2010年11月30日火曜日

淂 徑

○淂:「得」の異体字。
○經:「徑」にも見えるが、文意から「經」とした。

下の『11-2 刺絡編』の【注釋】に触発されての話題だけれど、言いたいことは全然別なので、新たに項目をたてます。

得の彳は、仁和寺本『太素』でも、氵とそっくりなんです。氵には見えるけれど、第三筆を上から下へと書いていたみたいなんです。だから、これは彳であって、書き癖に過ぎないとして、ただちに「得」と解してもいいのではなかろうか。もっとも江戸時代の書物には、しっかりと「淂」の形に彫っているのも多いんです。『文語解』なんかもそうです。となると、やっぱり別の字形が成立していたと、考えるべきなのか。でも、そうすると異体字というより、誤字では……。でも、もとは誤字であっても……、と、まあ煮え切らないこと、です。
經の糸も、仁和寺本『太素』では、略して纟のように書かれることが多いんです。現代中国の簡体字みたいですね。さらに乡のように見えることもある。そうすると、彳と乡もそっくりでしょう。だからこれは「徑」にも見えるそうだけれど、書いた本人は「經」のつもりじゃないかと思います。

でもセンセイ

先日、久しぶりに日曜講座を聴講させてもらいました。
みなさん、随分とお行儀がいいんですね。
あとから聞いたら、首を傾げるようなことも、無いことも無いけれど、講座の進行を妨げるから控えている、ことも有るそうです。はあ、そうですか。
むかし、原塾のはじめのころ、聴講生の中に何人かは、しょっちゅう「でもセンセイ」というのがいました。島田先生や井上先生の講座ではとくにそうでしたね。なかでも、井上先生の講座が終わった後の酒席では、わたしが、そもそも疑問をうまく表現できずに、もどかしく「ダカラア」というのに、先生からはにやにやしながら「ダケドオ」と反されていました。井上先生は、少なくともわたしには、けっこう楽しそうにみえました。今の宮川さんにだって岩井さんにだって(今回、聴講したのはお二人の講座です)、そのくらいの余裕は有ると思う。

ダカラアとダケドオに因んで、私のGmailアドレスは、だから"雖然如此"(そうはいっても)です。

だからといって、わたしのいなかの読書会の参加者が不作法者というわけではありません。念の為。

2010年11月29日月曜日

11-2 刺絡編

11-2 刺絡編
    京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『刺絡編』(シ・六六三)
    オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』11所収

刺絡編序
夫醫之道好生之具周官
之守也經落骨髓隂陽表
裡賅而存焉箴石湯火所
施百藥八减之冝齊和之
淂不淂者豈有他哉猶慈
石取鐡於己取之而已矣拙
  一ウラ
者失理以瘉為劇以生為死
是則可恤也荻君子元以
醫著北陸移京師其家翁
世々受方為小兒醫々門多疾
屨滿戸外矣子元慨然自
許務廣業名其家嘗曰
吾不能如扁鵲受異人書
  二オモテ
顧惟神農黄帝歧伯伊
尹仲景之言具在即其人
已矣吾第從輪扁求之乃
胠篋徧讀諸書夜以繼日
既聞不學易無以知隂陽
則從博士家受易不學物
産無以辨藥石則從某處
  二ウラ
學物産聞某子甲善鍼砭
則就而受業某氏聞越
前奥良筑主吐法其術◆
郡則就受業良筑良筑
淂子元大驚請割荒知
以南聽子矣尋又聞和蘭
善刺絡則毎歳從和蘭入
  三オモテ
貢受刺絡和蘭西洋遠國
其言侏離其書旁行唯依
傳譯而譯者率進孰於我
竟不能得和蘭要領也辟
若以坤輿圖察四海相厺不
過毫氂而間獨數百里視
之若易行之甚難是子元
  三ウラ
所以盻々為急也廼識譯長
某氏某氏輙奉牛酒交驩
譯長手使口授以至進乎技
者數十條録而成編後之説
刺絡蓋自此始所謂窮河
源睹昆崙也哉子元益自
喜請淂鄙言取徴狂夫故
  四ウラ
余述其勤動以復荻君趣
刊行焉
明和庚寅夏四月
   伊勢高道昂譔

 【読み下し】
刺絡編序
夫れ醫の道は、生を好むの具、周官
の守りなり。經落、骨髓、陰陽、表
裡、賅(そなわ)りて存す。箴石湯火の
施す所、百藥八減の宜、齊和の
得ると得ざる者は、豈に他に有らんや。猶お慈
石の鐡を取るがごとく、己に於いて之を取るのみ。拙き
  一ウラ
者は理を失い、瘉を以て劇と為し、生を以て死と為す。
是れ則ち恤(うれ)うる可きなり。荻君子元、
醫を以て北陸に著(あらわ)れ、京師に移る。其の家翁は
世々に方を受け、小兒醫と為る。醫門に疾多く
屨(ふ)みて戸外に滿つ。子元、慨然として自
許して務めて業の名を廣む。其の家嘗て曰く、
吾れ扁鵲の如く異人の書を受くること能わず。
  二オモテ
顧(た)だ惟(おもんみ)るに、神農、黄帝、歧伯、伊
尹、仲景の言は、即ち其の人に具(つぶ)さに在る
已(の)み。吾れ第(た)だ輪扁に從い之を求むるのみ。乃ち
篋(はこ)を胠(あ)け、徧(あまね)く諸書を讀み、夜以て日に繼ぎ、
既に易を學ばざれば、以て陰陽を知ること無しと聞かば、
則ち博士家に從いて易を受く。物
産を學ばざれば以て藥石を辨ずること無くんば、則ち某處に從い
  二ウラ
物産を學ぶ。某子甲は鍼砭を善くすと聞かば、
則ち就きて業を某氏に受く。越
前の奥良筑、吐法を主り、其の術◆
郡なるを聞けば、則ち就きて業を良筑に受く。良筑は
子元を得て、大いに驚き、請割荒知
以南聽子矣。尋ぬるに又た和蘭
刺絡を善くすと聞けば、則ち毎歳、和蘭の入
  三オモテ
貢するに從い、刺絡を受く。和蘭は西洋の遠國にして、
其の言は侏離、其の書は旁行なり。唯だ
傳譯に依るのみ。而して譯者は率(おおむ)ね進孰す。我に於いて
竟に和蘭の要領を得ること能わざるなり。辟(たと)えば
坤輿圖を以て、四海を察するが若し。相去ること
毫氂に過ぎずして、間(へだ)つること獨り數百里のみ。之を視れば
易きが若くして、之を行うこと甚だ難し。是れ子元の
  三ウラ
盻々として急を為す所以(ゆえん)なり。廼ち譯長の
某氏を識る。某氏は輙ち牛酒を奉じて交驩す。
譯長は手使口授して、以て技を進むる
者(こと)數十條、録して編を成すに至る。後の
刺絡を説くは、蓋し此れ自り始む。謂う所の河の
源を窮めて昆崙を睹るかな。子元は益ます自ら
喜びて鄙言を得、徴を狂夫に取らんことを請う。故に
  四ウラ
余は其の勤動を述べ、以て荻君の
刊行に趣くに復す。
明和庚寅夏四月
   伊勢高道昂譔
※印形は白字で「高印/道昂」と「伯/起氏」。

