2024年5月7日火曜日

黄龍祥『兪穴論』3.3

  3.3 「会」を知り,「機」を知る

 兪穴の「機」は脈会にあり,穴中の機を刺すにはその脈会の所在をまず知らなければならない。

 脈には大きさと深さの違いがある。その「会」の浅いものは容易に得られ,深いところは分かりにくい。古人は深さ・大きさ・数量が異なる「脈会」の所在をどのように探ったのだろうか。

 漢代の『太平経』には,当時の鍼師が深部の「脈会」を探索するための一般的な方法が記載されている。「灸刺者,所以調安三百六十脈,通陰陽之氣而除害者也……三百六十脈,各有可睹,取其行事,常所長而治訣者以記之,十十中者是也,不中者皆非也,集衆行事,愈者以為經書,則所治無不解訣者矣。天道制脈,或外或內,不可盡得而知之也,所治處十十治訣,即是其脈會處也〔灸刺なる者は,三百六十脈を調え安んじ,陰陽の氣を通じて害を除く所以(ゆえん)の者なり……三百六十脈,各々睹(み)て,其の行事を取る可き有り,常に長じて治する所の訣なる者は以て之を記(しる)す,十に十中(あ)たる者は是なり,中(あ)たらざる者は皆な非なり,衆(おお)くの行事を集め,愈ゆる者は以て經書を為(つく)り,則ち治する所 訣を解さざる者無し。天道は脈を制し,或いは外 或いは內,盡(ことごと)くは得て之を知る可からざるなり,治する所の處 十に十治する訣は,即ち是れ其の脈の會する處なり〕」。いわゆる「十に十中(あ)たる」「十に十治する訣」とは,当時の鍼と薬の効果の三段階評価で最高級(二級は「十中九」、三級は「十中八」)を指す。この文から,当時の鍼師は「脈会」の所在が「盡(ことごと)くは得て之を知る可からざる〔全部を知ることはできない〕」ことをすでに知っていて,その知るのが難しい内部にある「脈会」については何千何万回にものぼる鍼刺試験で確認し,それらの鍼刺の治療効果が最も良い場所を「脈会」と定めなければならなかったことが分かる。このような方法で一つ一つ脈兪が発見され,伝承されてきた。これは愚鈍に見える方法ではあるが,各種の経兪にもみな適用される方法である。

 このほか,『黄帝内経』は目で見て手で触る簡単な方法で脈を察し穴を探る方法も採用している。いわゆる「視而可見,捫而可得〔視て見る可し,捫(な)でて得(う)可し〕」〔『素問』挙痛論〕というのが,これである。たとえば,当時の鍼術の最高水準の一つとみなされる,耳鳴りと難聴を治療する定石的な刺法である「発蒙法」での脈会を探り機に触れる法は,「刺此者,必於日中,刺其聽宮,中其眸子,聲聞於耳,此其輸也〔此れを刺す者は,必ず日中に於いてし,其の聽宮を刺し,其の眸子に中たらば,聲 耳に聞こゆ,此れ其の輸なり〕」〔『霊枢』刺節真邪〕である。これは目標に鍼を刺した直後の鍼の効果反応を機に命中したかどうかを判断する指標としている。『広雅』釈親には「珠子謂之眸〔珠子 之を眸と謂う〕」と記載されていることから,『黄帝内経』にいう「眸子」とは,『黄帝明堂経』にある聴宮穴の位置に記載されている「耳中珠子,大如赤小豆〔耳中の珠子,大なること赤小豆の如し〕」のことであることがわかる。筆者はかつて裸眼で視力の良い鍼灸師に十分な日光の下で,鼓膜に問題のない被験者を観察するよう実際に指導したことがあり,確かに赤小豆より少し小さい白い「珠子」,すなわち鼓膜臍を見ることができた。今日の鍼灸師で裸眼視力がよく,そのうえ手先が器用で動作の安定性が高い者は,二千年以上前の古人の原始的な方法を用いて,当時のきわめて巧妙な鍼術をおこなうことができる。今日の鍼はより細くなっていて,古人よりも広い空間を見ることができるため,鍼を操作する難度は低下しているかもしれない。

