2024年5月11日土曜日

黄龍祥『兪穴論』6

  参考文献

[1] 李宝金,孟醒,武晓冬,等.”经外奇穴”概念演变与术语规范化问题探讨[J].针刺研究,2020,45(9):746-750.

[2] 黄龙祥.中国针灸学术史大纲[M].北京:华夏出版社,2001:496-497.

[3] 黄龙祥.经脉理论还原与重构大纲[M].北京:人民卫生出版社,2016:40-41.

[4] 陈志坚.诸子集成[M].北京:北京燕山出版社,2008:127.

[5] 滑寿.难经本义[M].傅贞亮,张崇孝点校.北京:人民卫生出版社,1995:88.

[6] 郭效宗.针灸有效点理论与临床[M].北京:人民卫生出版社,1995:21.

[7] 张志聪.黄帝内经素问集注[M].王宏利,吕凌校注.北京:中国医药科技出版社,2014:192.

[8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

[9] Williams PL,杨琳,高英茂.格氏解剖学[M].沈阳:辽宁教育出版社,1999.

[10] 刘斌,尤海燕,李玉华.谿谷结构的现代解剖学印证[J].北京中医药大学学报,2016,39(8):639-642.

[11] Zhi Wei D, Yu S, Yongqiang Z.Perforators,the underlying anatomy of acupuncture points[J].Altern Ther Health Med, 2016,22(3):25-30.

[12] 陈太羲.固有筋膜以上的穴树图[J].南京中医学院学报,1989,5(4):51-52.

[13] 李鼎.针灸学释难 增订本[M].上海:上海中医药大学出版社,1998:33.

[14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

[15] 黄龙祥,黄幼民.针灸腧穴通考《中华针灸穴典》研究[M].北京:人民卫生出版社:2011:957-961.

[16] 黄龙祥.新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022:292-299.

 

黄龍祥『兪穴論』5

   結び

 兪穴は固定的な位置にあるかないかにより,「経兪」と「奇兪」の二つに大きく分けることができる。その中で奇兪には主に「病所」と「病応」の二種類が含まれる。経兪はまた「脈会」の大きさ深さの違いによって脈兪・気穴・骨空・募兪の四種類に分けることができる。経兪の発見と広範な応用は経絡学説と兪穴学が誕生した揺籃であり,鍼灸を「学」と称しうる前提でもある。

 「脈会」の意義の発見は,鍼灸学を脈を刺すことを主とするものから脈兪を刺すことを主とするものへの重大な転換を促した。現代の兪穴研究には,マクロな実体からミクロな実体へという新たな飛躍が必要である。兪穴の機が「脈会」にある以上,穴中の機を刺すことは血管から離れることはできない。たとえ刺して神経にあたったとしても,鍼尖が最も触れる可能性が高いのは血管周囲神経であり,その次は血管に伴走する神経である。異なる種類の経兪を刺して具体的にどのように脈にしたがって「機」に触れるかについては,経兪の位置と鍼感および得気の指標と経兪の具体的な主治病症に基づいて判定する必要がある。「脈会」にはまだ多くの未知の謎があって,探求発見が待たれる。兪穴の立体構造を明らかにし,より一般的な言葉ではっきりと説明し,中医師・西洋医いずれもみなが理解してこそ,鍼灸の有効性と兪穴作用の特異性を知る実験研究に意義をもたせ,明確な研究の結論を得ることができるし,鍼灸兪穴研究にハイテク技術を導入することにも成功の可能性がある。

 兪穴は鍼灸の標的であり,標的に中身がなく明らかでなければ,鍼灸は的がないのに矢を放つようなもので,評価のしようがない。要するに,鍼灸学で気血を調和のとれた状態にするという総目標は兪穴の定着発展に依存しなければならず,根本から鍼灸の道をはっきり説明し,そして中・西医がみなはっきり理解できるようにするには,まず兪穴の構造と機能をはっきり説明しなければならない。兪穴の構造を明らかにするには,またしっかりとした人体形態学の成果に支えられていなければならない。中国の鍼灸従事者は初心を忘れず,鍼灸学の「人形を論理する」という虚実一体の理念に基づいて,鍼灸学の発展需要を満たす虚と実をともに重視しながら,虚空構造の「人体空間構造解剖学」を特に重んじ,実質構造の研究を特に重んずる現代解剖学と最も大きい互いに恩恵を受け相補う関係を形成するよう努力しなければならない。


2024年5月10日金曜日

黄龍祥『兪穴論』4.3

  4.3 人形を論理し,其の穴を信に然りとす

 本論の最初に置いた経文に戻る。

 余聞上古聖人,論理人形,列別藏府,端絡經脈,會通六合,各從其經;氣穴所發,各有處名;溪谷屬骨,皆有所起;分部逆從,各有條理,四時陰陽,盡有經紀,外內之應,皆有表裏,其信然乎?〔余聞くならく,上古の聖人は,人形を論理するに,藏府を列別し,經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う。氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り。分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有り,其れ信(まこと)に然るか?〕(『素問』陰陽応象大論)

 「人形を論理する」とは人体形態学を論ずることである。初めに「藏府を列別する」ことを論ずるのは,臓腑が血気の源であるためである。「經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う」のは,脈が血気の府であり,また各種の経兪構造の中核であるためでもある。「氣穴の發する所」以下は,みな気穴の構造と機能を論じている。「氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り」については,兪穴を専門に論じている『素問』気穴論篇に詳しく論じられており,かつ前後呼応している。「分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有り」については,それぞれ〔『霊枢』〕四時気と〔『素問』〕四時刺逆従論に展開され,「合人形於陰陽四時〔人形を陰陽四時に合す〕」〔『素問』八正神明論〕,「四時之氣,各有所在,灸刺之道,得氣穴為寶〔四時の氣は,各々在る所有り,灸刺の道は,氣穴を得るを寶と為す〕」〔『靈樞』四時氣。「寶」は『太素』『甲乙経』による〕,「四變之動,脈與之上下,以春應中規,夏應中矩,秋應中衡,冬應中權〔四變の動に,脈も之と與(とも)に上下し,以て春の應は規に中(あ)たり,夏の應は矩に中たり,秋の應は衡に中たり,冬の應は權に中たる〕」〔『素問』脈要精微論〕という命題が提出されている。「気穴」を最優先としているのは,それが脈の会であり,気血を調節する最も重要な場所であるからである。

 このことから,鍼灸学に向けたこの人体形態学の枠組みの核心は兪穴であり,鍼灸学の気血を調節して調和の取れた状態にするという総目標は兪穴の定着発展による必要があることが容易に分かる。

 兪穴は鍼灸学が立脚する基礎であることを知っているのだから,今日,根本から鍼灸の道をはっきり説明し,中西医すべてが理解できるようにするには,まず兪穴の構造と機能を明瞭に述べなければならない。しかし兪穴の構造を明瞭に講ずるには,しっかりとした人体形態学の成果という支えが必須である。これは『黄帝内経』の著者が「人形を論理する」ことを重視し,兪穴を核心とする人体形態学の基本的な考え方を構成している理由でもある。

 これまで鍼灸従事者は(筆者を含めて)このことも認識していたが,現代解剖学がすでに持っているナレッジベース〔知識ベース〕から兪穴の構造と機能研究の難題を解くための既成の答えや完全なデータを見つけることができると,長い間にわたって期待を抱きつづけてきた。

 兪穴の機という微細な構造を考察する際には,現代解剖学がすでに持っている成果を参考にすることが必要であるが,鍼灸従事者として以下のような冷静な認識も同時に持つ必要がある。

 その一,現代解剖学と鍼灸学では人形を論理する観察の視点が異なる。鍼灸学が最も注目する人体の構造は往々にして現代解剖学研究の空白地帯にある。たとえば現代医学は神経の「会」,すなわち節・叢・根・幹を重視することが多く,長期にわたって鍼灸学では特殊な意義を有する血管の「会」の構造を無視し,大動脈の分岐または湾曲部の特殊な調節構造をいくつか発見しただけで,全身の動脈または動静脈の分岐部の構造に対して全面的で掘り下げた観察をおこなうことができず,ましてや血管の分岐部がもつ疾病の診療における特殊な価値を捉えることはできなかった。病理状態において血管に特殊な形態および色調の変化が発生して形成される「血絡」「血脈」「結絡」などは鍼灸診療にとって非常に重要な意義があるが,これらの構造,特にその重要な機能は今でも現代医学の観察視野の外にある。このほか,鍼灸学は実体間の虚空構造,特に体の最大の虚空,すなわち分肉の間,および体内の二つの最大の膜,すなわち横隔膜と肓膜(腸間膜に相当)の機能に対して掘り下げて探索をおこなったが,この二つの人体の内外を結ぶ重要な地帯を現代解剖学の光はまだ照していない。このことからわかるように,鍼灸学がめざす人体形態学と外科学がめざす人体形態学とは,両者の視点が異なっていても,互いに補い合って互いに恩恵を受けることができるのである。

 その二,全体論の考え方〔ホリスティックな視点〕と集合論から研究する伝統を欠いているため,現代解剖学で観察された構造も一つの知識全体に統合できないことが多い。たとえば,穿通枝血管の研究は血管が穿通する点を観察するだけ,穿通枝神経の研究は神経の穿通する点を観察するだけで,血管と神経の穿通部位の完全で本当の有様はずっと提示できていない。血管を支配する神経の研究は遠心性神経〔運動神経〕のデータしかなく,非常に重要な求心性神経〔感覚神経〕の経路はいまだに不明である。このことから容易に見て取れることは,これらの鍼灸における兪穴構造と作用機序の研究などの最も必要な形態学による支えが,往々にして現代解剖学研究の盲点であることである。

 以上の認識を踏まえて,鍼灸従事者はこれまでの「待つ」と「頼る」という怠惰な思想を捨て,鍼灸学の「人形を論理する」虚実一体の理念に基づいて,鍼灸学の発展の要求を満たす,虚実と虚空構造に重点を置いた「人体空間構造解剖学」の構築に努め,実質構造研究に重点を置いた現代解剖学と相互に恩恵を受け補い合う関係を最大限に構築し,それによって未来の医学の創建において中国鍼灸従事者としてのしかるべき貢献をしなければならない[16]

  [16] 黄龙祥.新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022:292-299.

