2010年11月23日火曜日

9-1 隧輸通攷

9-1隧輸通攷
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『隧輸通攷』(ス・21)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』9所収

隧輸通考序
北渚子醫而三世者也自少篤信黄岐之
教以講明其書為己任日誦一卷坐而思
思而弗措必通矣思者精通者神了然有
以得乎窅冥昏黙之中矣乃旁搜古今醫
部秘書奥帙罔不津逮淵源所自造詣最   ※「所」は「取」か
深於是開門授徒者數十年矣弟子著録
毎歳百餘人其所以教督之具有其法人
  一ウラ
成其業以良師稱之北渚子益勉不懈述
作日多皆錄以傳之廼者又著隧輸通考
若干卷請序於余余曰善哉北渚子之有
此述也掲之以經方載之以群説斷之以
己見皂白分矣朱紫別矣醫家未了公案
於是次矣吁此體要之書也其益於後學
也不亦大乎吾尚記昔在少年時與聞諸
老先生道德之餘論盖皆貴經術明性命
  二オモテ
之旨有實見識而後著書立言然其朋友
往來雖非其黨不敢拒讀史論文風流敦
厚猶有洛社之古風汩汩四十年旧游論
謝此風遂替才後之徒稱文號稱文章巨
擘學術一變獨醫之學師授傳習百餘年
不諭而朋友切磋猶有古風吾於北渚子
有感也北渚子名某與余曰族其先出于
江湖云
  二ウラ
延享元年臘月
      南湖堀正修序


読み下し
隧輸通考序
北渚子は、醫にして三世なる者なり。少(わか)き自り篤く黄岐の
教えを信じ、以て講じて其の書を明らかにす。己が任と為(し)て日々に誦すること一卷。坐して思い、
思いて措かざれば必ず通ず。思うこと精、通ずること神なれば、了然として
以て窅冥昏黙の中に得る有り。乃ち旁(あまね)く古今の醫
部、秘書奥帙を搜して、淵源に津逮せ/津(わた)して淵源に逮(いた)ら/ざる罔し。自ら造詣する所、最も
深し。是(ここ)に於いて門を開き徒に授くること數十年。弟子、
毎歳百餘人を著録す。其の教督するの所以の具に其の法有り。人、
  一ウラ
其の業を成し、良師を以て之を稱す。北渚子益々勉めて述
作を懈らず。日々多く皆な錄して以て之を傳う。廼者(さきに)又た隧輸通考
若干卷を著し、序を余に請う。余曰く、善きかな。北渚子の
此の述有るや、之を掲ぐるに經方を以てし、之を載するに群説を以てし、之を斷ずるに
己が見を以てし、皂白分ち、朱紫別つ。醫家未だ了せざる公案、
是(ここ)に於いて次(つい)づ。吁(ああ)、此れ體要の書なり。其の後學を益する
や、亦た大ならずや。吾れ尚お記す、昔在(むかし)少年の時、與(とも)に諸(これ)を
老先生の道德の餘論に聞く。蓋し皆な經術を貴び、性命を明かにする
  二オモテ
の旨、實に見識有り。而る後に書を著し言を立つ。然して其の朋友の
往來、其の黨に非ずと雖も、敢えて拒まず。史を讀み文を論じ、風流敦
厚、猶お洛社の古風有り。汩汩として四十年、旧游論じて
此の風を謝し、遂に才を替う。後の徒、文を稱えて號して文章の巨
擘と稱す。學術一變し、獨り醫の學、師授傳習すること百餘年にして
諭(さと)らず。而して朋友切磋し、猶お古風有り。吾れ北渚子に
感有り。北渚子、名某、余と族と曰う。其の先は
江湖に出づと云う。
  二ウラ
延享元年臘月
      南湖堀正修序


