・耳尖・十宣・井穴・大骨空・小骨空・中魁・五虎・肘尖・内踝尖・外踝尖などであり,その中にも大兪要穴は少なくない。

 以上の兪穴が密に分布する区域と大兪要穴が分布する区域の法則から分かるように,「節の交」とは,すべて骨節の交わりを指すわけではないが,骨節の交わり,特に活動が活発で,機能が複雑な関節は,往々にして多気多血のところであり,大兪要穴のあるところでもある。まさに張志聡の『黄帝内経素問集注』骨空論にいう「骨節の空処は,即ち脈の穴会」[7]である。

    [7] 张志聪.黄帝内经素问集注[M].王宏利,吕凌校注.北京:中国医药科技出版社,2014:192.

2024年5月4日土曜日

黄龍祥『兪穴論』2.2

  2.2 核心

 すべての「節の交」がみな兪穴であるわけではなく,脈が出入遊行するその間にあってこそ,「節の交」は兪穴となることができる。これについては,『黄帝内経』が以下のように繰り返し強調している。

 ・所言節者,神氣之所遊行出入也,非皮肉筋骨也〔言う所の節なる者は,神氣の遊行出入する所なり。皮肉筋骨には非ざるなり〕。(『霊枢』九針十二原)

・節之交三百六十五會者,絡脈之滲灌諸節者也〔節の交三百六十五會なる者は,絡脈の諸節に滲灌する者なり〕。(『霊枢』小針解)

・凡此八虛者,皆機關之室,真氣之所過,血絡之所遊〔凡そ此の八つの虛なる者は,皆な機關の室,真氣の過(よぎ)る所,血絡の遊ぶ所なり〕。(『霊枢』邪客)

 ・筋骨血氣之精而與脈并為系,上屬於腦後出於項中(髓空風府穴所在)〔筋骨血氣の精而(すなわ)ち脈と幷して系と為り,上って腦の後に屬し項中(髓空風府穴の在る所)に出づ〕。(『霊枢』大惑論)〔一般的な句読とは異なる。下文の説明に合わせた。「幷」には「合」「併」「並」「兼」などの意味あり。今,音読す。〕

 これから分かるように,兪穴の中核をなすものは,みな「脈会」から構成されているが,異なるタイプの経兪脈会の具体的な構成は,すべて同じであるとは限らない。脈会・骨会・肉会・皮肉の会の「節の交」にしても,大きさや量の異なる「脈」がその間に会してはじめて,兪穴になることができる。孫脈が分肉の間に出入する肉肓が気穴となり,大脈が出入する会が脈兪となり,絡脈が出入する会が絡兪となり,脈と絡が内臓の肓膜(包膜〔envelope,外皮,膜〕・系膜〔mesentery,腸間膜〕・網膜・隔膜)に出入するところが原となり募となり,脈と系が骨の所に出入するところが骨空・髄空となる。しかしこれらの大兪要穴は何千何万という鍼灸臨床試験をへてはじめて最終的に確定される必要がある。

 『素問』で気穴を専門に論じている気穴論篇を見ると,たとえ渓谷になく,穴と会することがなくても,「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」孫絡でも兪となれる。経兪となる唯一にして不可欠の要素が「脈会」であり,脈が発するところ,過ぎるところが兪穴の内在的根拠であり,その他の渓・谷・郄・骨空・節交は,「脈会」を探すための座標点にすぎないことが,以上から十分にうかがえる。古人は脈は虚空を行(めぐ)ると確信していたので,虚空の場所に「脈会」の所在をより容易に発見したのである。

 同じことが他にもあり,現代の有効点療法や民間の針挑〔挫刺〕療法で刺す部位も期せずして同じように血管が分かれる箇所である「脈会」を強調し,古典鍼灸学の「脈兪」概念をより多くより真に伝承した。針挑療法は静脈・動脈を問わず,血管の分岐点を定点とすることを強調する。現代の鍼灸家が総括した鍼灸の有効点の分布法則は,「動脈・静脈・リンパ管・リンパ節の周囲で特に血管の分岐点,リンパ分布が比較的多い場所につねに分布する」[6]である。

  [6] 郭效宗.针灸有效点理论与临床[M].北京:人民卫生出版社,1995:21.

2024年5月3日金曜日

黄龍祥『兪穴論』2.1

 2 兪穴分布節交論〔兪穴の分布である節交論〕

 絶えることなく蓄積された経験を,古人は気穴分布の総法則としてまとめた。兪穴は常に「節の交」,すなわち人体の二つの節という実体が交わる虚空のところにある。本論では,『黄帝内経』がまとめたこの兪穴分布の基本法則を「節交論」と称する。

  兪穴の分布について,三つの問題を重点的に整理しなければならない。その一,兪穴が常にある「節の交」の基本タイプ,および最も一般的な形式。その二,「節の交」が兪穴になりうる根本的な要素は何か。その三,どの部位にある「節の交」が兪穴であり,特に大兪要穴が密集した分布区域であるか。


 2.1 交点

 兪穴が分布する「節交論」の重要な意義を理解するには、「節」と「節の交」という二つのキーワードを正しく解読することが肝要である。

 『黄帝内経』に言う「節」とは,骨の節を指すことが多いが,骨に限らず,人体の皮肉脈筋骨の五体〔『靈樞』五色:「肝合筋,心合脈,肺合皮,脾合肉,腎合骨也」〕においては,「脈」以外は「節」とみな言えて,「皮節」「肉節」「骨節」「椎節」「肢節」「指節」の例がある。「節」は虚空ではなく,血気を通すことができないので,鍼を刺す時に「節」を刺すことは避けるべきで,いわゆる「中氣穴無中肉節。中氣穴則鍼遊於巷,中肉節則肉膚痛〔氣穴に中(あ)てて肉節に中つること無かれ。氣穴に中つるときは則ち鍼は巷に遊び,肉節に中つるときは則ち肉膚痛む〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕というのが,これである。

 「節の交」とは,人体の二つの実体が交わる場所に対する総称である。両肉の交わりを渓といい谷といい,「両骨の交わり」を「関節」とも呼び,『黄帝内経』では「節」と略称することもある。これはすべて虚空のところであり,血気が行(めぐ)る場所であるので,常に気穴のあるところである。

 これまで人々は『黄帝内経』の諸「節」を直接に骨節と解釈し,「節の交」を両骨の交わりと解釈していて,狭きに失している。

 経兪は諸節の会にあるが,脈には両節が互いに交わる例はなく,大脈の分と小脈の会は「出入の会」〔『霊枢』九針十二原〕といっても,「節の交」とはいわない。そのため経に「所言節者,神氣之所遊行出入也。非皮肉筋骨也〔言う所の節なる者は,神氣の遊行出入する所なり。皮肉筋骨には非ざるなり〕」〔九針十二原〕とあり,五体の中で脈だけは言及していない。

 兪穴が「節の交」に分布する形式には主に以下の種類がある。(1)脈兪および内臓の募・原で,脈が出入する会にある。(2)骨空で,多くは両骨あるいは諸骨の会「節の交」(顔面部の骨空は骨面上にある)にある。(3)気穴で,渓谷の会にある。経に「谿谷屬骨,皆有所起〔谿谷屬骨,皆な起こる所有り〕」〔『素問』陰陽応象大論〕とあるので,気穴の下には多く骨会があることがわかる。(4)奇兪の「筋急」「筋結」で,多くは両筋の交会に見られ,筋と肉・筋と骨の会する「節の交」わるところである。

 以上,経兪の骨空と気穴のある「節の交」は,骨と密接に関連している。両骨が会する関節部,特に大関節と活動量が多く機能が複雑な関節部は,諸脈の交会するところ,つまり脈兪が所在するところであることも多い。これから分かることは,以下のことである。「節」が全部骨節を指すわけではなく,「節の交」も全部両骨あるいは諸骨の交わるところを指すわけではないが,骨節は最も一般的な「節」であり,骨会もしばしば肉会・筋会・脈会の場所であるため,骨節の会は兪穴であり,特に大兪要穴が最も多く分布する「節の交」である。詳細な考証は以下の「節点」を参照されたい。


 

2024年5月2日木曜日

黄龍祥『兪穴論』1.3

   1.3 奇正と超越

 古典鍼灸学の枠組みの中に,脈には経と奇があり,穴には経と奇があり,刺には経と繆がある。鍼の名手は,奇正の法を巧みに用いて鍼法の妙を尽くすことができる。

 鍼灸師として,単に経兪を知っているだけで奇兪を知らないと,基本的に奇兪を取らなければならないか,あるいはまず奇兪を取るべき病症の診療のときに,選穴処方において手の下しようがなかったり,正しい方向から外れたり,治療の優先順位を間違えたりする。たとえば脹の治療では,「先瀉其脹之血絡,後調其經,刺去其血絡也〔先ず其の脹の血絡を瀉し,後に其の經を調え,刺して其の血絡を去るなり〕」〔『霊枢』水脹〕し,「凡刺寒熱者皆多血絡,必間日而一取之,血盡而止,乃調其虛實〔凡そ寒熱を刺す者は皆な血絡多ければ,必ず日を間(へだ)てて一たび之を取り,血盡くれば止め,乃ち其の虛實を調う〕」〔『霊枢』経脈〕ようにしなければならない。

 兪穴の常態を知っているだけで,その動態を察しなければ,治療はできないし,選穴処方も的がないのに矢を放つようなものである。たとえば癲狂の治療には,高頻度の経兪の中で「視之盛者,皆取之〔之を視て盛んなる者は,皆な之を取る〕」べきで,「不盛,釋之也〔盛んならざるは,之を釋(お)くなり〕」〔『霊枢』癲狂〕のである。つまり,癲狂を主治する経兪の中から,「動」兪を選んで鍼を刺すのである。

 経兪について単にその「正」の属性しか目に入らず,その「奇」の面を知らなければ,脈が結ぼれて通じないことによって起こる多くの痺証では,委中や委陽などの経兪のところで血絡・結絡をさぐり,「解結」法を用いて「血脈を去る」ことには思いが至らない。また,足の太陽の筋急による経筋病の場合,委中・委陽・天柱などの経兪のところで筋急あるいは結筋点を探ることを自分で覚えていなければ,筋急を除く「筋刺」法を用いて治療することには思いが至らない。ただひたすらに経兪を取り経刺法で治療するだけでは,治療効果が得られず,なぜそうなるか分からず,困惑するばかりである。

 鍼灸臨床において,正を知って奇を用い,あるいは正を奇とし,あるいは奇を正とすることは,鍼を用いることによってはじめてその繊細で巧妙な技を発揮することができる。 

 しかし時には,我々は奇正という視点の束縛を超えて,「病に応ずる」血絡・筋急点そのものに注目しなければならない。必ずしもそれらが経兪の上にあるかどうか、経兪に属するのか奇兪に属するのかと葛藤する必要はない。たとえば痺証を診察して、血絡・結絡が,膕(ひかがみ)の中に見られようと,膕(ひかがみ)の外側に見られようと,それを見て除けば,それが委中あるいは委陽に当たるどうかで葛藤する必要はなく,たとえ経兪の委中と委陽と見なしたとしても,経法を用いて刺すことはなく,血を刺して結を解する方法を採用する。実際,『素問』刺腰痛で王冰が次のように注した通りである。「委中穴,足太陽合也。在膝後屈處膕中央約文中動脈,刺可入同身寸之五分,留七呼,若灸者可灸三壯,此經刺法也。今則取其結絡大如黍米者,當黑血箭射而出,見血變赤,然可止也〔委中穴は,足の太陽の合なり。膝の後の屈する處の膕の中央約文中の動脈に在り,刺して同身寸の五分を入る可し,留むること七呼,若し灸する者は三壯を灸す可し,此れ經刺の法なり。今ま則ち其の結絡の大いさ黍米の如き者を取るときは,黑血に當てて箭射して出だし,血の赤に變ずるを見れば,然して止む可し〕」。血を刺し結ぼれを解いたあとも,脈が平常にならなければ,さらに委中に経刺法を用いて平らかに調える必要がある。

 同様に,筋が急(ひきつ)った所を見れば,必要に応じて異なる刺法を採用して筋を柔らげ脈を通すことが好ましく,それが経筋にあるのか経兪にあるのかを考慮する必要はない。我々が「経兪」のラベルを貼ったとしても,鍼治療の際に採用するのは「筋急を去る」刺法であって,通常の「経刺」法ではないからである。「筋急を去った」後でも,脈が依然として平常にならなければ,関連する脈兪や蔵府の兪を取り経刺法によって虚を補い実を瀉し,平を以て期と為す必要がある。「脈の平」は,古典鍼灸学の治療効果を判定する究極の目標であり,鍼灸が他の治療法と区別される一つの顕著な標識でもある。

 ちょうど奇経が正経に制約されないように,血絡と結絡も脈兪に制約されない。同様に筋急と結筋も気穴に制約されない。このように、「奇正」の視野を超えて,血絡と結絡,筋急と結筋そのものの診療法則および刺法規範に注目すべきである。

2024年5月1日水曜日

黄龍祥『兪穴論』1.2

  1.2 常態と動態

 脈会を兪としたが,脈には動・静の二つの状態がある。脈の異常変動を用いて病を診察したので,『霊枢』経脈篇に掲載された十二経脈の病候は,いずれも「是動則病〔是れ動ずれば則ち病む〕」という。「脈が動ずる」とは何か。本篇の経文は「脈之卒然動者,皆邪氣居之,留於本末;不動則熱,不堅則陷且空,不與衆同,是以知其何脈之動也〔脈の卒然として動ずる者は,皆な邪氣 之に居り,本末に留まる。動ぜざれば則ち熱し,堅からざれば則ち陷且つ空,衆と同じからず,是こを以て其の何の脈の動かを知るなり〕」と明言している。これはすなわち『素問』三部九候論のいう「独小」「独大」「独疾」「独遅」「独熱」「独寒」「独陥下」であり,衆脈と異なる脈象がすなわち「脈動」であり,「有過之脈」〔過(異常)が有る脈。『素問』脈要精微論〕でもある。

 脈兪には診断と治療の二重の効用もある。疾病状態あるいは特定の生理状況下(たとえば妊娠・月経期など)における兪穴があらわす形態・色沢・温度・圧痛など,正常状態とは異なる変化を兪穴の「動」態という。

 臨床における選穴処方の便宜上,古人は大量の診療データに基づいて,よく見られる病に高い頻度で応ずる穴の分布法則をまとめた。たとえば『霊枢』癲狂は,古人が長期にわたる診療経験をまとめた癲と狂についての鍼灸診療における高い頻度で応ずる穴で,治療にあたって鍼師はこれらの高い頻度で応ずる経兪の中から「病に応ずる」穴を選んだ。つまり「動」態にある経兪に対して治療した。癲狂があらたに発症し,リストに挙げられている高頻度の穴の中に「病に応ずる」穴が探せないときは,関連する経兪と「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」〔『素問』気穴論〕奇兪血絡を取って治療した。

 『黄帝内経』がまとめた,よく見られる病気に対する高い頻度で応ずる穴を見ると,圧倒的多数は経兪に現われる。臨床上高い頻度で出現する応ずる穴は,不断の実践検証をへて固定され,専門の名称が与えられ経兪となった,少なくとも経兪の主体を構成した,とも言える。


2024年4月30日火曜日

黄龍祥『論兪穴』1.1

 1 兪穴分類奇正論〔兪穴の分類である奇正論〕


 「正」と「奇」の二つに分ける方法は,伝世本『黄帝内経』が理論体系を構築する際によく採用する分類法である。

 「正」は,ときに「経」「常」などの同義語が用いられることもある。「奇」も「別」「繆」 の字が用いられることがある。たとえば,手と足に始めと終わりを持つ十二脈を「経脈」とし,その他の分散する脈を「奇経八脈」とする。経脈の行(めぐ)りはまた本経を「正」とし,内部に入って臓腑に属絡する分枝を別とする(『霊枢』で経脈の正と別を論じた専門の論文を「経別」〔篇〕といい,『太素』は「経脈正別」〔篇〕という)。心肝脾肺腎と小腸胆胃大腸膀胱を「常府」といい,その他の六府を「奇恒之府」という(楊上善注:「此六非是常府,乃是奇恒之府。奇,異;恒,常”〔此の六は是れ常府に非ず,乃ち是れ奇恒の府。奇は,異なり。恒は,常なり〕〔『太素』巻6・藏府氣液〕)。通常の刺法を「経刺」(『黄帝内経』では「経刺」には異なる用法がある。ここでは『素問』繆刺論の用法を採用している。王冰の注〔『素問』血気形志・刺瘧論〕では「常刺」にも作る)といい,経刺以外の刺法を「繆刺」(王冰注:「繆者,異也,異於經刺故曰繆刺〔繆なる者は,異なり。經刺に異なる故に繆刺と曰う〕」)としてまとめる。固定的な部位と名称を持つ兪穴を「経兪」とし,固定した部位を持たない兪穴を「奇兪」(明代には経典には見えなくとも奇効がある兪穴を「奇兪」あるいは「経外奇穴」とした[1])とする。

    [1] 李宝金,孟醒,武晓冬,等.”经外奇穴”概念演变与术语规范化问题探讨[J].针刺研究,2020,45(9):746-750.

