5-6兪穴捷徑
京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『兪穴捷徑』(ユ・一)
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』5所収
兪穴捷徑序
盖人身三百六十五穴定之以尺寸求之以肉
郄骨間脉動是自易易者爾然而甲乙以降諸
家紛綸無有確説矧肥瘠修短其異如面一痏
之鍼一丸之艾生命之所繫為其學不亦難乎
龜山醫員小坂元祐受業於家君之門覃思研
精殆二十年矣頃者倣于天聖之舊式手製偶
人點誌兪穴且著斯編以並行焉盖其用志也
一ウラ
勤矣一鍼一艾先熟斯編然後施之必無孔穴
乖錯之患耶刈繁而就簡自難而入易寔蒙士
之捷徑也元祐為人忠實誠愨同人推稱長者
云
寛政癸丑冬十二月
法眼侍醫兼醫學教諭丹波元簡廉夫譔
【訓み下し】
兪穴捷徑序
蓋し人身三百六十五穴、之を定むるに尺寸を以てし、之を求むるに肉
郄骨間脉動を以てす。是れ自ら易易たる者のみ。然り而して『甲乙』以降の諸
家、紛綸として確説有ること無し。矧(いわ)んや肥瘠修短、其の異なること面の如し。一痏
の鍼、一丸の艾、生命の繫ぐ所、其の學を為すに亦た難からずや。
龜山醫員小坂元祐、業を家君の門に受け、覃思研
精すること、殆ど二十年。頃者(このごろ)、天聖の舊式に倣い、手ずから偶
人を製(つく)り、兪穴を點誌す。且つ斯の編を著し、以て並びて行う。蓋し其の志を用いるや、
一ウラ
勤めたり。一鍼一艾、先ず斯の編に熟し、然る後に之を施さば、必ず孔穴
乖錯の患(うれ)い無からんか。繁を刈りて簡に就かば、難自りして易きに入る。寔(まこと)に蒙士
の捷徑なり。元祐の為人(ひととなり)、忠實誠愨にして、同人、長者に推稱すると
云う。
寛政癸丑冬十二月
法眼侍醫兼醫學教諭丹波元簡廉夫譔す
【注釋】
○盖:「蓋」の異体字。 ○郄:郤。また「隙」に通ず。 ○易易:非常に容易なさま。 ○然而:逆接の接続詞。 ○甲乙:皇甫謐撰『黄帝三部鍼灸甲乙経』。二五六年前後なる。もと十巻。のち十二巻。巻三と巻七以降に孔穴に関する論述あり。 ○紛綸:多く入り乱れたさま。 ○確説:確実な説。 ○肥瘠:太っているのと痩せているのと。 ○修短:(身長の)長いのと短いのと。 ○面:顔。容貌。 ○痏:瘡。ここでは鍼を刺す回数をあらわす序数詞。 ○丸:ここでは艾を数える助数詞。 ○龜山:丹波亀山藩。 ○醫員:医療にたずさわる役目の者。 ○小坂元祐:名は営昇。号は牛淵。『経穴籑要』自序では「小阪」につくる。 ○家君:自分の父親。 ○覃思研精:深く思考し、綿密に研究する。 ○頃者:近ごろ。 ○天聖之舊式:宋の王惟一は天聖五年(一〇二三)、鍼灸銅人を鋳造した。 ○手:みずからの手で直接に。 ○偶人:土や木などを材料として製造した人形。 ○點誌:点を付けて記す。 ○用志:用心。
一ウラ
○熟:習熟する。十分になれる。 ○乖錯:背き誤る。 ○患:憂い。心配。 ○寔:「實」に通ず。 ○蒙士:浅学無知の士。 ○捷徑:近道。 ○為人:性格。他人に対する態度。 ○忠實:忠誠篤実。 ○誠愨:真誠。誠朴。 ○同人:同業者。ここでは医者。 ○推稱:推奨称賛する。 ○長者:学問徳行にすぐれたひと。 ○寛政癸丑:寛政五年(一七九三)。 ○法眼:法印に次ぐ地位。 ○侍醫:奥医師。御匙となるのは、寛政十一年。 ○醫學教諭:医学館教諭。 ○丹波元簡廉夫:もとやす。一七五五~一八一〇。廉夫は字。号は桂山、櫟窓。 ○譔:著述。「撰」に通ず。
自序
素問曰脉之在人身其數十二以應十二經水
兪穴三百六十五以配一歳之數其論尚矣夫
經絡之説素靈昉之皇甫謐孫思邈王燾之輩