 人形を論理し,その穴が信頼できて立証性があるという目標を真に実現するには,将来の研究はまず以下の問題について深く検討し,明確に答える必要がある。

 その一,構造と機能の研究において,異なる種類の経兪が「脈会」する場所の微細構造を探索し,鍼灸治療効果と直接関連する主構造は何かを分析する。病理状態において,奇兪である「血絡」「結絡」と正常血管の構造にはどのような実質的な変化があるのか。その変化にはどのような法則があるのか。その二,兪穴の主治の面で,同一兪穴の異なる脈会と同一脈会の異なる点の主治の違いを分析する。古人はいくつかの兪穴,特に大兪要穴には多重の「脈会」が存在し,あるいは同一の「脈会」には異なる標的器官に対する複数の点の位置,すなわち「機」が存在していることを発見したが,歴代の兪穴専門書の主治病症に関する表現は,極めて限られた穴の下に異なるレベルの脈会に鍼刺することによって治療する病症が異なることを明記している以外は,ほとんどみな異なる位置の点や異なる刺法に基づく主治病症を区別せずに一緒に羅列している。いま古人のこれらの兪穴治療経験を繰り返し評価するためには,まずこれらの極めて重要でありながら古人によって省略された鍼刺した位置の点と刺法に関する情報を補完することが必須である。その三,鍼で兪穴を刺す際の規範化された操作において,脈会をどのように正確に識別するのか。病症の異なる部位に基づき,異なるレベルの脈会と脈会にある異なる位置の点をどのように選択するのか。脈会を刺して機に触れるには,どのように操作すれば兪穴の治療作用をよりよく体現できるのか。この点では,兪穴に鍼を刺すことは神経注射よりも要求が高い。神経注射は目標の神経点に接触するか近寄るだけでよいからである。

  兪穴の主治とそれに関連する刺法は分けることができない総体であり,刺法から離れて兪穴の主治を語ることには意味がない,あるいは明確な意味はない。もし異なる操作条件の下でまとめられた兪穴の主治をみな区別せずに羅列して,それを同一の条件で主治の特異性を検証しようとするのなら,それは舟に刻して剣を求める〔川の流れの中で剣を落とし,落としたところの船べりに刻み目を付けてその地点をあとで探そうとする〕のと同じである。このような状況で鍼刺の治療効果や治療効果の確定性を検証するのは,なんの成果も上がらない無駄な努力でしかない。


2024年5月9日木曜日

黄龍祥『兪穴論』4.2

 4.2 審らかに其の兪を守り,常を知って変に達する

〔『靈樞』海論(33):「審守其俞,而調其虛實,無犯其害,順者得復,逆者必敗」。「常を知って変に達する」ことは,中国医学弁証思考の基本的特徴とされる。〕


 後世の「経穴」「経外奇穴」という兪穴分類と比較すれば,『黄帝内経』の「経兪」「奇兪」という二分法の方がより有意義であり,その刺法と治則が継承関係にある,有機的な全体像を構成している。刺法は,大きく二つ,「経刺」(『素問』繆刺篇の用法)と「繆刺」に分けられる。経刺法の取穴は経兪を主とするが,奇兪である「血絡」と「結絡」は繆刺法で常用される刺灸箇所である。この刺灸部位を二つに分ける法は『史記』扁鵲倉公列伝にすでに先例があるが,今日に至るまで,民間に由来する鍼挑〔挫刺〕療法は,このような鍼灸部位の二分法――その鍼挑点は「固定鍼挑点」と「非固定鍼挑点」の二種類に分けられる――を伝承している。

 経兪はさらに脈兪・気穴・募兪・骨空という異なる種類に分けられたが,その主要な意義は以下のとおりである。その一,刺法がより精確になった。異なる経兪の脈会タイプに基づき異なった機に触れる方法を採用することによって,効率がより高くなった。一穴でありながら多種類の経兪タイプを併せ持つ大兪要穴については,種類によってそれぞれ肉肓を刺す,脈を刺す,骨空を刺す,肓膜を刺すという異なる機に触れる法則を採用することによって,焦点がより絞れるようになった。その二,漢代以前の鍼灸文献にある鍼灸処方と鍼灸の治療原則・方法を正確に解読するのに役立つ。『黄帝内経』などの初期文献に掲載されている鍼灸処方の中には,「輸」の本来の意味を押さえないかぎり,全体的な読解ができない兪穴が少なくない。たとえば,『霊枢』厥病に「頭痛不可取於輸者,有所擊墮,惡血在于內〔頭痛 輸を取る可からざる者は,擊墮する所有って,惡血 內に在ればなり〕」とあるが,この処方が用いられる場面は,血瘀が脈を阻んでいる状態であり,遠く離れた本兪を取っても,その鍼の効果を遠くまで達することができない。したがってその近くの穴を取るべきであって,本兪を取るべきではない〔厥病篇の下文「不可遠取也/遠くに取る可からざるなり」〕。つまり,この処方の「輸」を「穴」や「気穴」に交換することはできないのである[14]128-130。その三,鍼灸の兪穴概念を他の医学体系の関連概念と比較研究する際にもより焦点が絞られる。たとえば,現代医学の「皮穿支」構造と鍼灸学の「気穴」概念を比較すると,両者の相関度は非常に高い。しかし,皮穿支を一概に経兪全体と対照させると,両者の相関性は曖昧になり,有意義で明確な結論が得られず,果てることのない無意味な論争を引き起こすだけである。

  [14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.〔輸は,運輸であり,遠くに達することができるが,穴は近くの治療に用いる。気穴は,気が出入聚会する穴である。〕

 経兪の常態と動態を研究する意義は以下のとおりである。その一,疾病の診察に用いられる。いわゆる「是動則病〔是れ動ずれば則ち病む〕」であり,経脈と臓腑の病を診て,病の在る所を知る。その二,よく見られる病の「動」穴が分布する法則を総括することは,臨床における選穴処方において治療効果を高めるのに便利であるだけでなく,経兪と奇兪の関係の理解を深めるのにも役立つ。経兪の分布には法則性があるだけでなく,病気の状態における「動」穴の分布にも法則性があることに二千年以上前の鍼灸師はすでに気づいており,長期にわたる鍼灸診療活動においてよく見られる病気の高い頻度の「動」穴の分布法則を絶えず総括した。例えば伝世本『黄帝内経』には癲癇・熱病・寒熱病などに高い頻度であらわれる「動」穴の分布する法則が記載されているが,その中でも特に『霊枢』癲狂に記載されたデータはより欠けることなくそろっている。これらの高い頻度であらわれる「動」穴のほとんどが経兪,特に脈兪の中に帰することから,次のような判断が得られる。「動」穴はすべてが経兪のみに由来するわけではないが,高い頻度であらわれる「動」穴が経兪に見られる確率は奇兪よりはるかに大きい。刺灸をほどこす場所の主体は,脈から奇兪へ,さらに経兪へと変わっていったのは,鍼灸学自身の発展法則によって決定づけられたものである。その三,常を知って変に達する。常態は兪穴が存在する基礎であり,常態から逸脱すれば,動態も存在する前提を失ってしまう。兪穴の動態を強調しすぎて常態を顧みないことは,本末転倒に異ならない。まさに脈を診るには必ず先ず正常な状態の「平脈」を定めて,病を診る根拠とする。いわゆる「必先知經脈,然後知病脈〔必ず先ず經(つね)の脈を知り,然る後に病の脈を知るべし〕」〔『素問』三部九候論〕である。「診・療一体」の観念に基づいて,経兪の研究も必ず先ずその常態を知って,その後に動態を知るべきである。だからこそ,『黄帝内経』は兪穴を論じた成果を,金蘭の室に蔵して,署して「氣穴所在〔氣穴の在る所〕」〔『素問』気穴論〕と曰った兪穴は,生理的状態で固定的な位置にある経兪だけである。

 鍼灸に限らず,現代医学でも同じである。神経ブロック療法では,病理状態で出現する痛点も神経ブロックの標的の一つではあるが,生理的状態に存在し,かつ固定的な位置を持つ神経根・神経幹・神経叢へのブロック,および脊髄と脳深部への電気刺激を主体としている。関連する基礎研究はなおさらそうである。病理状態で出現する,固定的な位置を持たない痛点を主体とし,ひいては痛点の作用のみを強調するようになれば,神経ブロック学と神経調節学はすべて存在の基礎を失うことになる。

 

2024年5月8日水曜日

黄龍祥『兪穴論』4.1

  4 討論

 4.1 「会する所を問うこと無かれ」と「尽く其の会を知る」

 鍼で孫絡を刺すのに「会する所を問うこと無かれ」とは,『黄帝内経』で兪穴を専門に論じた気穴論が提出した命題の一つである。この篇は「各々処の名が有る」〔『素問』陰陽応象大論:「氣穴所發各有處名」〕経兪である「気穴」をもっぱら論じている。しかし気穴の孫絡に論がおよぶと,一転して次のようにいう。「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,以溢奇邪,以通榮衛,榮衛稽留,衛散榮溢,氣竭血著,外為發熱,內為少氣,疾瀉無怠,以通榮衛,見而瀉之,無問所會〔孫絡三百六十五穴の會,亦た以て一歲に應ず,以て奇邪を溢し,以て榮衛を通ず,榮衛 稽留し,衛散じ榮溢れ,氣竭き血著(つ)けば,外は發熱を為し,內は少氣を為し,疾かに瀉して怠ること無く,以て榮衛を通ぜよ,見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」。文の冒頭では「穴の会」を強調しながら,文末ではまた「会する所を問うこと無かれ」という。実に難解である。

 同じように,作者は篇末において,「帝乃辟左右而起,再拜曰:今日發蒙解惑,藏之金匱,不敢復出。乃藏之金蘭之室,署曰氣穴所在〔帝 乃ち左右を辟(さ)けて起ち,再拜して曰わく:『今日 蒙を發(ひら)き惑いを解き,之を金匱に藏して,敢えて復た出ださず。乃ち之を金蘭の室に藏し,署して氣穴の在る所と曰う』〕」と主旨を示して全篇を結んだあとに,また次の一文を加えている。「岐伯曰:孫絡之脈別經者,其血盛而當瀉者,亦三百六十五脈,並注於絡,傳注十二絡脈,非獨十四絡脈也,內解瀉於中者十脈〔岐伯曰わく:『孫絡の脈は經に別るる者,其の血盛んにして當に瀉すべき者は,亦た三百六十五脈,並びに絡に注ぎ,傳えて十二絡脈に注ぐは,獨り十四絡脈のみに非ざるなり,內解して中に瀉する者 十脈あり〕」。このような扱いははさらに理解しがたいように思え,巻末のこの文は錯簡ではないかという人もいる。実は前文と接続していないように見えるこの文は,原作者が丹念に設計した注記であり,本篇の前文と呼応するだけでなく,全体の理論的枠組みの中にある鍼灸治則に結びつけるために張られた重要な伏線であり,その深意は少なくとも三つある。

 その一,「繆刺」を支持する。『素問』気穴論の「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,以溢奇邪……〔孫絡三百六十五穴の會,亦た以て一歲に應ず,以て奇邪を溢し,……〕」を,三部九候論の「其病者在奇邪,奇邪之脈則繆刺之〔其の病む者 奇邪に在れば,奇邪の脈は則ち之を繆刺す〕」と対にして読めば,「奇邪の脈」とは「孫絡」を指し,その「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」孫絡は,まさに繆刺法が常用する鍼刺部位,いわゆる「因視其皮部有血絡者盡取之,此繆刺之數也〔因って其の皮部を視て血絡有る者は盡く之を取る,此れ繆刺の數なり〕」〔繆刺論〕である。経兪は経刺法に対応し,「孫絡血」「血絡」「結絡」は繆刺法に対応する。両者の奇正は互いに合致し,鍼灸で病気を治療するにはどちらも欠かすことができない。これが明らかになってはじめて気穴論の作者がいう「見而瀉之,無問所會〔見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」の深い意味を本当に理解することができる。