 本論では『黄帝内経』による兪穴を二つに分ける分類法を「奇正論」と称する。


 1.1 経兪と奇兪

 『黄帝内経』で固定的な位置を持つ経兪の主なものには,脈兪・気穴・骨空・募兪の四種類がある。その中で,蔵府の「募」穴と『霊枢』九針十二原に見える五蔵六府十二原の「膈之原」「肓之原」は,同類である。理屈からいえば,膈之原と肓之原を見つけることができ,しかも当時の鍼具と鍼師の技術がこの二穴を刺す要求を満足させることができ,一定の臨床応用が得られたのだから,他の蔵府の募穴は自然に見つかったはずである。しかし伝世本『黄帝内経』で確認できる蔵府の募穴は「胆募兪」のみで,その他の蔵府の募穴がみな発見され,臨床に応用されたかどうかは,確認できない。確実にわかることは,『黄帝内経』より遅れて成書した『難経』に蔵府の募穴を専門に論じた難〔67難〕があり,『黄帝明堂経』にはさらに詳細な記載があることである。

 四つに分けた経兪の中で前の三種類については,伝世本『黄帝内経』にそれを専門に論じた気府論・気穴論・骨空論という篇がある (伝世本『素問』にあるこの三篇はすべて王冰によって大幅に改編されたが,それだけでなく気穴論の「気穴」は経兪の総称の意味を兼ねているため,三篇に掲載されている穴の分類は,一部重なっている)。蔵府の募兪を論じたものとしては,三国時代に専門書『募兪経』〔呂廣『募腧經』,佚〕があった。


  (1)脈兪蔵兪

 漢代以前の初期鍼灸文献では,「兪」あるいは「輸」字は,脈と一緒に関連づけられることが多い。鍼灸師は古くから脈を診たり刺したりする過程で,最初の固定的な部位を有する刺灸箇所,すなわち脈兪・絡兪・蔵府の兪を見つけた。

  絡兪は絡脈が出入りする会所にあり,その「会」は浅く表に出る。脈兪は経脈が出入りする会所にある。筆者は初期の研究[2]で,馬王堆から出土した帛書『足臂十一脈灸経』 『陰陽十一脈灸経』には,経脈の循行を論じる際に最も頻繁に使われる術語が「出」字であり,合計52あることに気づいた。脈の循行に「出」があれば,当然「入」があるはずで,『霊枢』邪客では,手太陰・手厥陰二脈の「出入之処」が詳しく述べられており,そのうえ出る所入る所には,恰度この二本の経脈の本兪がある[3]

    [2] 黄龙祥.中国针灸学术史大纲[M].北京:华夏出版社,2001:496-497.

    [3] 黄龙祥.经脉理论还原与重构大纲[M].北京:人民卫生出版社,2016:40-41.

 古人はまた蔵府の兪は,上部では背中に出,下部では腕(てくび)踝肘膝に出ることを発見した。蔵府の募穴の系統が発見されたのも『難経』の成書年代より遅くはない。

 これらの発見に基づいて,古代人は「脈の注ぐ所を兪と為し」「脈の出入の会を兪と為す」という認識を次第に持つようになった。「脈会」も各経兪の標準配備となった。どの種類の経兪であれ,「脈」がその間にあれば兪穴となることができる。「脈会」を探すことも,鍼師の最も重要な仕事であり,いわゆる「審於調氣,明於經隧,左右支絡,盡知其會〔調氣を審らかにし,經隧を明らかにし,左右の支絡,盡く其の會を知る〕〔『霊枢』官能〕である。

 医書のみならず,漢代の医書以外でも同様または類似の観点を表わしている。『論衡』順鼓に「投一寸之鍼,布一丸之艾於血脈之蹊,篤病有瘳〔一寸の鍼を投じ,一丸の艾を血脈の蹊に布(し)かば,篤き病も瘳(い)ゆること有り〕[4]とある。この文にある「蹊」は「溪〔谿・渓〕」字の異体字である。すなわち『素問』気穴論にいう気穴の所在する「渓谷」の意味である。水が注ぐところを「溪〔谿・渓〕」となし,脈の注ぐところを「兪」となす。それゆえ王冰は「大經所會,謂之大谷也;小絡所會,謂之小溪也〔大經の會する所,之を大谷と謂うなり。小絡の會する所,之を小溪と謂うなり〕」(『素問』五蔵生成)と言っている。漢代道経の文集『太平経』では,さらに明確に「脈会処」を兪穴の代名詞としていて,「脈会」を探索する正確さを鍼師の水準を審査する指標としていた〔『太平経』の引用文については,下文3.3を参照〕。このことは,当時,脈会を兪とする認識が医科以外の学者にもすでに熟知されていたことを物語っている。

 [4] 陈志坚.诸子集成[M].北京:北京燕山出版社,2008:127.

 今日の鍼灸師は経に帰属する兪穴を区別をせず,一様に「経穴」と呼んでいるが,古人は厳格に区別していて,皇甫謐や楊上善から王冰にいたるまで,つまり唐以前の代表的な医経注家は,みな脈兪の持つ異なる性質を明確に指摘していた。

    『鍼灸甲乙經』卷三〔手太陰及臂凡一十八穴第24〕:別而言之,則所注為“俞”;總而言之,則手太陰井也、滎也、原也、經也、合也,皆謂之“俞”。非此六者謂之“間[俞]”〔別けて之を言えば,則ち注ぐ所を「俞」と為す。總べて之を言えば,則ち手の太陰井なり,滎なり,原なり,經なり,合なり,皆な之を「俞」と謂う。此の六者に非ざる,之を「間[俞]」と謂う〕。

    『太素』卷五・十二水:問曰:十二經脈之氣並有發穴多少不同,然則三百六十五穴各屬所發之經,此中刺手足十二經者,為是經脈所發三百六十五穴?為是四支流注五藏三十輸及六府三十六輸穴也?答曰:其正取四支三十輸及三十六輸,餘之間穴有言其脈發會其穴即屬彼脈〔問いて曰わく:「十二經脈の氣は並びに發する穴の多少同じからざる有り,然らば則ち三百六十五穴各々發する所の經に屬す,此の中の手足の十二經を刺す者は,是れを經脈發する所の三百六十五穴と為すか?是れを四支に流注する五藏の三十輸及び六府の三十六輸穴と為すか?」答えて曰わく:「其れ正に四支の三十輸及び三十六輸を取る,餘の間穴 其の脈 其の穴に發會すと言う有らば,即ち彼の脈に屬す」〕。

    『素問』診要経終論:「故春刺散俞,及與分理,血出而止」。王冰注曰:「散俞,謂間穴」。〔「故に春に散俞,及び分理とを刺し,血出づれば止む」。王冰注:「散俞とは,間穴を謂う」。〕


 『黄帝内経』で兪穴を専門に論じている気府論 (『太素』伝本)では,六本の陽経はみな「脈気の発する所」として穴を総括しているが,膝以下の本兪と六府の合兪は直接 「輸」と言っている。五本の陰経は本兪穴を主とし,その「脈気の発する所」の穴は一穴を超えず,これがない脈さえある。このことから気府論は,本兪を基礎として,その上に他の種類の関連する経兪を加えて構成されていることが分かる。そこに記載されている兪穴は,本脈の兪と脈気発する所の穴の二種類に大きく分けられる。

 このほか,『黄帝内経霊枢』の第一篇である九針十二原も「二十七氣所行皆在五輸〔二十七氣の行く所,皆な五輸在り〕」と明言している。これは,『黄帝内経』に言う,その「兪」を取るとは,多くの場合,特に経脈の本兪あるいは五兪穴の「輸」を指すのであって,広く気府論篇が「脈気の発する所」として分類した兪穴を指すのではないことを示唆している。

 異なる脈兪を区別する意義は以下のとおりである。本兪はよく経脈の病候を治し,その中の五蔵の原と六府の合は関連する蔵府の病症を治すことができ,その他の脈気が発する所の「散兪」「間穴」が主に局部的な病症を治療するという性質とは明らかに異なる。


 (2)気穴髎穴

 『黄帝内経』中の「気穴」には様々な意味がある。ここでは本文と関連する二つの用法を紹介する。その一は,「経兪」の別称,すなわち全ての固定した部位と穴名を持つ兪穴を指す。その二は,特に孫脈が肉肓〔『霊枢』脹論:「此言陷於肉肓,而中氣穴者也」。『太素』楊上善注:「肉肓者,皮下肉上之膜也」。≒分肉の間〕に出入りして形成される固定した位置と穴名を持つ兪穴,すなわち経兪の一種である。本節では,後者の概念である「気穴」について重点的に討論する。

 『黄帝内経』の著者が「論理人形〔人形を論理する〕」と極めて簡潔に表現した枠組みの中で,「氣穴所發,各有處名〔氣穴の發する所,各々處名有り〕」とすでに明言していたが,それが経兪に属することは疑いない。これにつづけて作者はまた「溪谷屬骨,皆有所起〔溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り〕」という。では気穴と「溪谷」はどのような関係にあるのか。これについて,著者は気穴を専門に論じている気穴論篇において討論し,「氣穴之處,遊鍼之居」という。この「遊鍼」という用法には,明らかに『荘子』養生主の「遊刃」を模倣した痕跡がみられ,〔庖丁が〕刃を隙間に遊ばせたことは知られているから,鍼を遊ばせる場所はすなわち兪穴であり,空虚なところであるはずであることが知られる。いわゆる「中氣穴則鍼遊于巷〔氣穴に中(あ)たれば則ち鍼は巷に遊ぶ〕〔『霊枢』邪気蔵府病形〕が,これである。

 この鍼を遊ばせる間隙は,『素問』気穴論の「肉之大會為谷,肉之小會為溪,肉分之間,溪谷之會,以行榮衛,以會大氣〔肉の大會を谷と為し,肉の小會を溪と為し,肉分の間,溪谷の會,以て榮衛を行(めぐ)らし,以て大氣を會す〕」,『素問』五蔵生成の「人有大谷十二分,小溪三百五十四名,少十二俞,此皆衛氣之所留止,邪氣之所客也,鍼石緣而去之〔人に大谷十二分,小溪三百五十四名有り,十二俞を少(か)く,此れ皆な衛氣の留止する所,邪氣の客(やど)る所なり,鍼石 緣って之を去る〕」。気穴を刺し肉肓(分肉の間)に中(あ)たってはじめて気が得られる。この分肉の間は衛気が運行する幹線道路であり,気穴のある渓谷は営衛が運行する場所である。これが「気穴」という名前を得た寓意に違いない。

 また『太素』〔巻11〕気穴で楊上善は「気穴」の意味について,「十二經脈之氣發會之處,故曰氣穴也〔十二經脈の氣の發會する處,故に氣穴と曰うなり〕」と注している。厳格に言えば,「孫脈之氣發會之處,故曰氣穴也〔孫脈の氣の發會する處,故に氣穴と曰うなり〕」というべきである。その理由は,〔『素問』〕気穴論は孫絡の会を,「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,溢奇邪,以通榮衛〔孫絡三百六十五穴會,亦た以て一歲に應ず,奇邪を溢し,以て榮衛を通ず〕」と論じていて,上文の渓谷論と軌を一にして,渓谷の間で会するのは孫脈であると説明している。この点は,『霊枢』癰疽で確認できる。すなわち「中焦出氣如露,上注溪谷,而滲孫脈〔中焦は氣を出だすこと露の如し,上って溪谷に注ぎ,而して孫脈に滲(し)む〕」,渓谷にいたるのは孫脈である。

 古人が長期にわたり脈を診,脈を刺すことを通じて脈兪を発見し,分肉を刺している中で気穴を発見したとするならば,骨を刺すことを通じて別の経兪すなわち骨空を発見したことになる。『霊枢』衛気失常に「皮有部,肉有柱,血氣有輸,骨有屬……骨之屬者,骨空之所以受益而益腦髓者也〔皮に部有り,肉に柱有り,血氣に輸有り,骨に屬有り……骨の屬は,骨空の益を受けて腦髓を益す所以の者なり〕」という。

 骨空は,二本の骨あるいは多くの骨の会であり,一般には「髄空」を指し,多くは髄海〔脳/『霊枢』海論〕のある頭蓋骨とそれに繋がる脊柱に位置する。これ以外の関節間の空所は,「骨解」「節解」ともいい,目で見える骨空である。これらの部位はしばしば兪穴があるところでもあり,この骨空にある兪穴を「髎穴」という。

 気穴と髎穴が大量に発見されるにともない,経兪の種類と数が急速に増えた。このとき,どのような術語を兪穴の総称とするのかという問題が生じた。

  各種の兪穴を調べれば、二つの特徴が見いだせる。その内在的な機能は血気の輸送と交会である。その外形の特徴は中空と凹みである。この二つの意味を同時に表現できる字が「兪」であり,「兪」の持つ「輸送」と「中空」という意味を表現するために,古人は別に 「輸」と「窬」という二つの派生字を作ったので,「兪」を兪穴の総称とするのは適切である。一方「穴」字には隙間・空洞という意味があるだけで,脈兪と募穴を統括するのは難しい。

  『黄帝内経』には経兪の総称として「気穴」という用例が見られるが,各種の刺灸部位の総称としては使われていない。「兪」「穴」の二字で構成される語で刺灸部位を表わすのは,「兪」を中心語〔原文:中心詞。語法用語。修飾限定される名詞〕とする「穴兪」の用法が見られるだけであり,「兪穴」の用例は見られず,唐代の王冰まで「穴兪」という言葉が使われ続けた。しかし楊上善注『太素』は改めて「輸穴」に統一し,後世において「穴」を兪穴の総称とする下地となった。

  前に唐代の楊上善が模範を示し,後に影響力がさらに大きい宋代の国家経穴標準『銅人腧穴鍼灸図経』への発展があって,「穴」を中心語とする「兪穴」「輸穴」「腧穴」という術語がさらに広範に応用されるようになり,「穴兪」という用語はだんだん影が薄くなった。「窬」字は五代以降,鍼灸の兪穴の名称としても使われていない。現在盛んに使われている兪穴の術語,「経穴」「穴位」にはすでに「兪」字も「腧」字も見られない。しかし、歴史上では依然として名医が異なる意見を述べている。たとえば,元・明の際の滑伯仁はその医学名著『難経本義』六十八難で「此〈俞〉字,空穴之總名。凡諸空穴,皆可以言俞〔此の〈俞〉の字は,空穴の總名なり。凡そ諸々の空穴,皆な以て俞と言う可し〕」と明言している[5]

  [5] 滑寿.难经本义[M].傅贞亮,张崇孝点校.北京:人民卫生出版社,1995:88.