施及元明諸家特滑壽十四經發揮專行于世
取經挨穴之徒取繩墨于此遂以為萬世不易
之法也然兪穴之數脱者十有一穴〔双行注:足太陽膀胱經/眉冲督兪氣海〕
〔兪關元兪足少陰經廉泉足少陽膽經風市足厥/〕
〔陰肝經急脉督脉中樞印堂鼻交頞中任脉斷碁〕今參考諸書
二ウラ
補發揮所脱漏之穴然後氣府論所謂氣穴三
百六十五之數始得全矣於是手自製作銅人
施經記穴以與同僚諸君及一二同志且附以
小冊子名曰兪穴捷徑雖未得入其室庶幾乎
得之門是予所志也以為序
寛政癸丑秋 小坂元祐識
【訓み下し】
自序
『素問』に曰く、脉の人身に在る、其の數十二、以て十二經水に應ず、
兪穴三百六十五、以て一歳の數に配す。其の論尚(たつと)し。夫れ
經絡の説、素靈之を昉(あき)らかにして、皇甫謐・孫思邈・王燾の輩
施(ほどこ)して元明諸家に及ぶ。特に滑壽『十四經發揮』專ら世に行わる。
取經挨穴の徒、繩墨を此に取る。遂に以て萬世不易
の法と為るなり。然れども兪穴の數、脱する者十有一穴
〔双行注:足太陽膀胱經/眉冲・督兪氣海〕
〔兪・關元兪、足少陰經廉泉、足少陽膽經風市、足厥/〕
〔陰肝經急脉、督脉中樞・印堂・鼻交頞中、任脉斷碁〕今ま諸書を參考し、
二ウラ
『發揮』脱漏する所の穴を補い、然して後、氣府論に所謂(いわゆる)氣穴三
百六十五の數、始めて全きことを得。是(ここ)に於いて手自(てずか)ら銅人を製作して
經を施し穴を記して、以て同僚の諸君及び一二の同志に與う。且つ附するに
小冊子を以てす。名づけて兪穴捷徑と曰う。未だ其の室に入ることを得ずと雖も、
之れが門を得るに庶幾(ちか)からん。是れ予が志す所なり。以て序と為す。
寛政癸丑秋 小坂元祐識(しる)す
【注釋】
○素問曰:出所未詳。 ○脉之在人身其數十二以應十二經水:『霊枢』陰陽清濁「余聞十二經脉、以應十二經水者」。 ○兪穴三百六十五以配一歳之數:『素問』気穴論(58)「余聞氣穴三百六十五、以應一歳」。 ○皇甫謐:魏晋間の著名な医家。215~282年。原名は靜。字は士安。号は玄晏先生。『鍼灸甲乙経』を撰す。 ○孫思邈:541? ~ 682年?。唐代の医者、道士。『千金方』を撰す。 ○王燾:670~755年。唐代の著明な医家。『外台秘要方』を撰す。 ○滑壽:元代の医家。字は伯仁。晩号は攖寧生。『診家枢要』『難経本義』などを撰す。 ○十四經發揮:滑壽の撰。三巻。1341年成書。元·忽泰必列が撰した『金蘭循経』に注釈と補充を加えた。 ○挨穴:取穴。「挨」の訓は「とる」。 ○繩墨:大工が直線を引くための道具。すみなわ。のちに法度、規矩の比喩。 ○萬世不易:永く時間が経過しても変わらない。百世不易。 ○足太陽膀胱經眉冲:眉衝。本書十表を参照。 ○督兪:第六・第七胸椎棘突起間の外一寸五分。 ○氣海兪:本書十一丁裏を参照。 ○關元兪:本書十二丁表を参照。 ○足少陰經廉泉:本書十七丁裏を参照。喉頭隆起上際で舌骨との間。 ○足少陽膽經風市:本書二十二表を参照。 ○足厥陰肝經急脉:本書二十四丁裏を参照。 ○督脉中樞:本書二十五丁裏を参照。 ○印堂:本書二十七丁表を参照。 ○鼻交頞中:本書二十七丁表を参照。 ○任脉斷碁:本書二十九丁表を参照。
二ウラ
○手自:みずから。 ○銅人:鍼灸学習用の人体経脈兪穴模型。北宋の王惟一が銅製の人形を鋳造した。日本製銅人で、銅製のものは少ないであろう。 ○未得入其室:『論語』先進:「由也升堂矣、未入於室也」。学問が十分には深いところまでは達していないことの比喩。
跋
邃古聖皇之在上也無物而不被其澤矣而其
所最患者則是民之疾苦也是以身親嘗草木
製鍼灸以普濟衆庶於是乎鍼灸藥之方法出
焉嗟乎夫至哉仁也由是觀之非本草素靈何