【注釋】
○北渚子:堀元厚。名は貞忠。号は北渚。貞享三年(一六八六)~宝暦四年(一七五四)。京都山科のひと。 ○醫而三世者:『禮記』曲禮「醫不三世、不服其藥。」代々続いて由緒正しい医師の家系に生まれる。 ○黄岐:黄帝と岐伯。『素問』『霊枢』。 ○講明:解釈する。明らかに説明する。 ○己任:自分の責務、任務。 ○措:ほうっておく。置く。 ○了然:明白なさま。はっきりしたさま。 ○窅冥昏黙:「窅」は「窈」に通ず。虚無静寂。『莊子』在宥:「至道之精、窈窈冥冥。至道之極、昏昏默默」。 晋 郭象 注:「窈冥、昏默、皆了无也。」 成玄英 疏:「至道精微、心靈不測、故寄窈冥深遠、昏默玄絶。」 ○旁搜:広汎に探し求める。 ○秘書:秘密で重要な書籍。 ○奥帙:奥義の書籍。「帙」はここでは書籍のことであろう。 ○津逮:渡し場を渡って向こう岸に到達する。一定の筋道を通って到達することの比喩。 ○造詣:学業や専門技術などの到達する水準や境地。 ○教督:教導督察。
   一ウラ
○廼者:「乃者」に同じ。さきごろ。ちかごろ。 ○皂白:黒色と白色。是非、正しいことと誤りの比喩。 ○朱紫:朱は正色で、紫は間色。優劣、善悪、正邪など相対するものの比喩。 ○未了公案:いまだ解決できないでいる事案。 ○次:ならぶ。 ○體要:切実にして簡要。 ○經術:天下を治める術。経書を主たる研究対象とする学術。 ○性命:生命。
  二オモテ
○風流:態度。品格。 ○敦厚:寬宏厚道。 ○洛社:宋の欧陽修などが洛陽で組織した詩の結社、洛陽耆英会のこと。あるいは、京都にあった結社のことか、未詳。 ○汩汩:構想が続々と途切れない、滔滔として絶えないさま。盛んなさま。 ○旧游:舊遊。昔から交際している友人。 ○巨擘:親指。傑出した人物の比喩。 ○族:親族。 ○先:祖先。 ○江湖:隱士の居るところ。また民間。
  二ウラ
○延享元年:一七四四年。 ○臘月:陰暦12月の異称。 ○南湖堀正修:まさなが。一六八四~一七五三。堀正意(杏庵)の子孫。杏庵-立庵(正英)-玄達(蘭阜)-正修(南湖)。家は正超(君燕、景山、曠懐堂)が継ぐ。(『京都の医学史』386頁、資料篇など)


自叙
吾友甫山一日謂予曰經輸之於人也大
矣湯液之報使針砭之迎隨灸焫之補瀉一
取法於此爲醫不究之則擿埴冥行不致
顚躓者未之有也歴代説者徃徃因循含
糊遂無歸一之論於是共繙翻群籍切磋
屢屢三經寒暑未脱藁忽得立伯先生所
著經脉發揮者閲之趣同意合實得我心
  ウラ
之所同然者也亦足以爲基址矣唯勉博
考未有折衷爲可憾而已遂輯衆説斷以
臆見名曰隧輸通考僭踰雖無所遁或爲
初學之楷梯亦未可知也謾叙其説敢證
於暗合冥投不蹈襲勦説立伯先生云爾
延享甲子孟秋北渚堀元厚序于京洛烏
巷對井居
 男元昌貞明謹寫

