2010年11月30日火曜日

淂 徑

○淂:「得」の異体字。
○經:「徑」にも見えるが、文意から「經」とした。

下の『11-2 刺絡編』の【注釋】に触発されての話題だけれど、言いたいことは全然別なので、新たに項目をたてます。

得の彳は、仁和寺本『太素』でも、氵とそっくりなんです。氵には見えるけれど、第三筆を上から下へと書いていたみたいなんです。だから、これは彳であって、書き癖に過ぎないとして、ただちに「得」と解してもいいのではなかろうか。もっとも江戸時代の書物には、しっかりと「淂」の形に彫っているのも多いんです。『文語解』なんかもそうです。となると、やっぱり別の字形が成立していたと、考えるべきなのか。でも、そうすると異体字というより、誤字では……。でも、もとは誤字であっても……、と、まあ煮え切らないこと、です。
經の糸も、仁和寺本『太素』では、略して纟のように書かれることが多いんです。現代中国の簡体字みたいですね。さらに乡のように見えることもある。そうすると、彳と乡もそっくりでしょう。だからこれは「徑」にも見えるそうだけれど、書いた本人は「經」のつもりじゃないかと思います。

2 件のコメント:

  1. 淂は,字書で引くと,「水也」とあり,誤字のように思われます。
    http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE6ZdicB7Zdic82.htm
    しかし,復も,江戸時代,𣸪とも書かれました。これも氵です。
    これは,隷書・篆書などをみると,「行人偏」は「氵」に似ていることによるのが原因のようです。
    それで,序文のような場所では,教養があることを示すためか,意図的に行人偏を氵とする文字を使うようです。あくまでも,意図的に。

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  2. ◆◆に見える方は,Internet Explorerをご利用ください。

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