 古人が脈会を探索する具体的な操作方法はほとんど伝わっていないが,少なくとも一部の脈会の探索過程は今日も簡単な方法で再現できる。たとえば,肓の原である「気海」は,臍下一寸半にあり,その脈会は腹内に深く隠れている。『グレイ解剖学』[9]1919の測定データによると,成人が仰向けになったとき,腹大動脈の分岐は臍下約2cmに位置し,まさに気海穴に相当する。二千年以上前,古人は超音波装置を持っていなかったが,どのようにして腹腔の奥にある「伏衝の脈」(腹大動脈)が臍下一寸ほどで左右に分岐していることを知り,それを「肓の原」と呼んだのだろうか。筆者は「視而可見,捫而可得〔視て見る可し,捫(な)でて得可し〕」という方法を用いて古人の発見過程を再現し,標準体型の成人は仰臥位の時,触診を通じて腹大動脈の分岐点が臍下一寸前後であることを確認することができた。痩せ気味の被験者であれば,以下の血管圧迫試験を用いてさらに確認することもできる。臍のやや左下または右下で明らかな脈動に触れることができ,母指の垂直圧で脈動が消えるまで圧迫して20〜30秒保持した後,突然手を緩めると,被験者は圧迫された側の下肢に急速に熱気が流れるのを感じる。この圧迫点のやや内側の上方が,すなわち腹大動脈の分岐点である。また筆者の観察では,臍下の灸では,痩せ気味の被験者の方が腹大動脈拍動がより顕著であり,視覚によって観察できる。

 このように,二千年以上前の古人が腹内に深く隠れている「脈会」を発見したことは,決して神秘でも,不可思議でもないことがわかる。他の募穴の脈会を探る法で,輯佚した例は以下の通りである。

 二千年以上前とはいえ,古人は独特な観点と論証論理によって,兪穴の構造と機能の探索の中で多くの非常に価値のある発見をした。しかし率直に言って,先進的な観察設備と方法を欠いており,主に裸眼と素手で探していたので,古人も兪穴の「脈会」をいくつか見落としていたはずで,探す難度が最も低い絡兪の中にあっても古人の見落としを見つけることができる。たとえば,古人は小児の耳の後ろに鶏足のように走る絡脈が二つに分岐している(成人ではこの絡は目立たない)のを発見して,二つの絡兪である「瘈脈」と「顱息」を確定した。しかし現代解剖学はこの二穴の下に古人が見つけなかった二つの「脈会」,すなわち二つの皮穿枝を発見した。二千年以上前の古人が見つけなかっただけでなく,漢代以降の医学家もみな,あらたに見つけられなかったものである。

 古今の鍼灸師が兪穴脈会を探す上で,以下のような二つの状況が存在する。その一,二千年以上前に素手と裸眼で自然光の下で難度の高い機に触れる方法がおこなわれたが,今日の鍼灸師は適切な設備の助けをかりることによって,難度を大幅に下げることができる。たとえば,『黄帝内経』時代を代表する高難度の鍼術である「発蒙」は,今ではLEDランプを装備した採耳ピンセットを少し改造するだけで古人には望むべくもない鍼術を成し遂げることができる。鼓膜穿刺の経験が豊富な耳鼻咽喉科医であれば,専門の設備が用意されれば,操作はさらに容易になる。その二,二千年以上前に古人が熟練して応用した機に触れる法は,後世および今日の鍼灸師には極めて掌握しにくい。たとえば,常用穴である八髎は,医療画像学の助けを借りても,何千何万回の実践訓練を経なければ,思いのままに「関」を過ぎることは難しく,ましてや「関」にしたがって「機」に触れることなど,言うまでもない。

 前節の「脈会の微」では,現代解剖学の成果と結び合わせて,異なるタイプの経兪の「脈会」を詳細に解析し,鍼灸治療家が穴を刺して機に触れることと,兪穴の構造に関する実験研究のための,よりはっきりした「ターゲット」を提供した。しかし,鍼灸師が認識しなければならないのは,「脈会」の構造をしてさえいれば,どの部分を刺しても古典鍼灸における上工による「機を知り」「機を守る」という要求を達成できるわけではないということである。たとえば,現代解剖学の知識にもとづけば,血管は神経と伴走することが多く,伴走する神経も「脈会」を構成する要素の一つなのかどうか。もしそうなら,どの神経部分が主なのか。穴を刺して機に触れるには脈会中の異なる構造にどのようにすれば正確に刺せるのか。

