2024年5月10日金曜日

黄龍祥『兪穴論』4.3

  4.3 人形を論理し,其の穴を信に然りとす

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 余聞上古聖人,論理人形,列別藏府,端絡經脈,會通六合,各從其經;氣穴所發,各有處名;溪谷屬骨,皆有所起;分部逆從,各有條理,四時陰陽,盡有經紀,外內之應,皆有表裏,其信然乎?〔余聞くならく,上古の聖人は,人形を論理するに,藏府を列別し,經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う。氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り。分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有り,其れ信(まこと)に然るか?〕(『素問』陰陽応象大論)

 「人形を論理する」とは人体形態学を論ずることである。初めに「藏府を列別する」ことを論ずるのは,臓腑が血気の源であるためである。「經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う」のは,脈が血気の府であり,また各種の経兪構造の中核であるためでもある。「氣穴の發する所」以下は,みな気穴の構造と機能を論じている。「氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り」については,兪穴を専門に論じている『素問』気穴論篇に詳しく論じられており,かつ前後呼応している。「分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有り」については,それぞれ〔『霊枢』〕四時気と〔『素問』〕四時刺逆従論に展開され,「合人形於陰陽四時〔人形を陰陽四時に合す〕」〔『素問』八正神明論〕,「四時之氣,各有所在,灸刺之道,得氣穴為寶〔四時の氣は,各々在る所有り,灸刺の道は,氣穴を得るを寶と為す〕」〔『靈樞』四時氣。「寶」は『太素』『甲乙経』による〕,「四變之動,脈與之上下,以春應中規,夏應中矩,秋應中衡,冬應中權〔四變の動に,脈も之と與(とも)に上下し,以て春の應は規に中(あ)たり,夏の應は矩に中たり,秋の應は衡に中たり,冬の應は權に中たる〕」〔『素問』脈要精微論〕という命題が提出されている。「気穴」を最優先としているのは,それが脈の会であり,気血を調節する最も重要な場所であるからである。

 このことから,鍼灸学に向けたこの人体形態学の枠組みの核心は兪穴であり,鍼灸学の気血を調節して調和の取れた状態にするという総目標は兪穴の定着発展による必要があることが容易に分かる。

 兪穴は鍼灸学が立脚する基礎であることを知っているのだから,今日,根本から鍼灸の道をはっきり説明し,中西医すべてが理解できるようにするには,まず兪穴の構造と機能を明瞭に述べなければならない。しかし兪穴の構造を明瞭に講ずるには,しっかりとした人体形態学の成果という支えが必須である。これは『黄帝内経』の著者が「人形を論理する」ことを重視し,兪穴を核心とする人体形態学の基本的な考え方を構成している理由でもある。

 これまで鍼灸従事者は(筆者を含めて)このことも認識していたが,現代解剖学がすでに持っているナレッジベース〔知識ベース〕から兪穴の構造と機能研究の難題を解くための既成の答えや完全なデータを見つけることができると,長い間にわたって期待を抱きつづけてきた。

 兪穴の機という微細な構造を考察する際には,現代解剖学がすでに持っている成果を参考にすることが必要であるが,鍼灸従事者として以下のような冷静な認識も同時に持つ必要がある。

 その一,現代解剖学と鍼灸学では人形を論理する観察の視点が異なる。鍼灸学が最も注目する人体の構造は往々にして現代解剖学研究の空白地帯にある。たとえば現代医学は神経の「会」,すなわち節・叢・根・幹を重視することが多く,長期にわたって鍼灸学では特殊な意義を有する血管の「会」の構造を無視し,大動脈の分岐または湾曲部の特殊な調節構造をいくつか発見しただけで,全身の動脈または動静脈の分岐部の構造に対して全面的で掘り下げた観察をおこなうことができず,ましてや血管の分岐部がもつ疾病の診療における特殊な価値を捉えることはできなかった。病理状態において血管に特殊な形態および色調の変化が発生して形成される「血絡」「血脈」「結絡」などは鍼灸診療にとって非常に重要な意義があるが,これらの構造,特にその重要な機能は今でも現代医学の観察視野の外にある。このほか,鍼灸学は実体間の虚空構造,特に体の最大の虚空,すなわち分肉の間,および体内の二つの最大の膜,すなわち横隔膜と肓膜(腸間膜に相当)の機能に対して掘り下げて探索をおこなったが,この二つの人体の内外を結ぶ重要な地帯を現代解剖学の光はまだ照していない。このことからわかるように,鍼灸学がめざす人体形態学と外科学がめざす人体形態学とは,両者の視点が異なっていても,互いに補い合って互いに恩恵を受けることができるのである。