  【注釋】
○好生:生命をいとおしむ。 ○具:準備。そなえ。才能。 ○周官:『書經』中の「周書」の篇名。『書經』周官序:「成王既黜、殷命滅淮夷、還歸在豐、作周官。」孔安國傳:「言周家設官分職用人之法。」ここでは、『周禮』(天官冢宰「醫師」)のことであろう。 ○經落骨髓隂陽表裡:『漢書』藝文志:「醫經者、原人血脈經落骨髓陰陽表裏、以起百病之本、死生之分、而用度箴石湯火所施、調百藥齊和之所宜.至齊之得、猶慈石取鐵、以物相使.拙者失理、以瘉為劇、以生為死」。經落:經絡。 ○賅而存焉:『莊子』齊物論:「百骸、九竅、六藏、賅而存焉」。 ○箴石:師古曰:「箴、所以刺病也.石謂砭石、即石箴也.古者攻病則有砭、今其術絕矣.箴音之林反.砭音彼廉反.」 ○八減之冝齊和:『史記』扁鵲倉公列傳:「乃使子豹為五分之熨、以八減之齊和煮之」。『索隱』:「五分之熨、八減之齊.案:言五分之熨者、謂熨之令溫暖之氣入五分也.八減之齊者、謂藥之齊和所減有八.並越人當時有此方也」。 ○淂:「得」の異体字。 ○慈石:磁石。 ○拙者:能力の劣る人。
  一ウラ
○瘉:師古曰:「瘉讀與愈同.愈、差也.」 ○劇:はげしくなる。 ○荻君子元:荻野元凱。生年:元文2.10.27(1737.11.19)。没年:文化3.4.20 1806.6.6)。江戸中期の医者。西洋の刺絡法を導入し実践した御典医。字は子原、左中、在中、号は台州。元凱は名。加賀国(石川県)金沢で生まれ、京都の奥村良筑 から古方派の医学を学んだ。明和1(1764)年良筑が主張する吐法を詳しく説明した『吐法編』を著す。6年後には山脇東門が唱導した西洋刺絡について書いた『刺絡篇』を発表し、医名を高めた。朝廷からも認められ、39歳のときに滝口詰所の役に任ぜられる。寛政6(1794)年皇子を診察し典薬大允に昇進した。4年後幕府から召されて医学館の教授となり、瘟疫論を講じたが、間もなく辞して帰京する。西洋医学をも採り入れようとする元凱は漢方医学しか容認しない医学館の教育に嫌気がさしたと思われる。再び朝廷に仕えて皇子の病気を診察し、その功で尚薬となった。文化2(1805)年河内守に任ぜられ、翌年京都で没した。人体解剖を率先して行い解剖史にも名を残しているが、解剖書は残していない。著書には他に『麻疹編』『瘟疫余論』がある。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』、杉立義一『京の医史跡探訪』。(蔵方宏昌) 朝日日本歴史人物事典。 ○著:名を世に知られる。 ○北陸:若狭国から越後国までの範囲におよぶ。歴史的に古代の「越国」と呼ばれた地方を多く含む。 ○京師:京都。 ○家翁:一家の主。家長。 ○世々:代代。何代にもわたって。 ○醫門:医家。『莊子』人間世:「治國去之、亂國就之、醫門多疾」。 ○屨滿戸外:明・王世貞『弇州四部稿』卷八十三・文先生傳 :「戸外屨常滿」。清・李清馥『閩中理學淵源考』卷四十・韓伯循先生信同:「弟子請業者、戸外屨滿」。 ○慨然:深く感じ入るさま。気力をふるい起こすさま。 ○自許:自負、自信がある。 ○家:家人。 ○扁鵲受異人書:『史記』扁鵲倉公傳:「長桑君……悉取其禁方書盡與扁鵲。」。
  二オモテ
○神農:古代中国伝説上の帝王。製薬の創始者とされる。 ○黄帝:上古の帝王、軒轅氏。神農氏に取って代わって帝位に就く。 ○歧伯:黄帝の臣。医学に精通し、黄帝と医学を論じ、その内容が『黄帝内経』に掲載されているとされる。 ○伊尹:商(殷)初期の大臣。名は摯(し)。料理人として或る貴族に仕え、主人の娘が商の君主・子履(し・り、後の成湯、湯王)に嫁ぐ際に、その付き人として子履に仕える。そこでその才能を子履に認められ、商の国政に参与し重きを成すにいたる。『黃帝三部鍼灸甲乙經』序:「伊尹以亞聖之才、撰用神農本艸、以爲湯液。……仲景論廣伊尹湯液爲數十卷」。これにより、湯液は伊尹が創作したとの説あり。また王好古は『伊尹湯液仲景広為大法』(一二三四年成立)を著した。 ○仲景:張仲景。後漢の医家。名は機。『傷寒卒病論』を著す。 ○輪扁:経験がゆたかで、技術はすばらしいが、ことばでは言い表しがたいひとを形容する。『莊子』天道篇を参照。 ○胠篋:『莊子』胠篋:「將為胠篋探囊發匱之盜。」 ○夜以繼日:昼夜兼行。夜も昼のつづきをして休まないこと。『孟子』離婁下:「周公思兼三王、以施四事、其有不合者、仰而思之、夜以繼日。幸而得之、坐以待旦。」 ○易:『易經』。 ○隂陽:万物を生ずる二種類の元素。陰気と陽気。『易經』繫辭上:「陰陽不測之謂神。」 ○博士家:平安以降、大学寮などにおける博士の職を世襲した家柄。菅原・大江・清原・中原などの各家が有名。 ○物産:天然、人工の産物。動植物・鉱物も含めていう。 
  二ウラ
○某子:男子に対する敬称。 ○甲:某。名前を知らないひと、または故意に名前を隠すべきひと。 ○越前奥良筑:奥村良筑。 ○吐法:毒物、宿食、病邪などを吐き気をうながす薬を用いる方法。からだの上部に疾病がある場合に用いられる。 ○◆郡:◆は碩か、傾か。頁の左側不明。 ○請割荒知以南聽子矣:請いて荒を割いて知るに南するを以てし子に聽く?/『史記』扁鵲伝の「乃割皮解肌.訣脉結筋.搦髓腦.揲荒爪幕.」によるか?腹の底から?/「以南」は「南面して」?弟子として? ○和蘭:オランダ人。オランダ医学。 ○刺絡:絡脈、静脈を刺して血を出すことにより邪気を除く治療法。 ○入貢:外国の使節が貢ぎ物を幕府朝廷に献上すること。
  三オモテ
○西洋:ヨーロッパ。 ○侏離:蛮夷の言語の通じないこと形容。 ○旁行:横書き。 ○率:のべる? ○進孰:進熟。虚美の言を進める。『史記』大宛列傳:「而漢使者往既多、其少從率多進熟於天子」。 ○辟:「譬」に通ず。 ○坤輿圖:地図。『易經』説卦:「坤為地、為母……為大輿。」大地は万物を載せること輿の如し。故に大地を「坤輿」という。 ○四海:広く天下各所をいう。古代中国は周囲を海で囲まれていたと考えていたので、四方を「四海」という。 ○厺:「去」の異体字。 ○毫氂:毫釐。極めて小さい数。 ○獨:リズムを整えることばか? 
  三ウラ
○盻々:苦労しても休まないさま。 ○牛酒:牛肉と酒。昔、贈答や慰労の品をとして用いられた。 ○交驩:交歡。交わりを結んでともに楽しむ。 ○手使:手を使って。手振りで。 ○口授:口で伝授する。 ○窮河源睹昆崙:『史記』大宛列傳:「而漢使窮河源……名河所出山曰崑崙云。……太史公曰:『禹本紀』言河出崑崙。……窮河源、惡睹本紀所謂崑崙者乎」。黄河の源流にたどり着いて崑崙山(カラコルム)を見る。 ○鄙言:卑俗なことば。自分の話の謙遜語。序の筆者のことであろう。 ○徴:人を信服させる証拠。 ○狂夫:愚鈍なひと。序の筆者のことであろう。
  四ウラ
○勤動:勤労。苦労して力をつくすこと。 ○復:こたえる。 ○明和庚寅:明和七(一七七〇)年。 ○伊勢:いま三重県。 ○高道昂:高葛坡(陂)。1724-1776江戸時代中期の儒者。享保9年生まれ。大坂から下総葛飾にうつる。石島筑波にまなび、京都で講義した。晩年、姓を王とあらためた。安永5年8月8日死去。53歳。名は峻。字は伯起、維岳、道昂。通称は嘉右衛門、小左衛門。別号に伊斎。著作に「弇州尺牘国字解」など。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)/先祖は明代末に日本に来た中国人という。

  四ウラ
巖雄達者肥人也雄達其  倶師事吉雄子學
紅毛瘍醫術余聞其所傳紅毛刺絡事旁見其所筆
記畧洽經論惜哉斷錦屑玉未見一匹之美亦孰肻舎
諸遂演繹之作紅毛鍼書嗣後  就余學疾醫
事旦夕相見又聞其所傳間有小異同持以質之吉
雄子則出西書詳悉其事淄澠方分疑怚頓觧囙
採  之所勝裁新所聞較諸經説徵諸患者累稔
易稿又作刺絡編獨以為得經旨卷末顯効案若干
則以備考證古人云獨智難周如其不逮竢後識者
是歳明和庚寅仲春荻元凱再識

  【読み下し】
巖雄達は、肥の人なり。雄達、其れ  倶に吉雄子に師事し、
紅毛の瘍醫術を學ぶ。余は其の傳うる所の紅毛刺絡の事を聞き、旁ら其の筆
記する所を見る。略(ほ)ぼ經論を洽(あまね)くするも、惜しいかな、斷錦屑玉、未だ一匹の美を見ず、亦た孰(た)れか諸(これ)を舎(す)つるを肯(うべな)わん。
遂に之を演繹して、紅毛の鍼書を作る。嗣後  余に就きて疾醫の
事を學び、旦夕相い見(まみ)ゆ。又た其の傳うる所を聞き、間ま小しく異同有らば、持して以て之を吉
雄子に質(ただ)す。則ち西書を出だし、詳らかに其の事を悉(つく)し、淄澠方(まさ)に分かち、疑い怚(ほ)ぼ頓(とみ)に解す。因りて
之が勝る所を採り、新たに聞く所を裁き、諸(これ)を經説に較べ、諸を患者に徴す。稔(とし)を累ね
稿を易(か)え、又た刺絡編を作る。獨り以て經旨を得たりと為す。卷末に効案若干
則を顯(あら)わし、以て考證に備う。古人云う、獨智は周ね難し、と。如(も)し其れ逮(およ)ばざるは、後の識者を竢(ま)つ。
是の歳明和庚寅仲春、荻元凱再び識(しる)す

  【注釋】
○巖雄達: ○肥:肥前肥後。 ○雄達其:「其」字、読みに疑念あり。本文には三箇所二字分空白があるが、その意図未詳。尊敬とは無関係に思われる。 ○吉雄子:吉雄耕牛か。1724-1800江戸時代中期-後期のオランダ通詞、蘭方医。享保9年生まれ。代々オランダ通詞で、寛延元年大通詞にすすむ。またオランダ商館付医師から外科医学をまなび、吉雄流外科といわれる一派をおこす。前野良沢、杉田玄白らを指導し、「解体新書」に序文をよせた。寛政12年8月16日死去。77歳。肥前長崎出身。名は永章。通称は幸左衛門、幸作。訳書に「因液発備」など。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus) ○紅毛:紅毛人。江戸時代、オランダ人をよんだ語。ポルトガル人・スペイン人を南蛮人とよんだのに対していう。また、広く西洋人のこと。 ○瘍醫術:外科医術。 ○經:「徑」にも見えるが、文意から「經」とした。 ○斷錦屑玉:美しい絹織物の切れ端と砕かれた宝玉。 ○匹:絹織物を数える量詞。 ○孰:誰。何。 ○肻:「肯」の異体字。承知する。 ○舎:「捨」に通ず。 ○演繹:普遍的な原理をもって特殊な事象を推定する方法。 ○嗣後:これより以後。 ○旦夕:朝晩。 ○西書:西洋の書籍。 ○詳悉:詳細に知悉する。 ○淄澠:淄水と澠水。いま、ともに山東省を流れる。両河川の水の味は異なると伝えられ、混じると判別しがたいたとえに用いられた。 ○怚:「粗」の古字であろう。ほぼ。 ○頓:たちどころに。 ○觧:「解」の異体字。 ○囙:「因」の異体字。 ○採:採用する。 ○裁:判断する。 ○徴:検証する。証明する。 ○稔:年。 ○稿:原稿。 ○顯:表現する。 ○効案:効果のあった事案、カルテ。 ○則:段落などを数える量詞。 ○獨智難周:ひとりの智慧(知っていること)は周到であるのは難しい。「獨智」は「獨知」とも。仏典の列祖提綱縁起に見えるが、これが出典かどうか未詳。 ○逮:到達する。 ○竢:「俟」の異体字。 ○識者:見識ある者。 ○仲春:陰暦二月。 


昇平之世民飫德澤有餘於文恥學
歐蘇於醫賤慣李朱遡洄徃昔遵
循舊訓古道之盛今斯時為然吾
荻先生嘗嘆刺絡之喪世或不知也耑
據素靈旁考蠻法論次研尋作刺
絡編興疢疾於癈餘躋人暉春之
臺彼傚顰之徒不知刺有法度證有
ウラ
當否濫執鍼臨疾甚者有瞽者行之
何以辨形色豈不嘆乎然使人〃知
刺有法證有當而不能也適先生此
書成余受而讀之法明説確以範四
方使人鮮過則不仁政之一助乎哉
是所請先生以公于世也
陸奥 木恒德謹識