読み下し
自叙
吾が友甫山、一日予に謂て曰く、經輸の人に於けるや大なり。
湯液の報使、針砭の迎隨、灸焫の補瀉は、一に
法を此に取る。醫と爲りて之を究めざれば、則ち擿埴冥行して、
顚躓を致さざる者未だ之れ有らざるなり。歴代の説く者は、往往にして因循含
糊し、遂に一に歸するの論無し。是(ここ)に於いて共に群籍を繙翻し、切磋すること
屢屢にして、三たび寒暑を經て、未だ藁を脱せず。忽ち立伯先生
著す所の經脉發揮なる者を得たり。之を閲すれば趣同じく意合し、實に我が心
  ウラ
の同じく然る所の者を得るなり。亦た以て基址と爲すに足れり。唯だ勉めて博く
考うれば、未だ折衷有らず。憾む可しと爲すのみ。遂に衆説を輯めて斷ずるに
臆見を以し、名づけて隧輸通考と曰う。僭踰ながら、遁(かく)るる所無しと雖も、或いは
初學の楷梯と爲すも、亦た未だ知る可からざるなり。謾(みだ)りに其の説を叙(の)べ、敢て證
す。暗合冥投に於いて、立伯先生を蹈襲勦説せずと云爾(しかいう)。
延享甲子孟秋、北渚堀元厚、京洛烏
巷對井居に序す


  【注釋】
○甫山: ○經輸:ここではいわゆるツボ。 ○湯液之報使:引經報使。ある種の薬物が他の薬物の力を病変部や、ある經脈に導く作用。 ○針砭之迎隨:針先を経脈の流れに逆らう方向(迎)へ刺すことと、流れに沿う方向(隨)へ刺すこと。 ○灸焫之補瀉:元気をおぎなうことと邪気を除くこと。 ○擿埴冥行:夜、道を歩くときに杖で地面を確かめる。学問研究をする時、その手順を知らず、暗中模索することの比喩。/擿:もとめる。さぐる。/埴:土地。 ○顚躓:ころぶ。つまづく。 ○因循:古くからの習わしに従って改めないこと。 ○含糊:言葉がはっきりしない。物事が徹底されず、あやふやなさま。 ○繙翻:書物を読む。書物をひもとく。頁をめくる。 ○群:多数の。 ○切磋:骨角玉石などを切り磨いて器物を作る。互いに比較し研究討論することの比喩。 ○屢屢:常。 ○三經寒暑:三年経った。/寒暑冬と夏のふたつの季節。歳月。 ○脱藁:脱稿。原稿を完成する。 ○立伯先生:饗庭東庵。元和7(1621)~延宝1(1673)。江戸前期の医学者。立伯(りゅうはく)と称した。京都の人。曲直瀬玄朔の門人。のち幕府医官として仕えた林(玄伯)家の祖・林市之進(敬経)と学を交え、中国医学の基本典籍『素問』『霊枢』『難経』を講究し広めた。運気学説(保健・医療暦学)にはとりわけ造詣が深かった。編著書に『重校補註素問玄機原病式』『黄帝秘伝経脈発揮』『素問標註諸言草稿』『医学授幼鈔』がある。その学派は後世別派あるいは素霊派と称され、門派からは味岡三伯、浅井周伯、井原道閲、小野朔庵、岡本一抱、堀杏庵らの優秀な学医が輩出、江戸中期の医学の担い手となった。『朝日日本歴史人物事典』(小曾戸洋)。 ○經脉發揮:『(黄帝秘伝)経脈発揮』。7卷。一六六〇年ごろ初版。万治(1658~60)頃の木活字を用いた印本があり、中国では『北京大学図書館蔵善本医書』(1987)、日本では『臨床針灸古典全書』(1990)に影印収録されている。さらに万治木活字版に返り点・送り仮名を付して覆刻(かぶせぼり)した寛文8(1668)年の整版本もある。『日本漢方典籍辞典』 
  ウラ
○心之所同然者也:『孟子』告子上:「心之所同然者何也。謂理也、義也。」 ○基址:建築物の基礎。事物の根本。 ○折衷:太過と不及を調和させて、理に合うようにさせる。 ○憾:心中に満足できない感覚。 ○臆見:個人の主観的な見解。 ○僭踰:「僭越」に同じ。〔言動が〕自分の身分や力をわきまえず、出過ぎていること。謙遜語。 ○遁:のがれる。かくれる。さける。あざむく。 ○楷梯:「階梯」に同じ。階段。転じて、学問や芸術を学ぶ初めの段階。初歩。入門。手引。 ○謾:「漫」に通ず。軽率に。そぞろに。 ○暗合:思いがけなく一致すること。偶然の一致。 ○冥:期せずして一致する。 ○投:気持ちが合う。投合する。 ○蹈襲:前の人のやり方などをそのまま受け継いで行う。 ○勦説:他人の説を剽窃して自己の説のごとくする。 ○云爾:語末助詞。のみ。 ○延享甲子:延享元年。一七四四年。 ○孟秋:旧暦七月。 ○北渚堀元厚:(1686~1754)。元厚は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしょ)。味岡三伯(あじおかさんぱく)・小川朔庵(おがわさくあん)に学び、医名を馳せた。『臨床針灸古典全書』に影印収録されている。ほかに『灸焫要覧(きゅうぜつようらん)』享保9(1724)年刊、『医学須知(いがくすち)』(1750刊)、『医案啓蒙(いあんけいもう)』(刊本)をはじめ多くの著書があり、とりわけ日本針灸学の形成に寄与した。子の元昌(げんしょう)もその学を継いだ。『日本漢方典籍辞典』/墓、誓願寺(中京区新京極桜ノ町にある浄土宗西山深草派の総本山) ○京洛:京都。 ○烏巷對井居:烏丸にあったか。