 その二、歴史を伝承する。「病は血脈に在り」は,鍼灸の唯一の適応症であったし,脈も最初の鍼灸対象箇所となった。老官山漢墓から出土した鍼処方集『刺数』ではすでに経兪は主要な地位を確立していたが,長期にわたって固定した位置と名称のない「血絡」「結絡」類の奇兪は経兪と並行しておこなわれていた。『素問』三部九候論にいたっても経兪を主体としたものとは大きく異なる鍼灸診療の情景が記録されている。「經病者治其經,孫絡病者治其孫絡血,血病身有痛者治其經絡。其病者在奇邪,奇邪之脈則繆刺之。留瘦不移,節而刺之。上實下虛,切而從之,索其結絡脈,刺出其血,以見通之〔經病は其の經を治し,孫絡病は其の孫絡の血を治す,血病んで身に痛み有る者は其の經絡を治す。其の病む者 奇邪に在れば,奇邪の脈は則ち之を繆刺す。留瘦して移らざるは,節して之を刺す。上實して下虛するは,切して之に從い,其の結ぼれる絡脈を索(もと)めて,刺して其の血を出だし,以て見て之を通ぜしむ/『鍼灸甲乙経』「以見通之」作「以通其氣」〕」。刺脈刺絡療法が盛んであった時期には,「孫絡の血」と「結ぼれた絡脈」が鍼治療の主役であったことが容易に見てとれる。

 その三,古今をつなぐ。古い経験を効果的に後世に伝え,遠くまで伝えるには,新しい理論の枠組みの中で適切な位置を見つけ,悠久の歴史を持つ血を刺して脈を通じさせる方法と新しく勃興した毫鍼で補瀉して経を調える方法との間を結ぶ論理的支点を探さなければならない。新旧の鍼法がぶつかり合う中で,古人は毫鍼による補瀉で血気の虚実を調えるには,血脈が滞りなく流れるという前提の下ではじめて実現することを認識するようになった。つまり「絡を刺して脈を通じさせる方法」は「毫鍼で補瀉して経を調える方法」を効果的に実施するための必要条件である。この認識は『黄帝内経』の中でさらに優先度の最も高い治則形式として高らかに提示された。「凡治病,必先去其血[脈],乃去其所苦,伺之所欲,然後瀉有餘,補不足〔凡そ病を治するに,必ず先ず其の血[脈]を去り,乃ち其の苦しむ所を去り,之が欲する所を伺い,然る後に有餘を瀉し,不足を補え〕」〔『素問』血気形志〕,「實則瀉之,虛則補之。必先去其血脈而後調之,無問其病,以平為期〔實すれば則ち之を瀉し,虛すれば則ち之を補う。必ず先ず其の血脈を去って而る後に之を調え,其の病を問うこと無く,平を以て期と為せ〕」〔『素問』三部九候論〕。これが『黄帝内経』の著者が探し出した,古今の鍼法を一体としてつなぐ論理の支点であり,気穴論の末尾に追加された注記は,この第一治則を定着発展させるための布石であった。

 気穴論の著者が孫絡の血について「見而瀉之,無問所會〔見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」と言った時,ちょうど以下のような情報が伝わってきた。当時において,「脈会」の重要性はすでに周知のことであり,これ以上強調する必要もなく,もし「気血が留居」〔『霊枢』衛気失常〕することによって,孫絡の「血が盛んにして起」こり,まさに急いでこれを去るべき者でなければ,みなすべて審らかに「脈会」を守って,その虚実を調えなければならない。それゆえ『霊枢』官能は「用鍼之理,必知形氣之所在,左右上下,陰陽表裏,血氣多少,行之逆順,出入之合(北宋の『銅人腧穴鍼灸図経』が引用する古い伝本『霊枢経』は「出入之合」を「出入之會」に作り,九針十二原の「營其逆順出入之會」と一致する),明於經隧,左右支絡,盡知其會〔用鍼の理は,必ず形氣の所在,左右上下,陰陽表裏,血氣多少,行の逆順,出入の合(會)を知る,……經隧を明らかにし,左右の支絡は,盡く其の會を知る〕」といい,脈会の重要性が十分認識されていたことを示している。

 刺灸箇所は「其の会を問うこと無かれ」から「尽く其の会を知る」にいたり,実際に脈を刺すことを主とするものから脈兪を刺すことを主とするものへの転換過程を経たが,この歴史的転換を生みだした最大の推進力は「脈会」の意義の発見からもたらされた。

 「脈会」の発見は多くの要素に影響されている可能性があるが,最も直接的で最も長く続き,最も主となる影響は,脈診することで得られた啓発と「診・療一体」観念の導きによるものである。

 脈を診,絡を診る部位がたえず増えるにともない,古人は脈を診,絡を診る部位のほとんどすべてが経脈と絡脈の分岐するところと交会するところ,すなわち「脈会」にあることに気づいた。

 分肉の間を伏行する経脈に比べて,浅く表面にある絡脈の分岐点は観察されやすく,しかも絡を診る部位は我々がよく知っている十五大絡に限らず,多くの小さな絡脈分岐点も常に絡を診る部位である。『黄帝内経』の中でかなり広く応用される諸絡の会である「魚際」以外にも,他の小絡の会も絡を診るのに用いられる。たとえば,耳の後ろに鶏足状に走行する絡脈には二つの分岐点がある。ここは小児の熱性痙攣を診療するために最も重要で,最もよく使われる脈位であり,「癇驚脈」や「驚脈」とも呼ばれている。この脈は今日でも一定の範囲で小児の熱性痙攣の診察に用いられている[15]

  [15] 黄龙祥,黄幼民.针灸腧穴通考《中华针灸穴典》研究[M].北京:人民卫生出版社:2011:957-961. 〔下冊。手三陽三焦経穴・瘈脈の部分にあたる〕

 「診・療一体」の理念に基づき、これらの診を脈,絡を診るための「脈口」は,疾病を治療する「脈兪」「絡兪」に一変した。たとえば,寸口の脈は「太淵」「経渠」という二つの重要な脈兪に発展したし,小児の高熱痙攣を診察する耳後の絡脈も小児の高熱痙攣を治療する最も重要な二つの絡兪「瘈脈」「顱息」となった。この時,人々は自覚的に,かつ意図的に浅または深,大または小の脈会から新しい兪穴を発見し,さらに「脈会」が分布する基本的な法則を探ることができた。これによって,中国鍼灸が理論を構築する上における三つの飛躍の道を開いた。血気を生命の基礎とし,その血脈を見て寒熱痛痺を知り,脈を刺し絡を刺してその経脈を通じさせることによって多くの病を治す。鍼灸学理論の体系化という第一次構築を完成した。これが第一の飛躍である。気血を調和させることを鍼灸の本とし,脈の盛衰をもって血気の有余不足を診断し,微鍼をもちいてその経脈を通じさせ,その血気を調え,その逆順出入の会を営し〔『霊枢』九針十二原〕,脈を刺し絡を刺して経脈を通じさせることから脈兪脈会を刺すことによって血気を調えることへと転換し,そして両者が互いに補完し合う臨床応用の法則を確立した。これが第二の飛躍である。脈会が「節の交」に分布する総法則を発見し,脈会からすすめて肉会・筋会・骨会を類推し,さらに体幹部の脈会から体内の脈会である臓腑の募・原の発見にいたり,異なるタイプの経兪系統を形づくり,それと同時に疾病の状態であらわれる頻度の高い動兪の分布法則をまとめ,それによって臨床における選穴処方をより効果的に導く。これが第三の飛躍である。

 もし「脈会」の鍼灸診療における重大な意義の発見,ひいては脈兪・気穴・骨空・臓腑の募原などの「各々処の名が有る」〔『素問』陰陽応象大論〕経兪の発見がなかったならば,兪穴を「学」とすることができないのみならず,鍼灸も「学」とすることは難しい。鍼灸学の発展における「脈会」概念の大きな意義は、どれほど高く評価されても過言ではないと言えよう。

 「脈会」は兪穴が兪である理由の根本であり,鍼灸学が自立するための根本でもあるので,知るべきことは尽く知っておかなければならない。

 「尽く知る」とは,どういうことか。〔『靈樞』小針解:「盡知鍼意也」。『靈樞』刺節真邪「盡知調陰陽,補寫有餘不足,相傾移也」。〕

 その一,兪に諸会のある者はその会するところをすべからく知っておかなければならない。大兪要穴は往々にして一つの穴が数種類あるいは多層の「脈会」を兼ねている。たとえば任脈の気海穴の浅層は小脈の会であり,深層は大脈の会である。また古人が最初に発見した二つの内臓の原のうちの一つである肓の原は,一穴で気穴と脈兪と募原という三種類の経兪タイプを兼ねている。尽く穴中の諸会を知っていれば,臨床で穴を刺すときに治療する病症の違いによって異なるレベルの脈会の中で機に触れ気を得ることができる。その二,大兪要穴は多様な脈会を兼ねることができるだけでなく,同じ脈会の中にも異なる標的となる区域の「機」がある可能性があり,臨床をおこなう時には主病の異なる部位に基づいて,標的となる器官の「機」の位置に鍼感が至るように入念に探して,兪穴主治の適格性と鍼の効果の確実性を高めなければならない。たとえば,八髎穴は膀胱・尿道・直腸・肛門・生殖器官などの骨盤底内臓および腰脚部の病症を治療できるが,鍼を刺す時に病変部位に基づいて,脈会の中で正確に適切な機を探し,鍼感が標的器官へ伝わるようにコントロールできてはじめて顕著で安定した治療効果を得ることができる。その三,尽くその会を知るには,その「会」を実証しなければならない。信頼の上に証拠があってこそ,『黄帝内経』の「人形を論理する」枠組みは,はじめて堅固な基礎があることになる。これ以外に,古人が発見していない脈会をできるだけ発見するべきである。瘈脈と顱息を例に挙げれば,古人はその表面の浅い絡脈の会しか発見していないが,現代解剖学の最新成果に基づけば,この二穴の下にはそれぞれ一つの皮膚穿通枝がある。これを知っていれば,臨床時にこの層にある脈会の適切な主治病症と鍼刺方法を自覚的に試験し,古い穴による新しい使用という革新が実現できる。

 兪穴の立体構造を明らかにし,尽くその会を知り,正確に操作して,臨床の効果,特に治療効果の確定性を高める以外に,さらに重要な考慮事項がある。その一,鍼灸の有効性と兪穴作用の特異性実験研究の質と科学性の向上に役立つ。その二,人工知能の効果的な導入に役立つ。たとえば,人工知能と仮想ナビゲーション技術が,超音波誘導下の兪穴の位置を定めるための補助システムと鍼灸ロボットの研究開発などに連携して応用する。これらのすべての構想が定着発展するかどうかは,みな兪穴の立体構造を明らかにできるかどうかにかかっている。


