2024年5月8日水曜日

黄龍祥『兪穴論』4.1

  4 討論

 4.1 「会する所を問うこと無かれ」と「尽く其の会を知る」

 鍼で孫絡を刺すのに「会する所を問うこと無かれ」とは,『黄帝内経』で兪穴を専門に論じた気穴論が提出した命題の一つである。この篇は「各々処の名が有る」〔『素問』陰陽応象大論:「氣穴所發各有處名」〕経兪である「気穴」をもっぱら論じている。しかし気穴の孫絡に論がおよぶと,一転して次のようにいう。「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,以溢奇邪,以通榮衛,榮衛稽留,衛散榮溢,氣竭血著,外為發熱,內為少氣,疾瀉無怠,以通榮衛,見而瀉之,無問所會〔孫絡三百六十五穴の會,亦た以て一歲に應ず,以て奇邪を溢し,以て榮衛を通ず,榮衛 稽留し,衛散じ榮溢れ,氣竭き血著(つ)けば,外は發熱を為し,內は少氣を為し,疾かに瀉して怠ること無く,以て榮衛を通ぜよ,見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」。文の冒頭では「穴の会」を強調しながら,文末ではまた「会する所を問うこと無かれ」という。実に難解である。

 同じように,作者は篇末において,「帝乃辟左右而起,再拜曰:今日發蒙解惑,藏之金匱,不敢復出。乃藏之金蘭之室,署曰氣穴所在〔帝 乃ち左右を辟(さ)けて起ち,再拜して曰わく:『今日 蒙を發(ひら)き惑いを解き,之を金匱に藏して,敢えて復た出ださず。乃ち之を金蘭の室に藏し,署して氣穴の在る所と曰う』〕」と主旨を示して全篇を結んだあとに,また次の一文を加えている。「岐伯曰:孫絡之脈別經者,其血盛而當瀉者,亦三百六十五脈,並注於絡,傳注十二絡脈,非獨十四絡脈也,內解瀉於中者十脈〔岐伯曰わく:『孫絡の脈は經に別るる者,其の血盛んにして當に瀉すべき者は,亦た三百六十五脈,並びに絡に注ぎ,傳えて十二絡脈に注ぐは,獨り十四絡脈のみに非ざるなり,內解して中に瀉する者 十脈あり〕」。このような扱いははさらに理解しがたいように思え,巻末のこの文は錯簡ではないかという人もいる。実は前文と接続していないように見えるこの文は,原作者が丹念に設計した注記であり,本篇の前文と呼応するだけでなく,全体の理論的枠組みの中にある鍼灸治則に結びつけるために張られた重要な伏線であり,その深意は少なくとも三つある。

 その一,「繆刺」を支持する。『素問』気穴論の「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,以溢奇邪……〔孫絡三百六十五穴の會,亦た以て一歲に應ず,以て奇邪を溢し,……〕」を,三部九候論の「其病者在奇邪,奇邪之脈則繆刺之〔其の病む者 奇邪に在れば,奇邪の脈は則ち之を繆刺す〕」と対にして読めば,「奇邪の脈」とは「孫絡」を指し,その「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」孫絡は,まさに繆刺法が常用する鍼刺部位,いわゆる「因視其皮部有血絡者盡取之,此繆刺之數也〔因って其の皮部を視て血絡有る者は盡く之を取る,此れ繆刺の數なり〕」〔繆刺論〕である。経兪は経刺法に対応し,「孫絡血」「血絡」「結絡」は繆刺法に対応する。両者の奇正は互いに合致し,鍼灸で病気を治療するにはどちらも欠かすことができない。これが明らかになってはじめて気穴論の作者がいう「見而瀉之,無問所會〔見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」の深い意味を本当に理解することができる。

 その二、歴史を伝承する。「病は血脈に在り」は,鍼灸の唯一の適応症であったし,脈も最初の鍼灸対象箇所となった。老官山漢墓から出土した鍼処方集『刺数』ではすでに経兪は主要な地位を確立していたが,長期にわたって固定した位置と名称のない「血絡」「結絡」類の奇兪は経兪と並行しておこなわれていた。『素問』三部九候論にいたっても経兪を主体としたものとは大きく異なる鍼灸診療の情景が記録されている。「經病者治其經,孫絡病者治其孫絡血,血病身有痛者治其經絡。其病者在奇邪,奇邪之脈則繆刺之。留瘦不移,節而刺之。上實下虛,切而從之,索其結絡脈,刺出其血,以見通之〔經病は其の經を治し,孫絡病は其の孫絡の血を治す,血病んで身に痛み有る者は其の經絡を治す。其の病む者 奇邪に在れば,奇邪の脈は則ち之を繆刺す。留瘦して移らざるは,節して之を刺す。上實して下虛するは,切して之に從い,其の結ぼれる絡脈を索(もと)めて,刺して其の血を出だし,以て見て之を通ぜしむ/『鍼灸甲乙経』「以見通之」作「以通其氣」〕」。刺脈刺絡療法が盛んであった時期には,「孫絡の血」と「結ぼれた絡脈」が鍼治療の主役であったことが容易に見てとれる。

