2010年11月30日火曜日

でもセンセイ

先日、久しぶりに日曜講座を聴講させてもらいました。
みなさん、随分とお行儀がいいんですね。
あとから聞いたら、首を傾げるようなことも、無いことも無いけれど、講座の進行を妨げるから控えている、ことも有るそうです。はあ、そうですか。
むかし、原塾のはじめのころ、聴講生の中に何人かは、しょっちゅう「でもセンセイ」というのがいました。島田先生や井上先生の講座ではとくにそうでしたね。なかでも、井上先生の講座が終わった後の酒席では、わたしが、そもそも疑問をうまく表現できずに、もどかしく「ダカラア」というのに、先生からはにやにやしながら「ダケドオ」と反されていました。井上先生は、少なくともわたしには、けっこう楽しそうにみえました。今の宮川さんにだって岩井さんにだって(今回、聴講したのはお二人の講座です)、そのくらいの余裕は有ると思う。

ダカラアとダケドオに因んで、私のGmailアドレスは、だから"雖然如此"(そうはいっても)です。

だからといって、わたしのいなかの読書会の参加者が不作法者というわけではありません。念の為。

3 件のコメント:

  1. 原塾ではありませんが,井上先生に,湯島聖堂でそれをしたら,それじゃ,お前やれ,と言われました。

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  2. 現場にいなかったろうから,湯島での反問が,どのような気分でなされたかは分かりません。でも,結局は「それじゃ,わたしがやる」をやっているわけです。すこしは時間を要したかもしれませんが,先生の存命中に間に合ったわけです。それはそれで,先生への孝行というものだと思います。
    ちょっと話のレベルもニュアンスも違うだろうけど,先生から破門された(?)ことになっている人のことを,結局のところ最晩年には,一番の弟子として認めていた,という噂を聞いたような気がします。

    敬して遠ざける,棚上げにするというのが,先生に対してもっとも失礼な態度なのでは?

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  3. 丸山昌郎先生は,講義の途中に,聴講生が口をはさむのを禁じてみえたそうです。しょうもない発言で話の腰を折られるのは,確かに不愉快でしょう。そして,当時,丸山先生が喜ぶような発言のできる人なんて,ごくごく珍しかったでしょう。
    でも講義が終わったあととかに,機会を見つけて質問したからこそ,T氏とか,S氏とか,F氏とかが輩出したんじゃないですかね。

    私自身は,調子の良いときは調子よく応えます。悪いときには,ムッとします。実のときには怒鳴るかもしれないけど,まずもって記憶がない。大抵は虚で,意気消沈します。全く人間修行がなってませんからね。で,何にも言ってくれないと寂しい。困ったもんです。

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