  【読み下し】
昇平の世、民は德澤の有餘なるに飫(あ)き、文に於いて
歐蘇を學ぶを恥じ、醫に於いて李朱に慣るるを賤しむ。徃昔に遡洄し、
舊訓古道の盛んなるに遵循し、今ま斯(こ)の時を然りと為す。吾が
荻先生は嘗(つね)に刺絡の世に喪われ、或いは知られざるを嘆くなり。耑(もつぱ)ら
素靈に據り、旁ら蠻法を考え、論次研尋して刺
絡編を作る。疢疾を癈餘より興(おこ)し、人を暉春の
臺に躋(のぼ)らす。彼の顰みに傚(なら)うの徒は、刺に法度有り、證に
  ウラ
當否有るを知らず、濫(みだ)りに鍼を執りて疾に臨む。甚だしき者は、瞽者の之を行う有り。
何を以てか形色を辨ぜんや。豈に嘆ざざらんや。然れば人々をして
刺に法有り、證に當にして能わざる有るを知らしむるなり。適(まさ)に先生の此の
書成る。余受けて之を讀む。法明らかにして説確か、以て四
方に範たりて、人をして過(あやま)ちを鮮(すくな)くせしむれば、則ち仁政の一助ならざらんや。
是れ先生に請いて、以て世に公けにする所なり。
陸奥 木恒德謹識

  【注釋】
○昇平:世の中が平和でよく治まっていること。 ○飫:飽食する。満ちる、飽きる。 ○德澤:恩恵。 ○歐:欧陽修(1007-1072)。 ○蘇:蘇軾(1036-1101)。 ○李:李東垣(1180-1251)。 ○朱:朱丹渓(1281-1358)。 ○遡洄:さかのぼる。 ○遵循:したがう。 ○舊訓古道:ふるい教えや経典。 ○嘗:「常」に通ず。むかしからずっと。 ○耑:「專」と同じ。また「端(はじめ)」に通ず。 ○素:『素問』。 ○靈:『霊枢』。 ○蠻法:南蛮の技法。西洋の技術。 ○論次:論定してならべる。 ○研尋:研究し探求する。 ○興:「起」。いやす。 ○疢疾:疾病。 ○癈:「廢」。 ○躋人暉春:春暉。春の陽光。母の恩恵の比喩。 ○臺:うてな。 ○傚顰:效顰。自分の身もわきまえず、むやみに他人のまねをする(そして、かえって逆効果になる)こと。 ○法度:法式。方法。 ○證有當否:適応症と不適応症。
  ウラ
○濫:軽率に。随意に。 ○瞽者:盲人。 ○何以:どのようにして。反語の語気。「ない、できない」ことを示す。 ○形色:形と色。 ○不能:否。 ○適:おりよく。たった今。 ○範:手本。見習うべきもの。 ○四方:東西南北各地。 ○過:錯誤。過失。 ○仁政:仁徳の政治。 ○所:所以。ゆえん。 ○陸奥:奥州。今日の福島県、宮城県、岩手県、青森県と、秋田県の一部にわたる地域。 ○木恒德:荻野元凱の門人。木村恒徳。字は子慎。

2010年11月27日土曜日

11-1 兪穴辨解

11-1兪穴辨解
     武田科学振興財団杏雨書屋所蔵 乾3594
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』11

兪穴辨解引
江漢之出乎岷嶓也其源夐其流脩而中間有
淼漫呑天之勢者葢水之道為然孟軻氏謂盈
科而後進放乎四海有本者如是觀夫經脈之
繫於藏府亦猶水乎其異流分派縱横逆順肌
肉為之隄防骨空為之科窟方其邪之在經則
搏而躍激而行過顙在山是豈水之性哉觀水
有術故聖人正骨度辨兪穴直欲以鍼焫廻狂
瀾於既倒者職此之由屬者一得子携其所著
  一ウラ
兪穴解來請余檢閲余讀廼知能修其業者其
書大氐彀率攖寧乘矢馬張而以自己意為監
射埶法其間可謂便且詳矣筆以國字者為使
髦士易曉而其有口授亦將有獲其人耳提面
命之者歟是為叙

寳曆甲戌冬十有二月朔信陽滕曼卿謹題


  読み下し
兪穴辨解引
江漢の岷嶓に出づるや、其の源は夐(とお)く其の流は脩(なが)し。而して中間に
淼漫として天を呑むの勢いの者有り。蓋し水の道は然りと為す。孟軻氏謂う、
科(あな)を盈して後に進み、四海に放(いた)る、本有る者は是(かく)の如し、と。夫(か)の經脈の
藏府に繫がるを觀るに、亦た猶お水のごときか。其の流れを異にし派を分かち、縱横逆順、肌
肉、之れを隄防と為し、骨空、之れを科窟と為す。其の邪の經に在るに方(あた)りては、則ち
搏ちて躍らし、激して行(や)らしめば、顙を過ぎ山に在り。是れ豈に水の性なるかな。水
に術有るを觀る。故に聖人は骨度を正し、兪穴を辨じ、直ちに鍼焫を以て狂
瀾を既倒に廻せんと欲する者は、職として此れ之れに由る。屬者(このごろ)一得子、其の著す所の
  一ウラ
兪穴解を携えて來たり、余に檢閲を請う。余讀みて廼ち能く其の業を修むる者を知る。其の
書は大氐、攖寧を彀率し馬張を乘矢す。而して自己の意を以て射るを監すると為し、
法を其の間に執り、便且つ詳と謂つ可し。筆するに國字を以てする者は
髦士をして曉らめ易からしむるが為なり。而して其の口授有るは、亦た將に其の人を獲て、耳提して面(まのあたり)に
命ずるの者有らんとするか。是を叙と為す。

寳曆甲戌冬十有二月朔、信陽滕曼卿謹題

  【注釋】
○江漢:長江と漢水。 ○岷:岷山。四川松潘県北に位置し、四川と甘肅省の境となり、長江と黄河、両大水系の分水嶺をなす。/岷江。河川の名。四川省境にあり、源は松潘縣西北岷山に出て、最後は長江に注ぎ入る。 ○嶓:嶓冢。甘肅省天水縣の西南にあり、漢水の水源地。「兌山」ともいう。 ○夐:遠い。「迥(はるか)」に通ず。 ○脩:長い。久しい。遠い。「修」に通ず。 ○淼漫:海や川が広く果てしがない。 ○孟軻氏:孟子。(西元前 372~前 289)軻は名。字は子輿。戦国時代鄒の人。 ○盈科而後進放乎四海有本者如是:『孟子』離婁下:「孟子曰:原泉混混、不舍晝夜。盈科而後進、放乎四海、有本者如是、是之取爾/源泉は混混として昼夜を舎(お)かず、料(あな)に盈(み)ちて而る後に進み四海に放(いた)る。本(もと)有る者は是(か)くの如し。是れ之を取るのみ/水が穴を満たしてから初めて進むように、学問の道もよく順序を踏まえて進むことが大事である。」『集注』:「盈、滿也。科、坎也。」 ○縱横:水の流れの曲がりくねるさま。 ○逆順:流れの順行と逆行。 ○肌肉:皮膚と筋肉。 ○科:「窠(あな)」に通ず。 ○窟:洞穴。 ○搏而躍激而行過顙在山是豈水之性哉:『孟子』告子上:「今夫水、搏而躍之、可使過顙、激而行之、可使在山。是豈水之性哉。其勢則然也(今夫れ水は、搏ちて之を躍らせば、顙を過ごさしむべく、激して之を行れば、山に在らしむべし。是れ豈に水の性ならんや。其の勢、則ち然らしむるなり)。」顙:額。頭。 ○骨度:骨の長さを基準とした人体の測り方。 ○兪穴:ツボ。 ○鍼焫:鍼灸。/焫:もやす。 ○廻狂瀾於既倒:韓愈『進學解』:「障百川而東之、迴狂瀾於既倒。」力を尽くして悪い局面を挽回する。異端邪説の横行を阻止する。 ○職:もとより。もっぱら。 ○屬者:近時、近日。 ○一得子:村上宗占は土浦藩医員で、名は親方(ちかまさ)、字が宗占、号は一得子(いっとくし)。 
  一ウラ
○大氐:大抵。 ○彀率:弓を引き絞る度合い。 ○攖寧:心が平和で、外部からの刺戟に動揺しないさま。滑壽(『十四経発揮』)のことか。 ○乘:四。『孟子』離婁章句下:「發乘矢而後反(弓矢を四発放ったのち帰った)。」『正義』:「云乘矢者、乘、四矢也、蓋四馬為一乘、是亦取其意也。」 ○馬:馬玄臺(『霊枢註証発微』)か。 ○張:張介賓(『類経』『類経図翼』)か。 ○監:統率する。 ○埶:「藝」に同じ。あるいは「執」か。 ○國字:かな。 ○髦士:俊秀の士。 ○耳提面命:懇切丁寧に教える。『詩經』大雅˙抑:「匪面命之、言提其耳。」 ○寳曆甲戌:宝暦四年(一七五四)。 ○十有二月:十二月。 ○朔:陰暦一日。 ○信陽:信濃。 ○滕曼卿:生没年不詳。萬卿とも。姓は加藤。名は章、通称は俊丈、号は筑水。『難経古義』を著す。医学館で『難経』を講じた。本書の巻頭には、「東都隱醫 友生 加藤俊丈 校」とある。


兪穴辨解序
經脉篇黄帝曰經絡所以能決死生處百
病調虚實不可不通焉愚按學經絡者欲
處百病調虚實者也因茲施鍼灸施鍼灸
者必要兪穴要兪穴者必正骨度骨度正
而要兪穴迎隨開闔行其宜而取効也葢
兪穴之正在骨度骨度不正則兪穴不正
雖施鍼灸無効而反有害也必矣歴代先
哲著經絡鍼灸書而汗牛充棟不乏于世
  二ウラ
然其中語意簡古淵玄而未易曉故吾子
第患之葢按先哲各有得失余不敏讚其
得而補其失參挾諸説而作為兪穴辨解
二卷骨度正誤圖説一卷竒經八脉銅人
形系經訣一卷凡四卷以授子第不敢備
達人云爾
寛保二歳次壬戌春三月
東都 村上親方宗占述

