2010年10月22日金曜日

1-6 鍼灸廣狹神倶集 その1

1-6 『鍼灸廣狹神倶集』 その1
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『鍼灸廣狹神倶集』(シ・四九五)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』1所収

 読みやすさを重視して、適宜、句読点・濁点などを打った。かなは、現代使われているものにかえた。一部、ルビをつけた。
 柳谷清逸校訂『鍼灸広狭神倶集』(石山針灸医学社、平成八年)を参考にしました。ここに感謝の意を表します。

 (鍼灸廣狹神倶集・石坂宗哲序)
天地に孕まれしものヽ中に、人ばかりまされる
ものなきは、今更いふべくもあらず。その人のなす
わざこヽら有る中に、くすし(医師)のみち(道)ばかり
おぼろげならぬ物はあらず。それをいかにと
いふに國をおさめ、天下を平(たいらか)にすべき
やごとなきつかさ(司)、くらい(位)あるあたりの玉の
緒も、こ(凝)れるわざのいた(至)れると、いた(至)らざると
によりて、つ(尽)くこともあり、あやまつことも
  一ウラ
あればなり。されば、この道を學ぶはたやす(容易)
からぬごとし。昔よりいいあへり。いでやそのす
ぢの書のおや(祖)とあが(崇)むる素問靈樞は、上つ代
の人〃のひ(秘)めを(置)けるあまりに、また(全)く傳はら
ざるぞ口おし(惜)きわざなる。されど傷寒論
金匱要略などに、いにし(古)への禁方傳はれり。
それすら仲景より後の事といへども、これ
らの書な(無)かりせば、くすし(医師)を業(わざ)とするものヽ
  二オモテ
より所な(無)からまし。そも〃〃この神倶集は、
文化みつのえ(壬)さる(申)の年の夏、屋代翁より余
にをく(贈)られしなり。よ(読)みてみれば、わが業とせ
る針さ(刺)すことをもは(專)らにと(説)ける書なり。いつ
の頃にや、うんせい(雲棲)子といふ人のつく(作)れるに
て、針を用て疾をいや(癒)すさた(沙汰)、大かたの人
のをよ(及)ぶべきにあらず。おほよそ(大凡)もろこし(唐)隋
の代よりこのかた(以来)、かくばかりこと(言)すく(少)なにし
  二ウラ
て手に入(いれ)やすく、わざにをきては、いた(至)らぬくわ(科)
なく、人に益ある書あることをき(聞)かず。さ
きに慶長の頃、前田一閑といふ人のしる(記)せし
針と灸との書を得し事あれど、これは
眀堂針灸經によりて書(かき)あらはせしもの
にて、この書にくら(比)ぶれば、ものヽかず(数)なら
ず。さはいへど、二百とせ(歳)にもあま(余)りぬるこの
道の書の、そのかみ(上)みだ(乱)れたる世にもほろ(滅)び
  三オモテ
ず、年々のかぐつち(迦具土)の災(わざわい)をもまぬ(免)がれしをよ
ろこび、かつ(且)は皇國の人の世〃この傳をうし(失)
なはずして、妙なる業をほどこすもの、まヽ
世に出(いづ)るは、めでたきことにして、わが道の幸(さいわい)な
り。されば今、古(いにしえ)の書の世にすぐれたるを
家にのみひ(秘)めを(置)かずして、櫻木にえ(彫)り、楮
の紙にす(刷)りうつ(写)し、同じこころの友がき(垣)
にをく(贈)り、のち〃〃(後々)は、天の下に廣めんとて、吾(わが)才の
  三ウラ
つたなさを忘れつヽ、校正し假字の傍に眞
字をしる(記)し、みづからの思ふ所をも書(かき)くは(加)へつ。
されば、おほけなき事ながら家〃に傳へて、よ(世)の
人のいた(痛)みくる(苦)しみをすく(救)ひ、かのつかさ(司)位高丈
あたりのやまひ(病)もいや(癒)し侍らば、これも又國をお
さめ、天の下を平(たいらか)にする道のかたはし(片端)ともい(言)はざら
めや。文政二とせ(年)卯月朔日石坂宗哲法眼
藤原永教書