 まず,兪穴の機が「脈会」にある以上,穴に刺して機に中(あ)てるには,血管から離れることはできないという基本的な判断を明確にする必要がある。神経を刺すとしても,鍼の尖端が最も触れる可能性が高いのは血管周囲の神経であるはずあり,その次は血管とそれに伴走する神経である。具体的に異なる種類の経兪を刺す場合,どのように脈にしたがって機に触れるかは,以下の三つの面から判定することができる。

 第一,各種の兪穴の位置。脈兪・気穴・募穴・骨空という四種類の経兪の中で,内臓の募穴と原穴は内臓神経叢と節が密集して分布するところであり,もし神経を刺してあたるとすれば自律神経(腸神経系を含む)である。表在の絡兪は,その脈が視認でき,鍼刺時に虚実にもとづいて,刺絡して血を出したり,脈を摩でて気を導いたりする。活性化されるのは主に血管内皮細胞と血管壁および外膜から分泌される血管活性物質,それに血管周囲神経である。気穴,たとえば古典鍼灸の刺法によって最も触れる可能性のある神経は血管周囲神経であり,その次は血管と伴走する皮神経である。

 骨空および深部の脈兪は,脈と伴走する神経成分が複雑であり,どのように正確に機に触れるかは,以下の第二・第三点と合わせて判定しなければならない。

 第二,得気の指標と鍼感の描写。得気には二つある。邪気を得ることと穀気を得ることであるが,鍼の刺入で求めるのは穀気を得ることで,穀気が至れば止める。「邪氣來也緊而疾,穀氣來也徐而和〔邪氣來たるや緊にして疾,穀氣來たるや徐にして和〕」〔『霊枢』終始〕である。鍼で体幹の神経幹を刺すことによる,はげしく患者が耐えられないほどの感電したような鍼感は,「穀気」とはみなされず,「邪気」[13] と呼ばれたことが分かる。「穀気が至る」ことを判定するには二つの指標がある。その一,鍼下温度の変化,たとえば「鍼下熱す」「鍼下寒(ひ)ゆ」〔『素問』針解〕。その二,脈の和,すなわち脈が実であれば「瀉せば則ち虚を益し」,脈が虚であれば「補せば則ち実を益す」〔『霊枢』終始〕である。

  [13] 李鼎.针灸学释难 增订本[M].上海:上海中医药大学出版社,1998:33.〔浅野周訳『鍼灸学釈難』(源草社)では,17頁。〕

 鍼下の寒熱と脈象の虚実の変化は主に血管の伸展収縮によって引き起こされる。血管の伸展収縮の神経機序はどんなに複雑でも,常に自律神経による調節を主な機序としている。これから分かることは,「脈会」を刺して神経に中(あ)たったとしても,古人が主に求めていたのは自律神経の調節であるので,「息を調え」「神を治める」ことを強調して,これを助けたことである。体性感覚と運動神経を刺激する効果を追求すのであれば,まったくこれ以上のことは必要ない。

 しかし,現代鍼灸の臨床実践により,体性〔somatic〕神経に適切な刺激を与えることは肢体の感覚と運動障害,特に経筋病に対して明らかな治療作用があることが示されている。『黄帝内経』には体性神経誘導について記載言及したものに『霊枢』経筋篇にあり,古今の鍼刺経験が一致していることを物語っている。

 鍼感に基づいて古人が穴を刺して「機」に触れる方法の輯佚に成功した例がある。腹部募穴の「機」を刺す技法は早期に失われてたが,宋代に許氏がこの法を輯佚し,その一部の佚文は元代の『鍼経摘英集』に掲載されたが,元代以降は再び失われた。明代,朝鮮の太医許任は,『鍼経摘英集』に記載された宋代の許氏の募穴を刺す鍼感に基づいて,一回の試験で最終的に腹部募穴脈会の「機」に触れる法の輯佚に成功した[14]