  【読み下し】
兪穴辨解序
經脉篇に黄帝の曰く、經絡は能く死生を決して、百
病を處し、虚實を調うる所以、通ぜざる可からず、と。愚按ずるに、經絡を學ぶ者は、
百病を處し虚實を調えんと欲する者なり。茲に因って鍼灸を施す。鍼灸を施す
者は、必ず兪穴を要(もと)む。兪穴を要むる者は、必ず骨度を正す。骨度正して
兪穴を要め、迎隨開闔、其の宜を行いて、効を取るなり。蓋し
兪穴の正しきは、骨度に在り。骨度正からざる則(とき)は、兪穴正しからず。
鍼灸を施すと雖も、効無くして反って害有ること必せり。歴代先
哲、經絡鍼灸の書を著して、牛に汗し棟に充つ。世に乏しからず。
二ウラ
然れども其の中語意簡古、淵玄にして未だ曉し易からず。故に吾が子
第(た)だ之を患(うれ)う。蓋し按ずるに先哲各おの得失有り。余不敏、其の
得るを讚して、其の失を補い、諸説を參挾して、兪穴辨解
二卷、骨度正誤圖説一卷、竒經八脉銅人
形系經訣一卷、凡そ四卷を作為して、以て子第に授く。敢えて
達人に備えずと云爾(しかいう)。
寛保二歳次壬戌春三月
東都 村上親方宗占述

 【注釋】
○經脉篇:『黄帝内経霊枢』の篇名。 ○語意:ことばの意味。 ○簡古:簡単素朴で古雅。 ○淵玄:深奥。 ○曉:知る。 ○吾子:子は男子の美称。親しみ敬愛をあらわす。あなた。 ○先哲:前代の賢者。 ○不敏:不才。謙遜語。 ○讚:称美する。 ○參挾:まじえる。 ○骨度正誤圖説一卷:宝暦二(1752)年跋刊。九州大学附属図書館画像データベースに一部の画像あり。
http://portal.lib.kyushu-u.ac.jp/cgi-bin/icomb/thumview.cgi?lang=j&wayo=w&num=32&img=1
『臨床古典鍼灸全書』15所収。 ○竒經八脉銅人形系經訣一卷:『銅人形引経訣』(寛政五刊)は、九州大学所蔵。『銅人形引経之訣』は弘前図書館所蔵。須原屋/平助(/)〈江戸〉, 寛政5。/『臨床古典鍼灸全書』35所収。 ○達人:事理に通達したひと。 ○云爾:語末の助詞。「かくのごときのみ」。 ○寛保二歳次壬戌:一七四二年。 ○東都:江戸。
 東京大学 鶚軒文庫所蔵『骨度正誤圖説』(V11:1193)   
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2004/tenji/case1.html#1193


2010年11月25日木曜日

10-2 經穴古今省略

10-2 經穴古今省略
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經穴古今省略』(ケ-11)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』10所収

經穴古今省略序
此書北渚先生所著也雖有隧兪通考之在採索尤
多難臆誦矣故集口授之語充一軸一名經穴口義
蓋彼家最秘書名妄不語又藏之靈蘭可焉

読み下し
經穴古今省略序
此の書北渚先生著す所なり。『隧兪通考』の在る有りと雖も、採索尤も
多く、臆誦し難し。故に口授の語を集めて、一軸に充つ。一名、經穴口義。
蓋し彼の家の最も秘する書にして、名は妄りに語らず、又た之を靈蘭に藏して可なり。

【注釋】
○北渚先生:堀元厚(1686~1754)。元厚は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしょ)。味岡三伯(あじおかさんぱく)・小川朔庵(おがわさくあん)に学び、医名を馳せた。小曽戸洋『漢方典籍辞典』 ○隧兪通考:オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』9所収。全6巻。延享元(1744)年の掘正修(ほりまさなが)序、同年の自序、翌同2年の掘景山(ほりけいざん)(名正超[まさたつ])跋がある。衢昌栢(くしょうはく)(甫山[ほざん])との共著とされる。饗庭東庵(あえばとうあん)の『黄帝秘伝経脈発揮(こうていひでんけいみゃくはっき)』を基本資料に、諸説と自説を加えて成ったもの。巻1は総攷、巻2~4は正経八脈、巻5は奇経八脈、巻6は奇兪類集。元厚の経穴学に対する力量を示す書で、後世の日本経穴書に大きな影響を及ぼした。小曽戸洋『漢方典籍辞典』 ○臆誦:記憶し諳誦する。 ○軸:卷軸を数える単位。 ○靈蘭:黄帝の蔵書室の名。『素問』霊蘭秘典論:「黄帝乃擇吉日良兆、而藏靈蘭之室、以傳保焉」。

2010年11月24日水曜日

10-1 灸焫要覧

 10-1灸焫要覧
    京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『灸焫要覧』(キ・一一一)
    オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』10所収

   灸焫要覽
經云氣穴三百六十五以應一歳然而後人
所増者蓋亦不少矣初學者或厭其繁舎之
不講至于著艾之際往往失其眞因摘其切
近者一二録成小冊名曰灸焫要覽若夫周
悉者乃有通攷在焉視者勿安小成而可也
享保癸卯初夏平安後學堀元厚謹識


  【書き下し】
   灸焫要覽
經に云う、氣穴三百六十五、以て一歳に應ず。然り而して後人
増す所の者、蓋し亦た少なからず。初學者、或いは其の繁を厭い、之を舎(す)てて
講ぜず。著艾の際、往往其の眞を失うに至る。因りて其の切
近なる者一二を摘みて、録して小冊と成す。名づけて灸焫要覽と曰う。夫(か)の周
悉なる者の若きは、乃ち通攷の在る有り。視る者、小成に安んずること勿くして可なり。
享保癸卯初夏平安後學堀元厚謹みて識(しる)す


  【注釋】
○經云:『素問』気穴論(58)。 ○然而:接続詞。ここでは逆接。 ○著艾:もぐさを着ける。灸をすえる。 ○切近:切要近便。 ○周悉:周到詳尽。 ○通攷:『隧輸通攷』(一七四四年序、写本)。 ○小成:初歩的成就。明 方孝孺『贈林公輔序』:「不安於小成、然後足以成大器」。 ○享保癸卯:享保八(一七二三)年。 ○平安:京都。 ○後學:先輩の学者に対する謙遜語。 ○堀元厚:元厚(1686~1754)は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしよ)。味岡三伯(あじおかさんはく)・小川朔庵(おがわさくあん)に学び、医名を馳せた。〔小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』〕

2010年11月23日火曜日

9-1 隧輸通攷

9-1隧輸通攷
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『隧輸通攷』(ス・21)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』9所収

隧輸通考序
北渚子醫而三世者也自少篤信黄岐之
教以講明其書為己任日誦一卷坐而思
思而弗措必通矣思者精通者神了然有
以得乎窅冥昏黙之中矣乃旁搜古今醫
部秘書奥帙罔不津逮淵源所自造詣最   ※「所」は「取」か
深於是開門授徒者數十年矣弟子著録
毎歳百餘人其所以教督之具有其法人
  一ウラ
成其業以良師稱之北渚子益勉不懈述
作日多皆錄以傳之廼者又著隧輸通考
若干卷請序於余余曰善哉北渚子之有
此述也掲之以經方載之以群説斷之以
己見皂白分矣朱紫別矣醫家未了公案
於是次矣吁此體要之書也其益於後學
也不亦大乎吾尚記昔在少年時與聞諸
老先生道德之餘論盖皆貴經術明性命
  二オモテ
之旨有實見識而後著書立言然其朋友
往來雖非其黨不敢拒讀史論文風流敦
厚猶有洛社之古風汩汩四十年旧游論
謝此風遂替才後之徒稱文號稱文章巨
擘學術一變獨醫之學師授傳習百餘年
不諭而朋友切磋猶有古風吾於北渚子
有感也北渚子名某與余曰族其先出于
江湖云
  二ウラ
延享元年臘月
      南湖堀正修序


読み下し
隧輸通考序
北渚子は、醫にして三世なる者なり。少(わか)き自り篤く黄岐の
教えを信じ、以て講じて其の書を明らかにす。己が任と為(し)て日々に誦すること一卷。坐して思い、
思いて措かざれば必ず通ず。思うこと精、通ずること神なれば、了然として
以て窅冥昏黙の中に得る有り。乃ち旁(あまね)く古今の醫
部、秘書奥帙を搜して、淵源に津逮せ/津(わた)して淵源に逮(いた)ら/ざる罔し。自ら造詣する所、最も
深し。是(ここ)に於いて門を開き徒に授くること數十年。弟子、
毎歳百餘人を著録す。其の教督するの所以の具に其の法有り。人、
  一ウラ
其の業を成し、良師を以て之を稱す。北渚子益々勉めて述
作を懈らず。日々多く皆な錄して以て之を傳う。廼者(さきに)又た隧輸通考
若干卷を著し、序を余に請う。余曰く、善きかな。北渚子の
此の述有るや、之を掲ぐるに經方を以てし、之を載するに群説を以てし、之を斷ずるに
己が見を以てし、皂白分ち、朱紫別つ。醫家未だ了せざる公案、
是(ここ)に於いて次(つい)づ。吁(ああ)、此れ體要の書なり。其の後學を益する
や、亦た大ならずや。吾れ尚お記す、昔在(むかし)少年の時、與(とも)に諸(これ)を
老先生の道德の餘論に聞く。蓋し皆な經術を貴び、性命を明かにする
  二オモテ
の旨、實に見識有り。而る後に書を著し言を立つ。然して其の朋友の
往來、其の黨に非ずと雖も、敢えて拒まず。史を讀み文を論じ、風流敦
厚、猶お洛社の古風有り。汩汩として四十年、旧游論じて
此の風を謝し、遂に才を替う。後の徒、文を稱えて號して文章の巨
擘と稱す。學術一變し、獨り醫の學、師授傳習すること百餘年にして
諭(さと)らず。而して朋友切磋し、猶お古風有り。吾れ北渚子に
感有り。北渚子、名某、余と族と曰う。其の先は
江湖に出づと云う。
  二ウラ
延享元年臘月
      南湖堀正修序