 歴史的,あるいは論理的視点から考えてみても,滑伯仁氏の見解は採用すべきではあるが,今日すでに口になじんでいる「兪穴(腧穴)」を「穴兪」に戻し,「兪」を刺灸部位の総称にするのは,おそらくは難しいだろう。しかし、学術史研究のレベルでは,この問題を明確にしておく必要がある。さもなければ,現代人が『黄帝内経』のような初期の鍼灸文献を読む時に,多くの困惑して理解できないところに遭遇したり,経文を長い間誤読したままで,それを自覚しないことになる。


 (3)奇兪の要

 固定された位置を持たない奇兪には,主に「病所」「病応」の二種類が含まれる。

 いわゆる「病応」とは病理的反応点を取ることであり,脈の病の反応点を血絡・結絡という。筋の病の反応点は筋急・結筋のところにある。これ以外に,多くの病症が圧痛や押すと痛みが止まる有効点などとして触知することができる。これらの病理的反応点が経兪に現われたら「応穴」という。経兪でなければ「天応穴」といい,奇兪に属する。

 「各々処名が有」る気穴を論じた専門篇「気穴論」で,篇末に特に名前も定位置もない奇兪「孫絡血」について,意味深長な文がある。「孫絡之脈別經者,其血盛而當瀉者,亦三百六十五脈,並注於絡,傳注十二絡脈〔孫絡の脈は經に別かるる者なり,其の血盛んにして當に瀉すべき者,亦た三百六十五脈は,並びに絡に注いで,傳えて十二絡脈に注ぐ〕」。この「血盛んにして瀉すべき」孫絡は,「孫絡血」とも名づけられる。正当な経兪ではなく名前も定位置もないので,「奇兪」に属する。

 古人はまた筋と脈には非常に緊密な関連があることに気づいた。たとえば病因から見れば,脈病と筋病には共通する主な病因「風寒」がある。病機から見れば,寒すれば則ち脈急し,脈急すれば則ち痛み,寒すれば則ち筋急し,筋急すれば則ち痛む。脈を診て,「是れ動ずれば則ち病み」,筋を診て,「筋急すれば則ち病む」。治療から診れば,脈痺は「血絡」「結絡」を治療し,筋痺は「筋急」「結筋」を治療した。

 「血絡」「結絡」で経兪にないものを奇兪とすれば,「筋急」「結筋」で経兪にあたらないものも当然奇兪とみなされる。したがって十二経筋病候の下にはみな「以痛為輸〔痛を以て輸と為す〕〔『霊枢』経筋〕と明言されている。すなわち「筋急」で最も痛む場所を兪とする。

 

2024年4月29日月曜日

黄龍祥『兪穴論』0

   [要旨]

 兪穴は鍼灸学が立脚する根本であり,鍼灸の理を理解するには,まず兪穴の構造と機能を明らかにしなければならない。『黄帝内経』にある兪穴の分類・分布・構造に関する論述を掘り起こすことを通じて,「奇正論」「節交論」「関機論」の三論を抽出し,固定された位置の有無によって兪穴を「経兪」と「奇兪」の二種類に分け,経兪はまた脈兪・骨空・気穴・募穴の四種類に分けることを示した。兪穴が分布する全体的な法則は「節の交」であり,兪穴,特に大兪要穴〔『鍼灸甲乙経』に「刺經渠及天府此謂之大俞」,『霊枢』背腧に「背中大腧,在杼骨之端」とあるが,著者は重要な兪穴という意味で「大兪要穴」と言っているのであろう〕が分布する密度は,関節の大きさとその機能の複雑さに比例している。兪穴は内に「機」があって外に「関」があるという立体構造をしている。その「機」は脈会の中にあり,「脈会」は探せるし思量することもできる。また、経兪と奇兪の関係,経兪の異なる状態の意義,および兪穴研究の道筋をどう選択するかなどの問題について深く討論して分析し,将来の兪穴研究に至急必要な解決すべき重要な問題と問題解決の考え方を提出し,鍼灸学の守正創新の参考に供する。〔守正創新:正道を厳守しながら,新たなものを創造する。習近平総書記の「新時代の中国の特色ある社会主義」思想の精髄をあらわす言葉のひとつ。堅持することが求められる。〕


 [キーワード] 鍼灸 兪穴 分類 分布法則 構造

 古典鍼灸学は気血を理論の原点とするが,兪穴は気血を計量し調節する節点〔原文:節点。/node. 結節点。ネットワークの接点や分岐点、中継点〕であり,鍼灸学は気血を調節し調和した状態にさせるという総合的な目標は,兪穴をよりどころとして定着させ発展させる必要がある。

 二千年以上前の『黄帝内経』 (本文が引用する『黄帝内経』はすべて伝世本『素問』『霊枢』を指し,『漢書』芸文志が記す「黄帝内経」とは異なる。)は,鍼灸学を対象とした人体形態学の構想を提供した。

    余聞上古聖人,論理人形,列別藏府,端絡經脈,會通六合,各從其經;氣穴所發,各有處名;溪谷屬骨,皆有所起;分部逆從,各有條理,四時陰陽,盡有經紀,外內之應,皆有表裏,其信然乎?

  〔余聞くならく,上古の聖人は,人形を論理するに,藏府を列別し,經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う。氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り。分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有りと,其れ信(まこと)に然るか?〕(『素問』陰陽応象大論)〔経文の句読は,4.3の引用文に従った。〕

    

 この篇の「人形を論理する」骨組みは極めて簡単だが,著者は筆を惜しまず気穴とその関連構造を際立たせ、最後にまた黄帝の口を借りて「其れ信(まこと)に然るか?」という問いが出された。残念なことに伝世本の『素問』の経文には錯簡があり,原書の旧態により近い『太素』の伝本では,この部分の経文はすべて欠けていて,原作者が答えを出したかどうか,どのような答えを出したかを考察することができない。かくして,この鍼灸学の根本的な問題に対する答えは歴史的に今日の鍼灸従事者の前に置かれることになったのである。


 兪穴はどこにあるのか。兪穴は何種類あるのか。それぞれどのような構造になっているのか。どうしたら気穴が得られるのか。

 兪穴が明らかでなければ,鍼灸学の人形構造の枠組みは抜きんでて独り立ちすることが困難であり,今日の鍼灸従事者も根本から鍼灸の理論をはっきり説明することができない。時期が異なることを踏まえると,鍼灸兪穴の総称は,「兪」「輸」「窬」「腧」と表記が異なっており,現在の学術界は標準となる名称を規定していない。本文では引用文をのぞいて,すべて「兪」字に統一した。


2024年4月26日金曜日

鍼灸溯洄集 87 卷下(34)瘡瘍

   卷下・廿七オモテ(779頁)

 (34)瘡瘍[ソウエキ]

  【注釋】

 ★瘍:音は「よう」。「エキ」は「易」からの類推か。

 ◉岡本一抱『指南』瘍(やう):「『原病式』などでは,〈頭に有の瘡〉とあれども,『周禮』には〈身に疕瘍有り〉と云。註に〈身の傷(やぶれ)を瘍と云〉とあれば,瘍は諸瘡の通稱也」。〔本のノドの所にあり,一部読めず。『周禮』『病名彙解』等により想像しておぎなう。〕

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100314627/89?ln=ja

 ◉『病名彙解』瘍(やう):「『素問』の音釋幷に『原病式』などでは,〈頭(づ)に有る瘡〉とあり。頭(かしら)に生ずる瘡の心か,但(ただし)かしらにある瘡と云心か。『入門』の音釋には,〈音(こへ)羊(やう),頭(つ)瘡〉とありしかば,頭に生ずる瘡の心なり。然ども,諸書に皆瘡の摠名のやうに云り。曲禮に……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100314627/89?ln=ja


疔瘡者風邪熱毒相搏也

  【訓み下し】

疔瘡は,風邪 熱毒 相い搏(う)つなり。

  【注釋】

 ○疔瘡:外科常見病之一。因其堅硬而根深,形如釘狀,故名。癰疽等化膿性感染之局部腫脹形似疔蓋狀者。出『仙傳外科集驗方』卷六。從廣義講,泛指瘡瘍之病證者,參見丁條。狹義單指瘡瘍中之一種病證,即所謂:又名丁瘡、丁腫、疔腫、疔毒、疵瘡等。

 ◉岡本一抱『指南』疔瘡:「諸瘡の中にして急症也。始一小泡[アメツフ]を生じて,搔(かき)傷れば,痒[カユシ]痛して黃泡膿[ウミ]を生ず。其の瘡の形小なりと雖,深(ふかく)腐(くち)て骨に陷藏(おちいり)を傷る。其深(ふかき)こと丁の字の形の如し。故に名とす」。

 ◉『病名彙解』疔瘡:「『正宗』に云,疔瘡は乃ち外科迅[トク]速[スミヤカ]の病なり。朝(あした)に發して夕(ゆうべ)に死し,隨て發して隨て死することあり……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/253?ln=ja

 ◉『萬病回春』卷8・疔瘡:「疔瘡者,風邪熱毒相搏也」。


○癰者大而高起属乎陽六府之氣所生也

  【訓み下し】

○癰は,大いにして高く起こる,陽に屬す。六府の氣 生ずる所なり。

  【注釋】

 ◉岡本一抱『指南』癰疽:「癰は壅[フサグ]也。血氣壅(ふさがり)て大熱肉を腐[クチ]爛[タダル]す。然ども骨傷(やぶ)れず,藏 損せず。疽は阻也。氣血熱毒の為に阻[トド]滯[コヲル]し,肉骨皆腐(くちて)藏に陷(おちい)る。癰は淺(あさく)して,はば廣く,瘡邊(へん)の皮薄(うすく)澤(うるをい)有。疽は深(ふかく)して,はばせばく,瘡邊(へん)の皮厚(あつく)牛領[ウシノクビ]の如し」。

 ◉『病名彙解』癰疽:「癰は壅[フサクガル]なり。衛(ゑい)氣壅[フサガリ]遏[フサガル]して通ぜざるなり。疽は沮(しょ)なり。沮は字書に,〈止也,遏也,抑也〉,ふさがる心なり。皆氣血不順より發する故なり。○……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/144?ln=ja

 ◉『萬病回春』卷8・癰疽:「癰者,大而高起屬乎陽,六腑之氣所生也」。


○疽者平而內起属乎隂五藏之氣所生也

  【訓み下し】

○疽は,平にして內に起こる。隂に屬す。五藏の氣 生ずる所なり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷8・癰疽:「疽者,平而內發屬乎陰,五臟之氣所成也」。


○癬瘡皆血分濕熱所致也

  【訓み下し】

○癬瘡,皆な血分 濕熱 致す所なり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷8・癬瘡:「五癬者,濕、頑、風、馬、牛也(注:疥癬皆血分熱燥,以致風毒尅於皮膚。浮淺為疥,深沉者為癬。疥多挾熱,癬多挾濕。)」。

 ◉『指南』癬瘡:「俗に云,タムシなり。『保元』に曰,〈癬は肌肉にかくる,或は圓(まろか)或は斜(ななめ)也。云云〉……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100314627/108?ln=ja

 ◉『病名彙解』癬:「俗に云タムシ,又ゼニガサとも云り。またハタケと云は乾癬のことなるべし。○……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/368?ln=ja


○乳岩始有核腫多生於憂欝積忿也

  【訓み下し】

○乳岩,始め核腫有り,多く憂欝積忿(しゃくふん)に生ず。

  【注釋】

 ◉『指南』乳岩[チチハレモノ]:「婦人の乳房に結核を生じ,漸く腫(はれ)潰(ついゑ)て乳房の形岩穴[イワアナ]の凸凹あるに似たるを云。多は欝氣痰火の致す所也」。

 ◉『病名彙解』乳岩:「乳房の瘡潰(ついへ),岩穴の凹(なかぼそ)なるが如しとなり。○……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/71?ln=ja

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・乳岩:「婦人乳岩,始有核腫,如鼈,棋子大,不痛不癢,五七年方成瘡。……此疾多生於憂欝積忿」。


○乳癰發痛者血脉凝注不散也

  【訓み下し】

○乳癰 發(お)こり痛むは,血脈 凝注して散せず。

  【注釋】

 ◉『指南』乳癰:「乳汁[チチシル]忽(たちまち)壅(ふさがり)て腫(はれ)痛(いたみ),結核を生じ,色赤く,數日の外(のち),焮[ホメク]痛して脹(はれ)潰(ついゑ),稠膿湧(わき)出て,膿盡(つき)て愈(いゆる)を乳癰と云(『婦人方』に出)」。

 ◉『病名彙解』乳癰幷乳瘻:「『婦人良方』に云,〈乳房[チブサ]忽ち壅(ふさがっ)て腫(はれ)痛(いたみ),……久しく瘥(いえ)ざれば,瘻となるなり(是を乳瘻と云り)」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/71?ln=ja

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・乳病:「乳癰發痛者,血脈凝注不散也」。「發痛者」は「痛みを發する者」と読むのが通常か。


○疔瘡生面上口角合谷[手大指次指歧骨間陷中]曲池[肘橫文頭]灸生背足肩井[肩上陷中]三里[膝下三寸]委中[膕之中央]灸刺

  【訓み下し】

○疔瘡 面上口角に生ずるは,合谷[手の大指の次指の歧(ちまた)骨の間の陷中]・曲池[肘(うで)の橫文の頭(かしら)]灸す。背足に生ずるに,肩井[肩上の陷中]・三里[膝下三寸]・委中[膕の中央]灸刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・疔瘡、溺死、犬傷、蛇傷、脈絕、癰疽:「疔生面上與口角,須灸合谷瘡即落,若生手上灸曲池,若生背上肩井索,三里委中臨泣中,八穴灸之不可錯」。


  卷下・廿七ウラ(780頁)

○癰疽發背肩井委中灸刺

  【訓み下し】

○癰疽 發背(ほつはい),肩井・委中 灸刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・疔瘡、溺死、犬傷、蛇傷、脈絕、癰疽:「癰疽發背肩井攻,再兼一穴是委中。以蒜片貼瘡上灸,如不疼兮灸至疼,愈多愈好是此病,若疼宜灸至不疼」。


○熱風癮疹肩髃[肩端陷中]曲澤[肘內廉下陷中屈肘得之]曲池[穴處出上]環跳[髀樞之中]合谷深刺

  【訓み下し】

○熱風癮疹,肩髃[肩端の陷中]・曲澤[肘(うで)の內廉の下(しも)陷中,肘を屈(かが)めて之を得(う)]・曲池[穴處 上に出づ]・環跳[髀樞の中]・合谷,深く刺す。

  【注釋】

 ○癮疹:癮疹是一種皮膚出現紅色或蒼白風團,時隱時現的瘙癢性、過敏性皮膚病。『醫宗金鑒・外科心法要訣』云:「此證俗名鬼飯疙瘩,由汗出受風,或露臥乘涼,風邪多中表虛之人」。中醫古代文獻又稱風瘩癌、風疹塊、風疹等。本病相當於西醫的蕁麻疹。/熱風癮疹是中醫古籍中記載的一種皮膚病,多發於夏秋季節,主要症狀是皮膚出現紅色丘疹、水皰,伴有瘙癢、灼熱感。

 ◉『指南』癮𤺋:「『玉案』に云,〈隱[カクル]々然として皮膚あいに有。發するときは,多は癢(かゆく)して不仁[ヒトハダナラズ]す〉と云云」。

 ◉『病名彙解』癮𤺋:「『丹臺玉案』㿀【癍】疹門に云,〈又癮疹と云ものあり。多くは脾に屬す。隱々然として皮膚の間にあり。發するときは多くは癢して不仁[シビル]す。風濕・風熱の殊(こと)なるあり〉」。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・小兒:「熱風癮疹肩髃臧,曲池曲澤環跳等,須帶合谷湧泉康」。


○癬瘡曲池委中三里支溝[腕後臂外三寸兩骨間陷]後谿[手小指外側本節後陷中]陽谷[手外側腕中銳骨下陷中]崑崙[足外踝後跟骨上陷]大陵[掌後去腕二寸兩筋之間]陽輔[足外踝上四寸輔骨前絕骨端]深刺

  【訓み下し】

○癬瘡,曲池・委中・三里・支溝[腕後臂の外(ほか)三寸,兩骨の間の陷]・後谿[手の小指の外側,本節(もとふし)の後の陷中]・陽谷[手の外側腕の中(うち),銳骨(ぜいこつ)の下の陷中]・崑崙[足の外踝の後,跟骨の上の陷]・大陵[掌後,腕を去る二寸,兩筋の間]・陽輔[足の外踝の上(かみ)四寸,輔骨の前,絕骨の端(はし)]深く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・小兒:「疥癬瘡兮曲池攻,支溝陽谿陽谷等,大陵合谷後谿同,委中三里陽輔穴,崑崙穴與行間通,三陰交穴百蟲窠,十四穴治為有功」。