  [14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

  〔訳注:[14]の第4章の第7節の四、募刺法を参照。宋代の許氏とは,許希のことで,『神應鍼灸要訣』1巻を撰した(佚)。その佚文が朱肱の『活人書』に引用されている。例:卷2:「期門穴:在乳直下筋骨近腹處是也。凡婦人病,法當鍼期門,不用行子午法,恐纏臟膜引氣上,但下鍼令病患吸五吸,停鍼良久,徐徐出鍼。此是平瀉法也。凡鍼期門,必瀉勿補。可肥人二寸,瘦人寸半深」。

  『鍼灸經驗方』については,[14]の186頁を参照。

  『鍼灸經驗方』卷中・鍼中脘穴手法:「方書云:中脘穴鍼入八分,然而凡人之外皮內胞,各有淺深,銘念操心,納鍼皮膚,初似堅固,徐徐納鍼,已過皮膚,鍼鋒如陷空中,至其內胞,忽覺似固,病人亦致微動,然後停鍼,留十呼,徐徐出鍼(注:凡諸穴之鍼,則或間一日行鍼,而中脘則每間七八日而行鍼。鍼後雖頻數食之,慎勿能食,不爾則有害)。」〕

  https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003421  82/164コマ目

 第三に,具体的な兪穴の主治病症に基づく。先にのべた八髎穴を例とすれば,その脈会と脈に伴走する神経には内臓神経があり,また体性神経がある。筆者と他の人の鍼刺実践経験はすべて鍼尖が仙骨前孔付近にいたり,体性神経に触れる確率が決して低くないことを示しているが,『黄帝明堂経』に記載されている八髎穴の主治のほとんどすべては,骨盤内臓器の病気であることから,古人が八髎穴を刺すときには,鍼尖の方向と深さを自覚的に制御して,血管周囲神経や血管に伴走する自律神経に中(あ)てていたことを示している。もちろん,八髎穴を刺して足腰の痛みを治すなら,体性神経を適切に鍼刺することもできないくないが,より操作しやすい兪穴を選択することが十分に可能であり,このように操作難易度が高い八髎穴を選択する必要はない。

 穴を刺して「機」に触れる法を多く見つければ見つけるほど,それが正確であればあるほど,兪穴構造研究のブレイクスルーに役立つと,ある程度いうことができる。異なるタイプの兪穴には異なる「関」と「機」の構造がある。絡兪は表面で浅いところにあり,その鍼刺の標的は明らかである。もしくは「関」と「機」はほとんど一体であるため,関の位置が定まりさえすれば,機に触れる方法は比較的簡単である。

 気穴の「機」の位置は固定しており,すべて分肉の間にあるので,機に触れる方法にはしたがうべき法則がある。すなわち気穴を刺すには肉肓に中(あ)てる必要があり,また肓を過ぎて肉に中(あ)てないことによりはじめて「機」に命中し,気を得ることができる。かつまた『黄帝内経』では,「機」に命中した判定指標は「穀気至る」であり,すなわち脈が和平になるとも説明している。

 骨は大きさや厚さが異なり,その空孔の深さや大きさも決まっていないが,骨空類の兪穴の「関」の位置は明確であり,正確に「関」に入れさえすれば,「機」を探す道から簡単に逸脱することはない。

 兪穴の「機」で最も探しにくいのは脈兪と内臓の募および原である。募と原は深くは内臓の膜にいたるし,人体の最も深いところにある大脈会は,探索の難易度が非常に大きく,「機」に触れる法に求められる水準も高く,古今この術を身につけている人は少ない。

 脈会を探り穴を刺し機に触れる基本原則は,以下のとおり。脈兪を刺して脈に中(あ)て「機」を探す。絡兪を刺し絡に中(あ)て血を出す(分岐点に取る)。気穴を刺して肉肓に中(あ)て「機」を探す。髎穴の骨孔中を刺して「機」を探す。募穴を刺して肓膜脈会に中(あ)て「機」を探す。

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