【注釋】
○北渚子:堀元厚。名は貞忠。号は北渚。貞享三年(一六八六)~宝暦四年(一七五四)。京都山科のひと。 ○醫而三世者:『禮記』曲禮「醫不三世、不服其藥。」代々続いて由緒正しい医師の家系に生まれる。 ○黄岐:黄帝と岐伯。『素問』『霊枢』。 ○講明:解釈する。明らかに説明する。 ○己任:自分の責務、任務。 ○措:ほうっておく。置く。 ○了然:明白なさま。はっきりしたさま。 ○窅冥昏黙:「窅」は「窈」に通ず。虚無静寂。『莊子』在宥:「至道之精、窈窈冥冥。至道之極、昏昏默默」。 晋 郭象 注:「窈冥、昏默、皆了无也。」 成玄英 疏:「至道精微、心靈不測、故寄窈冥深遠、昏默玄絶。」 ○旁搜:広汎に探し求める。 ○秘書:秘密で重要な書籍。 ○奥帙:奥義の書籍。「帙」はここでは書籍のことであろう。 ○津逮:渡し場を渡って向こう岸に到達する。一定の筋道を通って到達することの比喩。 ○造詣:学業や専門技術などの到達する水準や境地。 ○教督:教導督察。
   一ウラ
○廼者:「乃者」に同じ。さきごろ。ちかごろ。 ○皂白:黒色と白色。是非、正しいことと誤りの比喩。 ○朱紫:朱は正色で、紫は間色。優劣、善悪、正邪など相対するものの比喩。 ○未了公案:いまだ解決できないでいる事案。 ○次:ならぶ。 ○體要:切実にして簡要。 ○經術:天下を治める術。経書を主たる研究対象とする学術。 ○性命:生命。
  二オモテ
○風流:態度。品格。 ○敦厚:寬宏厚道。 ○洛社:宋の欧陽修などが洛陽で組織した詩の結社、洛陽耆英会のこと。あるいは、京都にあった結社のことか、未詳。 ○汩汩:構想が続々と途切れない、滔滔として絶えないさま。盛んなさま。 ○旧游:舊遊。昔から交際している友人。 ○巨擘:親指。傑出した人物の比喩。 ○族:親族。 ○先:祖先。 ○江湖:隱士の居るところ。また民間。
  二ウラ
○延享元年:一七四四年。 ○臘月:陰暦12月の異称。 ○南湖堀正修:まさなが。一六八四~一七五三。堀正意(杏庵)の子孫。杏庵-立庵(正英)-玄達(蘭阜)-正修(南湖)。家は正超(君燕、景山、曠懐堂)が継ぐ。(『京都の医学史』386頁、資料篇など)


自叙
吾友甫山一日謂予曰經輸之於人也大
矣湯液之報使針砭之迎隨灸焫之補瀉一
取法於此爲醫不究之則擿埴冥行不致
顚躓者未之有也歴代説者徃徃因循含
糊遂無歸一之論於是共繙翻群籍切磋
屢屢三經寒暑未脱藁忽得立伯先生所
著經脉發揮者閲之趣同意合實得我心
  ウラ
之所同然者也亦足以爲基址矣唯勉博
考未有折衷爲可憾而已遂輯衆説斷以
臆見名曰隧輸通考僭踰雖無所遁或爲
初學之楷梯亦未可知也謾叙其説敢證
於暗合冥投不蹈襲勦説立伯先生云爾
延享甲子孟秋北渚堀元厚序于京洛烏
巷對井居
 男元昌貞明謹寫

読み下し
自叙
吾が友甫山、一日予に謂て曰く、經輸の人に於けるや大なり。
湯液の報使、針砭の迎隨、灸焫の補瀉は、一に
法を此に取る。醫と爲りて之を究めざれば、則ち擿埴冥行して、
顚躓を致さざる者未だ之れ有らざるなり。歴代の説く者は、往往にして因循含
糊し、遂に一に歸するの論無し。是(ここ)に於いて共に群籍を繙翻し、切磋すること
屢屢にして、三たび寒暑を經て、未だ藁を脱せず。忽ち立伯先生
著す所の經脉發揮なる者を得たり。之を閲すれば趣同じく意合し、實に我が心
  ウラ
の同じく然る所の者を得るなり。亦た以て基址と爲すに足れり。唯だ勉めて博く
考うれば、未だ折衷有らず。憾む可しと爲すのみ。遂に衆説を輯めて斷ずるに
臆見を以し、名づけて隧輸通考と曰う。僭踰ながら、遁(かく)るる所無しと雖も、或いは
初學の楷梯と爲すも、亦た未だ知る可からざるなり。謾(みだ)りに其の説を叙(の)べ、敢て證
す。暗合冥投に於いて、立伯先生を蹈襲勦説せずと云爾(しかいう)。
延享甲子孟秋、北渚堀元厚、京洛烏
巷對井居に序す


  【注釋】
○甫山: ○經輸:ここではいわゆるツボ。 ○湯液之報使:引經報使。ある種の薬物が他の薬物の力を病変部や、ある經脈に導く作用。 ○針砭之迎隨:針先を経脈の流れに逆らう方向(迎)へ刺すことと、流れに沿う方向(隨)へ刺すこと。 ○灸焫之補瀉:元気をおぎなうことと邪気を除くこと。 ○擿埴冥行:夜、道を歩くときに杖で地面を確かめる。学問研究をする時、その手順を知らず、暗中模索することの比喩。/擿:もとめる。さぐる。/埴:土地。 ○顚躓:ころぶ。つまづく。 ○因循:古くからの習わしに従って改めないこと。 ○含糊:言葉がはっきりしない。物事が徹底されず、あやふやなさま。 ○繙翻:書物を読む。書物をひもとく。頁をめくる。 ○群:多数の。 ○切磋:骨角玉石などを切り磨いて器物を作る。互いに比較し研究討論することの比喩。 ○屢屢:常。 ○三經寒暑:三年経った。/寒暑冬と夏のふたつの季節。歳月。 ○脱藁:脱稿。原稿を完成する。 ○立伯先生:饗庭東庵。元和7(1621)~延宝1(1673)。江戸前期の医学者。立伯(りゅうはく)と称した。京都の人。曲直瀬玄朔の門人。のち幕府医官として仕えた林(玄伯)家の祖・林市之進(敬経)と学を交え、中国医学の基本典籍『素問』『霊枢』『難経』を講究し広めた。運気学説(保健・医療暦学)にはとりわけ造詣が深かった。編著書に『重校補註素問玄機原病式』『黄帝秘伝経脈発揮』『素問標註諸言草稿』『医学授幼鈔』がある。その学派は後世別派あるいは素霊派と称され、門派からは味岡三伯、浅井周伯、井原道閲、小野朔庵、岡本一抱、堀杏庵らの優秀な学医が輩出、江戸中期の医学の担い手となった。『朝日日本歴史人物事典』(小曾戸洋)。 ○經脉發揮:『(黄帝秘伝)経脈発揮』。7卷。一六六〇年ごろ初版。万治(1658~60)頃の木活字を用いた印本があり、中国では『北京大学図書館蔵善本医書』(1987)、日本では『臨床針灸古典全書』(1990)に影印収録されている。さらに万治木活字版に返り点・送り仮名を付して覆刻(かぶせぼり)した寛文8(1668)年の整版本もある。『日本漢方典籍辞典』 
  ウラ
○心之所同然者也:『孟子』告子上:「心之所同然者何也。謂理也、義也。」 ○基址:建築物の基礎。事物の根本。 ○折衷:太過と不及を調和させて、理に合うようにさせる。 ○憾:心中に満足できない感覚。 ○臆見:個人の主観的な見解。 ○僭踰:「僭越」に同じ。〔言動が〕自分の身分や力をわきまえず、出過ぎていること。謙遜語。 ○遁:のがれる。かくれる。さける。あざむく。 ○楷梯:「階梯」に同じ。階段。転じて、学問や芸術を学ぶ初めの段階。初歩。入門。手引。 ○謾:「漫」に通ず。軽率に。そぞろに。 ○暗合:思いがけなく一致すること。偶然の一致。 ○冥:期せずして一致する。 ○投:気持ちが合う。投合する。 ○蹈襲:前の人のやり方などをそのまま受け継いで行う。 ○勦説:他人の説を剽窃して自己の説のごとくする。 ○云爾:語末助詞。のみ。 ○延享甲子:延享元年。一七四四年。 ○孟秋:旧暦七月。 ○北渚堀元厚:(1686~1754)。元厚は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしょ)。味岡三伯(あじおかさんぱく)・小川朔庵(おがわさくあん)に学び、医名を馳せた。『臨床針灸古典全書』に影印収録されている。ほかに『灸焫要覧(きゅうぜつようらん)』享保9(1724)年刊、『医学須知(いがくすち)』(1750刊)、『医案啓蒙(いあんけいもう)』(刊本)をはじめ多くの著書があり、とりわけ日本針灸学の形成に寄与した。子の元昌(げんしょう)もその学を継いだ。『日本漢方典籍辞典』/墓、誓願寺(中京区新京極桜ノ町にある浄土宗西山深草派の総本山) ○京洛:京都。 ○烏巷對井居:烏丸にあったか。


隧輸通考跋  11
病其人之急乎攻而達之而操藥以修焉
者是古之道也盖人之經窬血脉摩頂放
踵靡弗處而在焉是以灼知其肯綮而後
始可以攻而達之也已自非攻而達之乃
藥亦何所見其瞑眩之效哉亦唯攻之與
達與藥三者相須而十全之功斯可復許
乎至後世乃以攻與達為粗而少效唯藥
  一ウラ  12
之爲上焉特坐其不哳于經窬血脉也周
時訖六國黄帝隂陽之書世多有焉類皆
依託黄帝以神其道者爾班史之言固是
徴也夫醫盖出於隂陽家其書原人經窬
血脉隂陽表裏以起百病死生之本而度
鍼艾藥餌之所施其論盡精微故術亦十
全周官置師其有所試於是乎其際緩和
越人相踵輩出非後世所能及也迨漢興
  二オモテ  13
大收編籍而劉向李柱國與校方技醫經
亦往往乎出漢志之載可以概見今所見
存黄帝内經乃古之遺已世或高明自喜
者自以方技惡其居下流遂廢古醫經而
擯隂陽之説縁飾儒術以重其言雖論隲
若以美然如其技術晻昧何北渚屈君以
醫學教授於洛顓門有赫赫名方來生徒
横經游從戸外屨不許其幾両君編讀古
  二ウラ  14
醫經其經窬血脉隂陽表裏固未甞不詳
究其説而前脩論辨亦彼善於此則有之
故檻于彼而別于此揚搉有茲輯録成冊
題曰隧輸通考顧君稽古之力其厪至矣
頃屬需余一言余雖素闇醫理而以君與
余雅游且同族誼不可峻拒故略道其後
世鮮能知經窬輙妄攻而達之所以與古
舛馳不能攻十全者云爾
  三オモテ  15
延享乙丑春三月平安屈正超撰