2024年5月7日火曜日

黄龍祥『兪穴論』3.3

  3.3 「会」を知り,「機」を知る

 兪穴の「機」は脈会にあり,穴中の機を刺すにはその脈会の所在をまず知らなければならない。

 脈には大きさと深さの違いがある。その「会」の浅いものは容易に得られ,深いところは分かりにくい。古人は深さ・大きさ・数量が異なる「脈会」の所在をどのように探ったのだろうか。

 漢代の『太平経』には,当時の鍼師が深部の「脈会」を探索するための一般的な方法が記載されている。「灸刺者,所以調安三百六十脈,通陰陽之氣而除害者也……三百六十脈,各有可睹,取其行事,常所長而治訣者以記之,十十中者是也,不中者皆非也,集衆行事,愈者以為經書,則所治無不解訣者矣。天道制脈,或外或內,不可盡得而知之也,所治處十十治訣,即是其脈會處也〔灸刺なる者は,三百六十脈を調え安んじ,陰陽の氣を通じて害を除く所以(ゆえん)の者なり……三百六十脈,各々睹(み)て,其の行事を取る可き有り,常に長じて治する所の訣なる者は以て之を記(しる)す,十に十中(あ)たる者は是なり,中(あ)たらざる者は皆な非なり,衆(おお)くの行事を集め,愈ゆる者は以て經書を為(つく)り,則ち治する所 訣を解さざる者無し。天道は脈を制し,或いは外 或いは內,盡(ことごと)くは得て之を知る可からざるなり,治する所の處 十に十治する訣は,即ち是れ其の脈の會する處なり〕」。いわゆる「十に十中(あ)たる」「十に十治する訣」とは,当時の鍼と薬の効果の三段階評価で最高級(二級は「十中九」、三級は「十中八」)を指す。この文から,当時の鍼師は「脈会」の所在が「盡(ことごと)くは得て之を知る可からざる〔全部を知ることはできない〕」ことをすでに知っていて,その知るのが難しい内部にある「脈会」については何千何万回にものぼる鍼刺試験で確認し,それらの鍼刺の治療効果が最も良い場所を「脈会」と定めなければならなかったことが分かる。このような方法で一つ一つ脈兪が発見され,伝承されてきた。これは愚鈍に見える方法ではあるが,各種の経兪にもみな適用される方法である。

 このほか,『黄帝内経』は目で見て手で触る簡単な方法で脈を察し穴を探る方法も採用している。いわゆる「視而可見,捫而可得〔視て見る可し,捫(な)でて得(う)可し〕」〔『素問』挙痛論〕というのが,これである。たとえば,当時の鍼術の最高水準の一つとみなされる,耳鳴りと難聴を治療する定石的な刺法である「発蒙法」での脈会を探り機に触れる法は,「刺此者,必於日中,刺其聽宮,中其眸子,聲聞於耳,此其輸也〔此れを刺す者は,必ず日中に於いてし,其の聽宮を刺し,其の眸子に中たらば,聲 耳に聞こゆ,此れ其の輸なり〕」〔『霊枢』刺節真邪〕である。これは目標に鍼を刺した直後の鍼の効果反応を機に命中したかどうかを判断する指標としている。『広雅』釈親には「珠子謂之眸〔珠子 之を眸と謂う〕」と記載されていることから,『黄帝内経』にいう「眸子」とは,『黄帝明堂経』にある聴宮穴の位置に記載されている「耳中珠子,大如赤小豆〔耳中の珠子,大なること赤小豆の如し〕」のことであることがわかる。筆者はかつて裸眼で視力の良い鍼灸師に十分な日光の下で,鼓膜に問題のない被験者を観察するよう実際に指導したことがあり,確かに赤小豆より少し小さい白い「珠子」,すなわち鼓膜臍を見ることができた。今日の鍼灸師で裸眼視力がよく,そのうえ手先が器用で動作の安定性が高い者は,二千年以上前の古人の原始的な方法を用いて,当時のきわめて巧妙な鍼術をおこなうことができる。今日の鍼はより細くなっていて,古人よりも広い空間を見ることができるため,鍼を操作する難度は低下しているかもしれない。

 古人が脈会を探索する具体的な操作方法はほとんど伝わっていないが,少なくとも一部の脈会の探索過程は今日も簡単な方法で再現できる。たとえば,肓の原である「気海」は,臍下一寸半にあり,その脈会は腹内に深く隠れている。『グレイ解剖学』[9]1919の測定データによると,成人が仰向けになったとき,腹大動脈の分岐は臍下約2cmに位置し,まさに気海穴に相当する。二千年以上前,古人は超音波装置を持っていなかったが,どのようにして腹腔の奥にある「伏衝の脈」(腹大動脈)が臍下一寸ほどで左右に分岐していることを知り,それを「肓の原」と呼んだのだろうか。筆者は「視而可見,捫而可得〔視て見る可し,捫(な)でて得可し〕」という方法を用いて古人の発見過程を再現し,標準体型の成人は仰臥位の時,触診を通じて腹大動脈の分岐点が臍下一寸前後であることを確認することができた。痩せ気味の被験者であれば,以下の血管圧迫試験を用いてさらに確認することもできる。臍のやや左下または右下で明らかな脈動に触れることができ,母指の垂直圧で脈動が消えるまで圧迫して20〜30秒保持した後,突然手を緩めると,被験者は圧迫された側の下肢に急速に熱気が流れるのを感じる。この圧迫点のやや内側の上方が,すなわち腹大動脈の分岐点である。また筆者の観察では,臍下の灸では,痩せ気味の被験者の方が腹大動脈拍動がより顕著であり,視覚によって観察できる。

 このように,二千年以上前の古人が腹内に深く隠れている「脈会」を発見したことは,決して神秘でも,不可思議でもないことがわかる。他の募穴の脈会を探る法で,輯佚した例は以下の通りである。

 二千年以上前とはいえ,古人は独特な観点と論証論理によって,兪穴の構造と機能の探索の中で多くの非常に価値のある発見をした。しかし率直に言って,先進的な観察設備と方法を欠いており,主に裸眼と素手で探していたので,古人も兪穴の「脈会」をいくつか見落としていたはずで,探す難度が最も低い絡兪の中にあっても古人の見落としを見つけることができる。たとえば,古人は小児の耳の後ろに鶏足のように走る絡脈が二つに分岐している(成人ではこの絡は目立たない)のを発見して,二つの絡兪である「瘈脈」と「顱息」を確定した。しかし現代解剖学はこの二穴の下に古人が見つけなかった二つの「脈会」,すなわち二つの皮穿枝を発見した。二千年以上前の古人が見つけなかっただけでなく,漢代以降の医学家もみな,あらたに見つけられなかったものである。

 古今の鍼灸師が兪穴脈会を探す上で,以下のような二つの状況が存在する。その一,二千年以上前に素手と裸眼で自然光の下で難度の高い機に触れる方法がおこなわれたが,今日の鍼灸師は適切な設備の助けをかりることによって,難度を大幅に下げることができる。たとえば,『黄帝内経』時代を代表する高難度の鍼術である「発蒙」は,今ではLEDランプを装備した採耳ピンセットを少し改造するだけで古人には望むべくもない鍼術を成し遂げることができる。鼓膜穿刺の経験が豊富な耳鼻咽喉科医であれば,専門の設備が用意されれば,操作はさらに容易になる。その二,二千年以上前に古人が熟練して応用した機に触れる法は,後世および今日の鍼灸師には極めて掌握しにくい。たとえば,常用穴である八髎は,医療画像学の助けを借りても,何千何万回の実践訓練を経なければ,思いのままに「関」を過ぎることは難しく,ましてや「関」にしたがって「機」に触れることなど,言うまでもない。

 前節の「脈会の微」では,現代解剖学の成果と結び合わせて,異なるタイプの経兪の「脈会」を詳細に解析し,鍼灸治療家が穴を刺して機に触れることと,兪穴の構造に関する実験研究のための,よりはっきりした「ターゲット」を提供した。しかし,鍼灸師が認識しなければならないのは,「脈会」の構造をしてさえいれば,どの部分を刺しても古典鍼灸における上工による「機を知り」「機を守る」という要求を達成できるわけではないということである。たとえば,現代解剖学の知識にもとづけば,血管は神経と伴走することが多く,伴走する神経も「脈会」を構成する要素の一つなのかどうか。もしそうなら,どの神経部分が主なのか。穴を刺して機に触れるには脈会中の異なる構造にどのようにすれば正確に刺せるのか。

 まず,兪穴の機が「脈会」にある以上,穴に刺して機に中(あ)てるには,血管から離れることはできないという基本的な判断を明確にする必要がある。神経を刺すとしても,鍼の尖端が最も触れる可能性が高いのは血管周囲の神経であるはずあり,その次は血管とそれに伴走する神経である。具体的に異なる種類の経兪を刺す場合,どのように脈にしたがって機に触れるかは,以下の三つの面から判定することができる。

 第一,各種の兪穴の位置。脈兪・気穴・募穴・骨空という四種類の経兪の中で,内臓の募穴と原穴は内臓神経叢と節が密集して分布するところであり,もし神経を刺してあたるとすれば自律神経(腸神経系を含む)である。表在の絡兪は,その脈が視認でき,鍼刺時に虚実にもとづいて,刺絡して血を出したり,脈を摩でて気を導いたりする。活性化されるのは主に血管内皮細胞と血管壁および外膜から分泌される血管活性物質,それに血管周囲神経である。気穴,たとえば古典鍼灸の刺法によって最も触れる可能性のある神経は血管周囲神経であり,その次は血管と伴走する皮神経である。

 骨空および深部の脈兪は,脈と伴走する神経成分が複雑であり,どのように正確に機に触れるかは,以下の第二・第三点と合わせて判定しなければならない。

 第二,得気の指標と鍼感の描写。得気には二つある。邪気を得ることと穀気を得ることであるが,鍼の刺入で求めるのは穀気を得ることで,穀気が至れば止める。「邪氣來也緊而疾,穀氣來也徐而和〔邪氣來たるや緊にして疾,穀氣來たるや徐にして和〕」〔『霊枢』終始〕である。鍼で体幹の神経幹を刺すことによる,はげしく患者が耐えられないほどの感電したような鍼感は,「穀気」とはみなされず,「邪気」[13] と呼ばれたことが分かる。「穀気が至る」ことを判定するには二つの指標がある。その一,鍼下温度の変化,たとえば「鍼下熱す」「鍼下寒(ひ)ゆ」〔『素問』針解〕。その二,脈の和,すなわち脈が実であれば「瀉せば則ち虚を益し」,脈が虚であれば「補せば則ち実を益す」〔『霊枢』終始〕である。