隧輸通考跋  11
病其人之急乎攻而達之而操藥以修焉
者是古之道也盖人之經窬血脉摩頂放
踵靡弗處而在焉是以灼知其肯綮而後
始可以攻而達之也已自非攻而達之乃
藥亦何所見其瞑眩之效哉亦唯攻之與
達與藥三者相須而十全之功斯可復許
乎至後世乃以攻與達為粗而少效唯藥
  一ウラ  12
之爲上焉特坐其不哳于經窬血脉也周
時訖六國黄帝隂陽之書世多有焉類皆
依託黄帝以神其道者爾班史之言固是
徴也夫醫盖出於隂陽家其書原人經窬
血脉隂陽表裏以起百病死生之本而度
鍼艾藥餌之所施其論盡精微故術亦十
全周官置師其有所試於是乎其際緩和
越人相踵輩出非後世所能及也迨漢興
  二オモテ  13
大收編籍而劉向李柱國與校方技醫經
亦往往乎出漢志之載可以概見今所見
存黄帝内經乃古之遺已世或高明自喜
者自以方技惡其居下流遂廢古醫經而
擯隂陽之説縁飾儒術以重其言雖論隲
若以美然如其技術晻昧何北渚屈君以
醫學教授於洛顓門有赫赫名方來生徒
横經游從戸外屨不許其幾両君編讀古
  二ウラ  14
醫經其經窬血脉隂陽表裏固未甞不詳
究其説而前脩論辨亦彼善於此則有之
故檻于彼而別于此揚搉有茲輯録成冊
題曰隧輸通考顧君稽古之力其厪至矣
頃屬需余一言余雖素闇醫理而以君與
余雅游且同族誼不可峻拒故略道其後
世鮮能知經窬輙妄攻而達之所以與古
舛馳不能攻十全者云爾
  三オモテ  15
延享乙丑春三月平安屈正超撰