読み下し
隧輸通考跋  11
病は其れ人の急か。攻めて之を達し、而して藥を操って以て焉(これ)を修むる
者は、是れ古の道なり。蓋し人の經窬血脉は、頂を摩(す)りて
踵に放(いた)るまで處として在らざるは靡し。是(ここ)を以て灼として其の肯綮を知り、而る後に
始めて以て攻めて之を達す可きのみ。攻めて之を達するに非ざる自りは、乃ち
藥も亦た何れの所に其の瞑眩の效を見るや。亦た唯だ之を攻むると
達と藥との三者は、相い須(もと)めて十全の功あり。斯れ復た許す可けん
や。後世に至って乃ち攻と達とを以て粗にして效少しと為し、唯だ之に藥するをのみ
  一ウラ  12
上と爲す。特(た)だに坐(ようや)く其れ經窬血脉に晰(あき)らかならざるのみなり。周
の時、六國訖(ま)で黄帝陰陽の書、世に多く有り。類皆な
黄帝に依託し、以て其の道を神とする者のみ。班史の言、固(もと)より是の
徴なり。夫れ醫は蓋し隂陽家に出づ。其の書、人の經窬
血脉隂陽表裏を原(たず)ね、以て百病死生の本を起こして
鍼艾藥餌の施す所を度す。其の論、精微を盡くす。故に術も亦た十
全なり。周官、師を置く。其れ試る所有り。是(ここ)に於いて其の際、緩、和、
越人相い踵して輩出す。後世の能く及ぶ所に非ざるなり。漢興るに迨(およ)び、
  二オモテ  13
大いに收めて籍を編す。劉向、李柱國與(とも)に方技の醫經を校す。
亦た往往乎として漢志の載に出で、以て概見す可し。今ま見る所、
黄帝内經存するは、乃ち古(いにしえ)の遺のみ。世或いは高明にして自ら喜ぶ
者は、自ら方技の其の下流に居るを惡むを以て、遂に古醫經を廢して、
陰陽の説を擯(しりぞ)け、儒術に縁飾して、以て其の言を重んず。論隲(さだ)まりて
以て美なるが若しと雖も、然れども其の技術晻昧なるが如し。何ぞ北渚屈君、
醫學を以て、洛に教授し、顓門として赫赫たる名有らん。方來、生徒
經を横たえ戸外に游從し、屨(ふ)んで其れ幾(ほとん)ど兩を許さず、君、古
  二ウラ  14
醫經を編讀し、其の經窬、血脉、陰陽、表裏、固(もと)より未だ嘗て詳しく
其の説を究めずんばあらず。而して前脩の論辨も亦た彼、此れより善ければ、則ち之れ有り、
故に彼を檻して此れに別かち、揚搉して茲に有り。輯録して冊を成す。
題して曰く、隧輸通考と。顧るに君が稽古の力、其れ厪(つと)めて至れり。
頃おい屬して余に一言を需(もと)む。余は素より醫理に闇しと雖も、而して君と
余とは、雅(つね)に游び、且つ同族なるを以て、誼として峻拒す可からず。故に略(ほ)ぼ其の後
世に能く經窬を知ること鮮く、輙ち妄りに攻めて之に達し、古と
舛馳して十全を攻(おさ)むる能わざる所以の者を道(い)う云爾(のみ)。
  三オモテ  15
延享乙丑春三月、平安屈正超撰す


  【注釋】
○急:危急の事。 ○攻而達之:『春秋左氏傳』成公十年傳「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之……醫至曰:疾不可為也、在肓之上膏之下、攻之不可、達之不及、藥不至焉、不可為也」。注「緩、醫名。為猶治也。達、針」。宋・林堯叟『音註全文春秋括例始末左傳句讀直解』「攻、熨灸也、言不可以火攻。達、針也、言不可以針達。至於用意藥、又不至焉。言疾不可治也」。 ○經窬:「經穴」に同じ。 ○摩頂放踵:頭頂部から踵まで全身。また、全身傷だらけになる。身を捨てて世を救うのに、労苦を厭わないことの比喩。『孟子』盡心上:「墨子兼愛、摩頂放踵、利天下為之。」 ○灼:明白に。はっきりと。 ○肯綮:骨と筋肉の結合部位。物事の重要なところ。 ○也已:確定や肯定の気持ちを強く表す。 ○自非:もし~でなければ。 ○瞑眩:服薬後に生ずる眩暈。『書經』説命:「若藥弗瞑眩、厥疾弗瘳(若し藥、瞑眩せざれば、厥の疾瘳ず)。」 ○相須:相互に依存して。互いに配合して。 ○十全:完全無欠。十人を治療して十人が治癒する。 ○可復許乎:『孟子』公孫丑章句上:「夫子當路於齊、管仲晏子之功、可復許乎(先生がこの斉で政治を取られれば、あの管仲・晏嬰にも匹敵する功績をなされるということですか?)」。許:期待する。あてにする。 
  一ウラ  12
○坐:ヨウヤク(次第に)。イナガラニシテ(じっとしたまま。労せず)。ソゾロニ(わけもなく)。ムナシク(訳もなく)。 ○哳:啁哳。繁く砕ける音の形容。/「晰」字の誤りとしておく。 ○周:王朝名。周朝。 ○訖:「迄」に通ず。 ○六國:戦国時代、函谷関より東にある楚、齊、燕、韓、趙、魏の六大国。 ○黄帝隂陽之書:『漢書』卷三十 藝文志第十「黃帝陰陽二十五卷。黃帝諸子論陰陽二十五卷。」その他、「黄帝」「陰陽」を書名に冠するもの多し。 ○班史:班固(『漢書』)と司馬遷(『史記』)。 ○隂陽家:『漢書』芸文志が九流の一つとする戦国時代に陰陽五行説を提唱した一学派。鄒衍を代表的人物とする。 ○原人經窬血脉隂陽表裏以起百病死生之本而度鍼艾藥餌之所施:『漢書』卷三十 藝文志第十「醫經者、原人血脈經落骨髓陰陽表裏、以起百病之本、死生之分、而用度箴石湯火所施、調百藥齊和之所宜」。 ○周官:「周禮」。『周禮』卷一 天官冢宰「醫師上士二人、下士四人、府二人、史二人、徒二十人」。卷五「醫師掌醫之政令、聚毒藥以共醫事」。 ○緩:『春秋左傳』成公十年を参照。 ○和:『春秋左傳』昭公元年を参照。 ○越人:秦越人。扁鵲。 ○相踵:継続して。次々に。 ○輩出:連続して出現する。 
  二オモテ  13
○劉向:(西元前77~前6)字子政、本名更生、漢の沛県の人。高祖弟、楚元王劉交の第四代孫。成帝の時、改名して向という。光祿大夫に任ぜられ、經傳諸子詩賦などの書籍を校閲し、『別録』を撰す。最も早い分類目録である。 ○李柱國:漢代の医家。成帝の時、御医に任ぜられ、医経、経方の校訂に参与した。 ○方技醫經:『漢書』芸文志を参照。 ○縁飾:修飾する。 ○晻昧:暗い。 ○屈君:「屈」は「堀」の修姓(中国風称呼)。 ○洛:京都。 ○顓門:学術や技能に秀でること。専門。 ○赫赫:顕著なさま。 ○方來:近来。 ○横經:経籍を横にならべる。業を受ける。学習する。 ○游從:相従ってともに遊ぶ。交遊する。先輩と互いに行き来する。 ○屨不許其幾両:実践して匹敵するものがほとんどない、ということか?
  二ウラ  14
○前脩:前修。前代の徳を修めた賢士。 ○檻:おりに閉じ込める。 ○揚搉:大要をあげる。要約して論述する。 ○稽古之力:古いことを研究して得られる優れたところ。 ○厪:「廑」の俗字。「勤」に通ず。 ○頃:近ごろ。 ○屬:「囑」に同じ。 ○雅游:つねに交際往来する。 ○誼:よしみ。 ○舛馳:道に背いてはせる。 ○攻:治療する。
  三オモテ  15
○延享乙丑:延享二年(一七四四)。 ○平安:京都。 ○屈正超:堀正超(一六八八~一七五七)。字は君燕、号は景山、家号は曠懐堂。俗称は禎助。安芸浅野氏の儒官で、後世派の医家。京都姉小路室町に住む。

2010年11月20日土曜日

6-6 宮門流針書

6-6宮門流針書
   武田科学振興財団杏雨書屋所蔵『宮門流針書』(乾3721)
   オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』6所収
 読みやすさを考慮し,読点を付けた。一部の文字の読みに疑念あり。◆は判読できず。()内は意味をはっきりさせるための補足。神文は起請文の意。

 宮門流針書
神文之事
一今度拙者義、御流儀針治法懇望ニ付、御傳法御願申上候處、
 御傳法被成下、難有仕合ニ奉存候
一御傳法之秘事、たとひ親子兄弟たり共、猥りニ語り申間敷候
一御傳法之後者、親兄弟親類之跡を堅ク相守り、忠孝
 第一ニ可仕候事
一御傳法之後、儀を堅く相守可申事、若不儀成事出來仕
 候ハヽ、何時ニ而も御破門被成候而も、少シも恨申間敷候事
一他流之批判、堅く仕間敷候、尚又自慢仕間敷候事
一平生行儀正く、言葉遣正きれいに、慇懃ニ仕候、諸人
  一ウラ
 様方ニ謙り、親子兄弟妻子ハ勿論、諸人むつましく
 可仕候事
一針治之節ハ、平生心安き人たり共、少シもたハむれ言
 葉心安立、并新請仕間敷候、尤貧賤之人、女子婦人
 ニ對し、戲言申間敷候、勿論行義正敷可仕候事、平生たし
 なミ申事也
一貧賤之人を大切ニいたし、何時ニ限らす、療治いたし
 可遣事
一治術之義、日々修行仕候而、達道之御人ニと(問)ひ奉り
 出情(精)可仕候事
一子下ケ針仕間敷候事
  二オモテ
一師家之掟、堅可相守候事
一針治之節ハ、別而行義を正しく可仕候、勿論行義
 不正してハ、針治不出、且又師家之掟ニ相叶不申候
 平生立居ニ而も、針治之節◆◆如く正敷坐◆ぬ
 申也、針治不限、諸藝術皆々如此ニ候、行義不
 正人にハ、秘針傳受、堅く無用たるべし、尚又十四
 經覺不申候也
同日
 右之條々於相背者、日本大小神祇可蒙
 御罪者也、仍而神文如件