 その二,全体論の考え方〔ホリスティックな視点〕と集合論から研究する伝統を欠いているため,現代解剖学で観察された構造も一つの知識全体に統合できないことが多い。たとえば,穿通枝血管の研究は血管が穿通する点を観察するだけ,穿通枝神経の研究は神経の穿通する点を観察するだけで,血管と神経の穿通部位の完全で本当の有様はずっと提示できていない。血管を支配する神経の研究は遠心性神経〔運動神経〕のデータしかなく,非常に重要な求心性神経〔感覚神経〕の経路はいまだに不明である。このことから容易に見て取れることは,これらの鍼灸における兪穴構造と作用機序の研究などの最も必要な形態学による支えが,往々にして現代解剖学研究の盲点であることである。

 以上の認識を踏まえて,鍼灸従事者はこれまでの「待つ」と「頼る」という怠惰な思想を捨て,鍼灸学の「人形を論理する」虚実一体の理念に基づいて,鍼灸学の発展の要求を満たす,虚実と虚空構造に重点を置いた「人体空間構造解剖学」の構築に努め,実質構造研究に重点を置いた現代解剖学と相互に恩恵を受け補い合う関係を最大限に構築し,それによって未来の医学の創建において中国鍼灸従事者としてのしかるべき貢献をしなければならない[16]

  [16] 黄龙祥.新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022:292-299.

 人形を論理し,その穴が信頼できて立証性があるという目標を真に実現するには,将来の研究はまず以下の問題について深く検討し,明確に答える必要がある。

 その一,構造と機能の研究において,異なる種類の経兪が「脈会」する場所の微細構造を探索し,鍼灸治療効果と直接関連する主構造は何かを分析する。病理状態において,奇兪である「血絡」「結絡」と正常血管の構造にはどのような実質的な変化があるのか。その変化にはどのような法則があるのか。その二,兪穴の主治の面で,同一兪穴の異なる脈会と同一脈会の異なる点の主治の違いを分析する。古人はいくつかの兪穴,特に大兪要穴には多重の「脈会」が存在し,あるいは同一の「脈会」には異なる標的器官に対する複数の点の位置,すなわち「機」が存在していることを発見したが,歴代の兪穴専門書の主治病症に関する表現は,極めて限られた穴の下に異なるレベルの脈会に鍼刺することによって治療する病症が異なることを明記している以外は,ほとんどみな異なる位置の点や異なる刺法に基づく主治病症を区別せずに一緒に羅列している。いま古人のこれらの兪穴治療経験を繰り返し評価するためには,まずこれらの極めて重要でありながら古人によって省略された鍼刺した位置の点と刺法に関する情報を補完することが必須である。その三,鍼で兪穴を刺す際の規範化された操作において,脈会をどのように正確に識別するのか。病症の異なる部位に基づき,異なるレベルの脈会と脈会にある異なる位置の点をどのように選択するのか。脈会を刺して機に触れるには,どのように操作すれば兪穴の治療作用をよりよく体現できるのか。この点では,兪穴に鍼を刺すことは神経注射よりも要求が高い。神経注射は目標の神経点に接触するか近寄るだけでよいからである。

  兪穴の主治とそれに関連する刺法は分けることができない総体であり,刺法から離れて兪穴の主治を語ることには意味がない,あるいは明確な意味はない。もし異なる操作条件の下でまとめられた兪穴の主治をみな区別せずに羅列して,それを同一の条件で主治の特異性を検証しようとするのなら,それは舟に刻して剣を求める〔川の流れの中で剣を落とし,落としたところの船べりに刻み目を付けてその地点をあとで探そうとする〕のと同じである。このような状況で鍼刺の治療効果や治療効果の確定性を検証するのは,なんの成果も上がらない無駄な努力でしかない。


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