  [13] 李鼎.针灸学释难 增订本[M].上海:上海中医药大学出版社,1998:33.〔浅野周訳『鍼灸学釈難』(源草社)では,17頁。〕

 鍼下の寒熱と脈象の虚実の変化は主に血管の伸展収縮によって引き起こされる。血管の伸展収縮の神経機序はどんなに複雑でも,常に自律神経による調節を主な機序としている。これから分かることは,「脈会」を刺して神経に中(あ)たったとしても,古人が主に求めていたのは自律神経の調節であるので,「息を調え」「神を治める」ことを強調して,これを助けたことである。体性感覚と運動神経を刺激する効果を追求すのであれば,まったくこれ以上のことは必要ない。

 しかし,現代鍼灸の臨床実践により,体性〔somatic〕神経に適切な刺激を与えることは肢体の感覚と運動障害,特に経筋病に対して明らかな治療作用があることが示されている。『黄帝内経』には体性神経誘導について記載言及したものに『霊枢』経筋篇にあり,古今の鍼刺経験が一致していることを物語っている。

 鍼感に基づいて古人が穴を刺して「機」に触れる方法の輯佚に成功した例がある。腹部募穴の「機」を刺す技法は早期に失われてたが,宋代に許氏がこの法を輯佚し,その一部の佚文は元代の『鍼経摘英集』に掲載されたが,元代以降は再び失われた。明代,朝鮮の太医許任は,『鍼経摘英集』に記載された宋代の許氏の募穴を刺す鍼感に基づいて,一回の試験で最終的に腹部募穴脈会の「機」に触れる法の輯佚に成功した[14]

  [14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

  〔訳注:[14]の第4章の第7節の四、募刺法を参照。宋代の許氏とは,許希のことで,『神應鍼灸要訣』1巻を撰した(佚)。その佚文が朱肱の『活人書』に引用されている。例:卷2:「期門穴:在乳直下筋骨近腹處是也。凡婦人病,法當鍼期門,不用行子午法,恐纏臟膜引氣上,但下鍼令病患吸五吸,停鍼良久,徐徐出鍼。此是平瀉法也。凡鍼期門,必瀉勿補。可肥人二寸,瘦人寸半深」。

  『鍼灸經驗方』については,[14]の186頁を参照。

  『鍼灸經驗方』卷中・鍼中脘穴手法:「方書云:中脘穴鍼入八分,然而凡人之外皮內胞,各有淺深,銘念操心,納鍼皮膚,初似堅固,徐徐納鍼,已過皮膚,鍼鋒如陷空中,至其內胞,忽覺似固,病人亦致微動,然後停鍼,留十呼,徐徐出鍼(注:凡諸穴之鍼,則或間一日行鍼,而中脘則每間七八日而行鍼。鍼後雖頻數食之,慎勿能食,不爾則有害)。」〕

  https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003421  82/164コマ目

 第三に,具体的な兪穴の主治病症に基づく。先にのべた八髎穴を例とすれば,その脈会と脈に伴走する神経には内臓神経があり,また体性神経がある。筆者と他の人の鍼刺実践経験はすべて鍼尖が仙骨前孔付近にいたり,体性神経に触れる確率が決して低くないことを示しているが,『黄帝明堂経』に記載されている八髎穴の主治のほとんどすべては,骨盤内臓器の病気であることから,古人が八髎穴を刺すときには,鍼尖の方向と深さを自覚的に制御して,血管周囲神経や血管に伴走する自律神経に中(あ)てていたことを示している。もちろん,八髎穴を刺して足腰の痛みを治すなら,体性神経を適切に鍼刺することもできないくないが,より操作しやすい兪穴を選択することが十分に可能であり,このように操作難易度が高い八髎穴を選択する必要はない。

 穴を刺して「機」に触れる法を多く見つければ見つけるほど,それが正確であればあるほど,兪穴構造研究のブレイクスルーに役立つと,ある程度いうことができる。異なるタイプの兪穴には異なる「関」と「機」の構造がある。絡兪は表面で浅いところにあり,その鍼刺の標的は明らかである。もしくは「関」と「機」はほとんど一体であるため,関の位置が定まりさえすれば,機に触れる方法は比較的簡単である。

 気穴の「機」の位置は固定しており,すべて分肉の間にあるので,機に触れる方法にはしたがうべき法則がある。すなわち気穴を刺すには肉肓に中(あ)てる必要があり,また肓を過ぎて肉に中(あ)てないことによりはじめて「機」に命中し,気を得ることができる。かつまた『黄帝内経』では,「機」に命中した判定指標は「穀気至る」であり,すなわち脈が和平になるとも説明している。

 骨は大きさや厚さが異なり,その空孔の深さや大きさも決まっていないが,骨空類の兪穴の「関」の位置は明確であり,正確に「関」に入れさえすれば,「機」を探す道から簡単に逸脱することはない。

 兪穴の「機」で最も探しにくいのは脈兪と内臓の募および原である。募と原は深くは内臓の膜にいたるし,人体の最も深いところにある大脈会は,探索の難易度が非常に大きく,「機」に触れる法に求められる水準も高く,古今この術を身につけている人は少ない。

 脈会を探り穴を刺し機に触れる基本原則は,以下のとおり。脈兪を刺して脈に中(あ)て「機」を探す。絡兪を刺し絡に中(あ)て血を出す(分岐点に取る)。気穴を刺して肉肓に中(あ)て「機」を探す。髎穴の骨孔中を刺して「機」を探す。募穴を刺して肓膜脈会に中(あ)て「機」を探す。

黄龍祥『兪穴論』3.2

   3.2「脈会」の微

 上文において神経ブロック療法の体表位置と目標点位置を用いて,鍼灸兪穴の外の「関」と内の「機」の立体構造を説明したが,よく知られているように,神経ブロックの目標神経点はその位置がどれほど小さく隠れていても,注射針がどれほど触れにくいとしても,目標点の位置は明確であり,経験不足のために実際の操作時に何度試みても命中しない可能性はあるとしても,その存在を疑う余地はなく,練習を続けさえすれば,また神経刺激装置や超音波ガイドの助けを借りることによって,命中率と安全性を高めることもできる。

 鍼灸従事者について言えば,「機」はどこにあるのか。経典に「機之動,不離其空,空中之機,清靜而微〔機の動は,其の空を離れず,空中の機は,清靜にして微〕」〔『霊枢』九針十二原〕とあり,兪穴の中核をなすものが「脈会」であることを知っていれば,兪穴の機は脈会から離れないことを知っている。では,「脈会」にも確かな構造があり,探索し考察することが可能だろうか。答えはイエスであり,なおかつ伝世文献には「脈会」を探る一般的な方法といくつかの特殊な方法が明記されている。

 先進的な解剖学的方法と技術の支えを得る以前,古人は人形を論理して「脈会」の中に識別できたのは「脈」だけであり,脈とは異なる索状や繊維様構造を見ても,識別できないため,「脈」の類に一括して分類されていた。まさに陳太羲先生が述べたように,『黄帝内経』にある「脈」「経脈」は一つの集合概念であり,現代解剖学における「神経血管束」に相当する[8]

    [8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

 古人の「脈会」の機能に対する認識,および「脈会」を刺して命中した後の鍼感と鍼の効果の記述に基づき,現代の人体解剖学で知られている構造と照らし合わせることによって,今では異なるタイプの兪穴乃至同じ兪穴の異なるレベルの「脈会」は,その微細な構造が同じとは限らないことが分かる。

 (1)骨空構造

 現代解剖学の枠組みでは,骨孔は血管神経束が出入りする孔であり,異なる骨孔に出入りする血管神経の詳細もほぼ明らかになっている。したがって,既知の現代解剖学の知識によって,かなりの程度まで骨空に出入する「脈会」の微細な構造を確認することが可能である。以下に例をあげて説明する。

 例1:『素問』骨空論は髄海の骨空〔骨のあな〕の一つについて,「髓空在腦後三分,在顱際銳骨之下〔髓空は腦後三分に在り,顱際の銳骨の下に在り〕」といい,王冰は「是謂風府,通腦中也〔是れを風府と謂い,腦中に通ずるなり〕」と注している。この「顱際の鋭骨」とは,現代解剖学術語でいう「後頭隆起」のことであり,その下はまさに髄空である「大後頭孔」に当たるので,王冰の注解は完全に正しい。『霊枢』海論もこの点を確認し,髄海に出入りする骨空「風府」の脈会が「筋骨血氣之精」をなして,「而與脉并為系,上屬於腦後,出於項中〔而して脈と幷して系と為り,上って腦後に屬し,項中に出づ〕」〔『霊枢』大惑論〕ることを具体的に記述している。ここでは脈とたがいに「幷」するものとして「筋骨血気の精」もあることを明確に指摘している。

 では,脳髄の骨空である風府穴に出入りする「脈」は,具体的にどの脈の交会であり,脈と「幷」行する構造には,またどのようなものがあるのだろうか。

 現代解剖学の代表作である『グレイ解剖学』[9]によれば,この骨空に出入りする脈には次のものがあることが知られる。椎骨動脈,この脈は後頭骨の大孔に入る所で1~2の分枝を出す。後外側に後脊髄動脈があり,前正中に前脊髄動脈がある。椎骨内静脈叢はここに密集した静脈網を形成する。動脈に随伴する神経には副神経脊髄枝と交感神経叢があり,ここで延髄が脊髄に接続し,脊髄根は椎骨動脈の後方で大後頭孔に入る。

  [9] Williams PL,杨琳,高英茂.格氏解剖学[M].沈阳:辽宁教育出版社,1999.