2010年11月19日金曜日

6-5 鍼論

6-5鍼論
   京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『鍼論』(シ・645)
   オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』6所収
    「丹」の判読に疑念あり。

鍼論叙
葛希夷鍼論新成問叙於余謝
不敏不可廼受而卒業其意盖
本於傷寒論是古人所未甞發
也嗟乎新奇如是非希夷不能
焉今讀此編則千古鍼法皆廢
  ウラ
矣仲尼曰後世可畏也余於此
舉亦云
文久二年壬戌夏五月
    黙菴埜寧國題


  読み下し
鍼論叙
葛希夷の鍼論、新たに成る。叙を余に問う。
不敏を謝す。廼ち受けて業を卒う可からず。其の意は蓋し
傷寒論に本づく。是れ古人、未だ嘗て發せざるなり。
嗟乎(ああ)、新奇、是(かく)の如し。希夷に非ざれば、能くせず。
今ま此の編を讀めば、則ち千古の鍼法皆な廢せん。
  ウラ
仲尼曰く、後世、畏る可し、と。余、此に
舉げて亦た云う。
文久二年壬戌夏五月
    黙菴埜寧國題す

 【注釋】
○葛希夷:本書『鍼論』の著者。葛西清。字は希夷。号は省齋。讃岐藩のひと。 ○謝不敏:謙遜の辞。能力が足りないためことわる。 ○不能焉:「不能爲」として読んだ。 
  ウラ
○仲尼曰:『論語』子罕に見える。「子曰、後生可畏、焉知來者之不如今也。」 ○文久二年壬戌:一八六二年。 ○黙菴埜寧國:未詳。


鍼論叙(二)
友人葛西希夷據傷寒論推明先刺之
義以立言題曰鍼論有客謂予曰傷
寒論特舉輕證而不及其重證於鍼
法為一端恐不足據焉今乃主張而敷
衍之要亦一家私言耳予曰不然凡
言約而旨遠者聖言也舉一而反三
者聖教也傷寒論之言至簡而其
義則有餘矣固宜權輕及重自淺
徂深而針法之要盡于此矣此傷寒
  ウラ   274
論之書所以爲聖經也夫立言之道
譬如構屋苟取之目巧而不依繩墨
則丹矱雖煥乎亦虞慶之屋已今
希夷所論要皆自繩墨中來豈得
謂之一家私言乎客嘿々而去予以告
希々夷々笑曰請以此為叙
文久二年壬戌孟夏
三溪藤川忠猷撰
  富家高幹書

読み下し
鍼論叙(二)
友人の葛西希夷、傷寒論に據り、先刺の
義を推明し、以て言を立つ。題して、鍼論と曰う。客有り、予に謂いて曰く、傷
寒論は、特だ輕證を舉げて、其の重證に及ばず。鍼
法に於いて一端を為すのみ。恐らくは據るに足らず。今ま乃ち主張して、敷
衍するの要も、亦た一家の私言のみ、と。予曰く、然らず。凡そ
言約にして旨遠き者は、聖言なり。一を舉げて三に反(かえ)る
者は聖教なり。傷寒論の言、至って簡にして其の
義は則ち有餘なり。固(もと)より宜しく輕きを權(はか)りて重きに及び、淺き自り
深きに徂(ゆ)きて、針法の要、此に盡く。此れ、傷寒
  ウラ   274
論の書、聖經爲(た)る所以なり。夫れ言を立つるの道は、
譬えば屋を構えるが如し。苟も之を目巧に取りて、繩墨に依らざれば、
則ち丹矱、煥乎と雖も、亦た虞慶の屋のみ。今
希夷論ずる所の要、皆な繩墨中自り來たる。豈に
之を一家の私言と謂うを得んや」と。客嘿々として去る。予以て
希夷に告ぐ。希夷笑って曰く、請う、此を以て叙と為せ、と。
文久二年壬戌孟夏
三溪藤川忠猷撰
  富家高幹書

【注釋】
○先刺之義:『傷寒論』に「先刺風池風府、却与桂枝湯則愈」とある。本文「鍼解其結、以導藥力而已矣、將投之駿劑也、必先詳其疾病之所在、而按之鍼之、以緩其結、以折其勢、令藥力不窒碍、則自無反煩之患」。 ○立言:精闢で伝えるべき学説言論を樹立する。 ○私言:個人の見解。 ○舉一而反三:一つの隅を示してやれば残り三つの隅は類推して理解する。理解力の優れていること。『論語』述而「擧一隅、不以三隅反、則不復也」。
  ウラ   274
○構屋:家屋を建てる。 ○目巧:目測の技巧。『禮記』仲尼燕居「目巧之室、則有奧阼」。 陳澔集説:「目巧、謂不用規矩繩墨、但據目力相視之巧也」。 ○繩墨:直線を得るための工具。 ○丹:赤い?。誤読しているか? ○矱:尺度、標準。 ○煥乎:明るく輝くさま。 ○虞慶之屋:『韓非子』外儲説左に見える。大工をことばで負かして自分の思いどおりに建物を建てさせたが、結局しばらくして建物は壊れた。 ○嘿々:「黙黙」に同じ。(納得できないが)黙って。 ○孟夏:旧暦四月。 ○三溪藤川忠猷:1817*‐1889。幕末-明治時代の医師、水産開発者。文化13年11月24日生まれ。讃岐(さぬき)高松藩士。父藤川南凱(なんがい)に医を、長崎で高島秋帆(しゅうはん)に西洋砲術をまなび、帰藩して竜虎隊を組織した。維新後は捕鯨のために開洋社を設立、また東京に大日本水産学校、大阪に大阪水産学校を創立するなど、水産事業につくした。明治22年10月22 日死去。74歳。名は忠猷。字 は伯孝。通称は求馬、能登、将監。著作に「捕鯨図識」など。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus) ○富家高幹:未詳。書家であろう。


(序)
不知要者流散罔窮素靈
二書雖貴乎多缺漏多補増
至尋其旨則河漢無際其要不
可得而求其葛西省齋世以鍼
術顯其術一以傷寒論為貿的
ウラ
唯求要是醫因有鍼論之著余
讀而號之夫刺鍼不求之於素
靈者乃亦深於素靈之旨者耶
雲齋曾本璋撰
  甘原宮延年書


読み下し
(序)
要を知らざる者は、流散して窮り罔し。素靈
二書、貴しと雖も、缺漏多く補増多し。
其の旨を尋ぬるに至っては、則ち河漢、際無きがごとく、其の要
得て求む可からず。其れ葛西省齋は、世に鍼
術を以て其の術を顯す。一に傷寒論を以て質的と為し、
  ウラ
唯だ要を是の醫に求む。因りて鍼論の著有り。余
讀みて之を號(さけ)ぶ。夫れ鍼を刺すに、之を素
靈に求めざる者は、乃ち亦た素靈の旨より深き者か。
雲齋曾本璋撰
  甘原宮延年書

 【注釋】
○不知要者流散罔窮:『霊枢』九針十二原「不知其要、流散無窮」。 ○素靈:『素問』『霊枢』。 ○河漢無際:河漢無極に同じ。河漢は銀河。銀河は広く果てしない。広大すぎて、答えにこまることの比喩。『莊子』逍遙遊:「吾聞言於接輿、大而無當、往而不返、吾驚怖其言、猶河漢無極」。 ○顯:輝かす。名望がある。 ○傷寒論:後漢の張仲景撰。 ○質的:まと。標的。
  ウラ
○夫刺鍼不求之於素靈者乃亦深於素靈之旨者耶:本文「日庸兪穴録」に「余用鍼灸也、一以傷寒論為根據……不必拘々乎素靈所稱述之經絡分數者」とある。 ○雲齋曾本璋:未詳。 ○甘原宮延年:未詳。書家か。


鍼灸名家者世不乏其人所著之
書殆乎可拄屋要皆素靈一派而
已耳葛西省齋氏之論則異於是
葢本諸傷寒論曰先刺曰當灸之
此二語也擴而充之則鍼灸之道
至矣盡矣抑自非通曉傷寒論者
  ウラ
未易與眀也嗚呼我 邦鍼灸家
首唱古醫方者其唯省齋氏乎此
編一出足以洗拭世醫之耳目其
功誠偉矣是為跋
松堂三井篤伯敬撰
原政寛書

読み下し
鍼灸の名家は、世に乏しからず。其の人の著す所の
書は殆ど屋を拄(ささ)うる可し。要するに皆な素靈一派のみ。
葛西省齋氏の論は則ち是れに異れり。
蓋し諸(これ)を傷寒論に本づく。先づ刺すと曰い、當に之を灸すべしと曰う。
此の二語や、擴して之を充す。則ち鍼灸の道、
至れり、盡くせり。抑(そも)そも傷寒論に通曉する者に非ざる自りは、
  ウラ
未だ與(とも)に明むること易からざるなり。嗚呼、我が邦の鍼灸家、
古醫方を首唱する者は、其れ唯だ省齋氏のみか。此の
編、一たび出づれば、以て世醫の耳目を洗拭するに足る。其の
功、誠に偉なり。是を跋と為す。
松堂三井篤伯敬撰
原政寛書
 【注釋】
○拄屋:おそらく「充棟」と同じで、書籍の量が多いことであろう。 ○曰先刺:『傷寒論』に「先刺風池風府、却与桂枝湯則愈」とある。 ○曰當灸之:「其背惡寒者、當灸之」「反少者、當温其上灸之」とある。 ○自非:もし~でなければ。 
  ウラ
○與:かりに「ともに」と読んでおく。 ○眀:「明」の異体字。 ○首唱:一番先に提唱する。 ○洗拭:洗って拭く。 ○松堂三井篤伯敬:未詳。 ○原政寛:未詳。