○乳癰腫痛三里[曲下二寸]下廉[上廉下三寸]委中深臨泣[足小指次指之本節後間陷中]夾雞[足小指次指歧骨間本節之前陷中]淺刺

  【訓み下し】

○乳癰腫痛,三里[曲下二寸]・下廉[上廉の下三寸]・委中深く,臨泣[足の小指の次指の本節(もとふし)の後(しりえ)の間陷中]・夾雞【俠谿】[足の小指の次指の歧骨の間,本節(もとふし)の前の陷中]淺く刺す。

  【注釋】

 ○夾雞:「俠溪・俠谿」。 

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「乳癰腫痛,鍼三里穴五分,其痛立止。乳癰、喉痹、胻腫、足跗不收,灸下廉三壯」。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「乳癰下廉三里醫,魚際少澤委中穴,足臨泣兮與俠谿」。


○乳癰天樞[臍傍二寸]水泉[大谿下一寸內踝下]肩井刺極功也

  【訓み下し】

○乳癰,天樞[臍の傍二寸]・水泉[大谿の下(しも)一寸,內踝の下]・肩井,刺す,極めて功あり。

  【注釋】

 ★『鍼灸聚英』によれば,天樞・水泉は「乳癰」の主治穴ではない。

 ◉『鍼灸聚英』百證賦:「月潮違限,天樞水泉細詳。肩井乳癰而極效」。これによれば,天樞と水泉は,「月潮違限」の主治穴。

 ◉『鍼灸聚英』天樞:「主……婦人女子癥瘕,血結成塊,漏下赤白,月事不時」。

 ◉『鍼灸聚英』水泉:「主……女子月事不來,來即心下多悶痛,陰挺出,小便淋瀝,腹中痛」。


  卷下・廿八オモテ(781頁)

○腋腫馬刀瘍頭中瘡陽輔太冲[足大指本節後二寸]淺刺

  【訓み下し】

○腋腫れ,馬刀瘍(えき),頭中(ずちゅう)に瘡(かさ)ある,陽輔・太冲[足の大指の本節(もとふし)の後二寸]淺く刺す。

  【注釋】

 ○馬刀:病證名。即馬刀瘡。出『靈樞』經脈。系指耳之前後,忽有瘡狀似馬刀,如杏核,大小不一,名馬刀瘡。本瘡赤色如火燒烙極痛,發展甚猛。

 ◉『指南』馬刀瘰:「瘰癧の一種也。其形(かたち)長じて,馬刀(まて)蛤と云貝に似たり。一說に此を俗に云キシユと云は,誤(あやまり)也。キシユは,氣腫なり。結核の久して,潰[ツイエ]漏したる者なり」。

 ◉『病名彙解』馬刀瘰:  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/60?ln=ja

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・小兒:「假如腋腫馬刀瘍,要知此是頭中瘡,宜治陽輔太衝穴」。


○瘍瘇振寒少海[肘內大骨外去肘端五分陷中]淺刺

  【訓み下し】

○瘍瘇(えきしゅ)振寒に少海[肘(うで)の內大骨の外,肘(うで)の端を去ること五分の陷中]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・小兒:「瘍腫振寒少海中」。


  元禄八[乙亥]暦三月吉旦

           武江日本橋萬町中通角

              本屋清兵衛梓行

鍼灸溯洄集終


  【注釋】

 ○元禄八[乙亥]暦:1695年。 ○吉旦:農曆每月初一。吉祥的日子,好日子。吉日。/旦:実際は「且」と書かれている。 ○武江:武蔵国江戸の意。 ○日本橋萬町中通:現在の日本橋1丁目の地は……の多くの町があり……万町と青物町の間の南北の通りを中通りといいました。(日本橋「町」物語:日本橋1〜3丁目)

http://www.nihonbashi.gr.jp/story/nihonbashi.html


 ○本屋清兵衛:松葉軒万屋清兵衛であろう。速水香織「江戸書肆万屋清兵衛の初期活動」(『近世文藝』79 巻/2004)を参照。『和漢朗詠集』の刊記には「江戸日本橋万町/本屋清兵衛」とあるという。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kinseibungei/79/0/79_1/_pdf/-char/ja

この論文の「万屋清兵衛出版年表」の元禄8年には『鍼灸溯洄集』はない。万屋清兵衛は,元禄5年に『医道重宝記』,宝永3年に『難経本義諺解』(日本橋南詰)をいずれも連名で出版している。 ○梓行:刻版印行。

鍼灸溯洄集 86 卷下(33)疳癖

   卷下・廿六ウラ(778頁)

 (33)疳癖[カンヘキ]

  【注釋】

 ◉岡本一抱『指南』疳癖:「疳症にして,癖[カタ]塊[マリ]有を云」。

 ◉岡本一抱『指南』疳疾:「疳は甘也。小兒,甘味[アマキアジ]の大過より起(おこる)。亦『入門』に疳は乾[カワク]也。瘦[ヤセ]瘁[ツカル]少血也,云云。其の病症は多端也。詳(つまびらか)に述(のぶ)るに及ばず……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100314627/80?ln=ja


疳病由乳母寒熱失理動止飲食無節甘肥過度

諸病後多亡失津液並成疳病疳者肥甘厚味所

致而肚大青筋也

  【訓み下し】

疳病,乳母 寒熱 理を失するに由って,動止飲食 節無く,甘肥 過度に,諸病後(のち)多く津液を亡失し,並びに疳病を成す。疳は,肥甘厚味の致す所,而して肚大青筋あり。

  【注釋】

 ○乳母:奶媽。專司授乳及看護幼兒的僕婦。『荀子』禮論:「乳母,飲食之者也」。 ○動止:動作與靜止。行動;舉止。起居作息。謂日常生活。

 ◉『萬病回春』卷7・小兒科・疳疾:「夫小兒疳病,由乳母寒熱失理、動止乖違、飲食無節、甘肥過度、喜怒氣亂、醉飽勞傷使乳兒者,故成病。又因久吐之後、久瀉之後、久痢之後,以致久渴、久汗、久熱、久瘧、久嗽、下血、久瘡之後,皆能亡失津液,並成疳病」。

 ◉『萬病回春』卷3・積聚:「五仙膏 治一切痞塊積氣、癖疾肚大青筋、氣喘上壅,或發熱咳嗽、吐血衄血」。

 ◉『錢氏小兒直訣』卷3・五臟內外疳症主治:「薛按:疳症……或乳母厚味、七情致之……或咬指甲,搖頭側目,白膜遮睛,羞明畏日,肚大青筋……」。


○錢氏云癖塊者僻於兩脇痞結者否中脘或乳母六淫七情所致癖者生於皮裏膜外

  【訓み下し】

○錢氏の云わく,癖塊は,兩脇に僻す。痞結は,中脘〔に〕否す。或いは乳母 六淫七情 致す所。癖は,皮裏膜外に生ず。

  【注釋】

 ○錢氏:錢乙(約1032-1113年),北宋兒科學家。字仲陽。祖籍錢塘(今浙江杭州),至其曾祖時北遷,定居於鄆(今山東東平)。父錢穎,善醫,東遊海上不返。幼年由姑母收養,成年後從姑父呂氏學醫,為方不拘泥於古法,時出新意。尤精通『本草』諸書,詳辨闕誤。臨證以擅長兒科病聞名。元豐(1078-1085)年間至京師因治癒長公主之女疾,授翰林醫學。其理論、臨床經驗及醫案,經閻孝忠加以整理而成『小兒藥證直訣』三卷(約1114年)。 ○六淫:中醫名詞。謂風、寒、暑、濕、燥、火六氣太過,乃外感疾病的主要病因。 ○七情:人的七種感情或情緒。(1)指喜、怒、哀、懼、愛、惡、欲。(2)中醫指喜、怒、憂、思、悲、恐、驚。

 ◉『萬病回春』卷7・小兒科・癖疾:「錢仲陽云:癖塊者,僻於兩脇;痞結者,否於中脘。此因乳哺失調,飲食停滯,邪氣相搏而成。或乳母六淫七情所致,古人多用克伐。……癖者,生於皮裏膜外也」。


○疳瘦脫肛体瘦渇飲形容瘦肝俞[九推下相去脊中各二寸]膽俞[十推下相去脊中各二寸]章門[直季脇肋之端]不容[去中行各三寸]承滿[不容之下一寸]天樞[臍傍二寸]灸深刺

  【訓み下し】

○疳瘦脫肛,體(たい)瘦せ渇して飲(いん)し,形容 瘦せ,肝の俞[九推の下,脊中を相い去ること各二寸]・膽の俞[十推の下,脊中(せなか)を相い去ること各二寸]・章門[直季脇肋の端(はし)]・不容[中行を去る各三寸]・承滿[不容の下一寸]・天樞[臍の傍ら二寸]灸し深く刺す。

  【注釋】

 ★冒頭の○は原文にはないが,内容から補った。 ○体:「體・軆・躰」の異体字。

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「小兒疳瘦脫肛,體瘦渴飲,形容瘦瘁,諸方不瘥,灸尾翠骨上三寸陷中三壯,兼三伏內用楊湯水浴之,正午時灸,自灸之後,用帛子拭,見有疳蟲隨汗出,此法神效」。

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「小兒癖氣久不消,灸章門各七壯」。

 ★その他の穴の出典未詳。

 ◉『鍼灸重宝記』針灸諸病の治例・五疳:「五疳ともに肝兪・脾兪・不容・章門に灸すべし」。


○吐乳汁灸中庭[旦中下一寸六分陷]

  【訓み下し】

○乳汁を吐き,中庭[旦中の下一寸六分陷]を灸す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「小兒吐乳汁,灸中庭一壯」。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・小兒:「假如吐乳灸中庭,一寸六分下亶中」。


  卷下・廿七オモテ(779頁)

○癖氣久不消章門灸二十壯

  【訓み下し】

○癖氣久しく消せず,章門 灸二十壯。

  【注釋】

 ◉岡本一抱『指南』癖疾:「小兒の塊積[カタマリ]也。錢氏が說に,腹の兩脇に有を癖と云,中脘に有を痞と云」。

 ◉『病名彙解』癖疾:「俗に云小兒のカタカイなり。乳食宜(よろしき)を得ずして癖積を生ずるなり。隱僻[カタハキ]の處にあるゆへに癖と云なり。○『入門』に云,即痞塊,大人の積聚と同じ。多くは脇腹隱僻の地にかくる。時々に痛みをなすなり」。

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「小兒癖氣久不消,灸章門各七壯」。


○脇下滿瀉痢軆重四支懈憜積聚不嗜食而或食飲多漸漸黃瘦胃俞[十一推下相去脊中各二寸]章門灸刺

  【訓み下し】

○脇下滿ち,瀉痢,體(たい)重く,四支(てあし)懈墯(がいだ)し,積聚,食(しょく)を嗜(たしな)まず,或いは食飲(しいん)多く,漸漸黃瘦,胃の俞[十一の推の下(しも),脊中を相い去ること各二寸]・章門,灸刺す。

  【注釋】

 ○軆:「體・躰・体」の異体字。 ○𭞻:「墯・」の異体字であろう。

 ★胃俞は,12椎の下である。位置情報「十一推下」に従えば,脾俞。『衛生寶鑑』には,「在第十一椎下兩旁相去各一寸五分」とある。

 ◉『鍼灸聚英』脾俞:「十一椎下……主……主多食身疲瘦,吐鹹汁,痃癖積聚,脇下滿,泄利,痰瘧寒熱,水腫氣脹引脊痛,黃疸,善欠,不嗜食」。

 ◉『鍼灸聚英』胃俞:「十二椎下……主……不嗜食,多食羸瘦,目不明,腹痛,胸脇支滿,脊痛筋攣,小兒羸瘦……」。

 ◉『鍼灸聚英』章門:「主……不嗜食,胸脇痛支滿……傷飽身黃瘦……四支懈惰……」。

 ◉『衛生寶鑑』卷19・小兒門・癖積疳瘦:「脾俞二穴:治小兒脇下滿,瀉痢,體重,四肢不收,痃癖積聚,腹痛不嗜食,痰瘧寒熱,又治腹脹引背,食飲不多,漸漸黃瘦,在第十一椎下兩旁相去各一寸五分,可灸七壯,若黃疸者,可灸三壯」。

2024年4月24日水曜日

鍼灸溯洄集 85 卷下(32)急驚

   卷下・廿五ウラ(776頁)

 (32)急驚[附慢驚癇症]

  【訓み下し】

  急(きゆう)驚(きよう)[附(つけた)り慢驚癇症]


急驚症牙關緊急壯熱涎潮二便閉属肝風邪痰熱有餘之症也

  【訓み下し】

急驚症は,牙關(げかん)緊急,壯熱涎潮,二便閉づ,肝に屬す,風邪痰熱,有餘の症なり。

  【注釋】

 ○急驚:中醫上指小兒急性癲癇症,患者兩眼直視、手足痙攣及牙關緊閉。 ○牙關緊急:證名。牙關緊收,口不能開。見『衛生寶鑒』咽喉口齒門。多由痰氣風火壅阻經絡所致。如卒中昏倒,不省人事,牙關緊急者,為中風痰。若皮肉破傷,風從瘡口而入,證見項強,牙關緊,狀如發痙,為破傷風。若因七情內傷,氣逆為病,痰潮昏塞,牙關緊急,為中氣。 ○壯熱:證名。指高熱、熱勢壯盛。『諸病源候論』傷寒挾實壯熱候:「傷寒,是寒氣客於皮膚,搏於血氣,腠理閉密,氣不宣洩,蘊積生熱,故頭痛、體疼而壯熱」。 ○涎潮:涎が潮のごとく口から漏れ出ることか。「涎潮發搐」「涎潮搐搦」「涎潮昏塞」「涎潮氣壅」「頰赤涎潮,欲變驚癇」などの用例が見られる。

 ◉岡本一抱『萬病回春指南』急慢驚風:「詮義,本文に見えたり。古は急驚風を陽癇とし,慢驚風を陰癇と號」。/牙關緊急:「牙噤とも云。上下の牙關緊[キビシ]急に合して開(ひら)かざる也。俗に云,牙(は)を食いしめる」。

 ◉『病名彙解』急驚風:「慢驚風は陰症にして治しがたく,急驚風は陽症にして治しやすし。○『壽世保元』に云,〈急驚風は內 欝熱あり,外 風邪をさしはさみ,心家 熱を受けて積で驚す。其の症,牙關緊急,壯熱涎潮,竄視[ソラメツカヒ],反張[ソリカヘル]搐搦[ビクメキ],顫動[フルヒウゴキ]唇口,眉眼眨引[ヒキヒク]するなり〉」。

 ◉『萬病回春』卷7・小兒科・急驚:「急驚風症,牙關緊急,壯熱涎潮〔割注:竄視反張、搐搦顫動、唇口眉眼牽引、口中熱氣、頰赤唇紅、二便閉結……〕。急驚屬肝,風邪、痰熱有餘之症也」。


○慢驚因病後或吐瀉或藥餌傷損脾胃支體逆冷口鼻氣微手足瘈瘲昏睡露睛属脾中氣虗損不足之症也

  【訓み下し】

○慢驚は,病後に因り,或いは吐瀉し,或いは藥餌 脾胃を損傷し,支體 逆冷,口鼻 氣微(すく)なし,手足 瘈瘲(けつじょう),昏睡 露睛,脾に屬す,中氣 虛損,不足の症なり。