 例2:『黄帝明堂経』に記載された尻の骨空八髎穴がある体表の位置は明確である。すなわち,ちょうど左右四つの後仙骨孔の体表陥凹部である。その「機」には深さの異なる層があり,深層の「機」は対応する前仙骨孔にある。主な証拠は二つある。『黄帝明堂経』では八髎穴を刺す深さは二~三寸であり,この深さでは鍼尖の位置は明らかに仙骨前孔付近に達している。『グレイ解剖学』によれば,仙骨前孔付近の血管には仙骨中の血管と仙骨外の血管がある。血管に随伴する神経には交感神経幹があり,仙骨前孔の内側または前方には四つまたは五つの互いに接続する交感神経節があり,仙骨神経と尾骨神経の腹側枝からなる仙骨神経叢と尾骨神経叢がある。

 (2)気穴の構造

 『黄帝内経』の中で最も明瞭かつ最も完全な経兪の構造は「気穴」である。その構造には以下のいくつかの特徴がある。その一,肉会である「渓」「谷」のところに多く分布する。その体表の特徴は陥凹として表現されることが多い。これが気穴の「関」である。その二,気穴の「脈会」の位置は動くことはなく,分肉の間の「肉肓」にある。鍼尖が肉肓に触れなければ「機」に命中せず,「穀気」を得ることができない。穀気を得ればそこで止める。肓を過ぎて肉に中(あ)たってもいけないし,達しなくてもいけない。肉肓のところに出る「脈会」を精確に刺さなければならない。その三,会合する脈の大きさもはっきりしていて,脈の中で三番目の「孫脈」である。その四,体表に位置する「関」から肉肓の「機」までの間には「遊鍼の居」という間隙がある。鍼はその間隙に沿って「関」から肉肓まで進み,巷を遊行するがごとく滞り阻まれることはない。

〔『靈樞』脹論:「此言陷於肉肓,而中氣穴者也。不中氣穴,則氣內閉,鍼不陷肓,則氣不行,上越中肉,則衛氣相亂,陰陽相逐」。〕

 近ごろ,中国医学と西洋医学の専門家[8,10-11]から次のような指摘がなされている。現代解剖学の血管体構築ユニットにおける皮穿支(近年、国内では「皮穿支」概念を引用する際に多くの発展伸展があり,本論は2012年の「中国穿支皮瓣的名词术语与临床应用原则共识(暂定稿)/中国の穿通枝皮弁(perforator flap)の名詞術語と臨床応用原則の共通認識(暫定稿)」の定義を採用する。すなわち皮穿支とは源血管から発せられ,深筋膜を通して皮下組織と皮膚を支配する血管を指す)は,上述の二千年以上前に古典鍼灸学で記述された「気穴」の構造特徴とみな一致する。たとえば,皮穿支は,皮と肉の分の深筋膜のところに穿刺し,その位置は気穴の「脈会」点の位置と同じである。穿通枝血管の管径は平均1mm以下で,気穴構造のうちの「孫脈」と同じレベルである。直接する皮穿支は多く深筋膜の「渓」と「谷」に沿って皮表へ延伸し,気穴構造の「渓」「谷」概念と一致する。用語さえも驚くほど一致する。

    [8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

    [10] 刘斌,尤海燕,李玉华.谿谷结构的现代解剖学印证[J].北京中医药大学学报,2016,39(8):639-642.

    [11] Zhi Wei D, Yu S, Yongqiang Z.Perforators,the underlying anatomy of acupuncture points[J].Altern Ther Health Med, 2016,22(3):25-30.

    〔穿通枝皮弁とは近年,再建外科領域に新たに登場した皮弁の総称であり,筋肉を穿通し皮膚に至る血管それ自体を皮弁の栄養血管として挙上される皮弁である。多くの場合,これらの皮弁は微小血管吻合による遊離組織移植として欠損の再建に用いられるほか,有茎移植も可能である.

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsma1939/65/4/65_4_289/_pdf/-char/ja

    https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8435948/〕

 特に指摘しなければならないのは,兪穴の「穴樹」構造を最初に提出した陳太羲先生[12]から,ここ数年の国内の顕微骨科〔マイクロサージャリー〕医のより厳密な論証まで,みな皮穿枝構造を経兪の構造全体と比較しているが,その分析から以下のことが確認できる。皮穿枝構造が兪穴の構造と一対一に対応できるのは経兪中の「気穴」だけであり,脈兪・絡兪・募穴・骨空類の経兪,特に後ろの三つの経兪の構造とは大きく異なる。完全かつ厳密に表現すれば,皮穿刺枝は気穴論篇に述べられている「孫絡」に相当し,気穴に会する孫絡を含むだけでなく,穴会ではない孫絡も含み,皮穿枝が筋穿刺深筋膜に出る部位は気穴の底の構造に相当する。

    [12] 陈太羲.固有筋膜以上的穴树图[J].南京中医学院学报,1989,5(4):51-52.

 (3) 原穴と募穴の構造

 その「脈会」の多くは,二層あるいは二層以上をなしているが,これまで研究者はその表層の「脈会」に多く注目して,より重要な深層の「脈会」,すなわち血気が臓腑に出入りする「脈会」に注意を払わなかった。漢代の鍼灸兪穴経典『黄帝明堂経』に記載された349穴の中で,最も鍼を深く刺す兪穴は腹部の募穴と仙骨部の八髎穴であり,多くは二~三寸(環跳穴に対する深さの二~三倍)であり,臓腑の原穴と募穴に刺せば,この深さでは鍼尖は明らかに腹膜または内臓の被膜・隔膜・腸間膜および内臓付近の大血管に達して触れることになる。現代解剖学の実験により,密集して分布する内臓神経叢または節は,それを囲む大血管の主要な分枝に沿って延び,内臓の被膜・隔膜・腸間膜にも豊富な自律神経(腸管神経系を含む)が分布していることが明らかになった。かつまた後世における内臓の募穴を深く刺したときの鍼感とその効果も典型的な自律神経調節効果として表現される。このことから,内臓の募穴・原穴の「脈会」構造には自律神経成分が含まれていることがわかる。たとえば,「肓の原」である気海(別名は脖胦,または下肓)は臍下一寸半にあり,その「脈会」は脊椎内を伏行し,「十二経の海」と呼ばれる衝脈にある。『グレイ解剖学』によれば,臍下2cmに腹大動脈の分岐点があり,上下腹神経叢が分布し,この叢には三つの主要な源がある。すなわち腹大動脈神経叢(交感神経と副交感神経)・腰内臓神経(交感神経)・骨盤内臓神経(副交感神経)である。

 (4)脈兪の構造

 「脈会」には主に二つの種類,大脈の会と諸脈の会がある。以下にそれぞれ論ずる。

 人迎については,『黄帝明堂経』に「一名天五會,在頸大脈動應手,俠結喉傍,以候五藏氣〔一名は天五會,頸の大いなる脈動 手に應じ,結喉を俠む傍らに在り,以て五藏の氣を候う〕」とある。『霊枢』はこの穴を四海の一つ,「気海」の兪とする。大脈の兪であり,治病の要穴であることが分かる。現代解剖学によれば,「人迎」はまさに総頸動脈の分岐部にあたり,特殊な化学と圧力の感覚器があり,外膜には頸動脈洞神経および舌咽神経・迷走神経と交感神経からなる神経叢が支配している。頸動脈鞘内には総頸動脈とそれから分かれた内頸動脈と内頸静脈および迷走神経幹と頸神経ワナがある。現代医学の視野の下では,ここも血行を調節する重要な節点であることが十分にうかがえる。

 しかし,脈兪の複雑性はまた,その作用する強さと範囲が会する所の脈の大小に左右されるだけでなく,会する所の脈の多少と脈会の階層の多少次第でもある。たとえば,寸口の脈に位置する太淵穴は,その会する所の脈は人迎穴より遥かに小さいが,古典鍼灸学ではこれを肺の源,脈の大会,手太陰脈の本としていて,脈診で最もよく使われる部位でもある。古典鍼灸学における「診・療一体」の観念に基づけば,病気を診断する上で重要な意義を持つ脈口は,当然治療上でも非常に重要な脈兪である。

 また魚際穴は,経典に「陰諸絡會於魚際,數脈并注,其氣滑利〔陰の諸絡は魚際に會し,數脈幷(なら)んで注ぎ,其の氣は滑利〕」〔『霊枢』邪客〕とあり,常用される絡の診どころであり,それと同時に重要な治病の絡兪でもある。一脈が注げば兪となることができ,「数脈が幷(なら)んで注」げば,気血は盛大であり,大兪要穴となるが,会する所の脈がみな大きいわけではない。現代解剖学の実験観察によっても,魚際区には血管が豊富な静脈叢があることが確認されている。

 このような諸脈の会である脈兪は,数千年前の実践検査をへてその治療作用がより強く,作用範囲もより広いことが明らかになったが,このような脈兪には他の脈兪にはない気血を調節する構造か,より密度の高い調節する構造があって,それによって普遍性がより高い診察と治療の作用を示しているはずである。

 すでに発見された構造から見ると,脈兪の機にはまだ多くの知られていない探索発見が待たれる謎がある。たとえば,大脈の兪である「人迎」が位置する血管分岐点の内外にあるような複雑で強力な制御構造は,特定部位の動脈が分岐する点だけに存在するのか,それとも各種動脈が分岐する点に普遍的に存在するのか。直径が異なる動脈分岐部の制御構造の種類と数には,どのような異なる法則があるのか。これらの基本的な問題について,目下の現代解剖学にはまだ関連する研究がない。


2024年5月6日月曜日

黄龍祥『兪穴論』3.1

  3 兪穴構造の関機論

 秦代の弩には,矢を放つ部分である「機」の外側に誤発射を防止する「関」という囲みがある。弩機のこの構造を借用して形象化し,古人は兪穴の「外大内小」「外粗内精」構造の特徴と操作の規範を説明した。本論ではこれを「関機論」と称する。

 『黄帝内経』の「関機論」は,兪穴が構造的であることを説明している。筆者は一歩進んで同時代の関連文献を考察し,兪穴のこの構造が探索可能であり,考慮可能であることを証明し,さらに中国の古代の兪穴の構造と現代解剖学で知られている人体の構造を比較し,二千年以上前の中国の古代の兪穴の構造研究は,肉眼による観察と手による探索という原始的な方法を主に採用したのにもかかわらず,現代解剖学では捕捉されていない気血の運行を制御する重要な構造とその機能を見つけていたことに気がついた。


  3.1 「関」にしたがって「機」を探る

 「関」があり,「機」があるとは,兪穴は内に「機」があり,外に「関」がある,口が大きく底が小さい立体構造であることを言っている。「関」は兪穴の体表位置での輪郭に相当し,この範囲内には「気至る」を触発して風が雲を吹きはらうような鍼の効果を得る「空中の機」という点がある。現代人がもっとよく知っている現代医学の神経ブロックの体表位置と目標点の位置関係を用いて,兪穴の「関」と「機」の立体構造を説明すると理解がより容易になるかもしれない。兪穴の「関」は神経ブロック点の体表位置に似ている(正確な位置は必要ない)。「機」は神経ブロック目標神経点――神経幹・神経根・神経叢・神経節などに似ている(正確な位置が必要)。神経ブロックをおこなって目標とする神経点にあたらないか離れた場合は,操作全体の失敗を意味している。

 古典鍼灸でも,「関」の位置が基準に合っていても関を過ぎて機に触れることができなければ,「粗工」 (初級鍼師)のレベルにしか達していない,と考えられている。いわゆる「粗守關,上守機〔粗は關を守り,上は機を守る〕」(『霊枢』九針十二原),「知機道者不可挂以髮,不知機者扣之不發〔機の道を知る者は挂(か)くるに髮を以てす可からず,機を知らざる者は之を扣(たた)くも發せず〕」(『素問』離合真邪論)である。

 経兪を刺すときに「関」にしたがって「機」を探るだけでなく,一部の奇兪を刺す場合も同様である。たとえば経筋病を刺すときは痛みを兪とし,「知るを以て数と為す」必要があり,筋が急する所で最も痛い点を正確に刺してこそ,最適な治療効果を得ることができる。