読み下し
隧輸通考跋  11
病は其れ人の急か。攻めて之を達し、而して藥を操って以て焉(これ)を修むる
者は、是れ古の道なり。蓋し人の經窬血脉は、頂を摩(す)りて
踵に放(いた)るまで處として在らざるは靡し。是(ここ)を以て灼として其の肯綮を知り、而る後に
始めて以て攻めて之を達す可きのみ。攻めて之を達するに非ざる自りは、乃ち
藥も亦た何れの所に其の瞑眩の效を見るや。亦た唯だ之を攻むると
達と藥との三者は、相い須(もと)めて十全の功あり。斯れ復た許す可けん
や。後世に至って乃ち攻と達とを以て粗にして效少しと為し、唯だ之に藥するをのみ
  一ウラ  12
上と爲す。特(た)だに坐(ようや)く其れ經窬血脉に晰(あき)らかならざるのみなり。周
の時、六國訖(ま)で黄帝陰陽の書、世に多く有り。類皆な
黄帝に依託し、以て其の道を神とする者のみ。班史の言、固(もと)より是の
徴なり。夫れ醫は蓋し隂陽家に出づ。其の書、人の經窬
血脉隂陽表裏を原(たず)ね、以て百病死生の本を起こして
鍼艾藥餌の施す所を度す。其の論、精微を盡くす。故に術も亦た十
全なり。周官、師を置く。其れ試る所有り。是(ここ)に於いて其の際、緩、和、
越人相い踵して輩出す。後世の能く及ぶ所に非ざるなり。漢興るに迨(およ)び、
  二オモテ  13
大いに收めて籍を編す。劉向、李柱國與(とも)に方技の醫經を校す。
亦た往往乎として漢志の載に出で、以て概見す可し。今ま見る所、
黄帝内經存するは、乃ち古(いにしえ)の遺のみ。世或いは高明にして自ら喜ぶ
者は、自ら方技の其の下流に居るを惡むを以て、遂に古醫經を廢して、
陰陽の説を擯(しりぞ)け、儒術に縁飾して、以て其の言を重んず。論隲(さだ)まりて
以て美なるが若しと雖も、然れども其の技術晻昧なるが如し。何ぞ北渚屈君、
醫學を以て、洛に教授し、顓門として赫赫たる名有らん。方來、生徒
經を横たえ戸外に游從し、屨(ふ)んで其れ幾(ほとん)ど兩を許さず、君、古
  二ウラ  14
醫經を編讀し、其の經窬、血脉、陰陽、表裏、固(もと)より未だ嘗て詳しく
其の説を究めずんばあらず。而して前脩の論辨も亦た彼、此れより善ければ、則ち之れ有り、
故に彼を檻して此れに別かち、揚搉して茲に有り。輯録して冊を成す。
題して曰く、隧輸通考と。顧るに君が稽古の力、其れ厪(つと)めて至れり。
頃おい屬して余に一言を需(もと)む。余は素より醫理に闇しと雖も、而して君と
余とは、雅(つね)に游び、且つ同族なるを以て、誼として峻拒す可からず。故に略(ほ)ぼ其の後
世に能く經窬を知ること鮮く、輙ち妄りに攻めて之に達し、古と
舛馳して十全を攻(おさ)むる能わざる所以の者を道(い)う云爾(のみ)。
  三オモテ  15
延享乙丑春三月、平安屈正超撰す