2010年11月17日水曜日

6-3 一灸万全

6-3一灸万全
武田科学振興財団杏雨書屋所蔵(乾3633)
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』6所収
 句点をうつ。破損のため読めない字を●であらわす〔おそらく「つ」であろう〕。一部の読みに自信なし。繰り返し記号(「く」を伸ばしたもの)は、「々」にかえた。合字の「コト」は「こと」とした。一部、カタカナでフリガナをつけた。

上一灸萬全并衞生覽要表
草莽の臣松本元泰、誠恐誠惶謹言、臣往年
太守公の浪華を過て始て入國し給ふとき、臣
等故國の   君公にしあれは、山妻とともに
難波橋の傍に伏て、其儀衞の齋整なる
  一ウラ
を縱觀する事を得たり、且   公の神武
ならせ給ふを仰き奉り、心中の驚喜かきりなし、
歸家の路すがら、山妻謂臣曰、「妾、今日かたしけ
なくも   君公を拝し奉り、竊に謂らく、
公上幼年にいますといへども、威德自から外にあら
  二オモテ  87
はるヽ事、賤妻等が申もなか々恐れあり、是れ
則ち闔國の大幸、ひとり賤妻等の幸ひのミに
あらず、但その無病にして、長壽ならせ給はんことを
祈るのミ、妾甞聞、漢土の神仙ハ不老不死の藥を
製すと、其遺方、今尚傳へなきにもあるべからず、良
  二ウラ
人幸に醫を業とす、請、その藥を探索して、今
の  公へ奉らば、無病長壽ならせ給ふこと疑なし」
と、臣曰、「汝、なんぞ言の愚なる、凡そ王侯貴人ハ、万一不
豫ならせ給ふなどのときは、則ち藩中に典藥の
宦あり、又其及ばさる所ある時は、普く諸方良醫を
  三オモテ  89
延請し、衆議を盡して、之を治し給ふ、豈草莽の
者の間然すべきことあらんや、且また不老不死の藥
の如も、其真にこれありと云にはあらず、秦の始皇、
漢の武帝に觀て見べし、假令これあるも、何そ臣輩
のあづかりしる所ならんや」と、嚴くこれを諭せし
  三ウラ
が、山妻曰、「しからば養生の訓を綴りて、これを奉らば、
いかん、妾又竊に聞、凡王侯貴人ハ、平生四體を勤め
玉わずして、或酒味色に過度し給ふもの多し、是
を以て、多く疾病を生し給ふことありと、疾病生れ
バ、いかに禀賦強健なりといへども、天壽を全ふする
  四オモテ  91
ことかたし、又貝原先生遺訓とて、『人の命ハ我にあり、
天にあらずと、老子いへり、人の命はもとより、天にうけ
て、生れ付たれども、養生よくすれば長し、養生
せされば短かし、長命ならんも短命ならんも、
我か心のまヽなり、身つよく長命に生れ付たる人
  四ウラ
も養生の術なかれは、早世す、虚弱にて短命な
るべきと見ゆる人も、保養よくすれば、命長し、是
皆人のしはざなれば、天にあらず、といへり、もし
すくれて、天然ミちかく生れ付たること、顔子などの
ごとくなる人にあらずば、己か養のちからによりて、長
  五オモテ  93
生するは理なり、たとへば火をうつミて、爐中
に蓄へば、久しくきえず、風吹所にあらはしおけ
ば、たちまちきゆ、蜜橘をあらはにおけば、とし
の内をもたもたず、もしふかく藏し、よく蓄へば、
夏までたもつが如し』となり、此に由て之を
  五ウラ
考ふれば、人よく常に養生をよくせば、必天
壽をたもたずといふことなし、良人、今其養生
訓を綴り、奉らは  公の壽康ならせ給わ
んこと疑なからん、はや々綴り奉るべし」と、臣曰、「汝が
寸心取へきに似たれども、汝か淺計、却て笑に堪た
  六オモテ
り、いかんとなれば  公の左右には、明臣良佐、常
に濟々たれば、豈秋毫の盡さざることあらんや、其
養生訓の如きも、古今先哲、既に盡せり、豈更に我
輩の贅することあらんや、汝且(シバラク)聒することなかれ、
我亦聽に堪へず」と、嚴しく之を呵責せしに、猶勤
  六ウラ
ば、獨語して曰、「妾をして醫をしらしめば、必良術
のなきにしもあるべからず」と、日夜に垂首して舎(ヤマ)ず
臣よつて一日按るに、臣が弱冠の頃、後藤某なる者、我
に不老不死の灸法を授しことあり、臣、原來これ
を實地に試るに、其効赫々たり、因て此一灸萬全の
  七オモテ  97
書を編ミ、捧げ奉らばやと、其一二をかたりければ、
山妻大悦し、「しかる良術のあるを何そ、妾がすヽめを
まち給ふや、急々其書を捧け奉るべし、然るに
公君、其灸効をたのミ給ふて、萬一また養生に
怠り給ふことあらば、譬は右に玉を執て、左りに是
  七ウラ
を捨給ふがごとし、亦何の裨益し給ふことかあらん、
良人、前にいふ、  公に明臣良佐濟々たれは、秋
毫の盡ざるなしと、しかれども妾按るに、凡君臣の
間、必恐れ憚の意あらん、是を以て瑣々たる末節
までは一々勝(アゲ)て諫べからず、しかる時ハ、所謂積で
  八オモテ  99
大を成もはかりがたし、養生訓の如きも、先哲既に
盡せりといへども、卷帙洪大  公、豈これを
逐一閲し給ふの暇あらんや、今良人就中(なかんずく)、尤卓見
なる者をゑらみ、繕修補綴して、以て一本に約し、
是をして一覽了然たらしめば、はやく其意を解釋
  八ウラ
し給ひ、自ら厚く守り給はん」と、臣謂へらく、「山妻が言、
其理なきにしもあらず、殊に養生は、酒味色を以て
切務とすれば、其行ひ專ら其人にありて、傍人
の毎事に制すべきにあらず、況や君臣の間に於
をや、しからば、別に其書を編輯するも、亦一補
  九オモテ  101
あらん」、こヽにおひて畧衆説を徧閲せしに、特貝原
益軒氏、及ひ香月牛山氏等の養生を盡せり、
臣、因て今兩家のゑらむ所に就て、其實地に徴し、益
ある説のミを捃摭し、且諸家の傑説、及ひ臣が愚
按などを附て、一本となし、題して衞生覽要と名
九ウラ
●く、遂に淨書して  公へ奉らんと欲す、伏て
冀は清間を以て、左右の明臣良醫に議せしめ、
或之を行ひ給はヽ(゛)、萬壽無疆は山嶽に等しからん、
伏冀は仁明恕察し給ひて  威尊を瀆冒
するの罪を深く咎給ふことなかれ、亦唯臣が老婆
十オモテ  103
心のミ、而てこの書、高貴へ奉るの法にあらずして、國
字を雜へ、并に傍訓を加ふる者は、普く故國の朝
野にも波及せしめ、婦女子までもよみやすからんこと
を希望すればなり、かくいふとしは、弘化二年乙巳
季夏吉旦、大坂堂嶋中街北滇堂に於て草莽
  十ウラ
の臣、松本元泰、誠恐恐惶謹白


 【注釋】
○草莽:田野。郷土に退居し、官についていない。 ○山妻:自分の妻の謙称。 ○儀衞:儀仗と衛士。 ○縱觀:思うがままに見る。 ○神武:英明にして勇武。 ○公上:君公。 ○闔國:全国。 ○不豫:貴人の病をいう。不例。 ○間然:欠点をついてあれこれと批判・非難すること。 ○四體を勤め:『論語』微子「四體不勤、五穀不分、孰為夫子(四體勤めず、五穀分たず、孰(たれ)をか夫子と為す)」。 ○禀賦:稟賦。ひとの天からさずかった資質。 ○貝原先生:1630-1714。益軒。江戸時代前期-中期の儒者、本草家、教育家。寛永7年11月14日生まれ。貝原寛斎の5男。筑前(ちくぜん)福岡藩主黒田光之につかえ、京都に遊学。寛文4年帰藩。陽明学から朱子学に転じるが、晩年には朱子学への疑問をまとめた「大疑録」もあらわす。教育、医学、本草などにも業績をのこした。正徳(しょうとく)4年8月27日死去。85歳。名は篤信。字(あざな)は子誠。通称は久兵衛。別号に損軒。著作はほかに「大和本草」「養生訓」「和俗童子訓」など。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説) ○遺訓:『養生訓』のこと。引用は卷一総論上に見える。 ○顔子:孔子の弟子、顔回。 ○寸心:心中。 ○良佐:賢い補佐。 ○濟々:陣容の盛大なるさま。 ○秋毫:秋に生え替わる鳥獣の細毛。後に微細なものの比喩。 ○聒:耳をさわがす。 ○垂首:首を垂れる。意気消沈したさま。 ○後藤:後藤艮山の系統か。 ○香月牛山:1656-1740。生年:明暦2(1656)。没年:元文5・3・16(1740・4・12) 江戸中期の医者。名は則真、字は啓益、牛山は号。貞庵、被髪翁とも号す。豊前国(福岡県)中津の人。のち筑前に移り、貝原益軒に儒学を、鶴原玄益に医学を学んだ。中津藩の医官として仕えたが、これを辞し京都に出て二条に医業を開いた。その医流は中国の金元時代の流れをくむいわゆる後世派に属し、当時の後世派医家の代表と目された。著書には『老人必要養草』『薬籠本草』『婦人寿草』『巻懐食鏡』などがある。生涯独身で子がなく、甥の則貫を養嗣としたが、則貫は牛山に先だって没したため、門人の則道を養嗣とし、香月家を継がせた。 (平野満) 朝日日本歴史人物事典。/『小児必用養育草』を著す。 ○弘化二年乙巳:1845年。 ○老婆心:〔仏語。年とった女性が必要以上に気を遣うことから〕自分の心遣いを、度を越しているかもしれないが、とへりくだっていう語。 ○季夏:旧暦六月。 ○松本元泰:1790-1883。江戸後期-明治時代の医師。寛政2年生まれ。大坂にでて医学を、さらに頼山陽(らい-さんよう)の門で漢学を、長崎で西洋医学をまなび、大坂堂島で開業。嘉永(かえい)3年郷里の伯耆(ほうき)(鳥取県)米子にかえり、牛種痘の普及につとめた。明治16年死去。94歳。著作に「一灸万全」、編著に「衛生覧要」。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)