  【注釋】

 ○瘈瘲:出『靈樞』邪氣藏府病形。即瘛瘲。瘛瘲,證名。亦作瘈瘲、痸瘲。又稱抽搐、搐搦、抽風等。指手足伸縮交替,抽動不已的病證。『靈樞』熱病:「熱病數驚,瘛瘲而狂」。『傷寒明理論』卷三:「瘈者筋脈急也,瘲者筋脈緩也。急者則引而縮,緩者則縱而伸。或縮或伸,動而不止者,名曰瘈瘲」。多由熱盛傷陰,風火相煽,痰火壅滯,或因風痰,痰熱所致。 ○中氣:中醫學術語,有多種含義。①泛指脾胃等臟腑對飲食的消化轉輸、升清降濁等生理功能。又稱「脾胃之氣」。臨床上常見的中氣不足證,即脾胃之氣虛弱,運化失常,可見面黃少華、唇淡或黯、食欲不振、食後腹脹、眩暈、聲低氣短、倦怠乏力、便溏、舌嫩苔厚、脈虛等症状。②指脾主升清的功能。脾居中焦,其氣主升。若飲食勞倦傷脾,或久病脾虛,皆可使脾氣不足,清氣不升,形成虛陷的證候,如久瀉、脫肛、子宮脫垂、小兒囟陷等,稱為中氣下陷。

 ◉『病名彙解』慢驚風:「慢は惰なり,怠なり。ゆるき義なり。慢驚は陰症なり。肢體逆冷し,口鼻の氣微にして,手足瘈瘲し,昏睡して睛(くろまなこ)をあらはす。此れ脾虛して風を生ず。無陽の症なり。○『保嬰集』に云……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/211?ln=ja

 ◉『萬病回春指南』瘈瘲:「『類經』には,〈筋脈 急に引を瘈と云,弛(ゆるまり)長を瘲と云〉。又『醫學綱目』には,瘈瘲俱に相ひ引て急なるの名として,俗に之を搐と云といへり」。

 ◉『萬病回春』卷7・小兒科・慢驚:「慢驚症,因病後或吐瀉,或藥餌傷損脾胃,肢體逆冷、口鼻氣微、手足瘈瘲、昏睡露睛,此脾虛生風、無陽之症也。慢驚屬脾,中氣虛損不足之病也」。


○急慢驚灸攅竹[兩眉頭陷]前頂[顖會後一寸半]人中[鼻柱之下]

  【訓み下し】

○急慢驚,攢竹[兩眉の頭(かしら)の陷]に灸す。前頂[顖會の後(しりえ)一寸半]・人中(にんちゅう)[鼻柱の下(した)]。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「寶鑑曰:急慢驚風,灸前頂。若不愈,灸攢竹、人中各三壯」。


○驚癇先驚怖啼叫灸後頂[百會後一寸半枕骨之上]

  【訓み下し】

○驚癇,先ず驚怖し啼叫,後頂[百會の後(しりえ)一寸半,枕骨(しんこつ)の上]に灸す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「小兒驚癇,先驚怖啼叫乃發,灸後頂上旋毛中三壯,及耳後青絡脈」。これによれば,灸穴は,後頂ではない。また『玉機微義』には「後」字なし。

 ◉『玉機微義』卷50・小兒門・灸驚風法:「小兒驚癇,先啼怖啼叫乃發也。灸頂上旋毛中三壯,及耳後青脈,炷如小麥大」。

 ◉『鍼灸聚英』百會:「前頂後一寸五分,頂中央旋毛中」。


○驚癇灸鬼哭大拇指用縛定四尖也

  【訓み下し】

○驚癇,鬼哭に灸す,大拇指 縛(ばく)を用い,四尖(ししょう)を定め。

  【注釋】

 ◉『鍼灸重宝記』經絡要穴・秘傳の穴:「○鬼哭(二穴):病人の兩手を合(あわ)せ,大指を汰(そろへ)ならべて,紙よりにて兩の大指を縛り,艾(もぐさ)を四分ばかりの大さにして,兩の爪の角と肉と四処にあて,灸すること七壮十四壮。狐つき、物つき、驚風、てんかんを〔治す〕」。

 ◉『鍼灸重宝記』針灸諸病の治例・驚癇 てんかん くつち:「中惡狐魅(きつねつき),てんかんきやうふうは,鬼哭に灸」。

 ◉『鍼灸聚英』秦承祖灸鬼法:「鬼哭穴以兩手大指相並縛,用艾炷騎縫灸之,令兩甲角後肉四處著火,一處不著則不效。按丹溪治一婦人久積怒與酒,病癇……又灸鬼哭穴」。


○瘈驚暴驚百會[頂中央旋毛之中可容豆]解谿[冲陽後一寸腕上陷中]下廉[上廉之下三寸]淺刺

  【訓み下し】

○瘈驚(けつきょう),暴驚,百會[頂(いただき)の中央(まんなか),旋毛(つじげ)の中(なか),豆を容る可し]・解谿[冲陽の後ろ一寸,腕の上の陷中]・下廉[上廉の下三寸]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』解谿:「衝陽後一寸五分,腕上陷中。……主……瘈驚……」。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・心邪癲狂:「瘈驚百會解谿頭,暴驚下廉一穴求」。


○客忤驚風隱白[足大指內側去爪甲]淺刺

  【訓み下し】

○客忤,驚風,隱白[足大指內側去爪甲]淺く刺す。

  【注釋】

 ○客忤:病證名。出『肘後備急方』。又名中客、中客忤、中人、少小客忤。此證多見於小兒,多因小兒神氣未定,卒見生人或突聞異聲、見異物,引起驚嚇啼哭,甚或面色變易。如兼風痰相搏,累及脾胃,而受納失調,則導致腹瀉、口吐涎沫、腹痛、反側瘈瘲、狀若驚癇。『諸病源候論』中惡病諸候:「卒忤者,亦名客忤,謂邪客之氣,卒犯忤人精神也,此是鬼厲之毒氣,中惡之類,人有魂魄衰弱者,則為鬼氣所犯忤」。

 ◉『萬病回春指南』客忤:「小兒のおびえ病也。譬ばみなれぬ人物を見て,驚(おどろき)おびえる也。然ども人のみを指(さす)にあらず。客とは常なきの義也。總じて見なれぬ物の為に驚(おどろき)おびえて病を云。忤は逆[サカフ]也,犯[ヲカス]也」。

 ◉『病名彙解』客忤:  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/279?ln=ja

 ◉『鍼灸聚英』隱白:「主……小兒客忤,慢驚風」。


○臍風撮口然谷[足內踝前起大骨下陷中]灸刺

  【訓み下し】

○臍風撮口,然谷[足內踝の前,起こる大骨の下の陷中]灸刺す。

  【注釋】

 ○臍風:病名。出『針灸甲乙經』。又名風噤、風搐、噤風、馬牙風、初生口噤、七日口噤、四六風、七日風。即初生兒破傷風。多由斷臍不潔,感染外邪所致。 ○撮口:病證名。臍風三證之一。見『仁齋小兒方論』。又名撮風、唇緊。以唇口收緊、撮如魚口為特徵。並有舌強唇青,痰涎滿口,氣促,啼聲不出,身熱面黃等症。/又名撮風、口唇緊縮、口緊、沉唇、唇緊。臍風的三大主症之一。症見唇口收緊,撮如魚口。多由風痰入絡引起,唇口肌肉緊急,難於開合,不能進食或吮乳。

 ◉『萬病回春指南』臍風撮口:「臍風と撮口とに病に分ち見る說あり。又臍の帶の切口より風をひきこみて,口中に泡粒の如きもの生じて,卒に口を撮(つまみ)よせたる如に噤(つぐみ)て乳を飲ざる故に,臍風より撮口の症を發すれば一病と見る說もあり。本書に因て考に,龔氏は乃ち二病に分ち見るなり……」。

 ◉『病名彙解』臍風幷撮口:  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/366?ln=ja

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「初生小兒,臍風撮口,灸然谷三壯。或鍼三分不見血,立效」。


○癲癇癥瘕脊強灸長強

  【訓み下し】

○癲癇,癥瘕,脊(せなか)強(こわ)ばり,長強に灸す。

  【注釋】

 ○癥瘕:病證名。『金匱要略』瘧病脈證幷治:「病瘧,以月一日發,當以十五日愈;設不差,當月盡解;如其不差,當云何?師曰:此結為癥瘕,名曰瘧母」。『諸病源候論』癥瘕病諸候:「其病不動者,直名為症。若雖病有結症而可推移者,名為癥瘕」。指腹腔內有包塊腫物結聚的疾病。後世一般以堅硬不移,痛有定處的為癥;聚散無常,痛無定處的為瘕。『聖濟總錄』積聚門:「牢固推之不移者癥也」。又:「浮流腹內,按抑有形,謂之瘕」。『聖濟總錄』還認為癥瘕與積聚屬同類疾病:「癥瘕結癖者,積聚之異名也。證狀不一,原其根本,大略相類」。『醫學入門』等書以積聚為男子病,癥瘕為女子病。詳見癥、瘕、七癥、八瘕、十二癥等條。

 ◉『萬病回春指南』癥瘕:「癥は徵[シルシ]なり。其塊積所を定て動かず,即ち病形の徵驗(こころ)むべし。瘕は假なり。氣血をかりて假(かりそめ)に見(あらわる)といえども,其積塊所を定めざるなり。即ち積聚の類なり。また癥痞とも云也」。

 ◉『病名彙解』癥瘕:「腹中の塊積聚の類なり。○『病源』に云……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/259?ln=ja

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「小兒癲癇,癥瘕,脊強互相引,灸長強三十壯」。


○癇驚目眩灸神庭[前入髮際五分]

  【訓み下し】

○癇,驚,目眩,神庭[前の髮際に入(い)る五分]を灸す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・小兒:「小兒癲癇,驚盡目眩,灸神庭一穴七壯」。


○凢新生児無病不可逆針灸之如逆針逆則忍痛動其五藏喜成癇灸害小兒可慎

  【訓み下し】

○凡そ新たに生(むま)れる兒(こ),無病にて逆に針灸す可からず。逆針の如きは,逆する則(とき)は,痛みを忍び,其の五藏を動かす,喜(この)んで癇を成す。灸も害す。小兒 慎む可し。

  【注釋】

 ○凢:「凡」の異体字。 

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・戒逆〔明刊本有「鍼」〕灸(注:無病而先鍼灸曰逆。逆未至而迎之也。):「小兒新生無病,不可逆鍼灸之。如逆鍼灸,則忍痛動其五臟,因喜成癇。河洛關中土地多寒,兒喜病痓。其生兒三日,多逆灸以防之。吳蜀地溫,無此疾也。古方既傳之,今人不分南北灸之,多害小兒也。所以田舍小兒,任其自然,得無夭橫也」。

 ◉『鍼灸聚英』小兒戒逆灸:「千金云:小兒新生無疾,慎不可逆鍼灸之。如逆鍼灸,則忍痛動其五臟,因喜成癇。河洛關中土地多寒,兒喜病痓。其生兒三日,多逆灸以防之,灸頰以防噤。有噤者,舌下脈急,牙車筋急。其土地寒,皆決舌下去血,灸頰以防噤也。吳蜀地溫,無此疾也。古方既傳之。今人不詳南北之殊,便按方而用之。是以多害於小兒也。所以田舍小兒,任其自然,皆得無橫夭也」。

2024年4月23日火曜日

鍼灸溯洄集 84 卷下(31)產後

   卷下・廿四ウラ(774頁)

 (31)產後[サンゴ]

産後諸疾氣血虗脉緩滑沈細冝實大強牢濇疾危

  【訓み下し】

產後諸疾,氣血 虛し,脈 緩滑沈細に宜し。實大強(けん)牢濇疾,危し。

  【注釋】

 ○冝:「宜」の異体字。 ○強:添え仮名および『万病回春』によれば,「弦」字の誤り。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・產後:「脈:產後緩滑,沈細亦宜;實大弦牢濇疾,皆危」。


  卷下・廿五オモテ(775頁)

○惡露不盡瘀血上衝昏迷腹滿硬痛惡血也氣海[臍下一寸五分]三隂交[踝上三寸]灸刺

  【訓み下し】

○惡露 盡きず,瘀血 上(のぼ)り衝き,昏迷,腹滿ち硬く痛むは惡血(おけつ)なり。氣海[臍(へそ)の下(しも)一寸五分]・三隂交[踝上三寸]灸刺す。

  【注釋】

 ★三隂交:『鍼灸聚英』玉機微義・婦人に基づくとすれば,「隂交」の誤りか。

 ○惡露:出『肘後備急方』。指產婦分娩後從陰道排出的餘血和濁液。一般在產後2-3周內完全排盡。如果超過三個星期,仍然持續淋瀝不斷,排出或多或少均屬病態。參惡露不止、惡露不絕條。/惡露不絕,病名。見『婦人大全良方』卷二十。又名惡露不止、惡露不盡。多因產後氣虛不攝,衝任不固;或余血未盡感受寒涼,敗血瘀阻衝任;或陰血耗損,虛熱內生,熱擾衝任,迫血下行所致。

 ◉岡本一抱『指南』惡露(おろ):「產後一七[ヒトシチヤ]日下る所の惡(あく)血を云」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・產後:「產後惡露不盡,瘀血上衝,昏迷不醒,腹滿硬痛者,當去惡血」。

 ◉『鍼灸聚英』三陰交:「主……產後惡露不行……」。

 ◉『鍼灸聚英』氣海:「主……產後惡露不止……」。

 ◉『鍼灸聚英』陰交:「主……婦人血崩,月事不絕,帶下,產後惡露不止,繞臍冷痛……」。

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「產後惡露不止,及諸淋注,灸氣海……產後惡露不止,繞臍冷痛,灸陰交百壯……」。


○産後腹軟滿不硬痛者不瘀血乃脾虗也

  【訓み下し】

○產後 腹(はら)軟らかに,滿ちて硬からずして痛むは,瘀血にあらず,乃ち脾虛なり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・產後:「產後腹軟、滿不硬痛者,不是瘀血,乃是脾虛故也」〔和刻本の訓:產後腹軟らかに,滿つれども硬痛せざる者は,是れ瘀血にあらず,乃ち是れ脾虛する故なり〕。この上文に「惡血去後,腹不滿、不硬、不痛,但虛熱不退」,「產後惡露不盡,瘀血上衝,昏迷不醒,腹滿硬痛者,當去惡血」とあることから,「不」字は「硬」字のみならず「痛」字にもかかっていると思われる。つまり和刻本のように理解するのが正しいであろう。


○産後心血空虗神無所依因悲思欝結喜怒憂驚生痰驚狂煩亂叫罵欲走悲歌妄笑

  【訓み下し】

○產後 心血空虛,神 依る所無き,悲思欝結に因って,喜怒憂驚,痰を生じ,驚狂煩亂,叫罵(め) 走らんと欲す,悲しみ歌い妄りに笑う。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・產後:「產後心血空虛、神無所依,或因悲思鬱結、怒氣憂驚。驚則神舍空,舍空則生痰,是神不守舍,使人驚狂煩亂、叫罵欲走、悲歌妄笑,頭搖手戰」。


○産後初起腹中有塊㚈舉作痛無寒熱俗云児枕

  【訓み下し】

○產後初め起こる腹中 塊(かい)有り,升(のぼ)り舉し痛みを作(な)し,寒熱を無(な)し,俗に云わく児枕(しりばら)と。

  【注釋】

 ★初め起こる:『萬病回春』和訓:「初めて起きて」。 ★寒熱を無(な)し:「を」は不要であろう。

 ○㚈:「升」の異体字。 

 ○兒枕:①指妊娠晚期,胞中余血成塊有如兒枕,故名。『經效產寶』續編:「十月足日,食有餘,遂有成塊,呼為兒枕」。又曰「胎側則成形塊者,呼為兒枕」。兒枕每成為難產之成因,故『經效產寶』指出:「欲生時塊破,遂血裹其子,故難產」。②病證名。出『醫學入門』,即兒枕痛。/兒枕痛:病證名。出『古今醫鑒』卷十二。又名兒枕、兒枕不安、塊痛、產枕痛、血枕痛、血塊痛、血母塊、產後兒枕腹痛、產後腹中塊痛等。多因產後惡露未盡,或風寒乘虛侵襲胞脈,瘀血內停所致。惡露未盡者,症見小腹硬痛拒按,或可摸到硬塊,兼見惡露不下或不暢,治宜活血去瘀。