  【注釋】
○急:危急の事。 ○攻而達之:『春秋左氏傳』成公十年傳「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之……醫至曰:疾不可為也、在肓之上膏之下、攻之不可、達之不及、藥不至焉、不可為也」。注「緩、醫名。為猶治也。達、針」。宋・林堯叟『音註全文春秋括例始末左傳句讀直解』「攻、熨灸也、言不可以火攻。達、針也、言不可以針達。至於用意藥、又不至焉。言疾不可治也」。 ○經窬:「經穴」に同じ。 ○摩頂放踵:頭頂部から踵まで全身。また、全身傷だらけになる。身を捨てて世を救うのに、労苦を厭わないことの比喩。『孟子』盡心上:「墨子兼愛、摩頂放踵、利天下為之。」 ○灼:明白に。はっきりと。 ○肯綮:骨と筋肉の結合部位。物事の重要なところ。 ○也已:確定や肯定の気持ちを強く表す。 ○自非:もし~でなければ。 ○瞑眩:服薬後に生ずる眩暈。『書經』説命:「若藥弗瞑眩、厥疾弗瘳(若し藥、瞑眩せざれば、厥の疾瘳ず)。」 ○相須:相互に依存して。互いに配合して。 ○十全:完全無欠。十人を治療して十人が治癒する。 ○可復許乎:『孟子』公孫丑章句上:「夫子當路於齊、管仲晏子之功、可復許乎(先生がこの斉で政治を取られれば、あの管仲・晏嬰にも匹敵する功績をなされるということですか?)」。許:期待する。あてにする。 
  一ウラ  12
○坐:ヨウヤク(次第に)。イナガラニシテ(じっとしたまま。労せず)。ソゾロニ(わけもなく)。ムナシク(訳もなく)。 ○哳:啁哳。繁く砕ける音の形容。/「晰」字の誤りとしておく。 ○周:王朝名。周朝。 ○訖:「迄」に通ず。 ○六國:戦国時代、函谷関より東にある楚、齊、燕、韓、趙、魏の六大国。 ○黄帝隂陽之書:『漢書』卷三十 藝文志第十「黃帝陰陽二十五卷。黃帝諸子論陰陽二十五卷。」その他、「黄帝」「陰陽」を書名に冠するもの多し。 ○班史:班固(『漢書』)と司馬遷(『史記』)。 ○隂陽家:『漢書』芸文志が九流の一つとする戦国時代に陰陽五行説を提唱した一学派。鄒衍を代表的人物とする。 ○原人經窬血脉隂陽表裏以起百病死生之本而度鍼艾藥餌之所施:『漢書』卷三十 藝文志第十「醫經者、原人血脈經落骨髓陰陽表裏、以起百病之本、死生之分、而用度箴石湯火所施、調百藥齊和之所宜」。 ○周官:「周禮」。『周禮』卷一 天官冢宰「醫師上士二人、下士四人、府二人、史二人、徒二十人」。卷五「醫師掌醫之政令、聚毒藥以共醫事」。 ○緩:『春秋左傳』成公十年を参照。 ○和:『春秋左傳』昭公元年を参照。 ○越人:秦越人。扁鵲。 ○相踵:継続して。次々に。 ○輩出:連続して出現する。 
  二オモテ  13
○劉向:(西元前77~前6)字子政、本名更生、漢の沛県の人。高祖弟、楚元王劉交の第四代孫。成帝の時、改名して向という。光祿大夫に任ぜられ、經傳諸子詩賦などの書籍を校閲し、『別録』を撰す。最も早い分類目録である。 ○李柱國:漢代の医家。成帝の時、御医に任ぜられ、医経、経方の校訂に参与した。 ○方技醫經:『漢書』芸文志を参照。 ○縁飾:修飾する。 ○晻昧:暗い。 ○屈君:「屈」は「堀」の修姓(中国風称呼)。 ○洛:京都。 ○顓門:学術や技能に秀でること。専門。 ○赫赫:顕著なさま。 ○方來:近来。 ○横經:経籍を横にならべる。業を受ける。学習する。 ○游從:相従ってともに遊ぶ。交遊する。先輩と互いに行き来する。 ○屨不許其幾両:実践して匹敵するものがほとんどない、ということか?
  二ウラ  14
○前脩:前修。前代の徳を修めた賢士。 ○檻:おりに閉じ込める。 ○揚搉:大要をあげる。要約して論述する。 ○稽古之力:古いことを研究して得られる優れたところ。 ○厪:「廑」の俗字。「勤」に通ず。 ○頃:近ごろ。 ○屬:「囑」に同じ。 ○雅游:つねに交際往来する。 ○誼:よしみ。 ○舛馳:道に背いてはせる。 ○攻:治療する。
  三オモテ  15
○延享乙丑:延享二年(一七四四)。 ○平安:京都。 ○屈正超:堀正超(一六八八~一七五七)。字は君燕、号は景山、家号は曠懐堂。俗称は禎助。安芸浅野氏の儒官で、後世派の医家。京都姉小路室町に住む。

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