  【注】
○こヽら:幾許。たいそう。多量に。数多く。 ○くすし:くすりし。薬師。医師。 
  一ウラ
○おぼろげなぬ:朧気ならぬ。並ひととおりでない。格別である。 ○やごとなき:やむごとなし(止む事無し)=⇒やんごとなし=⇒やごとなし。高貴である。 ○玉の緒:命。 ○これる:ひとつに凝集する。 ○つく:消えてなくなる。 ○あやまつ:傷つけ、そこなう。たがえる。失敗する。 ○いでや:さてさて。 ○すぢ:筋。 ○まし:反実仮想。(もし)……であったら、……であっただろう。 
  二オモテ
○文化みつのえさるの年:文化壬申の年。文化九(一八一二)年。 ○屋代翁:屋代弘賢(やしろひろかた)。宝暦八(一七五八)~天保十二(一八四一)年。書誌学者。通称は大郎、号は輪池。源氏。幕府祐筆頭。塙保己一の『群書類従』編纂に携わる。絵入り百科事典『古今要覧』の編纂を企てたが未完。蔵書家として著名。 ○余:石坂宗哲。 ○さた:処置。 ○こと:言葉。 
  二ウラ
○慶長:一五九六~一六二三年。 ○前田一閑: ○眀堂針灸經:明堂鍼灸經。『太平聖恵方』卷九十九所収のもの(『明堂灸經』)を指すか。 
  三オモテ
○かぐつち:迦具土。火の神。「かぐ」は火の意。「つ」は格助詞。「ち」は霊魂・霊力。 ○友がき:友垣。友達。友人。 ○假字:かな。 ○眞字:漢字。 
三ウラ
○おほけなき:身分不相応の。おそれ多い。 ○位高丈:「位丈高」と同じか。 ○かたはし:片端。物事の一部分。 ○文政二とせ:文政二(一八一九)年。 ○卯月:旧暦四月。 ○朔日:一日。新月。 ○石坂宗哲:宗哲は江戸後期の代表的針灸医家で、甲府の人。名は永教(ながのり)、号は竽斎(うさい)。寛政中、幕府の奥医師となり、法眼に進む。寛政九(一七九九)年に甲府医学所を創立。中国古典医学を重視する一方、蘭学に興味を示し、解剖学を修めた。〔『日本漢方典籍辞典』を一部改変。〕 ○法眼:僧侶に準じて幕府の医師にも授けられた位。法印の下、法橋の上。 ○藤原永教:

 (鍼灸廣狹神倶集・屋代弘賢序)
この新撰廣狹神倶集は、文化九年秋
のはじめ(初)、ある書肆のも(持)て來つるをも
と(求)めたるなり。その文字様、墨色、紙の質
などをよくみ(見)つヽかうが(考)へぬれば、文明の
ころの筆にやとおも(思)はる。一わた(渡)りよ(読)みて
みるに、いとめづら(珍)かなることもみ(見)ゆ。さて
も此(この)冊子、うつ(写)せし時代は、上件のごと
くなりとも、その説のいとあが(上)れる世の
  四ウラ
名醫のつた(伝)へなりけむもし(知)るべからず。
そも〃〃やつがれ(僕)、から(唐)の、やまと(大和)のふみ(文)を
あつ(集)めしこと、おほよそ一万卷にあま(余)れり。
これたヽひとり(一人)、みづからこの(好)めるがゆへ(故)
のみにあらず。ひとへに古今要覽編集の
ためなり。それがなか(中)に、仮名にか(書)ける
針科の書のかくばかり古代なるは、初(はじめ)
てみ(見)つるなれば、ふか(深)くひ(秘)めをかばや
五オモテ
とおも(思)ひしが、又思ふやう、世にたぐひ(類)
なきものをふか(深)くひ(秘)めを(置)きて、跡かたな
くなりしためし(例)なきにあ(有)らず。されば
人にもつた(伝)へばやとおも(思)ふ折から、石坂
ぬし(主)より、鍼灸説約、櫻木にえ(彫)らせつ、
とてをく(贈)られたり。此(この)ぬしは、やつがれ(僕)が
いのち(命)のおやにて侍り。ゆへ(故)いかにとなれば、
十とせ(年)あま(余)りさき(先)に疝氣にて、腰い
  五ウラ
た(痛)きことたへ(耐)がたく、とやかくやとやし(養)
なひつれど、そのしるし(験)なかりしを、この
ぬしの針や熨やなに(何)くれと一かた(方)な
らぬめぐ(恵)みにて、さばかりのいた(痛)み、月をこ(越)
えずしてい(癒)えたり。もしそのかみ(上)、此(この)ぬし
にあ(会)はざらましかば、けふ(今日)までなが(長)らへて
要覽の素望をもとげ(遂)ざらまし、
とおも(思)ひしみ(染)ぬるなり。いでや此ぬしに
  六オモテ
まい(参)らせて、やつがれ(僕)は、うつ(写)しをとヽ゛(留)めばや
とて、ある日訪(と)はれつる時、かくと聞(きこ)え
つれば、二(ふたつ)なくよろこ(喜)びて、ま(先)づみ(見)せ
よとて、と(取)りてかへ(帰)られたり。やがて破(やぶれ)
ちぎ(千切)れをつくろ(繕)はせ、へうし(表紙)つけなど
して、み(見)せにをこ(遣)せ、へち(縁)にあら(新)たにう(写)
つせしに、傍注をさへくは(加)へたるををく(贈)
られぬ。やつがれ(僕)がよろこ(喜)びたと(譬)ふべき
  六ウラ
かたなし。すなは(即)ちこのゆへ(故)よし(由)をか(書)き
つけてよと、こ(請)はるヽに、もとよりへだ(隔)
てぬなか(仲)らひなれば、ことば(言葉)のふつヽか
に、文字のかたくな(頑)ヽるをもかへり(省)
みず、わ(吾)がたいしのすヽ゛り(硯)に紅の霖と
いへるすみ(墨)すりて、ふで(筆)のいのち(命)も
の(延)ばへぬることにぞ有ける。源弘賢。


  【注】
○文化九年:一八一二年。 ○書肆:書商。 ○文明:一四六九年~一四八六年。長野仁先生によれば、『広狭神倶集』は、「雲海士流の長生庵了味(土佐の武士、桑名将監の別名、生没年未詳)が慶長十七年(1612)に著した」(日本医史学雑誌、第56巻第3号、398頁)。 ○一わたり:全体について、おおざっぱにするさま。 ○めづらか:「か」は接尾語。普通とはちがっているさま。珍しい。 
  四ウラ
○やつがれ:自分を謙遜していう語。わたくしめ。 ○古今要覽:幕命により屋代弘賢が中心になって編纂した類書。神祇・姓氏・時令・地理などの部門に分類した項目について、和漢の文献から関連する記事や詩歌を集めて解説を施し、また必要に応じて図を添える。(国立公文書館)当初一八部千巻の予定だったが、弘賢の死により出版されず。『古今要覧稿』として残る。五六〇巻。文政4~天保13年(1821~42)成立。 
  五オモテ
○ぬし:お人。お方。…様。その人を軽い敬意や親しみをこめていう語。 ○おや:親。上に立つ人。第一人者。 
  五ウラ
○とやかくやと:なんのかのと。あれやこれやと。 ○なにくれと:なにやかにやと。あれこれと。 ○ひとかた:普通の程度。 ○さばかり:あれほど。 ○そのかみ:その当時。 ○素望:日頃からの望み。 ○いでや:「いで」を強めていう語。さあ。いざ。   六オモテ
○まいらせ:「遣る」の謙譲語。献上する。差し上げる。 ○聞え:「聞こゆ」。「言ふ」の謙譲語。申し上げる。 ○二なく:「ふたつ無し」。この上なく。 ○をこせ:「おこす」。遣す。よこす。送ってくる。 ○へち:縁。
  六ウラ
○なからひ:人間関係。ひととの間柄。 ○ふつつか:才能がない。 ○かたくな:見苦しい。悪筆。 ○たいし:未詳。大師。太子。 ○紅の霖:未詳。 ○のばへ:延ばふ。のばす。延長する。

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