 ○しりばら:しり‐はら【後腹・産後腹】 出産のあとの腹痛。あとはら。

 ◉岡本一抱『指南』兒枕痛(にちんつう):「產後の腹痛也。俗に云アトハラ」。

 ◉『病名彙解』兒枕痛(じしんつう):「俗に云アトハラの痛むことなり。兒,胎にあって枕にして居たる所の敗血の痛むと云義なり。畢竟瘀血の痛なり」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・產後:「產後初起腹中有塊,升舉作痛,無寒熱者,俗云兒枕」。


○産後兩脇急痛不可忍灸石門[臍下二寸]

  【訓み下し】

○產後兩脇急痛,忍ぶ可からず,石門[臍下二寸]に灸す。

  【注釋】

 ★石門:『鍼灸聚英』によれば,「石關」(足少陰腎経)の誤りか。通行本『玉機微義』では見つけられず。『玉機微義』卷14寒門・灸法に,「石關一穴,在臍下二寸」とある。これは,位置からすれば「石門」である。

 ◉『鍼灸聚英』石門:「主……婦人因產惡露不止,結成塊,崩中漏下」。

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「產後兩脇急痛不可忍,灸石關五十壯」。

 ◉『鍼灸聚英』石關:「主……婦人子藏有惡血,血上衝腹,痛不可忍」。
 ★小林健二氏によれば,『鍼灸資生經』第5・胸滿(胸脇滿・龜胸)に「期門,治產後胸脇支滿(見心痛)」とある。


○卒口噤語音不出風癇灸承漿[唇稜下陷開口取之]五壯

  【訓み下し】

○卒(にわ)かに口噤(つぐ)み,語音(ごいん)出でず,風癇,承漿[唇稜の下(しも)の陷(くぼみ),口開いて之を取る]を灸す,五壯。

  【注釋】

 ○風癇:①癇的一種。『聖濟總錄』卷十五:「風癇病者,由心氣不足,胸中蓄熱,而又風邪乘之。病間作也。其候多驚,目瞳子大,手足顫掉,夢中叫呼,身熱瘈瘲,搖頭噤,多吐涎沫,無所覺知是也」。②小兒癇證之一。『千金要方』卷五:「初得之時,先屈指如數,乃發作者,此風癇也」。③外感風邪而致的抽搐。『幼科證治準繩』:「風癇,因將養失度,血氣不和,或厚衣汗出,腠理開舒,風邪因入之,其病在肝,肝主風。驗其證:目青、面紅、發搐」。④手足偏廢如癱瘓之證。見『奇效良方』卷六十四:「風癇為病,廢手足,或一手一足,或兩手兩足,如癱不隨,或睫眼,或睫口,或口牽引頰車」。多見於腦血管意外〔=障碍〕後遺症等。

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「婦人卒口噤,語音不出,風癇,灸承漿五壯」。


○産後血氣俱虗灸血海[膝臏上內廉白肉際二寸五分]五壯

  【訓み下し】

○產後,血氣 俱に虛し,血海[膝臏の上內廉,白肉の際二寸五分]に灸す,五壯。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「婦人產後,血氣俱虛,灸血海百壯」。


○産後血暈不識人支溝[腕後臂外三寸兩骨之間]三里[膝下三寸]三隂交[踝上三寸]灸刺

  【訓み下し】

○產後,血暈,人を識(し)らず,支溝[腕後臂(ひじ)の外(そと)三寸兩骨の間]・三里[膝(しつ)下三寸]・三隂交[踝上三寸]灸刺す。

  【注釋】

 ○血暈:婦人生產後因失血而頭暈的病症。

 ◉『病名彙解』血暈:「產後などに血がのぼりて目のまふことなり」。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「產後血暈不識人,支溝三里三陰交」。


  卷下・廿五ウラ(776頁)

○生産耳如蟬鳴腰如折三里合谷[手大指次指之歧骨間陷中]光明[外踝上五寸]深刺

  【訓み下し】

○生產(しょうさん),耳 蟬の鳴くが如く,腰 折れるが如し,三里・合谷[手の大指の次指の歧(ちまた)骨の間の陷中]・光明[外踝の上五寸]深く刺す。

  【注釋】

 ○生產:生孩子。

 ◉『鍼灸聚英』席弘賦:「期門穴主傷寒患,六日過經猶未汗。但向乳根二肋間,又治婦人生產難。耳內蟬鳴腰欲折,膝下明存三里穴。若能補瀉五會間,且莫向人容易說。睛明治眼未效時,合谷光明安可缺」。

 ◉『鍼灸聚英』天元太乙歌:「期門穴主傷寒患,七日過經尤未汗。但於乳下雙肋間,刺入四分人力健。耳內蟬鳴腰欲折,膝下分明三里穴」。

 ★本書が『鍼灸聚英』席弘賦を元としたとすれば,難産は期門穴〔直乳二肋端〕,三里は耳鳴り,合谷・光明は目の治療穴としてあげられていると思われる。

 ◉『神應經』耳目部:「眼癢眼疼:光明(瀉) 五會」。

 ◉『鍼灸聚英』標幽賦:「眼癢眼疼,瀉光明於地五」。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・耳目:「眼癢眼痛光明瀉,兼治五會癢痛休」。

 ◉『鍼灸聚英』合谷:「主……目視不明,生白翳」。

 ◉『神應經』婦人部:「產後諸病:期門」。


○産婦無乳前谷[手小指外側本節前陷中]且中[兩乳間陷]少澤[手小指內側去爪甲角]灸刺

○產婦 乳(ち)無きに,前谷[手の小指外側の本節の前の陷中]・旦(だん)中〔膻中〕[兩乳の間の陷]・少澤[手の小指の內側の爪甲の角を去る]灸刺す。

  【注釋】

 ★且:添え仮名は「だん」であるので「旦」。「旦は」「亶」の略字で,「亶」は「膻」の略字であろう。なお『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人も「亶中」に作る。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「無乳亶中少澤燒」。

 ◉『鍼灸聚英』前谷:「主……婦人產後無乳」。

 ◉『鍼灸聚英』少澤:「手小指端外側,去爪甲角下一分陷中」。上文(684頁694頁)でも「外側」とする。


○胞衣不下內關[掌後去腕二寸兩筋間]照海[足內踝下]淺刺

  【訓み下し】

○胞衣(えな) 下(くだ)らず,內關[掌後,腕を去る二寸,兩筋の間]・照海[足の內踝の下]淺く刺す。

  【注釋】

 ○胞衣:胎兒出生時包裹在外的一層膜。/えな:胎児を包んでいた膜や胎盤など。後産(あとざん)として体外に排出される。

 ◉『醫學入門』附・雜病穴法:「死胎不下,瀉三陰交,胞衣不下,瀉照海、內關」。


鍼灸溯洄集 83 卷下(30)姙娠

   卷下・廿四オモテ(773頁)

 (30)姙娠[附臨産]

  【訓み下し】

  姙娠(じんしん)[附(つけた)り臨產]


經脉不行已經三月者尺脉不正則胎也

  【訓み下し】

經脈 行かざること已に三月(つき)を經て,尺脈 正しからざる則(とき)は,胎(はら)むなり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・姙娠:「經脈不行已經三月者,尺脈不正,則是胎也」。


○惡阻者惡心阻其飲食也

  【訓み下し】

○惡阻(つわり)は,惡心(あくしん) 其の飲食(いんしい)を阻(へだ)つ。

  【注釋】

 ○惡阻:病名。出『諸病源候論』卷四十一。亦名子病、阻病、病兒、病阻、病隔、選飯、惡字、惡子、惡食、妊娠嘔吐等。是指懷孕初期出現噁心、嘔吐,擇食,或食入即吐,甚則嘔吐苦水或血性物者,稱為惡阻。 ○惡心:(nausea)是一種讓人想嘔吐的胃部不適感, 常為嘔吐的前驅感覺,但也可單獨出現,主要表現為上腹部的特殊不適感,常伴有頭暈、流涎、脈搏緩慢血壓降低等迷走神經興奮症状。/證名。一作噁心。胃氣上逆,泛惡欲吐之證。『諸病源候論』卷二十一:「噁心者,由心下有停水積飲所為也」。「水飲之氣不散,上乘於心,復遇冷氣所加之,故令火氣不宣,則心裡澹澹然,欲吐,名為噁心也」。『羅氏會約醫鏡』卷八:「噁心者,胃口作逆,兀兀欲吐欲嘔之狀,或又不能嘔吐,覺難刻過,此曰噁心,而實胃口之病也。其症之因,則有寒,有食,有痰,有宿水,有火邪,有穢氣所觸,有陰濕傷胃,或傷寒瘧痢諸邪之在胃口者,皆能致之」。

 ◉岡本一抱『指南』惡阻:「俗に云ツワリ也。其の病症は種々有」。

 ◉『病名彙解』惡阻〔附阻病〕:「俗に云孕[ハラム]婦のつはりなり。阻病と云るは少しく異なることあり。○『正傳』に云……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/118?ln=ja

 ◉岡本一抱『指南』惡心:「心惡(むねあしし)[ムネワロシ]也。元禮云,聲(こえ)なく物なく心下吐せんと欲して吐かず。嘔せんと欲して中心兀々然〔むんむんとするぞ〕として,人の舟車[フネクルマ]を畏(おそる)る〔舟にゑうぞ〕が如き者これ也」。

 ◉『病名彙解』惡心:「むねわるきなり。呑酸に見たり。○戴元禮の云,……。○惡(を)は畏惡[ヲソレニクム]なり。惡心は飲を見ることを想て即ち畏惡するの心あるなり」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・姙娠:「惡阻者,惡心阻其飲食也」。


○子煩者心神悶亂也

  【訓み下し】

○子煩は,心神(しんじん) 悶亂す。

  【注釋】

 ○子煩:病名。出王肯堂『胤產全書』。亦名妊娠子煩。多因火熱乘心,以致心驚膽怯,煩悶不安。或因素體陰血不足,孕後聚血養胎,陰血虛虧,心火偏亢所致,症見五心煩熱,口乾咽燥,乾咳無痰等症。/指婦女妊娠期中出現的煩躁心悸的病症。『醫宗金鑒』婦科心法要訣・子煩證治:「孕婦時煩名子煩,胎熱乘心知母痊」。註:「孕婦別無他證,惟時時心煩者,名曰子煩,由胎中鬱熱上乘於心也」。

 ◉『指南』子煩:「『產寶』に曰,姙婦心(むね)煩(いきれ)熱悶する也」。

 ◉『病名彙解』子煩:「姙娠の時,心神悶亂するなり。此れ火肺 金を剋するに因(よる)なり」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・姙娠:「子煩者,心神悶亂也」。


○子癇者目吊口噤也

  【訓み下し】

○子癇は,目吊(もくちょう),口噤(こうきん)す。

  【注釋】

 ○子癇:子癇,中醫病名。妊娠晚期或臨產前及新產後,突然發生眩暈倒仆,昏不知人,兩目上視,牙關緊閉,四肢抽搐,全身強直,須臾醒,醒復發,甚至昏迷不醒者,稱為「子癇」,又稱「子冒」、「妊娠癇證」。根據發病時間不同,若發生在妊娠晚期或臨產前,稱產前子癇;若發生在新產後,稱「產後子癇」。臨床以產前子癇多見。子癇是產科的危、急、重癥,嚴重威脅母嬰生命安全。/妊娠晚期或臨產時或新產後,眩暈頭痛,突然昏不知人,兩目上視,手足抽搐,全身強直、少頃即醒,醒後復發,甚至昏迷不醒者;稱為「子癇」,又稱「妊娠癇證」。本病是由先兆子癇症状和體徵加劇發展而來的。子癇可發生於妊娠期、分娩期或產後24小時內,被分別稱為產前子癇、產時子痛和產後子癇,是產科四大死亡原因之一。 ○口噤:口緊閉。

 ◉『指南』子癇:「姙婦[ハラミヲンナ]臨月に目弔(ひきつり)口噤(つぐみ),痰涎[ヨダレ]壅[フサガル]盛して夢中の如し。此懷胎の中風なり」。

 ◉『病名彙解』子癇:「姙娠の時,目弔(ひきはり)口噤し,痰涎壅盛して昏々として人をしらざるなり。懷胎の中風なり」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・姙娠:「子癇者,目吊口噤也」。


○子懸者心胃脹痛也

  【訓み下し】

○子懸は,心(むね)胃 脹(ふく)れ痛む。

  【注釋】

 ○子懸:病名。『婦人大全良方』卷十二:「紫蘇飲治妊娠胎氣不和,懷胎迫上脹滿疼痛,謂之子懸」。亦名子朝、胎氣上逆、胎上逼心、胎氣上逼。症見妊娠期中胸腹脹滿,甚則喘急疼痛,煩躁不安。多因平素腎陰不足,肝失所養,孕後陰虧於下,氣浮於上,衝逆心胸所致。治宜理氣安胎,子懸,指妊娠胸脇脹滿,甚或喘急,煩躁不安者,又稱胎上逼心。/子懸多因孕後陰血聚下養胎,肝木橫逆,肝木乘脾,總由肝鬱或脾虛使氣血不和,氣機升降失常,胎氣上逆所致。

 ◉『指南』子懸:「姙婦氣和せずして,胎とり上(のぼり)て心胃脹痛し,氣逆上[サカノボル]して悶亂するなり」。

 ◉『病名彙解』子懸:「姙娠の時,心胃脹痛し,氣逆して一時悶絕するなり」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・姙娠:「子懸者,心胃脹痛也」。


○子腫者面目虗浮也

  【訓み下し】

○子腫は,面目 虛浮(うそば)れる。

  【注釋】

 ○子腫:病名。出『醫學入門』。俗稱琉璃胎。指懷孕至五、六個月時,胎體漸長,由於脾腎陽虛,運化失職,水濕泛濫,流於四末,症見兩足浮腫,遍及下肢,漸至周身,頭面皆腫,小便短少。/妊娠中晚期,孕婦出現不同程度的肢面目腫脹者稱為「子腫」。亦稱為「妊娠腫脹」。古人根據腫脹的部位、性質和程度不同,又有子腫、子氣、皺腳、脆腳等名稱。

 ◉『指南』子腫:「姙婦七八箇月の前後に面目虛浮[ウソハレル]し,小便通ぜず,肢腹大(おおい)なるを云。又胎水とも號(なづく)。『良方』に此を子漏と云」。

 ◉『病名彙解』子腫:「姙娠の時,面目虛浮(うそばる)て,小便利せず,腹大にして常に異なり。又胎水と云り」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・姙娠:「子腫者,面目虛浮也」。


○子氣者兩足浮腫也

  【訓み下し】

○子氣は,兩足 浮腫(うそは)れるなり。

  【注釋】

 ○子氣:病名。『婦人大全良方』卷十五:「妊娠自三月成胎之後,兩足自腳面漸腫腿膝以來,行步艱辛,以至喘悶,飲食不美,似水氣狀,至於腳指間有黃水出者,謂之子氣,直至分娩方消」。多因脾腎陽虛,脾不健運;或抑鬱氣滯,阻礙氣機升降,導致水濕內蘊,流注於下。/指婦人孕後出現肢體腫脹不甚,小便清長者。屬子腫較輕的證型,見『婦人良方大全』引『產乳集』。『醫宗金鑒』婦科心法要訣:「自膝至足腫,小水長者,屬濕氣為病,故名曰子氣」。

 ◉『指南』子氣:「『產寶』に曰,〈姙[ハラム]して三月胎を成(なす)の後より,面足より脚面[アシノコウ]まで漸(ようやく)腫(はれ)て行歩しがたく,喘[アヘギ]悶[モダユ]して食を妨(さまたげ)て水腫の如し。甚しては足指の間より黃水を出す者,之を子氣と云,云云〉。按に子腫は上部に腫多し。子氣は下部の腫氣多きなり」。

 ◉『病名彙解』子氣:「姙娠の時,兩足浮腫するなり。甚しき時は,脚指[アシノユビ]の間,黃水流れ出るなり」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・姙娠:「子氣者,兩足浮腫也」。