 その三,古今をつなぐ。古い経験を効果的に後世に伝え,遠くまで伝えるには,新しい理論の枠組みの中で適切な位置を見つけ,悠久の歴史を持つ血を刺して脈を通じさせる方法と新しく勃興した毫鍼で補瀉して経を調える方法との間を結ぶ論理的支点を探さなければならない。新旧の鍼法がぶつかり合う中で,古人は毫鍼による補瀉で血気の虚実を調えるには,血脈が滞りなく流れるという前提の下ではじめて実現することを認識するようになった。つまり「絡を刺して脈を通じさせる方法」は「毫鍼で補瀉して経を調える方法」を効果的に実施するための必要条件である。この認識は『黄帝内経』の中でさらに優先度の最も高い治則形式として高らかに提示された。「凡治病,必先去其血[脈],乃去其所苦,伺之所欲,然後瀉有餘,補不足〔凡そ病を治するに,必ず先ず其の血[脈]を去り,乃ち其の苦しむ所を去り,之が欲する所を伺い,然る後に有餘を瀉し,不足を補え〕」〔『素問』血気形志〕,「實則瀉之,虛則補之。必先去其血脈而後調之,無問其病,以平為期〔實すれば則ち之を瀉し,虛すれば則ち之を補う。必ず先ず其の血脈を去って而る後に之を調え,其の病を問うこと無く,平を以て期と為せ〕」〔『素問』三部九候論〕。これが『黄帝内経』の著者が探し出した,古今の鍼法を一体としてつなぐ論理の支点であり,気穴論の末尾に追加された注記は,この第一治則を定着発展させるための布石であった。

 気穴論の著者が孫絡の血について「見而瀉之,無問所會〔見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」と言った時,ちょうど以下のような情報が伝わってきた。当時において,「脈会」の重要性はすでに周知のことであり,これ以上強調する必要もなく,もし「気血が留居」〔『霊枢』衛気失常〕することによって,孫絡の「血が盛んにして起」こり,まさに急いでこれを去るべき者でなければ,みなすべて審らかに「脈会」を守って,その虚実を調えなければならない。それゆえ『霊枢』官能は「用鍼之理,必知形氣之所在,左右上下,陰陽表裏,血氣多少,行之逆順,出入之合(北宋の『銅人腧穴鍼灸図経』が引用する古い伝本『霊枢経』は「出入之合」を「出入之會」に作り,九針十二原の「營其逆順出入之會」と一致する),明於經隧,左右支絡,盡知其會〔用鍼の理は,必ず形氣の所在,左右上下,陰陽表裏,血氣多少,行の逆順,出入の合(會)を知る,……經隧を明らかにし,左右の支絡は,盡く其の會を知る〕」といい,脈会の重要性が十分認識されていたことを示している。

 刺灸箇所は「其の会を問うこと無かれ」から「尽く其の会を知る」にいたり,実際に脈を刺すことを主とするものから脈兪を刺すことを主とするものへの転換過程を経たが,この歴史的転換を生みだした最大の推進力は「脈会」の意義の発見からもたらされた。

 「脈会」の発見は多くの要素に影響されている可能性があるが,最も直接的で最も長く続き,最も主となる影響は,脈診することで得られた啓発と「診・療一体」観念の導きによるものである。

 脈を診,絡を診る部位がたえず増えるにともない,古人は脈を診,絡を診る部位のほとんどすべてが経脈と絡脈の分岐するところと交会するところ,すなわち「脈会」にあることに気づいた。

 分肉の間を伏行する経脈に比べて,浅く表面にある絡脈の分岐点は観察されやすく,しかも絡を診る部位は我々がよく知っている十五大絡に限らず,多くの小さな絡脈分岐点も常に絡を診る部位である。『黄帝内経』の中でかなり広く応用される諸絡の会である「魚際」以外にも,他の小絡の会も絡を診るのに用いられる。たとえば,耳の後ろに鶏足状に走行する絡脈には二つの分岐点がある。ここは小児の熱性痙攣を診療するために最も重要で,最もよく使われる脈位であり,「癇驚脈」や「驚脈」とも呼ばれている。この脈は今日でも一定の範囲で小児の熱性痙攣の診察に用いられている[15]