 〔訳注:著者の論文「筋病刺法的演變與經筋學說的興衰」(『中国針灸』2023年8月第43巻第8期)によれば,『霊枢』経筋にある「以知為數」を,筋急など患部の最も痛む点に鍼を刺し,患者が感じる耐えきれないほどの痛みの知覚と,術者が筋肉に痙攣を知覚する鍼感を「知」といい,この患者と術者の「知」があれば治療効果がもっともよく,これを「數=度」とする,と解している。〕

 残念なことは,『黄帝内経』は兪穴を刺して「機」に触れ気を得ることの重要性を非常に強調していても,どのように「機」に触れるかという方法についての記述は少ないことである。漢代の『黄帝明堂経』以降の兪穴経典にある兪穴の位置に関する記述の多くは体表の「関」の位置についてであって,臨証において穴を刺すには,どのように「関」にしたがって「機」を探したらよいのか。古人が省略したか,あるいは後世に失われた「機」を刺すための詳細を可能な限り取り戻さなければならない。


2024年5月5日日曜日

黄龍祥『兪穴論』2.3

  2.3 節点

 兪穴の多くが「節の交」に分布することを知ったが,それではどの部位の交点が兪穴,特に大兪要穴が密集して分布するところなのか。すなわち「節の交」における鍵となる交点の分布にはどのような法則があるのか。この法則が把握できれば,臨床の選穴処方は「一言にして之を終える」要を得ることができる。

  「脈会」を,脈兪を含めた各種の経兪の中核としているので,論理的に以下のように推測できる。すなわち脈会が多ければ多いほど,気血が盛んである部位であるほど,兪穴が密集して分布し,大兪要穴の所在である可能性もより高くなる。

 では,古典鍼灸学の角度に基づけば,どの部位が気血が最も盛んで脈会が最も多い部位であろうか。気血が分布する量は,関節の大きさおよび機能の複雑さに比例している。その典型的な例は以下の通りである。

 例1:人体で最大の脈は脊裏をめぐる衝脈であり,十二経の海である〔『霊枢』海論〕。脊椎は頭蓋骨と一体であり,人体最大の骨であり,関節と骨空が最も多い骨でもあるので,経典に「腰脊者,身之大關節也〔腰脊は,身の大關節なり〕」〔『霊枢』刺節真邪〕とある。この最大の脈は,最も大きくかつ関節が最も多い骨と密接に関連している。

 例2:人体で関節が最も多く,機能が最も複雑な部位は手足と脊柱であり,これらの部位の血気も最も豊富で,しかも血気が運行する重要な節点である。手足部は陰陽脈の会であり,十二経脈が出るところである。

 例3:骨空が最も多い頭顔面も血気が豊富な部位であり,経典に「十二經脈,三百六十五絡,其血氣皆上於面而走空竅〔十二經脈,三百六十五絡,其の血氣は皆は面に上って空竅に走る〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕とある。

 例4:脈兪,特に大兪は骨間・骨空・骨の会処に多い。

 このほか,中央部の脈は,腹部中央の任脈のように左右の諸脈が交会し,頭頂部・脳後・頸部中央の督脈の兪も左右の諸脈と交会することが多い。人体の最高点と最低点および突出部(指端・足指端・耳・鼻など)の突出した点も諸脈が交会し,気血が充満する場所である。たとえば人体の最も高い点である頭頂部にある「百会」は脳に入る髄空の一つであり,また足太陽・足厥陰・督脈が交会する場所である。最も低い点である足心は陰脈があつまる場所であり,いわゆる「陽氣起於足五指之表,陰脈者集於足下而聚於足心〔陽氣は足の五指の表に起こり,陰脈は足下に集まって足心に聚まる〕」〔『素問』厥論〕である。「手足少陰、太陰、足陽明之絡,此五絡皆會於耳中〔手足の少陰・太陰・足陽明の絡,此の五絡は皆な耳中に會す〕」〔『素問』繆刺論〕,「十二經脈,三百六十五絡,其血氣皆上於面而走空竅,其精陽氣上走於目而為睛,其別氣走於耳而為聽,其宗氣上出於鼻而為臭〔十二經脈,三百六十五絡,其の血氣は皆は面に上って空竅に走り,其の精陽氣は上って目に走って睛と為り,其の別氣は耳に走って聽と為り,其の宗氣は上って鼻に出でて臭と為る〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕

 これらの部位はちょうど現代解剖学が発見した血管が最も多く,かつ血行をコントロールするための鍵となる部位である。たとえば,全身で最も大きな動脈である大動脈は,脊柱の前を走る。頻繁に動く関節とその付近にある動脈には多くの分枝と互いに吻合した血管網がある。四肢の血管の多くは,筋肉と骨格の溝・隙間および関節の屈曲面に分布している。頭頂部の百会穴のところには,左右の後頭動静脈と左右の浅側頭動静脈,および左右の前頭動静脈からなる血管網がある。足心にある湧泉穴には,多数の血管が吻合していて,足底動脈弓とそれに伴走する足底静脈弓を形成している。指(趾)腹と爪床において,動静脈が吻合することによって多くの小構造単位を形成するが,これを血管球〔参考:血管球(glomerulus):腎臓小嚢に包まれた毛細血管。糸球体/グロムス装置(glomus apparatus)・グロームス小体(glomus body)・血管糸球・皮膚糸球〕という。これらの血管球は真皮の深層に位置し,各血管球には 一つかそれ以上の輸入動脈がある。動静脈の吻合は冷えやすい体の末端部(手・足・耳・唇・鼻)に多く見られる。

 これによって,現代解剖学がまとめた血液の運行と調節の幹線道路と鍵となる部位の法則が二千年以上前の鍼灸学の認識と軌を一にすることがわかる。

 気血の分布が最も多い区域は当然ながら「脈会」が最も多い場所であり,気血の運行を調節する鍵となる部位も,兪穴,特に大兪要穴がある場所である可能性が高い。漢代の『黄帝明堂経』が掲載する349個の経兪と明代の官修医学書『奇効良方』が掲載する26個の「奇穴」を系統的に考察したところ,兪穴が密集して分布する場所と大兪要穴の位置は,上述した中西医学の共通認識である血気が豊かな場所と血行調節の鍵となる点の分布法則と完全に一致する。例をあげれば,諸骨節の交と骨の前後両側には兪穴があり,特に大兪要穴が密集して分布する場所で,経脈の本兪と臓腑の原・合は,ほとんどみな関節部に位置する。中央部の衝脈・任脈の浅層は諸脈の会穴であり,深層は多く内臓の募・原であり,大兪要穴の密集して分布する場所でもある。最も高いところ,頭頂部にある百会と最も低いところ,足心にある湧泉は,いずれも大穴である。手足や頭顔面の突出した部分には兪穴が密に分布する。たとえば,素髎・兌端・耳尖・十宣・井穴・大骨空・小骨空・中魁・五虎・肘尖・内踝尖・外踝尖などであり,その中にも大兪要穴は少なくない。

 以上の兪穴が密に分布する区域と大兪要穴が分布する区域の法則から分かるように,「節の交」とは,すべて骨節の交わりを指すわけではないが,骨節の交わり,特に活動が活発で,機能が複雑な関節は,往々にして多気多血のところであり,大兪要穴のあるところでもある。まさに張志聡の『黄帝内経素問集注』骨空論にいう「骨節の空処は,即ち脈の穴会」[7]である。

    [7] 张志聪.黄帝内经素问集注[M].王宏利,吕凌校注.北京:中国医药科技出版社,2014:192.

2024年5月4日土曜日

黄龍祥『兪穴論』2.2

  2.2 核心

 すべての「節の交」がみな兪穴であるわけではなく,脈が出入遊行するその間にあってこそ,「節の交」は兪穴となることができる。これについては,『黄帝内経』が以下のように繰り返し強調している。

 ・所言節者,神氣之所遊行出入也,非皮肉筋骨也〔言う所の節なる者は,神氣の遊行出入する所なり。皮肉筋骨には非ざるなり〕。(『霊枢』九針十二原)

・節之交三百六十五會者,絡脈之滲灌諸節者也〔節の交三百六十五會なる者は,絡脈の諸節に滲灌する者なり〕。(『霊枢』小針解)

・凡此八虛者,皆機關之室,真氣之所過,血絡之所遊〔凡そ此の八つの虛なる者は,皆な機關の室,真氣の過(よぎ)る所,血絡の遊ぶ所なり〕。(『霊枢』邪客)

 ・筋骨血氣之精而與脈并為系,上屬於腦後出於項中(髓空風府穴所在)〔筋骨血氣の精而(すなわ)ち脈と幷して系と為り,上って腦の後に屬し項中(髓空風府穴の在る所)に出づ〕。(『霊枢』大惑論)〔一般的な句読とは異なる。下文の説明に合わせた。「幷」には「合」「併」「並」「兼」などの意味あり。今,音読す。〕

 これから分かるように,兪穴の中核をなすものは,みな「脈会」から構成されているが,異なるタイプの経兪脈会の具体的な構成は,すべて同じであるとは限らない。脈会・骨会・肉会・皮肉の会の「節の交」にしても,大きさや量の異なる「脈」がその間に会してはじめて,兪穴になることができる。孫脈が分肉の間に出入する肉肓が気穴となり,大脈が出入する会が脈兪となり,絡脈が出入する会が絡兪となり,脈と絡が内臓の肓膜(包膜〔envelope,外皮,膜〕・系膜〔mesentery,腸間膜〕・網膜・隔膜)に出入するところが原となり募となり,脈と系が骨の所に出入するところが骨空・髄空となる。しかしこれらの大兪要穴は何千何万という鍼灸臨床試験をへてはじめて最終的に確定される必要がある。

 『素問』で気穴を専門に論じている気穴論篇を見ると,たとえ渓谷になく,穴と会することがなくても,「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」孫絡でも兪となれる。経兪となる唯一にして不可欠の要素が「脈会」であり,脈が発するところ,過ぎるところが兪穴の内在的根拠であり,その他の渓・谷・郄・骨空・節交は,「脈会」を探すための座標点にすぎないことが,以上から十分にうかがえる。古人は脈は虚空を行(めぐ)ると確信していたので,虚空の場所に「脈会」の所在をより容易に発見したのである。

 同じことが他にもあり,現代の有効点療法や民間の針挑〔挫刺〕療法で刺す部位も期せずして同じように血管が分かれる箇所である「脈会」を強調し,古典鍼灸学の「脈兪」概念をより多くより真に伝承した。針挑療法は静脈・動脈を問わず,血管の分岐点を定点とすることを強調する。現代の鍼灸家が総括した鍼灸の有効点の分布法則は,「動脈・静脈・リンパ管・リンパ節の周囲で特に血管の分岐点,リンパ分布が比較的多い場所につねに分布する」[6]である。

  [6] 郭效宗.针灸有效点理论与临床[M].北京:人民卫生出版社,1995:21.