○子淋者小便澁少也

  【訓み下し】

○子淋は,小便 澁り少なし。

  【注釋】

 ○子淋:病名。『諸病源候論』卷四十二・姙娠患子淋:「姙娠之人,胞繫於腎,腎患虛熱成淋,故謂子淋也」。亦稱妊娠小便淋痛。多因孕婦有陰虛、實熱、濕熱、氣虛等原因,致使膀胱氣化不行,出現小便頻數,點滴而下,淋漓疼痛等症状。/子淋(urination disturbance during pregnancy),即「妊娠小便淋痛」,指孕婦小便頻數,淋瀝疼痛的一種病症。多因下焦虛熱或濕熱所致。

 ◉『指南』子淋:「姙婦,小便澁[シブル]痛して少きを云」。

 ◉『病名彙解』子淋:「姙娠[ハラム]の時,小便の澁(しぶ)り少(すくな)く,腹中疼痛するなり」。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・姙娠:「子淋者,小便澁少也」。


○墮胎手足如水厥肩井[肩上陷中]淺刺覺悶急三里[膝下三寸]深刺

  【訓み下し】

○墮胎,手足 水厥の如く,肩井[肩(けん)上の陷中]淺く刺す。悶(もん)を覺えば,急に三里[膝下(しっか)三寸]深く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「墮胎手足如水厥,肩井五分鍼病消,覺悶急鍼三里穴」。「水」字,明刊本も同じだが,この歌の元となったと思われる『神應經』婦人部は「墜胎後手足如氷,厥逆:肩井(五分。若又覺悶亂,急針三里)」に作る。これによれば「水の如く厥す」と訓むのがいいのではないか。/厥:指突然昏倒、手足逆冷等症。『素問』六節藏象論(9):「凝於足者爲厥」。王注:「厥謂足逆冷也」。


○胎衣不下中極[臍下四寸]肩井刺

  【訓み下し】

○胎衣(えな) 下(くだ)らずんば,中極[臍下四寸]・肩井を刺す。

  【注釋】

 ★深さに関する言及なし。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「胎衣不下中極高,兼治一穴是肩井」。


○陰挺出者曲泉[膝股上內側輔骨下陷中]大敦[足大指端去爪甲角]照海[足內踝下]

  【訓み下し】

○陰挺出づる者は,曲泉[膝股の上(かみ)の內側(ないそく)輔骨の下の陷中]・大敦[足の大指の端(はし),爪甲の角を去る]・照海[足內踝の下(しも)]。

  【注釋】

 ★深さに関する言及なし。

 ○陰挺:病證名。婦科常見疾病之一。指婦人陰道中有物突出。『景岳全書』:「婦人陰中突出如菌如芝,或挺出數寸,謂之陰挺」。包括子宮脫垂、陰道壁膨出、陰痔、陰脫等。/指婦女子宮下脫,甚則脫出陰戶之外,或者陰道壁膨出,稱為陰挺,又稱陰脫、陰菌、陰痔、產腸不收、葫蘆頹等。多由分娩損傷所致,常見於經產婦。現代醫學分別稱為「子宮脫垂」、「陰道壁膨出」。

 ◉『病名彙解』陰挺幷陰脫:「前陰の內より肉の挺出するなり。陰脫とも云り。此れ膀絡傷損して,子腸虛冷し,氣下衝するときは,陰中下脫するなり。或は臨產に力を用ること甚しき時は必陰挺することあり。○『入門』に云……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/51?ln=ja

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「陰挺出者曲泉焦,照海大敦共三穴」。


  卷下・廿四ウラ(774頁)

○横生死胎大冲[足大指本節後二寸]合谷[手大指次指歧骨間陷中]三隂交[踝上三寸]深刺

  【訓み下し】

○橫に生まれ,死胎,大冲[足の大指の本節(もとふし)の後(しりえ)二寸]・合谷[手の大指の次指の歧骨(ちまたぼね)の間の陷中]・三隂交[踝上三寸]深く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「橫生死胎治太衝,合谷三陰交穴同」。


○難産合谷補三隂交瀉

  【訓み下し】

○難產は合谷を補い,三隂交を瀉す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「難產合谷補無失,再瀉一穴三陰交」。


○子上逼心氣欲絶可刺巨闕[鳩下一寸]三隂交瀉合谷補者生子男女左右手在痕也

  【訓み下し】

○子 心氣に上(のぼ)り逼り絕せんと欲せば,巨闕[鳩下一寸]を刺す可し。三隂交を瀉し,合谷を補えば,生れる子,男女(なんにょ)左右の手に痕(あと) 在り。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「子上逼心氣欲絕,這難須當攻巨闕,三陰交瀉合谷補,產婦端的無險跌,假如子手掬母心,生下男女左右痕」。「子 心氣に上る」は難解。「子 上って心に逼り,氣 絕えんと欲す」。

 ◉『鍼灸聚英』巨闕:「鳩尾下一寸。……○妊娠子上衝心,昏悶,刺巨闕,下鍼令人立蘇不悶。次補合谷,瀉三陰交,胎應鍼而落。如子手掬心,生下手有鍼痕」。

 ★参考:『宋史』龐安時傳に「有民家婦孕將產,七日而子不下,百術無所效……兒已出胞,而一手誤執母腸不復能脫……鍼其虎口,既痛即縮手,所以遽生……取兒視之,右手虎口鍼痕存焉。其妙如此」とある。


○姙娠腹脹滿煩逆溺難小腹急引隂痛股內廉隂谷[膝下內輔骨後屈膝乃取之]灸

  【訓み下し】

○姙娠,腹 脹(ふく)れ滿ち,煩逆,溺(でき) 難(かた)く,小腹(ほうかみ) 隂痛 股(もも)の內廉に急引す,隂谷[膝の下(しも),內輔骨の後(あと),膝を屈(かが)め乃ち之を取る]灸す。

  【注釋】

 ★以下の文には,いずれも「內廉」の下に「痛」字あり。「小腹 急に陰に引いて痛み,股の內廉痛む」。

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「女子如姙娠,赤白帶下,婦人漏血不止,腹脹滿不得息,小便黃,如蠱,及治腰痛如錐刺,不得屈伸,舌縱涎下,煩逆溺難,小腹急引陰痛,股內廉痛,灸陰谷二穴」。

 ◉『鍼灸聚英』陰谷:「主……煩逆,溺難,小便急引陰痛,陰痿,股內廉痛,婦人漏下不止,腹脹滿不得息……」。


○子冲心痛不得息衝門[去大橫五寸橫骨兩端約中]深刺

  【訓み下し】

○子(こ) 心(しん)に冲(つ)いて痛み,息することを得ず,衝門[大橫を去ること五寸,橫骨兩の端(はし)の約中]深く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』:「去大橫五寸,府舍下,橫骨兩端約紋中動脈,去腹中行四寸半。……主……妊娠子衝心,不得息」。

2024年4月19日金曜日

鍼灸溯洄集 82 卷下(29)調經

   卷下・廿二ウラ(770頁)

 (29)調經[附帶下]

  【訓み下し】

  調經(ちょうけい)[附(つけた)り帶下(たいげ)]

  【注釋】

 ★調經:病名・症状名ではない。


婦人諸病者多氣盛而血虗也

  【訓み下し】

婦人諸病は,多くは氣盛んにして血虛なり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・調經(目次による。本文は明刊本・和刻本ともに「調理」に作る。以下,おなじ):「婦人諸病者,多是氣盛而血虛也」。


○經水先期而來者血有熱也

  【訓み下し】

○經水(けいずい) 期(ご)に先だって來たる者は,血(ち)に熱有り。

  【注釋】

 ★下文との対比から考えれば,「血」の下「虗」字を脱す。

 ○經水:婦女的月經。 ○先期:在預定時期之前。

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・調經:「經水先期而來者,血虛有熱也」。


○經水過期不來作痛者血虗有寒也

  【訓み下し】

○經水(けいずい) 期(ご)に過ぎて來たらず,痛みを作(な)す者は,血虛に寒有るなり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・調經:「經水過期不來作痛者,血虛有寒也」。


○經水將來作痛者血實氣滯也

  【訓み下し】

○經水(けいずい) 將來 痛みを作(な)す者は,血實,氣の滯りなり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・調經:「經水將來作痛者,血實氣滯也」。

 ★「將來」は,上文との関連から,「將(まさ)に來たらんとして」と訓みたい。


○經水過期而來紫黑成塊者氣欝血滯也

  【訓み下し】

○經水(けいずい) 期(ご)に過ぎて來たること,紫黑(しこく) 塊(かい)を成す者は,氣欝,血(ち)の滯りなり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・調經:「經水過期而來,紫黑成塊者,氣鬱血滯也」。


○經行著氣作心腹腰脇疼痛者乃瘀血也

  【訓み下し】

○經行 氣に著(つ)いて心腹(しんぷく)腰脇(こしわき) 疼痛を作(な)す者は,乃ち瘀血なり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・調經:「經行着氣,作心腹腰脇疼痛者,乃瘀血也」。


○經水過期而來色淡者痰多也

  【訓み下し】

○經水(けいすい) 期に過ぎ來たる,色 淡き者は,痰 多きなり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・調理:「經水過期而來,色淡者,痰多也」。


○經行身麻痺寒熱頭疼者乃觸經感冒也

  【訓み下し】

○經行 身(み)麻痺,寒熱頭(ず)疼は,乃ち經に觸れ感冒するなり。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・調經:「經行身痛麻痺、寒熱頭疼者,乃觸經感冒也」。


○赤白帶下者皆因月經不調房色過度或產後血虗胃中濕痰滲入膀胱而滯属氣血虗又属濕熱也

  【訓み下し】

○赤白(しゃくびゃく)帶下(たいげ)は,皆な月經(がつけい) 調わざるに因る,房色 過度し,或いは產後 血虛,胃中 濕痰,滲(そそ)いで膀胱に入って滯り,氣に屬す,血虛,又た濕熱に屬す。

  【注釋】

 ◉『萬病回春』卷6・婦人科・帶下:「婦人赤白帶下者,皆因月經不調、房色過度,或產後血虛、胃中濕痰流下,滲入膀胱而滯也。……帶下屬氣血虛者。……帶下屬濕熱者」。

 ★属氣血虗:→氣血の虛に屬す。


  卷下・廿三オモテ(771頁)

○經事改常地機[膝下五寸膝內側輔骨下陷中伸足取之]血海[膝臏上內廉也白肉際二寸半]深刺

  【訓み下し】

○經事 常を改むる,地機[膝下五寸,膝の內側輔骨の下(しも)の陷中,足を伸べ之を取る]・血海[膝臏(びん)の上內廉(うちかど),白肉の際二寸半]深く刺す。

  【注釋】

 ○經事:即月經。 ○改常:猶反常。改變常態。

 ◉『鍼灸聚英』百證賦:「抑又論婦人經事改常,自有地機血海」。


○少氣血漏交信[內踝骨上二寸]合陽[膝約文中央下二寸]深刺

  【訓み下し】

○少氣血漏(けつろ)に,交信[足の內踝骨の上二寸]・合陽[膝の約文(やくもん)の中央の下(しも)二寸]深く刺す。

  【注釋】

 ○血漏:月經過多者。出『聖濟總錄』卷一百「漏下」篇。即經漏。

 ◉『鍼灸聚英』百證賦:「女子少氣漏血,不無交信合陽」。

 ◉『鍼灸聚英』交信:「主……女子漏血不止……」。

 ◉『鍼灸聚英』合陽:「主……女子崩中帶下」。


○帶下産崩衝門[橫骨兩端約中動脉去腹中四寸半]深大衝[足大指本節後二寸]

  【訓み下し】

○帶下(たいげ)產崩,衝門[橫骨の兩の端(はし),約中動脈,腹中を去る四寸半]深く,大衝[足の大指本節の後(しりえ)二寸]。

  【注釋】

 ★大衝:『鍼灸聚英』百證賦によれば,「氣衝」の誤りか。ただ太衝の主治に「女子漏下不止」とあることにより改めたか。

 ○帶下:(leukorrhea)是指潤澤婦女陰道和陰戶的黏液,即生理性白帶。婦女陰道流出一種黏性液體,連綿不斷,其狀如帶,名爲帶下。出『黃帝內經素問』骨空論:「任脈爲病,男子內結七疝,女子帶下瘕聚」。有白帶、青帶、黃帶、赤帶、黑帶、赤白帶下、五色帶下等。 ○産崩:崩漏(血崩)とおなじか。

 ◉岡本一抱『指南』帶下:「俗に云,女のコシケ也。赤帶・白帶あり。赤白雜(まぢ)ゑて下す。赤白帶下と號す」。

 ◉『病名彙解』帶下:「婦人のコシケなり。○『入門』に云……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/154?ln=ja

 ○衝門:『鍼灸聚英』:「橫骨兩端約紋中動脈,去腹中行四寸半。……主……婦人乳難,妊娠子衝心,不得息……」。これによれば,「約中」は「約紋中」とすべきであろう。

 ◉『鍼灸聚英』百證賦:「帶下產崩,衝門氣衝宜審」。

 ◉『鍼灸聚英』太衝:「主……女子漏下不止……」。

 ◉『鍼灸聚英』氣衝:「主……婦人無子,小腹痛,月水不利,妊娠子上衝心,產難,包衣不出……」。


○月事不利中極[臍下四寸]三隂交[踝上三寸]深隠白[足大指端內側去爪甲角]淺刺

  【訓み下し】

○月事 利せず,中極[臍下四寸]・三隂交[踝上三寸]深く,隱白[足の大指の端(はし),內側の爪甲の角を去る]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「月事不利治中極,再兼一穴三陰交」。


○血漏不止血崩氣海[臍下一寸五分]中極深大衝三隂交淺刺

  【訓み下し】

○血漏(けつろ) 止まず,血崩,氣海[臍の下一寸五分]・中極 深く,大衝・三隂交 淺く刺す。

  【注釋】

 ◉岡本一抱『指南』血崩:「婦人時ならずして,卒(にわか)に月水,山の崩(くづる)るが如くに漏下(もれくだ)るを云」。

 ◉『病名彙解』血崩:「崩漏のことなり。本條に見たり」。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「假如女人漏不止,太衝三陰交為便,血崩氣海與大敦,陰谷太衝然谷焚,三陰交穴與中極,七穴治之病不存」。

 ◉『鍼灸聚英』三陰交:「主……漏血不止,月水不止,妊娠胎動,橫生,產後惡露不行,去血過多,血崩暈」。


○赤白帶下白環俞[二十一推之下也去脊中各三寸半]帯脉[季脇下一寸八分之陷中]關元[臍下三寸]氣海三隂交深刺

  【訓み下し】

○赤白(しゃくびゃく)帶下(たいげ)に,白環の俞[二十一推の下なり。脊中を去る各三寸半]・帶脈[季脇の下一寸八分の陷中]・關元[臍の下(しも)三寸]・氣海・三隂交,深く刺す。

  【注釋】

 ○赤白帶下:病證名。出『備急千金要方』卷四。亦名赤白瀝、赤白漏下、婦人下赤白沃等。指婦女帶下,其色赤白相雜、味臭者。多因肝鬱化熱,脾虛聚溼,溼熱下注,損及衝任、帶脈,以致白帶夾胞絡之血混雜而成赤白帶下。

 ◉『病名彙解』赤帶下:「婦人,臍(へそ)の下きりきりと痛で血のをるることなり。帶下の條に詳なり。赤と白とまぢはり下るを赤白帶下と云り」。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「赤白帶治白環俞,帶脈關元氣海等,間使三陰交為宜」。


○經事若正行舉夫交感瘦寒熱徃來精血傷爲虛勞腎俞[十四推下去中行各二寸]風門[二推下相去脊中各二寸]中極氣海三隂交深刺

  【訓み下し】

○經事 正行の若く,夫と交感して瘦せ,寒熱往來,精血傷(やぶ)れ,虛勞を爲す,腎俞[十四推の下,中行を去る各二寸]・風門[二推の下,脊中を相い去ること各二寸]・中極・氣海・三隂交,深く刺す。

  【注釋】

 ○交感:性交。 ○徃:「往」の異体字。 ○寒熱往來:證名。即往來寒熱。見『諸病源候論』冷熱病諸候。巢元方認為:寒氣並於陰則發寒,陽氣並於陽則發熱。陰陽二氣虛實不調,則邪氣更作而寒熱往來。參見往來寒熱條。指惡寒時不發熱、發熱時不惡寒,惡寒與發熱交替出現,定時或不定時發作的情況。這是少陽病正邪相爭所出現的熱型。