以知其本非鍼灸藥何以治其疾故後之諸名
醫皆祖述本草素靈以立論製方若夫醫而不
據本草素靈而通鍼灸藥焉得為醫乎予同僚
三十ウラ
坂元祐家世業醫弱冠而為方伎之學又且刻
意于鍼灸之術於凡經絡兪穴之書無不該覧
今茲秋參考諸書折衷衆説以為一冊子名曰
兪穴捷徑手自製作銅人布經點穴以授蒙士
其意謂非敢馳名求譽庶幾為初學取經挨穴
之一助而已其可不謂勤且力哉梓成維方忻躍
題鄙言於簡末爾
寛政癸丑秋九月
三十一オモテ
西龜山醫員岡田維方順益識
【訓み下し】
跋
邃古、聖皇の上に在るや、物として其の澤を被らざる無し。而して其の
最も患(うれ)うる所の者は、則ち是れ民の疾苦なり。是(ここ)を以て身親(みずか)ら草木を嘗め、
鍼灸を製(つく)り、以て普(あまね)く衆庶を濟(すく)う。是(ここ)に於いて鍼灸藥の方法出づ。
嗟乎(ああ)、夫(そ)れ至れるかな、仁や。是れ由り之を觀れば、本草素靈に非ずんば、何を
以てか其の本を知らん。鍼灸藥に非ずんば何を以てか其の疾を治せん。故に後の諸名
醫、皆な本草素靈を祖述して、以て論を立て方を製る。若(も)し夫れ醫にして
本草素靈に據(よ)りて鍼灸藥に通ぜずんば、焉んぞ醫為(た)るを得んや。予が同僚
三十ウラ
坂元祐、家世々醫を業とし、弱冠にして方伎の學を為す。又た且つ
意を鍼灸の術に刻し、凡そ經絡兪穴の書に於いて該覧せざる無し。
今茲の秋、諸書を參考し、衆説を折衷し、以て一冊子を為す。名づけて
『兪穴捷徑』と曰う。手自(づずか)ら銅人を製作し、經を布し穴を點じ、以で蒙士に授く。
其の意謂は敢えて名を馳せ譽れを求むるに非ず。初學の取經挨穴
の一助を為すを庶幾(こいねが)うのみ。其れ勤め且つ力(つと)むと謂わざる可けんや。梓成る。維方忻躍して
鄙言を簡末に題するのみ。
寛政癸丑秋九月
三十一オモテ
西龜山醫員岡田維方順益識す
【注釋】
○邃古:「遂古」に同じ。遠い昔。 ○聖皇:聖なる帝王。 ○無物而不被其澤:あらゆるものがその恩沢を蒙る。 ○所最患者則是民之疾苦也是以身親嘗草木製鍼灸:『太平御覧』卷七百二十一・方術部二・醫一の引く『帝王世紀』には「伏羲氏……嘗味百藥而制九針」「炎帝神農氏……嘗味草木」「黄帝有熊氏……制九針」「(黄)帝使岐伯嘗味草木」などと見える。 ○衆庶:人民。民衆。 ○於是乎:順接の接続詞。 ○本草:『(神農)本草経』。 ○素靈:『素問』『霊枢』。 ○祖述:前人の説や行ないに従い倣う。 ○若夫:文頭に置かれる語気詞。~に関しては。順接・逆接、ともにあり。「夫(か)の~若(ごと)きは」とも訓(よ)む。
三十ウラ
○坂元祐:小坂元祐。「坂」は片名字(片苗氏)で、尊敬をあらわす。 ○家世:家の者代々。 ○弱冠:『禮記』曲禮上「二十曰弱冠」。のち、ひろく男子で二十歳前後をいう。 ○方伎:「方技」とも書く。占いなども含むが、ここでは医学。『漢書』芸文志・方技略は「医経、医方、房中、神仙」に関する図書目録。 ○刻意:意識を集中する。専念する。 ○該覧:該覽。あまねく閲覧する。 ○今茲:今年。 ○布:設置する。布設する。 ○點:示す。つける。 ○蒙士:序文の注を参照。 ○意謂:心中の思うところ。 ○勤:努力して従事する。 ○力:力を尽くす。 ○梓成:出版する。版木ができあがる。 ○忻躍:「忻」は「欣」に通ず。よろこぶ。欣喜雀躍。喜び極まりないさま。 ○鄙言:浅薄卑俗なことば。自己の言説に関する謙遜語。 ○簡:書物。
三十一オモテ
○西龜山:丹波亀山藩。伊勢亀山藩と区別するため「西」がついているのであろう。 ○岡田維方順益:
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