2024年5月3日金曜日

黄龍祥『兪穴論』2.1

 2 兪穴分布節交論〔兪穴の分布である節交論〕

 絶えることなく蓄積された経験を,古人は気穴分布の総法則としてまとめた。兪穴は常に「節の交」,すなわち人体の二つの節という実体が交わる虚空のところにある。本論では,『黄帝内経』がまとめたこの兪穴分布の基本法則を「節交論」と称する。

  兪穴の分布について,三つの問題を重点的に整理しなければならない。その一,兪穴が常にある「節の交」の基本タイプ,および最も一般的な形式。その二,「節の交」が兪穴になりうる根本的な要素は何か。その三,どの部位にある「節の交」が兪穴であり,特に大兪要穴が密集した分布区域であるか。


 2.1 交点

 兪穴が分布する「節交論」の重要な意義を理解するには、「節」と「節の交」という二つのキーワードを正しく解読することが肝要である。

 『黄帝内経』に言う「節」とは,骨の節を指すことが多いが,骨に限らず,人体の皮肉脈筋骨の五体〔『靈樞』五色:「肝合筋,心合脈,肺合皮,脾合肉,腎合骨也」〕においては,「脈」以外は「節」とみな言えて,「皮節」「肉節」「骨節」「椎節」「肢節」「指節」の例がある。「節」は虚空ではなく,血気を通すことができないので,鍼を刺す時に「節」を刺すことは避けるべきで,いわゆる「中氣穴無中肉節。中氣穴則鍼遊於巷,中肉節則肉膚痛〔氣穴に中(あ)てて肉節に中つること無かれ。氣穴に中つるときは則ち鍼は巷に遊び,肉節に中つるときは則ち肉膚痛む〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕というのが,これである。

 「節の交」とは,人体の二つの実体が交わる場所に対する総称である。両肉の交わりを渓といい谷といい,「両骨の交わり」を「関節」とも呼び,『黄帝内経』では「節」と略称することもある。これはすべて虚空のところであり,血気が行(めぐ)る場所であるので,常に気穴のあるところである。

 これまで人々は『黄帝内経』の諸「節」を直接に骨節と解釈し,「節の交」を両骨の交わりと解釈していて,狭きに失している。

 経兪は諸節の会にあるが,脈には両節が互いに交わる例はなく,大脈の分と小脈の会は「出入の会」〔『霊枢』九針十二原〕といっても,「節の交」とはいわない。そのため経に「所言節者,神氣之所遊行出入也。非皮肉筋骨也〔言う所の節なる者は,神氣の遊行出入する所なり。皮肉筋骨には非ざるなり〕」〔九針十二原〕とあり,五体の中で脈だけは言及していない。

 兪穴が「節の交」に分布する形式には主に以下の種類がある。(1)脈兪および内臓の募・原で,脈が出入する会にある。(2)骨空で,多くは両骨あるいは諸骨の会「節の交」(顔面部の骨空は骨面上にある)にある。(3)気穴で,渓谷の会にある。経に「谿谷屬骨,皆有所起〔谿谷屬骨,皆な起こる所有り〕」〔『素問』陰陽応象大論〕とあるので,気穴の下には多く骨会があることがわかる。(4)奇兪の「筋急」「筋結」で,多くは両筋の交会に見られ,筋と肉・筋と骨の会する「節の交」わるところである。

 以上,経兪の骨空と気穴のある「節の交」は,骨と密接に関連している。両骨が会する関節部,特に大関節と活動量が多く機能が複雑な関節部は,諸脈の交会するところ,つまり脈兪が所在するところであることも多い。これから分かることは,以下のことである。「節」が全部骨節を指すわけではなく,「節の交」も全部両骨あるいは諸骨の交わるところを指すわけではないが,骨節は最も一般的な「節」であり,骨会もしばしば肉会・筋会・脈会の場所であるため,骨節の会は兪穴であり,特に大兪要穴が最も多く分布する「節の交」である。詳細な考証は以下の「節点」を参照されたい。


 

2024年5月2日木曜日

黄龍祥『兪穴論』1.3

   1.3 奇正と超越

 古典鍼灸学の枠組みの中に,脈には経と奇があり,穴には経と奇があり,刺には経と繆がある。鍼の名手は,奇正の法を巧みに用いて鍼法の妙を尽くすことができる。

 鍼灸師として,単に経兪を知っているだけで奇兪を知らないと,基本的に奇兪を取らなければならないか,あるいはまず奇兪を取るべき病症の診療のときに,選穴処方において手の下しようがなかったり,正しい方向から外れたり,治療の優先順位を間違えたりする。たとえば脹の治療では,「先瀉其脹之血絡,後調其經,刺去其血絡也〔先ず其の脹の血絡を瀉し,後に其の經を調え,刺して其の血絡を去るなり〕」〔『霊枢』水脹〕し,「凡刺寒熱者皆多血絡,必間日而一取之,血盡而止,乃調其虛實〔凡そ寒熱を刺す者は皆な血絡多ければ,必ず日を間(へだ)てて一たび之を取り,血盡くれば止め,乃ち其の虛實を調う〕」〔『霊枢』経脈〕ようにしなければならない。

 兪穴の常態を知っているだけで,その動態を察しなければ,治療はできないし,選穴処方も的がないのに矢を放つようなものである。たとえば癲狂の治療には,高頻度の経兪の中で「視之盛者,皆取之〔之を視て盛んなる者は,皆な之を取る〕」べきで,「不盛,釋之也〔盛んならざるは,之を釋(お)くなり〕」〔『霊枢』癲狂〕のである。つまり,癲狂を主治する経兪の中から,「動」兪を選んで鍼を刺すのである。

 経兪について単にその「正」の属性しか目に入らず,その「奇」の面を知らなければ,脈が結ぼれて通じないことによって起こる多くの痺証では,委中や委陽などの経兪のところで血絡・結絡をさぐり,「解結」法を用いて「血脈を去る」ことには思いが至らない。また,足の太陽の筋急による経筋病の場合,委中・委陽・天柱などの経兪のところで筋急あるいは結筋点を探ることを自分で覚えていなければ,筋急を除く「筋刺」法を用いて治療することには思いが至らない。ただひたすらに経兪を取り経刺法で治療するだけでは,治療効果が得られず,なぜそうなるか分からず,困惑するばかりである。

 鍼灸臨床において,正を知って奇を用い,あるいは正を奇とし,あるいは奇を正とすることは,鍼を用いることによってはじめてその繊細で巧妙な技を発揮することができる。 

 しかし時には,我々は奇正という視点の束縛を超えて,「病に応ずる」血絡・筋急点そのものに注目しなければならない。必ずしもそれらが経兪の上にあるかどうか、経兪に属するのか奇兪に属するのかと葛藤する必要はない。たとえば痺証を診察して、血絡・結絡が,膕(ひかがみ)の中に見られようと,膕(ひかがみ)の外側に見られようと,それを見て除けば,それが委中あるいは委陽に当たるどうかで葛藤する必要はなく,たとえ経兪の委中と委陽と見なしたとしても,経法を用いて刺すことはなく,血を刺して結を解する方法を採用する。実際,『素問』刺腰痛で王冰が次のように注した通りである。「委中穴,足太陽合也。在膝後屈處膕中央約文中動脈,刺可入同身寸之五分,留七呼,若灸者可灸三壯,此經刺法也。今則取其結絡大如黍米者,當黑血箭射而出,見血變赤,然可止也〔委中穴は,足の太陽の合なり。膝の後の屈する處の膕の中央約文中の動脈に在り,刺して同身寸の五分を入る可し,留むること七呼,若し灸する者は三壯を灸す可し,此れ經刺の法なり。今ま則ち其の結絡の大いさ黍米の如き者を取るときは,黑血に當てて箭射して出だし,血の赤に變ずるを見れば,然して止む可し〕」。血を刺し結ぼれを解いたあとも,脈が平常にならなければ,さらに委中に経刺法を用いて平らかに調える必要がある。

 同様に,筋が急(ひきつ)った所を見れば,必要に応じて異なる刺法を採用して筋を柔らげ脈を通すことが好ましく,それが経筋にあるのか経兪にあるのかを考慮する必要はない。我々が「経兪」のラベルを貼ったとしても,鍼治療の際に採用するのは「筋急を去る」刺法であって,通常の「経刺」法ではないからである。「筋急を去った」後でも,脈が依然として平常にならなければ,関連する脈兪や蔵府の兪を取り経刺法によって虚を補い実を瀉し,平を以て期と為す必要がある。「脈の平」は,古典鍼灸学の治療効果を判定する究極の目標であり,鍼灸が他の治療法と区別される一つの顕著な標識でもある。

 ちょうど奇経が正経に制約されないように,血絡と結絡も脈兪に制約されない。同様に筋急と結筋も気穴に制約されない。このように、「奇正」の視野を超えて,血絡と結絡,筋急と結筋そのものの診療法則および刺法規範に注目すべきである。

2024年5月1日水曜日

黄龍祥『兪穴論』1.2

  1.2 常態と動態

 脈会を兪としたが,脈には動・静の二つの状態がある。脈の異常変動を用いて病を診察したので,『霊枢』経脈篇に掲載された十二経脈の病候は,いずれも「是動則病〔是れ動ずれば則ち病む〕」という。「脈が動ずる」とは何か。本篇の経文は「脈之卒然動者,皆邪氣居之,留於本末;不動則熱,不堅則陷且空,不與衆同,是以知其何脈之動也〔脈の卒然として動ずる者は,皆な邪氣 之に居り,本末に留まる。動ぜざれば則ち熱し,堅からざれば則ち陷且つ空,衆と同じからず,是こを以て其の何の脈の動かを知るなり〕」と明言している。これはすなわち『素問』三部九候論のいう「独小」「独大」「独疾」「独遅」「独熱」「独寒」「独陥下」であり,衆脈と異なる脈象がすなわち「脈動」であり,「有過之脈」〔過(異常)が有る脈。『素問』脈要精微論〕でもある。

 脈兪には診断と治療の二重の効用もある。疾病状態あるいは特定の生理状況下(たとえば妊娠・月経期など)における兪穴があらわす形態・色沢・温度・圧痛など,正常状態とは異なる変化を兪穴の「動」態という。

 臨床における選穴処方の便宜上,古人は大量の診療データに基づいて,よく見られる病に高い頻度で応ずる穴の分布法則をまとめた。たとえば『霊枢』癲狂は,古人が長期にわたる診療経験をまとめた癲と狂についての鍼灸診療における高い頻度で応ずる穴で,治療にあたって鍼師はこれらの高い頻度で応ずる経兪の中から「病に応ずる」穴を選んだ。つまり「動」態にある経兪に対して治療した。癲狂があらたに発症し,リストに挙げられている高頻度の穴の中に「病に応ずる」穴が探せないときは,関連する経兪と「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」〔『素問』気穴論〕奇兪血絡を取って治療した。

 『黄帝内経』がまとめた,よく見られる病気に対する高い頻度で応ずる穴を見ると,圧倒的多数は経兪に現われる。臨床上高い頻度で出現する応ずる穴は,不断の実践検証をへて固定され,専門の名称が与えられ経兪となった,少なくとも経兪の主体を構成した,とも言える。