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・手足腰腋女人:「婦人經事若正行,與夫交感瘦漸形,寒熱往來精血競,此病若把虛勞名,宜治百勞腎俞等,風門中極氣海并,再兼三陰交在內,如此治之功必成」。


  卷下・廿三ウラ(772頁)

○月事不來面黃嘔吐身無胎三隂交曲池[肘橫文頭]支溝[腕後臂外三寸兩骨間陷]深刺

  【訓み下し】

○月事(がつじ) 來たらず,面(おもて)黃に,嘔吐,身 胎(はら)めること無し,三隂交・曲池[肘(うで)の橫文(おうもん)の頭(かしら)]・支溝[腕後,臂外三寸,兩骨の間の陷]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・婦人:「女子月事若不來,面黃嘔吐身無胎,三陰交兮曲池穴,支溝三里治無災」。


○經水過多通里[腕後一寸之陷中]行間[足大指縫間]淺刺

  【訓み下し】

○經水過多,通里[腕後一寸の陷中]・行間[足の大指の縫(ぬいめ)の間(あいだ)]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・婦人:「經脈過多通里高,行間穴與三陰交」。

 ◉『鍼灸聚英』通里:「主……婦人經血過多,崩中……」。

 ◉『鍼灸聚英』行間:「主……婦人小腹腫,面塵脫色,經血過多不止,崩中……」。


○不時漏下月水不調結成塊三隂交關元深刺

  【訓み下し】

○時ならず漏下(ろうげ)し,月水 調わず,結して塊(かい)と成る,三隂交・關元,深く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「不時漏下三陰交,月水不調結成塊,用鍼關元水自調」。


○久赤白帶下曲骨[橫骨上毛際之陷中]次膠[第二空夾脊陷]長強[脊骶骨端]灸最功

  【訓み下し】

○久しく赤白帶下,曲骨[橫骨の上,毛の際の陷中]・次膠【次髎】[第二の空(あな),脊(せ)を夾(さしはさ)む陷]・長強[脊(せ)の骶(はし)の骨の端(はし)]灸して最も功なり。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』曲骨:「主……婦人赤白帶下」。

 ◉『鍼灸聚英』次髎:「主……婦人赤白淋」。

 ★長強の出典,未詳。

 ◉『鍼灸重宝記』針灸諸病の治例・婦人の科:「久き帶下(こしけ)は曲骨・次膠・長強」。


○月事不利利即多心下滿目䀮䀮不能遠視腹中痛水泉[太谿下一寸內踝下]氣海灸之也

  【訓み下し】

○月事(がつじ) 利せず,利するときは即ち多く心下 滿ち,目 䀮䀮として,遠く視ること能わず,腹中 痛み,水泉[太谿の下(した)一寸,內踝の下]・氣海,之を灸す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「婦人月事不利,利即多,心下滿,目䀮䀮不能遠視,腹中痛,灸水泉五壯。……繞臍㽲痛,灸氣海」。

 ◉『鍼灸聚英』氣海:「主……婦人臨經行房羸瘦,崩中,赤白帶下,月事不調,產後惡露不止,繞臍㽲痛……」。


○不及月不調匀赤白帶下氣轉運背引痛不可忍灸帶脉

  【訓み下し】

○不及にして月(がつ) 調匀せず,赤白帶下,氣轉運,背(せなか)に引き痛んで忍ぶ可からず,帶脈を灸す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』玉機微義・婦人:「婦人不及月不調勻,赤白帶下,氣轉連背引痛不可忍,灸帶脈二穴」。

 ◉『玉機微義』卷49・灸法:「帶脈二穴,……主婦人月水不調,及閉不通,赤白帶下,氣轉運背,引痛不可忍」。


2024年4月18日木曜日

鍼灸溯洄集 81 卷下(28)癭瘤

   卷下・廿一ウラ(768頁)

 (28)癭瘤[附結核瘰癧]

  【訓み下し】

  癭瘤(ようりゅう)[附(つけた)り結核瘰癧]

  【注釋】

 ○癭:和刻本『萬病回春』の添え仮名は「ヱイリウ」。「癭」字には「よう」「えい」両音あり。『說文解字』:「頸癅也」。


癭多於肩項瘤則隨氣凝結此等數年深遠侵大

侵長堅硬不可移癭瘤氣血凝滯也

  【訓み下し】

癭 肩項に多し。瘤は則ち氣に隨って凝結,此れ等は數年 深遠,侵(やや)大に侵(やや)長し,堅硬して移す可からず。癭瘤は,氣血 凝滯なり。

  【注釋】

 ○侵(やや):「やや」という訓は「浸」字と誤読したか,あるいは通ずると考えたか。「侵」は副詞では一般に「ようやく」と訓む。しだいに。だんだんと。

 ○癭(cervical mass):以頸前區喉結兩側腫大或有結塊為主要臨床表現的一類外科常見疾病。俗稱「大脖子」。以西北高原地帶及山區較為多見。相當於西醫的地方性甲狀腺腫、甲狀腺腫瘤。一般起病緩慢、病程纏綿,局部漫腫或有結塊,皮色不變,逐漸增大,不會破潰。古代文獻中將癭分為五種,即氣癭、肉癭、血癭、筋癭和石癭。/癭的病名最早載於『說文解字』,謂癭即頸瘤。隋代『諸病源候論』提出癭的病因是憂恚氣結等情志因素,以及經常飲用山水、黑土中的泉流。

 ○瘤:身體組織或器官因細胞增生所長的贅生物。如:「肉瘤」、「腫瘤」。

 ○癭瘤:病名。即癭與瘤的合稱。或單指癭。出『中藏經』卷上。

 ◉岡本一抱『指南』癭瘤:「『正宗』に云,〈癭は色紅にして高突し,蒂(ほぞ?)[ネモト]小にして下垂(さがりたる)。瘤は色白くして漫腫し,痒痛[カユクイタム]を覺ざるなり云云〉。按に癭瘤は俗間に云コブの類(たぐい)なり」。

 ◉『病名彙解』癭瘤:「古より和訓コブと讀り。然ども諸方書に癭も瘤も共に潰(ついへ)て癰のごとくになると云り。世俗にコブと稱するものは,一生潰へず。按るに,五癭の內,石癭と云もの,俗にコブなるべし。石癭,一に骨癭と云り……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/346?ln=ja

 ◉『萬病回春』卷5・癭瘤:「癭多著於肩項,瘤則隨氣凝結。此等年數深遠,侵大侵長,堅硬不可移者,名曰石癭。……癭瘤,氣血凝滯也」。


  卷下・廿二オモテ(769頁)

               ○結核或

在項側在頸在臂在身如腫痛者在皮裏膜外火

氣熱甚則欝結堅硬如果中核也多風痰欝結也

  【訓み下し】

○結核,或いは項側に在り,頸(くび)に在り,臂(ひじ)に在り,身に在り,腫痛の如きは,皮裏 膜外(ばくがい)に在り。火氣 熱甚だしき則(とき)は,欝結 堅硬して,果中の核(さね)の如し。多くは風痰 欝結なり。

  【注釋】

 ◉岡本一抱『指南』結核:「皮膚の下に,肉のかたまりを生じて,菓中の核(さね)の如きを云。いくつも連(つらなり)て生ずるを瘰癧と云。ただひとつ生ずるを結核と云。『準繩』に云〈結核は獨[ヒトリ]形にして小核なる者を結核とす云云〉」。

 ◉『病名彙解』結核:「瘰癧の類なり。形小にして連らずして一つ生ずるなり。○河間の云……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/220?ln=ja

 ◉『萬病回春』卷5・結核:「結核,或在項側,在頸、在臂、在身,如腫痛者,多在皮裏膜外,多是痰注不散。問其平日好食何物,吐下後用藥散核。又云結核,火氣熱甚則欝結,堅硬如果中核也。不須潰發,但熱氣散則自消矣。/結核者,風痰欝結也。又云火因痰注而不散也」。


○結核連續者爲瘰癧也

  【訓み下し】

○結核連續する者は,瘰癧と爲す。

  【注釋】

 ◉岡本一抱『指南』瘰癧:「疒(やまいだれ)を除(のぞき)て見るべし。皮下に結核を生じ,いくつも累々と連(つらなり)て經歷[ヘメグル]するを云……」。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100314627/79?ln=ja

 ◉『病名彙解』瘰癧:「『要訣』に云,〈瘰癧の病,皆血氣壅[フサガリ]結して根(ね)臟腑にあり,多く項[ウナジ]頸[クビスヂ]の間に結して累々として大小定りなし。寒熱を發し,膿血潰亂[ツイヘタダル]す。或は此(ここ)没しては彼(かしこ)に起る。……〉。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232367/114?ln=ja

 ◉『萬病回春』卷8・瘰癧:「結核連續者,爲瘰癧也」。


○結核瘰癧肩井[肩上陷中]曲池[肘橫文頭]大迎[曲頷前一寸三分骨陷中]淺刺

  【訓み下し】

○結核・瘰癧,肩井[肩(けん)上陷中]・曲池[肘(うで)の橫文(おうもん)の頭(かしら)]・大迎[曲頷の前(まえ)一寸三分の骨の陷中]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』治例・雜病・諸瘡:「瘰癧瘡:灸肩井、曲池、大迎」。


○瘰癧少海[肘內大骨外去肘端五分陷中]天池[腋下三寸乳後一寸]章門[大橫外直季脇肋端]臨泣[足小指次指本節後間陷]淺刺

  【訓み下し】

○瘰癧,少海[肘(うで)の內の大骨の外,肘端を去る五分の陷中]・天池[腋(えき)下三寸,乳(ちち)の後(あと)一寸]・章門[大橫の外(ほか),直季脇肋の端(はし)]・臨泣[足の小指の次指の本節の後の間の陷]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『神應經』瘡毒部:「瘰癧:少海(先推針皮上三十六息,推針入內,追核大小,勿出核,三十三下乃出針)天池 章門 臨泣 支溝 陽輔(百壯) 手三里 肩井(隨年壯)」。

 ◉『鍼灸聚英』少海:「主……瘰癧……」。


○瘰癧人迎[頸大脉結喉旁一寸五分]缺盆[肩下橫骨陷中]淺刺

  【訓み下し】

○瘰癧,人迎[頸(くび)の大脈,結喉の旁ら一寸五分]・缺盆[肩下の橫骨の陷中]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』人迎:「主……咽喉癰腫,瘰癧」。

 ◉『鍼灸聚英』缺盆:「主……瘰癧喉痹……」。


○癭頸瘰癧天容[耳後曲頰後陷]翳風[耳後尖角陷中按之引耳中痛]間使[掌後三寸兩筋間陷]淺刺

  【訓み下し】

○癭頸瘰癧,天容[耳後(にご)曲頰の後の陷]・翳風[耳後の尖角の陷中,之を按(お)せば耳中(にちゅう)に引いて痛む]・間使[掌後三寸,兩筋の間の陷]淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』天容:「主癭頸項癰,不可回顧,不能言……」。

 ◉『醫學入門』治病要穴:「翳風 主耳聾及瘰癧」。「間使 主脾寒之證,及九種心痛,脾疼,瘧疾,口渴。如瘰癧久不愈,患左灸右,患右灸左,效」。

2024年4月17日水曜日

鍼灸溯洄集 80 卷下(27)汗

   卷下・廿一オモテ(767頁)

  (27)汗[カン]

盗汗者属陰虗睡中而出醒則止也

  【訓み下し】

盜汗は,陰虛に屬す。睡中にして出づ,醒(さ)むる則(とき)は止(や)む。

  【注釋】

 ○盗:「盜」の異体字。 

 ◉『病名彙解』盜汗:「俗に云ネアセなり。盜(ぬすびと)の人の睡(ねぶり)に乘じて出(いづ)。盜(ぬすびと)の如なることありと云り。又寢汗とも云り」。

 ◉『萬病回春』卷4・汗證:「盜汗者,屬陰虛,睡中而出,醒則止也」。


○自汗者属陽虗時時常而出也

  【訓み下し】

○自汗は,陽虛に屬す。時時(ときどき)常に出づ。

  【注釋】

 ○時時常:『萬病回春』作「時常」。時常:常常;經常。常に。しょっちゅう。

 ◉『病名彙解』自汗:「皮膚虛して常に汗をかくことなり。身を動搖勞役して汗をかくは自汗にあらず。安居して汗の出ることなり」。

 ◉『萬病回春』卷4・汗證:「自汗者,屬陽虛,時常而出也」。


  卷下・廿一ウラ(768頁)

○心汗者心孔有汗別處無也因七情之欝結而成也

  【訓み下し】

○心汗は,心孔に汗有って,別處に無し。七情の欝結に因って成る。

  【注釋】

 ○心汗:證名。指心窩部多汗的症候。出『丹溪心法』盜汗。『醫林繩墨』汗:「又有心汗者,當心膻中,聚而有汗」。因憂思驚恐,傷及心脾所致。

 ◉『病名彙解』心汗:「別處に汗なく,只(ただ)むねにのみ汗するを心汗と云り」。

 ◉『萬病回春』卷4・汗證:「心汗者,心孔有汗,別處無也(名曰心汗。因憂思悲恐驚、勞傷、欝結而成)」。


○頭汗者邪搏諸陽首其症飲多小便不利此濕熱也

  【訓み下し】

○頭汗(ずかん)は,邪 諸陽の首(はじめ)に搏(はく)して,其の症,飲多うして小便 利せず,此れ濕熱なり。

  【注釋】

 ○諸陽之首:頭の代名詞。『慎齋遺書』頭暈:「頭為諸陽之首,病人頭暈,清陽不升也,頭重不能抬起,陽虛不能撐持也」。『醫宗金鑑』金匱要略註・痙濕暍病脈證并治第二:魏荔彤:「頭中為諸陽之首,非寒濕能犯之地」(『金匱要略方論本義』)。

 ◉『萬病回春』卷4・汗證:「頭汗者,邪搏諸陽之首也。其症渴飲漿水、小便不利,此濕熱也」。


○河間曰心熱則汗出亦有火氣上蒸胃中濕亦作汗

  【訓み下し】

○河間の曰わく,心熱する則(とき)は,汗出で,亦た火氣有って,胃中の濕を上蒸して,亦た汗を作(な)す。

  【注釋】

 ○河間:劉完素(12世紀約1100年—1180年),字守真,自號通元處士,河間(今河北河間市)人士,世稱劉河間。金元四大醫學家之一,研究五運六氣,為「寒涼派」的創始人。劉完素的著作有:『黃帝素問宣明論方』、『素問玄機原病式』、『宣明內方』、『內經運氣要旨論』、『傷寒直格』、『傷寒標本心法類萃』、『三消論』、『素問藥注』、『醫方精要』。

 ◉『萬病回春』卷4・汗證:「『原病式』曰:心熱則汗出,亦有火氣上蒸胃中之濕,亦作汗」。


○多汗者補合谷[手大指次指歧骨間]瀉復溜[足內踝上二寸之筋骨陷中]淺刺

  【訓み下し】

○多汗は,合谷[手の大指の次指の歧(ちまた)骨の間]を補う,復溜(ふくる)[足の內踝の上二寸の筋骨の陷中]を瀉す,淺く刺す。

  【注釋】

 ◉『鍼灸聚英』雜病歌・汗:「多汗合谷補之先,次瀉復溜汗即乾」。


○自汗曲池[肘橫文頭]冲陽[足跗上五寸]湧泉[足心中]然谷[足內踝前起大骨下]淺刺

  【訓み下し】

○自汗,曲池[肘(うで)の橫文(おうもん)の頭(かしら)]・冲陽[足の跗上五寸]・湧泉[足心の中]・然谷[足の內踝の前,起こる大骨の下]淺く刺す。

  【注釋】

 ○冲陽:衝陽。

 ◉『鍼灸聚英』然谷:「主……自汗盜汗出……」。

 ◉『神應經』汗部:「自汗:曲池 列缺 少商 崑崙 衝陽 然谷 大敦 湧泉」。