  [15] 黄龙祥,黄幼民.针灸腧穴通考《中华针灸穴典》研究[M].北京:人民卫生出版社:2011:957-961. 〔下冊。手三陽三焦経穴・瘈脈の部分にあたる〕

 「診・療一体」の理念に基づき、これらの診を脈,絡を診るための「脈口」は,疾病を治療する「脈兪」「絡兪」に一変した。たとえば,寸口の脈は「太淵」「経渠」という二つの重要な脈兪に発展したし,小児の高熱痙攣を診察する耳後の絡脈も小児の高熱痙攣を治療する最も重要な二つの絡兪「瘈脈」「顱息」となった。この時,人々は自覚的に,かつ意図的に浅または深,大または小の脈会から新しい兪穴を発見し,さらに「脈会」が分布する基本的な法則を探ることができた。これによって,中国鍼灸が理論を構築する上における三つの飛躍の道を開いた。血気を生命の基礎とし,その血脈を見て寒熱痛痺を知り,脈を刺し絡を刺してその経脈を通じさせることによって多くの病を治す。鍼灸学理論の体系化という第一次構築を完成した。これが第一の飛躍である。気血を調和させることを鍼灸の本とし,脈の盛衰をもって血気の有余不足を診断し,微鍼をもちいてその経脈を通じさせ,その血気を調え,その逆順出入の会を営し〔『霊枢』九針十二原〕,脈を刺し絡を刺して経脈を通じさせることから脈兪脈会を刺すことによって血気を調えることへと転換し,そして両者が互いに補完し合う臨床応用の法則を確立した。これが第二の飛躍である。脈会が「節の交」に分布する総法則を発見し,脈会からすすめて肉会・筋会・骨会を類推し,さらに体幹部の脈会から体内の脈会である臓腑の募・原の発見にいたり,異なるタイプの経兪系統を形づくり,それと同時に疾病の状態であらわれる頻度の高い動兪の分布法則をまとめ,それによって臨床における選穴処方をより効果的に導く。これが第三の飛躍である。

 もし「脈会」の鍼灸診療における重大な意義の発見,ひいては脈兪・気穴・骨空・臓腑の募原などの「各々処の名が有る」〔『素問』陰陽応象大論〕経兪の発見がなかったならば,兪穴を「学」とすることができないのみならず,鍼灸も「学」とすることは難しい。鍼灸学の発展における「脈会」概念の大きな意義は、どれほど高く評価されても過言ではないと言えよう。

 「脈会」は兪穴が兪である理由の根本であり,鍼灸学が自立するための根本でもあるので,知るべきことは尽く知っておかなければならない。

 「尽く知る」とは,どういうことか。〔『靈樞』小針解:「盡知鍼意也」。『靈樞』刺節真邪「盡知調陰陽,補寫有餘不足,相傾移也」。〕

 その一,兪に諸会のある者はその会するところをすべからく知っておかなければならない。大兪要穴は往々にして一つの穴が数種類あるいは多層の「脈会」を兼ねている。たとえば任脈の気海穴の浅層は小脈の会であり,深層は大脈の会である。また古人が最初に発見した二つの内臓の原のうちの一つである肓の原は,一穴で気穴と脈兪と募原という三種類の経兪タイプを兼ねている。尽く穴中の諸会を知っていれば,臨床で穴を刺すときに治療する病症の違いによって異なるレベルの脈会の中で機に触れ気を得ることができる。その二,大兪要穴は多様な脈会を兼ねることができるだけでなく,同じ脈会の中にも異なる標的となる区域の「機」がある可能性があり,臨床をおこなう時には主病の異なる部位に基づいて,標的となる器官の「機」の位置に鍼感が至るように入念に探して,兪穴主治の適格性と鍼の効果の確実性を高めなければならない。たとえば,八髎穴は膀胱・尿道・直腸・肛門・生殖器官などの骨盤底内臓および腰脚部の病症を治療できるが,鍼を刺す時に病変部位に基づいて,脈会の中で正確に適切な機を探し,鍼感が標的器官へ伝わるようにコントロールできてはじめて顕著で安定した治療効果を得ることができる。その三,尽くその会を知るには,その「会」を実証しなければならない。信頼の上に証拠があってこそ,『黄帝内経』の「人形を論理する」枠組みは,はじめて堅固な基礎があることになる。これ以外に,古人が発見していない脈会をできるだけ発見するべきである。瘈脈と顱息を例に挙げれば,古人はその表面の浅い絡脈の会しか発見していないが,現代解剖学の最新成果に基づけば,この二穴の下にはそれぞれ一つの皮膚穿通枝がある。これを知っていれば,臨床時にこの層にある脈会の適切な主治病症と鍼刺方法を自覚的に試験し,古い穴による新しい使用という革新が実現できる。

 兪穴の立体構造を明らかにし,尽くその会を知り,正確に操作して,臨床の効果,特に治療効果の確定性を高める以外に,さらに重要な考慮事項がある。その一,鍼灸の有効性と兪穴作用の特異性実験研究の質と科学性の向上に役立つ。その二,人工知能の効果的な導入に役立つ。たとえば,人工知能と仮想ナビゲーション技術が,超音波誘導下の兪穴の位置を定めるための補助システムと鍼灸ロボットの研究開発などに連携して応用する。これらのすべての構想が定着発展するかどうかは,みな兪穴の立体構造を明らかにできるかどうかにかかっている。


0 件のコメント:

コメントを投稿